十四話・激突
麻帆良女子寮に備え付けられた大浴場は、動きに満ちていた。
熱風と冷たい風が入り乱れ、新しい動きの風となる。
その風を旋風という。
柱の立つ広いフロアを巻き踊る旋風は、四つの源を持っていた。
三つの風の源は、黒を基調とした侍女服の少女達だ。
その後ろには、ほぼ一糸まとわぬ姿になった少女が二人、地面に伏している。
残る一つの風は、小柄な少年だ。
右手に杖を持ち、左手に装飾を施された銃を持つ少年は、正面から来る三人に向かい合う形で、背の方向へ走っている。
……どど、どうしましょう!?
思う間にも、黒の風は迫ってくる。
最初に来たのは、向かって右を走る明石だ。
「ネギくん! あーそぼっ!」
明石の右手と地面を高速で往復していたバスケットボールが、その軌道をネギへと向ける。
うひゃあ、とネギがのけぞって避けるが、間髪入れずに次が来た。
それは新体操用のリボンで、足に絡みついたそれは、笑みを浮かべている佐々木へと続いている。
口元から、大きく発達した犬歯を見せる笑みだ。
「ネーギくんっ」
言葉と同時、足が地面を見失った。
視界が自分の意思とは無関係に動き、次の瞬間には背中に衝撃が来る。
「か……っ!」
肺から呼気が漏れ、目尻に涙が浮く。
涙で滲んだ天井を見上げると、こちらへ倒れ込むような前傾姿勢で、茶々丸が拳を引いていた。
「うわー!」
叫びと共に体を捻ると、先ほどまで頭があった場所から破砕の音が響いた。
転がりながら離れ、起き上がってみれば、茶々丸が半分ほどめり込んだ拳を引き抜く所だった。
……こ、これは危ないですよっ!?
背中の痛みとは別の理由で涙が出そうになるが、思考の冷静な部分が打開策を求め、
……とりあえず外へ……っ!
魔法の詠唱を唱えるにはある程度の時間がかかる。が、広さに限りがある室内ではその時間を稼げない。
故に、ネギは外に出て距離をとる方法を選んだ。
一瞬、出口の位置を確認するが、
『リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!!』
動き出すより先に声が来た。
侍女服の三人の向こう、10m以上離れた場所から届く声は、高い天井に反響して幻想的な雰囲気すら漂う。
『――
しかし、その声が引き連れたのは破壊の一語だ。
十数本の氷の矢が、ネギを中心に背後の大窓ごと炸裂した。
「……っ!!」
ガラスは月明かりに照らされながら夜空に散り、その中をネギは突き抜けた。
翔、という音を鳴らして杖が走る。
服や顔に小さな擦過はあるが、いずれも微々たる物だ。
背後に遠ざかる窓を見つめながら、後で直さなきゃな、などと場違いな事を思う。
見れば、エヴァンジェリンは明石と佐々木に何かを告げると、茶々丸と共に大窓から飛び出した。
こちらを追う動きだ。
……よし、後はあそこまで辿り着けば……!
思いは手指に力を加え、杖は更なる加速を行った。
静まり返った大浴場に、佐々木と明石は残されていた。
「……どうする?」
先に口を開いたのは佐々木だ。
飛んで行ったネギやエヴァンジェリンと違い、自分達には空を飛ぶ術はない。
なにより、
「うーん、ご主人様が待ってろって言ってたしねー」
主人の命に従い、する事もなく立ち尽くす二人。
「とりあえず、アコとアキラを起こそう……っ!?」
明石がそう言いながら振り返り、言葉を詰まらせた。
それに疑問を感じた佐々木が、倣って同じ方向へ視線を向けた。
大人数向けに広く作られた浴槽の横には、先ほどと変わらず和泉と大河内が横たわっている。
違うのは、二人が裸体を晒しておらず、
「……バスタオル?」
佐々木の言葉通りの物が掛けられていた。
二人が一度起きた様子はない。とすると、
……誰が?
「――こんばんは。明石さん、佐々木さん」
疑念に、後ろから放たれた声が応えた。
慌てて振り返れば、砕かれた大窓から射し込む月光を背景に、長身の影がそこにいた。
「今日はこの通り停電なのに、外出とは感心しませんねぇ」
「奈留島先生……」
逆光の中、奈留島は腕組みをし、こちらへ歩み寄る。
「とりあえず、悪戯好きのクラスメイトに唆された生徒達には、――早々にご退場願いましょうか」
奈留島が影となって見えぬ笑みをこちらへ向ける。
それに対して、佐々木達の反応は率直だ。
腰を落として、足裏に力を込めた。
それだけで跳躍の準備は完了する。
「――さて、お説教の時間です」
奈留島の一言と同時、佐々木と明石が飛び出した。
奈留島は、二人が左右に分かれたのを見た。
吸血鬼としての体質を得た二人の動きは俊敏だ。
向かって右側から、佐々木が新体操のリボンを飛ばしてくる。
蛇のようにうねるそれが狙うのは、奈留島の足首。
更に、反対からは明石がこちらの頭めがけてバスケットボールを投げた。
二人に言葉を交わした様子はなかったが、互いが狙った場所は的確だ。
いい連携だな、と呟き、奈留島は動く。
バスケットボールへ突進したのだ。
リボンとの距離を取る反面、ボールとの距離は更に近づいた。
高速で打ち出されたボールは、人を昏倒させるのに充分な威力を持っている。
奈留島は、その砲弾と化したボールの側面に腕を伸ばした。
回転による摩擦で手が熱を得るが、奈留島は無視。速度を殺さぬように、腕が緩い弧を描いて後ろに回る。
結果として生まれるのは、佐々木に向かって飛ぶボールと、明石に向かって走る奈留島だ。
背後から、きゃあ、と慌てた声が後ろから聞こえるが、ボールが肉を打つ音はしない。
その事に内心で安堵し、奈留島は目の前で驚く明石に集中する。
明石と吐息がかかりそうな程近づけば、首筋にあるものが認められた。
赤くなった小さい穴が二つ。吸血鬼特有の噛み跡だ。
それに指を這わせ、奈留島が小さく呟いた。
『――契約介入』
瞬間、明石が小さく身震いをし、膝から崩れ落ちた。
頭を打たないようにそっと支え、目が伏せられてるのを確認して、奈留島が振り返る。すると、
「お……?」
何かがぶつかるのと同時、首筋にかすかな痛みが走った。
少し見下ろせば、佐々木が自分に牙を立てており、顎に当たる髪の毛がくすぐったく感じる。
佐々木が上目遣いにこちらを見やるが、奈留島は一言、
「――残念」
そう笑みを浮かべ、佐々木の首元に指を添えた。
直後、首筋に刺さる牙から力が抜け、脱力が佐々木の全身へと伝播した。
横たわった佐々木を見下ろし、奈留島が吐息を漏らす。
「さて……と。次は――」
奈留島は砕かれた窓枠へと足をかけると、浅く目を閉じ、耳に手を当てた。
しばらくすれば、連続した破裂音と、固い物が爆ぜるような高音が鼓膜を震わす。
「――あっちか」
呟き、奈留島の身体が夜空へ放たれた。
静寂に覆われた街中を、飛翔する物がある。
長杖にまたがる、赤毛の少年、ネギだ。
ネギはあちこちに裂傷を作り、額から出る汗が速度故に後ろへ流れていく。
『――
『――っ。……
その後ろから追うのは、声と破砕音の重奏だ。
それを、高音と共に割れた不可視の盾を代償に防ぎ、ネギは進む。
「どうした、逃げるだけか!? ――もっとも、呪文を唱える隙もないだろうがな!」
声の主であるエヴァンジェリンは、嘲りともとれる言葉を放つ。
「マスター。停電の復旧予定時刻まで、残り30分を切りました」
その横に従う茶々丸が、表情を浮かべず淡々と状況を述べた。
「そうか。……なら、遊びもそろそろ終わりにする――っ!」
笑みを浮かべていたエヴァンジェリンの表情が、緊張のそれに変わる。
「……マスター?」
怪訝そうな表情で問いかける茶々丸に、エヴァンジェリンは眉根を詰めて答える。
「佐々木まき絵達の従者としてのラインが途絶えた、……というより切られたな、これは」
「切られた……ですか?」
吸血鬼の従者というのは、契約の強制に近い。
真祖であるエヴァンジェリンの契約となれば、高位の治癒魔法を使える者か、解呪に長けた魔法具が必要となる。
どちらも停電してからの短時間では用意出来ないものだ。
「いったい――」
誰が、と訊くより先に、エヴァンジェリンが舌打ちをし、
「……そういうことか。――まったく、爺ぃもえらい奴を連れてきたな」
「……マスター、いかが致しますか?」
少なくとも、エヴァンジェリンの契約をはねのける技量を持った術者がいるのは確かであり、その人物がこちらを追う可能性もある。
正体に当たりがついているらしいエヴァンジェリンは黙考すること数秒、
「……とりあえずそちらは後回しだ。先に坊やとの決着をつける」
「はい、マスター」
結論が出ると同時、正面から複数の魔法の射手が飛んできた。
茶々丸がそれを弾くと、背後からエヴァンジェリンの詠唱が届いた。
『
茶々丸の横を、冷気による威圧が抜けていった。
冷気は眼下にかかっている麻帆良と外部を繋ぐ大橋に当たり、巨大な氷柱となって跳ね返った。
その一つが、低い位置を飛行していたネギの杖を捉えた。
後方の先端をかち上げるように叩かれた杖は、操縦を無視して主を前へ放り投げた。
「――あ、ぐっ!」
地面を二転、三転し、ネギの足がようやく地面を掴む。
追って飛ぶ杖をネギが捕らえると、その正面にエヴァンジェリンと茶々丸が対峙した。
ネギとエヴァンジェリン達は10m程の距離をとっており、ネギの背後は、
「……学園都市の端。――なるほどな。私は呪いで外には出られん。ピンチにな
れば学園外へ逃げればいい、か」
つまらん作戦だな、と呟くエヴァンジェリンは勝者の余裕で彩られている。
対するネギの表情は、俯いて隠れている。
「まぁいい。これで決着だ」
そう言い、エヴァンジェリンが歩を進め、それに茶々丸が続いた。
直後、光が生まれた。
あとがき
あけました(挨拶)
どうも、さかっちです。
今回から2009年の更新となります。拙い作品ではありますが、お付き合い下さいますと幸いです。
今年もよろしくお願い致します。