第九話・説教
茶々丸は、正面から飛来する魔法の矢と自分の間に、割り込む影があるのを捉えた。
それは灰色のスーツを着込み、袖を打ち鳴らすように両腕を振り上げると、
「お」
という一音を発しながら、手に持った長杖を一閃。上段からの袈裟がけに、十一ある光条の内、五つが地面に叩き伏せられた。
こもった爆発音と共に、土煙が舞い上がった。
その煙を突き破って、六つの破壊力が直進してくる。
残りは近いものから、左に二つ、右に三つ、正面に一つ。
長杖は慣性に従い、先端が左下に向いたままだ。
長物は威力が高い反面、振り切った後の戻りが遅い。だから、影は最速の方法を選んだ。
杖から手を離し、真上に蹴り上げた。
かち上げられた杖は垂直に立ち、そのまま左からの二発に衝突。
破裂音と共に杖が後ろへ飛ぶが、魔法の矢もあらぬ方向へと飛んだ。
続けざまに右からの三つが迫る。
影は蹴りを放った左足を地面に突き立て、それを軸足に一歩踏み出した。
右足が前に出れば、自然と体に捻りが加わり、
「――ふっ!!」
それを戻すように打ち出した左ストレートが、先頭の一つを撃ち落とした。
更に、すくい上げるような右のアッパーが二つを捉えると、正面から来る最後の一発が脇腹の横を通り過ぎようとした。
が、それは軌道上に差し出された物に阻まれる。
魔法の矢を包み込むようにしたのは、スーツの上着だ。
影が、闘牛のマントのように広げた上着の上から膝をぶち込んだ。
残ったのは、飛沫を散らすような音と、光の残滓。そして、
「奈留島先生……」
茶々丸に背を向けたままの奈留島は、上着を一振りするとそれを肩にかけ、
「こんにちは、Mr.スプリングフィールド」
一息。その間を持って反応を返したのはアスナだ。
「……え? ルナ先生が、なんで?」
奈留島と茶々丸を交互に見比べ、アスナは困惑の表情を浮かべる。
奈留島は何か小声で呟くと、茶々丸の背後から飛んだ長杖が手に収まった。
「魔法……使い?」
アスナの問いに、奈留島が微笑で応える。
か、と一歩を踏み出し、奈留島が口を開いた。
「Mr.スプリングフィールド。貴方は今、三つの過ちを犯しました」
そう言い、奈留島が空いている方の手で3を作る。
「一つ、無闇に魔法を使う暴挙。二つ、教師が生徒を襲う暴挙」
「う……」
ネギが眉根を詰め、呻きを漏らす。
奈留島はアスナの脇を抜け、ネギへの歩みを止めない。
歩みはゆったりとした物だが、
……怒っている?
茶々丸はそう判断した。
自身がガイノイド、機械であるため感情の理解は不得手だが、感情によって生まれる筋肉の不自然な硬直から推測は出来る。
「――まぁ、この二つはまだいいんですよ。魔法に関しては僕が人払いの結界を張りましたし、絡操さん……というかMiss.マクダウェルと貴方の問題も知っていますし。でもね――」
言うと同時、ネギの鼻先に長杖の先端が突きつけられていた。
奈留島は眉をフラットにし、感情が消えた瞳で告げる。
「何故、神楽坂さんと仮契約しました」
ネギは、目の前の長杖に反応も出来ず立ち尽くしている。
「確かに従者の有無は魔法使い同士の戦闘において重要です。しかし、魔法と無関係な彼女を従者にするとはどういうつもりですか」
奈留島は目を細め、
「――自分のために一般人を巻き込むのが、君の目指す偉大なる魔法使いですか」
「……っ!」
最後の一言に、ネギは胃の中に冷たい石が入るような錯覚を得た。
「魔法を知られたなら、口止めなり記憶操作なり手段はあるでしょう。更に深い所まで引きずり込んで、神楽坂さんに何かあったら君は責任を取れますか?」
奈留島の言葉には容赦がなく、
「――あ」
と、ネギの目尻から零れる物があった。
直後、奈留島の背後で動きがあった。動きは大きく揺れるツインテールと、鋭く切り込むようなハイキック。
「――何してんのよあんたはーっ!」
「てんぷるっ!?」
蹴音と共に、奈留島が横に飛んだ。
奈留島の体は真横に回転し、側頭部を地面で削るように横滑り。
「アス……ナさん?」
蹴り足を引き戻しているアスナの表情には、明らかな怒りが宿っている。
アスナは奈留島を睨みつけ、ネギを指さすと、
「あんたねぇ! こんなガキンチョをイジメてどういうつもりよ! しかもそーんなネチっこい言葉責めで!!」
目を吊り上げて怒鳴りつけた。
対する奈留島は、髪に付いた砂を払いながらも、表情には笑みが戻っている。
「言葉責めとは……、またマニアックですね?」
「もう一度蹴られたいの……?」
奈留島はしばし硬直し、咳払い一つで雰囲気を立て直す。
足下に転がる長杖の先を爪先で弾けば、自然と起き上がって手元に収まった。杖を一振りして砂を落とすと、奈留島はそれを肩に担い、
「――さて、神楽坂さん。今ここに、一本の剣と鎧があります。それを持って銃
弾飛び交う戦場に行けと言われたら、……貴女は行きますか?」
「……はい?」
突然の質問に、今度はアスナが硬直した。
「これはそういう話ですよ、神楽坂さん。“魔法使いの従者”とは、魔法という弾丸を装填するまで敵の矢面に立つ、いわば盾です。――貴女にそれを行う技量も理由もない」
奈留島の口調は断言だ。
だがアスナは苦い顔をしながらも、奈留島から視線を逸らさない。
それを見て、奈留島は溜め息を漏らし、
「もちろん、人を心配するその優しさを否定するつもりはありませんが、……出来れば平穏無事な生活を送ってくれるよう望みますよ、僕は」
指を鳴らすと同時、周囲に喧騒が訪れた。
先ほどまで静寂が満たされていた聴覚に刺激が走り、意識がそちらへ傾いた。背後、路地の外には部活動や買い物帰りの学生が行き来しているのが伺える。
が、正面に視線を戻すと、
「……いない?」
奈留島が気配もなく消えていた。
同様に、茶々丸の姿もない。
後に残ったのは、アスナとネギの二人、そして地面に置かれたネコ缶だけだ。
そんな光景を見て、アスナは呟いた。
「なんなのよ、一体……」
日が落ちようとしている。日陰の面積は大きくなり、レンガで敷き詰められた歩道は冷え、気温も低下する。
人影が二つ、街中を歩いていた。
奈留島と茶々丸だ。
吹いてくる風の冷気を感知しながら、茶々丸は奈留島と共に通りの角を左に曲がった。そこには、
「茶々丸!」
「あ……」
坂道の上、下りて来るのは自分の主人だ。
眉は逆立っており、半目で見る先は自分の隣に立つ奈留島だ。
「やぁ、Miss.マクダウェル」
奈留島は笑みを崩さず、片手を上げて挨拶を送る。
「やぁ、じゃない! ろくな隠蔽もない魔力を感じたから来てみれば、……貴様か!!」
「ちょっとちょっと、僕もしかしてすごい濡れ衣被ってます?」
「あの、マスター。奈留島先生は――」
茶々丸は、奈留島とエヴァンジェリンの間に割り込み事情を説明。
それに対するエヴァンジェリンの反応は、手を顎に当て、思案顔で、
「……そうか、神楽坂明日菜が仮契約を。――茶々丸」
「止めてくださいね」
奈留島の言葉に、エヴァンジェリンの視線が厳しいものに変わる。
「……なんだ?」
「Mr.スプリングフィールドに仕掛けるつもりなんでしょう?」
「当たり前だ。従者を襲われて黙っていては、主人の資格などない」
それと、とエヴァンジェリンは奈留島を指し示す。
「貴様、監視はしても邪魔はしないんじゃなかったのか?」
なるほど、と奈留島は頷いてみせ、
「確かに貴女には理由があり、僕には理由がない。貴女なら魔法の隠蔽も問題ないでしょう。でもね――」
言って、奈留島はエヴァンジェリンから視線を外した。
外れた視線の先は、奈留島より目線二つ分ほど背の低い茶々丸だ。
「絡繰さんには、その意思がありますかね?」
茶々丸はどう回答するべきかを迷った。
己が主人の先の言葉を考慮すれば答えは明確だ。だが、
……質問は私を基点としたもので……。
結論が出るより早く、エヴァンジェリンが動いた。
「何を言っている! 茶々丸自身が今しがた襲われたんだぞ!!」
「しかし、絡繰さん本人はまだ何も言っていませんね。従者の言葉を訊かずに決定を下す。……それは暴君ですよ?」
む、とエヴァンジェリンが唸り、茶々丸へと顔を向ける。
表情はややバツの悪そうなもので、
「茶々丸。お前はどうしたい? 原因は私だが、当事者ではない。お前が決めろ」
主人からの問いに、茶々丸は思考がループするのを自覚した。
エヴァンジェリンの意向は、先ほど言った通りだろう。それは一つの答えでもある。
そこで、ふと奈留島に視線を移した。
微笑を浮かべてまっすぐに自分を見つめる奈留島の視線を感じて、茶々丸の人口知能が一つの反応を示した。
「――――!」
頬が赤くなり、目が緩む。
それは初めて得る表情と反応だ。
表情パターンが新規作成されたことを貴重だと思いながら、この表情をなんと命名すればいいのだろうかと思考する。
解らない。
しかし、その表情を見られたくないと判断し、顔をうつむかせる。
「茶々丸……?」
エヴァンジェリンの疑問詞に、茶々丸がはっと顔を上げる。
奈留島と交互に見比べ、思考に若干のノイズが走るが、
……結論は出ました。
「――マスター。私はネギ先生に報復行為を行おうという判断には至りませんでした」
しかし、と付け加え、
「マスターが望まれた戦いであれば、私は付き従います。私はマスターの従者ですから」
茶々丸の回答に、エヴァンジェリンが目を丸くしている。
その後ろでは、奈留島が目を弓にしならせ、
「――だ、そうですが。どうしますか? Miss.マクダウェル」
エヴァンジェリンは奈留島を一睨みし、ため息。
「どうもこうも、ここで私が仕掛けるといったら、完全に私闘になってしまうだろうが」
「……元々私闘以外の何ものでもなかった気が」
やかましい、とエヴァンジェリンが一蹴し、
「帰るぞ、茶々丸」
「はい、マスター。――奈留島先生、失礼します」
奈留島は手をひらひらさせ、口の端に笑みを浮かべた。
「はい、また月曜に」