遠い雨  23話







 冴えた月光の下、赤く桜を染め上げる光。

 彼らが作り出した、幻術の世界【夢移し】



 過去の光景を夢に映し出し、投影する。


 その何時か見た光景を背にして、大気に張りつめたものが広がっていく。 

 張りつめた魔法儀式。
 



 その儀式を終わらせたエヴァンジェリンの横に、先程から一言も喋らない衛宮桜がいた。

 彼女は、彼の傍に近づいていく。



 足元には、薄汚れた醜い獣。

 その呪いにまみれ、多くの魂が抜けて小さくなった体。


 彼の傍らに座り込み、桜はその体を膝の上に抱えあげた。 
 
 もはや、女の細腕で持ち上げられるほど小さな体。 




 
 「――――――まだ、私の声が聞こえますか?」




 その声に答える力はもう、彼にはない。

 弱い男に、余分な力はない。




 「獏さん。――――――わたし、貴方が嫌いです」  


 

 それは、偽らざる彼女の本当の気持ち。

 愛する者だけを守るのでもなく、多数の人間を守るためにでもなく。


 もういない、死んだ人間の為に命をかけた弱い『獏』

 平和に暮らせるなら、そんな声など無視できたのに。無視できなかった男。 





 桜がかつて願った平和なくらし。

 それを簡単に捨てた男を好きになどなれない。



 それは、桜の望みを否定されたのと同じ事。

 それでも。






 「――――でも、頑張った人が報われないのはもっとイヤだから」





 桜はそう言って、自分の手首を切った。

 溢れる鮮血は、月光と上空の夢光に輝き。

 

 赤い清流となる。

 その輝きを見て、桜の行動の意味を知ったカレは。

 最後の力で、言葉を紡ぐ。



 「やめてください―――――貴女まで」




 …………穢れてしまいますよ。




 その言葉に薄く微笑み、言霊を紡ぐのは衛宮桜。

 かつて、罪を犯した少女。

 
 



 「大丈夫ですよ。だって私―――――」


 


 ………とっくに穢れているんですから。





 それは真実の言霊。

 穢され、背負わされた地獄。

 誰よりも傷つき、誰より穢れた女性。

 


 その中で生きる為に、必要なコト。

 それが魔術。






 そして、血の流れた傷口を『獏』の穢れた傷口にあわせ、ラインを繋ぐ。

 そう、衛宮桜の魔術特性は架空元素。そして………吸収。





 かつて聖杯戦争で暴走した状態から、吸収の魔術を使った魔術師。それが桜。

 衛宮士郎の肉体をほとんど傷つけることなく、魔力だけを『吸収』した魔術。

 

 そして、この世界の闇の魔法。

 それは【全てをありのまま、受け入れ飲み込む力】

 善、悪。強さも、弱さも。

 全てを【飲み込む力】

 吸収の属性を持ち、こちらの世界の闇の魔法を学んだ彼女だけができるコト。




 呪いと穢れを【吸収】する。



 
  

 問題は、呪いや恨み。

 そんな負の感情を吸収した場合、桜の魔力が暴走するという事。

 それを抑えるための、巨大な魔方陣と『夢移し』の儀式。

 そして『輪唱』


 輪唱とは異なる部位から始まるモノ。

 かえるの唄などにように、最初のものが先に「詠唱」が終わる。

 故に、ネカネより。エヴァンジェリンと桜の詠唱が先に終わるのだ。




 桜の魔力を使い、3人で維持した儀式。

 『輪唱』によって、最後のこの瞬間だけは2人が動ける。

 最後の詰めは、ネカネ・スプリングフィールド。

 彼女1人が儀式を維持してるその間、桜とエヴァンジェリンは別の行動ができる。



 桜に2つの魔術を使う能力はない。

 だが、桜の魔力を他人が使い動かすことはできる。

 そのタメの魔方陣である。


  
 
 
 桜が穢れを吸収し、ネカネがその魔力の暴走を抑える。

 桜が一度に放てる魔力は一千ほど。

 ならば、その一千を衛宮士郎とライダーに回す魔力と共に、儀式で使い続け魔力の暴走を抑える。

 そんな危険な賭け。

 


 そのためだけに作った、巨大な魔方陣。




 そして、エヴァンジェリンは。

 桜の魔力を使い、ボロボロになった『獏』の幽体を補強して人形に籠める。

 本来、魂を人形に籠めるなど「とてつもなく難しい」魔術。

 だが、この世界の魔法は『幽体』幽霊などの体なら、人形にこめることが素人でもできる。

 コレは相坂さよに協力してもらって、できることを証明した。



 本来、呪いなどを吸収するのは闇の魔法を極めたエヴァンジェリンがすべきこと。

 だが幽体を人形に籠めるには、エヴァンジェリンの力が必要。

 故に、吸収は衛宮桜。

 幽体を人形に籠めるのは、エヴァンジェリンに任せるしかない。








 故に、この瞬間。この時だけが獏を救う可能性がある。





 ――――――エヴァンジェリンさん、いいんですか?




 意外な話に戸惑い、『獏』は確認する。

 彼が傍にいていいのかと。
 
 自分の為にそこまでしてもいいのかと。




 その言葉に答えるのは、エヴァンジェリン。

 真祖の吸血鬼。

 かつて、彼と共に暮らしたヒト。





 「まだ安心するのは早い、上手くいくかもわからんしな。それに言っただろう?」



 
 ―――――私をタダで使えると思っているのか? と。




 そう、何かをしてもらうには代償が必要。

 この世は全て等価交換。




 「残りの人生、全てをかけて………私の従者として生きろよ」



 
 そう優しげに、そしてどこか皮肉げに笑っていた。

 その言葉に、彼は――――小さく笑って首を振った。



 そうではない、と。目に鈍く月光をうつしながら答えた。




 「エヴァンジェリンさん、私はきっと最低な従者になりますよ」




 能力が低い、魔力が弱い。

 そんなコトだけじゃない。

 


 「―――――もし、今回と同じことが起こったら、私はまた同じコトをします」


  
 誰も救われないと解っていても。

 誰にも理解されないと思っても。

 きっと、動いてしまう。




 「同じことがあったら、きっと同じように暴走します。私が貴女の傍にいても怒らせるか、失望させるかです」



 ―――――それでも、かまわないんですか?


 

 一拍おいて返ってきた声は、闇に溶け込むように静かな声だった。


 「最低な従者とはな。命令を聞かず。自分の命を守れず、主人の命も護れない者のことだ」 


 だから、
 

 「貴様は最低より………少しだけマシな従者になれ」


 だから、せめて。自分の身だけは守れるようになれと。
 


 
 
 その言葉に【獏】は目を瞠って、………そして、小さく「ハイ」と肯いた。 





 それは彼にとってありえなかった、話。

 やっと、彼が救われる。そんな奇跡の話。



 



 そう、ここに。………彼がいなければ。
 





 「―――――桜っ!」





 ◇








 その声に、ネカネ・スプリングフィールドの懸念が当たったことが解った。

 ネカネ・スプリングフィールドは言っていた。

 
 


 『獏』を救うために、衛宮桜が危険な行動をすることを………衛宮士郎は許さないと。


 

 そして………。衛宮桜が衛宮士郎に逆らうコトは難しいと。




 確かに、この魔法は衛宮桜にとって危険だ。

 僅かな夢。過去の記憶を引き出しただけで魔力の暴走をした、衛宮桜。




 それが、呪いや穢れを。

 耐えて、吸収するのだ。

 危険なコトは間違いない。




 だが、あの時と同じように。

 私が衛宮桜から魔力を抜いた時と同じように。

 魔力を限界まで吸い上げる。


 

 これなら魔力の暴走が防げる。




 今、衛宮桜の魔力は限界までなくなっている。

 この儀式が終わってしまえば、もう『獏』を救うことはできない。

 


 故に、小さく合図を送った。

 その合図に動き出すのは、ライダー。

 奴の魔力、スピード。そして力。

 全てにおいて、衛宮士郎より上だ。

 

 奴なら衛宮士郎を無力化できるはずだと、思ったのだが。



 茶室で奴は言った。




 ―――――無理です。桜に危険が迫った場合の士郎は加減を知りません。



 

 奴では。………ライダーでは衛宮士郎をとめられないという。




 なぜかは解らない。

 だが、それが真実だというなら。
 
 この計画は実行できない。



 衛宮桜は『獏』を救えない。





 ■





 そう、これはエヴァンジェリンが知らない事実。

 この状況。

 ライダーでは決して、衛宮士郎をとめられない。

 
 
 本来、力、スピードにおいて赤い弓兵以下の士郎はスペックにおいてライダーに負ける。

 だが、短時間の戦闘。

 かつて、雷電と戦った後。アルビレオ・イマと戦った。

 あの時は最悪のコンディションであった。

 その状態でも、ライダーにコピーしたアルビレオ・イマに士郎は勝った。 





 しかも、あの時とは違う。

 今の士郎のコンディションは良好。

 

 投影した宝具を獏に向けて放てば、ライダーが守るコトは難しい。

 ライダーの釘剣は頑丈なだけで、宝具ではない。

 己の身を守ることだけなら、敏捷性を生かしかわすことは可能だろう。 


 だが、獏を狙い続ける宝具から守るのは難しい。

 特に狙い続ける宝具、ゲイボルクやフルンディングなど使われた場合かなり危険だ。




 そして、ライダーの宝具のタイミングは体で覚えている為。

 フラガラックで迎撃できる。



 フラガラック:相手の攻撃自体をなかったものにする、カウンターに特化した宝具。


 
 本来、宝具とはサーヴァントの持つ武装であり、象徴であり、奥の手である。

 それだけに、その担い手である英霊。
 
 もしくは、その系譜に当たるゴッズホルダーを持っている者だけが使える神秘。



 
 バゼットの宝具、フラガラックは『ゴッズホルダー』であるバゼット、もしくは担い手である『戦いの神ルー』しか使えない。




 そう、本来なら。




 ここに例外がいる。

 衛宮士郎という例外が。




 彼は、命をすり減らすという前提でだが。

 星に鍛えられた神造兵装:エクスカリバーの真名開放ができる。


 
 威力は本家に劣るとはいえ星が鍛え上げた神造兵装をコピーし、真名開放できる士郎にとって。
 
 人が一年に十本も製造できるフラガラックのコピー。真名開放は容易い。



 切り札に使わなければ、C〜Dランク程度の宝具というのも負担が少ない。
 
 故に、士郎の体調が悪い時でさえ勝てないライダーにとって。

 

 今の士郎を傷つけることなく、更に獏を守るということは限りなく難しかった。



 しかも、ライダーにとって。

 士郎と獏。どちらを選ぶかなど決まりきったコト。
 


 己の命をすり減らしてまで、桜にとって大事な士郎を。

 獏のために殺すなどという選択肢は無かった。






 
 ◇



 ライダーでも止められない、衛宮士郎。




 ネカネ・スプリングフィールドが止めに入っても、奴は。

 衛宮士郎は衛宮桜を守るためなら、戸惑わない。



 私には、『自己強制証文』がかけられている以上。

 衛宮士郎と戦えない。

 そして、何より。

 『獏』に体を与えなければならない。

 その魔法施術の間に、敵対行動などとれない。






 
 故に、一手足りない。

 『獏』を救うことは、私達にはできない。





 そう、あと一手。



 衛宮士郎が無力と決めつけ、戦力として計算していないもの。

 だからこそ、奇襲が成り立つモノ。




 
 その一手とは、ネギ・スプリングフィールド。

 【獏】を救いたがっていた子供。

 


 サウザンドマスターの息子。
 
 本来、力など借りたくないボウヤだが。



 タカミチやジジイの力を借りるわけにはいかない。

 なにより、奴等がココにいたら衛宮士郎が警戒する。

 誰よりも戦力外で、かつ魔力の高いもの。

 このような人間が不意打ちをするから、奇襲は成功する。




 その奇襲とは、奴の捕縛結界。




 その結界はすでに奴の足元に描かれている。

 この儀式の魔方陣と組み合わせた、捕縛結界。

 

 獏を捕らえるためと偽った捕縛結界。





 

 これで、僅かでも衛宮士郎の動きを封じることができれば。

 衛宮桜が儀式にはいってしまえば止める事は、不可能になる。
 
 

 寸分の狂いも許されない、魔法の儀式。

 その儀式の最中に精神の集中を乱すことは死に繋がる。



 故に、儀式にはいってしまえばこちらの勝ちだ。


 

 ライダーの霊体化から不意打ちで、衛宮士郎が倒れれば良し。

 倒れなくても、その一瞬の隙にボウヤが衛宮士郎の動きを封じればいい。


 

 そう、このエヴァンジェリンの推測は正しい。

 ライダーの宝具に対抗する為には、フラガラックが必須。

 衛宮士郎が、ライダーと宝具の撃ちあいで勝つにはそれしかない。 



 そして、フラガラックを撃った後はしばらく硬直時間がある。

 その時、捕縛結界をネギが発動させれば衛宮士郎の捕縛は可能。



  
 ―――――――後は、タイミングを計るだけである。





 ◇




 遠くから、先輩の声が聞こえた。





 「―――――――桜!」




 聞きたくなかった。

 先輩はきっと、私を止めようとする。

 『獏』を救うために、私が危険を犯す事を許さない。


 

 先輩は私を守るためなら、どんな事でもする。

 手も汚す。


 
 でも、このヒト。『獏』がしたこと。

 以前の先輩なら、この『獏』を絶対に助けようとするはず。

 なのに、今の先輩は………。



 聞きたくなかった。先輩がこのヒトを見捨てる言葉なんて。

 


 ――――――――聞きたくはなかった。 

 








 ◆







 「―――――――桜!」




 言葉が続かなかった。

 言うべき事は解っている。

 しなければならない事も解っている。



 あの時、俺は誓った。

 桜を傷つける全てのものから、桜を守ると。

 



 今、桜を傷つけるものは『獏』

 奴の穢れを桜が引き受ける必要など無い。


 
 それは奴自身が勝手にしたこと。

 奴が哀れみ、誰かを助けようと。
 
 それを桜が肩代わりする必要などない。

 
 
 その穢れを、呪いを。

 桜が『吸収』して無事とは、思えない。

 魔力が暴走しなくても、その呪いに桜が耐えられる確証がない。 




 だから、俺がこの場ですべき事。

 『獏』を速やかに消し去ること。

 大切な者を護る為に、大事なモノを切り捨てる。





 ―――――それが、あの時。選んだ道。


 


 それが、間違いだとは思わない。

 今。コイツを殺して桜を止める。


 
 それが、一番。………確実な方法。


 
 死体なんて、見飽きている。

 桜を助ける為に、誰かを助ける為に。………誰かを殺すコトなど。

 あれから、何度もおこなってきたのだ。




 ならば、すべき事は一つだけ。



 速やかに――――『獏』を殺す。

 この儀式をやめさせる。


 
 俺が聞いていたのは、『報われない村人を救う』

 ただ、これだけ。


 

 故に、約束は違えない。

 村人達は救われた。
 
 ソコに救いがあろうとなかろうと。

 

 奴の自己満足は終わった。
 


 故に、奴を殺せばいい。

 一言、桜にソコをどけと言えばいい。

 それが、あの時。誓った言葉。


 
  

 なのに。






 「―――――桜。危険だと思ったら、最悪ソイツを解呪する」
 
 「え!?」 

 「それが、条件だ」



 
 なぜ、俺は奴に情けをかけるのか。

 必要ない。



 
 奴は殺す存在。

 奴を桜が助けようとすれば。

 桜に危険が及ぶ。


 
 桜が、助けたい。と、望んだとしても。

 桜を大事に思うならば、それは決して違えてはならない誓い。



 桜をあらゆる危険から護る。



 それが、………解っているのに。 




 「いいんですか?」

 「急げ。ソイツが死んだら学園が妖気に汚染される」




 俺は、奴を見捨てることができなかった。


 



 ◇




 信じられなかった。

 先輩が、『獏』を助けると言っている。

 以前の先輩に戻りかけてるんだろうか?


 
 私が危険になったら、学園を穢してでも解呪すると言っている。

 それは、以前の先輩では考えられない言葉だけど。





 「―――――はい! 先輩も気をつけて」
 


 もう、先輩がすることなどないのに。

 つい、そう口走ってしまった。 

 

 「………前から思っていたけど、そろそろ「先輩」からは卒業したいな」


 
 すでに術に入ろうとしている桜の背中に、吐息まじりの士郎の言葉が響いた。

 その言葉を聞いて。クスリと笑った。

 

 なにかそれは、ひどく心地よい会話だった気がした。

 久しぶりに心が通じ合ったような。
 
 錯覚かもしれない。――――それでも、かまわないと思える自分を桜は不思議に思いながら。

 


 小さく呪文を紡いだ。





 
 ◆






 冴えた月光の下、静まり返った桜の樹木が隠微な笑いをたたえるように、

 さわさわと不気味な喧騒を奏ではじめた。

 

 満天の星の輝きも、偽りの世界の輝きも。

 『獏』から漏れる瘴気に遮られ、あたりを暗く彩る。

 

 それは、これから桜が吸収しなければならない妖気。
 
 その妖気が、生臭い臭いを周囲に濃く漂わせた。




 「―――士郎。よろしいのですか?」

 「いいもなにも。ライダーは知っていたんだろ?」

 
 
 実体化したライダーは否定せず、小さく肯く。



 そのライダーの様子に溜息をついてしまう。

 考えればすぐ解る。霊体化したライダーは俺を止めるために選ばれたんだと。



 まだ、フラガラックを投影していない以上。
 
 ライダーの不意打ちに対応するのは難しい。

 それに、



 
 「ネギ君も。もういいよ」

 「あ、えっと。そ…の……」



 杖を降ろすネギ君に苦笑する。

 彼まで巻き込んだのは、桜か。それともネカネさんか?

 
 それにしても。危険なことを。



 だが、確かに有効な手段だと思う。

 2人の時間差による攻撃。

 それを見抜けなかった、俺の落ち度だ。 



 それに、ライダーが許可したということは。

 桜にとってこの魔法儀式は、それほど危険ではないのだろう。

 桜をもっとも大事に思っているライダー。

 彼女が桜に危険なことをさせるわけがない。





 そう考えていると、ライダーは俺の傍に来て。

 小さく問いかけてきた。




 「―――――士郎は、止めると思っていましたよ」

 「ああ。今でも止めるべきだと思っている」



 俺の言葉に、目を細めライダーは続きを促した。



 「桜が奴を助ける必要はない、奴が勝手にしたことを桜が肩代わりする必要なんてない」
 


 そう、それは間違いのない真実。

 それは、奴が勝手にしたこと。

 誰かを助けようとすること、それは尊いコトだと思う。

 だが、それで他人に迷惑をかけては意味がない。

 


 「誰かのために生きて、それで満足ならそれでいい。だが、それを誰かに押しつけて。大切な誰かを泣かすのなら意味がない」



 
 それは【獏】が犯した罪。

 衛宮士郎にとって、許せない罪。

 かつて、否定した赤い弓兵。

 大勢のものを助ける為に、一部の人間を切り捨てることも肯定した錬鉄の弓兵。

 

 だが【獏】はそれすらしなかった。

 死者の為に、命をかけ。

 大事な者であるエヴァンジェリンを、ないがしろにして。

 学園を危険にさらしてまで。



 ―――――自己満足を貫いた。



 大事な者でもない。大勢の為でもない。

 ただ、一握りの死者の為に全てを危険にさらした。



 奴がもし途中で死ねば、学園に妖気が蔓延した。

 奴がもし途中で死ねば、助けようとした生徒が死んだ。

 奴が途中で、学園外に出ることを了承し解呪することができれば。



 誰も死なずにすむ。

 死者は何も語らない、死者がその後どうなろうと。

 生きているものを犠牲にしてまで、死者を大切にする必要はない。
 
  

 だというのに。奴はその危険を無視した。

 最後まで、偽善をつらぬいた。



 
 そんなモノを、助ける為に。

 桜が命をかけるなど間違っている。


 自分自身が穢れようと、他人にその穢れを移すことは許されることじゃない。

 


 「そうですね。私もそんな偽善者は嫌いです。昔から、そんな偽善者を見るたびに………首を折ろうと考えたほどです」



 そういいながらライダーは目を細めながら俺を見て小さくなにかつぶやく。


                                           「………のことは解るんですね」



 聞き取れなかったが、俺はあえて聞き返さなかった。

 そして、さらになにか小さくつぶやいたあと、ライダーは。




 「でも、士郎は彼を殺さず桜の行為を黙認した」



 なぜですか? とその灰色の眼をこちらに向けた。



 その目に、いつか見た光景が蘇る。 

 なぜ、奴を助けるのかと。なぜ、解らないものに信用できるのだと。

 問いかけた、俺自身の言葉。




 (さてな………。だが、あの馬鹿のことだ。何か考えがあるんだろう)

 それは以前、エヴァンジェリンが言った言葉。




 「奴を桜が救う必要はないと、今でも思っている。そんな危険な行動を桜にとらせるべきでもないと」




 ―――――それでも。



 (―――――知らんよ。馬鹿の考えなど)

 なぜか、あの時の情景が目に浮かぶ。  

 理解できない、かつての仲間。

 ありえない行動。それでも、信じ続けた奴の姿。  





 
 「それでも、本当に桜が奴を救いたいと思っているのなら」




 ………俺にそれを止める権利はない。 



 
 どんなことがあっても、桜を護る為に生きる。

 それが、あの時選んだ道。

 だから直前まで、桜を危険から遠ざける。

 俺が間違っていると思ったことは、させたくない。

 今まで苦しんだ桜が。これ以上、苦しむところなんて見たくない。



 それでもそれが。

 俺が間違ってると思っていても………。

 桜にとって、【獏】を助けるコトが本当にしたいことなら。

 心から、奴を助けたいと思うなら。

 学園と死者を救おうとした奴を、桜が救いたいと思うのなら。


 


 ………止めてはいけないのだと。思ったのだ。






 「――――それは、あの2人の影響ですか?」





 ライダーが視ているのは、エヴァンジェリンと【獏】

 【獏】がどんなに愚かな行動をしようと。

 その行動を理解できなかろうと。

 
 
 【獏】のしたいようにさせたエヴァンジェリン。

 奴を最後まで信じた、真祖の吸血鬼。

 

 
 (あの馬鹿の考えなど読めん。ただ、終わってみれば………【ああ、なるほどあの馬鹿らしい】と、思うだけだ) 



 殺さなければならなかった、殺すべきだった男。

 それでも、限界まで。

 奴の我がままを聞き続けた、エヴァンジェリン。

 時には奴を守った。

 救える方法があった。

 誰かに奴を捕らえさせて、学園外に連れて行けばいい。

 奴を守りたいなら、奴の意見など聞かなければいい。



 それでも、奴の意思を尊重し。

 奴の我がままを限界まで聞き続けた。



 殺すチャンスは何度もあり、助けるチャンスも何度もあった。

 それでも、奴は。



 エヴァンジェリンは奴がやりたいと思うことを、決して否定しなかった。

 言葉で止めようと、行動で止めようと。

 奴の行動を限界まで見守って、最後には協力した。



 殺すならすぐできた。

 守るならすぐできた。


 奴の考え、信念を無視すれば。

 できることなど、いくらでもあったのに。

 学園の呪いと、奴の狭間で。………限界まで苦しんでいた。







 「違うな。―――――俺はあいつらが嫌いだ」

 




 俺の否定の言葉にライダーはクスリと笑うと、桜達に視線を戻した。 
  
 その笑みに、なぜか俺は反論できなかった。

 何が言いたいのか、聞くべきであったのに。

 聞くことができなかった。



 だが、まだ終わったわけじゃない。

 まだ、桜の術が成功したわけじゃない。

 何かあれば、すぐさま奴を消せるように。―――――俺は新たな剣を投影した。




 投影したのは「布都御魂剣」

 悪神の化身の魔力を退け、ほかにも数々の悪霊を消し去ったとされる剣である。



 
 もはや、妖気の大半を占めた紺青鬼の魂が消えた以上。
 
 この一撃で、奴と体内の妖気は消せる。
 
 
 

 桜に危険が及んだ時、ルールブレイカーの解呪が間に合わない時。

 コレで確実に殺す。




 桜が獏を救いたいという想いは、ギリギリまで守る。
 
 だが、危険だと感じたときは………。




   

 そう覚悟を決めて、2人の魔法施術をみていた。





 ◇



 


 「―――――――magische Macht



 (桜さん、エヴァンジェリンさん。まだですか?)


 

 呪文と共に、ネカネさんの念話が聞こえる。

 切迫した様子は、残り時間があまりないことを意味した。



 時間を引き延ばすのも限界らしい。


 でも………。あと少し。

 時間が欲しい。




 
 そう、それは考えれば当たり前の事であった。

 現実の手術でも、癌や心臓病などのナニカを切除する外科手術には膨大な時間がかかる。




 今回は魔法とはいえ、幽体の身体から呪いだけを桜の体内に吸収する術。

 学園で実体化した妖気。

 村人の魂が無くなったとはいえ、それは膨大な量。

 
 
 それを己を苛む呪いに耐えながら、魔術行使を続けなければならない桜の負担。

 それは、とても危険な事。

 
 
 人間達の体内に妖気が実体化したとき。

 桜が最初に考え、士郎がやめさせた治療法。

 人体から妖気自体の吸収。


 
 あの時、桜がそのまま吸収していたら。

 紺青鬼は、怨みのまま死んでいた。

 故に、その判断は間違ってはいない。




 「―――――――sich reinigen Hohlraum




 だが、桜が【獏】から妖気を吸収しようと、ネカネが術を制御できなくては意味がない。

 ネカネの術が先に終わってしまっては。

 桜の魔力が暴走する。




 「―――――――das Reinigen von Einrichtung



 (2人とも、もう限界です)


 

 むしろ、ココまで持ったこと自体が奇跡なのかもしれない。

 

 このままでは、士郎が解呪して。

 学園に妖気が蔓延する。

 だが、もう時間が。


 
 
 「―――――桜。ここまでだ」 



 

 危険と判断した士郎が、剣を構える。

 破魔の剣。悪霊を切り裂き国を平定した「布都御魂剣」

 別名「平国之剣」



 ルールブレイカーで解呪できなければ、最悪これで妖気ごと消し去ると。

 
  
 

 「………先輩待っ――――!」



 
 桜の声を、無視してルールブレイカーが【獏】に刺さる寸前。





 ………風がふいた。

 春を思わせる穏やかな風が。

 桜通りの桜を散らせて、僅かに士郎の視界を塞ぐ。




 桜、それは呪いの花。

 穢れを吸い取り、黄泉へと流す伝説の華。


 その桜を含んだ風と共に。




 ―――――ありがとう。



 声が聞こえた。



 その声に振り返るのは、衛宮桜。

 かつて聞いた声。
 
 自分に何度も呼びかけた声。


 
 彼女しか聞こえない声。




 だが、なぜか。

 獏とエヴァンジェリンがその声に反応していた。




 
 急に動きを止めた2人に、不思議そうな顔をする士郎。

 だが、彼の疑念は払拭されることはなく。

 

 
 3人にだけ、声は聞こえ続ける。




 ―――――ありがとう。兄様の願いを叶えてくれて。




 
 その言葉と共に、桜の身体から僅かな妖気が消えた。




 ―――――少しだけだけど、持っていくね。






 その声と共に、桜並木が薄紅色に染まった。

 視界を一面に染める、桜吹雪。

 それは何時か聞いた伝説のように、桜の身体から穢れを吸い取った。



 妖気、穢れを吸い取り黄泉へと流す。

 人々が感謝を詠う、桜の花。



 まるで、妖花である桜が妖気を吸い取ったように。

 彼女から、妖気を吸い取っていった。






 僅かな妖気が無くなったその瞬間、桜に余裕が生まれ獏の妖気を吸収し終える。

 そして、エヴァンジェリンがその幽体を人形に籠めると。






 ―――――いずれまた………。





 そういって、何時か見た子供は消えていった。

 何時か見た子供。
 
 衛宮桜にしか、見えなかった子供。


 
 それがなぜか。衛宮桜、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。………そして。獏にだけ見えるようになって。







 ………泡沫(うたかた)の夢のように、薄紅(うすべに)にとけて消えていった。










 
<続>



感想は感想提示版にお願いしますm(__)m









◇人形に幽体を籠める183時間目参照 

◇フラガラックを士郎が投影するというのは独自設定です。

◇『夢移し』は感想でコモレビ様の意見を使わせていただきました。
コモレビ様ありがとございますm(__)m


◇幻想空間に移行できる、魔法使い。
108時間目、刹那の精神を幻想空間に飛ばしています。ですので夢見の魔法も使えると思います。

◇桜の伝説12話参照。

◇桜の魔力を他人が使い動かす
6巻で千草が木乃香の魔力を使ってますので、できると思います。

◇桜の魔術、吸収。そしてネギまの闇の魔法「吸収」が同じでしたのでこのような設定にしました。

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