第七話「助言者」


 エヴァンジェリンは、屋上で壁にもたれかかっていた。
 太陽の恩恵を存分に受けた屋上は、快い陽気に満ちている。
 
 ……昼は眠い……。
 
 エヴァンジェリンは胡乱げな瞳で、柵の向こうに広がる景色を見渡した。
 見えるのは、欧州を模した街並みと、その先に聳える山々だ。
 しばらくすると、微睡んだ意識の中に飛び込んでくる音があった。
 一定のテンポを持ち、徐々に大きくなるそれは、階段を上る音だ。
 半分ほどしか開かれていない瞳で音の方を向けば、扉の前には見慣れた人物が立っていた。
 
「茶々丸か」
 
「はい、マスター。それと――」
 
「どうも、Miss.マクダウェル」
 
 そう挨拶と共に、扉の影から顔を出したのは、
 
「奈留島……っ!」
 
 眠気を振り払うように、エヴァンジェリンが勢いよく上体を起こす。
 それを見て、奈留島は苦笑。
 
「そこまで露骨に嫌がらなくてもいいんじゃないですか?」
 
「昨日の今日でよくそんなことを言うか貴様は」
 
 それはまぁ、と奈留島は屋上へと踏み出す。
 茶々丸も、それを追うように歩みを進める。
 奈留島はエヴァンジェリンの横に腰を下ろすと、欠伸を一つ。
 
「こう暖かいと、眠くなりますねぇ」
 
「……まぁな」
 
 不承不承、同意するエヴァンジェリン。
 で、と首を回し、奈留島を睨み付ける。
 
「何しに来た貴様」
 
 対する奈留島は、正面に立つ茶々丸と、横に座るエヴァンジェリンを交互に見比べ、
 
「うわぁ、なんか僕尋問されてるみたいですねぇ」
 
「希望とあらば拷問に切り替えてやってもいいが? ハカセが作った電流マッサージ椅子なら、電圧次第で5秒ほどで素直になれるぞ」
 
 遠慮しときます、と奈留島が降参するように両の手のひらを見せる。
 しばし、無言が続く。
 先に口を開いたのは、奈留島だった。
 
「……やはり、本命はMr.スプリングフィールドの血ですか?」
 
 エヴァンジェリンは片眉だけ動かし、
 
「……あぁ。邪魔するつもりなら容赦せんぞ」
 
 じ、と殺気をぶつけるように見据える。
 それを見て、奈留島は肩をすくめ、
 
「昨晩も言いましたが、僕の仕事は監視と調査。……護衛は対象外です」
 
 自衛はしますがね、と微笑。
 エヴァンジェリンは、ふん、と鼻から息を漏らし、
 
「よく分からん奴だな。大体、じじぃもなんで――む」
 
 ぴくりと体を震わせ、エヴァンジェリンの表情が苦いものとなる。
 中断された言葉に、奈留島が怪訝そうに伺っている。
 
「……何か来たな」
 
 え? と、奈留島が声を上げる。
 
「結界を越えた者がいる。学園都市内に入り込んだか……」
 
 言いながら、エヴァンジェリンが腰を上げ、伸びを一つ。
 
「仕方ない、調べるか」
 
「それも登校地獄の影響ですか?」
 
「あぁ。全く厄介な呪いだ」
 
 背中にかけられた問いに答え、面倒くさい、とため息を一つ。
 すると、背後にあった気配が動いた。
 エヴァンジェリンは、それに向かって肩越しに振り返り、
 
「……なんだ。まだ何かあるのか?」
 
「いやいや。ただ、呪いで嫌々とはいえ、学園のために働いてるんですから、手伝っても問題はないでしょう?」
 
 奈留島の言葉に、エヴァンジェリンは目を見開き、
 
「……本当におかしな奴だな」
 
「よく言われます」
 
 どちらからでもなく苦笑を浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 日が傾き、赤く染まり始めた渡り廊下を、神楽坂明日菜は走っていた。
 
「ちょっとネギ、どこ行っちゃった……っ!?」
 
 視界の端に飛び込んできた人物に、アスナは自問に近い問いかけを止めた。
 そちらへ向けば、長い金髪を揺らす、小型な少女が立っている。
 
「ほう、神楽坂明日菜か」
 
 エヴァンジェリンは微笑を浮かべ、話しかけてくる。
 アスナは昨晩の出来事を反芻し、自然と動きやすい形に構えられる。
 その目つきには、強い険が含まれており、
 
「あんた……! ネギをどこへやったのよ?」
 
「ん? 知らんぞ」
 
 問いに返ってきたのは、簡潔な回答。
 え、とアスナは目を点にして固まる。
 
「Miss.マクダウェルなら、放課後から僕といましたよ?」
 
 その声に、初めてエヴァンジェリンの後ろに立つ二人へと視界が移った。
 片方は薄緑の長髪と、無機質にも見える瞳を持ったクラスメイト。
 そしてもう一人は、セミロングの髪と弓にしならせた瞳は、深い黒。
 その中性的な顔には、柔和な笑みが浮かんでいる。
 
「……ルナ先生?」
 
 えぇ、と奈留島は頷き、
 
「で、Mr.スプリングフィールドがどうかしたんですか?」
 
 と尋ね返す。
 すると、アスナに明らかな狼狽の色が浮かんだ。
 
「え!? あー、えっと……し、失礼しました!!」
 
 視線を泳がせ、アスナは勢いよく一礼すると、疾走を開始。
 首を傾げる奈留島の横を抜け、校舎を回り込むように角を曲がる。
 見えなくなった所で、壁に背を付け大きく一息。
 
「――はぁ。人前で魔法の話なんかできないわよねぇ」
 
 直後、アスナの耳に叫び声が届いた。
 そちらへ振り向けば、あるのは自分も暮らす女子寮。
 叫び声は悲鳴というより、むしろ喜色が強い。
 疑問符を浮かべながらもアスナは声の出所へと走り出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 奈留島は走り去るアスナを見送ると、口元に手を当て、
 
「――く」
 
 微笑。
 それを、エヴァンジェリンは半目で見やり、
 
「なんだ、神楽坂アスナは知らんのか」
 
 何を、とも訊かず、奈留島は目を弓にしならせ、
 
「えぇ。教えた覚えはないですね」
 
 すると、奈留島の微笑が苦笑に変わった。
 
「というか、一般人に知られてはマズいでしょう。こう見えても、規律とかにはうるさいですよ? 僕」
 
 軽い口調の答えに、エヴァンジェリンは眉根を詰め、
 
「ふん。既に知ってる奴から隠してもしょうがないだろうに。……しかし、学園の甘ちゃん共に比べれば、随分と殊勝な心がけだな」
 
 エヴァンジェリンは自分が知る、学園内の魔法教師や生徒を幾人か思い浮かべる。
 
「他の連中ときたら……いや、やめておこう」
 
 その危機管理能力の低さに他人事ながらこめかみを押さえる。
 その様子から察したのか、奈留島は苦笑を濃くし、
 
「まぁ、それは魔法使い全体に言えることでしょう。詰まる所、彼らは正体を知られてもなんとかなると思っているのですよ。このご時世でも、魔法が科学より上だと思っている人達が主流ですから」
 
「――は。いいのか? そのような発言、堅物な上の連中を敵に回しかねんぞ」
 
 皮肉げな笑みを浮かべてエヴァンジェリンが問う。
 
「平気です……というか、関係ありませんよ。だって僕は――」
 
 耳元に囁きかける奈留島の言葉に、今度こそエヴァンジェリンの表情が驚愕に染まった。
 
「――は。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、単なる馬鹿ではなく大うつけだったか」
 
「おいおい僕の評価えらい低くありません?」
 
 いや、とエヴァンジェリンはかぶりを振り、
 
「しかし、そういう馬鹿は嫌いじゃないよ」
 
 エヴァンジェリンの一言に、奈留島は一瞬硬直すると、頭を掻きながら、
 
「――まいったなぁ。僕、ロリコンの気はながっ」
 
 言い終わる前に、顎から打音が響いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ふぅ。また今日もドタバタな一日だったわ……」
 
 冷蔵庫の中を漁りながら、アスナがため息を吐く。
 
「でも、みんなのおかげで少し元気出ましたよ」
 
 ミネラルウォーターのペットボトルを取り出しながら、へー、と抑揚のない口調で相槌を打つアスナ。
 その視線は、同意よりも揶揄の色が強い。
 ネギもその意図を察したのか、バツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
 直後、二人の間に割り込む音があった。
 
『景気悪そうな顔してるじゃんか、大将。助けがいるかい?』
 
 声変わりをしたばかりのような少年の声。
 部屋の中を反響するその声は、主の場所を示さない。
 え? とアスナは上を見回す。
 
「だ、誰!?」
 
『下、下』
 
 ネギの叫びに、先ほどよりもはっきりとした、やや呆れ気味な声が返ってくる。
 声に引かれるままに、下を向いてみれば、
 
「――あっ」
 
 白く細長い動物がいた。
 顔の作りは鼠に似ており、発達した前歯も鼠のそれに近い。
 ただ、尻尾の先にある黒を除いて真っ白な毛並みと、鼠のような丸よりも、縄や紐を連想させる細長い体躯が似て非なる動物であると示している。
 
『俺っちだよネギの兄貴。オコジョ妖精のアルベール・カモミール!!』
 
「カモ君!!」
 
 ネギはその姿を認めると、カモミールと名乗った動物を、満面の笑みでその胸へ迎え入れた。
 それを、青ざめた顔で見る少女が一人。
 
 ……オ、オコジョがしゃべった?
 
 また一歩、常識から外れた目の前の光景に、ぐらり、と酩酊感にも似た目眩がアスナを襲った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 ってか反省。
 タイトルが『助言者』なのに、カモの出番がほとんどないという。
 まぁ、そもそもカモが助言者かと訊かれたら、それはそれで疑問なんですが。
 とまぁそんな所で。んじゃまたー。

〈続く〉

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