「魔法先生も人間です?」


 麻帆良市鳥羽井にある麻帆良学園から半刻ほど歩いた場所に、粋楽という料亭がある。
 西洋の伝統的な建築が主である麻帆良市において珍しい、日本庭園風の敷地に建てられた店で、時に麻帆良へ訪れた教育関係者のもてなしにも使われる、高い格式と落ち着いた風格を備えた料亭だ。
 その高級そうな見掛けに反し、美味しい料理と酒を良心的な値段で提供してくれるという事で、市外から足繁く通う者もいると聞かされたのだが、昨日今日、教職というものを始めた自分には敷居の高すぎる店だ、というのが正直な感想だ。

「君が八房ジロー君か」
「もう職員室で挨拶はしちゃったけど、改めてよろしくね、ジロー君。僕達魔法先生一同、君を歓迎するよ」
「よろしくな。まあ、分からん事は多いだろうが、その辺は適当に分かる奴に教わるといい」
「は、はあ……その、どうかよろしくお願いします」

 最も、今のジローを緊張させているのは店の格式高さではなく、もっと別の問題だったりするのだが。
 角刈りで眼鏡を掛けた黒人や糸目と柔和な顔つきをした男性に、濃い口髭に黒服サングラス、オールバックの髪といったおおよそ、教師とは呼びづらい人物などの先輩魔法先生達に囲まれ、挨拶されながら、ジローは額に浮いた汗を拭う。
 それぞれ順番に、ガンドルフィーニ・M・グレイソン――Mというのは奥さんの苗字で、町田のイニシャルらしい――、橘 瀬流彦、神多羅木 義信と名乗った人物達と目を合わせないようにしながら、必死にこの場から脱出するための方法を考える。
 別に料亭を出ていく気はなかった。この一年、夢に見るまでに望んでいた和食を口にする機会。それも、いかにも良い物を出してくれそうな店での食事だ、これを逃す手はない。
 ただ、少しばかり一人になって気を落ち着ける時間が欲しかったのだ。
 十分、いや五分でいい。忙しなく目を泳がせながら、ジローは周りを魔法先生に囲まれた状況で思案する。
 麻帆良学園の最高責任者であり、同時に魔法使いとして数段上の位置にいる自分相手に、飄然と振舞った姿はどこにいったというのか。
 近右衛門が見れば、そう首を捻らざるを得ない挙動不審なジローの胸中にあったのは、露見すれば一発で重大な問題に発展しかねない隠し事が、今この瞬間にもバレるのでは、という不安であった。

(どうする、どうするよ俺? まさか、就任一日目でネギが魔法バレやらかしました、なんて言えんし……!)

 今頃、担任することになったクラスの生徒達に囲まれ、弄られるか歓迎されるかしているだろうネギの顔を思い浮かべ、ギリリと歯軋りする。どこの世界に、己の人生を左右する秘密を新天地到着初日に知られる人間がいるというのか。
 容易に魔法を使ってはいけないと、イギリスを発つ前にメルディアナの校長やドネットにネカネ、アーニャといった面々に何度も言い聞かされたというのに。
 鳥頭や天然ボケですら可愛く見える記憶力だ。これでメルディアナ魔法学校始まって以来の天才、最年少卒業者というのだから笑わせる。

(魔法使った理由が階段から落ちかけた生徒を助けるためで、魔法バレした相手は世話になる女子寮の部屋の生徒で、安い条件で秘密を黙っておいてくれるからって……駄目だろ、色々と)

 別に階段から落ちかけた生徒――視界を隠すほど前髪を伸ばした、いかにも内気そうな少女で、名前は宮崎のどかだとネギより聞かされた――を見捨てろとは言わないが、それにしても酷い。八房次郎という人間を、自分の都合で使用した召喚魔法の失敗で喚び出した時と大差ないレベルだ。

(まー、すぐ側にいたのに助けられなかったんですー、とか鬱々語られるよかマシだけどなぁ。怪我がなくて良かったのは確かだし、アスナだったか、あの子も善意じゃなくて見返り求めて秘密にするって言ったらしいし。そういう手合いの方が、まだ信用できる)

 最も、信用できるのは、ネギの秘密を黙っておく旨みがなくなるまで。時間的な余裕はないと考えるが吉だろうが。
 尽きることなく湧いてくる不満を半分ほどで堰き止め、できる限り前向きに、ポジティブ思考で受け止めようとしているには棘のある思考で、ネギへの弁護を考える。
 人助けのためでした、が最も有効だろうか。
 近右衛門辺りに上手く話し、それとなく魔法先生達を言い含めてもらって波風立たずに済めば最高なのだが、と小さく呟いた時、ジローへ話しかける声が届いた。

「ジロー君、汗が凄いけど緊張してるのかい? ここは魔法先生達がよく打ち上げなんかで使う店だし、もっと楽にしてもいいんだよ」
「あー、いえ、緊張しているわけでは……」

 部屋に通されてからずっと、俯きがちに座って浮いてくる汗を拭っているジローを見て、あまり訪れる機会のない高級料亭の空気に緊張していると勘違いしたらしく、苦笑して言ってきた瀬流彦に生返事を返して、ジローはチラリと部屋の様子を窺う。
 まだ歓迎会に参加するメンバーが揃っていないという事で、用意された席には空きがあった。
 主催である近右衛門も来ていない状況、何か理由をつけて席を外すことは可能だろう。
 朝から所用で駆け回り、昼も簡単に菓子パンで済まして空腹なはずなのに、妙な膨満感を覚えて調子が悪い胃に項垂れ、小さくため息を溢しながら考える。

「あ、もしかしてネギ君の事が心配なのかな? だったら大丈夫だよ、向こうには高畑先生もいるし、万が一問題が起きそうになっても何とかしてくれるよ」
「そ、そうですね……」

 問題が起きそうで汗をかいているのではなく、既に起きてしまっているから、折角の料亭の雰囲気も味わえずに大汗を流しているのだ。
 一生懸命、空気を和ませようとしてくれている瀬流彦に胸中で謝罪しつつ、ジローは腰を下ろした座布団から後方へずれ、静かに立ち上がった。

「すみません、少し手洗いへ。顔、洗ってきます」
「え? あ、う、うん、行っておいで。場所は分かるかい? この部屋を出て、右手の廊下を歩いた突き当たりにあるから。ついでに庭とか眺めるといいかも、凄く気分が落ち着くよ」
「は……?」

 何故、慌てた感じに、かつ微妙に気の毒そうに庭の観賞を勧めるのだろうか。
 虚を衝かれた様にどもり、こちらを気遣う瀬流彦を眉を顰めて訝しむが、すぐにそうさせてしまう程、自分が難しい顔をしていたのだろうと納得して頭を下げる。

「あー、じゃあ、部屋に戻るついでに見てみますね」
「う、うん、いってらっしゃい」

 部屋の外へ向かいがてら、他の魔法先生達に挨拶しつつ歩いていくジローを見送り、完全に姿が見えなくなったところで瀬流彦とガンドルフィーニの口から、体中の緊張を吐き出す様なため息が漏れた。

「うーん、会ったばかりっていうのもありますけど、やっぱり余所余所しくなっちゃいますよ」
「考えたくはないが、警戒されているのかもしれないな。親睦を深めるための宴会なのだが、彼からすれば周りを魔法使いに囲まれた状況。見張られていると思われても仕方がない……」
「こちら側に巻き込まれた経緯が経緯ですしね……」

 ともに天井を見上げ、痛ましげな顔で言葉を交わす。
 料亭の一角の部屋に集まった魔法先生達の中にも、八房ジローという青年に似た形で『魔法使い』になった者はいる。望まざるままに巻き込まれ、幾度となく葛藤し、悩んだ末に魔法使いとしての生き方を選び、世のため人のため、魔法先生として日夜努力している。
 例えば、神多羅木の隣に座っている黒服サングラスにスキンヘッドという、要人のボディーガードでも務まりそうな大柄の男がそうだ。

「な、何か?」
「いや、特に用は。すみません、小野田先生」

 瀬流彦やガンドルフィーニの視線に気付き、戸惑った感じに尋ねた男。名を小野田 照彦という。
 魔法先生になる前は寺の住職をしていたという、変わった経歴の多い魔法先生の中でも特に変り種で、地方にある寺の住職をしていた時の名は照道。霊視や除霊といった方面で有名だったのだが、それは無意識に魔法を使って悪戯精霊や悪霊を感知し、念力で倒していたという驚きの人物だ。
 そんな彼が魔法使いとしての生き方を選び、麻帆良で魔法先生として働くまでに様々な出来事があったのだが、それについて語る機会もいつかは訪れよう。

「魔法使いしたくないから、記憶消して元の場所に還してください……じゃ済まないんですよね」
「例の『彼女』の様に、故意に魔法の存在を世界にバラそうとする手合いならともかく、こちらの失態を記憶消去で無かった事にすればいい、などという考えは持つべきでないがね。まったく、とんでもないとしか言えないな、英雄の血というのは……」

 己の意思で、魔法の世界に足を踏み入れた面々とジローにある決定的な違い。
 単純に魔法を知り、魔法使いとしての素養があると分かっても、魔法使いとしての生き方を取るか、それまでと同じ生き方を取るかを選べる者と選べぬ者の違いについて考えつつ、ガンドルフィーニは苦々しく呟いた。
 いかなる力を用いれば、現実に存在する人間と寸分違わぬ人間を使い魔として召喚できるのか。
 魔法の専門家中の専門家であるメルディアナ魔法学校の校長と、その懐刀とも言えるドネットが散々に考察し、議論しながらも解を見つけられなかった問題を、自分如きが解き明かせるとは思わないが。ずれた眼鏡を指で押し上げ、仕方なくネギの中に流れる英雄――ナギ・スプリングフィールドの血が原因だろう、と問題の全てを丸投げするガンドルフィーニに、一人マイペースに煙草を吸っていた神多羅木が言った。

「英雄の血が凄いのは、あの歳の子供に不相応なまでに備わった魔力や才能を見れば分かるがな。あいつからすれば、見たことも聞いたこともない英雄の息子なんて、そこらの物を知らない子供と一緒だろう。何を思ってやったのかは知らんが、使い魔召喚の失敗で自分をこちら側に引きずり込んだ張本人だしな」

 紫煙を燻らせていた煙草を、部屋に用意されていた灰皿に押し付けて揉み潰し、どことなく苛立ちを感じさせる手つきで、新しく取り出した煙草に火を点けながら呟く。

「度量が大きいのか、単に頭の緩いお人好しなのか。それとも、何か目的でもあって使い魔役をしているのか……」
「何かって、何です?」
「私に聞かないでくれたまえ。しかし、それは邪推しすぎというものだよ、神多羅木先生。彼は……ジロー君は、ただ前向きに頑張ろうとしているだけだ」

 ジローの腹を探る様な神多羅木の言葉に瀬流彦は首を傾げ、ガンドルフィーニは軽く眉を顰めながら擁護を行う。

「それに、もしもだよ……もし、ジロー君がネギ君に対してよからぬ感情も持っていたとしても。魔法使いとして、そして教師の先輩として、私達が正しい方向に導いてあげればいいだけの問題じゃないか」

 軽い責めを受け、困った風にこめかみを掻いている神多羅木に笑いかけたガンドルフィーニから感じられたのは、相応の年月を魔法使いとして、そして教師として過ごしてきた者の頼もしさであった。
 遠慮がちに紫煙を吐き出し、灰皿の縁を煙草の先端で叩いてから、神多羅木は苦笑に口の端を歪めた。
 素面でよくもこう、恥ずかしい胸の内を語れるものだと呆れ半分、これで先の台詞を直に当人へ伝えられれば、余所余所しい会話をせずに済む様になるのかもしれないが、それをできないのが、このガンドルフィーニという男なのだろうという同情半分から。

「しかし、そのためにはまずジロー君と親しくならねばならない。どうすればいいのか……あの年頃の子は、生徒以外に接した事がないしな。分からん、まず趣味や好みの食べ物でも聞けばいいのか……?」

 自分だけでなく、瀬流彦や周りに座っていた魔法先生達が微妙に生暖かい視線を向けている事に気付かず、ジローが戻ってきたら、今度こそ腹を割って話すために会話の切っ掛けを探しているガンドルフィーニに、何となく悪戯心が湧いて神多羅木は口を挟んだ。

「しかし、あれだな。そんな風に悩んでいると、まるでジローの奴に恋慕してるみたいだぞ? ……奥さん泣かすなよ」
「誰が誰に恋慕している様だと!? というよりだね、そういう性質の悪い冗談はやめたまえ!! こちらは真剣に話していたんだぞ!」
「いや、悪い。ああいう真面目すぎる話や空気が苦手なんだ、俺は」

 真剣に胸中の心情を吐露したというのに、茶化すとは何事かと激昂したガンドルフィーニに胸倉を掴まれ、ガックンガックンと揺さぶられながら、それでもマイペースに煙草を吸いつつ、神多羅木が飄々とした口振りで答える。

「ま、まあまあ、ガンドルフィーニ先生、抑えて抑えて」
「ええい、離してくれたまえッ、瀬流彦君! ジロー君を導く云々以前に、教師としての自覚が必要な人物を見つけたんだ!!」
「自覚が必要とは心外だな。これでも俺は、生徒や親御さんに受けがいいんだぞ? 誰かさんと違って、口うるさくて生徒に敬遠されてないしな」
「好きで口うるさくしていない! ただ、私は生徒の為を思ってだね――――!!」
「うわわっ、こんなトコで魔法を使おうとしないでくださいよ!? み、みなさんッ、ガンドルフィーニ先生を止めて……というか、この二人の席を隣にしたの誰ですかぁ!?」

 厳しく生徒に指導する事で知られる堅物魔法先生・ガンドルフィーニと、マフィア張りの外見ながら、麻帆良学園小等部で児童親御さんに大人気の魔法先生・神多羅木。
 水と油の関係を見事に体現する二人のテンションの噛み合わない言い争いと、間に入った魔法先生達が生む騒がしい声が、静寂な空気と美味しい食事を売りにする粋楽に響く。
 そして、当然ながらそれは――

「……ものすごく戻りにくくなってんだけど、どうしたらいいんだろうね。教えておくれよ、じいちゃん、ばあちゃん、ヌイ」

 自分の言葉に従って、手洗いで本当に手だけを洗い、瀬流彦の勧め通りに粋楽の日本庭園を眺めつつ戻ってきたジローにも、しっかりはっきり、かっきり丸っと聞こえていたのだった。
 部屋から少し離れた場所、庭に面した渡り廊下の柱にもたれ掛かる様にしながら、僅かに赤くなった頬を手で扇いで冷ましつつ、瞼を下げて半眼になって呟く。

「良い人達すぎて、聞いてるこっちが恥ずかしくなるのはさて置き。あれか、先生連中も生徒と一緒でテンション高くて、ノリがいいのばっかか」

 いまだに続いている部屋の中の騒ぎをBGM代わりに、夜闇にぼんやりと浮かぶ庭園の景色を楽しみながら、だが口からは嘆息が溢した。
 この調子だと、あれやこれやと流され、騒動に巻き込まれていくのは疑いようがなかった。しかも、悪い事にそれをあまり嫌だと感じない自分がいたりする。

「当たり障りなく、上手い事やっていくの無理そうだね、どーも……」

 これから麻帆良で生活をしていく以上、信頼関係は必要不可欠で、絶対に築いていかねばならぬ物だというのは、痛いほど理解している。同時に、そうせねば自分が生きていけない事も分かっていた。
 だからこそ思う。結局のところ、『ネギに召喚されてしまった人間』という肩書きがなければ、どこに放り出されても不思議ではない自分という存在に対し、形はどうあれ親身になろうとしてくれる人達には、相応に真摯に接する事にしようと。

「一生懸命仕事したら、またここで宴会できるかもしれんし」

 最後に、打算的と言うには酷く小さい願望を口にして拳を握り、少々気まずくなるかもしれないが部屋に戻ろうと、もたれていた柱から身を離した時だ。
 廊下の向こうから近付いてくる二人分の足音と、妙に上擦った女性の愚痴が聞こえてきたのは。

「ですから聞いてくださいよ、シャークティ先生! 彼ったら、せっかく私が休日に会おうと誘ったのに、当日に急用ができたとドタキャンしたんですよ!?」
「そ、それは大変でしたね。ですが、その彼氏の方も急用で仕方なく、刀子先生との約束を破ったわけですし。そこだけを責めるのではなく、もう少し寛大な目で見て、労いの言葉をかけてあげるなどすれば良いのではないでしょうか……たぶん」

 他の部屋から漏れる、障子の紙越しの光に映し出される様に現れた二人の女性。
 片方は眼鏡を掛け、茶色がかった髪を腰まで伸ばしたスーツ姿の女。そして、もう一人は料亭という場所に到底似つかわしくない、黒を基調にした修道服を着た褐色肌の女。
 頭巾から覗いた、淡い照明の光を受けて鈍く輝く銀髪に、丁度こちらに気付いて向けられた紫色の瞳。やり手のキャリアウーマンといった印象を与える眼鏡の女性以上に人目を引く修道女を注視し、ジローは思わず眉を顰めた。
 人工的に染めた髪にはない、触れがたさも感じる艶と輝きを持った銀髪は、上質の銀糸を思わせ、また体の動きに従って揺れる髪とは違い、真っ直ぐ微動だにせずこちらを見据えた瞳は、澄んだ紫水晶にも劣らぬ美しさを湛えていた。
 まるで、幻想を題材にした絵画からそのまま抜け出してきたかの様な人物に、普段は相手の容姿などに関心の薄いジローでさえ、まじまじと見つめてしまう。
 といっても、

 ――アルビノ、とかじゃないよな。ドイツ系……にしては肌の色があれだし、瞳の色も変わってる。てことは、魔法世界出身とかか?

 魅力的な修道女に対して抱いた関心の半分は、彼女の出身地などに対するものだったりするのだが、それでも、八房 ジローという浮いた話と縁を持とうとしない青年が興味を抱いたというのは、季節外れでないにしても、翌日に雪が降ってもおかしくない程度に珍しい事だった。

「あなたは……」
「え?」
「あー……どうも、お晩です」

 小さく呟いて足を止めた修道服の女性に倣い、足を止めた眼鏡の女性と並んでこちらを見返す相手に、僅かに逡巡してから頭を下げる。見惚れていたという気まずさからか、ごこちない挨拶をするのがやっとであった。

「八房ジローといいます。その……お二人とも、『こちら側』の方で間違いないですか?」
「ええ、その通りですが……よく分かりましたね」
「い、いえ、何となくです」

 正直な話、このような純和風を尊ぶ料亭にやって来る現実離れした容姿の修道女など、どう好意的に見ても一般人とは思えないだけだったのだが、そうしたジローの胸の内など知る由もなく。
 少し驚き、キョトンとした顔になりながらも、自分達が魔法関係者である事を認めた修道服の女性が自己紹介を始めた。

「私の名前はシャークティ……シャークティ・カテナ・エクレシアといいます。魔法先生の他、麻帆良学園の近くにある教会でシスターとしても働いています」
「魔法使いでシスターですか……」

 ということは、カトリックやプロテスタント、東方正教会といった宗派ではなく、グノーシスなどの神秘主義的な面が強いキリスト教一派なのだろうか。
 魔法使いとキリスト教という微妙に食い合わせの悪そうな関係から、シャークティが所属していそうな宗派について少し考え、すぐに考察したところで意味はないとかぶりを振る。
 聖人の起こす奇跡は素晴らしく、魔法使いの使う魔法は邪悪である――結局はこういった言葉遊びに過ぎないのだから、あれこれ考えを巡らすだけ無駄なのだ。
 十字軍の遠征に魔女狩りその他諸々、宗教の排他的部分が生んだ数々の悲劇に哀悼の意を捧げてから、とりあえず機会があれば、シャークティが信仰しているキリスト教について聞いてみようと頭の片隅で思いつつ、ジローは改めて挨拶を行った。

「シャークティ先生ですね。至らぬところはありますが、どうかこれからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。近いうち、一緒に仕事をする事になるでしょうから」
「そ、そうなんですか?」
「私はそう聞いていますが……まだ、学園長から聞かされていないようですね。とりあえず、今夜はそうした事を置いて楽しんでください。今日は魔法先生達の顔見せと――――あなたの歓迎会を兼ねているのですから」

 凛とした表情からは想像できなかった優しげな微笑みを浮かべて、シャークティはそう告げた。

「では、私は先に行きますね」
「あ、は、はい。それでは、また……」

 頭を下げて宴会用の部屋に入るシャークティを見送ってから、ジローは自分の側で一人突っ立っている眼鏡の女性に視線を向けた。
 どうした訳か、さっきまで自分がもたれていた柱に額を押し付け、ぶつぶつとうわ言を呟いているのを見て、内心無視して部屋に戻ろうかとも考えたのだが、そうもいかないのが悲しい人情という奴だ。

「あの、大丈夫ですか?」
「フフ、フフフ……若い人同士、仲良く自己紹介しあって好感度上げてりゃいいのよ。三十路前で彼氏と喧嘩中の私の相手をするより、歳の近い若い子と話す方がよっぽど楽しいでしょうしねー。何ですか、あの去り際の微笑? どこのゲームキャラですかみたいな容姿と職業フル活用して、早々にフラグでもおっ立てましたか〜?」
「あのー、もしもーし……」
「いいんですいいんです、私みたいな独身女に構ってくれなくて。葛葉 刀子は死ぬまで葛葉 刀子として、パソコンで屑の葉って誤変換されそうな不幸な苗字と付き合っていきますよぉぉぉだ……」

 ずらずらと、自分にはないものを持っているシャークティへの嫉妬心溢れる呻きを続ける眼鏡の女性――葛葉 刀子から微妙に距離を取って、どうしたものかと庭を眺める作業に戻って頭を掻く。
 先ほど向けられた、シャークティの微笑と温かな言葉が自然と思いだされ、何とも言えぬむず痒さが湧いてきた。

「あー……何だ、まあ……本当に良い人は多そうだな、うん」
「ウフッ、ウッフフフフフ……どうせ私なんて、晩酌と夜食で醜く肥え太って死ぬのが相応しいのよ」
「極一部は除く、って注意書きは必要かもしれないけど。さて、部屋で待機しておこうか。今日は相当、良い物を食べられそうだし」

 放っておけば、そのうち勝手に正気を取り戻すだろう。
 魔法先生として、ついでに人生の先輩としての経験が育んだ心の強さに望みを託して、ジローは刀子を放置して部屋に戻るために歩き出した。

「寿司に天麩羅、うな重、焼き魚に刺身、漬物、お握り、ひじきに切干大根……駄目だ、庶民的な料理しか出てこないぞ……。頑張れ、俺の想像力」

 宴会で出てくるであろう料理に想いを馳せることで、暗い影を背負うほどに鬱屈している刀子の存在を忘れようとしながら――――


〈続く〉

〈書棚へ戻る〉

〈感想記帳はこちらへ〉

inserted by FC2 system