森の中から、石をぶつけたような金属音が空へと跳ね上がる。
音は森の間に反響して広がった。余韻の残滓は大気を震わせ止まず、低音は大気の中で反響と混ざり合う。
傾斜のかかった道には影が一つあった。
黒のサイドポニーを風に乱しながら、女性が一人、身の丈ほどもある野太刀を片手に走っている。
正面を向いた双瞳の下、口がせわしく息を吐けば、白の色が冷えた大気に広がる。
彼女は息の白さに一瞬目を見張り、その後に苦笑。
「四月だというのに」
走った。土の上を足音も軽く、爪先で地面を蹴って柔らかく走る。すると、
「――――!」
森に響くのは獣の咆哮。
威圧は右から。反射的に野太刀を防御に掲げようとした瞬間だ。
風切り音が鳴り、少女は胸の中央に打撃を感じた。
痛みを感じる間さえもらえずに、身体が浮く。
浮いた身体を受け止めるのは土の地面ではなく、まず虚空。
そして木だ。
「か――」
背中をひっぱたかれるような感覚に、肺から呼気が漏れ出す。
痺れが痛みに変わり、触覚を黒一色に塗り潰すのは一瞬。
視界には、突っ込んでくる影がある。
その影は、人に似ていた。身長は二メートルを超え、全身は黒の獣毛に覆われていた。
分厚い胸の上に、犬に似た顔がある。突き立つ耳の下、金色の両眼に、裂けたような赤い口。
く、と痛みに顔を歪め、少女は立ち上がる。
野太刀を腰溜めに構えた少女は、地面を蹴って走り出した。
人狼の方は前傾姿勢を取りつつ、左腕を振り上げた。
少女は構えた野太刀を引き絞り、
「……っ!」
突き出した。
わずか二メートル足らずの距離から放たれた刺突は高速。
狙いは人狼の眉間だ。が、
「――――!」
人狼は振りかぶった左手を使い、野太刀を横掴みにした。
その掌から赤黒い血が噴き出すが、人狼は構わず左腕を振り、野太刀を払った。
「――!?」
両腕が虚空に流れる。
だが、人狼の左腕は振り払われたまま、右腕も構えられていない。
こちらの攻撃が払われたのと同様に、向こうも攻撃を放つタイミングを得ていない。
条件はどちらも同じ。その筈だった。少女の相手が人間ならば。
少女は見た。人狼が両腕に頼らぬ第三の攻撃を選択したのを。
牙。
人狼が口を開く。
目の前に、夜目にも赤い口内と、薄黄色い牙の乱立が広がった。
全ては一瞬。
人狼が開いた顎を落としてくる。
あ……、という声と共に、少女が見開いた目から涙がこぼれた。直後。
『風の精霊13人。集い来たりて敵を討て。魔法の射手・集束・雷の13矢!!』
人狼の身体を、いきなり、白い光が真横から貫いた。
空に、肉を叩くような軽い音が響き、人狼が動きを止めた。
ややあってから、その身体が後ろに傾く。
そして、人狼が空を見上げる。黒い森の夜空を。
「――――」
叫びが、開いた顎、牙の間から空に突き抜けた。
噴き出す血の流れを影に、人狼は倒れていく。
遠慮なく、肉が地面を打つ音を伴って、巨大な体躯が地面に大の字に倒れた。
少女が見れば、月光を背後に、木の上から右腕を突き出している影が立っていた。
奈留島は右手に光の残滓を散らしながら、木から飛び降りた。
視線の先には、地面に伏した人狼と、その側に、木に背中を預けて立つ少女。
落ち葉の擦れる、軽い音と共に着地し、数歩。
少女も、困惑の雰囲気を纏わせながらも、こちらへ数歩。
同時、影から出た二人の顔が、月光の下に晒された。
「――ぁ」
と、口を開いたのは奈留島。
それに対して、サイドポニーの少女は小首を傾げながら、
「? ……あ、ありがとうございます。その、……あなたは?」
紡がれたのは礼と疑問。
その問いに、奈留島は一瞬肩を震わせ、
「――あ、あぁ。失礼しました。……明日から麻帆良学園に赴任する、奈留島です。学園長に頼まれて、救援に参りました」
「あぁ、それは。こちらこそ申し遅れました。私は、麻帆良学園中等部、2年の桜咲刹那です」
刹那と名乗った少女は、右手を差し出し、
「初めまして」
と、笑みを浮かべた。
それに対して、奈留島は、
「……はい、よろしくお願いします」
柔らかい笑みと共に、そっと右手を握り返した。
さて、と奈留島は刹那の全身をざっと見回し、
「怪我などはありませんか? よろしければ学園まで送りますが」
「いえ、特に大きな怪我はありません。先に学園長に報告しましょう」
刹那の提案に、奈留島は、そうですか、と首肯。
二人は並んで学園へ向かい始めた。
刹那は、奈留島の横、学園長の正面に立っていた。
学園長は長い眉を揺らし、
「無事で何よりじゃったよ、刹那くん」
安堵の色が混ざった声で出迎えた。
「ご迷惑をおかけしました」
刹那が一礼。
いやいや、と学園長が顔の前で手を振りながら、
「こちらこそ、明日から新学期じゃというのに、悪かったの」
言って、学園長は視線を巡らせた。
その先には、学園長と刹那を交互に見比べる奈留島がいる。
「奈留島くんも、来て早々仕事で大変じゃったろう。今日はもう休んで、明日からに備えておくれ。これが勤め先と、職員寮じゃ」
そう渡したのは、A4版のプリント。
奈留島はそれを受け取り、内容を軽く目で追うと、
「――分かりました。では、今日はお先に失礼します。刹那さん、また明日」
二人にひとしきり挨拶し、踵を返して学園長室を後にした。
残された刹那は、それを見送り、学園長に向き直った。
「学園長、……彼女は一体?」
その問いに、学園長の眉が小さく震え、
「……明日から、ネギ先生のサポートに付いてもらう、奈留島琉那くんじゃよ。つまり、君のクラスの副担任になってもらう人じゃな」
そうですか、と刹那は再び背後の扉を見やる。
それを見て、学園長はわずかに口角を吊り上げるが、刹那は気付かない。
「――さて、刹那くんも疲れたじゃろう。今日はもう休んでおくれ。明日から3年生じゃしのう」
「……あ、はい。では私も失礼します」
うむ、と学園長が顎鬚をしごきながら送り出す。
刹那が扉を抜け、廊下から一礼して閉めた後に残るのは、静寂。
数秒が経ち、学園長は背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
「まぁ、気付かぬのも無理はないかのう」
学園長の呟きは、広い部屋に染みるように霧散した。
あとがき
ベランダでネギを育ててます。(挨拶)
どうも、さかっちです。
今回の話は、時系列的に春休み最終日(木乃香のお見合いとかあった日)の夜にあたります。
これと同じ頃、まき絵がエヴァに襲われてるわけですな。
というわけで、次からエヴァンジェリン編に突入です。
次回もよろしくお願いします。