「終幕直前 めめんと・もり?」


 両面宿儺の氷像が崩壊するのを目撃した鬼六や烏平が取った行動は、意外にも武器を下ろして戦闘終了の意志を表すことだった。

『どうやら勝負あったようや。この出入り、あんたらの勝ちみたいやの』
『なんと、あの鬼神が落とされるとは……今の時代にも、凄い術者がいたもんやで』
『ホンマやで。彼の大陰陽師でも、ああまで見事に鬼神退治できるかどうか』
『あの御方なら、なんとかできそうな気もするけどな』

 いまだに警戒を解かず、構えている楓を気にした風もなく、祭で限界まで騒いだ村人衆が抱く爽快感、満足感といったものを醸し出しながら話している。
 話の節々に出てくる大陰陽師とは一体、誰のことか。口振りからすると、何気に親しげな間柄にも感じられるのだが。

「ムッ、ググ」
『な、なかなかやるやないの、大陸の拳法使い。名指しでウチと戦りたい言うだけあったわ……』
「そ、そちらもナカナカ、やるアルね――――グフッ」

 楓や鬼六達の側で、互いにクロスカウンターの形で頬に拳をめり込ませているクーフェイとお銀が、相手を賞賛する言葉を送りあっていた。

「――――どうやら決着が着いたようだな」
「ホ、ホントですか!?」

 百鬼夜行達がたむろする川辺から離れた場所で、終始、援護射撃のため腹這いになっていた真名が、体を起こして胸や腹に付いた草切れや土を払いながら、後ろにいる少女に伝えた。
 突如、出現した両面宿儺の姿に驚き、さらにそれが呆気なく氷像にされて崩れ落ちたことに二度驚き、呆然と突っ立っていた夕映は、真名のその言葉に我に返った。

「で、ででででは、急いでさっきのデカイ化け物がいた場所へ! ジロー先生達の援護のために!!」
「少し落ち着くんだ、綾瀬さん。向こうには、きっと私達よりも頼りになる助っ人が来ているはずだから」

 目を渦巻かせ、普段の冷静沈着な姿もかなぐり捨てて訴えてくる夕映に口元を緩めながら、酷使したライフルの点検を終えてバイオリンケースに納める。

「それに私達が駆けつけても、もう役に立てないと思うぞ? 持ってきた弾薬は尽きる寸前、楓もあそこの大鬼と烏族との戦闘で、それなりに疲労しているし……クーは狐女とダブルノックダウンで、白く燃え尽きてしまっている」
「えっ?」

 夕映には見えなかったが真名の言う通り、鬼六と烏平と激しい戦闘を繰り広げた楓は肩で息をしていた。クーフェイに至っては今も狐女と腕を交差させた状態で、無駄に漢らしい笑みを浮かべて気を失っていたりする。

「まったく、修学旅行で妖怪退治をする羽目になるなんてね。手痛い出費だよ、本当」

 戦闘終了までに撃った弾丸の数を思い浮かべ、渋い顔をした真名の頭の中では、今回の助っ人料請求のための用紙が凄まじい速度で作成されていた。
 請求書を渡すのは誰がいいのか。ジローか、それとも瀬流彦か、はたまた近右衛門か。
 居ても立ってもいられず、先を急ごうと促す夕映に仕方なく頷き、一先ず楓やクーフェイと合流しようと真名は歩きだそうとして、

「!!」

 何か無視できぬ気配を感じて、懐にある愛用の銃を抜いて振り向き様、後方へ突き付けた。
 視界一杯に広がる夜闇に、白い桜の花が漂うように舞っている。
 息を潜め、周囲に鋭く視線を巡らせた真名だったが、どうやら自分の気のせいだったらしいと息を吐いた。

「何をしてるですか、龍宮さん!? 急ぐですよ、時は金なりです!!」
「はいはい」

 懐に銃を戻し、夕映に急かされるまま、その場を後にする。
 内心、おかしなこともあったものだと訝しがりながら。







 真名達が去った林の中に、深い闇が張り付いていた。まるで、粘り気を帯びたタールのように滞留する黒。

「ウフ、ウフフフッ」

 それが、唐突に揺いだ。

「まさか、気配を察知されるとは思いませんでしたわ〜」

 泥のような暗闇に、淡い桜色がかった白のロリータ服が染み出すように出現した。
 間延びした口調で話すのは、刹那に破れて何処かへ去ったはずの月詠。
 血脂に曇った刀のような瞳には、常人では堪え難い喜悦が浮かんでいた。そして、見た目にはあどけない顔に気違いじみた笑みを張り付けて、小刻みに肩を震わせている。

「ええ戦い振りでしたよ〜、ジローはん。忍者みたいな人も、ウチが見てるん気付いた人もオイシソウでしたけどー。ンフフ、妖怪の血肉まき散らして笑っとる姿……ウチ、辛抱堪りませんわ〜」

 興奮を抑え切れなくなったのか、薄い、綺麗な色をした唇で指を咥えだした。
 夜闇よりも一層濃い桜林の中に、淫靡な水音が小さく響く。ひとしきり己の指をねぶって落ち着いたのか、月詠は唇から指を引き抜いた。
 指先から垂れ落ちる唾液の糸を、蕩けたような瞳でじっと見つめながら呟く。

「フフ、フフフ……お腹、空いてしまいましたなぁ。ねえ〜? 桜月、春風」

 そういって彼女が話しかけたのは、腰の後ろで十字差しに携えた太刀と小太刀。
 ふとした気まぐれに名付けた二刀に、まるで愛しい我が子へ語りかけるかのように優しく、熱を篭めて囁きかける。
 春風と桜月に話しかけた後、ぱったり口を噤んで柄を撫でる月詠の姿は、自分にしか聞こえない刀の声に耳を傾けているようで。

「――――ここにおってもしゃーないし、ちょう千草はんでも捜しに行きましょか〜」

 暗闇の中、静かに浮かんだ彼女の微笑みは狂的で、だというのに、果てがないと思えるほどに澄んでいた――――








 ジローを除いて、両面宿儺撃破に沸き立つ祭壇近くの通路。そこの空気を破ったのは、木乃香を抱えて文字通りに飛んできて刹那であった。

「ご無事ですか、ネギ先生、アスナさん!!」
「ネギく〜ん、アスナ〜」
「このか!!」
「このかさん!!」

 裸体をシーツで隠し、恥ずかしそうにしながらも手を振って無事を知らせる少女に、明日菜とネギが歓喜の色を浮かべて駆け寄る。

「よかったー、ホンットによかった!! ケガはない? あのメガネのおサル女に変な薬とか飲まされなかった!?」
「た、体調におかしなところはありませんか!? あんな大きな鬼神を動かすのに必要な魔力です、普通の人だったら倒れちゃいますよ!!」

 木乃香を囲み、あれやこれやと矢継ぎ早に尋ねるネギ達に疲れた眼差しを向けていたジローは、小さくため息をついた後、視線を木乃香達から、その側で純白の翼を所在なさげに繕っている刹那へ移した。

「おぃーす、お疲れ」
「え、あ、ジ、ジロー先生……お、お怪我は――」
「ご覧になればわかるように満身創痍の状態です。できる限り早く、輸血と治療を必要とするものと思われます」

 通路の上で胡坐をかき、酷く面倒そうに口を動かしたジローに肩を強張らせた後、恐る恐る問いかけた刹那に答えたのは、怪我をしている当人ではなく、その傍らに座って応急処置を続けている茶々丸。
 ガイノイドという人ならざる存在でありながら、しっかりとした感情――今は痛ましげな表情である――を表す機械の少女の言葉に、刹那が悔恨の色を浮かべて俯いた。
 その思い詰めた表情から察するに、やはり百鬼夜行の足止めに自分が残るべきだった、とでも考えているのだろう。
 眠たげな目を向けたまま、余計な気遣いは結構と嘆息してから、ジローは特に気にした様子もなく話しかけた。

「で、どうだったよ、それ使って木乃香を助けられた気分は」
「……え?」

 脈絡なく投げかけられたのは、恨みも誹りも混じっていない純粋な問い。
 自身の半妖としての力を隠していたことで責められると思っていたのか、青ざめさせてさえいた顔を間抜けなものに変え、きょとんと首を傾げた刹那に、疲れているのだからあまり喋らせるな、と小さく愚痴ってからジローが問いを繰り返した。

「だから、その背中から生えてる立派なもんで友達、救えた気分はどーだったって聞いとるんよ」
「それは、あの……」
「ちょっと、ジロー!? そんな酷い聞き方しなくてもいいいじゃん!!」

 きつい物言いに何と答えていいのか分からず、途方に暮れた様子で顔を伏せ、肩を落してしまった刹那に代わってアスナが口を開く。

「別に刹那さんだって、好きでコレ隠してたわけじゃないのよ! 誰にだって見られたくないものとかあるんだし。木乃香とか……ついでに、アンタに見られて嫌われるのが嫌だったりしたのよ、刹那さんは!!」
「あ?」
「ちょっと、アスナさん!?」

 一応は庇ってくれた少女が叫んだ内容の一部に、訝しげに眉を顰めているジローに知られたくない、というより、知られると恥ずかしすぎるニュアンスを匂わせるものがあることに慌てる刹那を無視して、アスナは舌鋒鋭く言葉を続ける。

「羽根とかないから私にはわかんないけど、きっと色々辛いことがあったのよ! 少しは察してあげなさいっての!!」

 徐々にヒートアップしつつ、言外に謂れなき差別を受けてきただろう刹那への気遣いを見せる少女に、何度目かになる深いため息をついた後で、ジローは自身の問いがどこに向けられたものかを説明した。

「いや、俺は別に責めたりしてるつもりは微塵もないのだが。単純に、自分が嫌っとる力で大事なもん守れた感想を聞きたいだけなんだけど」
「へ?」
「友達のために熱くなるのは構わんけど、少しはこっちの状態も考慮して文句つけてくれよ……。こんな時まで人に優しく気遣い見せろって、鬼か?」

 勘弁してくれ、と鼻を鳴らしているジローの様子は確かに酷いものだ。
 赤黒く斑に染まったボロボロの服に、いまだに応急処置が行われている出血を続ける右腕など、痛ましいとしか表現できない。
 こうして言葉を交わせること自体、僥倖とさえ呼べる怪我人に優しく、人の心を慮る物言いを心掛けろというのも酷な話である。

「俺の心の余裕はもう、限りなくゼロに近いさね……」
「ああ、うん……えっと、ゴメン」

 ようやくそのことに気付いたのか、潮が引くようにテンションを下げて目を逸らしたアスナが謝った。
 小さなため息で「理解を得られたのならいい」と返したジローは、そこはかとなく優しげに感じられるよう表情を緩め、刹那に三度目となる問いかけを送った。
 ついさっき、心の余裕が枯渇しかけていると口にしたのに、少女の指摘通りにそうした行動を取るのは律儀としか言いようがない。

「まあ、何だ、ちっとばかし軽くはなったか?」

 緩やかな笑みから送られた青年の問いかけ。
 少なからず好意を抱いていると、ごく最近、自覚したばかりの刹那からすれば、それはどのような労いの言葉よりも優しく、温かく感じられた。
 己の背中から生える、重い宿命を象徴していた忌まわしき白翼。それを使い、何を捨てても守りたかった少女を守ることができたこと、それを心の底から祝福されたように感じて刹那は、

「――――ハイ」

 喜びと誇らしさを噛み締めながら、短くただ一言だけ返して微笑んだ。

「……フンッ」

 そんな刹那の様子に、面白くなさそうに鼻を鳴らしたのはエヴァンジェリンだった。

「ちょ、痛い痛い、痛いから。手当してくれるのはありがたいけど、これでもかってきつく包帯、巻きつけるのは堪忍してくれ」
「ですが、この出血をどうにかしないと倒れてしまわれます」
「あれ? もしかして俺の右腕、応急処置じゃどうにもなりそうにないから、力任せに縛って血だけ止めてしまおう状態?」
「ハイ、最悪、超やハカセに頼んで特製の義手を――」
「待って!? それは最後の手段すぎるから!!」

 胸中で呟きながら盗み見たのは、止血のため強めに包帯を巻いた茶々丸に、涙ながらに抗議しているジローだ。

(別に、桜咲刹那が幸せそうにするのは構わんのだがな)

 ズタボロの状態で、だが普段と変わりない緩い言動で、戦闘で疲労したネギやアスナ達に和やかな笑いを提供している青年から感じるものに、密かに口元を歪めた。

(恋は盲目とでも言うのか? いや、この場合はアイツの切り替えが巧妙なのか……よく、あんな血と死臭を纏わりつかせた奴の言葉で幸せそうにできる)

 長年の生の中で覚えてしまった独特の臭い――血と、臓物を浴びた人間の臭いに、久しく覚えなかったどす暗い感情を揺り起こされたエヴァンジェリンが、滑稽な芝居でも見ているようだと声に出さず呟く。
 麻帆良という、温すぎる地では出会うことのないタイプの人間が、このような身近な場所にいたことに暗い喜びさえ覚えていた。

 ――麻帆良に帰ってからの楽しみが増えたな。

 そんなことを考え、愉快そうに月を見上げていたからだろう。
 エヴァンジェリンが背後に迫る何者かの気配を察知するのが遅れ、尚且つ――

「エヴァンジェリンさん、危ない!!」
「ぬあ!? ちょっ、ぼーや――――!?」
「――――」

 むしろ行動の妨げでしかない、ネギの抱擁を受ける羽目になったのは。

障壁突破(ト・テイコス・デイエルクサストー)石の槍(ドリユ・ペトラス)

 エヴァンジェリンの背後に出現した水の『(ゲート)』。そこから姿を現した白髪の少年――フェイトの放った魔法の一撃が、ネギに抱き締められて身動きの取れないエヴァンジェリンへ迫った。

「バカ、どけっ!!」
「あっ!?」

 このままでは、ネギもろとも串刺しにされる。
 咄嗟に彼女が取った行動は、邪険な言葉とともにネギを手荒く突き飛ばすことだった。
 ゴボッ、と辺りに響いたくぐもった音。
 それに続いたのは、

「――――が……ぐほっ……!」
「エヴァンジェリンさん!!」
「エヴァちゃん!?」

 尖った石柱に腹を貫かれ、激しく喀血したエヴァンジェリンの呻きと、突然の事態に目を見開いたネギやアスナの悲鳴に似た叫び。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……人形使い(ドールマスター)か」

 感情の乏しい声で、エヴァンジェリンの二つ名の一つを口ずさむフェイトの姿が与えた絶望は、一体どれほどのものか。
 普通ならばあり得ない、真祖の手加減抜きの一撃を喰らったはずの者が、怪我一つない五体満足の状態で立っている。それは即ち、彼が何らかの方法を用いるなどして、エヴァンジェリンの攻撃を防いだ、あるいは往なしたことを証明していた。
 また、それは同時にフェイトの魔法使いとしての技量が、エヴァンジェリンに匹敵するほどかもしれないことを雄弁に語ってもいた。

「まさか、こんな極東の国であなたほどの高名な人物に出会うなんて……ネギ君達のことといい、奇妙な偶然で済ますには不自然だね」
「ガブ、グッ……貴、様」

 串刺しのまま、忌々しげに言葉を絞り出すエヴァンジェリンからネギ、そして何故かアスナにも一瞬、探るような視線を送ってフェイトが顔を巡らせる。

「まあ、そのことについて考えるのは後にしようか」
「いけません、ジロー先生!」
「――――!!」

 飽き飽きしたと言いたげに眉を顰めたフェイトに、茶々丸の制止を振り切ったジローが襲いかかった。
 手負いの猛獣の如き迫力。
 歯を剥き、敵意や殺意といった負の感情で塗り固めた形相で繰り出された蹴りに、フェイトはただ小さく息を溢した。

「二度も力任せで、僕の障壁を破れるなんて考えないことだ」

 警告を発して目を細めた瞬間、フェイトの展開していた障壁が数倍、数十倍の規模で厚みと硬度を増した。

「っだらぁ!!」

 視認するのも困難な速度で放たれたジローの蹴りが、フェイトを包む対物障壁に牙を突き立てる。
 耳を劈く甲高い破裂音に一拍遅れ、辺りの空気が打ち震える感覚がその場にいた面々の耳を叩いた。

「うぁっ!?」
「み、耳っ、気持ち悪っ……!?」

 急激な気圧の変化によって起こる耳鳴りに、ネギやアスナが顔を歪めて思わず蹲る。

「グギ……ッ!!」

 だが、周囲の気圧を一瞬とはいえ変化させる威力であっても、フェイトの障壁を揺らすのが精一杯だった。
 後先考えぬ蹴りの反動に、恐らく内側の骨肉が駄目になったのだろう。着地できず、もんどりうって倒れたジローを冷めた目で見下ろして告げる。

「自滅というのも、また随分と情けない散り方だね。もういいだろう? 君がどう頑張ったところで、僕に有効打を入れることさえできないんだ」

 驕りや優越感といったものを持たぬ、真に絶対的優位に立つ者の瞳。
 それが堪らなく腹立たしいと、血走った目で睨み上げるジローに嘆息して手の平を翳すフェイトに、我に返り血相を変えたネギ達が制止せんと叫んだ。

「ま、待て!!」
「何しようとしてんのよ、アンタ!?」
「させるかっ!!」

 ネギが杖を突き出し、アスナがハマノツルギを振り上げて駆け出そうとする。
 さらに刹那も、夕凪を肩に担ぐように構えて地を蹴らんと身を屈め、背中の羽を大きく広げて加速の体勢に入る。
 しかし、それよりも早くジローへ繰り出されるはずだったフェイトの攻撃は、それよりも尚早い、少女の嘲笑を帯びた問いかけに中断された。

「そうやって強者ぶるのは結構だが、失念でもしていたか? 私が人形使いで――――不死の魔法使いでもあることを」
「!」

 フェイトの背後で、石槍に貫かれていたはずのエヴァンジェリンが芝居がかった声色で囁いた。

「まったく……それなりに気に入っていたのだがな、この服は」

 大きく穴の開いた服に手を這わせ、そこはかとなく気分を害した少女の呟きが続く。
 思わず動きを止め、攻撃の対象を変更するために振り向いたフェイトが見たのは、嗜虐の笑みを浮かべながら、鉤爪のように指を曲げるエヴァンジェリンの姿。

「フンッ!」

 実体さえ持ちそうな量の魔力を纏った彼女の手が、夜闇を裂くように振り下ろされた。
 エヴァンジェリンの手の軌道を追って奔った魔力の刃が、フェイトと、彼が立っていた辺り一帯を深く抉り飛ばす。
 その威力の凄まじさは、湖面から伸びた十数メートルに及ぶ水飛沫から推し量ることができよう。

「――――なるほど、真祖の吸血鬼が相手では分が悪い。個人的な目的は果たしたことだし、今日はもう退かせてもらうするよ」

 ただ、彼女は理解していた。体を真っ二つに引き裂かれたはずのフェイトが、自分に対して捨て台詞を残して逃げ去ったということを。

「…………チッ、幻影か。まあいい、どこの手の者かは知らんが、もう修学旅行中にちょっかい掛けてくることはせんだろう」

 忌々しげに舌打ちし、周囲に不穏な気配が残っていないかを探ってから、吹き荒れさせていた魔力を鎮めた彼女は、少々疲れたと小さく息を吐いてから話しかけた。

「それはいいとして、だ。ギリギリ避けると思っていたんだが……貴様、どうして私の攻撃に巻き込まれている?」
「無茶を言わないでください、マスター。足を負傷した状態で先ほどの攻撃の範囲から逃れるのは、いささか難度が高いです」
「む、そうか? そいつなら這ってでも躱しそうだったんだが」

 意外そうに言うエヴァンジェリンの視線が見つめるのは、フェイトに放たれた彼女の攻撃の余波に巻き込まれ、湖の中に叩き込まれていたジローである。
 つい今しがた、湖に浮上してきたところを茶々丸に引き上げられ、ぐったり通路の上に転がされている青年を挟んで話に興じる主従が、あまり心配しているように見えないのは気のせいだろうか。

「這って躱すにしても、そのために必要な腕も怪我されていたので……ああ、湖に入ったせいで傷が開いたようです。大丈夫ですか、ジロー先生?」
「…………巻き込んだ私が言うのも何だが、死ななくてよかったな、ジロー」
「――――他に、言うべき言葉があるだろ阿呆ぅ……」

 何故か感心したように話しかけるエヴァンジェリンに、川を遡る途中に熊に狩られた鮭のように体を震わすジローが返せたのは、半泣きの状態で絞り出す嗄れ声がやっとであった。

「エ、エヴァちゃん、それにジローも! い、い、今の大丈夫だったの!? 岩がグサー、血がドバーって! ジローも、なんかいけない方向に足曲がってるし!?」

 事の推移が目まぐるしくて混乱した状態ながらも、石の槍に貫かれたエヴァンジェリンや、半分自滅でもう半分を味方の誤爆で大ダメージを負ったジローを心配したアスナが駆け寄る。

「フン、この程度、問題ない。吸血鬼、特に私のような真祖はただの剣や銃で死なんしな……映画とかで見たことあるだろ」
「ふ、ふーん、そうなんだ……」

 口の端から零れた血の線を甲で拭い、軽い調子で解説するエヴァンジェリンに「ホヘー」と純朴な眼を向けて感心してから、アスナが同じく純朴な眼をジローに向けて問うた。

「――――もしかして、ジローもエヴァちゃんみたいなことできたりするの?」
「エヴァみたいな、規格外生命体と一緒にすんじゃないよ。つーか、そういうことできるなら今の状態には陥ってないと思うぞ……」
「アハハ、ゴ、ゴメン」

 床から引き剥がすように顔を上げ、じっとり湿り気を帯びた半眼で見つめてくるジローに汗を垂らし、苦笑いで謝るアスナに場の空気が明るくなる。
 これで騒動にも一段落が着いた。
 誰も口にはしなかったが、そう感じて皆が張り詰めていた緊張の糸を弛めた、その時だった。

「――――――――ぅ」
『あ、兄貴!!』
「ん?」

 ゴトン、と石仏でも倒れるような重い音に続いて、カモが珍しく切羽詰まった声で叫んだのは。
 まず最初にカモの声に反応し、訝しげに振り返ったエヴァンジェリンに続いてアスナや刹那、木乃香、茶々丸、そして通路に転がされたままのジローが、音の発生源へと視線を向ける。
 そこで見たものに、一同が揃って目を見開いた。

「ど、どど、どうしたぼーや!?」
「ネギ、ちょちょっと!」
「ネギ先生!!」
「ネギくん!」

 通路の床にうつ伏せで倒れ、苦しげに呼吸を繰り返しているネギの姿に血相を変えて少女達が駆け寄る。
 一人残されるかと思われたジローも、まだ冷静さを残していた茶々丸の手を借りて立ち上がり、危なげな足取りでアスナに抱き起こされるネギの下へ向かった。

「は、あ……はあ……」
「ど、どうしたのよ、急に!? っていうか、コレ――――何でネギの体が石になってんの!?」
『た、たぶん、あの白髪ヤローの石化魔法を喰らってたんだ……ヒデェ、右半身が完全に石に……』

 掠れた呼気の音を繰り返しながら、徐々に顔色を悪くしていくネギに涙を浮かべて怒鳴るアスナに、どうして今の際まで気付けなかったのか、と自責の念に駆られた様子のカモが答えを絞り出す。

「――――危険な状態です。ネギ先生の魔法抵抗力が高すぎたため、石化の進行速度が非常に遅められたのです。このままでは、首部分まで石化した時点で呼吸ができなくなり、窒息してしまいます」

 肩を貸していたジローを床に座らせた後、すぐにネギがどういった状況にあるか調べに入った茶々丸の診断が、弛みかけていた一同の緊張を再度、張り詰めさせた。

「ちっ!? ど、どうにかなんないの!?」
「わ、私は治癒系の魔法は苦手なんだよ、ふ、不死身だから」

 一縷の望みに縋るようなアスナに、彼女以上にうろたえた様子でエヴァンジェリンが周囲へ視線を巡らせる。
 吸血鬼の真祖として、怪我や病といった死と密接に関わるものと無縁であるために習得していなかった、治癒や解呪の魔法を必要とする場面に遭遇して挙動不審になった彼女の彷徨う視線に、ネギのすぐ側に座る青年が映った。

「オ、オイ、ジロー! お前はできんのか、石化呪文の解呪とか!? 完全に石化した状態でなければ、まだ手の打ちようはあるだろう!!」
「できるの、ジロー!?」
「ジローくん!!」

 エヴァンジェリンの尋問するような怒鳴り声を皮切りに、アスナだけでなく木乃香までもが、普段は出さないような声で問い詰めてくる。
 対して、余裕のない少女達の叫びをぶつけられた青年――ジローの様子は、彼女達と比べるとあまりに静かであった。

「――――――――」
「はぁ、はぁ……はあっ……は、ぁ」

 呼吸を繰り返す度、その息吹の音を弱めていくネギを、正体を見極められない仄暗い瞳で凝視している。

「何で黙ってんのよ!? あんたが頼りなんだから、少しは反応したらどうなの!!」

 ただ棒立ちで、動こうともしないジローを非難のまなざしで睨みつけたアスナは、もう頼まないとでも言うかのような勢いで顔を背け、ネギへの呼び掛けに戻る。
 だからこそ、彼女は聞き逃していた。
 取り乱したアスナの姿に不安を掻き立てられ、石化しつつある少年へ呼び掛けを繰り返す少女達も同じく。
 ただ、ジローのすぐ側に立っていたエヴァンジェリンだけが、身動ぎ一つしない青年の漏らしたソレを聞いた。

「――――ざけるなよ……何、つまらん死に方しかけてんだよ、テメェ」

 ギシッ、と歯の軋る音に混じった悪態。
 ネギが、自分の主人でもある魔法使いの少年が死に瀕している状況で彼が漏らしたのは、心配や不安といったネギの身を案じるものではなく、ともすれば憎悪や嫌悪にさえ達しそうな憤りの感情であった。

 ――――なるほど、な。

 ジローから漏れ聞こえた言葉に一瞬、ギョッとして、だがすぐに納得の色を浮かべたエヴァンジェリンの視線が、今も苦しげな呼吸を繰り返すネギに向かう。

 ――だとすれば、これ以上に不快な状況はあるまい。

 彼女だけが聞き、そして理解できた八房ジローの一面。いや、普段の緩い笑顔の仮面の下にあった本性と言うべきか。
 唐突に喚び出され、魔法ありきの世界に縛りつけられた者にしては破格に『お人好し』な人物が垣間見せた本性に、エヴァンジェリンはむしろ憧憬に似た感動さえ受けていた。
 なるほど、この青年のような『やり方』もあったのか、と。
 横目に自分を見るエヴァンジェリンに気付きもせず、よろめきながら立ち上がったジローの手に魔力が集まり、中空に魔法陣を描く。
 温かな光を発するそれは、恐らく治癒のための魔法陣なのだろう。はたして、体を蝕む石化の呪いにどれだけ効果があるのかはわからぬが、今の自分にできることをするべく、僅かに残っていた魔力を絞り出して発動させた治癒魔法を叩き込まんと、ジローが一歩踏み出した。

「くたばるんじゃないぞ、ネギィっ!」

 怒鳴り、手の先に浮かぶ魔法陣をネギの体に触れさせようとした、まさにその時。

「グッ――――ゴエッ!?」

 ジローの体から束ねたゴム紐が弾けるような音が響き、驚愕に目を見開いた彼の腹や肩といった箇所から血が飛沫いた。
 同時に、口から大量の吐血をしてジローが崩れ落ちる。

「ジ、ジロー!?」
「ジロー先生!!」
「どいてください」

 突然の事態に慌てふためくアスナ達を尻目に、素早く彼を抱き起こして診断を始めた茶々丸が、僅かに顔を強張らせて己のマスターに視線を送った。

「マスター、これは……」
「チッ、ここに来て倒れるとか貴様、アホか!? 魔力空になったら、塞いでいた傷が開くことぐらいわかっていただろうが!!」

 ここに辿り着くまでに負い、そして魔力で強引に修復してきた傷の数々がジローの体に刻み直されていた。
 真祖の吸血鬼と違い、ジローのそれはあくまで表面的な修復に留まるもの。エヴァンジェリンのように致命傷クラスの怪我でも一瞬で治るという、利便性に富んだものではなかったのだ。
 事情を呑み込めずにいるアスナ達を余所に、エヴァンジェリンの罵声が響き渡る。

『相棒! でぇじょうぶか、相棒ッ!!』
「も、問題な――ぐっ、ゴボッ!!」
「ええいっ! 口から延々、血を吐いてる奴が大丈夫なわけあるか!!」

 痛みや寒気に震える体を起こし、カモミールに手を上げて見せようとして再び吐血し、さらに腹部や肩口からの出血と相まって血塗れになったジローに、エヴァンジェリンが頭を抱えて喚いた。
 そんな彼女の取り乱した様子に、今が本当に抜き差しならぬ状況なのだと悟ったアスナが唇を噛む。
 この時ばかりは、魔法一つ使えない普通人である己の無力さが悔やまれ仕方がなかった――――







「みんな、無事で――――どうしたでござるか!?」
「な、何故、ジロー先生が血塗れになってるですか! ネ、ネギ先生まで倒れているですし!?」

 木乃香の魔力を使い切り、元居た世界へ還る百鬼夜行の集団を見送った楓達が祭壇に到着したのは、丁度、アスナが悔しさや焦燥に煽られて涙を零しそうになっていた時だった。

「な、長瀬さん、それに夕映ちゃんも! ど、どうしてここに!?」

 突然、やってきたクラスメイトの姿に、滲ませていた涙そのままに驚くアスナの腕に抱かれるネギを見て、祭壇へ続く通路に駆けつけた楓や夕映、真名、クーフェイが息を呑んだ。
 右半身のほとんどが灰色の石に変じ、苦しげに呻いている少年の姿に、皆一様に顔を強張らせる。

「オ、オイッ、何で死にかけとんや!? しっかりせんかい、ネギ!!」

 湖に向かう途中、楓達と遭遇して、そのまま流れで行動を共にしたのだろう。彼女達とともに現れた小太郎も、ネギに大声で呼び掛けを行ってた。

「兄ちゃんも!! 俺に余裕で勝っといてその様はなしやで!?」
「っ、うぐ……あ、あまり強く揺するな……」

 次いで小太郎が呼び掛けたのは、茶々丸の手を弱々しく押しのけて立ち上がるジローだ。

「あ、安静にしてるですよ、ジロー先生っ! 無理に動いたら倒れてしまうですよ!?」

 勢い余り、血みどろの体に掴みかかって揺さぶる小太郎に苦しげに顔を歪めながら、心配ないと少年の頭へ手を置き、よろめく体で必死にバランスを取っているジローに馬鹿なことはするなと、血相を変えた夕映が悲鳴のような叫びを上げた。
 支えるために手を伸ばそうとするが、近寄らずともわかる濃い血臭に足が竦み、ただ気遣わしげに声を掛けることしかできない。
 意気地のない己を最低な人間だと恥じ、どうして迷わず手を差し伸べられないのだ、と苦悩しながら夕映は懇願した。

「お願いです……それ以上、無理しないでください、死んじゃうですよっ」

 ついに堪え切れず、顔をクシャクシャに歪めてしまった夕映を見ていた茶々丸が、静かに諫めの言葉を出した。

「綾瀬さんの言う通りです。無理をされては、ジロー先生まで……」
「――――く、そっ……」

 多少の落ち着きを取り戻すと同時に、膝を折って屠腹した武士のように項垂れたジローが吐き捨てる。

「ガッ、ゴボッ……!!」
「ヒッ!? ジロー先生!」
「クソ、クソッ、クソッ……! ゴホ、カハッ!!」

 直後、またしても大量の血を吐いて通路に倒れ込んでしまった青年へ、今度は物怖じする暇もなく駆け寄り、顔色を窺うように夕映がしゃがみ込んだ。
 必死に、血飛沫と一緒に咳き込むジローの背中を擦る少女を見つめる面々に圧し掛かるのは、望みは絶たれたという重く、そして暗い諦めの空気。

「な、なあ、せっちゃん……」
「お嬢様?」

 もう駄目なのか。
 そう誰かが口にしかけるのを遮ったのは、シーツで裸体を隠した黒髪の少女――木乃香であった。
 名を呼ばれ、振り向いた自分に真剣な眼差しを送る幼馴染の少女が何を考えているのか。

「――――わかりました、お嬢様が思うようにしてください」
「うん」

 すぐにそれを悟り、面持ちを木乃香と同じく真剣なものに変えて刹那が頷いた。
 同意を得られたことで勇気付けられたのか、大きく深呼吸して一歩進み出た木乃香が、ネギを膝枕して涙ながらに呼びかけているアスナへ話しかけた。

「あんな、アスナ……ウチ、ネギ君にチューしてもええ?」
「え? な、何言ってんのよこのか、こんな時に!!」
「あわわ、ちゃうちゃう」

 何時ぞやの如く、パクティオーカード欲しさに言い出したのか。
 不謹慎にも取れる言葉に、ネギがいなければ掴みかかっていてもおかしくない怒声を上げたアスナに、手を振って意図するところが違うとアピールして木乃香が自分の考えを口にする。

「あれや、ホラ、パー……パー、パクテオーとかいうの」
「え?」

 木乃香が仮契約という言葉を知っていることに虚を衝かれ、声を詰まらせたアスナを一先ず残し、倒れたネギを囲んで立つ楓やクーフェイ、真名と順番に視線を巡らせて木乃香は頭を下げた。

「みんな……ウチ、せっちゃんに色々聞きました――ありがとう。今日はこんなにたくさんのクラスのみんなに助けてもらって……ウチにできるんは、きっとこれぐらいやから」
『そうかッ、仮契約には対象の潜在能力を引き出す効果もある……! 上手くいきゃ、シネマ村で相棒を一発で治した治癒能力を使えるように……!!』
「もう、それに賭けるしかありません」

 ネギと仮契約したいと言い出した木乃香の狙いを悟り、手を打ったカモに刹那が頷きを返す。

「せっちゃん……」
「ハイ」

 アスナに膝枕された半分石化した少年と、今も夕映に背中を擦られている血だらけのジロー。
 二人を見た後、重々しく刹那が首肯したのを確認して、床に寝かされたネギの脇にしゃがんだ木乃香の手が伸ばされる。
 既に虫の息になっているネギを気遣わしげに抱き起こし、

「ネギ君……しっかり――――」

 耳元で囁いた木乃香の唇が、力なく開かれたネギの唇と重なった。
 瞬間、カモが大慌てで描いた仮契約の魔法陣が強烈な光を発する。
 湖一帯を、さらに山の麓にある関西呪術協会の本部の全てまで覆う光の渦が、ネギと口付けを交わした木乃香を中心に形作られた。
 まるで春の陽気に包まれたように温かく、そして優しい力の顕現。
 それは石化して死の危機に瀕していたネギだけでなく、すぐ側でもがき苦しんでいるジローの深い傷も、フェイトの手により石化させられた詠春を始めとする呪術協会の人間全てをも癒す、神の祝福にさえ近い浄化の力だった。

「――――――――ん……」

 光の奔流が次第に弱まり、木乃香の身に収束するように輝きを失ってから数秒。
 固唾を呑んで見守るアスナ達に囲まれて寝ていたネギが、小さく身動ぎして目を開いた。
 夢うつつにあるように、ぼんやりと焦点の合わぬ瞳を周囲に巡らした彼が見たのは、呪術協会で初めて対面した詠春が着ていたような狩衣姿の木乃香。
 古代の神官を思わせる純白の衣に身を包んだ少女を見て、ネギは小さく微笑みを浮かべた。

「このか、さん……よかった、無事だったんですね……」
「ネギくん……っ」
「ネギぃッ!!」

 ついさっきまで死に掛けていた少年が口にするには、間抜けに過ぎる言葉。
 己の身よりも他人の身を案じ、それは自分が死の危険から免れた時も同じという、実に浅はかで向こう見ずで、だがこの少年の目覚めには最も相応しかろう台詞。
 ネギがゆっくりと体を起こしたことに感極まって、涙を流しながら笑った木乃香やアスナが抱きしめにいく。
 二人の少女ほど反応は大きくなかったものの、周りに立っていた面々も不安げに強張っていた顔に喜色を溢れさせ、手を叩いたり、隣に立っていた者に歓声を交し合ったりしていた。

「フゥ、何とかなったか……肝が冷えたぞ。まあ、お前は別の意味でも肝が冷えたのだろうがな」
「あ? 何がだよ。土壇場でどうにかなって目出度し、目出度しだろうが」

 回復したネギを中央に置き、心地よい賑やかさを演出する少女達から少し離れた場所で、胡坐をかいて座るジローにエヴァンジェリンが話しかけている。
 血に染まっていない場所はないと言わんばかりに赤黒い服に、心底嫌そうな顔をしているジローと違い、エヴァンジェリンはこの上なく楽しげに口を動かしていた。
 本人は気付いていないのだろうが、その嬉しげな表情にネギが助かったことへの喜びがあるのを嗅ぎ取り、勝手に喋らせておこうと判断して嘆息したジローを余所に、エヴァンジェリンの饒舌は留まる所を知らなかった。

「隠すな隠すな、私としてはお前の意外な一面というか、どう考えても本性だろうな部分が見れて面白かったのだから。クククッ、いや、お人好しもお人好し、断罪も指摘も警告もせず、ただぼーやの側で緩く死んでいくのかと思っていたら――――実に興味深いお人好し振りだ」
「さっきから何言ってんだ、エヴァ? 何故に俺を見て、そーいう感想が出てくるんだよ」

 半分、着ている意味のなくなった服を指で抓み上げ、携帯電話だけでなく服も買い直しだと渋い顔で呻いているジローに口元を歪め、彼女は彼にだけ聞こえる声で囁いた。

「よかったなぁ、ぼーやが殺されなくて」
「…………ああ、そうだな」

 一瞬だけ服の布地を抓み上げる手を震わせ、だがすぐに普段通りの緩い返しを行ったジローに、一応の満足をして静かに笑ったエヴァンジェリンが、先よりも落ち着いた声のトーンで告げた。

「首謀者らしき女――名前は知らんが、両面宿儺にぶん投げられた奴だ、そいつは今、チャチャゼロの奴に捜させている。どの辺りに投げられたかはわかっているのだが、仮にも霊地の一つだけあって居場所の特定には時間がかかりそうだ」
「さよけ」

 何故か大阪弁もどきで返し、大きくため息をついたジローに愉快そうな慰めの言葉が送られた。

「ま、せいぜい後味の悪くない片付けをすることだ」
「いいよなぁ、看板役者は幕が上がってる時だけ暴れればいいんだし」

 ぼんやりと夜空に浮かぶ中途半端な月を見上げ、真面目さに欠けるぼやきが漏れた。

「知らんな。最近、チャチャゼロの奴は血に飢えてるようだからな、重要参考人まで殺らせてしまわんよう気をつけろよ」
「…………ほんっとーに嫌だなぁ、殺人大好き残虐人形と居残って掃除とか」
「クククッ、自分まで掃除されんよう背中を預けんことだな」

 クツクツと含み笑いしながら告げられた内容に、口の両端を限界まで下げて嫌な顔をしたジローから感じ取れたのは、会話の内容とは裏腹に、普段と特に変わりない緩く、やる気のなさそうな気だるさだけであった――――

〈続く〉

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