――――昔、とても弱い陰陽師がいた。





 力はなく、魔力も貧弱。

 どんなに頑張ろうと、能力は並み。

 何時も偽善者と罵られ、それでもニコニコ笑っているような男。

 そんなツマラナイ男だった。






 その男が唯一持っていた異能。

 それが夢見という能力。




 未来を知り、他人の心を読むちから。

 実用性は皆無で、煙たがれる存在。

 

 そして彼は。何も残さずに死んだはずであった。

 たった一つの『呪』を吸血鬼の少女に残して。





                 




  

 


 






 遠い雨  19話 






 ―――――月がでていた。



 漆黒のそらに輝く、碧い月が桜を赤く染め上げている。

 夜桜は人を狂わせるという。

 その迷信もあながち間違いではないかのように。………空気が濁っていた。



 

 朽ちていくものの死臭のように、充満していく穢れ。

 肌から胸の中に染み込んでくるような瘴気。



 
 その禍々しくも美しい桜通り。そこに並ぶ桜は風に撫でられ、花びらが舞っていた。

 そして………その桜に隠れるように薄汚い獣がいた。



 いや、アレを獣と呼んでいいのだろうか?


 

 象のように長い鼻、サイのようなつぶらな瞳。

 牛のような尾、虎のような足を持ち。体色は灰色で胸前と尾の上は白い。


 まるで、余った半端モノを強引にくっつけたような姿だ。

 

 その獣は、何か小さく呟いていた。


 

 「あと、………2人」




 それで終わる。

 それで全て救える。

 そう思いながら、もうすぐここを通るであろう少女を待ち続けた。


 
 佐々木まき絵。

 彼女とあと一人。彼女達から■■を吸い取れば、終わる。


 そう思いながら、月光に彩られながら舞い落ちる桜を見上げた。

  

 ――――風が吹いていた。

 桜が螺旋を描き、碧い月を彩っていた。

 闇に輝く青い月と、降りそそぐ月光に彩られた桜に溜息がもれる。




 こんな、きれいな月を見ながら私は何をしているのだろう。

 そう自分を嘲りながら、どうしてこんなコトになったかを思い返していた。







 ◆








 暗い幽冥の中―――――何時、意識が戻ったのか解らなかった。

 ただ、気がついたら其処にいた。

 もう消えかけていた意識。ただ死んでいくだけのもの。

 

 それが、私だった。

 存在が擦り切れ、消えかかった霊魂。

 もう、消えるべきもの。

 そんな弱い霊だった私は、なぜかココに存在していた。





 形を得た『獏』という妖怪になって。




 ◇◇



 
 ―――――狂骨という妖怪がいる。


  

 死んだ人間が強い妄念や執着によって、妖怪になる。

 人間が妖怪になる、稀有な例。

 これが、狂骨と呼ばれる妖怪である。


                              【今昔百鬼拾遺】





 だが………稀に。

 

 生きている時、予知夢や夢限定の幻視を使えるもの。

 かれらが何らかの妄執を持ったとき。

 彼らは、狂骨とはならず。

 夢を喰らい生きる『獏』という妖怪になることがあった。




 吸血種が血を吸い魔力を得るように。

 サーヴァントがマスターと聖杯から魔力を得るように。

 夢魔が恐怖や歓喜、人間の感情自体を糧にしているように。



 人の夢から魔力を得る。

 それが『獏』という妖怪だった。






 ◆






 醜く、汚れた姿。


 妖怪『獏』という存在になってしまった私。

 その獣のような体を、幻で覆い隠し。

 元の人間の姿に擬態した私は、会いに行こうとした。




 懐かしい、エヴァに。



 



 擦り切れた記憶を頼りに。以前見た大きな学園都市を目指し、歩き続けた。

 学園都市、麻帆良学園。そこに着いたときにはもう日が落ちていた。




 

 そしてその場所はとても、強い風が吹いていた。

 大気が渦を巻き、空が鳴動する。

 まだ春が浅いこの季節、氷の鋭さをはらんだ風が頬を切り裂くように痛かった。 

  



  
 彼女と初めてあった時のような、雨が降り。

 どこか懐かしくて、空を見上げていた。

 

 まだエヴァにかけた、あの『呪』は効いているだろうか?

 私のことなんて忘れて。幸せに生きているだろうか?

 他の人間と仲良くしているだろうか。

 

 
 ………夢で見た彼には―――もう、会えたのだろうか?




 思いつくのは、そんな取り止めのないことばかり。

 そんな、つまらないことを思っていると。


 


 「――――ここに、なんの用かな?」

 
 そんな声がすぐ近くから聞こえた。




 ◆





 声をかけてきた男は、タカミチと名乗った。

 私を訝しそうにみていたが、エヴァの名前をだすと人が変わったように親しげになった。

 彼女の家まで案内してくれるという。


   


 「エヴァの古い知り合いなのか。すまないね、詰問するような真似をして」 
 
 「いえ、気にしないでいいですよ」


 

 彼は親しげにしながらも、どこか私を警戒していた。

 そしてそのプレッシャーから、彼がこちらの世界の住人だというのは解る。
 
 隙のない動作と、潜在的な魔力の量。

 


 
 ――――私より、遥かに強いということも。解るつもりだ。 






 幻術が効いていないのだろうか?

 人間の姿をしていても、私がバケモノと解っているのかもしれない。


 

 だが、そんなことすらどうでもよかった。
 
 やっと、彼女に会えるから。
 



 ひと目、見るだけでいい。
 
 夢でみた、彼を待っているだろうから。

 だから、最後にひと目。彼女を見てからココを去ろう。


 そう心に誓うと、




 ――――ブツリ。


 


 …………そこで、意識が途切れた。




 ■□■□■




 藍色の幕に光が当たり、静かな映像が流れはじめる。

 そこはいつもの霧の中。

 またか。また見なければならないのか。

 妖怪という異形になってから、寝なくても意識が流れ込むようになってしまった。




 夢でみた、その場所は………見知らぬ場所だった。




 太陽が西に低く傾き、大気が薄く青みをおびるその時刻。

 山間に流れる小川に、笑い声が響いていた。 





 そこにいるのは、大勢の子供達。

 ナニが楽しいのか、川で水を弾いて遊んでいる。


 キラキラと光る水の玉を追い掛け回しながら、笑っていた。

 そこには、子供達と大柄な2人の男………。

 いや違う、背中合わせに立っているようにみえる2人の男は。



 ………ヒトツの体に、2人の人間がいる【異形のバケモノ】だった。


 

 そこは山間の小さな村々だった。

 人々は、つつましくも穏やかに暮らしている。

 そんな小さな村の集合体。
 


 ただ一つ、他と違うことがあるとすれば。

 リョウメンスクナという、英雄がいた。ということだった。




 リョウメンスクナという英雄は、姿形こそ異形といえたが。

 その心根は優しく、村人たちに文字を教え。

 幾つモノ新しい知識を与えた。

 

 異形のバケモノ。その身体にはローマ神話のヤヌスのように頭の前後に顔が二つ付いており、

 おまけに腕が前後一対の四本、足も前後一対の四本あったとされる。

 2人の人間が背中合わせにくっついた、バケモノ。




 その醜い姿にもかかわらず、その心根はとても優しく。

 村人たちの尊敬を集めていた。


 彼は仕事が終わると、子供達とその川で遊ぶことを日課としていた。

 子供達も、優しい異形のバケモノをかけがえのない友としていた。

 



 なにげない日常。優しい平穏。


 そんな幸せな毎日は。



  

 
 異形のバケモノを崇めることを許さない、朝廷によって滅ぼされるまで続いた。

 
 

 朝廷は許さなかった。

 バケモノが、平和に暮らすことも。

 人々がバケモノを崇拝して、現人神である天皇を軽んじることも。

 


 …………決して許しはしなかった。



 


 朝廷が攻めて来るという情報を知った、リョウメンスクナは。一人で朝廷に投降しようとしていた。

 争いに村人を巻き込む気はなかった。

 これは自分ひとりがいなくなれば、いいだけの話。

 だから、彼は村を去ろうとした。






 だが、それは。

 朝廷にも、己を慕う村人にも許されなかった。


 村人たちは、もう離れられないくらい。バケモノのリョウメンスクナが好きで。

 何もしてくれない朝廷より、汗水を流し自分達と働き。子供と遊び。危険から守ってくれる。
 
 そしてイロイロな知識を教えてくれる、彼。

 リョウメンスクナを崇め始めたのだ。






 そして朝廷は、自らの威信にかけてバケモノを『悪』として討たねばならなかった。
 
 朝廷に逆らう国や村は滅ぼさねばならない。

 例外を許せば、朝廷は成り立たない。

 古くは神話の時代から、朝廷はそうして存在してきたのだから。






 朝廷を―――まつろうか、まつろわぬか? と。

 それを問いただせずにはいられない。朝廷の弱さと歪さがあった。



 まつろうか、まつろわぬか?

 ――――朝廷に従うか、従わないか?

 従うなら生かしてやろう。

 従わないなら滅ぼしてやろう。


 

 そうやって多くの神を、人間を、文化を、抹殺した。

 それが朝廷、国という大義名分を得たモノ達がしたこと。

 

 朝廷に従わぬ反逆者の汚名をきせて、殺し続けてきたモノ達。
 
 それが、国。



 土蜘蛛、蝦夷、熊襲、国栖(くず)と呼ばれた人々。

 海の民、山の民。すでに名も伝えられぬ土着の神々。
 
 かれら、異物を徹底的に排除し殺す。それが朝廷のやり方だった。



 

 だが滅ぼされた彼らに、何の咎があったのだろう。

 彼らはただ平和に暮らしたかっただけで、他になにも望まなかった。

 キラキラ光る、川の水と。朝露に光る野菜畑の恵み。

 そして優しいリョウメンスクナと、遊んでいれば幸せだった。



 世間に広く知られることのない話を、異聞という。

 ならば、リョウメンスクナに関するこの伝説も異聞といわれるものであろう。
 
 朝廷に背き、反逆者として殺されたのではなく。

 




 ―――――ただ、地元の民を愛したバケモノという伝説はきっと異聞といわれるものだった。







 その夢に、黒い意識が割り込んでくる。

 全てを呪えと。



 

 ―――――悔しいだろう?


 ああ、悔しい。私達はただ生きていただけなのに。


 ―――――怨んでいるのだろう?


 ああ、できるならコノ手で。

 
 ―――――殺したいか?


 ああ、その力が………あるのなら。


 ―――――与えてやろう、力を。


 怨。恨。怒。嫉。遺恨。怨恨。痛恨。嫉視。怨む。怨思。怨望。私怨。怨嗟。 



 全てを怨む、碧い、紺青のちからを。




 その怨嗟を煽る声が聞こえ、意識が戻っていった。







 □■□■□





 「どうしたんだい?」

 無精髭の男はいきなり歩みを止めて目を閉じた私に、訝しげな視線を送っていた。

 

 夢を見ていたのは、何秒くらいだろうか。

 今の夢。紺青に彩られた亡霊の夢。

 おそらくは、ここに召喚された亡霊の心。

 騙されて恨みの鬼にされた、亡霊の夢。

 陰陽の術か、魔法の触媒にされた人間達。


 

 遠い過去で無実の罪によって殺され、死後も穢された人間達。

 そして死んだ後に、呪具として利用されたモノ。

 彼らの罪はただ『仲間を守ろうとした』それが彼らの罪。

 異形のバケモノ【リョウメンスクナ】を仲間と思った。優しい人間達。



 その怨嗟を、恨みを。利用した術者の【念】

 それが、夢に流れてきた。






 だが、そんなコト。

 関係ない。私には関係ない。

 もう死んだ人間がどのように扱われようと、どのように消えようと。



 失っていこうと。なくなっていこうと。奪われていこうと。

 騙されて、絶望の泥濘に叩き落されようと。



 


 私には――――関係、ない、のに。


 『痛い、痛い、痛い、痛い』



 ――――なんで。



 『苦しい、苦しい、苦しい、苦しい』



 ――――声が。



 『助けて、助けて、助けて、助けて』

 『帰して、帰して、帰して。――――あの村に、光り輝くあの場所に』





 ――――聞こえるのか。






 やっと、会えるんだ。

 もう姿は変わってしまった、私でも。

 消えるしかなかった私が。やっとつかんだ奇跡なのに。

 

 なのに、なんでわたしは。




 「――――――すいません、用事が出来ました。今日はここで失礼します」


 
 そんな事を言って反対方向に歩きだすのか。
 
 解ってる。

 そんな事をしても、意味がないことぐらい。

 でも、夢を視てしまった私には―――――。

 



 「じゃあ、彼女になにか伝えようか?」





 タカミチさんの声を背中に聞き、目の前が真っ白になる。

 ナニを伝えればいいのかなんて、ワカラナイ。

 でも、知りたいことはあった。

 
 
 
 「そうですね。じゃあ、一言だけ」



 聞きたい事があった。

 知りたい事があった。

 話したいこと、今までのこと。これからのこと。

 寂しい顔をみた。泣きだしそうな顔を見た。

 それでも、生きるということは。決して悪いことではないと思って欲しかった。 



 だから………。



 言伝だけをお願いして、彼の元を去った。

 小さな袋を渡して。


 

 ◆





 あれから、随分と時間がたった気がする。

 2週間だろうか、それとも一ヶ月だろうか?


 
 だが、聞いた声を集めるのもあと2人。

 それで終わるはずだ。


 
 目の前で歩いている少女の体内に実体化した妖気という名の魂。

 報われない紺青に染められた怨鬼。

 それを吸い取れば、あと一人。

 それで終わるはず。





 ◆ 
 


 
 夕闇が濃さをましていた。

 空には碧い満月。そこに桜の蕾を震わせるような風が吹いた。

 

 
 


 サァ……と木々が揺れる。

 樹木がさやさやと鳴らす軽い葉ずれの音に、びくりと、少女は身を振るわせた。

 桜通りと呼ばれるこの道は左右に並ぶ桜の木で道が作られ、

 花見としても麻帆良では有名な場所だ。

 


 その道を少女、佐々木まき絵は恐々と歩いていた。

 気持ち悪い道はさっさと通り過ぎるに限る。

 そう思って、足を速めると。


 不意に、足元に何かが当たった。

 


 「なに、コレ?………」


 そこにあるのは、小さな光る宝石。

 光る宝石の細工物。

 どう見ても、高価なジュエリーだ。

 それが、道に落ちていた。

 不審に思いつつも「拾って交番に届けようか? ネコババしたらまずいよね?」

 など、少し悪いことも考えてしまう。 

 

 そうして戸惑っていると、空から光が降り注いできた。

 雨かと思ってみれば、月光を映し出し色とりどりに光るのは。金銀、宝石に細工物。

 それらが宙に浮かび、輝きだす。




 佐々木まき絵は感動の声をあげて、目を輝かせながらその光景に魅入っていた。

 


 「カメラもってくればよかった」

 そんなのん気なことを考えてしまう。

 普段なら異常な事態に恐怖するのかもしれない。

 だが、先程までの恐怖すら忘れるほど美しい光景に、ただ目を輝かして喜んでいた。

 

 



 だから気がつかなかったのだ。


 


 その幻想的な光景に目を奪われている彼女の背後に、忍び寄る黒い獣の姿を。

 気づくことができなかった。





 ◆





 少女は幻術に惑わされて、空を見上げていた。

 その背後に忍び寄り、鋭くなった牙を首筋にたてる。

 唾液に混ぜた睡眠薬に、彼女の意識がなくなるのが解る。

 薬草から作った睡眠薬、人体に無害のはずだが悪い事をしてしまった。




 「――――スイマセン。手荒な真似をして」  




 もう、聞こえないであろう彼女に謝ると。
 
 彼女の夢に入っていった。




   この体『獏』という妖怪は夢を食べる力がある。

   生前もっていた夢見の力、その力がこのような姿に私を変えた。

   『獏』という妖怪。それが今の私の姿だ。

 


 この少女の体内で実体化した妖気。
 
 それは夢で視た紺青の怨鬼にされた、報われない霊魂。

 もう死んでしまった人たち。

 このままでいれば、より命を奪うモノになる運命の人間達。



 鬼に、妖怪に、バケモノに。

 変わってしまう、変えられてしまう人間達。

 
 


 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

 彼女の夢に寄生するように実体化した、霊魂。

 妖気となった霊魂を吸い取る。

  

 
 舐めるように、体から隅々まで妖気を吸い取り。

 そして、その魂を体内に取り込もうとすると。

 

                 ――――ぴしり。



 外の肉体で空気が裂けるような音がした。


 
 「………はっ、づ!!」 



 焼けるような痛みが、体を貫く。

 皮が捲れ、そこに鋭い刃物で抉られるような感触。

 爪が剥がされ、柔らかい肉に牙を立てられたような痛み。

 中から弾ける肉体。





 


 一つの肉体に、妖気とはいえ複数の霊魂。

 体がひび割れるのは、当然といえた。



 「――――まだだ」
 


 まだ、消えるわけにはいかない。

 ここで、妖気を開放してしまったら。

 いままでやり続けた意味がない。

 

 ―――――夢でみた、あの瞬間まで。消えるわけにはいかない。



 そう、あと少し。

 もう少し、生命力があれば。

 最後まで、………もたせる事ができる。




          筈なのに。そこに酷く、不吉に響く―――――黒い意識が流れ込んできた。
 



 
恨怨 怨恨 怨嗟 恨む 怨思 怨敵 怨念 憎む 怨霊 憎悪 罪悪 罪障 罪科 罪状 罪跡 業 罪業 有罪 余罪 重罪 大罪 重科 大辟 
窃盗罪横領罪詐欺罪隠蔽罪殺人罪器物犯罪犯罪犯罪私怨による攻撃攻撃攻撃攻撃汚い汚い汚い汚いお前は汚い償え償え償え償えあらゆる暴力あらゆる罪状あらゆる被害者から償え償え『この世は、人でない人に支配されている』罪を正すための両親を知れ罪を正す為の刑罰を知れ。人の良性は此処にあり、余りにも多くあり触れるが故にその総量に気付かない。罪を隠すための暴力を知れ。罪を隠すための権力を知れ。人の悪性は此処にあり。余りにも少なく有り辛いが故に、その存在が浮き彫りになる。百の良性と一の悪性。


 


 彼らが押しつけられた罪。

 その黒い憎しみが体を支配する。

 恨みを晴らせと、幸せを壊せと。 
 

          



       …………目の前にいるじゃないか。

       無抵抗で、弱弱しい獲物が。旨そうな果実が。

       あと少し、ほんの少しでいいから。彼女から生命力をもらえばいい。

 

       ほら、もう少し。吸い取れば…………。




          ーーーーーーーーーー



 「――――はぁ!」




 頭を振り慌てて体を離す。

 危なかった。ナニを考えていたのだ、私は。

 体の妖気、呪いに感染していたのか?


  
 もう一度少女をみると、もう体内に妖気は残っていなかった。

 

 今の囁きは妖気なのか、それとも術者の『念』だろうか。

 危なかった。だが、あと一人。

 それで、全員救える。

 

 そして彼女に用意しておいた毛布をかけて、その場から去ろうとした。

 その時。 





 ――――ゾクリ。





 背筋が凍りつくような明確な殺意が、自分に当てられていた。

 




 ◆



 



 碧い満月に隠れるように。

 校舎屋上の階段室、その影を背にして衛宮士郎は桜通りを見張っていた。
 


  

 近いうちに佐々木まき絵が襲われると、エヴァンジェリンは言っていた。

 体内に実体化した妖気が多い人間から、ヤツは妖気を吸い取っていくという。

 

 この学園で体内に妖気が残っている人間は、宮崎のどかと佐々木まき絵のみ。

 そして、この2人の内。より妖気が大きいのは佐々木まき絵だった。



 俺は佐々木まき絵に、万が一のことがないように見張っていた。

 屋上から、気配を消して。

  

 そして、桜通りに佐々木まき絵が歩いていると。

 光り輝く何かが見えた。



 なんらかの魔法だろうか?

 その輝きの正体を知る為に、眼球に強化の魔術を叩き込む。



 ―――――見える、よりはっきりと。




 佐々木まき絵の周りに輝く宝石たち。

 
    
 それをみて陶然としている彼女の様子を見ながら、その後に近づく獣の姿を見た。


 やはり『獏』か。

 夢を喰らい生きる異形のアヤカシ。

 本来、この学園の生徒に危害を加えるモノは消すべきだ。



 だが、ヤツは助けようとしている。………学園の生徒を。

 その行動に少し疑問を持ちつつも。




 ヤツ、赤い弓兵が使っていた黒い洋弓を投影する。

 少しでも………少しでも生徒に危険が及んだ時は―――――ヤツを確実に射抜く。


 

 ヤツが善人だろうと悪人だろうと関係ない。

 他人の妖気や怨念をその身に宿すなど、狂気の沙汰だ。


 
 その身を改造され続けた桜でさえ、聖杯戦争中は正気を保つことはできなかった。

 その中身が英霊とは比べ物にならない、弱い妖気といえども。

 複数の妖気を取り込んだ先にあるのは、自滅しかない。

 

 あと2人。

 それまで、ヤツの肉体が持つ可能性は低い。

 

    魔術回路に撃鉄を落とし、いつでも弾を装填できるようにする。

    もし、少しでも――――おかしなことをした時には………。





 佐々木まき絵を眠らせて、奴はその夢に入っていく。

 魔力感知が低い俺でもわかるレベルで、彼女の体内で実体化した妖気が吸い取られていく。

 

  
 奴は無防備に体をさらし、彼女の妖気を吸い取り続ける。
 
 もう少し。あと少しで吸い終わる。




 よかった。とりあえず今日は無事に済みそうだ。

 あと一人。宮崎のどかの妖気さえ奴が吸い取ってくれれば。




 その時――――ピシリ。




 聞こえないはずの音が聞こえた。



 奴の背中が無花果の皮のように裂けている。
 
 まるで、脱皮でもしそうな体。

 醜い芋虫が蝶になる瞬間にも似た光景。



 ――――――ココが限界か!

 


 そう考えて、矢を装填する。

 妖気に体が限界に達したか、それともケダモノの本性がでたのか。

 だが、どちらにしてもこのままでは佐々木まき絵が危険だ。


 ならば俺が出来るコトは一つだけ。

 速やかに、………貴様を殺す。

 

 佐々木まき絵を衝撃波で殺さないように、矢はできるだけシンプルなもの。

 当てた瞬間に投影を棄却させる。

 これで、彼女にかかる負担は極限まで抑えられるはず。




 「――――死ね!」
 


 だが、鏃を放とうとした瞬間。奴の体が佐々木まき絵から離れる。

 ギリギリで、正気を取り戻したか。

 奴は頭を振り、自分の正気を保とうとしている。

 限界まで、他人を守ろうとする心。

 体がバケモノだろうと、心は決して歪んではいないのかもしれない。



 ――――だが、今。………奴は正気を失いそうになった。



 もう限界まで体力を消耗していることは間違いがない。

 宮崎のどかの妖気を吸い取った瞬間に自滅して、宮崎のどかや他の生徒達に被害が出る可能性がある。



 
 
 奴は、佐々木まき絵から離れるとどこかへ行こうとしている。

 逃がすわけには行かない。

 今、貴様は危険なモノだ。




 この距離で生け捕りは不可能。

 下手に衝撃を与えれば、その身に宿した妖気が開放されてしまう。

 ならば、できることは一つだけ。

 学園と皆の安全を守るために、その体ごと………。



 改めて弓を構えて狙いを定める。

 

 限界まで弦を引きしぼり。奴が佐々木まき絵から離れるのを待つ。

 ―――――十秒。




 魔術回路に魔力を叩き込み、強化により腕力を増す。

 ―――――二十秒。



 そう。もう少し離れろ。

 今の場所では、まだ佐々木まき絵が傷つく可能性がある。

 彼女のコトを思うなら、この学園のコトを思うなら。





 

 魔術回路の撃鉄を落とし、鏃に更に魔力を装填する。 

 ――――――三十秒。

 

 誰にも迷惑にならない………ソコで消えていけ!

 せめて、苦しまないように消してやる。




 その、堕ちた妖怪の姿を狙う鏃の名は“赤原猟犬――――フルンディング”

 漆黒の刀身に、複数の刃が螺旋を描いて巻きついた魔剣。 

 その姿は剣というより、巨大な銛に似ている。

 いや、剣でも銛でもない。弓に番える以上それは間違いなく【鏃】なのだ。




 
 ―――――プラス五秒。




 ぎしり。と、指がきしむ。


 魔力が弦に響き、空気を震わせて死を告げる曲を弾き鳴らした。



 

 


 『許せ』などと、いえない。後悔も懺悔も許されない。

 大切なモノがある以上、相手が善であれ悪であれ。

 それがどんなに、正しいものでも。

 大事な者を守るためなら、切り捨てる――――それが、あの時選んだ道だから。




 ………それでも。





 「――――――礼をいう。貴様のおかげで多くの人が救われた」




 そう聞こえるはずのない声で呟いて。弦を弾き鳴らした。








 
 ―――――奴。赤い弓兵より得た弓術。




 投影した魔剣を弓で撃つ業。
 
 それは堕ちた妖怪を殺しつくし、その身に宿る妖気を消し去るには十分な一撃。

 標的は『獏』そのアヤカシを消しさるために投影した魔剣は“赤原猟犬――――フルンディング”





 
 貴様が逃げようと、オレが狙い続ける限り標的を襲い続ける魔剣。



 貴様にこの魔剣を防ぐ業はない。

 貴様にこの魔剣から逃げる足はない。


 

 そう。


 ―――――貴様程度が避けることを許される、剣ではないのだ。



 

 だが、


 「―――――――な、!」



 それは、秒にも満たない瞬間。

 


 視界に映った影に、オレは…………。




 
 
 ◆





 ――――ゾクリとする殺気に怯え、恐怖が私を支配した。



 殺気の方向はわかる。だが、視認など出来ない。


 距離はどのくらいだろうか?

 1キロ? いや4キロは離れているような気がする。

 
 
 このままではマズイ。
 
 寝ている彼女が巻き込まれる。


 
 慌てて走り出すと、その殺意は消えることなく私を追ってきた。

 どのくらい離れたのか、少女が安全だとおもう位置に来たとき。



 もう、無いはずの心臓の鼓動が聞こえた。



 


 ――――ドクン。







 空には碧い月光、桜の花びらが混じった風が頬を撫でていく。

 その冷たさも、光も。

 恐怖に混乱したこの頭を、少しも冷静にしてくれなかった。
 
 

 殺意に反応して視線を向けても、相手の顔は見えない。

 この距離で殺意を向けることに、何の意味があるか解らない。
 
 この距離。攻撃手段があるはずがない。
 


 だが。そのあまりにも明確な殺意は、必殺の手段が向こうにあることを示している。

 こちらには、戦う力などない。

 避ける身体能力もない。

 防御だってできない。

 相手の切り札どころか、攻撃手段すら知らない。

 


 ―――――魔力が咆哮をあげる。

 碧い月を揺るがすような殺気。
 
 まだ、死ねない。消えることは許されない。




 だが、私の想いなど関係ないとばかりに殺意の弾は放たれた。









  

 視認すら難しいはずの弾丸は、赤い閃光となって巨大な圧力で私に迫る。

 


 ――――当たる。逃げられない。避けることは許されない。



 それだけは、解った。この矢からは逃げられない。

 必ず当たる。それがこの矢だった。

 矢というには、あまりにも巨大な鉄塊。

 まるで『剣』のようにみえる弾丸。

 

 それは―――――私では避けることも、防御することも許されない。 





 私の死亡を告げるために、突き刺さる。





 そう―――――私ではこの魔弾から逃れることは、許されない。



 


 恐怖と緊張で息が切れる。

 体が焼けるように熱い。




 「ハッ―――、グ」




 怖い………。数瞬後の死が視えている。

 それが、間違いのない。わたしの最後。 

 この魔弾に貫かれて、死ぬ。その運命に逆らえない。

 

 


 そう、ここに―――――彼女がいなければ。





 ◇

 


 何度、夢見ただろう。その姿を。

 助けようとして、助けられなかった少女。

 その少女が月光に彩られてそこに佇んでいた。 

 


 初めて会った雨の日。 

 降りそそぐ時雨に濡れた髪。

 皮肉げな眼差し。

 世の全てを怨んでも、誇りだけは失わなかった少女。

 

 ――――あの光景は、目を閉じれば今でも遠く胸に残る。




 土にまみれようと、悪だと蔑まれようと。

 自分の誇りだけは決して失わなかった。






 その少女が碧い月光に濡れる金髪をなびかせて。

 圧倒的な死の具現である、魔弾を背にしながら。





 「――――――久しぶりだな。偽善者」




 そう、皮肉げに。そして―――――懐かしそうに。吸血鬼の少女、エヴァンジェリンは言葉を紡いだ。
















 <続>



感想は感想提示版にお願いしますm(__)m









◇現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉です。
基本的には戦前に使われていた事で有名ですが、万葉集などにもその記述があります。

 
◇『狂骨』マニアックな妖怪です。有名な作品では京極夏彦先生の狂骨の夢があります。
ちなみに、獏という妖怪になるというのは、このSSの独自設定です
(Wikipediaに似たような記事があったのですが削除されてました)Wikipediaを参考に書いた話でしたが。
もう書き進んでましたので、このままいきます。

◇眼球を強化した場合、遠くまで見通せるのはいいが幅広い範囲を索敵できない。と思います。(ホロウの描写上)
 狙撃兵でもそうですが、観測する人間。周囲を警戒する人間が必要になります。
 仲間がいない以上、周囲の警戒をするために眼球を強化するのは限界まで待つ必要があった。
 このため、士郎は最初は佐々木まき絵の全体を見つつ、異常があった場合。眼球強化に移行します。

 現実でもターゲットを視認してからスコープを覗く場合が多いので。


◇剣の宝具を弓で射出するのは、ホロウでされていますが。
正確な時間は相手によって変わると思います。故に、このぐらいの時間にしました。

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