二十話『リアルな夢は意外と忘れやすい』

 ホテルのロビー脇にある休憩所には、今は3人の浴衣姿の影がある。
 そのうち、一番背の高い少女が自販機から缶を3本取り出す。
 缶は緑系の背景に長髪の少女がプリントされており、大きく“まロ茶”と銘打たれている。
 少女はそれを隣に立つ少年と、ベンチに腰掛ける黒い長髪の少女に渡す。

「ありがとな、アスナ」

 礼を言われた少女、アスナは眉尻を下げた表情で問いを放つ。

「このか。――やっぱり、あの……桜咲さんとは何かあったの?」

 木乃香は問いに一瞬息を詰め、

「うん……。アスナにもちゃんと話してへんかったよね」

 木乃香は昔を思い出すように、浅く目を伏せながら言葉を紡ぐ。

「ウチ、小さい頃はえらい広くて静かなお屋敷で育ったんやけど……、山奥やから友達一人もいーひんかったんや。
 ――でな? ある日お客さんとして来た人たちの中にせっちゃんがいたんよ。
せっちゃんは剣道やってて、怖い犬を追っ払ってくれたり、危ない時は守ってくれたりな?」

 へぇ、と明日菜は感心の声を上げつつ、内心で思う。

 ……今も守ってるんだけどねぇ……。

 ただし、木乃香から距離を置いた状態からだ。
 ルナ先生が言うには、桜咲さんは木乃香の護衛をしているらしい。
 その事を頭の片隅に置きながら、木乃香の話に耳を傾ける。

「ウチが川で溺れそうになった時も、一生懸命助けようとしてくれて。……結局、二人とも大人に助けられたんやけどな」

 木乃香は苦笑を浮かべながら話を続け、

「その時せっちゃんが言うたんよ。守れなくてごめん。自分はもっと強うなるって。
 ――それから、せっちゃんは剣の稽古であんまり会わんようになって、ウチも麻帆良に引っ越して。中1の時にせっちゃんもこっちに来たんやけど。
 ……ウチ、悪いコトしたんかなぁ? せっちゃん、昔みたく話してくれへんよーになってて」

 そう言う木乃香の目尻には涙が浮かんでいる。

「このか……」

 明日菜に声をかけられ、木乃香は手をひらひらと振りながら涙を拭うと、

「大丈夫やって。――あ、それとな? もう一人仲のええ子がおったんよ」

 ぽん、と両手を合わせて話を始める。

「ウチらよりいくつか年上やったけど、るーちゃんっていうてな。外人さんで、金髪の綺麗な子やったんよ」

「……るー、ちゃん?」

 明日菜が首を傾げると、木乃香はこめかみに指を当てながら、

「えーと、なんて名前やったかなぁ。ウチはずっとるーちゃん呼んどったから。……せっちゃんなら覚えとるかなぁ?」

「え? 桜咲さんが?」

「うん。るーちゃんが来たのってせっちゃんよりちょい後でな。遊ぶ時も3人一緒やったんよ」

 そこまで聞いて、明日菜の中で一つのイメージが生まれた。
 最初は漠然としたイメージだが、木乃香の話を聞く内に少しずつまとまっていき、唐突に一人の人物像が浮かび上がった。
 それはほんの一時間ほど前、カモの発言にひどく取り乱した人物だ。

 ……あれ? ひょっとして――。

「――はい。このお話はもう終いやっ。ほな、部屋に戻ろか」

 パチン、と風船が割れるようにイメージが途切れた。
 声の主を見ると、木乃香がベンチから早々に立ち上がり、伸びをしている。
 それに曖昧な頷きで返し、明日菜は横に立つネギに耳打ちをする。

「後で桜咲さんに話を聞きましょう。……それと、ルナ先生にも」










「このあたり……いや、もう少し左ですかね?」

 言いながら、手に持った札を自動ドアの上で左右に揺らす。
 ドアのセンサーに反応して開きっぱなしになってしまわないよう、高めの場所に貼り付けると、

「……何やってるんですか?」

 後ろから声をかけられた。
 肩越しに振り返れば、すぐ横から脚立を押さえた刹那がこちらを見上げており、その向こう側に

「あぁ、Mr.スプリングフィールド。これは式神返しの結界ですよ。……といっても、簡易式なので内側からは開いてしまいますが」

 ネギの問いかけに答えながら、奈留島は脚立から降りた。

「……ルナ先生、日本の魔法を使えるんですか?」

「いや、知識はありますが実践はそれほどでは。あれも桜咲さんが用意した物で
すし」

 ね? と頭上に貼られた札を指し示しながら刹那に同意を求めると、刹那は頷きを一つ返し、

「えぇ。……まぁ私も、剣術の補助程度しか出来ませんが」

『なるほど、ちょっとした魔法剣士って訳だな』

 そう言いながら、カモがネギの肩から、そばにあるテーブルへと降り立つ。
 それに合わせるように、他の一同が周りのソファへと腰を下ろした。

「敵の嫌がらせがかなりエスカレートしてきました。――このままではこのかお嬢様にも被害が及びかねません。それなりの対策を講じなくては」

 言葉を一旦区切り、刹那が斜め前に座る奈留島へ向き直る。

「奈留島先生。襲ってきてるのはおそらく関西呪術協会の一部勢力、――陰陽道の“呪符使い”かと思うんですが」

「そうですね。先ほどの式神の事もありますし、間違いないでしょう」

 頷く奈留島を横目に、呪符使い? と明日菜とネギが揃って首を傾げる。

 呪符使いは古くから伝わる“陰陽道”の派生型の一つであり、詠唱時に無防備となるのは西洋魔術師と同様である。
 そこで西洋魔術師が従者を従えているのに対し、呪符使いは善鬼、護鬼といった式神を護衛に従えている。

「――更に、関西呪術協会は我が“京都神鳴流”と深い関係にあります」

「神鳴流って、確か刹那さんの……」

 はい、と刹那が頷き、説明を続ける。
 神鳴流は退魔を主目的とした戦闘集団であり、呪符使いとは反対に近接戦闘に特化した者が多い。
 故に、呪符使いの護衛として神鳴流が任に就くことがあり、その場合は攻防のバランスが取れた、非常に手強い組み合わせとなる。
 そこまで説明を終えると、ネギが首を傾げて、

「――あれ? じゃあ神鳴流っていうのは……敵?」

「はい……。彼らにとってみれば東についた私は言わば裏切り者。――でも、私はお嬢様を守れれば満足ですから……」

 そう告げる刹那の表情は、仕方ないとでも言うように眉尻を下げた笑みだ。
 その表情を見て、奈留島が膝に乗せた両腕の手指を組ませながら、口を開く。

「……桜咲さん。あなたは――」
「――本当にそれでいいの?」

 奈留島の言葉に被さるように問いを放ったのは明日菜だ。

「私たち、さっき木乃香にも話を聞いたけど昔は一緒に遊ぶくらい仲が良かったんでしょ? 今だって、事情は話さなくても側で護ってあげることも出来るんじゃないの?」

「それは……し、しかし私がお側にいるとお嬢様に危険が……!」

 刹那が視線を泳がせながら答えた内容に、明日菜は苦笑を漏らしながら立ち上がる。
 そして、刹那の肩に手を乗せ、歯を見せる笑みで言った。

「――ま、あんたがこのかのこと嫌ってなかった。とりあえずはそれで十分!! ――友達の友達は友達だからねっ。私も協力するわよ!」

「か、神楽坂さん……」

 その二人を見て、奈留島は自分の頬が弛むのを感じた。
 口元を手で覆って表情を隠すと、横で勢いよくネギが立ち上がり、

「よし、じゃあ決まりですねっ。3―Aガーディアンエンジェルス結成ですよ!!」

「えー!? 何その名前……?」

 ネギの言葉に、明日菜が眉をひそめて非難する。

「えぇっ!? ……じゃ、じゃあアスナさんはどんな名前がいいんですか?」

 う、と声を詰まらせ、明日菜は額に指を当ててしばし考え、

「……木乃香親衛隊?」

「それはどちらかと言うとファンクラブでは……?」

 結局、ネギが最初に提案した通りでいいだろうという風に話がまとまり、

「じゃあ早速、僕は外へ見回りに行ってきます!!」

「あ、ちょっとネギ――」

 言うが早いかネギが外へ向かって駆け出した。それをアスナが追おうとするが、

「――いいですよ。神楽坂さん達は班部屋に戻って、近衛さんのそばについてあげてください」

 奈留島はアスナを手で制し、戻るよう指示した。
 奈留島がそのまま外へ向けて歩みを進めると、ネギがドアの所で女性と衝突しているのが見える。
 女性はホテルの従業員の制服を着ており、ネギに挨拶だけ交わすとシーツなどを積んだカートを押して歩き出す。
 こちらに会釈を送る女性の表情は緩い笑みだが、

 ……嫌な視線ですねぇ……。

 さりげなくではあるが、こちらの頭から爪先までさっと巡らせる視線は値踏みをするようなそれだ。

「こんばんは」

 こちらの横を通り抜ける際に挨拶をかけるが、女性は笑みのままロビーの奥へと行ってしまう。
 奈留島はその背中を一瞬だけ見送り、

「……さて。Mr.スプリングフィールドはどっちに行ったかな?」

 独り言を呟きながら自動ドアをくぐった。










 夢を見ている。
 夢は過去の再生として機能しており、見える景色は、

 ……実家のお屋敷やな。

 言葉通りの場所に、幼い頃の自分が立っている。
 着物をまとった自分の腕には鞠が抱えられており、低い視線の先にいるのは、

 ……ウサギ?

 こげ茶色の毛皮に覆われたウサギは、こちらから5mほどの距離をとって佇んでいた。
 ウサギの背後には茂みがあり、奥は斜面を下るように森が続いている。

「――あ」

 と声をあげたのは、夢の中の自分だ。
 見ればウサギはこちらから背を向けて、茂みへと飛び込むところだ。
 自分の意思とは無関係に視界が左右を見渡すと、周囲に人気はない。
 しばらく逡巡するように硬直するが、やがて鞠を手放すと、視界はウサギを追うように森へと向かっていく。

 ……あれ? これって……。

 着物の裾や袖を気にしつつ、森の奥へと突き進む。
 ウサギは時折こちらへ振り向き、5mほどまで近づくと、再び跳躍を開始する


 ……あぁ、そうや。この日は……。

 もうどれほど追いかけただろうか。既に日は傾いてきており、木々の間から降る光は赤味を帯びている。
 その中、ウサギが唐突に静止した。
 ウサギはじっとこちらを見つめ、互いの距離が1mを切っても微動だにしない。
 ウサギを抱き上げようと、小さい手が差し出された。

 ……るーちゃんがいなくなった日――。

 直後。視界がぶれ、記憶の回想が絶たれた。










「――のか。――このか!?」

 木乃香の意識が覚醒して、最初に知覚したのは振動だ。
 うっすらと瞼を上げ、こちらを覗き込む人物を捉える。

「……アスナー?」

「大丈夫? うなされてたみたいだけど……」

 言われ、気温は高くもないのに自分が汗をかいているのを自覚する。
 先ほどまで見ていた夢を思い返そうとするが、

「んー……。なんやろ、怖い夢でも見とったんかなぁ?」

 思い出せず、おもむろに布団から出てふらふらと歩き出す。

「あ、ちょっとドコ行くの!?」

「トイレー……」

 明日菜に伝えて、客室の奥にある手洗いへと向かう。
 外が一望できる窓のそばでは、夕映が椅子に座ったまま眠っている。
 テーブルには水筒が乗っており、夜風に当たっている夕映の顔は心なしか赤い。

 ……なんか、怖いいうより懐かしい夢見とった気がするんやけど――。

 虚ろな意識に、わずかな衝撃が届いた。
 衝撃は顔に与えられており、こちらを包み込むような柔らかいものだ。

「……もへ?」

 一歩下がると、個室いっぱいに茶色い毛皮がひしめいている。
 異様に大きい頭部がこちらへ振り向くと、デフォルメされた猿の口から、眼鏡を掛けた女性が笑みで、

「入っとりますえー。――なーんてな」

 ひゃ、と反射的に悲鳴を上げるより先に、視界が黒に覆われた。


〈続く〉

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