「第六幕・妖の泣く頃に〜魔人退治編?〜」


「シャッラァ!!」

 重力に従って夜の帳を裂いて落下しながら、ジローは番えた矢を引き絞るように構えた木刀を、落下地点に立っていた小鬼へ突き込んだ。
 ポカン、と口を開けて間抜けな表情で、空から落ちてくる青年の姿を眺めていた小鬼――小、といっても成人並の体躯はあるが――の口に侵入した木刀の切っ先が、鈍い水音を立てて、盆の窪から飛び出す。

『ガボッ、ボホ!? グブ、ブッ!!』
「あー? 何言ってるのかわからんっての」

 両手で喉を掻き毟るようにして呻いている小鬼に顔を顰め、大雑把な動きで木刀を横に振った。
 ボチュ、とくぐもった音が川縁に響き、頭の口から上が頬の肉で繋がっているだけになった小鬼が、クルリと踊るように回ってから浅瀬へ倒れ込んだ。
 夜を映しているせいでわかりにくいが、川底へ沈殿していくように小鬼の頭部から血が流れ出す。

『舐めとんとちゃうぞ、コルァ!!』
『仲間の仇じゃあ、死にさらせぇっ!』

 足元を漂う靄のような血を見下ろし、爪先を動かして水をかき混ぜているジローへ化生が二体、殺到した。
 地獄で亡者を責め苛む獄卒として、セットで描かれることの多い獣頭人身の鬼だが、稀に百鬼夜行に参加する妖怪として描かれることもあるので、この場にいても不思議ではない。
 緩い眼差しを向けて、肩を木刀の峰で叩きながら取り留めないことを考えたジローは、「阿呆らしい」と締まりのない笑みを浮かべた。
 牛頭馬頭の呼び名が浸透している通り、息の合った抜群の動きで左右入れ替わりながら接近した二体が、大きすぎて逆に作り物に見える金棒を振り下ろした。
 ガォン、と金棒の先端が川底の岩を粉砕する音が響く。

「おー、おー、凄い力だこと」

 それだけ膂力があれば、非力な人間のように技術やコツに頼る必要がないだろう、と牛頭馬頭の背後に立つジローが感心した声を漏らした。
 金棒が直撃してはたまらないと、得物を振り上げた二体の間をすり抜けていたらしい。

『お前、いつの間に!?』
『すばしっこさは油虫並やのぉ!!』
「ところで、これ落したぞ」

 コキコキと首を鳴らし、口汚く罵る二体の化生の馬頭の方――馬頭鬼の足元へ、手に持っていた物をひょいと放り投げる。
 太い木の枝のように節くれがあり、先の方が軽く曲がっている棒状の物を見て、牛頭馬頭の目が大きく開かれた。

『な、何じゃこりゃあぁぁぁッ!?』
『め、めめ、馬頭の腕やと!?』

 肘辺りから千切られた自身の腕を見て、ようやく驚くべき事実に気付いた牛頭馬頭が叫んだ。
 筧から零れる水のように、人と同じ色の血液を撒き散らす肘を手で押さえ、蹲った馬頭鬼に呆れ顔のジローが話しかける。

「妖怪ってなぁ、痛みに鈍いのかねぇ?」
『お前……どないして、ワシの腕……!!』

 呪殺できそうな目で睨む馬頭鬼の質問に、血臭漂う場所に似つかわしくない緩い笑みを浮かべて、

「どないして、って……こう、捻って?」
『ふざけとんのか、おんどれゃあぁぁぁっ!!』

 軽くドアノブでも回すような動作を見せるジローに、相方を傷つけられて血を滾らせた牛頭鬼が、金棒を振り上げて迫った。
 ふざけているつもりはないのだが、と小さく嘆息して木刀を持ち上げた時にはもう、牛頭鬼が真っ直ぐに凶悪な鉄の塊を振り下ろしていた。

「基礎の力やらが凄いから、工夫する必要がないってぇのはわかるがね。それでも、真正面から馬鹿正直に、ってぇのは感心できんなぁ」
『――――へあ?』

 横に一歩だけ動いて金棒を紙一重で躱したジローが、いつの間にか、袈裟に斬り下ろしていた木刀の切っ先で、牛頭鬼の胸元を軽く突付いた。
 ズリュ、と湿ったものがずれる音が聞こえた。

『ご、牛頭!? 牛頭うぅぅっ!!』

 右肩から腰にかけて裁断された牛頭鬼の上半身が川面を叩く。
 信じられないと言いたげな顔で事切れている牛頭の上半身へ、いまだに血を溢す肘を押さえた馬頭が悲痛な叫びを上げる。
 白っぽい脂肪と、薄紅色の筋肉に包まれていた赤黒い臓物、百合の花のように白い背骨を夜気に晒す牛頭鬼の下半身。
 一拍遅れて、立ち尽くしたままだった下半身の截断面から、ビュッ、ビュッと連続して血が噴き出した。
 緋色の緞帳のように、視界一杯に広がった血煙。
 ほんの一瞬だが、馬頭からジローの姿が見えなくなった。

『ぎょぶぷっ!?』
『うおあっ!? 馬頭の兄貴ぃ!!』

 その短い時間で、馬頭の頭が弾け飛んだことに周りにいた小鬼や、河童や行者姿の烏天狗といった妖怪が目を見開く。
 生まれ持っての馬力と体の丈夫さが売りの馬頭鬼の頭部を粉砕したのは、血の緞帳を突き抜けて飛来した牛頭鬼の金棒。
 馬頭の頭の一部だった肉片を付着させ、浅い川の中を転がっている無骨な鉄の棒を、妖怪達は遠巻きに畏怖の目で見下ろしていた。

「プッ、クヒ、アハハハハッ!! あぁ、いい気分さね」
『……なかなか、おもろい事してくれるやないか、兄ちゃん』

 血が出尽くして弛緩したのだろう、弁慶の立ち往生のように地を踏み締めていた牛頭鬼の下半身が崩れ落ちる。
 その様子に、金棒を投擲した姿勢から身を起こしたジローが口元を歪めていることに、腕を組んで戦況を見守っていた一際、体躯の立派な大鬼――妖怪達の頭領である、伊吹鬼六が憤懣遣る方ない声を漏らした。
 百鬼夜行の妖達に囲まれてぬらりと立ち尽くし、頬に付いた返り血を甲で拭ったジローが視線を鬼六へ向ける。
 鬼六へ向けられた血走った瞳には、理性を感じさせる光と狂気が同居していた。

『オヤビン! あの兄ちゃん、ほんまもんでっせ!? ワシらのこと、木刀で普通に斬ったり殴り殺したり、引き千切ったり、黒焦げにしたり……!』
『化け物や! 人の皮被った、新手の化け物に違いないで!!』
「失敬な、俺ぁどこにでもいた普通人だよ。たまたま、運悪く死ににくくなって、こんな阿呆な状況に慣れつつあるだけさね」

 緩い眼差しをジト目に変え、訂正を要求しながらジローは、深々と血臭の残る夜気を吸い込んでいた。
 木乃香の超絶的魔力を使って構成される肉体を持つ百鬼夜行の妖怪達。屠られ、元の世界――それが幻想生物の闊歩する世界なのか、はたまた妖怪達の楽園なのかは不明だが――に送還される際、魔力の粒子として霧散する彼らの体を、フェイトに負傷させられた自身の体や、『燃える天空(ウーラ二ア・フロゴーシス)』などで消費した魔力の補填に充てるために。

 ――もしかすると、俺ってかなり危ない状況にあるのではないか。

 一息吸うごとに、腹の底から湧き上がってくる灼熱と吐き気。
 まるで、頭が悪いまでに度数の高い酒を胃に流し込んだような感覚。
 これ以上、飲めばろくなことにならないとわかっているのに、絶え間なく訪れる飢餓感と喉の渇きに促され、自分の肝機能を無視して酒を呷り続けている状態だ。
 気を抜いた途端、この場で笑い転げそうなぐらい気分が高揚しているのに、地面を殴って喚き散らしたり、頬や喉を掻き毟ったりしたくもある。
 頭の中を駆け回っているのは、どれもこれも正気の沙汰とは思えない妄想だ。
 全身、頭から足元まで満遍なく、血とすり潰した死肉を浴びているイメージに、口元が歪に引き攣り始めていることに気付く。
 上質すぎる魔力に酩酊しかけている。
 危機感からか空いている手で口元を掴み、ジローは木刀片手に駆け出した。

 ――取り込む端から使っていかないと、あっという間に許容量を超えそうさね。

 飲酒後、すぐに走ると一気にアルコールが回るのと同じく、魔力でも似たようなことが起きるのでは、という考えがチラリと掠めたが、そうならないと思い込んでいれば大丈夫だと強引に決め付けておく。

「ガガッ、ガ、ガ、ガッ……オオアァァッ!!」
『ひゃ、ひゃあぁぁぁっ!?』

 疾走を始めてすぐ、手の届く場所に突っ立っていた妖怪――しっとり湿った緑色の肌に、皿の乗った頭と水かきのある手足、鳥っぽい嘴と甲羅と来れば河童しかあるまい――に口元を押さえていた手を伸ばし、力任せに引っ張り込んだ。
 ボキュッ、と関節の外れる音が響く。
 鬼も斯くやな顔で迫るジローから少しでも離れるため、地方の伝承にあるように片方の腕を縮めて、掴まれた方の腕を伸ばしたのだ。
 だが、甘かった。
 腕が伸びた、間合いを外された。その程度の虚を突かれたところで、今のジローが動きを止めるはずもない。

「そんな逃げるこたねぇだろ、なぁ?」

 掴んでいた手をあっさり放して、河童の懐に潜り込んで顔を寄せ、歪に笑いかける。気のせいか、喉が潰れたような嗄れ声だった。
 そのまま、肩からぶつかるようにして、腰溜めに構えた木刀を突き込んだ。
 腹辺りに刺さった切っ先が、背中の甲羅を突き破って現れた。

『ぁ、がひゅ、ひゅぅー……はひゅー』
『河治ぃぃぃっ!!』
『ア、アカン……みんな気ぃつけや、この兄ちゃん――』
「――魔法の射手(サギタ・マギカ)火の7矢(セリエス・イグニス)

 息も絶え絶えに、百鬼夜行の仲間達へ残そうとした河童――周りの悲痛な声から判断するに、河治という名前なのだろう――の忠告は、胸に押し当てられたジローの手から放たれた魔法の矢に吹き飛ばされ、肉片が川に降る音に取って代わられた。

「カヒ、カハッ……!」
『な、何や勝手に動き止めとるぞ? チャンスや、いてもうたれっ!!』
『あの兄ちゃんに殺られた連中の弔い合戦じゃ! 気ぃ張っていくでぇぇ!!』

 猛烈な笑いの衝動と吐き気に襲われ、思わず蹲ってしまったジローへ、我先にと血気盛んな妖怪達が襲い掛かる――――前に、

『でも、接近戦は分が悪いみたいやし、ここは遠くから確実にやな』
『そ、そやな! こっちが数任せにいって同士討ちしたらアホらしいし、近付いたら何されるかわかったもんとちゃうし』
『よっしゃ、まずは弓とか投げられるもん持ってる連中からや! 遠慮せんと思いっ切りぶつけたれ!!』

 それぞれの顔色を見合わせて、より安全そうな方法でジローを仕留めるべきだ、と満場一致の結論を出す。
 完全に及び腰になっているようにも見えるが、そんなことはない。ただ、近寄って惨い壊され方をするのが嫌なだけだ。
 大部分が魔力によって構成される体を持つ彼らには、厳密に死と呼べる概念はない。
 仮に肉体をすり潰され、燃やし尽くされたとしても、長い年月をかければ復活することも可能である――――のだが、それはそれ、これはこれだ。
 復活できるからといって、頭をもがれたり、手足を引き千切られたりすれば痛いし、復活した時にそのことを思い出すのは気持ちのいいものではない。
 人々に恐怖や痛みを与える恐ろしい存在である彼らだからこそ、逆に恐怖や痛みを与えられることは稀である。
 刹那の納める神鳴流の遣い手が、魑魅魍魎にとって天敵と呼ばれた理由がそれだ。
 気や特殊な剣技や体術、そして彼らが独自に持つ能力――怪力だったり、変化の力だったり――を無効化したりする陰陽道の術などを駆使する神鳴流は、人の身でありながら、怪異の象徴である妖怪こそを退治するために創立され発展した流派。
 そこに所属する人間だけが、自分達に傷を負わせることができると思っていた。長い年月を必要とする復活のための眠りを与え、元いた世界へ送り返す存在だと信じてさえいた。
 だというのに、アレは何なのか。
 ダラリと木刀を引き摺るようにして立つ、幽鬼のような佇まいを見せる青年に、百鬼夜行の図画に描かれる名うての妖怪達の多くが『畏れ』を抱いていた。
 本来なら恐怖を与えられ、無惨に引き裂かれるだけの存在である人間が、自分達と五分に渡り合っている。
 妖退治に特化した技術を持つ神鳴流でもなく、また西洋魔術師が放つ大砲のような魔法を用いるわけでもなく。
 時折、楽しんでいるかの如く顔を歪め、見栄えのしない血生臭い戦い方で確実に、そして着実に百鬼夜行の妖怪達の数を減らしていくのだから、彼らの恐怖もより深まるというもの。

『よっしゃ! 第一陣、射れぇぇぇっ!!』
『オオォッ!!』

 三十ほどの集団の中で指示を与える立場にあった妖怪――鬼六ほどではないが、岩のように大きな体躯を持った一つ目の鬼である――の号令で、弓を構えていた小鬼達が番えていた矢を目一杯に引いて、次々とジローへ射掛ける。
 中には、

『これでも喰らえやぁ!!』
『馬頭の兄貴と同じ目に遭わせたらあ!!』

 矢の代わりだと、手にしていた槍や金棒を力任せに投擲する妖怪もいた。
 血走った目を細め、口元を吊り上げているジローに、槍や金棒の交じった矢の群が押し寄せる。
 その様子はさながら、目に付く緑を貪り尽くす蝗の波だ。
 上下左右前後ろ、どこにも逃げ場はない。
 上空から弧を描いて飛んでくる槍矢の雨と、唸りを上げて直進してくる金棒を眺めながら、ジローは空いている方の手を振り上げた。
 逃げ場がないなら、作るなりすればいい。そうした短絡的とも言える思考を実現させるために、一言だけ口にする。

 ――風よ(ウエンテイ)!!

 瞬間的に込めることのできる、有りっ丈の魔力を込めて喚び出した風を、押し寄せる矢や槍、金棒の真上から地面に向かって叩き下ろす。
 下へ向かう奇妙な突風が吹いた直後、落雷が起きたのかと錯覚するほどの轟音が辺りに響いた。

『なんやとぉ!? 全部、叩き落した!?』
『む、無茶苦茶や! ここはもう少し慌てたり、障壁なり張りながら後ろへ跳んで逃げるとこちゃうんか!?』
『ばば、化けもんや! 鎌鼬とかムチの旦那達が尻捲ってまうぐらいの化けもんや!!』

 瀑布に匹敵する重さを伴う風に目を白黒させ、慌てふためく一団に舌打ちした鬼六が、野太い声を張り上げて手下へ忠告を発した。

『情けないこと叫んどる場合ちゃうぞぉ! 上じゃあ!!』
『へいっ!?』

 どやし付けられ、目を白黒させていた一団が右に倣えで空を見上げた。
 満天の星空とポッカリ浮かんだ望月に交じって、何か黒い塊が落ちてくるのが見えた。

『ありゃ何じゃ?』
『鳥や!』
『いや、アレはきっと「あんあいでんてぃふぁいど・ふらいんぐ・おぶじぇくと」に違いないで!!』
『普通にわからんわ!? ゆーふぉーとか、未確認飛行物体って言えや!!』
『わかっとるやないけ! っちゅーか、アレ――――あの兄ちゃんとちゃうんかい!!』
『うわぁっ、ホンマやぁ!?』

 喧々諤々の割りに、どこか楽しげな怒鳴り合いを強制的に終了させたのは、轟風を吹き降ろさせた直後、強化した脚力と風の魔法の補助で高々度まで跳躍していたジローだった。
 襲い掛かってくる猿(ましら)のように身を丸め、夜気を裂いて落下してくる彼の姿は、妖怪達でなくとも恐ろしい。

『み、みんなぁ、ここから離れるんや! あの兄ちゃんとまともに殴り合いとか、正気の奴がすることやないぞ!!』
『ひ、ひええぇぇぇっ!!』

 蜘蛛の子を散らすように、ジローの落下予測地点の近くにいた妖怪がこけつまろびつ逃げていく。中には、涙を浮かべている者さえいた。
 その様子はさながら、空襲から逃げ惑う無力な人々のようであった。

「――――ものみな焼き尽くす浄化の炎(オムネ・フランマンス・フランマ・プルガートウス)破壊の主にして再生の徴よ(ドミネー・エクステインクテイオーニス・エト・シグヌム・レゲネラテイオーニス)我が手に宿りて(イン・メアー・マヌー・エンス)敵を喰らえ(イニミークム・エダツト)‥‥」

 これでは、どちらが化け物かわかったものじゃない。
 獰猛な笑みを浮かべ、呪文を唱えながら地面に着地するジロー。落下の衝撃に、足場にした岩に亀裂が入る。
 魔法を使えてよかったと思うのは、こういう時ぐらいだろうか。だがしかし、魔法を使えるからこそ、こうした異常な事態で無茶をする羽目になっていることを忘れてはいけない。
 ということは、魔法に感謝するより文句を言った方が妥当であろう。
 心の中で「魔法のクソッタレ」と罵声を浴びせてから、ジローは瞬動で逃げようとする妖怪を追い抜き、川の水を跳ね上げながら円を描いて疾走した。
 その影を追うように、時折、月明かりを弾いて光る細い、注意しても気付けるかどうかわからない細さの糸――とあるマッドサイエンティスト二人の研究により、無駄に科学の発達した麻帆良で販売されている、サバイバル同好会御用達の極細ワイヤーだ――が続いた。
 残像を生みそうな速度で妖怪達の周りを何周かして、横滑りに急停止したジローが、縦横無尽に手を振る。その手の動きに従って、暗闇の中を小さな光の粒が瞬いた。

「シッ!」

 一度、眼前で交差させた腕を左右へ大きく引いた瞬間、

『な、なんや、糸が絡み付いて!?』
『い、いたたたたたっ!! この糸、やたら硬いで!?』
『は、肌に食い込むぅ!!』

 ギュキキッ、と歯の浮く金属の糸が擦れ合う音とともに、即席のワイヤー製の網が完成する。
 運悪く、中に閉じ込められて強制的に押し競饅頭をさせられた妖怪達は、胸中で「大漁旗でも掲げたくなるねぇ」と呟いたジローが、後方に引いていた手を前に向けるのを目撃して、一斉に顔を青褪めさせた。

『ちょお、まさかとは思うけど!?』
『や、やめてぇぇぇぇっ! 堪忍してくれぇ!!』
「――――紅き焔(フラグランテイア・ルビカンス)

 命乞いとも取れる半泣きの叫びに眉一つ動かさず、ジローは網の中に囚われた妖怪達に向けて熾烈な炎を放つ。
 一瞬で網の役を務めていたワイヤーが蒸発する高熱。
 いかに妖怪といえど、そのような炎をまともに浴びて無事にいられるほど頑丈ではない。
 阿鼻叫喚を思わせる叫びとともに、人、あるいはそれに近い形から、小さな炭の欠片へと変わっていった。

「ハ、ァ……! ハッ、ハァー……」

 最後に残った燃え滓を一顧だにせず、肩で息をしながらジローは、剣呑な視線を辺りへ巡らせる。
 過剰に摂取し続ける魔力の副作用によるものか、ビキビキと音を立てて顔や手に浮き出る血管と相まって、その様子はさながら獲物を探す悪鬼であった。
 あまりに人間離れした形相に、周囲に立っていた妖怪達が一歩、無意識に退いてしまう。
 そんな手下達の姿に腰抜けどもが、と愚痴を溢していた鬼六の肩へ断りもなく座った、狐の面を被った――雌狐が長い年月を経て変化した狐女で、狐を模った仮面や本物の狐耳は動物だった頃の名残だ――お銀という名の女妖怪が、苦笑するように慰めの言葉を送った。

『まあ、あんなの相手じゃねー。何でか知らないけど、「混ざり物」の匂いもするし』
『お銀の言葉がホンマやとして、このまま好き放題させとったら伊吹組も寂しいことになるで』

 いつの間に近付いたのか、鬼六の傍らに立つ腰みのを巻いた精悍な体つきの男――烏族と呼ばれる妖怪で、その名の通り背中には黒い翼が生え、首から上が烏のそれである――が、笑い事とちゃうで、と漏らす。
 この烏族の男は名を烏平といい、お銀とともに鬼六の右腕兼懐刀を務めてきた百鬼夜行・伊吹組の古参妖怪である。
 半数以下までに減った組員を見渡して、呆れたように嘆息したりするのは、明確な死がない彼らこその反応ではあるが、表情そのものは三者ともに苦々しいものだった。
 パッと見、表情と呼べるものがわからない異形だったり、仮面を被っていたりで判断しにくいが。

『しゃあない、ここは一丁、ワシらが出るか』
『やっぱりそれしかないでなー』
『三人がかりっちゅうのも久しぶりやな、腕が鳴るで』

 仕方なさそうに息を吐き、特大の鉄製の棍を担ぎ上げた鬼六の両脇を、刃の付いたトンファー両手に構えるお銀と、先端が斧のように丸みを帯びた形の大剣を引っ提げた烏平が固める。
 周囲の妖怪達からどよめきが起こった。
 鬼に金棒どころではない、腕利きの神鳴流相手にも引けを取らない三位一体のコンビネーションが披露されるのか、と。

『待ってくれませんか、オヤビン!』

 その期待を遮ったのは、他でもない伊吹組の妖怪――烏平と同じ容姿と装備を持った烏族の一体であった。

『オヤビン達が出るまでもありまへん! みんなの仇はワシが取りますから、御三方はここで見といたってください』

 土下座でもしかねない必死さを滲ませ、鬼六に頼み込む烏族。
 年齢的にまだ青年と呼んで差し支えのない年頃なのか、身に纏う雰囲気もどこか若々しい。

『ワシは別に構わんけど……お前らはどや?』
『ウチは別に構わへんよ。やりたいって言っとるし、やらせたったらええんとちゃう? でも、十分に気をつけるんやでー』

 口をひん曲げ、困ったように息を漏らした鬼六の問いかけに、まず、お銀が軽い調子で答えた。
 クルクルとトンファーを回しながら、気をつけるようにと烏族の男に忠告している。

『お銀の言う通り、十二分に気を引き締めていくんやぞ。剣術が得意なんはお前だけやないんやで、烏吉』
『わかっとります、先生』

 烏平に念を押されて、重々しく頷いた烏族――剣技に優れる烏族だけで構成される、伊吹組傘下の武闘派集団・黒衆(くろす)の中でも頭一つ抜きん出ており、麒麟児と称される烏吉という若者だ――は、烏平に向かって力強く剣を掲げて頷いて見せた。

『お前に殺られた連中の無念、晴らさせてもらうで人間!』
「…………」

 先端が丸い大剣の切っ先をジローに向け、烏吉が声高らかに宣言した。
 二人を遠巻きに見守る妖怪達から、やんややんやと歓声が上がる。
 この場にいるのは、烏吉の剣術の腕を知る者達ばかり。皆一様に、剣を持った彼が負けるはずがないと確信していた。

『――――いくでぇっ!!』

 隙だらけに佇んでいるジローへ、剣を大上段に振り上げた烏吉が、川面を滑るように飛翔して迫った。

『どりゃあぁっ!』
「シッ!!」

 袈裟に振り下ろされた大剣を、ジローは下から掬い上げるような斬り上げで弾いた。
 硬い金属同士がぶつかる音が夜気を震わせ、闇の中に火花を散らす。
 斬り込みを捌かれ、一度後ろへ下がった烏吉が鋭い寄り身で再び接近し、瞬き一つの間に、左右袈裟と二度の斬撃を放った。

「っ、ぐ!」

 何とか一撃目は防げたものの、あまりにも疾い烏吉の斬り返しに反応が追いつかず、受け損なった二撃目がジローの肩口に食い込んでいた。
 木刀を間に割り込ませてはいるものの、強引に押し込まれる大剣の刃が、ズグズグと肉の中に沈んでいく感覚に歯を食い縛るジローを見て、烏吉は己の勝利を確信する。

『気や魔力で強化したとこで、所詮は人間。元から基礎能力の秀でとるワシらに敵うはずがないんや!』

 このまま押し斬りにしてやろう。
 肩に食い込む大剣を木刀で押し返そうとするも、堪え切れずに片膝を突いてしまったジローの体を、力任せに断ち割らんと力を篭めた瞬間、烏吉の手元から枯れ木が折れるような音が鳴った。
 一拍の後、脳天まで痺れるような痛みに烏吉が呻き声を漏らした。

『ぬっ、ぐぁ……!』
『何や、どないしたんや?』
『どないしたんや、烏吉!!』
『うわ、ちょっとあれ見てみ!』

 首を傾げる鬼六や狼狽する烏平に、何かに気付いたお銀が指を差して叫んだ。
 彼女が伸ばした指の先に、烏吉の身に起きた異変が如実に現れていた。
 大剣の柄を握る烏吉の右手。その人差し指と中指が、あらぬ方向に曲がっていた。

『お、お前ぇッ』

 ジローの肩に食い込ませていた大剣を引き抜き、その場から飛び退いた烏吉が、折れた右手の指を庇うようにしながら怨嗟の呻きを漏らす。
 烏吉ははっきりと目にしていた。
 勝利を確信した鍔迫り合いに決着がつくと思った瞬間、ジローが肩に食い込む刃を無視して自分の右手に手を伸ばし、指を二本まとめて握り折るところを。

「ガ、グガ……ッ、悪いな、こっちも形振り構ってられる状態じゃなくてな」

 赤い染みを広げていく肩から手を離し、立ち上がったジローが険しく歪む顔に浮かびそうな笑みを抑え、指に付いた血をベロリと舐め取りながら言う。

「それと、さっき言ったはずだぞ? 基礎の力やらが凄いからって、工夫もせずに力任せに来るのは感心できんって」

 言い終わり様、ジローが手に持っていた木刀を一片の躊躇いもなく、烏吉に向かって投擲した。

『ぬっ!?』

 激しく回転して、唸りを上げる木刀が顔目掛けて飛んでくることに目を瞠るが、そこは剣術の達者。ここで冷静さを欠いてはならぬと、無事であった左手一本で大剣を振り、迫り来る木刀を空中に弾き上げた。
 だが、

『――――!!』

 ホッとしたのもつかの間、烏吉の目に映ったのは、魔力の光を帯びるまでに強化された拳大の石を振り下ろすジローの姿だった。
 どす黒い感情に衝き動かされる青年と視線が交差した瞬間、烏吉は己の死を直感した。
 ゴパッ、と水を溜めた分厚い壺が割れる音が夜の川辺に響き渡った。
 短く一言、『ギャッ』と断末魔の叫びを漏らし、石で殴打されたこめかみから血と脳漿の混ざり合った液体と、薄い黄土色のナニカを溢しながら、朽木のように烏吉が倒れ伏す。
 麒麟児と呼ばれるほど、剣術が達者な若い妖怪の最期は呆気ないものだった。
 同じ剣士に斬り捨てられるのでもなく、魔法や陰陽道の術に消滅させられるのでもなく、ただ石ころで以て頭をかち割られるという、あまりに無慈悲な形で訪れたのだから。

「ハァ、ハァ、ハァ……げほっ、かはっ!」

 体の至るところが軋みを上げている。
 自分を囲む妖達に気を張り巡らせながら、ジローは膝を突きたくなる体の痛みと、不確かな黒い感情に振り回されそうな己を御すことに力を注いでいた。
 辺り一面に散らばる、妖怪のものだった肉塊が気化するように消滅する際、一時的に上昇する周囲の魔力濃度を利用しての、強化の底上げや魔力の補充、肉体欠損の修復。
 そんな、魔法使いというより、辺りにたむろする魑魅魍魎などに近い戦い方を多用したツケの支払いに、体と精神が音を上げ始めているのだ。
 酷い喉の渇きと飢えを覚える。
 弾かれ、地面に転がる木刀を拾い上げながら、ジローはそっと自分の顔に触れてみた。幸いにして、参考を探すのに苦労しない異形達のように、牙が伸びたり角が生えたりといった変化はないようだったが、気や心臓の弱い人間に見せられない程度には、醜く歪んでいそうな手触りだった。

 ――洒落にならんなぁ、コレは。

 イメージとして連想できるのは、般若や狐に憑かれた人間の形相といったところか。
 間違っても、ネギ始め麻帆良の知り合い連中に見せられない、と口の端を持ち上げる。ジロー本人は笑ったつもりだったのだが、その表情の変化がまた恐ろしく、周囲で彼の一挙手一投足に警戒していた妖怪達の中から、息を呑む音が生まれてしまう。

「あー……今なら、ココネのポーカーフェイスを崩せる自信があるぞ」

 崩した瞬間、シャークティに悪魔祓いと称して『断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)』を撃ち込まれたり、美空にアーティファクトで脚力強化済みの跳び蹴りを喰らいそうだが。
 想像してみる。普段通りの眠たげな目付きで涙を浮かべるココネに、目を吊り上げて冷気の刃を振り上げるシャークティや、白目を剥いて本気の突っ込みを入れる美空などなどを。
 血臭漂う場所に相応しくない、ほのぼのした想像に小さく噴き出した後、ジローは魔力による身体の強化をもう一段、上昇させた。
 しぶとくこびり付く喉の乾きや無性な飢えとは別に、ここで終わるのは御免被るという想いが湧き上がってきたのだ。

「ガッ、ガ、グガッ! オオオオオオオッ!!」

 川面にさざ波を起こして足元から噴き上がる靄に似た光に覆われ、落雷のように大気を震わす咆哮を上げる。

『たいしたもんや。多勢に無勢の状況で、必死こいて生き残ろうとしとる』
『あんな風に、人らしいトコを切り売りしてなー。無茶なことしとるで、「混ざり物」の匂いきつぅなってんのに』
『相応の代償を払ってでも生き延びたいっちゅうんは、人間らしいと思うけどな』

 無数の敵を前に四肢を踏ん張り、残り少ない命を振り絞って牙を剥く古狼を思わせるジローを見据え、鬼六やお銀、烏平が嘆息とともに己の得物を構えた。

『でもまあ、そういう人間を叩き潰すんがワシらのお仕事やしな』
『久しぶりに来た現世で、あの兄ちゃんに当たったんは運がよかったかもしれんな、オヤビン』
『一昔前なら、ああした人間は珍しくなかったんやけどなー。いつの間にか、二十一世紀らしいし……何や、ちょっとした浦島気分やで』

 しみじみと語り合った三体の妖が、足並みを揃えてジローの方へ歩き出す。

『ほな、一丁気張るとするかいな』
『ウチらもこれ以上、組員減らすんは困るもんな』
『烏吉の仇も取ってやらねばならんしな。ワシとしても、人間が現代までどの程度、剣術を伝えとるんか興味あるし』

 雑談を交わしながら近づいて来る鬼六達へ、ギョロリと瞳を蠢かしてジローが木刀の切っ先を向けた。
 ジローと鬼六達、それぞれから狂気と鬼気が噴き出して鬩ぎ合いを始める。
 ビリビリと肌を打つ大気の脈動に、周りにたむろする下っ端の妖怪達が唾を飲んだ。

『いくで、化け物退治や』
『ウチらが化け物て。もっと他の言い方した方がええんとちゃう?』
『そやなぁ……現代風に魔人退治――とかどやろ』

 戦いの火蓋を切ったのは、そんな風に気軽に話された言葉。

『フム、「いんてり」な感じでええやないか』
『じゃあ、腹括って魔人退治の開始やで!』
『応ッ!!』

 鉄の棍を肩に担いだ鬼六と、ファイティングポーズのように刃の付いたトンファーを構えたお銀、さらに大剣を八双に構えた烏平が、ジローに向かって三方向から襲い掛かった――――







 関西呪術協会のある山から徒歩で一時間はかかる無人駅で、夕映は空になったラストエリクサーの紙パックを両手で包み持ち、ストローで息を吹き込んでは吸うという行為を繰り返していた。

「フー、スー、フー、スー………………まだ着かないですか」

 貧乏揺すりしながらチラチラと、闇に吸い込まれるように延びている線路の先を見ては嘆息する。
 際限なく膨らんでいく不安に押し潰されそうになりながら、浴衣の帯に挟み込んだ携帯電話を取り出して操作する。
 着信履歴の画面を見て、軽く下唇を噛んだ。

 ――着信履歴はありません。

 発信履歴にある携帯番号からの電話は、まだ来ていなかった。
 常日頃から、言動ともに緩くはあるが、八房ジローという青年は意外と律儀な性分をしている。

「まさかジロー先生も……?」

 脳裏に、白い煙に包まれて石に変じてしまった友人知人の姿が蘇る。
 恐怖から、目尻にジワリと涙が浮かんだ。
 手の中の空容器を握り潰し、体を縮みこませるようにして、一人救援を待つ寂びしさや不安と戦う。

「――――っ、来たですか!?」

 暗闇を裂く眩しい電車のライトに気付いて、夕映が若干の安堵を顔に浮かべることができたのは、駅のホームに転がり込んでから半刻が経とうかという時だった。
 空気の抜ける音がして、滑り込むように停車した電車の扉が開く。
 座っていたベンチから立ち上がり、慌しく駆け寄った夕映の前に、車両から出てきた少女が――いや、少女達が声を掛けた。

「待たせたでござるな、夕映殿」
「よくわからんけど、助けに参上したアルよ、リーダー♪」
「わからないのなら、首は突っ込まない方がいいと思うんだけどな」
「くっ、くわ、くわわわ、詳しい説明はははッ……!」

 何故か救援として呼んだ二人だけでなく、学校でも交流の少ない黒い長髪と褐色肌の少女がいることに疑問を覚えることもできないぐらい混乱している夕映が、舌を噛みながら事態が芳しくないことを説明しようとするのを遮って、長身糸目の少女――楓が口を開いた。

「話は現場に向かいながら聞くとするでござるよ。それよりも夕映殿……よく頑張ったでござるな」
「――――ッ、グス! そ、その前にお手洗いに行ってくるです!!」

 温かい言葉に涙腺が緩むのと一緒に、尿意を覚えて駅のトイレへ駆け出す夕映の背中を見送り、苦笑していた楓が表情を引き締めて、隣に佇んでいた黒髪褐色肌の少女――真名へ話しかけた。

「どうやら、抜き差しならぬ状況らしいでござるな」
「ああ、相手も腕利きのプロといった感じらしいし――」

 言葉を返しながら、真名が携帯電話を取り出して操作する。

「――こういう時のために、ネギ先生と行動を共にしているはずのジロー先生と連絡がつかないようだしね」

 無機質な電子音を繰り返し鳴らす携帯電話を切り、軽くため息をついた真名に、楓が重々しく頷いた。

「嫌な予感がするでござるな」
「どした、楓も真名も空気重いアルよ!」
「お前と違って、色々と考えないと駄目な問題があるんだよ」
「ヌヌッ、酷いこと言うアルなー」

 一人、明るさを振りまいているクーフェイに内心、苦笑しながら毒を吐く真名。

「お、お待たせしたです! こっちです、急いでください!!」
「うむ、わかったでござるよ」

 パタパタと駆けて戻って来た夕映に促され、三人が話を切り上げて歩き出す。
 佳境に入ろうかとしている、天ヶ崎千草による呪術協会の転覆計画に参加すべく、四人の少女が駅のホームを飛び出して、関西呪術協会総本山に向かって駆け出した――――







後書き?)戦闘ですが、あれぐらいは大丈夫なのでしょうか? 書いていて、何というか楽しくて仕方がなかったコモレビです。
 剣術はああした小手先のものがあってこそじゃなかろうか、と思ったり思わなかったり。
 地味にですが、名前付きの妖怪達の実力が底上げされていたり。撲殺された烏吉だって、剣術限定ならジロを凌駕していましたし。結果はまあ、残念なことで終わりましたが。
 正直なところを話すと、もう少し色々やるつもりだったけど削りましたと残して。
 感想・指摘・アドバイスがあるからこそ、話を書き続けられるようなもの。
 拙い話ですが、読んで少しでも面白いと思う箇所がありましたら、感想をお願い致します。

〈続く〉

〈書棚へ戻る〉

〈感想記帳はこちらへ〉

inserted by FC2 system