「お茶はゆっくり飲みましょう?」


 その日、シャークティ・カテナ・エクレシアは朝からずっと悩んでいた。
 頭の中で伝えるべきか、伝えぬべきかの堂々巡り。職場である聖ウルスラ女子高等学校への出勤の道すがら、幾度となく自問自答を繰り返したのだが結局、答えは出ず。

「皆、忙しい中、集まってもらって申し訳ない。毎年のことで慣れてる者もおるじゃろが……今年から新しく警備に加わる者もおるでな。ま、改めて予習復習を行うということで一つ頼む」

 教会の礼拝堂と同程度の広さがある会議室。規則正しく並ぶ長机の前に用意されたパイプ椅子に腰を下ろす面々に視線を巡らして、近右衛門が軽い口調で話している。

「それでは、本日は間近に迫った学園都市の配電システムメンテナンスと、それに伴って起きる停電中の警備配置についての話し合いを始めたいと思います」

 近右衛門の横に立っていた栗毛色のロングヘアーに、眼鏡を掛けたスーツ姿の女性――葛葉刀子が、手に持った書類のページをめくって会議の開始を宣言した。
 その言葉を切っ掛けに、会議室に紙をめくる音が連続して響く。シャークティも皆と同じように配布された書類をめくりながら、それとなく会議室に視線を巡らせた。
 ガンドルフィーニや神多羅木、瀬流彦、弐集院といった魔法先生陣に混じって、聖ウルスラ女子高等部や麻帆良学園女子中等部の制服を着た少女達の姿が見える。また、比率からするとやや少なくはあるが、麻帆良の男子校に通う生徒達も発見できた。
 その中から、自分が指導を受け持つ二人の少女の姿を確認し、流石にさぼりはしなかったかと小さく安堵してから、再び会議室を見渡す。
 程無くして、目的の人物を発見した。
 部屋の後方に座る自分から見て、斜め前方。会議室の中央付近の席に座り、資料片手にくるりくるりとボールペンを回している黒髪の青年――八房ジローの姿がそこにあった。
 茫洋とした表情。それなりに重要な会議に緊張した様子もなく、ゆっくりと資料の文面を目で追う姿は、縁側でまどろむ老犬を思わせる。
 もう少し真面目な態度で、と思う反面、仕様のない子だと苦々しくも微笑ましくある。『子』といっても、シャークティとジローの年齢は二つほどしか離れていないのだが。
 矛盾する己の胸中にどうしたものかと呆れながら、目下の急務とも言える悩みについて思考する。
 桜通りの吸血鬼。その正体と疑わしき人物の名を、ジローに伝えるべきか否か。
 普段の彼女なら、会議の途中に考え事に没頭などしない。職務や義務といったものに真面目に、全身全霊であたれと少女達に指導しているのだ、言い聞かせる側が無責任であっていいはずがない。
 それでも。恙無く刀子や近右衛門の話が進む中、シャークティが自身の教えと戒めを曲げて悩みに没頭しているのは何故か。
 脳裏を過ぎるのは、この会議とは別の時間、場所で行った話し合い。
 桜通りの吸血鬼の噂が生まれてすぐに行われた、ネギやジローを除く魔法先生達による近右衛門への問い詰め。いや、あれはもう尋問を跳び越えて拷問の域にあったか。
 麻帆良学園の中でも腕利きの魔法先生――ガンドルフィーニを筆頭に、瀬流彦や神多羅木、刀子、弐集院、明石、小野田、そしてシャークティを合わせた八名が一同に介し、近右衛門を取り囲んでいたのだ。いかに学園最強の魔法使いといえど、この包囲陣を無事に切り抜けるなど不可能に違いなかった。
 他の魔法先生と目的は違えど、同行していた高畑が部屋の入り口から動けず、恐ろしいものを眺めるようにしていたのが良い証拠。

 ――桜通りの吸血鬼の正体はエヴァンジェリンではないのか?
 ――生徒に危険が及ぶ以上、エヴァンジェリンの身柄を拘束すべきではないのか?
 ――彼女が吸血で力を蓄えようとしているのは、サウザンドマスターの息子であるネギに危害を加えるためではないのか?
 ――何故、エヴァンジェリンが『闇の福音』とまで呼ばれた真祖の吸血鬼であることを、ネギだけでなくジローにも伝えないのか?

 焦燥、不満、不安、心配。次々に投げつけられる意見に耳を傾け、一時思案に暮れた近右衛門が開いた口からは、

『今回の一件、我々の直接的な介入は一切禁止する』

 耳を疑う命令しか出てこなかった。
 何故。どうして。
 思わず詰め寄ったガンドルフィーニに、近右衛門が幾つかの理由を述べた。
 まだ、桜通りの吸血鬼の正体がエヴァンジェリンであると決まったわけではない事。
 襲われた生徒達の被害がせいぜい献血程度の量で、桜通りの吸血鬼の噂も夜間、外出を控えるべきといった教訓めいた内容で済んでいる事。
 エヴァンジェリンの正体をネギやジローに伝えないのは、力を封じられている彼女の存在を魔法生徒などから極力、伏せておきたいという事。

『エヴァンジェリンを普通の少女として学校に通わせたい。それがナギの儂に残した願いじゃった』

 罠に嵌め、『登校地獄』という人を馬鹿にした呪いを刻みつけた状態で「普通の少女として」も糞もあったものではないが、故人との約束は約束。可能な限り、エヴァンジェリンを信じたい。また、信じてあげてほしい。
 そう言って、麻帆良学園と関東魔法協会の最高責任者を兼任する人物に頭まで下げられると、魔法先生達もそれ以上、追求の手を伸ばせない。
 結局、話があると近右衛門に呼び止められて部屋に残った高畑を残し、渋々と、本当に渋々と学園長室を後にした魔法先生一同にできたのは、理不尽だ、納得できないとため息を溢すことだけだった。
 だが、それでいいのだろうか。他の魔法先生達を呼びとめ、尋ねたシャークティに返ってきた回答を思い出す。

『学園長の言い分に納得はできないが。ああ言われた以上、納得するしかあるまい』
『ジローも馬鹿じゃないし、ある程度噂が大きくなれば気付いて調べるなりするだろ。どうしても心配になったら、その時は思い切って話してしまえばいい』
『ジロー君なら、悪いようにはしないはずですしね……その、良くするとも言い難いんですけど……』

 いずれもしかめっ面で答えたガンドルフィーニ、神多羅木、瀬流彦の言葉。
 教師として麻帆良学園に来てから今まで、何らかの形で大きな騒動の原因となっている子供先生――中等部の生徒に突如として追いかけ回されたり、高等部のドッヂ部に勝負の景品として賭けられたり、図書館島で生徒と一緒に行方不明になったり、だ――のサポート、というより体のいい尻ぬぐいか。
 時に騒動の呼び水となり、時に騒動を拡大させるネギとは逆に、魔法先生達の中でジローに対する信頼はそれなりに高くなっていた。
 もっとも、その信頼を構成する感情の六割、七割方が苦労し続ける後輩魔法先生への同情から来ている点は、悲しむべきなのだろうが。
 密かに、瀬流彦の「良くするとも言い難いんですけど……」という呟きに疑問を覚えながら、その場にいた魔法先生達に提案した瞬間を思い出して赤面する。

『それでしたら……桜通りの吸血鬼に関する話は、私からジロー君に伝えるということで構わないでしょうか』
『――――え?』

 廃教会での一件以来、何かと仕事を共にこなす事が多く。また、美空を通じてココネと親しくなり、教会で顔をあわせる機会も増えてきたのだから、自分が適任だろう。
 他意は、なかった。半ば無意識にその結論に至っての言葉。特に何かを意識したわけでなく、純粋に魔法先生の中で自分が一番、ジローと話しやすいだろうと考えての言葉だったのだが。
 あの時の、鳩が豆鉄砲を喰らったような一同の表情を思い出して憂鬱な気分になる。
 自分が、幼少時のトラウマに等しい思い出のせいで少しばかり男性恐怖症だったりした自分が、進んでジローに重要な話をする役に名乗りを上げたことがそんなに意外だったのか。
 恐らく、ガンドルフィーニ達が驚いたのはそこではないのだろうと知りながら、シャークティは胸中に湧きあがった憤りを吐きだすようにため息をついた。

(任されたはいいのですが、どう話したものかと悩み続けて結局、話さずじまいでここまで来てしまいました……)

 近右衛門の、可能な限りエヴァンジェリンの正体を伏せて、一般人の生徒として扱ってあげたいという考えに共感して言えなかったのではなく。
 ただ、どうしてか。ココネに、とお菓子を持って教会へ顔を出したジローに、いざ話そうとすると言葉が詰まるのだ。
 エヴァンジェリンの正体を密告することに、少しばかりの後ろめたさを感じるのも事実。また、告げ口という修道女らしからぬ行為に躊躇いを覚えていることも事実。
 だが、シャークティが思い留まった一番の躊躇は。
 折角、尋ねてきてくれた青年が、ココネや美空と楽しげに――普段通りの茫洋とした表情ながら、シャークティには楽しげだと感じたのだ――しているところに水を差すのは如何なものか。この事であった。
 『事故』の一言で片付けるには理不尽すぎる目に遭い、考えもしなかっただろう生活を強いられて苦労しているジローに、余計な心労を与えるのは憚られた。特にそれが、彼を現在の状況に叩き込んだネギ・スプリングフィールドに関係する問題だけに尚更。

「――――というわけで、以上が当日の担当地区の割り振りになります。学園長」
「うむ、儂から言っておくことは特にない。当日のパートナーとは、各々よく話し合って協力するようにの」
「む……か、考え込んでしまいましたか」

 気付くと、刀子や近右衛門が会議の終了を告げていた。
 次々に席を立っていく周りの人間に急かされながら、配布された資料に記載されている大停電当日の警備担当地区や人員の組合わせに目を通していく。
 自分の担当地区が前年までと変わりないことに旨を撫で下ろし、次いで当日のパートナーを確認しながらシャークティは決心した。

(こんな調子ではいけません……。申し訳ないとは思うのですが、エヴァンジェリンの正体をジロー君に話しましょう)

 職務に大きな支障をきたしてしまう前に、この問題を解決した方がいいはずだ。ジローやネギだけでなく、自分の為にとっても。忙しなく書類を捲りながら、シャークティは己を納得させるように頷いた。
 即断即決。決心したのなら、すぐに動かなくては。
 席を立ち、書類と筆記用具を一つに纏めながら会議室を見渡す。幸いにもジローは席を立っておらず、落ち着いた様子で配られた資料に目を通していた。
 視界の端で、ココネを連れた美空が他の魔法生徒達から逃げるように会議室を出ていくのを捉えたが、あえて見逃しておく。それよりも今は、エヴァンジェリンに関する情報をジローに伝えたい。
 できるだけ自然に見える足取りで、ゆっくりとシャークティが近づいて声を掛けようとした時、彼女より先にジローに声を掛ける人物が現れた。
 あれは確か。ジローの傍に寄って話しかけた、麻帆良女子中等部の制服に身を包み、肩に身の丈ほどもある細長い刀袋を掛けた少女の姿にシャークティは見覚えがあった。

「あ、あの、ジロー先生……少し、よろしいでしょうか」
「あ?」

 桜咲刹那。同僚である葛葉刀子が、同郷の誼で剣術を指導している少女。
 京都神鳴流であったか。両者が共に修めている流儀の名を呟く。
 従来の剣技ではなく、体と刀身に纏わせた気で敵の悉くを打ち滅ぼす退魔の技を伝える流派。海外諸国で考えられる荒唐無稽な『サムライ』、『ブドウ』、『サムライソード』を体現できる人間の集まり。

(そういえば、彼女も美空と同じクラスに所属していましたね)

 美空や刹那だけでなく、エヴァンジェリンや彼女の従者である茶々丸、その開発者である少女達他も揃っていたか。魔法関係者や問題人物が不自然に集まっているクラスの存在を思い出し、シャークティは眉間に指を当てた。
 ネギが担任を務めている。ついでに、ジローが副担任を任されている問題クラスの住人が一体、何を話そうとしているのか。その場で足を止めて見つめる中、刹那が口を動かし、ジローが相槌の頷きを返していく。

「それではジロー先生、当日はよろしくお願いしますっ!」
「あー、はいはい、任された任された。大変だろうけど頑張ってくだされや」
「は、はい、では……」

 どうやら、刹那がジローに何か頼み事をしたらしい。瞼を下げながら手を振り、御座なりに引き受けたと返事するジローに、刹那が深々と頭を下げていた。
 さすがに内容を探ろうとは思わなかったが、それでも気にはなる。話が終わり、その場を離れた刹那の背中を目で追ってしまうシャークティに、いつの間にか席を立って近付いたジローが声を掛ける。

「どうかしましたか、シャークティ先生?」
「ヒャウッ!?」
「うわっ!? えっ……え?」

 自分で考えるよりも刹那へ意識が向いていたのだろう。奇妙な悲鳴を上げた修道女と同じように悲鳴を上げ、慌てふためきながらジローが周りを見渡す。
 会議室を出ようと近くを通っていく魔法先生や生徒の、何事かと問いたげな視線を愛想笑いで誤魔化して、深呼吸で息を整えたジローが再度、声を掛ける。今度はさっきよりも慎重に、恐る恐ると。

「あー、お、驚かせましたか? すみません。さっきからこっち見てたんで、用事でもあるのかなー、って思って声かけたんですけど……」
「す、すみません! コホン……今日は少し、そう、今日はほんの少しだけ、考え事のせいでぼんやりしていて。その、恥ずかしいところを見せてしまいましたね」
「んっ、んん。そんなことは。誰だってぼんやりする日はありますし」

 咳払いして取り繕い、初めて会った時の凛然とした表情で照れを隠しながらシャークティが返す。
 僅かだが朱に染まった頬を恥じるように、俯き加減で謝罪の言葉を述べるシャークティに妙な気恥かしさを覚えながら、ジローは話しかけるのではなかったと胸中で後悔する。
 どこからか飛んでくる生暖かい視線に無視を決め、上擦りそうな声を抑えて用件を尋ねる。

「それで、えーっと……用事、あるんですか?」
「え、ええ。考え事というのも、それに関わっていて……」

 言い淀みながら忙しなく視線を泳がせるシャークティの様子に、生暖かい視線がさらに圧力を増すのを感じながら先を促す。

「あの、それでジロー君にお話ししたいことがあるのですが。ここでは、ちょっと……」
「……そう言われると、無性に聞きたくなくなるんですけど」
「いえ、これは聞いてもらいたい大事な話なんです。ですが、この場で話すには色々と不都合のある内容で」
「あー、左様で」

 こめかみを指で叩きつつ、敬遠するように言ったジローの反応にシャークティの切れ長な瞳が細まった。先までのまごつく姿から一転、怜悧という単語が似つかわしい真剣な面持ちで告げたシャークティに、ジローは苦笑混じりに小さなため息をつく。
 分かっていた事ではあるが。どうにも彼女は、仕事が関わると押しが強くなるらしい。
 周囲から送られていると感じた視線が、動く気がないらしい少数を除いて離れていくのを感じながらジローは提案した。

「ここじゃ難しい話、なんですよね。あー……それじゃ場所、変えましょうか」
「――――ハ、ハイ」

 言ってから、微妙に戻ってきた周囲の視線に後悔するが、それは手遅れというもの。
 らしくない台詞を言ってしまったと、むず痒さに耐えるように目を逸らしたジローの反応が逆に、凛とした表情の下に押し込めていたシャークティの気恥かしさを蘇らせる。
 今頃になって、自分達が周囲の魔法関係者達の注目を浴びていたことにも気付き、ジローのつま先へ視線を向けるように頷いたシャークティの頬は、彼に声を掛けた時よりも紅潮しているようだった。




「久しぶりだねえ。この前、来たとき以来じゃないか」

 やけに嬉しそうに声を弾ませ、熊子が盆に乗せた湯呑みをテーブルへ置いた。

「す、すみません。いずれ、日を改めて挨拶に伺うつもりだったのですが……」
「ああ、責めてるわけじゃないんだよ? こうして顔出すだけでも、きっと意味があるって私は思ってるからさ。ねえ、ジロちゃん?」

 恐縮した様子で頭を下げ、シャークティは目の前に置かれた湯呑みに手を伸ばした。そんな彼女に笑いかけ、熊子が意味ありげにジローに目配せする。

「はあ、そうですね……」

 奇妙な熊子の様子を訝しく思いながらも、場を持たせる意味合いも兼ねてジローが頷く。満足そうに頷きを返した熊子は、盆に乗せていた急須と茶請けの饅頭をテーブルに移して腰を上げた。

「それじゃ、私は下に戻るからね。お茶のお代わりが欲しいなら呼んどくれ。すぐ、持っていくから」
「お、お気遣いなく。話が終わったら、すぐにお暇するつもりなので。その、教会の方でココネ達を待たせていますから」
「おや、そりゃ残念だ。あの子達も連れてくればよかったのに」
「今日は……仕事の話をしに来たので」
「――――そうかい」

 申し訳なさそうに答えるシャークティに一瞬、残念そうな表情を浮かべるが、すぐに苦笑へ変えて熊子が部屋を後にする。
 場所を変えるために会議室を出た後、二人が話し合いの場に選んだのは南楓荘のジローの部屋であった。まさか、人に聞かれると困る話を無差別に生徒らの目に触れる校内で行う訳にもいかず、かといって、大っぴらにそうした話をできる喫茶店なども知らず。
 できるなら、美空やココネに知られることがないように。シャークティたっての希望にも答えるため、最終的にジローが選んだのは南楓荘の自室。
 熊子以外の住人はこの時間、ほとんどが出払っている。それ故、認識阻害の結界などを使用する必要もなく、また個人の部屋ということで人の目に触れず、腰を据えて話をできる。それが、ジローが南楓荘を選んだ理由であり、シャークティが同意して頷いた理由でもあった。

「…………」
「………………」

 しかし、熊子が出ていったというのに、二人はずっと黙したまま喋ろうとしない。時々、用意された茶を静かに啜るか、茶請けの菓子に手を伸ばすだけである。
 チラチラとシャークティが視線を飛ばしてくるのを感じ、手にした湯呑みをテーブルに戻してジローが立ち上がった。そのまま足音も立てず部屋の入り口へ向かい、一気に扉を開け放つ。

「――――ありゃ」

 空の湯呑みの底を耳に当て、扉の前に座っていた熊子が、気まずさを誤魔化すようにおどけた声を漏らす。半分ほど瞼を下ろした胡乱な眼差しで大家を見下ろしながら、ジローがわざとらしく尋ねた。

「なんで扉の前で待機してんですか、お熊さん?」
「あ、あはは……いやぁ、茶菓子のお代りは何がいいか聞くのを忘れちまってねえ。でも、話の邪魔になったらいけないってんで、部屋に入るタイミングを窺ってたんだよ」
「間に合ってます」

 ぱたぱたと井戸端会議中のおばさんみたく手を振って、「ああ、忙しい忙しい」とこれ見よがしに呟きながら階段を下りていく熊子をジト目で見送り、彼女の気配が完全に自室に消えたのを確認して扉を閉める。

「失礼しました。御覧になった通り、余所様の事情だ何だに興味津々な人でして。しかも、それを隠しているつもりなのが、また性質の悪い」
「フフ、みたいですね」

 悪態をつきながら苦笑いで済ましているジローと同じ表情で、シャークティも口元に指を当てて笑っていた。
 二人の苦笑がほのかに匂う茶の香気と混ざり、和やかな空気を生む。
 肩の力を抜いて談笑に興じたくなる。そんな雰囲気が部屋に満ちるのを感じながら、だがシャークティは目を瞑り、小さく首を振ることでその気持ちを否定した。
 なにも、今日この場だけが和やかに話せる機会ではないのだ。こうして茶を前に、取り留めない会話を交わす日などすぐに訪れよう。
 胸中に、次は教会にジローを招き、ココネや美空を交えての茶会の光景を描きながら、シャークティは真っ直ぐに前を見た。
 シャークティの視線に気付いたのだろう。常の茫洋とした表情で茶を飲んでいたジローが、彼女の澄んだ紫色の瞳を見返す。

「今日、聞いてもらいたいと言った大事な話というのは……私が、いえ、私達がジロー君や……ネギ先生に隠している、ある重要な秘密についてです」

 小さく深呼吸して、重々しい口調でシャークティが切り出した。
 ジローは何も言わず、ただじっと彼女に視線を返している。普段、どこか眠たげで愛嬌があると思うようになったジローの眼差しが、腹の底を探るように細く、冷たくなったと感じられるのは気のせいだろうか。
 分かっていたことではあるが、居心地の悪さは如何ともしがたい。
 エヴァンジェリンが真祖の吸血鬼であり、また六百万ドルの賞金首であった事、そして近頃耳にする『桜通りの吸血鬼』の正体は彼女であるというのが、魔法先生一同の見解である事。
 自分の知る限りのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに関する情報を、詩でも朗読すれば聞く者を魅了するだろう澄んだ声で語り終え、シャークティは小さく息を吐いた。

「――――これが、私達があなたや……ネギ先生に伏せていた情報です」
「ほほう、なるほど」

 話終えてから申し訳なさそうに俯き、緊張から来る喉の乾きを茶で誤魔化す。
 沈黙が、痛かった。話を聞いていなかったのか、それとも聞いた上で無視しているのか。口を噤んだまま、時々思い出したように湯呑みに口を付けているジローの反応が、ひたすら不安を煽る。
 どうして、そんな重要なことを教えてくれなかったのかという怒りや罵り、誹りを受けるなら、まだ弁解のしようもあるのだが。悪戯がばれた時、美空がああでもないこうでもないと自己弁護に走るのは、この居心地の悪さが原因なのだろうと密かに考える。

「あ、お茶のお代わりいかがです?」
「……い、いただきます」

 シャークティは、エクレシア家という魔法世界における名家の出身である。次女ということもあり、比較的自由ではあったが厳しく育てられた。名家に相応しい、品行方正な淑女となるべくだ。
 そんな彼女が魔法神学校――メルディアナのような魔法学校と、神学の教育機関が一緒になったような教育施設――に進学し、修道女として麻帆良に赴任したのには様々な経緯があったのだが、今それを思い出すことはないと胸中でシャークティはかぶりを振る。
 つまるところ、美空と違って人に叱られるような状況が少なく、こういった状況で自分が何をして、どんな言葉を口にすればいいのか、とんと分からないという事だ。
 流されるまま、急須を手にしたジローの勧めに頷いて湯呑みを近付ける。ぬるくなった茶を口にしつつ、怒っていないのだろうかと疑問を抱きながら。

「あの、ジロー君?」

 静かに茶を飲み続ける空間に耐えかね、恐る恐る声を掛けたシャークティにちらりと目を向けてすぐ、ジローが天井の辺りへ視線を彷徨わせた。
 内心、ジローも困っていたのだ。大事な話があると、妙に緊張した様子で告げられた内容が、既に聞き及んでいる事であったからだ。しかも、事態をややこしくせぬ為にという自己弁護の名の下、エヴァンジェリンに襲われたというネギの報告を握り潰している。
 まさか、生真面目で性格的に潔癖なところのあるシャークティに、実は全部知っていました。ついでに、情報を隠蔽していましたとは言えまい。
 すっかり冷めてしまった茶を、どうしたものかと細めた糸目で啜る。胸中の悩みを包み隠した自然な動き故、シャークティはまだ疑念を抱いていないようだが、このまま知らぬ顔を通すのは難しかろう。
 ネギがとうにエヴァンジェリンと事を構えていることもあったが、何より。
 どうにも無理だ。声に出しこそしなかったが、人並の罪悪感に頭を抱えたくなる。今回の騒動が一先ずの終幕を迎えるまで、シャークティを騙したままにするので余計に。
 澄まし顔で茶を飲んでいるつもりで、チラチラと話を聞きたげな眼差しを向けてくるシャークティに、自然口元を緩めて告げる。

「エヴァンジェリンの事、ネギには俺から話しておきますね。教えてくれてありがとうございました、シャークティ先生」
「い、いえ、そんな感謝されるようなことでは……」
「学園長辺りは、詳細がはっきりするまで口外しないように、とか言ってたみたいなのに。状況をややこしくしないよう配慮して、こっちへ先に事情を話してくれたり……魔法先生の方々にもお礼、言わないと駄目ですね」
「で、ですから!」

 考えもしなかったジローからの感謝の言葉を、受け取れないと声まで荒げかけるシャークティに、今度は先ほどよりも笑みを強めて繰り返す。ありがとうございます、と。
 ある意味で有無を言わせぬ、感謝の押し売りにも感じられるジローの笑みに、とうとうシャークティが折れた。
 こめかみに指を添え、頭痛を堪えるような表情で嘆息まじりにぼやく。

「――――もう、いいです」
「そうそう、細かいことは気にしないで。どういう意図や目的があろうと、こっちが勝手に感謝しているんです。そっちが気に病む必要なんて、欠片もありませんから」
「ハア……笑顔でそんなことを言われても困ります」

 依然、緩い表情で湯呑みを傾けているジローに釣られたのか、口調の割に投げ遣りな言葉に首を傾げながらだが、シャークティも微笑みを浮かべていた。

「お茶が切れたみたいなんで、ちょっと下に行ってきます。まあ、用事がないならですけど、ゆっくりしていってください」
「お構いなく、と言うべきかもしれませんが。……でしたら、もう少しだけ」

 傾けても茶を出さなくなった急須を振り、空であることを伝えてジローが腰を上げる。
 普段は教会でココネや美空と掃除を行ったり、指導をしている時間。エヴァンジェリンについての話が終わった時点で、部屋を辞するつもりだったのだが。
 茶の少なくなった湯呑みを僅かに持ち上げ、シャークティは急須片手に部屋を出ていくジローを見送った。

「――――たまには、いいでしょう」

 今頃、自分が顔を出さないことを訝しみながら、好きにしているであろう美空の姿を思い浮かべつつ、湯呑みへ口を付ける。不真面目な従者に、真逆の性格をしているココネは苦労しているかもしれない。
 ケーキやアイスといった菓子の一つでも買って帰るべきか。
 和やかでまったりした時間。緩やかな川の流れに似た時に、もう少しだけ身を任せようと決めながら、シャークティはそんな事を考えていた。





後書き?) なんだ、今回も短いじゃないか。ネギその他の主要メンバーが出ずに終わった十二話。のんびり、穏やかな話を目指したのですが、まだまだな印象。作中の時間も結構、飛び飛びですし、本当にまだまだまだと。
 シャークティ他、魔法先生ズの妄想プロフィールなり設定は、なんやかやと纏めていますが……そのうち、作中で出せるはずなので投げっぱ投げっぱ。べ、別にキャラ設定貼り付けるのが面倒なんて、思っていないんだから――――うん、疲れてますね頭が。
 次の話では、ちゃんとネギ達も出る予定。女子寮の話と忍者と修業の話を合わせて割って薄めた感じになる……のかもしれません。
 執筆の原動力となる感想指摘、切に待ち望んでおります。

〈続く〉

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