忘れちまってください。こんな男のことなんざ。

   顔なんて思い出さなくていいんです。名前なんか忘れてください。

     縁があればまた今度。縁がなかったらこれっきり。
  
        でもね、これだけは覚えておいてください。






          ――――――悪い事じゃない、生きていくのは決して悪い事じゃないんですよ。





 

  [遠い雨]  (ネギまXオリキャラXFate)


 窓の外では虫が鳴き、あたり一面から鈴を振るようなか細い音が響いている。

 月にはかさがかかり、草に夜露が降り、もうすぐ降るであろう雨を連想させた。

 


 「――――こんな夜だったな」

 

 奴に出会ったのは。



 「マスター?」




 茶々丸が私の独り言に不思議そうな顔をする。

 茶々丸が入れた茶を飲みながら、茶菓子代わりの金平糖をかじる。

 昔ながらのケシを種にした砂糖菓子。最近の流行に背いたこのつくり。

 高級な和菓子より、こんな雨の日にはあいつを思い出す金平糖とお茶と決まっていた。

 茶々丸にも、チャチャゼロにも言った事はない。

 私の初めての下僕の事を。 





 吸血鬼になってまだ100年と生きていない頃、陰陽師たちの集団に襲われた。

 今なら瞬殺できるであろう陰陽師たちだったが、当時の私にとっては強敵。

 どうにかそいつらの包囲を破り逃げ出せたと思ったときには、更なる罠にはまってしまった。

 それでもなんとか逃げ出したが、待っていたのは魔力が切れてろくに動けず、泣き出しそうな夜空を見上げる私だけだった。

 血を得ようにも近くに人の気配は無く、このまま日が昇れば私は消え去るだろう。

 「塵は塵に………」

 くだらん聖書の言葉だが、それもまたいいのかもしれない。 

 復讐を果たし生きる目的を無くした私には、ふさわしい最後だと思えたのだ。

 だが、
     





 「―――大丈夫ですか?」

 思わず脱力しそうなのんびりとした声をかけられた。

 見れば解るだろうと、怒鳴りそうになってふと気がついた。 


 先程まで、なぜ少しも気配を感じなかったのか? と。

 いや、今こうしていても、この人間の気配はとても薄く感じる。………まるでここにいないみたいに。

 多少警戒しながらも、

 「すいません、恥ずかしながら荷物を落としてしまい行き倒れてしまいました。よろしければ最寄の村に案内していただけませんか?」

 いかにも、困った街娘のように演技をすることにした。

 髪を染め目の色を変えた私は、この地方の人間として違和感なく馴染んでいる筈だという自信もあった。

 だが、



 「その衣服についた血は、犬にでも襲われたんですか?」



 その言葉に自分の衣服をみて、失態に気がついた。

 先程の陰陽師たちとの戦いの返り血が、べったりとこびりついていたのだ。

 どうする? 口封じと魔力補充のためこいつを殺すか?

 だが、魔力の切れた状態では私は10歳の子供ぐらいの力しかない。



 


――――判断に迷っていると、

 


「ああ、御気になさらず。この辺りにはよくいるんですよ。魑魅魍魎に鬼………たまに吸血鬼なんてね」

 


そういいながら男は笑った、邪気のない笑顔で。

 その言葉に警戒すべきなのに。なぜか動けなかった。

 魔力が切れ、どうでもよくなっていたのかもしれない。

 殺すならさっさと殺せとばかりに、そいつを睨むと、



 「ですからよろしければ、傷が治るまで家にいらっしゃってください」



 そんな言葉と共に、私を抱き上げて家に連れて行った。

 私がどんなに文句を言おうが、抱き上げた腕を離そうとしない。

 挙句に



 「家までは少々遠いので、それまで体力が辛いようでしたら私の血を吸って喉を潤してください」



 不健康な生活を送っているのでまずいかもしれませんがと苦笑しながら、奴はそんな戯けた事を言った。 

 げんなりとしてなにも言う気がなくなった私は、

 なぜ私が吸血鬼とわかった? とか、あそこにいたのは偶然か? 

 などの疑問を忘れて失った体力となにより緊張の糸が切れて、ゆっくりと目蓋を閉じた。




 ◆





 天が程よく曇り、まわりには藍色の幕がかかったような霧がゆらゆらと揺れていた。

 藍色の幕に光が当たり、静かな映像が流れ始める。

 ああ、また夢か。

 近くに人がいるのだろう。

 せっかく人里を離れたのに、また見なければならないのか。

 私の夢は、まるで自分が体験して、しかも本人から聞かされるように感じるから始末が悪い。

 藍色の幕に当てられた光はいつのまにか私を包み、その場所へと誘った。

 

 そこには唇を紅に染め、座り込んでしまった少女がいた。

 少女は自身が吸血鬼になった事を知ると、吸血鬼にした男を殺し、白銀の雪が降り積もる城を後にした。

 突然、吸血鬼になった少女は戦う力もなく、力を得る努力をし、腹芸を身につけた。

 それでも成長しない体では一つの所にとどまる事は許されず、ただ旅を続けた。

 彼女は同じ異端者である魔法使いの国にすら受け入れられず、生きる事に疲れているようにみえた。



 どこか私と似ていた。

 この能力を安定させる為、陰陽師の修行に励んだが、結局この能力の為にその世界から………。  

 秘術であるはずのあらゆる禁忌の業も、一族に伝わる秘伝も夢でわかってしまう。

 だが、能力は低いのでそれを行使することもできず、知識だけは知ってしまう。

 あまりにも使い道はなく、危険な力。

 私が偽証をすれば、他人にそれを確かめるすべはなく、権力闘争の道具にされるのは時間の問題だった。
 
 それを恐れた私は陰陽寮から逃げ出した。
 


 ………だが、私には此処という居場所がある。

 人里はなれた私の元にも、山を登り様子を見に来てくれる人たちがいる。

 山で獲れた肉や魚と野菜を交換しよう、などもっともらしい嘘をつきながら私を心配してくれる人たちがいた。

 それが、この少女にはいなかった。
 
 誰も信じずそれでも気高く生きる少女。

 でもその気高さはとても危ういものに見えて。

 その瞳が叫んでいるようにみえた。



 復讐を果たし、自由の身になったのに心は晴れない。好きでなった体ではないのに、皆から敬遠される。

 これ以上孤独に生きなければならないなら、いっそこのまま――――





 その瞳がそう叫んでいる気がした。     

 ただそれだけのことが、無性に悲しく頬を濡らす冷たさに目を覚ました。

 彼女が救われたいと思ったのか、私が彼女の体験を夢で見て救われたいと思ったのかは解らない。

 だが、誰もいないならせめて自分が………。

 ただそれだけを思って、夜の山に走り出した。

 
  


 ◇


 目が覚めると、とても暗い部屋の中だった。

 日に当たらないように気を配っているのだろう。

 そこかしこの雨戸がしまっている。

 体には治療して巻かれた包帯。

 現状を確認しようと、体を起こそうとすると、




 「おお、目が覚めましたか?」




 そんな事を言いながら、あの男が扉を開けて現れた。

 その手にあるのは、お盆にのったおかゆと薬。



 「口に合うか解りませんが、これを食べてゆっくり休んでください」



 などという、奴の言葉を遮り、



 「なぜ、私を助けた?」



 吸血鬼と知りながら、なによりあんな夜更けになぜあんな場所にいたのか?

 そう問いただすと、



 「声が聞こえたんです」



 誰のだ? そう目で問いかけると、


 ―――夢の中で必死に助けてくれ苦しいのだと。私を呼んでいたんです。


 その声に私は導かれたと奴はいった。 




 そんなはずはない。私はあの時、死んでもいいと思っていたんだ。

 その言葉を私が口にするより前に、



 「不思議に思って、山に入ると苦しんでいるあなたに出会いました」 


 
 その目があまりにも早く楽になりたがっているように見えて。
 
 生きる事があまりにも辛いと言ってるように思えたから。だから助けたと男は言った。




 ――――何を今更。

 生きる事が苦しいなど当たり前だった。

 十歳の誕生日にこの体になってから、こんな姿にした男を殺し、城を出てからどれだけ辛かったか。

 当たり前に浴びる事ができた光を恐れ、成長できない体を疑われないように旅をかさね、気がつけば極東の島国にいた。

 殺したくなどないのに、この手を血に染めなければならなかった。

 そんな私の気持ちが、30年と生きていない若造にわかる筈がない。

 激情に任せそう怒鳴りたかったが、

 私は湿気で膿んでしまった傷口を治すために、この男の世話になる事にした。

 こいつの偽善者ぶった態度には腹が立ったが、せっかくの偽善者だ。

 傷が治るまで、ゆっくり利用させてもらおう。

 



 数日たって、外の雨を見ながら私は未だ床についていた。

 雨期でもないのに降り続く雨は、大気を冷やし農作物を腐らせ、傷口は乾きにくくなり治りを遅らせた。
 
 そんな長雨の中、する事もないので奴を観察していた。

 不思議な男だった。

 近くの村にたまに魚や肉を届け、代わりに米や野菜をもらう。

 私がいるから怪しまれないために、そうしているが普段は逆に村人が持ってくるとも言っていた。

 金平糖を作る職人として、村人に金平糖を分けたりしている。

 当時、高級品である砂糖を使った金平糖は一部の金持ちにしか食べる事は出来なかった。

 だが、奴はわずかな量の金平糖を米や野菜のお礼として、村人に振舞った。

 金平糖職人というだけで、遊んで暮らせる時代だ。

 変わり者だが、ありがたい隣人として村人達にとても親しまれていた。 

 隠者のような生活をして、山に1人で暮らしているのに人間嫌いでもないようだ。

 私の怪我に薬草をあて、魔力の補充にと自らの血を提供した。

 私を恐れることなく献身的に尽くす男に、そんなに1人が寂しいのなら、なぜ村で暮らさないのか疑問に思った。

 吸血鬼すら傍にいて欲しいなら、村で暮らせばいいのに。

 



 だが、その理由は怪我の治療中に解った。

 いつもでたっても治らない怪我に、奴は、



 「これは呪術を使われましたね」



 と言った。

 奴はどうやら陰陽師らしく、この手の呪術には詳しいそうだ。

 即効性はないが、じわじわと体力を削るこの呪いは解呪は難しく、奴にもそんな呪術は使えない。

 まあ、このまま私の魔力を補給し続ければいずれ解けるそうだが。

 村人に頼まれ、陰陽師としてたまに占いをすることもあるらしい。



 

 主に、恋愛相談と作物の出来具合だと笑っていたが。

 だがもともと陰陽師とはそういったものだ。純粋に占筮(せんぜい)、地相(現在で言う「風水」的なもの)、天体観測、占星、暦の作成、

 吉日凶日の判断、漏刻(水時計による時刻の管理)のみを職掌としていた。

 俗に言う占いと暦作り。農作物における重大事のひとつだ。

 


 だが奴にはもう一つ異能があった。 

 それが夢見。

 予知夢、そして夢の中で無作為に人の考えを読む。

 夢限定の幻視者、その能力で寝ている時に私の存在に気がついたのか。

 


 だが、それは人間の世界で生きるにはとても辛い能力だというのもわかった。

 眠れば、他人の心がわかり気がつけば未来を知る。

 他人にそれを知るすべはなく、結界で封じる事もできない。

 問題なのは、常に見えているわけでもなければ、その能力に制御が利かないということだ。

 現実に近い夢だから、夢か現かわからなくなる。

 気がついたときには、人の奥底に眠るものまで知ってしまう。

 そんな事を他人が知れば、どれほど疎まれるだろう。




 「―――辛いと思ったことは無いのか?」




 聞くべきではないと思いながら、暢気そうにしながら私の世話をするコイツに聞いてしまう。

 辛くないはずがない。おそらくその能力を制御すべく学んだ陰陽師としての力も、

 その能力を制御する事も封印することも出来なかったのだ。



 「何をです?」



 暢気そうに聞くこいつに、



 「人として誰かと暮らすことを楽しんでいる貴様だ。その力さえなかったら、とは思わんのか!?」



 知らず声が大きくなってしまう。それはこの体になってからずっと考えていた事だから。だが、



 「仕方ありません。こんなふうに生まれちまったんですから」



 そんな、なんでもないように笑っていた。

 だが、



 「異端者を排斥して自分達の常識だけで生きる、この世が憎いと思ったことは無いのか?」



 私は思った。こんな体になっても魔法使いの国にすら受け入れられず、ただ逃げ回る日々。

 そんな、私の言葉にも。




 「エヴァンジェリンさん」

 ―――いいんですよ。そう微笑みながら此方を見ていた。




 「貴様、どこまで―――」




 偽善者なんだ、と言葉を続けようとして、



 「だってこの能力が無かったら、貴女を助ける事が出来なかったじゃないですか」




 そんな、なんでもない事のように言った。

 私を吸血鬼と知って、それでも人として接し助ける事が出来てよかったというコイツに。

 何十年ぶりに感じる優しさに、私は溢れる涙をとめる事が出来なかった。


 


 ―――奴の言葉に、はじめて同じ異端者として、共に排斥された者としての情が移ったのがわかった。    

 



 

 そしてまた数日が過ぎ、いつものように奴から魔力を得ようと首筋に牙をたて、血を吸いだした。

 油断もあったのだろう。

 それを覗いていた村人に気がつかなかった。


 

 更に運の悪い事に、私を追っていた陰陽師たちがその村に逗留していた。

 異変を察知したアイツは、下の村に式神を飛ばした。

 奴の式神から、大勢の村人が手に鎌や鋤を持ち、松明を片手に登ってくるのがわかった。

 

 「仕方ないですね。エヴァンジェリンさん逃げてください」

 

 静かに笑いながらそういう奴に、
 
 

 「貴様はどうするんだ? このまま此処にいても………」

 

 頭に血がのぼった村人は止められない。

 長雨は作物だけでなく、人の心も腐らせた。

 川は氾濫し、山は山津波をおこし村の家や田畑を潰した。

 長雨での凶作に対する鬱屈とやりばのない怒りは、その出口を探していた。

 そこにあらわれた、妖しい少女と変わり者の1人の男。

 理解できない者に対する恐怖。八つ当たりができる存在。凶作に対する苛立ちと共にとどめようもない殺意。

 それが爆発した。

 

 陰陽師たちはそれを利用し、村人を私に対する牽制用の捨て駒にする気のようだ。

 この長雨は私の呪いだとでも言って、村人を騙したんだろう。

 

 正義の為の僅かな犠牲。

 正義の魔法使いとやらがよく口にするお題目か。

 洋の東西を問わず、やる事は一緒のようだ。

 そして、こいつは流れの陰陽師。みつかればただではすまないだろう。

 

 だから私は、奴に。

 

 「共に来い。下僕として使ってやる」

 

 その言葉に奴は苦笑いを浮かべながら、了承の返事をした。

 


 都合がいいのか悪いのか。外は風が吹きすさび、樹木の幹をしならせる。

 そんな嵐になる一歩手前の空だった。

 私達は眼下に松明の明かりを見ると、急いで反対方向に駆け出した。

 


 私の魔力はまだ完全ではないし、術も解けていない。それに男が村人を殺す事を躊躇っていた。
 
 


 ―――――だから駆けた。

 

 山の斜面に繁茂した木立の中、道とも呼べぬ獣道をただ駆けた。

 奴は、私の軽い体が風に吹き飛ばされないように、庇いながらそれでも出来るだけ早くその場を離れた。

 それからしばらくして、ブチブチと木の根が切れる音が上から聞こえた。

 山津波がおきる事を警戒して、周りを見ていたが

 運のいいことに山津波は私達の後ろを通り、川のように流れる土砂はそのまま男の家を押しつぶした。

 


 「ちょうどいい、これで村人もこっちに来れまい」

 

 山津波がちょうど私達を守るように、道を塞いだことを喜んでいると。

 


 「良かった。村の人にも巻き込まれた人はいないようですね」

 「ふん、殺されそうになったのにその相手の心配か。つくづく偽善者だな」




 この男の家に厄介になっている間に、何回も言った言葉だ。

 最初はその偽善を利用しようとしただけだった。



 だが、病床だからといって、まめまめしく私の世話をしながら優しく気づかうその瞳に。

 私の髪を何度も丹念に櫛で梳きとかし、その手が動くたびに鼻をくすぐる優しい香りが。

 私のために文机に置かれた、奴が食わんであろう高価な砂糖菓子である金平糖が。



 その全てが嫌いでは無くなってしまった。

 今まで感じてきた敵意以外のやさしさ。

 その偽善がいつの間にか心地よいものとして、私を包んでいた。




 「まあ、貴様はそれでいい。何かあったら私が守ってやる」

 「はは、男として情けないけどね。その時はお願いします。エヴァンジェリンさん」



 陰陽師とわかった後、私の本当の年齢を知っても奴の態度は変わらなかった。



 「ふん、エヴァでいいと言った筈だぞ」



 そしてその戦闘能力は、良くて並。



 「いや、一応下僕ですから」 




 そういいながら、苦笑する。 

 だが、その自分を知っているところもどこか気に入ってしまった。

 従者としては不満だが奴の暖かい空気を無くしてしまうのを、とても惜しんでしまった。

 

 「そろそろ行くぞ」

 「ええ、わかりました―――――?」




 その時、村人達の後方から異常な魔力を感じた。



 「なんだ? この魔力は?」

 「エヴァンジェリンさん? 呪術が………」





 奴の言葉に、体を探ると傷が塞がっていくのが解る。

 呪術が解けたということは、



 「術者が死んだか」



 そういうことだろう。そして先程の魔力の変動。



 「魔族の召喚に失敗したか、あるいは魔族に襲われたか」



 どちらかだろう。だが、どちらにしても意味はない。

 とっとと此処から逃げ出すだけだ。



 「―――どうした? 逃げるぞ?」



 
 もう少しで夜が明ける。それまで出来るだけ距離を開けておいたほうがいい。

 魔力が完全でない状態の私では、日の光に勝てん。

 力のない一般人を殺す気もない。襲われれば戦うがコイツが世話になったというのだ。

 見逃すくらいはしてやる。




 「魔力が消えません。魔族に村人が襲われるのでは?」

 「………だからどうした?」




 だからといって、私達ができる事などない。

 魔族を私が倒そうともその後、村人は私達を襲うだろう。  

 少女が魔族を殺すという理解できない恐怖に怯えて。

 そして襲われたら私は容赦する気はない。

 どちらにしても村人は死ぬ。それに私を殺そうとした者にかける情けなどない。

 召喚された魔物が話がわかる奴だということを期待するぐらいだろう。

 もしくは召喚してすぐ術者が死んだため、命令が無いなら。





 だが、下から聞こえる悲鳴は私の楽観的な予測を裏切った。

 人間であるコイツにはまだ聞こえないはずだが、聞こえるのは時間の問題か。

 だが、コイツ1人行った所で何が出来るわけじゃない。

 コイツでは、魔族に対抗できないだろう。

 もし、傷だらけで魔族に勝ったとしても、その後にその姿を恐れた村人に殺されるのがオチだ。

 それは私も同じだろう。呪術が消えたとはいえ、まだ魔力は半分以下。

 これほどの魔力を感じる奴だ。

 勝てないとは思わないが多少、負傷するだろう。

 くわえて夜が開け、魔力が減少し傷ついた私を村人達が黙って見過ごすとは思えない。




 だから、

 「ほら、行くぞ下僕!」

 あえて、軽く声をかけた。

 奴の耳に悲鳴が聞こえないうちに、下山しようとした。





 だが、奴の手が印を結んでいるのをみて、遅かった事に気がついた。

 「やはり駄目ですね。貴女は先に行ってください」




 式神から情報を得たのであろう奴は、笑いながら私に逃げるようにいった。

 「偽善者ぶるのもいい加減にしろ! 魔族を倒したとしても貴様が村の者達にみつかれば命が無いのだぞっっ!」




 そんな事は貴様が一番解ってるだろうに!

 「ええ、でもこんな僕と共に生きてくれた人達なんです。そんな人達ぐらい守れないなら」





 陰陽師として生きる意味はないと。

 夢で未来を知り、夢で他人の心の声を聞く。

 だから人里から離れた。無用な軋轢を恐れて。

 でも、村人達は変わり者だと思っても、よく様子を見に来てくれた。

 どう考えても町や行商から買ったほうが、早くて安い肉や魚を、重い農作物を持ってわざわざ山を登って自分の物と交換する。

 それが、自分を心配してくれている事だとわかるから。

 いくら高価な菓子があるといっても、怪しい人間から物をもらうだろうか?

 警戒しながらも、自分を受け入れてくれた人たちだから。

 今は気が動転してるけど、そんな優しい人達だから。

 守る価値があると。



 「―――ったく、わかった。なら私も行ってやる2人なら逃げやすいだろう」



 まったく、下僕の我侭を聞く主人など聞いたことも無い。だが私の言葉に奴は、

 いいえ、と首を振った。



 「もうすぐ朝です。エヴァンジェリンさんには辛いでしょう。だから」



 自分ひとりで行くと。



 「馬鹿者! 貴様に何が出来る。能力など精々並レベルの貴様に何が!」



 それに、ふんわりと笑い。

 「まあ、何とかなりますよ。だからエヴァンジェリンさん。出来ればどこかで私を待っててください。必ず助けに行きますから」


 奴に似合わない気障なセリフに。

 「ふざけるな! 貴様など絶対に待ってやらんぞ。どうしても行くというなら下僕は首だ!」
 


 私の怒りが爆発した。だがそれでも奴は飄々と笑いながら

 それは困るなあ、とぼやいた。


 「じゃあ、縁があったらまた会いましょう、でも―――――」





 そのお願いとも懇願ともつかない言葉を最後に、奴は私の前から走って消えてしまった。

 最後の言葉を念話に乗せながら。詠うように………。




 「勝手に死ね! バカモンが! 貴様の事など――――」

 すぐに忘れてやると。心にも無い事を思って。

 なぜ最後になって、そんな飄々とした顔で私を拒絶するんだ。

 せめて、私が行けば貴様が生きる可能性はあったというのに。

 なのになんで―――。




 ◆

 

 エヴァには悪いことをしてしまった。

 彼女と共に歩むなら、ここで村人を見捨てるくらいなんでもないのに。

 だけど、それじゃ彼女の下僕としての自分に誇りが持てないから。
 
 共に歩む資格が無いから。

 それでも昨日までの自分なら、迷うことなく村人を見捨てたのかもしれない。

 でも、今朝。また夢を見てしまった。

 

 その夢でエヴァは1人の男を愛していた。

 遠い未来で、1人の男を一途に愛する彼女を知ったから。

 その男が自分なんかより、遥かに強く凄い男だと知ってしまったから。

 だから、エヴァを助け、村人たちぐらい助けないと。

 それぐらいしないと、エヴァの傍にいられないから。

 

 
 「―――ああ、こんな事なら自分も吸血鬼にしてもらえばよかった」




 そんな、思っても無い愚痴を口にする。

 俺の血を吸えたから彼女はあそこまで回復したんだ。

 彼女がいなくなって吸血鬼になっても仕方ない。

 いつのまにか、彼女をそこまで必要としていたなんて。

 彼女を助けるつもりでいたのに、いつのまにかこんなにも彼女に惹かれていたなんて。

 

 ―――なんて無様、なんだろう。

 でも、こんな自分でも死んでしまったら彼女は悲しむだろう。

 どんなに悪ぶっても、どこか優しい彼女。

 だから………。どうか、この「呪」は彼女に効きますように―――。  









 □




 ―――――ソコは幽冥の底であった。

 
 仄暗く、何も見えないもの。

 

 あらゆる出来事の発端となる座標。

 万物の始まりにして終焉、この世の全てを記録し、この世の全てを作れるという神の座。

 世界の外側にあるとされるモノ。


 全ての原因が渦巻き、全てが用意され。だからこそ何もない場所。


 ………何もないはずの場所であった。





 (あーあ。こんなコトするのはお兄ちゃんだけだと思ったのに)



 「…………」



 意識すらできない場所、己の存在感さえ感じない。否、許されない筈の場所に声が聞こえた。


 だが、彼の耳には。

 意味のある言葉として聞くことはできず。



 ただの雑音としか、思えない。 




 (………本来なら、こんなことはしないんだけどね)

 「―――――」




 聞き取ることは許されない、ただ刻み込まれるように。伝えられる言葉。




 何かをしようとすれば、この世界を壊す。それが『至った』ものができること。

 今の世界の秩序を組み替え、新しい世界で古い世界を握りつぶす。

 それが『至った』モノができること。



 だがソレでは意味がない。

 ここにいるモノ、これから行かねばならないモノ。

 
 彼らが別人になっては意味がない。



 (だから、少しだけ生きるチャンスをあげる、貴方はね【   】になるの)




 それが、彼が新しく生きる道。



 (でも、覚えておきなさい。貴方が何かをしようとすれば)



 ―――――見える未来を変えようとすれば。





 (確実に、貴方は【死ぬ】わ。それでもいいなら)



 「――――」


 
 その言葉に、小さく頷く気配がしたとき。


 

 (それと、お兄ちゃんによろしく。―――――貴方はきっと覚えていられないだろうけど)




 その言葉と共に、また幽冥の底に。意識がまどろんでいった。
 







 ◇




 いつの間にか微睡んでいたのか、昔の夢を見てしまった。

 奴を思い出すたびに、吸血鬼にしておけばよかったと後悔する。

 力が無いただの偽善者。特異な力を持ちながら陰陽師としては未熟者。

 だが、奴がいればナギに出会うまでの長い時間は決して孤独ではなかったはず。

 なのに、奴は最後まで未熟者で偽善者だった。

  


 そんな奴の最後の【呪】は未だに私を縛り続けている。

 それともそれを受け入れた私の言霊だろうか。

 奴に【貴様などすぐ忘れる】という、私の言霊に奴の術が相乗効果でかかったのかもしれない。



 
 ―――――名を聞いたはずなのに未だに思い出せない。



 ―――――顔を何度も見たはずなのに、どんな顔なのか思い出せない。




 
 覚えているのは、奴の声とその言葉。

 殺した奴らの顔は覚えているのに………そう思いながら、本降りになった外を見る。

 名前すら思い出せない奴の言葉。名無しの言葉。

 そして、その最後の言葉と同じ事をいった馬鹿を思い出して。

 ナギの呪いは解いて欲しいが、この呪いは未だにどうすればいいのかわからない。

 解きたいのか、解きたくないのか。

 ただ、雨を見て金平糖を食べる度に、思い出してしまう。



 あの念話越しに詠われた言霊を。 








  忘れちまってください、こんな男のことなんざ。 

    顔なんて思い出さなくていいんです。名前なんか忘れてください。

      縁があればまた今度。縁がなかったらこれっきり。

        でもね、これだけは覚えておいてください。

 

     


          ―――――悪い事じゃない、生きていく事は決して悪い事じゃないんですよ。





           生まれてきた事は決して後悔するような事じゃないんです。

             生まれがどうだろうと、過去にどんな事があろうとも。

 
 

               ―――――だからエヴァ、どうか、光と共に幸せに生きてください――――

                  
  



 最後になってはじめて「エヴァ」と呼んだ未熟者。

 その最後の言葉を思い出し、また金平糖をかじる。

 甘いだけのただの菓子。だが、あの時代これがどれほど貴重だったか。

 そんな、私の静かな時間を電話の音が邪魔をした。
 
 

 「マスター。高畑先生からお電話です」         

 茶々丸から電話を受け取り 

 「なんだ仕事か?」

 「いや、遅くにすまないね。エヴァ」

 その後に続く、奴の言葉に私は固まった。

 「――――す、すまんが。もう一度頼む」

 その言葉にタカミチは、

 「ああ、さっき君に言伝を頼まれたんだ「今、幸せですか?」だって。彼は誰だい?」

 「そ、そいつはそれ以外に何か言ってなかったか?」

 タカミチは困ったように

 「それが君に食べて欲しいって金平糖の袋を………」   

 その先は言わせず、今どこにいるかを聞き、私はタカミチの元に走り出した。

 名も思い出せない、顔も知らない、私のはじめての下僕を探しに。

 幽霊だろうと吸血鬼だろうとかまわない。



 

 
 ――――――ただ、その名前を教えて欲しかった。






<続>


 

感想は感想提示版にお願いしますm(__)m


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