十一話・確認
教室の中は、生徒で埋まっていた。
声があり、幾らかは席を立っているが、多くは座ったままだ。
チャイムが鳴る教室に、制服姿のエヴァンジェリンと茶々丸が入ってきた。
教卓に立つ二人の内、小柄な方がエヴァンジェリンへと顔を向け、
「あ、エヴァンジェリンさん! もう学校に来て大丈夫なんですか?」
「あぁ。どこかの馬鹿のせいで非常識なまでに血圧を上げられたからな。体内の菌も吹っ飛んでいったよ」
「ほう、それはまた斬新な治療法ですね。――やたら血管に負担がかかりそうですが」
エヴァンジェリンがポケットから液体の入った試験管を取り出すが、茶々丸に窘められ、深呼吸一つで耐える。
それよりも、とクラス内を見回し、
「……貴様ら、その防毒マスクみたいなのはなんだ?」
言葉通りの物を、ネギや奈留島を含むクラスの全員が身に着けていた。
頭を覆っているのは光沢を持った銀色に、バケツを逆さにしたような形をしたマスクだ。
口元にある筒状の呼吸器からは、呼気が漏れる度にコーホーという音が伴う。
「あぁ。奈留島先生が、これなら例えT―ウイルスでも完全シャットアウトだって、クラスの皆さんに」
「――貴様いったい何を吹き込んだぁー!!」
エヴァンジェリンはネクタイを掴み、マスクを被った奈留島を目線の高さが等しくなる所まで引き下ろした。
「いや、何、葉加瀬さんが試験的に作った防護服があるというので、モニターも兼ねてお借りしまして」
言われ、マスクだけではなく銀色のスーツまで着込んだ葉加瀬が立ち上がる。
「はい! これぞ私の開発した試作型防護服、『クローン・ソルジャー』です!」
「だ、か、ら! なんでそれを着けさせたんだ貴様はぁー!!」
奈留島はマスクの奥にある瞳を弓にしならせたまま、ガクガクと縦に揺らされている。
すると、辺りからざわめきと呼べる声が聞こえてきた。
そこでエヴァンジェリンは、自分が周囲から奇異の目線で見られていることに気づき、
「……ちっ。もういい」
と奈留島のネクタイから乱暴に手を離した。
ただ、エヴァンジェリンは表情を隠すように踵を返した後、
「一応言っておく。……スープは美味かったぞ」
ぽつりと零れた言葉に奈留島は、そうですか、と笑みを濃くするだけだ。
あの後、文字通り奈留島を叩き出し、茶々丸にスープをスキャンしてもらったが、そちらにはニンニクなどは入っていなかった。
やや大雑把な味付けではあったが、湯気の立つスープは風邪でひりついた喉には優しいものだった。
「えぇ? なになに、ルナ先生料理できんの!? 今度僕たちにも作ってよー!」
「作ってよー!」
エヴァンジェリンの言葉に立ち上がったのは、双子の鳴滝姉妹だ。
二人の反応に、奈留島は眉尻を下げ、
「まぁ、こう見えて料理は出来ますが、腕は並程度ですよ?」
直後、HRの終了を報せるチャイムが鳴り、教室内が一層騒がしいものに変わった。
奈留島はこれがチャンスと言わんばかりに、
「たしか1時間目は英語でしたね? Mr.スプリングフィールド、後はお願いします。――じゃあ、僕はこれで」
大股で歩き、三歩で教室を出た。
鳴滝姉妹がブーイングをするが、周囲がそれを抑えている。
そんな中、エヴァンジェリンは奈留島を追いかけるように扉を出て行く人物がいるのを見た。
アスナだ。
「――ルナ先生!」
アスナは、前を歩く奈留島の背に声を掛けた。
奈留島は呼びかけに応じて、こちらへ振り返り、
「どうかしましたか? 神楽坂さん」
笑みで問い返されるが、頭の中には訊きたいことがいくつか浮かぶ。まずは、
「頭……、大丈夫ですか?」
「……また出だしから随分な挨拶ですね」
違う。訊き方がまずかった。
「あ、いやそうじゃなくて! ほら、先週私が思い切り蹴っちゃったから……!」
「……あぁ。別になんともないですよ。――すごくいい蹴りでしたがね」
冗談めかした物言いに、自分の肩から力が抜けるのが分かる。
しかし、本題はここからだ、とアスナは気持ちを入れ替えた。
「あの、もう一つ訊きたいんですけど」
「……? なんですか?」
アスナは、小首を傾げた奈留島から一旦目を逸らし、
「――ルナ先生は、ネギの敵なんですか?」
敵、という言葉に強張った意識の中、苦笑が漏れる。
……普通の学生が使う言葉じゃないわね……。
思い、奈留島を見れば、口元を手で覆い、肩を震わせて、
「――ははっ! ……そうですよねぇ。あれだけ見たらそう思われても仕方がないかぁ」
参ったなぁ、と頭を掻きながら苦笑する奈留島を見て、アスナは安堵の吐息を漏らした。
……敵じゃ、ないのね……?
直後、二人の間に流れる曲があった。
オルゴール調にアレンジされたそれは、アスナも聴いたことがある、古い映画のテーマだ。
音は、奈留島が胸ポケットから取り出した携帯電話から流れていた。
奈留島は携帯を開き、通話ボタンを押して耳に当てると、
「はい、奈留島です。……あぁ、どうも。……えぇ、大丈夫ですよ。はい、では放課後に」
いくつかの応答を交わして、奈留島は携帯を閉じた。
そしてこちらへ笑みを向け、
「じゃあ、僕は他クラスで授業があるので。――そちらはもう大丈夫ですか?」
「え? ――あ、はい! ありがとうございました」
こちらが礼を言うと、奈留島は軽く手を振り、背を向けて歩き出した。
気だるい放課後。時計の針は午後三時を示していた。
そして今、中等部に存在する、サーバー室の一角で黙々と作業する人影がある。
茶々丸だ。
無数のサーバーが小さい回転音を立てる中、彼女は備え付けられた管理用パソコンに、左指から出したプラグを接続し右手はキーボードを叩きながら操作を行っている。
「――で、どうだ。茶々丸、なんとかなりそうか?」
「はい。去年ハカセが悪戯でハッキングした時に比べてセキュリティは強化されていますが、その設計思想に変更はありません。十分細工できるかと」
彼女達が見ているのは、学園の施設関連データと本日の停電のメンテナンス手順だ。
停電日と銘打っているにも関らず、非常用ではない電力ラインの幾つかが停止せずに、施設へと供給されているのがわかる。それらは、
「――私の魔力を封印している結界施設か。……しかし、魔法使いがハイテクに頼ることになるとはな」
「マスター、私もそのハイテクですが?」
下準備を終えた茶々丸はログを削除した後、外に出るエヴァに追従する。
「ふふ。とにかくこれで今夜の作戦を発動できると言うわけだな? 坊やの驚く顔が目に浮かぶわ。あーはっはっは!」
エヴァは大型室外機の上で腰に手を当て、愉快痛快とばかりの高笑いを放つ。
それを見上げながら、茶々丸は、
「あ、マスター」
「へぶぅ!!」
ジャンプしようしたエヴァは屋根のヘリに足を引っ掛けて、そのまま屋根に鼻柱を打ちつけた。
「ああ、マスター鼻血が……」
「うぐぐ、空も飛べぬとは人間とはなんて不便なんだ!」
茶々丸から差し出されるティッシュを受け取り、エヴァは空に宣言するように叫んだ。
「くくう! それもこれもスプリングフィールドの一族のせいだ!! だが待っていろ! 今夜の作戦でぼうやの鼻柱を満月を待たずしてケチョンケチョンに叩き折ってやる!」
一息。
「そして私はこの忌々しい呪いを解き!! 『闇の福音』とも恐れられた夜の女王に返り咲いてやる――!」
茶々丸は、猛々しく宣言する主に一言。
「マスター、鼻血出てます」
西日の差し込む窓を背に、学園長は正面に立つ奈留島を見ていた。
「さて、奈留島君。いきなり本題なんじゃが、今夜の停電の話は聞いとるね?」
「はい、今朝の職員会議で。各施設のメンテナンスを行うんでしたね。……それが何か?」
奈留島の返答に、学園長は顎をしごきながら、
「うむ。今朝は一般教諭もいたんで話せなかったんじゃが、今回のメンテナンスには学園結界を担っている施設も含まれていてのぅ。もちろん全部を一斉に止めるわけではないんじゃが――」
「結界が弱まったところを狙って強引に侵入する輩もいると。で、今夜はその警護ですか?」
言葉尻を取った奈留島に、学園長は白眉を上げ、
「話が早くて助かるわい。基本的に魔法教師一人と魔法生徒二人の三人組で各エリアを担当してもらうことになるが……、何か質問は?」
生徒という単語に奈留島が嫌そうな顔をしたが、学園長は構わず言った。
「……僕と一緒に担当する生徒は?」
「高等部の高音君と、中等部の佐倉君じゃ。二人とも優秀な生徒じゃよ」
「……分かりました。では担当エリアの区分と、具体的なタイムスケジュールを
お願いします」
うむ、と頷いて、学園長は数枚のコピー用紙を束ねた物を取り出した。
「これに細かい内容が入っておる。認識阻害の魔法をかけてあるから、関係者以外の目には触れんようになっとる」
「ありがとうございます。では、僕はこれで」
言って、奈留島は背を向け、学園長室を後にした。
残ったのは椅子に腰掛けたままの学園長と、沈みかけの夕陽だ。
学園長はこめかみの辺りを指先で掻き、
「さて、お手並み拝見といこうかの。奈留島君と、――ネギ君もな」
好々爺然とした笑みを浮かべていた。
あとがき
奈留島は着信音を一人一人に設定しているという裏設定(挨拶)
どうも、さかっちです。
ちなみに作中で流れた学園長からの着信音は『未知との遭遇』だったりします
。
防護服のデザインは名前のまんまです。コーホー。
次回からやっとエヴァンジェリン編も佳境です。ではまたー。