第四十一話「肉まん娘は多田胃散の夢を見るのか?」


 クーフェイという少女は、万事においておつむが足りないと思われている。
 実際、麻帆良学園女子中等部3Aのクラスメイトにも、バカレンジャーという五人衆のイエローの位置づけで認識されている節があるし、彼女自身、自分は勉学などにはとことん向いていないと自覚している。
 だが、そんな勉強のできない少女にも、二つだけ誰にも負けないと自信を持てる特技があった。
 一つは、故郷は中国にいた頃より研鑽を積んでいる中国拳法。
 そして、もう一つは――――

「さあ、昨夜、こっそりホテル抜け出してどこ行ってたか答えるヨ」
「んにゃ……べ、別にどこにも行ってないアルヨ〜?」

 ホテル嵐山の一階ロビーにて。
 落ち着いた紫色のソファーに座らされた彼女の目の前には、ほかほかと湯気を立てる肉まんが並んだ蒸籠があった。
 何故かギミックとして手足が付いていたり、ドングリ眼が描かれていて、ついでに口まで付いていたりする以外、いたって普通の蒸籠である。
 ソファーに深く腰掛けた、否、腰掛けさせられた彼女の脇に立つのは、セミロングの黒髪を両サイドで団子と三つ編に纏めた少女――麻帆良で並ぶ者なきとまで言われる才媛・超鈴音だ。
 片言の語尾や髪型、不自然なまでに健康そうな紅潮した頬など、クーフェイと同じ中国出身っぽさを醸し出している。

「もう一度だけ聞くヨ。昨夜はどこへ行ってたネ、吐くヨロシ」
「正直に話してくれないと、ニューマシーンの実験体になってもらっちゃいますよー?」

 鈴音とは逆の位置、丁度、クーフェイを挟んだ場所に立っていたおさげの少女が、彼女の目の前で蒸気を上げる蒸籠を持ち上げた。
 余すことなく見せた広いおでこを光らせ、ついでに掛けている度の高い丸眼鏡も光らせるのは、鈴音の相方として、またマッドサイエンティストとしての一面から、色々と恐れられている葉加瀬聡美という少女。
 蒸籠の後ろにある、何のために付けたのか不明なスイッチを押し上げて懐から取り出したのは、ラジコンを動かすのに際に使用するリモコン。

「自動肉まん暴飲暴食マシーン・肉まん君Zー」

 間延びした、子供から大人にまで大人気の青い狸、もとい猫型ロボットを真似た声色とともに、手にしたリモコンを蒸籠に向けてレバーを倒す。
 瞬間、蒸籠に必要なのかどうかひたすらに謎であったギミックの手足が蠢き、『自動肉まん暴飲暴食マシーン・肉まん君Z』とやらが大地、の代わりにソファーの前に置かれたテーブルを踏みしめて力強く立ち上がった。

「オオッ!? 立った、蒸籠が立ったアル!!」
「フフフ、覚悟はいいですかー? ちゃんと話してくれるまで、肉まんを食べてもらいますからねー」

 眼を剥いて仰天するクーフェイに勝ち誇った顔で聡美が告げる。

「熱々の肉まんで火傷しちゃかわいそうだからナ、冷たいウーロン茶は用意してあげたヨ」

 コトリ、とペットボトルに入ったウーロン茶を置いた鈴音を横目に見て、クーフェイは静かに気息を整えながら思った。
 負けられない戦いがある、と。
 ホテル嵐山へ戻る道すがら、ネギやジローと交わした約束。
 昨晩の、百鬼夜行の妖怪達と繰り広げた人外魔境の戦いは秘密にしておく。

(安心するアルよ、ネギ坊主、ジロー……。私、約束を破ったりしないアル!)

 必勝(ビーシャン)を決意して、クーフェイは叫んだ。

「どんどん来るといいアル! 肉まんは私の好物アルーーーー!!」
「よく言ったネ! ハカセ、遠慮はいらない、どんどん口に運んであげるネ!!」
「了解ですー」

 鈴音の合図を聞き、聡美がリモコンを操作する。
 その操作に従い、手を伸ばした肉まん君Zがクーフェイの口へ運ぶのは、見るからに美味しそうな湯気を立てる肉まん。
 聡美が操作している時点で『自動』ではない気もするのだが、そのような小さなことに拘る人間は、悲しいかなホテル嵐山のロビーにはいなかった。

「それそれー」
「あむあむ、もが、もぎゅ……!」
「さあ、どこまで食べられるのか見物ネ」

 誰にも知られることなく始まった、昨夜の戦いを凌ぐ熱きファイトが今、幕を切って落とされた。

「ハフッ、ホフッ!! お……お代り持ってくるヨロシィィィィッ!!」
「むむ、やりますねー! では四倍速でいきますよー」
「もあーーーー、もあーーーーー!?」

 バカイエロー・クーフェイが自信を持っている二つ目の特技。
 それは、肉まんの大食いである――――







 京都という、古き良き日本らしさを醸し出す木造の喫茶店。
 木目の美しさが際立つ飴色のテーブルの上には、香り高いコーヒーや軽食の皿が並んでいた。

「残念だろうけど、ごく普通の喫茶店にはゴーヤとか使った挑戦的飲料はないから」
「そ、それぐらい心得てるですよ」

 万事において一風変わった飲料を求めていると思われているのだろうか、自分は。
 砂糖とミルクを大量に投入した、コーヒーとは別物の液体に口をつけながら、夕映は恨みがましく目の前の青年を睨んだ。
 不自然に感じるほど似合う灰色のスーツに身を包み、テーブルに所狭しと置かれた料理を次々に制覇していく様子に、驚き混じりのため息が漏れた。

「ホテルの朝食の時も思ったのですが……少し食べ過ぎではないですか? よく入りますね」
「あー……何やかやで結構、動いたからね。眠気は今のとこないから、きっと今は食欲を満たす時なんだよ、うん」

 言ってからジローは、コーヒーの隣に置かれていたクラブハウスサンドの皿を空にする。

「夕映ちゃんも遠慮しないで、何か頼めば? さっきからコーヒー……うん、コーヒーしか飲んでないし」
「どうして、人のコーヒーを見て首を傾げるですか……。そ、それはともかく、私は結構です。ジロー先生の食べっぷりを見ていたら、正直お腹いっぱいで」

 何せ今、テーブルを占拠している料理を見ること自体、二度目なのだ。
 個人経営らしい小さな喫茶店だけに、食事メニューはそこまで豊富ではないのだが、それにしてもメニューに書かれた軽食全種を二巡するのは難しい。
 十代男性の食欲が旺盛なのはよく聞く話だが、これはどう考えても食べ過ぎである。
 本人の言い分としては、昨夜の騒動で消耗した心の力――わかりやすく魔力と説明された――を回復させるのと、無理な修復や再生で酷使した肉体を労うための大食いらしいが。

(だいたい、いきなり散歩に誘われて喫茶店に連れてこられて何か食べろ、という方がおかしいのです)

 冷めつつある糖分とミルクが主成分のコーヒー風味飲料を啜り、夕映は口を尖らせた。
 和と洋が見事に調和した、モダンジャズが流れる落ち着いた店内。
 そこにいるのは、年配の喫茶店の主人とその奥さんに自分、そして少しばかり興味を持っている青年だけときた。
 これで緊張しないほど図太い神経は持っていないし、それを望むほど綾瀬夕映という少女は浮世離れていない。
 お腹いっぱいと注文を断った理由の六、七割はジローの食べっぷりのせいだが、残りの三、四割は年頃の少女が一度は体験するだろう、実に乙女チックなものであった。

(だというのに、目の前の緩のほほんは何ら気にすることなく、美味しそうに料理を貪っていやがるですよ)

 喉でも詰まらせろと、呪詛の一つでもかけてやりたい。
 ジト目でジローを眺めながら考え、すぐに無理そうだと判断する。

「いまだに信じがたいのですが、本物の呪術師とかそーいう力を持っているらしいですし……」
「んあ、何か言った?」
「いいえ、別に何も」

 いつの間にか、そう、本当にいつの間にかだ。
 テーブルを占拠していた軽食達が全滅し、皿だけを残すのみとなっていた。
 恐ろしいことに、料理の彩りのために添えられるパセリまで姿を消していて、空になった皿はさながら不毛の地であった。

「ふぅ……さて、じゃあそろそろデザートに入ろうか」
「ッ!? ま、まだ食べる気ですか!!」
「冗談だよ。あー、すみません、コーヒーのお代わりをお願いします」

 キリスト教に出てくる暴食の権化か、とばかりに席を蹴って立ち上がった夕映に片頬を上げて宥め、ジローは食べ終えた皿を丁度、回収に来たマスターの奥さんに渡しながら最後の注文を頼んだ。

「よう食べはったなぁ。お兄ちゃんと違って妹さんは小食みたいやけど……やから、そない可愛らしいんかな?」
「い、妹?」
「とても美味しかったですよ、ご馳走様でした」

 感心と呆れが半分ずつの声で話しかけてきた年配の女性の言葉を聞き咎め、眉を顰めて問題の単語を呟く夕映を余所に、ジローはのんびりと言葉を返す。

「あー、変わったジュースばかり飲んでいますから。もしかすると、原因はそれかもしれませんねぇ」
「今時分の若い子はそういうん好きですからなあ。ところで、二人とも出身は東の方? なんや喋り方があれやし、妹さんは見たことない学生服着てはるからウチ、気になってもうて」

 元来、おしゃべりが好きな性質なのだろう。
 ジローが話に乗ったとみるや、次から次に質問を投げつけてきた。
 落ち着きがないというより、人懐っこい。そんな印象を与える、よい婆ぶり――上手な年の取り方している、という意味だ――の女性に内心、コーヒーのお代わりはいつになるのやらと苦笑しながら答えていく。

「あれかな、お兄ちゃんの方は就職でこっちで暮らしてて、妹さんが修学旅行かで京都に来たから会うたとか?」
「あー……ま、まあ、そんなところです」

 就職で京都で暮しているということは、軽く見積もっても自分は二十代で見られているということか。
 一瞬だけ口元を引き攣らせはしたが、胸中の嘆きを微塵も表に出さずに肯定してのけている時点で十代とは呼びにくいことも知らず会話に興じるジローに、夕映は据わった眼差しを送り続けていた。
 喫茶店の主人の奥さんが、自分をジローの妹と勘違いしたのはまだ許容範囲だ。
 しかし、それについてまったく否定することもなく、話を合わせているジローのデリカシーのなさに彼女が殺意に近い怒りを覚えたのは、致し方のないことだろう。

「それにしても、修学旅行でこっちに来た妹さんと会うために時間作ってあげるなんて、優しいお兄ちゃんなんやねぇ。スーツやしお仕事、途中で抜けてきたんとちゃうん?」
「いやいや、そんなんじゃないですよ。運のいいことに偶然、修学旅行と外回りのルートが重なっただけで。それならちょっとお茶でも、というだけですよ」
「そうなんやぁ、それはきっと日ごろの行いがよかったからやで」
「これで相手が妹とかじゃなくて、もう少し特別な相手なら楽しみも一塩だったんですけどねー」
「…………悪かった、ですね。少しも特別でない、楽しみの欠片も感じない相手で!」

 募りに募った不満に突き動かされ、全力で振り出された夕映の爪先がジローの無防備な脛に突き刺さったのは、喫茶店主人の奥さんとの会話が始まってから約五分が経ってからのことだった。
 最も――

「つはっ、くうぅぅぅっ!?」
「あー…………悪い、大丈夫?」
「な、なんですか、脛当てでも装備してるのですかあなたは……っ!!」
「ほら、俺ってこれで少しは鍛えてるし……」

 図書館島の探検でそれなりの運動能力はあっても基本、本の虫である夕映の体重も乗っていない爪先蹴りで、魔法障壁云々抜きに普通ではないジローにダメージを負わすことはできなかったらしいが。

「特別な相手さんに、お兄ちゃんを取られるんが嫌なんかな? ホンマ、可愛らしいなぁ」
「あまりからかわないであげてください。色々、不安定で難しい年頃みたいなので」
「その、いかにも他人事な言い方に断固、抗議したいのですがッ!?」
「あー、そろそろコーヒーのお代わりを」
「あらあら、ごめんねぇ、すっかり忘れとった!」

 この時、まだ涙を浮かべて爪先の痛みに耐え震えている夕映は知らなかった。
 コーヒーのお代わりが届き、一息ついたジローが自分に対して、日常と非日常のどちら寄りの位置に立ちたいのか、というある意味、究極の選択を唐突に持ち出すことを――――







 使い魔であるジローの御主人であるはずのネギ。
 その彼の与り知らぬ場所で一人の少女がある意味、将来に関わる重要な問い掛けに答えを出したことも知らず、ネギはこれから詠春に案内されて訪れる父の別荘に想いを馳せていた。

「両面宿儺の再封印は完了しましたよ……。いやはや、なかなかに骨の折れる仕事でした」
「お疲れ様です、本当に」
「いえいえ、君にも色々と頑張ってもらいましたからね。年長者が先にへばる訳にはいきませんよ」
「ハンッ、骨が折れたのは、お前が腕を鈍らせたからだろう。ただでさえ、大戦時と比べて近年の術者の力は弱くなってるんだ、トップがしっかりせんでどうする」

 公私を分けていることを意味しているのか、茶系のカジュアルスーツに黒のハイネックというラフな服装で歩く詠春やジローの会話や、そこに厳しい突っ込みを入れるエヴァンジェリンの声も上の空で聞き流し、ネギはひたすらに前方の木々の間から覗く建物だけを見ていた。

「ははは、これは手厳しい……。とはいえ、私が鈍っているのは事実、昔の動きを取り戻すのは難しいでしょうが、ある程度までは鍛え直さないといけませんね」
「クククッ、大変だなぁ? 紅き翼の剣神も」
「本当ですよねぇ」
「エヴァンジェリンはともかく、ジロー君に同情されるのは酷く納得いかないのですが?」

 十年の間に草木が茂ったらしく、鬱蒼とした印象を与える庭だった場所。
 建物の中は父が――ナギ・スプリングフィールドが消えた時のままに保存していると聞かされている。
 はたして、扉の向こう側には一体どのような光景が待っているのか。
 緊張から、ネギは知らず喉を鳴らしていた。

「で、で? どうだったのさ、ジロー先生とのお茶会は楽しかった?」
「べ、別にハルナが考えているようなことは何も起こらなかったですし、特別楽しかったりしたわけでもなかったですが」
「えー、ほんとなの?」
「の、のどか、どうしてそんな驚きの表情で……。まあ、ある意味でこれからに関わる話があったりなかったりだったのですが――」
「オホッ!? なになに、どんな話だったの!?」
「い、いえ、それはっ! 黙秘権というか、守秘義務の生じる話だったので私の一存では――――のどかっ! 援護を、援護を要請するです!!」
「え、えー!?」

 一緒についてきた生徒達の存在が、魔法使いであることを隠さねばならぬ自身にとってどれだけ危険なものか考えもせず、ただ父の残した生の痕跡を見たいという欲求に突き動かされネギは、ジローやエヴァンジェリンと真面目な顔で語り合う詠春へ声をかけ――ようとしたのだが。

「あの、長さー……」
「小太郎君に関しては、最終的に事態の収拾に手を貸したという形にして処罰を軽くできるでしょう。千草君については先ほど話した通り、人手の足りない部署で監視付きの奉仕活動をしてもらい、その経過を観察するという方向で」
「その辺りについては、詠春さんのやり方にお任せします。それについてこれ以上、東が口出しするのはお門違いですし。月詠の変態は雇われ仕事人ということでこの際、放置しておくとして――」
「問題はあの白髪のガキだな。イスタンブールの魔法協会から、日本へ研修で派遣されたという話だが……十中八九で偽装だろう。仮に本物がいたとしても、とっくに魚の餌にでもなってるだろうしな」
「アーウェルンクスはともかく、フェイトなんてあからさまに偽名臭いですしねぇ。まあ自分が人の名前どうこうの言うのはあれな気もしますが」
「ジロー君もそれなりに偽名っぽいですしね――――おや、どうかしましたか? ネギ君」

 時折、冗談や皮肉を交えて非常に重要そうな話をしている三人にうすら寒いものを覚え、話しかけるタイミングを失って口を半開きに立っていたネギに気付いた詠春が、見る者を安心させる微笑を浮かべて話しかけた。
 突然、水を向けられてビクリと肩を震わせ、ネギは視線を泳がせながら先ほど言いそびれた言葉を口にした。

「え、えっと、話の途中ですみません。あの、そろそろ父さんの家の鍵を……」
「ああ、これはいけない。つい話し込んで……ではどうぞ、ネギ君」

 年長者組との会話に興じていたことに苦笑し、ナギの別荘として使われていた家の鍵を取り出しながら詠春が、ネギの後ろで期待に満ちた目で並んでいる少女達へ告げる。

「中にあるのは一応、故人の物なので、あまり手荒に扱ったりしないようお願いしますね」
『はーい』

 少女達――特にハルナや夕映、和美といった魔法関係者ではない、あるいは触り程度しか実情を聞いていない子らの返事を確認し、安心した風に頷いた詠春がドアノブに鍵を差し込んで軽く回した。
 ここに来る途中に言っていた通り、手入れだけは行き届いているらしく、カチャリと軽快な音を立てて扉の鍵は開いた。
 長い間、生活に使われていないことがわかる清潔で、だがどこか物寂しい無機質な家の匂いが扉の奥から流れ出て、ネギ達の鼻孔をくすぐった。
 扉を抜けてすぐの場所に待っていたのは、自然の光をふんだんに取り入れるよう設計されたモダン建築の室内。
 インテリアとして置かれたソファーやテーブル、洒落たデザインの事務机など、天井まで続く吹き抜けに沿った本棚と相まって、そこで暮らしていた人間のセンスや知性の高さを窺わせる。

「フン、この部屋をどれだけ活用していたのかわかったもんじゃない」
「実際、あのバカのことですから読んだ端から内容を忘れて、あれがないこれがないと本棚をひっくり返していたことでしょう」

 ただ、生前――ネギの言を信じるなら失踪だが、魔法使いの一般的認識の方で表記する――の部屋の持ち主を知る者達からすれば、部屋が綺麗に整っているのは汚すほど活用していない何よりの証拠であったりするようだが。
 端的に言ってしまえばテスト前、勉強の嫌いな学生が部屋を徹底的に掃除するのと同じ現象だ。

(あとは……万が一を考えて、身辺整理して出て行ったとか?)

 身も蓋もない知人達のナギに対する評価を聞きながら、どうでもよさそうな眼差しで部屋を見渡してジローが呟くが、それを耳に留める者はいなかった。
 賑やかな声で騒がしくなった部屋の中、ナギの息子であるネギや、その生徒である少女達が思い思いに物色するのを、インテリアとして置かれていたソファーに座ってぼんやりと眺める。

(どうしたい、相棒。やけにテンション低いじゃねえか)
「さすがに疲れたんよ。関係者だけで行きゃよかったのに、何故に早乙女達や俺まで……」

 言葉通り、相当に疲れが蓄積しているのだろう。普段なら溢さないような愚痴を口に出しながら、二階部分で本片手に詠春と話すネギに胡乱な瞳を向けるジローの頭上で、致し方なしとカモは苦笑した。
 おそらくだが、父について教えてほしいとでも頼まれたのだろう。手摺り越しに下の階で談笑していたアスナや木乃香、刹那に声をかける詠春を見上げ、欠伸を噛み殺しているジローに腰を上げる気配はない。
 かつての英雄の仲間の話に興味を持ち、彼の頭上から飛び降りようと立ち上がったカモが聞く。

(俺っちは兄貴達のとこに行くけど、相棒はどうすんだ?)
「あー……行かん。さっき言っただろ? 英雄さんの話は『関係者』だけでやってくれって」
(そうか? じゃあ、ちっくら行ってくらあ)

 関係者という単語を面倒そうに強調してカモを見送ったジローは、天井を見上げて盛大に息を吐き出した。
 疲労感に倦怠感、ほんの数時間前に満たしたはずの腹が訴える空腹。そして、それらに混じって微かに感じられる感情。

「――――遣る瀬無いねえ」

 その言葉が一体、何を思って出されたのか。
 チラリと、二階で話についていけず呆けている少女を窺い見たジローの表情からは、ただただ眠そうであること以外、読み取ることはできなかった――――







 詠春の口から、ネギ達にナギに関する様々なことが語られた後、話が終わるのを待ち構えていた和美の提案によって修学旅行の写真が撮られることになった。
 本人が言うに、撮影するのをすっかり忘れていたとのことだが、三度の飯よりカメラ片手に迷惑な記事のネタ探しが好きな彼女にしては珍しい。
 ジローも含めた計十人と一匹の撮影に、ネギを被写体のメインにした少女達の騒がしい撮影会、その合間にあった、ジローと一緒に写真を撮ることを友人に強要された少女達の辛い時間の全てがつつがなく終わった後、一同は本山へ戻る詠春に感謝の言葉と別れを告げ、ホテル嵐山へと帰還した。
 帰る道すがら、あれも良いこれも良いととお土産を買い込もうとする面々を制止し、宿の玄関ロビーへ足を踏み入れたジローが目撃したのは――――

「うっ、ぷふぅ……も、もう、無理……食べられない、アル――――ウプ」
「ク、クーフェイさん! だ、大丈夫ですか!?」
「あー……何があったんだ?」
「うぷ、フッ、フフ……ちょっと、肉まん食べ過ぎたアル。ネギ坊主、ジロー……私、ちゃんと約束…………守った、アルよ」

 何故かロビーに置かれたソファーの上で横になり、苦しげな呻き声を漏らしているクーフェイだった。
 側のテーブルの上には真っ白に燃え尽きている手足のついた蒸籠、何枚も重ねられた辛子やソースに醤油の小皿、そして空のウーロン茶のペットボトルが散乱している。
 うんうんと唸りながら、だが何かを達成した人間の顔で微笑むクーフェイを半眼で見下ろしていたジローが、視線を彼女からロビーで肉まんを頬張っていた少女――美空へ移した。

「……で、何があった、ていうか何をやっとったんだ? この肉まん大好きカンフー少女は」
「何って聞かれても……う〜ん、超りんとハカセの尋問っていうか、ぶっちゃけ拷問に耐えきった?」
「正直、他の方法はなかったのかと聞きたいな、両者に」

 ホテルへ帰って来たネギ達の姿を見て安心したのか、とうとう目を回してしまったクーフェイに慌てふためき、介抱に走り回りだした面々を余所に、ジローと美空はのんびりと言葉を交わす。

「その肉まんはどうしたんだ?」
「あそこの機械……えーっと、そうそう、自動肉まん暴飲暴食マシーン・肉まん君Zが残してくれた形見の品ッス。ジロー先生もどうすか?」
「あー、一つおくれ、どうも今朝から腹が空いてばかりなんだ」

 ついさっきまでクーフェイが横になっていたソファーに座り、二人並んで肉まんを齧る。
 クーフェイが提供され続けたものと違い多少、冷えてはいたが味は上々。いくつも置かれていれば、ついつい手が伸びてしまうだろう一品だった。

「ハア……本ッ気で疲れたわ、この四日間」
「ア、アハハ、ジロー先生が言うとすっごく重いなぁ……って早っ! もう肉まん食べたの!?」

 鬱々としたジト目でテーブルを睨んでいるジローに苦笑するが、「本ッ気で疲れたわ――で済む被害じゃないような」と美空は内心、首を傾げる。
 人間、慣れるとどのような環境にも対応できるようになると言うが、それでも慣れてはいけない環境、状況というものがあると思われた。

「とりあえずあれかな、頼りにならない見習い魔法使いの私に言えるのは――――本当にお疲れ様でしたっ、ジロー先生!」
「わかっとるなら、頼りになるよう努力してくれよ。主に俺が楽できるように」
「え〜、だって私、親に言われて仕方なく魔法使いやってるだけだし〜」

 ひたすらに疲れた視線の矛先を向けられ、だが、まったく反省した様子もなく笑い飛ばして席を立った美空はロビー奥にある自販機まで進み、適当な飲み物を二つ選んですぐに戻ってきた。

「てな訳でホイ、私なりの労いの気持ち〜」

 持っていた缶の一つをジローに手渡し、自分はソファーに腰を下ろすなりプルタブを引いて、果汁百パーセントのジュースを飲み始める。

「明日は雨だな」
「うっわ、酷くないその反応? せっかく、私が珍しく仏心――――じゃなかった、慈悲の心を出してあげたっていうのに」
「どっちも仏教関係だぞ、たぶん……。まあ、ありがたく頂戴しておくさね、人に見られたら酷く情けない光景かもだが」

 缶ジュースを奢ったことに対する評価があまりに失礼で、さすがに眉を顰めて抗議した美空に緩い苦笑を浮かべて謝り、缶を小さく持ち上げて感謝の意を示したジローがプルタブに指をかける。

「あ、そういえばさー、ジロー先生」
「んあ?」

 そこで唐突に美空が尋ねた事はおそらく、いや、きっとこの四泊五日の修学旅行の日程において、自分の心に最も致命的なダメージを負わせるものであったと、後に修学旅行の思い出について聞かせてほしいと頼まれたジローは語る。
 語る相手が誰であるかは言うまでもないだろう。マイクとデジカメ片手に麻帆良を掻き回すパパラッチな彼女である。

「ジロー先生の資金援助もあったお陰で、私はココネとかシスターシャークティの分のお土産も楽勝ゲットだったんだけど……ジロー先生は何か買った? 二人にお土産」
「――――――――ぁ」

 フシュゥゥゥゥ……、と中途半端にプルタブを開けられた缶が、弱々しく鳴き声をロビーに響かせた。
 その聞く者に憐れみを抱かせる音は、天然水仕上げが謳い文句のジュースから炭酸が抜ける音だったのか、はたまた――――

「…………忘れてたッスか?」
「一応、麻帆良の先生達用に買ったお菓子はあるけど……それだけじゃ、さすがにダメだよな?」
「シスターシャークティはそれでも全然、気にしないだろうけど……。修学旅行に行く前の日にココネ、すっごく不安そうに聞いてきたよ?」

 一気に温度の下がった美空の視線に耐えながら、むしろ聞くべきではないだろうココネの質問とやらの先を促す。
 できることなら耳を塞いで、この場から逃げ出したいという欲求に必死で抗いながら。

「ちなみに、ココネはなんて?」
「――――ジロー、忙しくてお土産、忘れたりしなイ? って」
「……ココネの中でも、俺は過労のイメージなのか」

 重い、それはもう非常に重い期待という名の呪いが両肩に圧し掛かり、ガクガクと体と膝を震わせていることがわかる。
 チラリと見上げた視線の先で、壁に掛けられた柱時計がカチコチと音を立てて時を刻んでいた。
 時刻は夕方の四時半ジャスト。京都に数限りなく存在する土産物屋の閉店まで、まだ幾許かの猶予はあった。
 どうする、行くべきか行かざるべきか。そんな二択を頭に浮かべる暇さえ惜しみ、ジローは立ち上がった。

「……やっぱり、行くんスね」
「自分にできる事、やれる事があるなら行動なさい……。そう、ばあちゃんが言ってたんよ」

 死地へ向かう兵士に祈りを捧げる修道女然とした眼差しで、美空が発した確認の言葉に振り返ることなく頷き、歩きだす。
 何かの終わりは、何かの始まりでしかない。
 固く結んだ口に、己の覚悟と決意の固さを表してジローはホテル嵐山の扉をくぐる。
 キッと前を睨んだ瞳は鋭く、そして力強く。

「ここからが、俺にとって本当の戦いだ……。心配するなよココネ、俺はお土産を忘れたりしないから」

 百鬼夜行の妖怪達や、フェイトと対峙した時よりも雄々しく、揺らぐことない強き心を胸に、ジローは京の町に向って駆け出した。

「この際だし、ついでにシャークティ先生の分も買っておくか? お土産貰って迷惑なことはない……はずだし」

 美空に、キリスト教にも仏教のお布施に似た制度があるのかどうか聞いておくべきだった。
 そういった心配以前に、シャークティの好みそうなものについて聞くべきだという至極簡単で、その反面、非常に重要な事柄に思い至ることなく、ジローはまず視界に入った土産物屋の暖簾をくぐる。

「ココネには髪飾りとか折り紙で……シャークティ先生には和蝋燭とか骨董品がよさそうだな、ウン」

 走ったお陰でテンションが上がってきたのか、いっそ知り合いの魔法先生全員分――あくまで、個人間でお世話になっている人達限定だ――のお土産を買ってしまおう。
 一体どこから、シャークティに和蝋燭や骨董品がいいと感じたのか気になる呟きを漏らしつつ、使い魔の青年は長く、果てしない土産物屋主人との値引き抗争へと赴くのであった――――





〈続く〉

〈書棚へ戻る〉

〈感想記帳はこちらへ〉

inserted by FC2 system