十七話・指令
奈留島は、背後から険悪な視線を受け止めつつ、前に立つ二人を見た。
先に動いたのは、ネギだ。
「こんにちは。……な、奈留島先生、お食事はもう済まされましたかっ?」
ネギはエヴァンジェリンと奈留島を交互に見て、緊張の混ざった口調で奈留島に訊く。
「いえ、まだですが?」
「じゃあ買ってきます!」
「え? あ、ちょっと……」
引き止める間もなく、ネギは広場に展開している屋台へと走っていってしまう。
「……いったいどうしたんでしょうね?」
奈留島が頭に疑問符を浮かべた状態でぽつりと漏らした。
それを聞いて、アスナが苦笑しながら説明する。
「――感謝してるみたいよ」
「感謝、ですか……?」
そ、とアスナがサンドイッチを頬張り、続ける。
「昨晩のアレで、最後にエヴァンジェリンが落ちたじゃん? どうもそれに責任感じちゃったみたいで。……で、それを助けたルナ先生に感謝してるってわけ」
「あー……、そんなところで恩義を感じられても困るんですがねぇ」
照れたように頭を掻く奈留島を横目に、エヴァンジェリンが鼻を鳴らし、
「――くだらん。立場がどうあれ、あの時私は言ったはずだ。私が生徒であることを忘れろとな。それなのに心配など、――ただのお人好しだよ」
む、とアスナが気分を害したのか顔をしかめる。
その様子をむしろ楽しむように、エヴァンジェリンは唇を歪め、
「まぁそれ以上に、直接助けに入った馬鹿も横にいるが」
「あれ? さりげなく僕の人格疑われてませんか?」
「さりげなくと言うにはかなり直接的かと思われますが……」
茶々丸が補足を加えると、奈留島は苦笑を濃くした。
それを見て、アスナはなんとなく口を開いた。
「……そういえばさぁ、エヴァンジェリンはルナ先生にお礼言ったの?」
「ぐ……っ!」
訊いたタイミングが悪かったのか、コーヒーをテーブルに叩きつけ、エヴァンジェリンが咳き込み始めた。
「何、を、言うか……貴様は!」
目尻に涙を浮かべ、エヴァンジェリンが問い返す。
対してアスナは、コーヒーをかき混ぜていたスプーンをぴっ、と突きつけ、
「だって、助けてもらってるじゃん」
「誰も助けてくれなどと言っておらん! あの程度、私一人でどうとでも出来たわ!!」
「しかし、あの時のマスターは魔力切れで一般的な少女と変わらなああマスターそんなに巻かれては……」
かなりの速度で後頭部に付いたゼンマイを巻き上げるエヴァンジェリンと、それによって不自然な振動を起こす茶々丸。
それを見て、奈留島は手をひらひらさせながら、
「いいですよ別に。お礼してもらいたくて助けた訳じゃありませんし。――それよりもMr.スプリングフィールドがなんか買いに行ってしまった方が心苦しいですねぇ」
奈留島がそのようなことを言っていると、行き来する人々の中からネギが現れた。
ネギはお待たせしました、と満面の笑みで手に持ったトレイをテーブルに置く。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙がテーブルの上を埋め尽くした。
最初に沈黙を破ったのは奈留島だ。
「あの、Mr.スプリングフィールド。……これはなんですか?」
「これですか? これは今週のビックリドッキリ定食“三色盛りそば、ソーダフロート付”です! 屋台の方に勧められました!!」
テーブルには、言葉通りの物が載っていた。
せいろの上に青、白、赤の三色で構成された蕎麦は、まるで人権宣言を謳ったフランス革命の如く、既存味覚からの脱却や発想の自由を表しているかのようだ。
「……ちょっと、あのセンスってどう思う?」
「いえ、ネギ先生は押され弱いので、勧められるままに買ってしまったのでは?」
「……だがあの顔はどう見ても嫌々ではないぞ?」
「青がブルーハワイ、白がみぞれ、赤が……イチゴか。微妙に縁日な味付けですね」
「――ってルナ先生なに普通に食べてるの!?」
女性陣がひそひそと話をしているのを気にも留めず食べ始めた奈留島に、アスナが驚愕を交えて叫ぶ。
が、奈留島は構わず箸を進め、
「いや、いただいた物を食べないのも悪いですし」
数分と待たない内に蕎麦は姿を消し、箸を置いた奈留島が一言。
「……やや甘味が強いか」
それだけか、とエヴァンジェリンが呟くが、奈留島は笑みでネギに向き直る。
「ご馳走様でした、Mr.スプリングフィールド。――ですが、今後はこういったことはしなくて結構ですよ。あれは僕が自分からやったことですから」
そう宣言する奈留島の額に汗が浮いているのを見て、周りが納得と共に大きく頷いた。
せいろを載せたトレイを返却し、卓上が落ち着き、最初に口を開いたのはアスナだ。
あ、と何かを思い出したように声を出し、それから表情が意地の悪い笑みへと変わる。
「――そういえば聞いたわよ。エヴァンジェリン、あんたネギのお父さん好きだったんだってね」
エヴァンジェリンの口から、景気よくコーヒーが噴き出された。
「き、貴様はまたしても……! 誰だそんな事を言ったのは!!」
「誰って……」
言いながら、アスナが視線を送った先にはコーヒーをすする奈留島がおり、
「――いやいや、僕はありのままあったことを言っただけですよ? サウザンドマスターを粘着質にストーキングしてはるばる海を越えて日本まで来たとか」
「やはり貴様かぁ――!!」
叫びと共に奈留島のネクタイを締め上げるが、すぐにその力は緩み、頬杖をついて呟く。
「……だが奴は死んだ。10年前にな……」
その俯き気味な目尻に浮かんだ物を見て、ネギとアスナから沈黙が生まれる。
奈留島はネクタイを直しながら、二人に補足説明を加えた。
「サウザンドマスターことナギ・スプリングフィールドは10年前、トルコのイスタンブールにて消息不明となっています」
「おかげで、強大な魔力による私の呪いを解くことのできる者はいなくなり、十数年の退屈な学園生活だ」
エヴァンジェリンの締めに、一番最初に応えたのはアスナだ。
ただし、言葉はエヴァンジェリンではなくネギに向けられたもので、
「でもさぁ……、あんたってばそのお父さんを追ってるんじゃなかった?」
「……何だと?」
アスナの言葉に、エヴァンジェリンが問いを放つ。
それに対しては、ネギが答える。
「ハ、ハイっ。あの……エヴァンジェリン。僕、父さんと――サウザンドマスターと会ったことがあるんです!」
ネギはイスに立てかけていた杖を手に取り、エヴァンジェリンに掲げてみせる。
「この杖も、6年前の雪の夜に父さんに貰ったんです。だから、僕は父さんを探し出すために“立派な魔法使い”になりたいんです!」
そこまでを聞き、奈留島はコーヒーに口をつけたまま固まっており、エヴァンジェリンは口元にわずかな笑みを浮かべ、右手で目元を覆う。
「――はは、そうか。……奴は、生きてるのか……?」
は、という弱々しい笑い声は、やがて、く、という声に変わり、
「……そうか私を放置したままのうのうと生きてたわけかクククどう仕打ちしてくれようか生半可な内容では私の気が済まんしな」
「……あ、あれー? なんか変な方向に喜びのスイッチが入ってる気が……?」
アスナの疑問詞を無視して、エヴァンジェリンは勢いよく立ち上がる。
「――ぼーや!!」
「ひゃ、ひゃい!?」
突然の呼びかけに、ネギが体を竦めて反応する。
エヴァンジェリンはネギに向けて人差し指を突きつけ、
「――京都へ行け! あそこに奴が以前暮らしていた家があるはずだ。そこで手がかりでも何でも見つけて来い!!」
「きょ、京都ですか!? でも困ったな。休みも旅費もないし……」
「へぇ、京都か。――それならちょうど良かったじゃん」
ねぇ、とアスナは茶々丸に同意を寄越し、茶々丸が頷きで応えた。
その会話を、奈留島は眉根を詰めて見ており、
「え? え?」
ネギだけが疑問符を大量生産しながら周りの面々を見回していた。
「――えーと、皆さん。来週から僕達3―Aは、京都・奈良へ修学旅行に行きますが……もう準備は済みましたかー!?」
「はーい!!」
ネギの快活な問いに、生徒達も負けず劣らず応じる。
一部は苦笑や呆れ顔を浮かべているが、全体的には陽気な雰囲気が漂っている。
奈留島は、そんなクラスの様子を見守りながら腕を組み、渋面を作っていた。
「……できれば、京都は遠慮したいんですがね」
「どうしてですか?」
小さく呟いた独り言に耳聡く反応したのは、髪の毛をアップに纏めた朝倉だ。
手にはボイスレコーダーが握られており、好奇心旺盛な瞳がこちらを見つめている。
「……トラウマ原産地でしてね。中学生の頃、鹿に襲われてエラい目に遭いました」
なるほどー、などと朝倉がメモを取りながら背を向けた。それをその情報で誰が得をするのだろうか。
……半分ほど嘘ですが。
内心で付け加え、中学生にあたる年齢の頃は確か英国にいたなあなどと思い返す。
……あの頃は“先生”に連れられて世界中を飛び回っていましたっけ。……大抵は荒事絡みでしたが。
別のトラウマを引き出しそうになったので回想を終了する。
とりあえず、先ほどから自分に負けず劣らず渋面を作っている生徒を見つけたので、声をかける。
「――桜咲さん」
「は、はいっ!? ……なんですか? 奈留島先生」
深く物思いに耽っていたのか、飛び上がらんばかりの勢いで驚く刹那。
「放課後、学園長室まで来ていただけますか? ――少しお話がありまして」
こちらの意図を察したのか、引き締めた表情でこちらを見上げ、刹那が小さく頷いた。
学園長室には、現在3人の影がある。
椅子に腰掛けた学園長と、それに対面する形で立つ奈留島と刹那だ。
「学園長、一体どういうおつもりですか!」
机に両手を叩きつけながら、刹那が声を荒げている。
学園長はそれを正面から受け止め、しかし気圧されることなく問い返す。
「どういうつもり、とはなんの事かの?」
「とぼけないでください! 木乃香お嬢様を京都へ行かせるなんて、危険過ぎます!!」
京都。
794年に平城京として首都に制定されて以来、千年以上の歴史を持つ古い都市である。
当時より、中国の風水を基に街作りが行われるなど独自の体系が確立しており、現在でもその形は関西呪術協会という組織の形で色濃く残っている。
しかし、近代の西洋魔術師の進出により呪術協会は勢力が衰退。一度復権を狙い西洋魔術師へ反攻を行うも失敗に終わり、現在では京都を拠点に西洋魔術師の傘下に等しい立場に甘んじている。
そのため、京都には西洋魔術師を良く思わない風潮が一部に強く流れているのが現状である。
「学園長、僕も京都行きは反対です。行き先の変更をお願いします」
後ろから支援する形で、奈留島が同意する。
ふむ、と学園長は顎をしごきながらしばし考え込み、
「……しかし、海外は燃油サーチャージが」
「誰もそんな時事ネタは聞いてません」
つれないのぅ、と学園長は苦笑。
しかし、咳払いを一つすると、顔つきが真剣なそれへと変わる。
「……すまんが、行き先を変更することは出来ん。今回の京都行きには、関西呪術協会との和睦も含められておるでな。――そのための親書を西の長へ渡すよう、既にネギ君に任せてあるしの」
「しかし――っ!」
刹那は前に進み、机に身体が乗り上げようとする。
それを、横から差し出された腕に遮られた。
腕の主、奈留島は大きくため息を一つ吐き、
「――わかりました。学園長がそう言うのであれば、こちらは職務を全うするだけですから」
「な――っ!!」
突然の方向転換に、刹那が言葉を失う。
振り返れば、自分が奈留島を睨むような目つきになっているのが分かる。
身長差で自然と見上げる位置にある奈留島の表情は、眉尻を下げた笑みで、
「すいません、桜咲さん。僕は学園長ともう少し話があるので、先に戻ってもらってもいいですか?」
「……わかりました」
刹那は、納得していない雰囲気をありありと示したまま、学園長室を後にした。
奈留島は、足音高く出ていく刹那の後ろ姿を見送り、学園長へ向き直った。
「……嫌われたんじゃないかのぅ?」
学園長は机に肘をつき、組んだ両手に顎を乗せて言った。
「本気で傷つくんでやめてください。というか元はといえば誰のせいですか」
半目で学園長を睨むが、意に介した様子もなく、学園長は笑みのままだ。
奈留島は再び大きなため息を吐き、肩を竦めながら口を開く。
「しかし、随分とややこしい事態になってますね」
奈留島の呟きに、むぅ、と学園長が唸る。
「刹那くんもアレで頑固な所があってのぅ。木乃香に対してどうしても一歩引いてしまうみたいじゃな」
「困ったものですねぇ。……まぁ、8割方は僕の責任ですが」
奈留島が苦笑と共に漏らすと、学園長の白眉がぴくりと揺れ、
「奈留島くん。君はまだ――」
「待った。……そこから先は言わないでください」
学園長の言葉を、右手を差し出す事で制した奈留島は、そのまま踵を返して両開きのドアへと向かう。
「――とにかく、修学旅行にはこちらも最善を尽くします。……親書に関しても、余裕があればサポートします」
「すまないのぅ……」
いえいえ、と奈留島はひらひらさせていた手を止め、
「あ、そうだ。――学園長、一つ質問なんですが」
「? ……何かの?」
ドアノブに手をかけた奈留島は肩越しに振り返り、視界の端に学園長を捉えて訊いた。
「――高い所はお得意ですか?」
あとがき
ナマステー(挨拶
どうも。実写版ドラゴン○ールを観てきました、さかっちです。
前情報の段階で地雷方面の期待がキュンキュン来ていたのですが、いざ観てみたら(マイナス方向に)予想以上の出来でこれはネタにするしかないなぁと思う今日この頃。ナマステー。
さて、今回ちらっと出てきた“先生”ですが、言ってしまえば奈留島の魔法関係の師匠にあたる方です。
詳細は後々本編で明かす予定ですが、相当先の話になりそうなので立ち位置だけでもハッキリさせておこうかと。
次回からは修学旅行編なので、タイトルの色合いも変えてみようかなどと画策中。……別に単語一つのタイトルが思い浮かばないわけじゃないですよ!?
とまぁそんなところで。ではまたー。