――――――――架空元素。




 桜、本来の魔術特性である。



 遠坂凛の五大元素に勝るとも劣らない、稀有な魔術特性。

 奇跡に等しい資質。天賦の才。





 だが、そのあまりにも優秀な才能は。

 魔道の加護がないと、あらゆる怪異を招きよせてしまう。





 血の宿業………魔性の【呪い】といえるモノ――――それが架空元素と呼ばれる、桜の魔術特性だった。





 



 遠い雨   18話





 

 ――――――泣いているよ。



 ふいに聞こえた声に、桜はちゃぶ台から顔をあげた。



 何時の間に寝ていたのか、そこは住み慣れた衛宮の屋敷。

 外からは赤い夕日が差し込んで、ちゃぶ台が赤く輝いている。

 そして、夕焼けの風にのって鼻をくすぐるのは。

 新しい畳と夕餉の支度の香り。

 懐かしいあの家の香りだった。




 ………それはもはや、見ることのできない筈の光景と日常の香り。

 もう戻れない、向こうの世界。





 ちゃぶ台に突っ伏すように寝ていた桜は、声に誘われて隣に視線を向けた。




 そこには、緋色の着物を着た小さな子供が座っていた。

 年はまだ5、6歳だろうか?

 古風にも髪を真ん中で分けて、肩までたらしたおかっぱ頭。

 そのあどけない顔立ちは、男の子か女の子か、判別がつかない。

 



 ―――――泣いているよ。

 ―――――苦しい、苦しい。と泣いているよ。





 子供はまた口を開き、同じ声で繰り返す。

 両手をそろえて膝の上において、身じろぎもせず桜の顔をみつめたまま。



   


 「誰が………泣いているの?」





 おそるおそる桜は、子供の無表情な顔を見ながらたずねた。




 ―――――お願い、助けてあげて。



 細く切れ上がったその目、まるで野生の獣のような美しい瞳。

 

 ―――――間違えないで………■■を。










 ◇





 




 「―――――桜!」


 小さな声と共にガクガクと、体を揺すられて桜は目が覚めた。

 

 「先輩? それに、ネカネさんにライダーまで」

 「………私達はオマケですか?」

 

 桜の言葉に憮然となる2人だが、士郎の様子は何時になく切迫していた。

 2人の言葉を黙殺すると、
 



 「桜、すまないが今すぐ起きてくれ。近衛と神楽坂の警護は桜咲と龍宮にお願いした」 



 桜に急ぎの用事だと伝え、身支度を整える事を頼んだ。

 魔法関係の事件が起きたと伝えて。




 「じゃあ、外で待ってるから」

 「はい、すぐ行きます」




 先程の夢を少し不思議に思いながら、桜はいそいで身支度を整えだした。


 ここは本来、男子禁制の女子寮の中。

 士郎がこんな真夜中に彼女の部屋に来たのは、魔法関係で緊急の事態がおきた。と、いうことだろう。
 


 妙な夢を思い出している場合ではない。
 
 桜は素早く身支度を整えると、士郎の元に走っていった。




 


 ◆








 士郎は学園に行くまでに、桜に簡単な説明をしていた。

 



 ―――――ここのところ、学園では通り魔的な傷害事件や事故が多発していた。


 夜の商店街を暴走族が襲撃し、

 繁華街や通りの出店ではささいなイザコザで、集団暴行事件が発生する。

 超包子でも、喧嘩騒ぎが多発しているらしい。

 放火や窃盗も連日新聞をにぎわし、

 今朝の朝刊では、昨夕電車の中で勤め帰りのサラリーマンが、他の乗客にナイフで斬りつけた事件が報じられていた。

 誰に聞いても、犯人は真面目で小心な男だったと言うのだから、それこそ魔がさした。としか言いようがない。





 それらの原因は“妖気”のせいだと、学園長は言っていた。

 学園に満ちた、不穏な妖気。

 一ヶ月前に倒した呪いの鬼、紺青鬼と雷電の妖気。

 サーヴァント並みの怨霊。

 地形効果により、底上げされた能力と妖気。

 その残留思念が学園を覆っていたのだ。

 そして………その凶々しい氣が、心の奥底にある邪気を呼び覚ます。


 

 妖気に毒された人間はほんの小さなきっかけで、苛立ちや悪意といった負の感情を抑制できなくなるものだ。




 勿論、学園としてこのような状況は見過ごせるものではない。

 だが、それより先に解決すべきことがあったのだ。
 




 学園に封印されている鬼神の復活。

 これこそが、相手の本命らしいことがわかった。

 妖気によって、学園が混乱している隙をついて動く。

 雷電が失敗しても召喚したことによる、妖気の蔓延。

 コレによって学園の防御を弱める。失敗した後のことまで考えた作戦だ。




 だが、学園も馬鹿ではない。 

 鬼神には強固な封印がかけてあるし、魔法使いも大勢いる。

 このため、敵もこの鬼神達を『呪いの力』だけで封印を解くコトは、できなかった。

 
  
 だが、鬼神の復活阻止の方向のみに戦力を集中した結果。

 呪いは瘴気になり、凶々しい妖気になった。



 
 ただの妖気など鬼神復活より危険度は低い。

 鬼神の復活が完全に無いとわかってから、魔法使い全体で妖気を祓う予定だった。

 



 ――――のだが。

 妖気が学園に蔓延してから、数週間後。

 妖気が人間の『体内』で、実体化したのだ。

 憑依ではなく、実体化である。

 妖気が憑く以上の怪異だ。


 学園の生徒達がある一定の悪夢を見た後、夢を媒介にして体内に妖気が実体化する。





 敵も学園側も、まったく予期できなかった事態だった。

 そもそも、無形である妖気が実体化することなどありえない。

 魔法や陰陽の術によって、妖気は具現化するのだ。





 だが、今回。

 異例なことに、ある『夢』を見た人間は妖気を体内で実体化させてしまった。



 架空の存在であり、深層意識とも言われる存在『夢』

 ある意味、一般人がふれる神秘としては魔法に最も近い存在かもしれない。



 この架空の夢を媒介にして、体内に夢と共に妖気が実体化する。 






 理屈はわかるが、それが実際に起こるとは誰も予測できなかった。

 誰もが考えなかった、想定外の事件。



 

 だが、俺は。

 そうなる可能性の一つに、心当たりがあった。



 ………桜の視点で夢を見たときから。







 ◆










 「お待たせしました。状況は?」

 俺たちが学園についた時、そこはさながら救急病院のようだった。

 

 
 そこにいるのは学園の生徒達。 

 中等部から初等部の生徒達が、青い顔をして講堂に寝かされている。

 意識が無いのは、魔法によって眠らされているからだろうか? 

 

 「よく来てくれたの、早速でスマンが状況を説明するぞい」

 

 学園長の説明は簡潔だった。

 あの事件、紺青鬼から雷電を己に憑依させた術者。

 あれから一ヶ月後、生徒が昏倒する事件が続発したという。



 呪いの汚染。

 その妖気を体内で実体化した人達が【妖気ごと生命力を吸われた】のだ。

 妖気を体内で実体化させた生徒達を救おうとした、矢先の出来事である。

 


 

 以前から桜通りの吸血鬼という噂があり、その犯人はエヴァンジェリンだったが。

 今回のモノは違う。

 エヴァンジェリンは生徒の命を危険に晒すような事はしなかったそうだ。





 だが、今回の事件は一つ間違えば死人が出てもおかしくない規模だった。

 これまで、深刻な規模で事件は起きなかったが、

 今夜、急激に患者が増えたのだ。

 そのため、倒れた生徒を調査したところ。

 生命力を危険な状態まで、吸い取られていたらしい。  








 そして、その危険な状態まで生命力を吸われたのは。


 ――――妖気を体内で実体化させてしまった、人間達であった。








 そのため、体内の妖気と共に生命力を吸収された生徒達を、貧血の治療という事で学園に集め。

 これから生命力として、魔力を送り込むというのだ。

  
 
 このために必要なのは、大量の魔力。



 そのため、桜とネカネさんが呼ばれた。

 桜は巨大な魔力を持っているが、繊細な行動はできない。

 傷を治すのではなく、弱った人間に生命力を注ぐというのはとても繊細な作業だ。




 餓えた人間に、急激にご馳走を食べさせると死ぬ事がある。

 コレと一緒で、弱った体に大量の魔力や生命力を流し込む事はとても危険だ。



 まして、その能力が無色な力でない以上。

 それを制御する人物が必要だった。




 エヴァンジェリンは却下である。
 
 彼女は不死者であるがゆえ、治癒系の魔法は苦手だ。



 このため、長年一緒にいたネカネさんと桜が協力して、生徒達に魔力という生命力を注ぐ。

 という仕事を依頼されたのだ。

 

 「………というわけなんじゃが、お願いできるかのう」

 「はい。私でよければやらせていただきます」 
 
 「ええ。皆さんは他の犠牲者がいないか確認をお願いします」

 

 桜とネカネさんは当たり前のように頷いた。

 戦闘系が多いこの学園では、このような繊細な治癒魔法を使える魔法使いが少ない。

 それに、魔法使いの大半が鬼神の封印をもう一度確認しなければならないらしい。

 そのため、この場にいるのは僅かな魔法使いに桜達のみ。




 生徒達の周りには魔方陣が描かれ、桜からの魔力を体に負担がかからないように取り込む準備がなされている。

 思ったより人数が多い。

 桜達だけで、大丈夫だろうか?




 1人や2人でも、自分のものを他人に移すという治癒魔法は難しい。

 普通の外科の手術ですら、連続で何人も患者の手術をすることは自殺行為だ。

 時間の経過と共に、体力は消耗し。

 集中力はなくなり、ミスが出るようになる。

 まして魔法を使うのだ。
 
 どれほど精神力を削られるのか想像がつかない。



 こんな時、自分の無力さを痛感する。

 俺に許された技術は剣製のみ。

 その剣に秘められた魔力を使おうにも、無くなった魔力や生命力を増やしたりする剣を俺は知らない。

 傷を治す剣ならいざしらず、生命力を増やす剣など………奴の経験から読み取れなかった。



 

 奴、赤い弓兵から得たのは戦闘技術や経験だけだった。

 あいつなら、なにか知っていたのだろうか。

 こんな時、俺でもなにかできるコトがあるということを。




 戦闘だけではなく、治療に必要な経験を。

 ………奴は、知っていたのだろうか。



 

 ―――――ギリッ。


 

 噛み鳴らす歯の音に、自分を罵倒する。
 
 そんな事をして、何になるというのだ。

 今………必要なのは、他人に魔力や生命力をわける業。

 それをできるのは数少ない学園の魔法使い。 

 
 
 そして………今は、桜とネカネさんだけしかいない。

 他の魔法使いは、これ以上学園の妖気が蔓延しないように浄化する儀式をしているそうだ。

 そちらは魔力よりバランスが重要な為、長年共に行動した魔法使いしかできない儀式らしい。 






 「―――――士郎さん」

 「………すいません、ネカネさん。こんな時に何時も役立たずで」





 大丈夫だと笑う、ネカネさんと桜の笑顔が痛い。

 剣を創ることしかできない俺には、解らない。

 これからやることが、どれほど難しいのか。

 呪いや妖気で疲弊した、少女達。

 彼女達を治療しながら、魔力を注ぎこむ。




 実体化した妖気を浄化して、治療し、更に魔力を注ぎ込む。

 コレに比べれば、いくらか簡単な事かもしれない。



 だが、それでも。

 その魔法行使がどれほど難しいのか。

 少なくとも、俺のような未熟者には解らない。

 いや、解ったなど簡単に言ってはいけない。

 




 「………」

 「桜のこと、よろしくお願いします。魔力が暴走しないように………危ないと思ったら、ネカネさんはなんとか逃げてください」



 情けない。俺には彼女達と共に戦う力すらない。

 今ここで、助けを求める人たちを救う力。

 彼女達を護ることもできず、祈る事しかできない無力なモノ。

 オタオタとみっともなく、見守る事しかできない弱さ。

 なんて………。卑小な自分。




 「士郎さん、少し頭を下げていただけますか?」

 「………こうですか?」






 ―――――パン!





 景気よく俺の頬が鳴った。

 ネカネさんは、ハアッと溜息をつきながら俺の頬を張った手を下ろす。

 音こそ派手だが、俺にはたいしたダメージはない。

 それよりも、いきなりネカネさんが俺を叩いたことのほうに驚いた。



 いつもニコニコと笑っている彼女が、こんな事をするなんて。

 今の俺はそんなにも、情けない顔をしているのだろうか。






 ◇






 ―――――――何時からだろう、士郎さんの歪な強さと弱さが解ったのは。


 

 自分自身のことは、少しも大切にしない。

 誰かのために、士郎さんは自分を捨てて戦う。
 
 だが、私や桜さん。そばの誰かが傷つく事を極端に恐れてしまう………。

 優しく、歪な人。




 「士郎さん。私と桜さんを少しは信用してください」
 
 「―――い、いや信用していますよ」



 

 もう、士郎さんを追いかけないと決めた。

 でも、桜さんが自立するには。自信を持つためには。

 士郎さんが桜さんを信頼して見守るという『強さ』も必要になる。

 

 
 「なら、そんな顔しない! 私達は生徒の治療。………士郎さんは、士郎さんしかできないことをしてください」

 「俺にしかできないこと………」




 今日の事件、コレはある意味チャンスだ。

 桜さんが士郎さんから自立して、自分に自信をもつチャンス。



 「私達は、私達にしかできないことをするだけです」

 「でも、桜の魔力量をネカネさんが操作するのは凄く難しい――――」

 「だったら、早く原因を突き止めてください。桜さんのためにも」



  
 士郎さんは、少し戸惑った後。

 私から離れて、桜さんに優しく言葉をかけた。



 「桜、くれぐれも無理はしないでくれ」

 「はい。大丈夫で………す!?」



 士郎さんは、桜さんに最後まで言わせずにその体を抱き寄せた。

 耳元でなにか小さく囁き、その言葉を顔を赤くしながら桜さんは幸せそうに頷いている。






 ………。その姿に思わず、視線を背けてしまう。
 
 解ってる。もう、あの2人の間に入れないことも。

 それでも、護れるものがあるなら護るべきだと思った。

 桜さんの心。

 私より遥かに魔力量の多い桜さん………マギステル・マギになるであろう彼女の心を護るために。

 彼女より力のない私ができる事をするために。

 そのことに、少しも後悔はないけど。

 



 それでも、まだ。

 このように、仲のよい2人の姿を見るのは――――少し、辛かった。


 


 ◆

 


 桜を抱きしめた後、もう一度無理をしないように念を押し、体を離した。
 
 今の俺にとって、桜を護ることが全てだから。

 桜は顔を赤くしながらも、しっかりと俺の言葉にうなずき。

 そして俺を見上げた。 

 


 「先輩。私もネカネさんもこの子達を助けます。だから早く………」


 ――――原因を突き止めてください。




 桜は俺の言葉にうなずくと、優しく微笑みながら言葉を紡いだ。

 その優しくも意思をもった微笑をみて、俺はやっと冷静になれた。





 今、俺にできることはない。

 彼女達に任せ、自分ができる事を探す。

 なぜ、こんな当たり前のことが解らなかったのか。




 桜とネカネさんをもう一度みて「はあ」と溜息をつく。

 何時の間に、彼女達はこんなに強くなったのだろう。 

 俺がぐずぐずしている間に、心を決めた彼女達。

 見守るつもりが、いつの間にか見守られていたなんて。



 ………なんて、無様なんだろう。

 

 それでも、俺にできることはあるはずだ。

 俺の想像通りなら。きっと俺の力も必要になるはず。

 だから、どうか。



 「解った。………2人とも頼んだぞ」



 いつまでも、無事でいて欲しい。

 せめて………俺のそばにいる人たちだけは。






 その言葉を後にして、俺はライダーに後のことを任せて学園長の下に走っていった。


 


 


 ◇




 

 胸の前に手を当てて、ほうっと溜息をついた。

 久しぶりに感じた、先輩の体温。

 鍛えこまれて堅くなった指先。

 それでも、暖かく私を護ろうとしてくれている。

 その先輩の優しさが嬉しかった。

 

 先輩が走り去った後、振り返ると。

 その場にいる皆さんが微笑ましいものを見た。という視線で私を見ているのに気がついた。

 


 いや、………気がついてしまいました。




 顔が熱をもつのがわかります。
 



 今更ながら、皆さんの見ている前で大胆なことをされてしまった。

 でも、あんなに積極的になる先輩は珍しいから嬉しかったんです。




 ………嬉しかったんですけど。こっちをみているネカネさんの眼が怖いんです。

 凄い見てます。ジト目で凄いプレッシャーをかけてます。

 視線が突き刺さるように痛いんです。 

 ビシビシというより、ザクザク突き刺さってます。 


 犬だったら、仰向けにお腹だして降参したいくらい怖いです。

  

 



 「――――――見せつけてくれますねぇ。桜さん?

 「あ、ネカネさん。いえ。その、今のは、ついと言いましょうか」

 「ふーん?」

 「あの………その。ですから! はやくこの子達を助けましょう。今はそれが一番大事なコトです!!」

 「………まあいいでしょう。それには同感です」

 「そ、そうです。それが一番大事です」

 「詳しい事は、術が終わってからゆっくり聞くということで」



 ………忘れてはくれないんですね。ネカネさん。

 このあと、ネカネさんの行動が恐ろしいです。

 女の嫉妬は醜いですよ、っと言いたいですけど。

 私が言うなと返されそうで、怖くていえません。



 それどころじゃないというのに、こんなことしてていいんでしょうか?




 ◇




 軽口を終えて一度深呼吸すると、意識を切り替え。

 私とネカネさんは、ここで向かい合い意識を集中させる。

 そう今だけは、ここにいる人達の為に。



 今の軽口で、緊張もほぐれた。

 なんだかんだいっても、ネカネさんは私を何時もリラックスさせてくれる。

 その少し乱暴な心使いに、心の中でお礼を言うと。 


 そ度こそ護れることを感謝しながら、呪文と共に祈りをささげる。




 性格も、辿ってきた道のりも。
 
 違う二人だが、思いは一つに。

 言霊を紡ぐ。  




 「Es erzahlt―――aufrichtiger Glaube 」

 「Es erzahlt―――aufrichtiger Glaube 」






 始まりは同じ言霊、意識をシンクロさせて言葉を紡ぐ。

 言葉は多かれ少なかれ、魔力を持つ。

 その言霊を同一のものとすることで、想いを一つにする。





 「sich sichten Anzeichen ―――――」 

  
「sich sichten Anzeichen ―――――」 




 生徒に魔力の道を通し、新たな力とする。

 魔法陣が蒼く輝き、周囲に風が渦巻きながら蒼光が絡みつくように風を捉え魔方陣へと流れ込んでいく。




 「Blutopfer――――― sich bieten Gebete 」

 「Blutopfer――――― sich bieten Gebete 」




 桜は魔力の制御に努め、それでも膨大な魔力をネカネは生徒に注ぐ。

 1人は、自分にある膨大な魔力に身を裂かれそうになりながら。

 1人は、自分のキャパシティを超える魔力を宥めながら。




 詠唱は共鳴しながら響き合い渦巻いていく。足元の魔方陣が震え、2人の魔力を流し込んでいく。 

 影と呪いを桜は自身の体にとどめ、それでも僅かに混じる呪いをネカネが濾過していく。

 

 


 その2人の我が身を裂くような治癒魔法は、夜の間ずっと続けられることになった。



 一夜では終わらない、治癒魔法。

 衰弱した体にいきなり大量の魔力は危険なため、少量ずつ長い時間をかけて。

 2〜3日に分けて、魔力を注いでいく。

 まだ、治癒行為は始まったばかりだった。





 ◆






 俺は生徒の治療を2人に任せ、学園長室に来ていた。

 そこには学園長と、なぜかエヴァンジェリンがいた。



 「すまんのう。では説明なんじゃが、原因はもう解っておるんじゃよ」

 「―――は?」

 「ああ、そう殺気立たんでくれ、今から説明するからの」





 それから学園長は、なぜこのようなことになったのかを説明しだした。

 なぜ、あの場所。

 桜とネカネさんがいる場所で話せないかを。





 「簡単に言うとじゃ。一ヶ月前の事件は失敗した時のために、予備の作戦を引いていたようなんじゃよ」

 「予備の作戦? 鬼神の復活以外にですか?」

 「うむ。………呪いの鬼が聖地に入り込むことによる、聖地の汚染じゃよ」



 呪いによる聖地の汚染。
 
 無色で巨大な力。聖杯と同じだ。




 聖杯戦争で賞品である無色の力【聖杯】は、もうすでに呪いに犯されていた。

 第3回の聖杯戦争で召喚された、アヴェンジャーのサーヴァント。

 アンリマユが、聖杯を汚染したのだ。

 全ての悪であれと、祈られただけのただの人間霊。

 アンリマユは周りが“悪であれ”と願って創り上げられたためにアンリマユであり続け、聖杯がその願いを受諾してしまった。




 そう、聖杯は願望器。願いを叶えるモノ。

 全ての悪であれ、と願われ。そしてそれを聖杯が叶えたコトにより聖杯は呪いに犯されていた。 

 あまりにも巨大な悪意。


 
 アンリマユというサーヴァントは能力こそ低かったが、

 【人を呪う】【この世すべての悪】【人間たちを殺し尽す】という存在だった。







 無色の力と、奇跡の品【聖杯】によってできた歪んだ呪いの奇跡。



 そしてこの地。聖地にも聖杯はあった。

 世界樹である。




 ただし、世界樹は聖杯と違い全ての望みを叶える訳ではない。

 告白を必ず叶えるという、小さな願い。

 それも22年に一度、学園祭の期間にしか使えない程度の小さな奇跡しかおこせなかった。



 だが、それも。 
 
 使い方によっては恐ろしい武器になる。




 勿論簡単な事ではない。

 だが、複雑な術式と組み合わせれば。人としてあまりにも巨大な怨恨は強力な強制力を持つ。



 それこそ、世界中にある一定のメッセージを伝える事も可能だろう。

 呪え、争え。といった負の情念。

 それらを世界に流すことが目的だとするなら。 


 全てを呪った雷電と紺青鬼の呪いの汚染を学園祭まで続けること。それが奴らの目的。 



 紺青鬼の呪いは永遠に詠い続けるだろう、恨みの唄を。

 そして、それを永遠に聞き続ける世界樹。

 
 
 その慟哭の叫びはどれほど世界樹にダメージを与えるかわからない。



 あの聖杯ほど危険なものにはならないだろう。

 


 ただ呪詛が聖地の中で蔓延し。

 学園祭で、世界樹の発光と共に“開花”する



 コレを全世界に送り。12箇所あるという“聖地”と共鳴させる。

 

 それにより、ドコまで呪いが広まるのか。






 この可能性に俺は気がつかなかった。





 
 だが、学園は俺ほど愚かではなかった。

 鬼神の復活、聖地の汚染。この2つの驚異を相手に護りきったのだから。
 
 そして俺は単純な戦闘でないと、役に立たない。
 
 だから休んでいられたのだ。




 それ故に危険度の低いコト。

 妖気が学園を覆うことなど、後回しにされたのもわかる。


 鬼神の復活と聖地の汚染。

 この2つを予定通り阻止した学園は、かねてより計画していた妖気の浄化をしようとした。



 だが、計算は狂ってしまった。妖気は犠牲者の体内で実体化したのだ。

 これにより妖気が大勢の人間を穢すことはなくなったが、妖気に汚染された人間を救うことは困難になった。




 下手に体内から妖気を浄化しても、他の人間に憑かれては意味がない。

 だが、体内で妖気を殺せば最悪、憑かれた人間が死ぬ。

 妖気を体内から浄化して、殺し。同時に憑かれた人間の治療をするのは………考えるだけで難しい。

 2つの危機をとめるために、後回しにした事件はとてもタチの悪い事件となってしまったのだ。 





 「無論、わしらは鬼神の復活と聖地の汚染。この2つに対する備えもしていたし、間違えなど無いはずじゃった」

 「鬼神の復活も止める事に成功したしな」 

 「じゃが、………今回。想定外の事件、妖気の実体化がおきたのは」 

 「桜の存在ですね」
 
 「―――知ってたのかのう?」

 「ええ」




 桜の存在。こちらの世界ではない魔術師。

 向こうの世界でもそうだが、桜はあらゆる怪異を引きつけてしまう。



 
 桜の魔術の才能は、あまりにも稀有なモノだった。

 条理の外側に突出しすぎた適正。

 その才能は必然的に、日常の外側にあるモノを【引っかけて】しまう。

 

 
 その怪異から護るためには、魔道を理解し身に修めるしかない。 
 
 だが、桜に魔術教育はまったくなされなかった。

 桜は魔道の加護を受けていないのだ。

 故に、簡単に異常を【引っかけてしまう】

 


 だから、妖気という目に見えない怪異。

 コレを実体化させたのは、架空元素。


 桜の特性である可能性が高かった。



 聖杯戦争の中でも、桜は無意識に【影】を実体化させていた。

 神秘を実体化させる。

 妖気を実体化させる。



 妖気が実体化し、一般人の中に巣食ったと聞いたとき。

 この可能性を一番恐れたのだ。


 桜の視点で夢を見たときから、それが他人にも繋がっていないかと。

 

 ◇ユングは人間の精神世界の深奥に広がる無意識の領域は、
 個人レベルの幼児期の 外傷的記憶といった矮小な領域に閉じたものではなく、
 人類全般に共通するような広大 無辺な“集合無意識(普遍的無意識)”へと開かれている

 




 といっていた。簡単に言えば、夢は無意識で他人に繋がっているということだ。

 もしそうなら、桜の夢を妖気を媒介として他人が見た可能性があった。

 そして、怪異を引っかけて体内に妖気を実体化させてしまう。

 エヴァンジェリンの術による魔力の暴走、そしてアンリマユにちかい呪いの瘴気。

 この2つを短い間隔で体験した桜(紺青鬼と雷電は呪いの瘴気を学園で吸い込んだ)

 その稀有な魔術特性ゆえに、怪異を引き起こしてしまった。

 せめてエヴァンジェリンの事件さえなかったら、こんな事にはならなかったかもしれないが。


 
 今更言っても、仕方のないことだ。





 「わしらも少し変な事がおきてのう」

 「私もだ」

 「………エヴァンジェリンもですか?」
 




 そして、2人は語り始めた。

 俺がみた夢と同じ【夢】の話を。

 そこにいるのは、衛宮士郎。

 薄暗い土蔵のような場所で、魔法訓練をしている(実際は魔術訓練だが2人は知らない)

 

 その夢を見た後。




 「記憶が無いんじゃよ」

 「気味が悪いものをみた。という記憶はあるんだが、なぜかその後が思い出せんのだ」




 おかしな話だが、符合する。

 聖杯戦争では夢で、桜は無意識に影を実体化させて町を歩いた。

 その、夢を実体化させる。

 実体化させた夢を共有する。

 これらを無意識におこなったということか。




 おそらく触媒は、呪いの瘴気。

 全てを怨んだ紺青鬼と雷電の妖気と、全てに怨まれたアンリマユ。

 この2つが共感したのだろう。


 学園に蔓延する呪いの瘴気に乗り、桜の夢が他の人間の【夢】に映し出された。

 そして、桜の魔術特性からその夢は妖気に実体化した。

 アンリマユのように、呪いの瘴気が実体化したのはおそらく間違いが無い。



 桜はあのときほど、追いつめられていないためその程度で済んだのだ。

 虐待や、魔力の枯渇にも苦しんでいない。

 そして、いくら呪いの瘴気といえど【この世全ての悪】ほど絶対的な呪いではない。

 故に桜は、他人の魔力を吸い取る事などせず。

 だが、日常に怪異をひっかけ、妖気を実体化させてしまった。



 その後、おそらくこの2人は桜が受けた虐待を知った。
 
 だが、その【夢の記憶】をナニモノかに『吸い取られた』のだ。




 妖気に耐えられない一般人は暴力事件をおこし、

 魔力に耐性のある魔法使いは、自力で妖気から開放された。

 そして抵抗力のない少女達は、倒れている。




 この状態で、俺達は1人ずつ妖気を祓い、治療し、生命力を補充するしかなかった。





 「じゃがわしら魔法使いとは別に妖気に汚染された生命力を、吸い取ったものがいたんじゃ」

 



 魔法使いと一般人から妖気と共に、その夢の『記憶』すら吸収したモノがいたというのだ。

 それが今回の昏倒事件。

 そんな事ができるのは、俺が知っている限りアレしかいない。


 

 「おそらく他にもおるじゃろうが、彼らの記憶も取られているじゃろう」

 「無理をして妖気と記憶の吸収、こんな馬鹿な事をする奴………か」




 

 体内に実体化した呪いの瘴気。
 
 これを祓うのは、かなり難しいはずだ。

 陰陽師なら贖物、形代。魔法使いならヤドリギなどで祓うのだが。

 それには前述したとおり、時間がかかる。

 大量の人間を一度に治癒できるか?

 と、問われれば。無理だとしかいえないだろう。

 だからこれほど時間がかかったのだ。




 しかし、妖気を全て吸収してしまえばどうだろうか?

 後は、生命力を注ぎ込むだけ。

 手早く、大勢の人間を救うことができる。 




 だが、妖気を自分の体内に吸収するのは、毒を食い続けるようなもの。

 妖気を確実に取れるが、自滅する可能性は高い。

 確かに乱暴で自分の体を考えない無茶だが、他の人間を救うには確実な方法だ。
 





 そんな事が人間に出来れば………だが。

 


 「とりあえず今回の事で、妖気を祓う必要は無くなったわけじゃ」




 学園長は一言も桜を責めることなく、話を続ける。

 問題は多い人物だが、こういうところは素直に感心する。

 妖気を実体化させて、学園の生徒と魔法使いを危険に晒したのは桜の魔術特性だ。

 本来、魔道の加護や魔術刻印を授けるのは、第二次性徴が完了するまでに行われるのが好ましい。

 


 だが、その期間。桜は虐待を受け、聖杯の機能を取り付けられたのみ。

 彼女に魔道の加護は授けられなかった。

 故に、日常の外側のものを引っかけてしまう。

 だから今回のように、怪異を引きこんでしまったのだ。

 だが、学園長は全てを知っていながら、微笑を絶やさない。

 

 
 実際、実体化した妖気はこの学園において敵ではないことも理由のうちだろう。

 下級の鬼か妖怪になる程度の妖気。

 人間の体内にいたり、空気に混じっていたから厄介だったのだ。

 

 だが、それでも。それを起こした桜を責めないのは、ありがたかった。  




 「そして実体化した妖気を生徒達から吸い取ったモノがいる、ということなんじゃが」

 「………心当たりがあるんですね?」



 エヴァンジェリンではないようだ。

 先程、心当たりがあるような事を言っていたし。



 彼女ならできてもおかしくないが【血は吸わない】と誓約したのだから。


 
 実体化した妖気。夢を媒介にしてその妖気を吸い取るモノ。

 桜の夢が消えたのと同時に、幾つモノ呪いを吸い取った。

 夢という、生命力。

 実体化した呪い。

 呪いと妖気に汚染された生命力を吸い取り、治療の手助けをした存在。





 ………敵か味方か。





 「ああ、おそらく私の昔なじみだ」 

 「じゃあ、その人と連絡を「無理だな」………とれば?」

 

 俺の言葉にかぶせるように、エヴァンジェリンは否定する。

 その様子は、心底呆れたというものだった。

 だが、それは。

 おれに向けられた言葉ではなく、視えないダレカに向かっていっているようだった。



 「考えてみろ。常人なら耐えられない量の呪いを吸収したんだぞ、未だに正気かどうか解らん」
 
 「それに、そのモノの体内で妖気が爆発すればまた、学園に汚染が広がるんじゃ」
 
 「じゃあ、どうすれば?」

 「幸運にも奴はまだ妖気に汚染された人間から、妖気だけを吸収しようとしている」

 「なぜ、そんな事が解るんだ?」

 「………そういう奴だ、あの馬鹿は」





 そこで、エヴァンジェリンは苦々しそうに表情を歪める。

 どこかおかしいその様子に、学園長と顔を見合わせた。



 「大丈夫か、エヴァンジェリン?」 

 「………貴様に心配されるとはな。私も墜ちたものだ」



 その言葉に憮然となる俺を無視して、話し出した。




 「後、妖気に汚染されているのは、佐々木まき絵と宮崎のどか。この2人だけだ」

 「解っているなら、早く妖気を祓った方がいいんじゃないか?」

 「無理だな。今は学園の魔法使いも、妖気を吸い取られた生徒達の治療で忙しい、それにこの妖気を祓うのにも人数を裂かねばならん」

 「祓いと魔力の供給を同時にできるほどの術者がいないのか?」

 「一人ずつでは、埒が明かん。だが今回は妖気を吸い取ったバカがいたから全員を治すなんて、無謀な事ができたんだ」

 

 
 苦々しく、エヴァンジェリンは言葉を続ける。 

 誰なのだ? そいつは。





 「だが、奴もこの2人の妖気を吸い取れば………もう、正気を保てないだろう」
 
 「――――では?」

 「ああ、佐々木まき絵と宮崎のどかの妖気を奴が吸収した瞬間………」

 「そいつを、殺害。もしくは封印するのか?」

 「それが、一番安全な方法だ」

 「無論、できることなら助けて欲しいんじゃがのう。なんといっても学園の恩人じゃし」 




 学園長の言葉に頷きながらも、おそらく殺すしかない。と覚悟する。



 

 確かに、桜達には聞かせられない方法だ。

 優しい2人に、こんな方法を教えるわけにはいかない。

 特に桜には。

 今回の事件は桜の魔術特性が原因でおきた。などと話せない。

 これ以上、桜の心を傷つけたくない。



 
 そしてコレは、俺達にしかできないことだ。

 正義を志す魔法使いに、こんな汚れ仕事を任すわけにはいかない。

 
 
 それに彼らが、ソイツを殺せるとは思えない。
 
 ソイツが学園の為に動いたというなら、ソイツを助けようとするはずだ。

 その行動によって、………学園が危険にさらされようと。

 まだ、どこか甘い心を持っている魔法使い達。

 その心はとても尊いものだと思う。




 ………だが、所詮は綺麗事だ。


 
 
 ならば、俺は。

 その危険を排除するべく、動くだけだ。

 それが、………俺が出来ること。

 存在が善であれ、悪であれ。

 学園を危機に陥れるものを、殺すコトが。





 ………今、俺がすべきことだ。



 




 ◇








 魔力という名の生命力を送っていると、先程『夢』でみた子供の姿が見えた。


 ――――泣いているよ。




 「――――sich bergen Chemotherapie」


 「――――sich bergen Chemotherapie」




 誰が? この人達の事?

 解ってる。今、この人達を助けるから。

 
 
 そう思いながらその声に心の中で答え、前方を見ると。

 ネカネさんの後ろに、先程の夢で見た子が寸分たがわぬ格好で座っていた。

 やはりじっと身じろぎもせず、私のほうをみたまま。


 こうして2度までも現れたからには、コレは夢ではなく。



 
 ………勿論、白昼夢でもないはず。


 

 この子が人間かどうかすら、ワカラナイまま。

 何者なのか、と尋ねようとして。

 自分の唇から漏れた、まったく別の言葉を桜は聞いた。

 


 「―――――――das Ausspeien 」
 

 泣いているのは、いったい誰なの………?

 
 
 唇から漏れたのは呪文の詠唱。

 聞きたい言葉は、今はあの子には届かない。

 それでも、子供は祈るように、囁くように。

 平坦に繰り返し続けた。

 

 




 ――――お願い、タスケテあげて。


 ――――間違えないで、…………選択を。










 <続>



感想は感想提示板にお願いしますm(__)m




◆言葉は多かれ少なかれ、魔力を持つ。
ネギまでは有名な設定ですね。144時間目で夕映が使っていました。
 
◆優秀すぎる魔術の才能は怪異を引き寄せる。
ゼロ4巻の設定です。更に桜はろくな魔術教育を受けていないので、こうなると思います。

◆架空元素が夢を媒介に妖気を実体化させる。というのはオリジナル設定です。m(__)m
無意識に影を実体化させて動かしたから、妖気も実体化させてしまうかも?
という設定にしました。

◆ネギまでユングの設定がありましたので使いました。  

◆治癒魔法は一気にやると、ネギすら魔力酔いをおこすようです。
魔法世界編でそのような描写があるため、一般人に一度に大量の魔力は危険と判断しました。

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