十話・看病


 放課後の時刻には、大勢の生徒が通学路を行き来していた。
 しかしそれらの道から大きく外れ、森の中を歩く影が一つある。
 スーツを着込んだその人物は、右手の紙片に目を落とし、呟いた。
 
「麻帆良学園都市、桜ヶ丘4―29、――ここか」
 
 川を横にしばらく歩くと、開けた場所に出た。
 そこにあるのは、丸太で組み上げられたログハウスだ。
 落ち着いた色合いの建物は、周囲の森によく合っている。
 
「――へぇ。てっきり墓場にでも住んでるのかと思っていたんですが」
 
 学園に墓地はないか、と奈留島は苦笑。
 都市内を回ればあるかもしれないが、来て日の浅い自分に土地勘はなく、
 
 ……ここに来るにも散々迷いましたしねー。
 
 思い、一歩踏み出すと、右腕にかけたビニール袋が音を立てて揺れた。
 左手には、円筒状の物を紐で結わえてぶら下げている。
 歩き出すと同時、脇の藪から飛び出してきたものがある。
 ぶ、という羽音と共に奈留島の顔へ向かうのは、
 
「――うおぉっ! ハ、ハチ!?」
 
 言葉通りのものを、奈留島は左手で振り払う。
 直後、何かが切れる音がし、左手が急に軽くなった。
 ? と見てみれば、左手には先のない紐だけが残っており、
 
「――あ」
 
 空を円筒形の物体が飛行していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 エヴァンジェリンが目覚めたのは、既に日が落ち始めている時刻だった。
 上を見る視界の中に映る天井は、十五年見続けた自室のものだ。
 部屋は窓から差す西日で明るい。
 目を細めて窓から外を見れば、四角く切り取られた空に、円筒状の物体が飛んでいた。
 視覚が風景を捉えているものの、長い眠りから醒めた頭ははっきりしない。
 放物線を描き、徐々に近付いてくるそれは、
 
 ……新聞?
 
 答えは、水をぶちまけるような音と共に窓ガラスを破砕した。
 
「――うわぁ!! きょ、恐怖新聞!?」
 
 反射的に布団を跳ね上げ、ベッドの上に立ち上がろうとするが、体を襲う倦怠感が行動を拒む。
 直後、下から音が響いた。
 打撃音と、生木をへし折るような音。そして足音が後に続いた。
 やや急ぎ足で階段を上り、足音が自室の前で止まると、ゆっくりとドアが開かれた。その向こうには、
 
「どうもー……って、意外と元気そうですね。Miss.マクダウェル」
 
 奈留島琉那が笑顔で立っていた。
 奈留島は、床に転がる新聞紙を拾い上げ、
 
「絡繰さんから連絡があったんでお見舞いに来ました。これは卵酒でも作ろうと
思いまして」
 
 言って新聞紙を剥がすと、中から出てきたのは“虎殺し”と書かれたラベルが貼られた一升瓶だ。

「色々とツッコミ所はあるが……何故、茶々丸が貴様に?」
「さぁ。ただ、『先生にならマスターをお任せできると判断しました』とは言ってましたけど」
「そうか……。――あと鍵はどうした」
「はっはっは、何を言うんですかMiss.マクダウェル。――鍵は壊せば開くものです」
「しれっと無茶苦茶を言うんじゃないっ!!」
 
 まあまあ、と奈留島は両手で制し、
 
「ともあれ、色々持ってきましたよ。先程の日本酒と、モモの缶詰めと――」
 
 奈留島が缶詰を手渡し、最後に取り出したのは一枚のCDケース。
 ケースの表面には桜並木をバックに、黄色い通学帽と赤いランドセルを身に着けた、十代後半と思しき女性が並んでいる。
 
「高等部の男子から没収した十八禁ゲーム。タイトルは“ぴっかぴかの留年生”。……ぴったりですね?」
「何がだぁーっ!!」
 
 エヴァンジェリンがオーバースローで投げた缶詰が、快音を立てて奈留島の額に直撃した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「まったく、酷いことをしますね貴女は」
「人の家の窓ガラスをぶち割った貴様が言うな……」
 
 奈留島は背後のソファに寝込むエヴァンジェリンの言葉を無視して、目の前の作業に没頭している。
 右手には包丁を持ち、左手はまな板の上に乗せた干し肉に添えられている。
 横のコンロは2台とも鍋が乗せられており、奥の鍋は徳利を湯煎にかけ、手前の鍋は薄く色の付いたスープに細かく刻んだ野菜が入れられている。
 奈留島はスープを小皿に掬い取り、口に含んだ。
 やや塩味が強いが、
 
 ……病人にはこのくらいがちょうどいいですね。
 
 そう判断し、奥の鍋から徳利を取り出した。
 左手にはボウルを持ち、中には卵と蜂蜜を混ぜた物が入っている。
 それに、温めた日本酒を注いでいく。
 一度に入れると卵が固まってしまい、口当たりが悪くなるので回数を分けて少しずつ加える。
 程よく混ざった物を湯呑みに移し替えれば、
 
「――出来上がり、と」
 
 それを盆に載せ、奈留島はエヴァンジェリンの前にあるテーブルに置いた。
 奈留島は、エヴァンジェリンの向かいのソファに座り、
 
「はい、お待たせしました」
「別に待った覚えはない」
 
 いいからいいから、と奈留島は湯呑みをエヴァンジェリンに寄せる。
 エヴァンジェリンは渋々といった風に湯呑みを手に取り、口を付けた。
 一度、喉が嚥下の音を鳴らし、続いて湯呑みを置く硬質な音が響く。
 
「……で、茶々丸は?」
「ツテのある大学へ薬を貰いに行ったそうです。――僕が来た時にはもういませんでしたが」
 
 そうか、とエヴァンジェリンが背をソファに預ける。
 すると、奈留島が笑みのまま、身を乗り出し、
 
「……味はいかがでした?」
「風邪と花粉症を併発した奴に味を訊いてどうする」
 
 エヴァンジェリンは呆れを含んだ答えを返し、奈留島は苦笑。
 
「いやぁ、本当は生姜の搾り汁を入れたかったんですが、生姜が売り切れてたのでニンニクで代用して――熱っ!? な、何をするんですかMiss.マクダウェル! 液体系は僕の趣味じゃないんですがね!?」
 
「やかましいっ! 貴様、私がニンニクを嫌いだと知ってやったのかっ!!」
 
 奈留島がハンカチで卵酒を拭きながら言うと、エヴァンジェリンが激昂して叫んだ。
 
「はっはっは、まさかまさか。――別候補に長ネギもあったけど搾るのに適さないのでニンニクを選んだりはしてませんよ?」
 
「知ってたんだな!? 知っててやったんだなっ!?」
 
 奈留島は無視して、床に転がった湯呑みを拾い上げ、それを流しに持っていく。
 軽く水ですすぎながら、奈留島が口を開いた。
 
「しかし難儀ですね。満月を過ぎたら、免疫力や諸々が本来の10歳の肉体と変わらないなんて」
 
 湯呑みを横に置かれた布巾で拭い、食器棚に戻すと、奈留島は再びソファに腰掛け、
 
「麻帆良の結界は、鬼神の封印と外部からの異族除けの二つの役割がありますが、後者は異族の魔力に比例して強力な物になりますからね。低位の妖精や魔物ならほとんど素通りでしょうが、貴女には辛いでしょう」
 
 奈留島の言葉に、エヴァンジェリンは軽く鼻を鳴らした。
 
「……そんなこと、この15年で嫌というほど身に染みてる。――だから坊やの血で呪いを解こうとしているんだろう」
 
 あぁ、と奈留島は口の端に笑みを浮かべ、
 
「一定の土地から出ることを禁ずる呪い、――Mr.スプリングフィールドの父親、“千の呪文の男(サウザンドマスター)”が、貴女を落とし穴にハメてかけた“登校地獄”ですか」
 
 直後、何かを打ちつけたような鈍い音が響いた。
 見れば、目の前ではエヴァンジェリンがテーブルに突っ伏して、金の長髪がテーブル全体に広がっている。
 
「どうしたのですか、Miss.マクダウェル。寝るならベッドに戻った方がいいですよ?」
 
 エヴァンジェリンは勢いよく起き上がり、ぶつけた額をさすりながら、
 
「き、ききき貴様、何故それを知っているっ!」
 
「いやぁ、僕にもちょっとしたツテがありまして。他にも色々知ってますよ? 貴女が“千の呪文の男”を自分の物にしたくてストーカー紛いの追っかけをしてたとか後は――」
 
「それ以上言うなぁ――!!」
 
 暗唱するように話す奈留島に、エヴァンジェリンがテーブルを踏み台にして飛びかかった。
 
「ぐぉっ!?」
 
 奈留島の額に膝が入り、いい感じの打音が響くと、のけぞったその胸ぐらを掴み上げ、
 
「忘れろ! 今すぐ忘れろ即刻忘れろ直ちに忘れろー!!」
「はっはっは、痛いなぁMiss.マクダウェル」
 
 ガクガクと首を前後に揺らされるが、奈留島の表情は余裕を持ったままだ。
 直後。二人の他に動きが生まれた。
 動きは開かれるドアの物で、その向こうには紙袋を抱えた茶々丸が立っていた。
 
「――マスター、ただいま戻りま……し、た?」
 
 リビングの二人を見た途端、茶々丸の動きがぎこちないものになる。
 茶々丸の視線の先には、椅子に座る奈留島と、その脚の上に向かい合うように馬乗りになったエヴァンジェリンがいる。
 
「マ、マスター。一体何を……、いえ、どうやら邪魔だったと推測します」
「あぁ、茶々丸? ――って待て! 何故そこで何も見なかったという風にまた外に出ようとする!?」
 
「マスター。――どうぞごゆっくり」
 
 何をだー! と叫ぶエヴァンジェリンの横で、奈留島が口を開いた。
 
「あー、絡操さん?」
「は、はい、なんでしょうか?」
 
 奈留島は首もとのネクタイを緩めながら、
 
「誤解を解くために言いますが、――Miss.マクダウェルにも個人の嗜好があります。深く察してあげてください」
 
「全然誤解を解いておらんわそれは――!!」
 
 エヴァンジェリンのショートアッパーは綺麗に顎を打ち抜き、奈留島はそのまま後ろへ倒れ込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 今回の話では学園都市の結界に関して独自解釈入ってます。
 
 カモが感知されるだけで素通りだったのはそういう理由じゃないかなあと。
 
 性質的には幽遊白書の境界トンネルみたいなイメージ。
 
 今回はギャグ多めを意識したんですが、途中説明を挟んでしまってテンポが悪い気が。ううむ。
 とまぁそんな所で。ではまた次回ー。

〈続く〉

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