十九話『混浴で異性と入れた試しはない』
大垣川にかかる橋を越えると、ホテル嵐山と看板のかけられた建物がある。
その1階、湯上がり休憩所とのぼりの立てられたソファの一つに、ネギが座っていた。
ネギは背もたれに全身を預け、天井を仰ぎながら、
「うぁー……、疲れた」
肺の中にある空気を全て吐き出すように長く呟き、今日1日の出来事を思い返す。
新幹線での騒動の後、一行は清水寺へ赴いた。
舞台から飛び降りようとする生徒もいたが、概ね良好に修学旅行は進んでいた。しかし、
……まさか生徒の大半が酔いつぶれちゃうなんて……。
清水寺から少し歩いた場所に、音羽の滝という観光名所がある。
そこでは屋根上に用意された伝いから3本の流水が落ち続けており、それぞれ健康、学業、恋愛にご利益があるとされている。
生徒達はこぞって恋愛の滝を飲み、しばらくすると顔を赤くした屍が積み重なっていた。
他の教師達に悟られないよう、飲酒を免れた生徒と慌ててバスに乗り込み、ホテルへと移動して今に至る。
「……これも関西呪術協会の妨害なのかなぁ……?」
自問ともとれる呟きに応えるのは、机の上にいるカモミールだ。
『そうみてぇだな。……でよ、兄貴。あの刹那って奴だがよ……』
うん、と頷きながら、ネギは自分の教え子であるサイドポニーの少女の様子を思い出す。
……なんていうか、常にこっちを見ていたような、……睨んでいたような。
「確かにちょっと怪しいと思うけど……でも――」
「――ネギ!」
話しているネギを呼びかけたのは、まだ制服姿のままのアスナだ。
「あ、アスナさん」
「とりあえず酔ってるみんなは部屋に寝かせて、他の先生達はルナ先生が誤魔化してくれたけど、……一体、何があったのよ?」
「じ、実はそのー……」
アスナの問いに、ネギは答えづらそうに視線を逸らす。
が、カモミールに後押しされ、ネギが事情を説明すると、
「……また魔法の厄介事なわけね?」
ふう、とアスナは天井を仰ぎながらため息を吐く。
「すいません、アスナさん」
そう謝るネギの頭に乗せられた物があった。
アスナの手だ。
アスナは髪を梳くように五指を差し込みながら、
「いいわよ。どうせまた助けて欲しいって言うんでしょ? ――ちょっとなら力を貸したげる……わ、よ?」
アスナの苦笑を含んだ言葉は、視線の動きと共に尻すぼみに消えていった。
視線はこちらの上、斜め後ろあたりを見ている。
それに釣られて振り返ると、
「――Mr.スプリングフィールド。教員は先にお風呂へ……、どうしたんですか? 鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
浴衣を着た美人がそこにいた。
いや、“美人”ではない。声も聞き知ったもので、その呼ばれ方にも覚えがある。
……えっと、もしかして……?
「……ルナ先生?」
「――あ。あー……」
アスナの問いに、ようやく思考が現実に追いついた。
目の前に立つ奈留島は、薄い青の浴衣にサンダル履きという場に沿った格好だ。
湯上がりの頬はやや上気しており、濡れた髪が艶のある黒で彩られている。
「? ……そうですよ。当たり前じゃないですか」
何を今更、といった雰囲気を纏った笑みは柔らかく、それを見たネギ達は円陣を組むように頭を突き合わせ、小声で話す。
「……どう思う?」
「ど、どうって言われましても」
『いやぁ、あの顔で湯上がりオーラは反則だろう。あれでもうちょい胸がありゃあ立派な――』
「黙りなさいエロガモ」
「……何をコソコソ話してるんですか?」
いや何も、と一様に首を横に振り、奈留島が頭の上に疑問符を浮かべる。
「――あ、そうだ! ルナ先生、今日の道中の件ですが……」
思い出したように放ったネギの言葉に、奈留島が露骨に眉をしかめた。
「……アスナさんには、もう話したんですか?」
「は、はい……」
はあ、と奈留島は大きなため息を吐き、空いてる椅子に腰掛けた。
「――まず間違いなく、関西過激派の妨害でしょう。……それにしては、内容が小物じみてますが」
そう呟く奈留島に対して、テーブルの上にいるカモが動きを見せた。
身体を起こし、前脚を奈留島に突きつけ、
『ところで兄ちゃん! クラスの桜咲刹那って奴が敵のスパイらしいんだが、何か知らねーか?』
「……は?」
カモの放った問いに、奈留島が示したのは不理解だ。
眉尻を跳ね上げ、口を開いたまま停止している。
その間を縫うように、アスナが言葉を発した。
「スパイって……桜咲さんが? ――んー、このかの昔の幼なじみって聞いたことあるけど、そういえば二人が喋ってるところ見たことない――」
『待ってくれ姐さん! このか姉さんと幼なじみってことは……!?』
二人の会話を横に聞いていたネギが、あ、と声を上げ、
「そういえば名簿に……」
言って、ネギがカバンから取り出したのはクラスの出席簿だ。
開くと生徒たちの写真があり、ところどころに手書きの文字が見受けられる。
文字は落書きを交えた幼い物と、簡素に記された落ち着いた物の2種類がある。
出席簿の中ほど、刹那の欄には後者の文字があり、
『京都、かみ……なるりゅー? ――と、とにかく奴は京都の出身だったんだな!? これで間違いねぇ、奴が関西呪術協会の刺か』
息巻いているカモの言葉を、強引に遮る音があった。
固い物を叩いた音は、カモが立つテーブルから発されており、それと同時に奈留島が跳ねるように立ち上がり、
「――そんなわけないでしょう!!」
「桜咲さんがどんな思いで近衛さんを護っていると思ってるんですか!」
アスナは、眉を立てて叫ぶ奈留島に目を丸くしていた。
以前に茶々丸を襲った時にも、奈留島はネギに説教をしていた。
しかし、あれは言うなれば理屈からくる怒りだったように見えた。それに対して今回のは、
……なんていうか感情剥き出しで怒ってるわね……。
「――ル、ルナ先生……?」
アスナがおそるおそる尋ねると、奈留島は肩を震わせ、かぶりを振りながらソファに腰掛けた。
「……とにかく、桜咲さんは近衛さんの護衛を任されてるんですよ。それに関しては学園長から……聞いてないんでしょうね」
奈留島のため息混じりの言葉にネギが頷きを返し、
「……え? じゃあ、僕を見てたのは――」
「大方、クラスを任された魔法教師の様子見でしょう。……結果は推して知るべしですが」
う、とネギがのけぞるが、奈留島は無視。据わった目つきで2人と1匹を見回し、
「いいですか? 今後桜咲さんの事を疑ったりしないで、――むしろ協力しあってください。でないと余計なトラブルを招きかねませんから」
奈留島が釘を刺すと、ネギはうなだれ、カモはバツが悪そうに目を逸らす。
そういった反応を見せている横で、アスナが口を開いた。
「……ルナ先生」
「ん? なんですか、神楽坂さん」
「いや、なんとなく思ったんだけど――」
そう言い、アスナは人差し指で頬を掻きながら、
「ルナ先生ってさぁ、桜咲さんのこと――」
「アスナー」
問いを阻むのはアスナ達の背後、奈留島の正面から来る木乃香の声だ。
「5班お風呂の時間やて。……何話してたん?」
「ううん、なんでもないわよ。じゃあネギ、また後でね」
アスナがそう言い残して木乃香と立ち去ると、残された2人と1匹は数秒の沈黙を経て、
『……じゃあ、オレっちはこれで!』
「何が“じゃあ”ですか?」
妙にキレのある動きで離れようとするカモを、奈留島の右手が素早く捉えた。
「何気にちゃんと面と向かうのは初めてですが、……改めてはじめまして、Mr.アルベール。神楽坂さんから色々聞いてますよ。――麻帆良に来て早々に生徒の水着ひん剥いたとか下着ドロで指名手配受けてるとか」
『そ、それは誤解ですぜ兄さんっ。オレっちは妹の為に下ぎゅえ』
カモの弁明を、奈留島が手指に力を加えることで遮断する。
「言い訳無用。どうせ今だって神楽坂さん達の後を追おうと――」
奈留島の追求を、一つの声が遮った。
ひゃ、と伸びた叫びは悲鳴と判断の付けがたいものだ。
なるほど、と奈留島が頷き、
「先に罠を仕掛けて後は回収だけですか随分と用意周到ですねやはり制裁か」
流れるように放たれる奈留島の言葉に、カモは高速で首を横に振り、
『ちょ、ちょっと待ってくれよ! オレっちはまだ何もしてねぇよ!』
「ほぉ、……つまりこれから何かする気だったと」
ひー、と手の中でカモがもがいているが、親指で顎から前足にかけて固定しており抵抗すらままならない。
「そ、それよりもルナ先生! 今の悲鳴は……!?」
「――近衛さん!」
舌打ちを合図に、奈留島はカモを放り捨てて走り出した。
ネギと奈留島が、夜の旅館内を駆ける。
奈留島は走りにくいサンダルだが、半ば跳ぶような歩幅で速度を保っている。
それに追従するネギは、反対に歩数で速度を上げており、革靴がカーペットを叩く音が連続して響いている。
悲鳴と物音を辿ると、温泉マークが描かれたのれんと擦りガラスの引き戸の向こう側から聞こえている。
奈留島とネギは一度互いを見て頷き、ネギが勢いよく引き戸を開いた。
「大丈夫ですか、このかさ――!?」
「いやああーん」
悲鳴と言えない悲鳴を上げるのは、脱衣場の中ほどにいる木乃香だ。
「ちょっ……ネギ!? なんか、おサルが下着をーっ!?」
そのすぐ横にはアスナもおり、二人の周りをぬいぐるみのような小猿達が飛び跳ねている。
小猿達は数匹がかりで二人を取り囲み、下着を剥こうと躍起になっている。
「……なんですかこれは」
奈留島が軽く俯き、顔を手で覆いながら呟く。
「えうっ!? 一体コレは――」
「――お嬢様!」
ネギの問いに応える間もなく、脱衣場に新たな人影が加わった。
人影はネギ達とは反対側、浴場の方から入って来て、手には身の丈程もある棒状の物を持った少女だ。
少女の身はバスタオル1枚巻いただけの姿で、剥き出しの肩から腕にかけて汗が珠となって落ちていく。
「せ……、桜咲さん!?」
奈留島が動揺を含んだ声を上げると、木乃香が刹那の方へと振り返り、
「――せっちゃん!? み、見んといて――!」
自分の身を抱くようにして、その場にしゃがみ込んだ。
「こ、この小猿ども……、このかお嬢様に何をするか――!!」
刹那はわなわなと震えながら、叫びと共に手にしていた白木の鞘から野太刀を抜き放った。
「ダ、ダメですよっ。おサル斬っちゃ可哀想ですよ!」
しかし、それが振るわれるより早く、ネギが刹那を後ろから抱き止める。
「……っ、何するんですか先生! こいつらは低級な式神ですから、斬っても紙に戻るだけ――」
「み、みんな! このかがおサルに――!!」
アスナの声に二人が視線を向ければ、ひゃ、という悲鳴を上げながら木乃香がサルの群に運ばれている。
「――お嬢様!!」
悲鳴に応えたのは、刹那だ。
刹那は地面と平行方向に跳躍し、両腕をフルに活かして鞘から野太刀を抜き放ち、
――神鳴流奥義・百烈桜花斬!!
水平に円を描くように振るわれた刃は、頭身の低い小猿の胴体を上下に二分した。
小猿は破裂音を立てながら紙に戻り、散った紙切れが花弁のように舞う。
紙吹雪が収まると、右手に野太刀を携えたまま、左腕で木乃香を浅く抱き止めている刹那がいる。
「このかー!」
「このかさん、大丈夫ですか!?」
アスナとネギが追って浴場に足を踏み入れると、垣根の向こう側に生えている木が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立った。
それを目の端に捉え、刹那は小さく舌打ちを一つ。
……ちっ。逃がしたか……。
「せ、せっちゃん」
そう刹那を呼ぶのは、身体を刹那の腕に預けている木乃香だ。
「なんか、よーわからんけど……助けてくれたん? ――ありがとう」
木乃香が礼と共に笑みを向けると、刹那は顔を朱に染め、目が泳ぎ始めた。
「あ、いや……っ! ――失礼します!!」
そう言って刹那が突然立ち上がると、支えを失った木乃香が湯の中へと身体を沈める。
「あっ、せっちゃん!?」
木乃香の呼びかけにも応えず、刹那は脱兎のごとくアスナたちの横を抜け、脱衣場へと飛び込んでいった。
「……何? 今の……」
「さ、さぁ……?」
浴場には首を傾げるアスナたちと、中空に手を差し出したままの木乃香だけが残された。
あとがき
ジェン ドーブリィ(ポーランド語)
どうも、さかっちです。
なんかここ数回、やたらと奈留島の影が薄い気がしますが仕様です。
そして服装一つで女性に見られてしまうのも仕様です。
そろそろ奈留島の本音というか地が見えてきたと思うので、そうすればもう少し
前へ出てくるやも(曖昧)
とまぁそんなところで。ではまた次回。