十二話・停電
時刻が20時を少し過ぎた頃、街は黒の一色に染まっていた。
建物の窓から漏れる灯りはなく、人通りも皆無だ。
通りの脇、ゴミ捨て場のネットが置かれた横に立つ掲示板には、一枚の貼り紙があった。
『本日20時から翌0時まで、メンテナンスのため電力の供給をストップ致します。ご了承ください』
貼り紙を照らすのは一定の間隔で立つ街灯ではなく、いつも以上に自己主張を行う月と星々だ。
しかし、それらの光すら拒む場所がある。
街の外れにある森の中は、密集した木々に降り注ぐ月光を遮られている。
その限りなく闇に近い空間には、いくつかの音が響いていた。
叫びと、足音と、何かを穿つ音だ。
それらが重なれば争いの音となる。
「――――!」
空気を震わす大音量の叫び。
放つのは2mを超える巨駆を持った、熊に似た魔獣。
その叫びを身に受けるのは、上着を脱ぎ、ワイシャツ姿の奈留島だ。
大人の手のひら程もある爪が、正面に立つ奈留島に向かって振り下ろされた。
対する奈留島は、避けるための動きを見せた。
「――ふ」
腕の下を潜るように、前へ。
頭の上を風が抜け、眼前には牙を携えた口腔が迫っている。
爪による攻撃が外れたことに、驚きも迷いもない流れだ。
……いい動きですね。
相手は半歩距離を詰め、下顎を持ち上げればこちらの喉から上を奪える位置にいる。
だから、その半歩を詰める前に長杖を振り上げ、先端を用いた突き上げで強制的に口を閉じさせた。
牙同士がぶつかり合う不快な音が鳴り、その巨体が仰け反る。
直後、後ろから声が響いた。声はまだ幼さの残る少女のもので、
『メイプル・ネイプル・アラモード、
詠唱によって生まれたのは朱の光。
それが十一本、狙い違わず魔獣の頭部へ命中した。
「――――!!」
魔獣は爆音と共に咆哮を残しながら、穿たれた頭部から砂のように崩れていく。
奈留島は額の汗を拭い、
「――ありがとうございます。佐倉さん」
「いえ、私は全然。奈留島先生こそ凄かったですよ」
そう答えるのは、赤毛を左右で小さくまとめた小柄な少女だ。
手には大きめの箒が握られている。
「いやいや、僕なんか大したことないですよ」
「いえいえ、そんなことはないですよ」
「いやいや」
「いえいえ」
「……あなた達、そんなことやってて楽しいんですの?」
二人のかけ合いに割り込んだのは、全身を黒の一色で包んだ、吊り目気味の女性だ。
闇に溶け込む服装の反面、色白の肌と腰にまで届く金髪は夜目にも目立つ。
「お、お姉様っ!」
「おや、高音さん。周りはどうでしたか?」
高音と呼ばれた女性は口元に微笑を浮かべ、
「えぇ。使い魔を数体、周囲に放っていますが、今のところ他に侵入した魔物はいません。しかし――」
「しかし?」
高音は眉尻を下げ、呆れの表情で奈留島を見た。
「先生も無茶な配置をなさいますね。魔法使いタイプの愛衣を後衛に置くのはともかく、……私には愛衣の護衛と周囲の探索を頼んで、ご自分だけ前線で戦うなんて」
高音の苦言に、奈留島は肩を竦めて、
「そうですか? ベストな配置かと思ったのですが。それに僕、こう見えて――っ!」
言いかけ、突然奈留島が上体を折り、口を手で覆った。
吐き気を堪えるような動きに、高音達が眉をひそめ、奈留島のそばへ駆け寄る。
「奈留島先生!?」
「先生、どうかなさいましたか!?」
奈留島は空いた手で二人を制し、口を押さえたままの籠もった声で、
「……結界が、消えました」
え? と二人が疑問詞を浮かべると同時、愛衣の携帯が震えた。
愛衣はマナーモードにしていたそれを取り出し、耳に当てる。
「はい、佐倉です。――はい、……っ! はい、分かりました」
二言、三言と応答した後に通話を切り、愛衣が緊張の面もちで二人を見る。
「……奈留島先生の言うとおりでした。学園都市の結界が原因不明の停止をしたそうです。各自は結界が復旧するまでの間、なんとか持ちこたえるように、と」
佐倉の言葉に、高音は驚きの表情を見せ、奈留島へと視線を移した。
奈留島は口に手を当てたままだが、その顔には汗を浮いておらず、表情も穏やかなものだ。
「……奈留島先生。先生は何故――ッ!」
突如、高音があらぬ方向へと首を向け、何かを見据えるように目を細めた。
「――使い魔が侵入者を捉えました。魔物が三体に、人が一人。おそらく、関西の術師だと思われます」
場所は? と奈留島が尋ねると、高音は頷きを返し、
「……隣の担当区域ですね。担当者は――」
そこで区切り、焦りを帯びた声で、
「――先生のクラスの生徒です!」
「神鳴流――斬岩剣!」
刹那が叫びと共に走らせた銀閃は、甲高い金属音に弾かれた。
弾いたのは、牛に似た頭部をした魔物が持つ盾だ。
盾は中華鍋のように丸く歪曲しており、刹那の野太刀は形に沿って横に流れた。
く、と声を漏らし、刹那が制動をかけるが、袈裟がけに振り下ろした野太刀の動きは重い。
そこに、刹那目掛けて突き出される物があった。
槍だ。
槍は先頭の魔物の後ろ、右肩口の辺りから伸びており、突き出すのは馬の頭を持つ魔物だ。
狙いは刹那の額に定まっており、既に必中の距離にまで迫っている。が、
「刹那!」
声と共に来た弾丸により、槍は外へと弾き飛ばされた。
槍は刹那の頬をかすめ、赤い線を作るが、刹那は構わず後ろへ跳躍。
その間に奥から烏族が数本の矢を放つが、それらは背後からの弾丸に撃ち落とされる。
5mほどの距離を開いた刹那の後ろから声をかけるのは、リボルバー式の拳銃を手にした龍宮だ。
「大丈夫か?」
「あぁ、助かった。……しかし、厄介だな」
二人の正面に立つのは、三体の魔物だ。
魔物達はそれぞれが盾、槍、弓という三種の武装を一つずつ持っている。
常に盾の魔物が前に立ち、近くの敵には二番手にいる槍の魔物が動き、遠くの敵には後尾の弓の魔物が速射を行うという塩梅だ。
「あぁ。私もお前の援護をするだけで精一杯だ。――何より、手持ちの弾丸ではあの盾は破れない」
龍宮は手に持った拳銃を掲げて言う。
その間にも烏族が新たな矢をつがえ、こちらへと狙いを定めた。
ち、とどちらからでもなく舌打ちをし、左右それぞれに別れると、一瞬前まで自分たちがいた場所に矢が突き立つ。
既に数回のアタックをかけているが、列の側面に回ろうとすると、相手は盾の魔物を中心に列を旋回し、常にこちらの正面に立つ。
同時に龍宮も反対側へ走るが、そちらには烏族が弓矢で対応する。
……歯がゆいな。
相手は同じ所を回転するだけに対して、こちらはその外側を全力疾走だ。スタミナの減り具合は歴然としている。
そして、その差が明確化された。
制動のために踏み込んだ左足が、意図せずして膝を折ったのだ。
「あ……っ!」
そして、崩れた姿勢を見逃すことなく、再び槍が突き込まれる。
点として捉える突きは、ひどく距離感が掴みにくい。
木々の間から零れた月光が穂先を照らし、直後、
――
突如生まれた光が、三体の魔物を真横から叩いた。
光は面の打撃として力を発揮し、飛沫となって辺りを照らす。
魔物達が苦悶を漏らして水平方向に吹っ飛ぶと、刹那の前に一つの影が飛び込んだ。
長身痩躯に背広姿の影は、こちらに背を向けたまま、肩越しに振り返り、
「大丈夫ですか!?」
「奈留島……先生?」
体勢を持ち直し、叫びに誘われて顔を持ち上げれば、焦りを帯びた瞳がある。
そして、互いの視線が交差すると、
……え?
刹那は自分の中に違和感を得た。
何が違うと判別できないが、何かが違うと断言できる些細な違和感。
違和感が疑念となり、疑念が頭の中で渦巻いた瞬間、
「――――っ!?」
視界が、視覚が捉える物とは異なる物へと切り替わった。
黒い森、飛び交う銀閃、飛び散る朱、そして月光のような、
「――咲さん!!」
そこで映像が途絶えた。
戻ってきた視界には変わらず奈留島が立っており、その向こうでは魔物達が立ち上がろうとしている。
「動けますか?」
「――ぁ。は、はい」
奈留島の問いかけに、たどたどしくも返事を返すと、奈留島から安堵の吐息が零れた。
「そうですか。――では、下がっていてください」
奈留島はネクタイを緩めながら、
「ここからは僕がやります」
言葉と同時に疾走を開始した。
あとがき
どうも、さかっちです。
独自の伏線を張り始めて、ようやくオリキャラ展開らしき物になってきました。
……今“伏線も何も……”と思いましたね? 私もそう思いますよ。
まぁ今回はそんな所で。んじゃまたー。