「お茶より談合?」


 壁に設けられた大きな窓から光が差し込む。
 いかにも春といった陽射しに、心なしか部屋の空気も暖かく、そして柔らかいと感じる。

「いい陽気じゃ。ここ最近は過ごしやすくなってありがたいの」

 豪奢な内装で整えられた学園長室。その中央に備え付けられた来客用のテーブルを挟んで近右衛門と、長い金髪に青い瞳を持った少女が向かい合って座っていた。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。六百年の長き時を経た真祖の吸血鬼として魔法世界、現実世界の双方で名を轟かせた六百万ドルの賞金首。腕利きの賞金稼ぎの悉くを葬り、あるいは退けてきた悪の魔法使いである。
 傲岸不遜を絵に描いたような態度と口調で近右衛門の言葉を切り捨て、細めて険を増した瞳を向けた。

「フン、急に呼び出したと思ったらくだらん茶飲み話か。ついに痴呆でも極まったか?」
「ほっ、そんなに怖い顔をするでない。ちょっとした会話のキャッチボールぐらいしてくれんと、話を続けにくいんじゃが」

 麻帆良学園に在籍する魔法使いが聞けば、その無礼さに目を剥いただろうエヴァンジェリンの言葉を飄々と流して、近右衛門は目の前に置いた湯飲みを手に取った。
 エヴァンジェリンの前にも来客用の湯飲みがあり、淡い青が薄っすらと湯気を上げている。が、彼女がそれに手を伸ばすことはない。

「飲まんのか? それなりにいい茶っ葉を使っておるぞ」
「いらん。いい加減、話したらどうなんだ? あいにくと、私は爺の無駄話に付き合ってやるほど暇じゃないんだよ」

 麻帆良学園都市の最高責任者が手ずから淹れた茶を一瞥し、鼻で笑うエヴァンジェリンの顔には、早くこの場を去りたいという気持ちが浮き出ていた。
 相変わらずせっかち、というより堪え性がない。長く伸びた眉の下、近右衛門の目が微かに笑む。彼女の麻帆良学園に在籍することになってから変わらない態度が、どこか懐こうとしない猫を連想させたせいだ。
 柔らかい手付きで長く伸びた顎髭を弄り、おもむろに話を切り出す。

「春になったせいか、ここのところ不審者の噂が絶えなくてな。桜通りの吸血鬼、じゃったか……何か知らんかの?」
「知らんな。一応、昨日も学園の警備はしてやっていたが、そんな不審人物なんて目にしなかったよ」

 世間話の調子で尋ねた近右衛門から顔を背け、足を組み直したエヴァンジェリンが答えた。
 腕を組んだ不遜な態度で、これ以上くだらない話に付き合う気はないとアピールした彼女が、だがそういえばと付け加える。

「これは私の勘違いかもしれんがな。昨日の晩、お前達が目にかけている例の少年……『奴の息子』が、生徒に抱きついてぴーぴー泣いてた気がするな」

 笑いを堪えているのか僅かに顎を引いて、近右衛門を下から見上げるようにしてエヴァンジェリンは唇の片側を歪めた。
 自分の話にどう反応するのか。楽しげに試している顔でいるエヴァンジェリンに対し、近右衛門はただ一言、ふむと漏らして顎鬚を撫でるのみだった。
 長考。湯飲みから細く伸びあがる湯気に目を落とし、もう一度ふむと漏らした。

「それは困ったのう。先生なんじゃから、生徒の前ではシャンとしておいてもらわんと」
「フン、十にも届かない餓鬼をごり押しで教師にした奴がどの口で。そうでなくてもあれは駄目だろう、何も見えていない。自分の立場も、やるべきことも……自分の父親のことも」

 ただ憧れや夢だけで突っ走るのは、若さではなく世間知らずと言うんだよ。低く、憎々しげな舌打ちが学園長室に響く。
 辛辣なエヴァンジェリンの言葉に曖昧に頷き、ソファーに背を預けて近右衛門が言葉を返す。

「確かにネギ君は物知らずじゃの。メルディアナを首席で卒業した程度では、ハッキリ言って何の役にも立たん。ネギ君には悪いが、今の彼と……そうじゃの、シャークティ君は知っておるな? 彼女が世話しとるココネ君を比べれば、彼女の方が魔法使いとしてだけでなく、人間としても出来は上になるじゃろうて」
「ホウ、爺にしてはなかなか辛口じゃないか。てっきり耄碌して、あのぼーやを全肯定してると思っていたぞ」
「目は掛けておるが、そこまで呆けてはおらんよ。良いところは褒めるし、悪いところは本人に言うかどうかは別に、ちゃんと評価に加えるて」

 矍鑠とした笑い声を上げる近右衛門から目を逸らし、紅い絨毯の敷かれた床を睨んでエヴァンジェリンが再び舌打ちする。
 伊達に魔法使いとして歳を重ね、関東魔法協会の理事長を務めているわけではない。
 いかにも御利益のありそうな容姿の裏側で、計算と打算も忘れていない近右衛門に、これだから人間はと独りごつ。
 目の前で悪態をつかれながら、悠然と髭をしごくように撫でる老人の姿はそれだけで、重ねてきた人生の深みを感じさせる。
糠に釘な様子に呆れを隠しもしないエヴァンジェリンに、近右衛門がゆっくりと自身で噛みしめるように言葉を投げかけた。

「のう、エヴァンジェリンや……魔法使いなどという因果なものをやっておると、ついつい忘れてしまいそうになるのじゃが。儂らが表向きでやっておる先生や生徒というのは、ただのカモフラージュと考えてはならんのだ」

 眠る様に瞑った近右衛門の瞼の裏に、麻帆良学園学園長として過ごした日々の光景が映る。
 裏と表。魔法のあるなしで世界を区別する事に疑問を抱きながら、自分達は魔法使いであるという言葉で世界を勝手に隔て、何かを取りこぼす後悔の日々でもあった。
 世界に隔たりなどないというのに、掟や決まりには疑念を持つことなく過ごした盲目の日々であった。

「お主も忘れておらんか? ここでの生活も、須らく大切にすべきであることを」
「フ、ン……思い出したように説得か? ぼーやに何の注意も与えない人間の口にする内容じゃあないな」

 犬の尾のように長く伸びた眉の下から、意外なほど純粋な瞳が覗くのを見て、エヴァンジェリンが鼻を鳴らす。
 偉そうなことを言うなら、魔法使い見習いの少年の行動や思考、思想を何らかの形で締めてはどうだ。暗に非難するエヴァンジェリンから、理事長室の窓へ目を向けた近右衛門の顔には確かな憂いの色があった。

「……ここでの生活は全て、ネギ君の魔法使いとしての資質を問うものじゃ。だからこそ儂は、ネギ君にあれをせいこれをせいと指示する気はない」
「ハッ、偉大な英雄を父親に持っているんだ。えこ贔屓の一つや二つ、抗議されるどころかむしろ推奨されるだろうさ」
「かもしれんの。学園の魔法先生や魔法生徒はもとより、儂も彼が一人前の人間になってくれたら嬉しい……その程度には期待しておるのじゃから」

 所詮は親の七光。現実問題、ネギ・スプリングフィールド当人がどうこうではなく、少年の父親――ナギ・スプリングフィールドの息子としてのみ見られていると指摘するエヴァンジェリンに、静かに苦笑して近右衛門が肯定を返す。
 しかし、継いだ言葉はそれまでの楽しげな感情が欠片も含まれない、重くのしかかるものだった。

「魔法使いというのは難儀な生き物じゃ……。償いようのない『罪』を背負って初めて、ようやっとまともな人間になれるのだから」
「罪、だと? その口振りからすると、ぼーやが何かやらかしているみたいじゃないか」

 訝しげに眉根を寄せたエヴァンジェリンに構わず、近右衛門は演技臭い笑い声を上げて髭をしごく。

「さてさて。どうなるのかのう、これから」

 そう呟いた近右衛門の脳裏に、希望で満ちた笑顔の少年とその傍で、やる気ない顔で面倒臭そうに立つ青年の姿が浮かび上がる。
 楽しみでもあり、怖くもある。不謹慎ながら、そう思う。
 二人とも、個人的に将来どうなるのか楽しみにしている人物であり、同時にどのような形で転んでしまうのか心配している人物でもあるから。

「まあ、ここで儂が頭を悩ませたところで意味はないんじゃが」

 こりこりと指で禿げあがった頭を掻き、懇願するようにエヴァンジェリンへ話しかける。

「のう、エヴァンジェリンや」
「なんだ、爺」
「桜通りの吸血鬼……なんとか自重してくれんもんかのぅ」

 ソファーの背もたれに体を預け、疲れたため息をつきながら聞いた近右衛門に、意地悪く唇を歪めたエヴァンジェリンがようやく、テーブルに置かれた来客用の湯飲みに手を伸ばした。それなりの時間を会話に費やし、喉が渇いたのだ。
 ズズッ、とわざと音を立てて茶を啜る。近右衛門の言葉通りそれなりに良い茶葉を使い、正しく淹れられていることに満足そうに頷いてから、エヴァンジェリンはつっけんどんに答えた。

「知らん。例のぼーやがどう出るか次第だろうな、事が大きくなるかどうかは。せいぜい後始末に奔走するがいい」
「大きくする気まんまんということじゃな……。やれやれ、気が重いわい」

 そろそろ、桜通りの吸血鬼の正体に気付いて申し立てをしてくる魔法先生や魔法生徒もいそうなだけに、近右衛門の頭痛の種はしばらく尽きそうにない。
 ネギに関する騒動の始末が、巡り巡ってジローに行くのが目に見えるだけに申し訳ない。本心かどうかは別として、胸中でどうしたものかと唸りを上げた時だ。

「――――む?」

 ある事を思い出し、近右衛門がはたと顔を上げる。

「そういえば、ふと思い出したんじゃがー……」
「何だ? 急に気色悪い笑みを浮かべおって」

 目の前に座るエヴァンジェリンを見つめる彼の顔に、じわじわと愉快そうな色が湧いてくる。
 怪訝そうに眉宇を寄せたエヴァンジェリンの反応に、近右衛門は気色悪いと言われた笑みを強めた。

「つい先日、桜通りの吸血鬼について新たな情報が得られたんじゃよ。それがまた、なんと言えばいいか失笑ものでなあ」
「…………ほう、聞いてやるから言ってみろ」

 聞かない方がいい気はしたが、このまま無視するのも悔しいと続きを求めた真祖の吸血鬼に、張らなくていい場所にまで意地を張るのも矜持の一つなのか、と苦笑しながら老人は話を続ける。
 エヴァンジェリンにとって嬉しくない内容の話を、好々爺然とした口調で心底楽しみながら。

「うむ、なんでも桜通りの吸血鬼というのは――――ボロボロの黒衣の下にネグリジェと下着だけを纏い、高笑いしながら空を飛ぶ……いわゆる痴女らしい。いやはや、春先に変質者が出るのはよくあることじゃが、それが金髪碧眼の少女と言うのじゃから。まったく、世も末という感じじゃよ」

 言い終え、余裕たっぷりに髭の先を弄る近右衛門とは逆に、エヴァンジェリンはぴくりとも動かず、ただ強張った顔でソファーに座っていた。
 無言。彼女が座ったその場所の空気が死んでしまったように暗く、重たくなっていく。
 だが、近右衛門に話を止める素振りは見えず、嬉々とした様子で一切構うことなく言葉を継いだ。

「この情報は、明日の職員会議ででも皆に話しておこうと考えておるよ。桜通りの吸血鬼改め、桜通りの変態吸血少女とでも改名しての」
「……………………」
「ほ……? どうしたんじゃ、エヴァンジェリンや。そんな人を絞め殺すような視線を、老い先短い老人にぶつけるのは止めてくれんか」

 先ほどまで湛えていた真剣で、長い年月を生きた人間だけが発せられる渋さを綺麗さっぱりに放棄した近右衛門の姿を憎々しげに睨み据え、エヴァンジェリンは湯飲みに残った茶を一息に呷り、そして叫ぶ。

「貴様っ、本当は昨日の騒ぎ最初から全ッ部、覗き見してただろ!?」
「どうした、そんなに血相変えて? 桜通りの吸血鬼が何と呼ばれようが、お主には関係ないんじゃし」
「ところどころ、悪い方向に脚色されて黙ってられるかぁぁぁっ!!」
「フォッーホッホッホッホッホッホッホッ!」

 怒髪天を衝いたとばかりに、テーブルを乗り越えたエヴァンジェリンに胸倉を掴まれながら、近右衛門が発した笑い声は前後に激しく揺すられた状態のためだろう、学園長室全体に木霊するように響いていた。



後書き) たまには短く、読むのに苦労しない長さもいいと思った。故あって一〜九話を一本に編集しながら、ふと考えた。これ、次の話は長くなるフラグではないかと。
 感想・指摘・アドバイス、切にお待ちしております。

〈続く〉

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