「長屋 熊子の遭遇?」


 南楓荘の大家である長屋熊子は六十二歳、数年前に連れ合いに先立たれ、以来財産として残された屋敷を改築した部屋の賃料と、趣味を兼ねた着付けの指導で暮らしていた。
 明け透けなく物を言うところはあるが、人情深く、世話好きで新しく部屋を借りる住人などが来ると、何かにつけて世話を焼いてしまう面倒見のいい婆さんである。容姿は年老いてしまっても元気な座敷童という感じで、春と秋は日当たりのよいベランダに椅子を置き、その上で舟を漕ぐのを趣味としている。
 身どころか、残り少ないと公言して憚らない寿命を削るような寒さも和らぎ、趣味の舟漕ぎもできなくはない程度に暖かくなった三月末のある日のこと。

「ふい〜、天気がいいから洗濯やっといてやるって言ったのに……まったく、若いのが遠慮なんかするもんじゃないよ。おかげで余計に時間がかかっちまったじゃないか」

 ひと月ほど前に入居した青年をせっつき、半ば強引に受け取ってきた洗濯物を干し終え、さて部屋で時代劇『連れ子狼』の再放送でも、と屋敷へ戻ろうとした熊子を呼び止めたのは、西洋建築が主流の麻帆良でも珍しい、修道服を着た銀髪褐色肌の女だった。

「あの、申し訳ありません。ここに八房先生……ジロー君がいると聞いて来たのですが、彼は御在宅でしょうか?」
「んん〜? 何だいあんた、ジロちゃんの知り合いかい」
「ジ、ジロちゃん?」

 訝しげに眉を歪め、じろじろと無遠慮に探りを入れる熊子にたじろぎながら、ジロちゃんこと八房 ジローを訪ねて南楓荘を訪れた修道服の女――シャークティ・カテナ・エクレシアはしどろもどろに会話を続けようと努力する。

「その、学校は違いますが同じ教師として、顔を合わせたら話をするぐらいには……」
「ふんっ、要領を得ないねえ。つまりお互い見知った仲ってことだろう、だったらハッキリ言えばいいんだよ」
「す、すみません」

 あまり接したことのないタイプの人間に気圧されたのか、紫色の瞳を揺らして頭を下げたシャークティを無視して、熊子は彼女の背後で戸惑った顔で佇む少女達を覗き見た。一人は日本人だが、もう一人は外国人らしく、シャークティと同じ褐色の肌に真っ赤な瞳を持っている。
 眠いのか、はたまた不機嫌なのかは分からないが、ジッと据わった眼差しを向けている少女を注視して、熊子は視線をシャークティに戻した。

「あ、あの……?」
「――――――ま、いいだろ。ジロちゃんのとこにお茶を持っていくつもりだったし、二人や三人増えたところで手間じゃない」

 無言で凝視されていることに怖さを覚え、普段は凛として緩むことのない顔に愛想笑いを張り付けたシャークティに鼻を鳴らし、熊子は踵を返してさっさと歩き出す。

「す、すみません、ジロー君は……」
「なにボーっと突っ立ってんだい。小さいお嬢ちゃんもいるんだ、さっさとついて来な」
「ハ、ハイッ! い、行きますよ美空、ココネ」

 不機嫌そうな顔で振り返られ、背後に立つ二人の少女を促したシャークティは背筋を正して、日溜りの中に建つ古い屋敷へ足早に向かう。
 普段ならあり得ない、自分達の指導役である修道女の珍しくあたふたする姿に呆然としながら、修道服に身を包んでいる割に眼差しにやる気が見受けられない、ネギが担任するクラス所属の少女・春日 美空は、隣に立つ少女の手を引きながら笑った。

「いやー、せっかくの休日になーんで面倒なことしなきゃ、って思ってたけど。意外と面白いもん見れたからいいや〜」
「ミソラ、あくしゅみ……」

 おとなしく手を引かれながら、親しくなければ変化を理解できないだろう眠たげな瞳で美空を見つめ、ぼそりと囁くように非難するのは麻帆良学園小等部に通う、ココネ・ファティマ・ローザという名の少女。
 魔法先生であるシャークティに連れられてジローに会いに来たことから察せられる通り、二人とも麻帆良学園の中で、魔法使いとしての指導を受ける魔法生徒の立場にあった。

「固いなー、ココネは。もうちょっと楽しもうよー」
「人の失敗とか困ってるトコ、笑っちゃダメってシスターシャークティが言ってタ」
「へいへ〜い」

 ともにシャークティの元で指導を受ける立場ではあるが、交わした言葉から指導に対する取り組みの姿勢は違うことが窺えたが、当たり前のように手を繋いで歩いている辺り、仲は悪くないと見える。

「それにしても……ジロー先生ってば、こんなとこに住んでるんだ。ちょっとー、本気で何か出そうなんですけど」
「おっきいけど、ちょっと古い」

 二人して立ち止り、南楓荘を見上げて好き放題に言ってしまうのは仕方がなかった。
 午後の陽射しの中だと幾分マシに映るが、よくよく見れば外壁や屋根の至る所に痛みが見られる上に、長年放置されたのだろう蔦が絡まった様子は、屋敷に足を踏み入れた者を逃がさないと主張しているようでもあった。
 絶対に夕方以降、ジローを訪ねることはしない。それが仮に、近右衛門――麻帆良学園の総責任者であり、また関東魔法協会の理事長でもある人間の命令であったとしてもだ。
 魔法使いと口にするのもおこがましい、手品師から毛を抜いた程度の魔法しか使えない少女は胸の中で固く決心し、先に南楓荘に入ったシャークティを追って足を動かそうとして、

「…………」
「おっとっと、どしたのココネ?」

 何故かその場で踏み止まろうとするココネによって、再び立ち止る羽目になった。
 無言で続けられる抵抗へ不思議そうに問いかけた美空に、キュッと口を結んで立ち竦んでいた少女がか細く聞いた。

「……お化けとか、イナイ?」
「もー冗談だって、何か出るとか。だいたい、そーいうのは夜になってから出るのがセオリーだし、この時間なら無問題ッスよー」
「なら怖くないナ」

 おどけた口調で答えて少女を肩車した美空の頭上から、ホッと胸を撫で下ろす声が漏れる。それを耳にした美空は静かに苦笑し、密かに呟いた。

「まあ、ホントにそーいうヤバいのが出ても、こっちにはシスターシャークティがいるし。最悪、呪われたりするのは住んでるジロー先生だけだから、関係ないよね……たぶん」
「ミソラ、はやく行こ」
「了解、マスタ〜」

 ポフポフと頭巾越しに叩いてくる手に促され、ココネ・ファティマ・ローザの『魔法使いの従者』でもある美空は、小さな主人を肩に乗せて南楓荘へと足を進めた。





 のっそりと顔を見せた春の陽気に誘われたのか、窓の外で数羽の野鳥が心地良さげに囀っていた。自室として宛がわれた部屋の中、ジローは格安で購入したパイプベッドの上で、平和そうな一団の合唱に耳を傾けていた。

「楽しいなぁ……月に数える程度しかないフルの休日に、こうやって無駄に寝転がるのは」

 外の陽気を浴び、程よく暖まった部屋の中で動こうともしないジローの格好は、背中を向ける猫のシルエットが刺繍された灰色のジャージである。ワンポイントのつもりだろうか、袖や襟口などに明るい緑のラインが入っている以外、ファッションセンスやデザイン性が皆無の野暮ったい服装は、お洒落や流行の追従に熱を上げる十代から程遠い。
 何かにつけて倍加する書類や始末書を全て終わらせて帰宅したのが、昨夜の一時前。心配して起きていたらしい大家――熊子の小言を聞きながら、出された茶漬けを掻き込んで床に入ってから今まで、洗顔と歯磨き手洗い以外に取った行動といえば、寝返りと欠伸、洗濯物を強奪に来た熊子へのささやかな抵抗ぐらいである。

「ジロちゃん、起きてるかい?」
「……はーい、起きてますよ〜」

 ノックの音とほぼ同時に、しゃがれた熊子の声が聞こえて体を起こした。
 洗濯物はさっき強奪された。となると、今度はお茶でも持って来てくれたのか。ふ、と壁に掛けてある時計を見ると、短針は十時を少し過ぎた辺りにいた。
 パイプベッドを軋ませて起き上がり、気持ち布団を整えてからドアへ向かう。芯に残っているような疲れのせいか、またも大きな欠伸が出た。

「お客さんだよ。ちゃんと片付いてるかい?」
「まあ、ほどほどには。それで、お客さんっていうのは?」
「相変わらず、殺風景な部屋だねえ……。まあいい、ほれ早く入んな」

 事務机に置かれたノートパソコンと乱雑に積まれた数十冊の本以外、生活に最低限必要と言えるものしかない簡素な部屋を見回して、面白くなさそうに熊子が顔を顰める。
 が、とくに散らかっていないことで良しとしたのか、熊子はジローの質問に答えず、さっさと連れてきた客とやらを呼びいれた。

「ど、どうも……失礼しますね、ジロー君」
「やっほー、ジロー先生おはよー」
「おじゃまします」
「あー?」

 ぞろぞろと部屋に入ってきた修道女三人組に、思わず眉を顰めて立ち尽くすジローへ、熊子が手に持っていた盆を持たせてくる。家族用の大きな急須と湯飲みに、黄金色の栗甘露煮が詰まった栗羊羹が二切れ、人数分ある小皿に乗せられていた。

「ほれ、お茶とお菓子だ、遠慮せず食っちまいな」
「あー、わざわざすみません、連れ子狼が始まる時間なのに」
「いいんだよ、今まで録画したの全部、でーぶいでーってのに入れて保存してるからね。そんなことよりもジロちゃん、きちんと今後について話し合うんだよ」
「は、はあ……」

 何やら真剣な顔で忠告し、「は〜、あのジロちゃんがねえ。人は見かけによらないもんだ……」と、ぼやきながら去っていく熊子を見送って首を傾げた後、ジローは部屋の中に並ぶ修道女三人組――シャークティと美空、ココネに声を掛けた。

「とりあえず、立たったままなのはあれですし。どうぞ座ってください」
「え、ええ、それでは失礼します」
「どもども。朝から立ちっぱなしで、いい加減休みたかったんスよ〜」
「アリガト……」

 部屋の中央に置いた木製のテーブルに盆を置き、座るよう勧めてきたジローへ三者三様の声が返ってくる。
 三人が腰を下ろしたのを確認し、ジローも爺臭い掛け声とともに座った。

「どっこいしょっと……。で? 何なんですか、こんな天気のいい休日にそんな格好で訪ねてくるとか」
「いや、休日にわざわざ訪ねてきた女の子をパチモノブランドのジャージ姿で出迎える人に、そんな格好呼ばわりされたくないんスけど?」

 じっとりした美空の視線の先で、跳躍するアメリカライオンのシルエットではなく、背中で何かを語る寡黙な猫のシルエットで有名な、日本のスポーツ関連商品販売会社・ニャジダスのジャージで身を固めたジローが首を傾げる。

「休日にラフな格好して、何故に貶されなきゃいかんのだ? つーか、ニャジダスはパチモノじゃない、れっきとしたオリジナルブランドだ。厳選された生地や通気性の良さは、高くて見た目がいいだけのものと違って――」
「はいはい、オマージュって奴ッスね、分かります分かります」

 ラフな格好をするのは構わないが、それでも限度というものがあるだろう。
 今さら着替えろとは言わないが、もう少し見られて困らない服を選べなかったのか。そう思いながら美空は、欠片も恥じることなく、ニャジダスジャージの良さを語ろうとするジローを黙らせた。

「それじゃシスターシャークティ、後お願いします。何か魔法関係の話があって来たんですよね?」
「え、あっ、そうでしたね、感謝しますシスター美空」

 唐突に話を振られて一瞬戸惑いはしたが、すぐに表情を凛とした、初めてジローと言葉を交わした時と同じものに戻し、シャークティが口を開いた。

「せっかくのお休みにごめんなさい、ジロー君。今日ここへ来たのは、少し手伝っていただきたい仕事があってのことです」
「仕事ですか……新米もいいとこな自分に、先輩であるシャークティ先生のお手伝いができるとは思えないんですけど。あ、どうぞどうぞ、お茶と羊羹いただいちゃってください」

 露骨に嫌そうな顔で前置き、一転してにこやかに茶を勧める。

「……いただきます」

 ジローの反応に微かに眉を顰めながら、だが気にしていない風に表情を取り繕ったシャークティの隣には、

「どもッス。喉渇いてたし、甘い物も欲しかったんだー」
「モグムグ……」

 さっそく栗羊羹に手を伸ばして頬を緩める美空と、無表情だが一心に口を動かすココネがいる。

「えーっと、まだそっちの小さい子の名前を聞いていないんですけど、教えてもらっていいですか?」
「そうでしたね。察しはついていると思いますが、この子も魔法関係者で美空と同じく、私の下で修業中の子になります。ココネ、挨拶なさい」
「ココネ……ココネ・ファティマ・ローザ。ココネでいい」
「ココネ、だな。分かった、そう呼ばせてもらうよ」
「ウン」

 仏頂面とまでは行かないのだが、変化に乏しい表情と据わった眼差しに若干、苦笑しつつジローが頷いたのを見て満足したのか、さっさと茶菓子を征服する作業に戻ったココネにシャークティが渋い顔をする。

「ムグモグ」
「コホンッ、ココネ?」
「――――ヨーカン、初めて食べるけどおいしい」
「そ、そういうことではなくて。私が言いたいのは、もう少しきちんと挨拶なさいということで……」

 初めて口にする羊羹の味を聞かれたと思ったのか、きちんと咀嚼して茶で飲み下した後、何故かココネは仰々しく頷きを返す。
 頭が痛い。そう言いたげに眉間に指を当て、どう注意したものかと頭を捻るシャークティの姿が壺に入り、ジローは笑いを堪えるのに難儀していた。

「ブッ、クク……!」
「ンンッ! あまり笑わないでいただけると嬉しいのですが?」

 常に凛としていて、感情を波立たせたりすることはしない、というイメージを粋楽で顔を合わせた時に抱いたのだが、どうやら自分の勘違いだったらしい。
 他人の家で粗相した子供を叱りつけるわけにもいかず、不満のぶつけどころがないという顔で湯飲みへ手を伸ばすシャークティに、内心魔法先生も一般人とそれほど違わないのだなと思う。
 有意義かどうかは別として、休みの大半を寝て過ごす怠惰な一日にしようと考えていたジローからすると、突然の来訪客が繰り広げたこの会話は思いがけず楽しいものとなった。

「あー、いや、お陰様で頭の方が起きてきました。それじゃ、その手伝いが必要とかいう仕事の話、聞きましょうか」

 そう言って姿勢を正したジローだが、その表情は締りがなく茫洋としたもので、

「でしたら、もう少しちゃんとした態度でお願いします」
「あらら……」

 何事においても真面目を良しとするシャークティからすると、背筋を伸ばした程度では真剣さを感じられなかったのだろう、憮然とした声が返ってくる。
 ジローからすれば真剣そのものだったのだが、受け取る側に通じなければ意味がない。頬を指で掻いて誤魔化しの笑みを浮かべた。

「――――まあ、構いませんよ。お休みの日に押し掛けたのですし、疲れていても仕方ないですからね」

 まだ、ジローが教職というものに就いて日が浅いと自分を納得させたのだろう。そう言って、シャークティが小さくため息を漏らした。

「いつまでもお邪魔しているわけにもいきませんし、お仕事の話に移りましょうか」
「ええ、お願いします」

 茶で喉を潤し、シャークティが話を切り出す。
 仕事とは一体どのような内容なのか。胸中でいくつかの予測を立てながら、ジローはちら、と壁に掛けた時計に視線を送る。丁度、再放送の連れ子狼の主題歌が終わる頃だった。
 おそらくだが、番組を見終えた熊子はいつも通り昼餉の誘いに来るだろう。それまでに、この一般人が関われない魔法使いの仕事、とやらに関する話が順調に終わることをジローは祈らずにいられなかった。
 当然、祈ったのは目の前の修道女達が信奉する唯一万能神という、何の冗談かと尋ねたくなる反則的存在ではなかったのだが、

「それではお話します」

 とりあえず、ジローはシャークティにその祈りの内容を秘め、話を聞くことに集中しておいた。





 魔法絡みの仕事の話を終え、シャークティ達が腰を上げたのは半刻も経たぬうちだった。

「――では、私達はこれで失礼します。一応言っておきますが、待ち合わせの時間に遅れたりしないように」
「当たり前だと思うんですけど、それ」
「いえ、それが当たり前でない子がいたりするので、つい……」

 子供扱いしすぎではないかとジト目になるジローから目を逸らし、後方で素知らぬ顔をして口笛を吹いている美空を睨んだ後、ばつが悪そうに頭を下げてシャークティは帰り始めた。

「あれま、もう帰っちまうのかい、あんた達」
「え、ええ、話は終わりましたし、あまり長い間お邪魔するわけにもいかないので」

 階段を下る足音に気付いたのか、玄関に一番近い部屋の扉が開く。ぬっ、と顔を出した熊子を見て、シャークティが顔を強張らせて立ち止まった。
 どうやら先ほど言葉を交わした時に苦手意識を植え付けられたらしく、その様子は突然天敵と出会い、動けなくなった動物を思わせる。
 どもりながらも暇すると答えたシャークティと、後ろへ並ぶ美空やココネへ順に視線を送って、熊子が引き止めるように言った。

「そんなこと気にしなくていいんだがね。ジロちゃんだって、別にあんた達のこと迷惑なんて思わないだろうし」
「だといいのですが……」

 そう答えたシャークティの顔に、一瞬だが罪悪感に似た憂いの色が浮いた。ジローが魔法と関わらざるを得なくなった原因が、自分と同じ魔法使いであるネギにあることを思ってだろう。
 表面的な対応が友好的だからといって、心の内側までそうだと決めつける訳にはいかない。自分が抱く必要のない感情だと分かってはいるが、それでもこの戒めの気持ちを忘れてジローと接するわけにはいかないと、シャークティは己に言い聞かせていた。
 沈黙というほどの間はなかったはずだが、彼女が一瞬浮かべた表情の翳りを熊子は見逃さなかったらしい。

「ま、いろいろ難しい問題があるんだろうがね。親がそんな暗い顔してたら、ちっちゃなお嬢ちゃんが心配するよ」
「親……私が、ですか? い、一体誰の?」
「ほれ、あんたの後ろに立ってるだろうが」

 唐突に投げかけられた励ましの意味が分からず、戸惑った表情で首を傾げたシャークティへ、察しの悪い子だねと言いたげな顔で熊子が指を伸ばした。
 指のさす方へ振り返ったシャークティの視界に、狼狽させられる指導役の姿に笑いを噛み殺している美空と、常と変らぬ据わった眼差しで佇むココネが入る。

「……ワタシ?」

 熊子に指をさされ、ちっちゃなお嬢ちゃんと呼ばれたココネが首を傾げた。
 確認するもなにも、この場にいる面子の中で小さいという形容詞が付くのは彼女だけなのだが、それでも確かめずにはいられなかったのだろう。愛らしい仕草で首を傾け、自分を指差しているココネに目尻を下げた熊子が頷く。

「ずいぶんとまー、可愛らしいおべべを着て。まるでお人形さんみたいだねえ」
「ワタシ、お人形さんじゃない」
「コッ、ココネ……」

 熊子としては思いつく限りの褒め言葉を送ったのだが、ココネの反応は芳しくなく、むしろ逆に不愉快そうに口を尖らせていた。
 そんなココネの態度が機嫌を損ねるのでは、とハラハラして諌めようとするシャークティに構わず、熊子はただでさえ皺だらけの顔を余計に皺くちゃにして、ココネへ手招きしつつ教えた。

「例えだよ、例え。日本じゃちょー可愛いお嬢ちゃんのことを、お人形さんみたいって言うのさ。ほれ、口なんて尖らせてんじゃないよ、飴ちゃんあげるからさ」
「わ……アリガト」

 呼ばれ、トコトコと近寄ってきたところに飴玉が差し出され、パッと表情を変えたココネが頭を下げ、熊子の手の平に乗った数個の飴玉を掴む。
 可愛いと言われたことよりも、甘く美味しい菓子を貰えたことの方が嬉しいらしく、いそいそと修道服のポケットに飴玉を仕舞うココネの姿は、子供特有の愛くるしさに溢れていた。

「いいなー、ココネ。後でいいから、私にも一個頂戴」
「ウン」

 もといたシャークティの背後まで戻って、年甲斐なく羨ましそうにしている美空へ、ポケットから取り出した飴玉を嫌がることなく渡すココネに、顔中の皺を一層深くした熊子がシャークティへ話しかけた。

「賢いねえ、ちゃんとお礼は言えるし、貰ったお菓子を独り占めにもしないなんて。これもあんたの育て方がいいのかね」
「あ、あの、先ほどから誤解されているようなのですが、私は別にあの子……ココネというのですが、彼女の母親というわけではなくてですね。行儀見習いと言いますか、訳あって一緒に生活しているだけで……」

 楽しげに会話しているココネ達へ時折、視線を送りながらしどろもどろに弁解するシャークティに、熊子は何故か優しげな同情の眼差しを向けて頷く。

「そうかいそうかい……まあ、いろいろ難しいもんがあるんだろうね、異人さんの宗教ってのも。でもまあ、ジロちゃんだって近くに住んでんだ、あんまり気負わずにね。何か困ったことがあれば私も力になるからさ、その子連れてまた遊びに来んさい」
「は、はあ……?」

 来訪した時と違い、やけに物腰の柔らかくなった熊子に内心首を傾げながら、とりあえずシャークティは相手の好意を素直に受け取っておくことにした。

「次に訪ねる時は、何か携えて来させていただきますので……それでは、今日はこの辺りで失礼します」

 熊子が訂正しておかねばならぬ誤解をしている気もしたが、それが何なのか聞いても教えてくれぬだろうと思い、今度こそ暇を告げてその場を後にする。

「いつまで話をしているのですか。もう行きますよ、美空、ココネ」
「おっと、いっけない。それじゃ、お邪魔しました〜」
「お邪魔しましタ……ヨーカン、おいしかっタ」
「ああ、またおいで。羊羹が気に入ったんなら、また出してあげるからさ」
「ウン」

 わざわざ南楓荘の玄関までシャークティ達を見送り、熊子は腰の後ろで手を組んで屋敷へ戻る途中、ふっと小さくため息を漏らした。

「訳ありだってのは分かっていたけど、ジロちゃんも大変みたいだねえ。まだ若いのにあんなに小さな子がいて、しかも一緒に暮らせないだなんて……」

 見上げた視線の先に、ジローに貸している部屋の窓があった。今頃、中でどうしているのか。少なくとも、何かを楽しんでいられる気分ではないはずだ。
 だが、それも仕方のないことだろう。屋敷へ戻る足を速めながら、熊子は自分を納得させるように首を振る。
 せめて元気が出るよう、昼食は豪勢にしてやろう。
 この時、当人達が聞けば唾を飛ばして否定するだろう勘違いを抱きながら、熊子は慣れ親しんだ扉が軋む音に出迎えられて、南楓荘の中へ戻っていった。





後書き) 過去の七話と欠片もリンクしない内容になった今回の話。長屋熊子の名前は、江戸時代の長屋とお熊さん、なんて当時にいそうな名前が由来。
 気持ち、今までの話が自分の書きたい内容に侵食上書きされてきた感じですが――――まあ、よくあるこった、ということで一つ。
 ではでは。

〈続く〉

〈書棚へ戻る〉

〈感想記帳はこちらへ〉

inserted by FC2 system