「第九幕・鬼神咆哮リョウメンスクナ?」


 夜の帳に包まれた湖。その中央に鎮座する大岩から這い出てきた、両面四つ手の大鬼神の肩付近に滞空しながら、千草は常識では計り知れない力を持つ存在の脅威に震えていた。

「これが飛騨の大鬼神・両面宿儺、なんか……」

 カチカチと楽器のように音を立てる歯に気付き、顎が痛くなるぐらいに噛み締めて震えを抑えながら、溢れんばかりの魔力で輝く鬼神の巨躯に視線を巡らせる。
 古事記にある、十八丈という異様に大きな体を持っていたとの記述よりもさらに巨大な体。パッと見ただで、楽に二、三百メートルに届きそうであることがわかる。
 封印されていた岩から解き放たれ、ただ佇んでいるだけでありながら、夜気を低く、そして重く揺らがせるほどの存在感。
 これが、今も木乃香から続けている魔力の補給を終え、完全な力を取り戻して動き出した時のことを想像して、全身にゾッと寒気が走ったのを千草は感じた。

「フフ、フ……ホンマ、話に聞いた通りのごっつい力や。こいつがあれば、本山の腑抜けどもの目を覚まさせて、西洋魔術師どもの巣を叩き壊すんも楽勝やで」

 自分の計画が達成されることを確信し、引き攣るような笑い声を溢す。
 なあなあで済まされてしまった、西洋魔術師の大戦における責任の所在への追求と、犯した罪に対する償いを、その身をもって行ってもらう。
 やられた分をやり返す――それのどこが悪い。依然として魔力を汲み上げられている少女に目をやり、小さく鼻を鳴らしながら呟いた。

「ンッ、ンン……!」
「――――フン、ええ気味やわ」

 自分の胸の下辺りの高さの場所に浮かんでいる木乃香が、呪符で閉じられた口から呻き声を漏らしていることに眉を顰め、だが、すぐに知ったことではないと目を逸らした千草の目に飛び込んできたのは、眼下にある祭壇の上で呆然と立ち尽くす少女達と、

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 来たれ雷精・風の精(ウエニアントスピリトウス・アエリアーリス・フルグリエンテース)!! 雷を纏いて吹き荒べ南洋の嵐(フルグラテイオーニ・フレツト・テンペスタース・アウストリーナ)‥‥!!」

 小さな体に不釣り合いな無骨な杖片手に、自分が持つ最大威力の魔法を放つため、呪文の詠唱を行っている少年の姿。
 小賢しい真似をする、とせせら笑うと同時に、内心、哀れみさえ抱く。
 どうやら、復活したての両面宿儺なら、上手くすれば倒すことも可能と考えているのだろう。
 それなりに高位の魔法なのだろうことは、こちらへ翳した手に集まる魔力の量からも十分にわかる。父親譲りの魔力に物を言わせた、やぶれかぶれにしては上出来な攻撃。
 だが、少年一人が持つにしては大きい魔力も、伝説の鬼神である両面宿儺と比べれば、月とスッポン、雀の涙にも等しい。

「相手との力の差がわからんなんて、頭悪いの宣伝しとるようなもんやで?」

 両面宿儺を一撃で倒したければ、今から放とうとしている魔法の十倍は威力があるものを持って来い。
 口端の片方を持ち上げた千草の眼下で、詠唱を終えて魔法を完成させたネギが、手を突き出した姿勢で叫ぶ。

「‥‥雷の暴風(ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 少年の手から、雷を纏った暴風が撃ち出された。まるで、雷雨を率いて飛翔する龍の如く、体をうねらせる竜巻が両面宿儺に迫る。
 辺りの空気を震わせる風の唸りと、耳を劈くような雷の弾ける音。雷の暴風の威力の激しさが知れる、そんな音だ。
 瞬きする間に届いた雷の暴風が、両面宿儺の体に喰らいつく直前、鬼神を覆っていた大規模な障壁に激突して重い音を響かせる。
 まるで、荒れ狂う龍が上げる咆哮。次から次に、障壁を食い破って鬼神に迫ろうとする轟風と雷を障壁越しに見て、千草はさすがに薄ら寒いものを覚えた。
 並の、いや、相当に高位の術者や魔法使いでも防ぎ切れない衝撃。
 これがもし、両面宿儺ではなく自分へ向けた放たれたものだったら。その結果がどうなるか、想像に難くない。
 例えようのない憤りと不快感を覚えた千草が、今も魔力を絞り上げて術を行使しているネギを怒鳴りつけた。

「こないに物騒な術を使って、世のため人のためとか……虫酸が走るわ、こんアホオォォッ!!」

 そんな千草の憤怒に呼応したわけではないのだろうが、雷の暴風に身を晒して佇んでいた両面宿儺に変化が起きた。
 荒れ狂う雷と颶風の中でも聞こえる、低い唸り声。今、目を覚ましたと言わんばかりの、重い、たまらなく重圧を感じさせる声を漏らした。

『――――グルルル‥‥』

 両面宿儺からすれば、僅かに身動ぎした程度。しつこく纏わり付いてくる蝿か何かを嫌い、半歩ばかり足を引いて逃げたぐらいの、本当に小さな反応であった。
 しかし、

「な――――!? あ、ぐっ……!」
『あ、兄貴、しっかりしろ!!』

 そんな、人が無意識に取るような行動にあっさり掻き消された雷の暴風に、ネギは愕然と目を見開いた。
 次の瞬間に訪れた、魔力の使いすぎによる強烈な疲労と目眩に片膝を突いた少年に、祭壇の上で両面宿儺の常識外れな立ち姿に慄き、棒立ちになっていたアスナと刹那が駆け寄った。

「ちょっと、ネギ!!」
「ネギ先生、大丈夫ですか!?」
「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 少女二人に支えられ、荒い息を吐きながら立ち上がったネギの顔からは、滝のような汗が噴き出していた。
 魔法を行使するのに必要とされる、生まれ持っての資質である魔力容量と、それを扱いこなすための心の力。そのどちらも限界寸前まで絞り尽くしたネギには、戦うための力が残っていないも同然であった。
 そこで追い討ちを掛けるように後方から、ネギがフェイトを拘束するために使用した、戒めの風矢が砕ける硬質な音が届く。

「――――これでチェックメイト、だね。よく頑張ったと思うよ、君達は」

 魔力の補給を終え、いつでも動き出せるようになった両面宿儺の肩の上で、優越感に浸った笑い声を上げる千草に一瞬、冷めた視線を送ったフェイトが、ポケットに両手を入れた悠然たる態度で告げた。

「くっ……」

 万事休すか。
 両面宿儺とフェイト。前門の虎、後門の狼よりも危険な存在に挟まれた状況に、ネギは心が折れそうであった。
 だが、ここで諦めるわけにはいかない。諦めれば、ここに自分達を送り出すために、単身、百鬼夜行の前に残ったジローに顔向けができない。
 弱音を吐きそうな口をきつく閉じ、笑う膝を叱りつけてネギは立ち上がった。

「アスナさん、それに刹那さんも。このかさんは、僕が何としても助けます……だから、二人は先に呪術協会に――」
「バカなこと言うんじゃないわよ?」

 「逃げてください」、そう言いかけたネギに待ったをかけたのは他でもない、逃げろと言われかけた少女達の片割れ。

「いい? ここまで来て今更、私だけ逃げるなんてするわけないでしょ? 刹那さんだってそう。このかは目の前にいるの、だったらやれるだけのことやらなきゃ!」
「ア、アスナさん?」
『さ、さすが姐さん、肝が据わってるぜ……』

 肩にハリセンを担ぎ、力強い笑みを見せる一般人――――だったはずの少女を、ネギとカモは半ば呆然と見つめて目を丸くする。
 真祖の吸血鬼――エヴァンジェリンと事を構えた時、頼まれなくても少年を助けに来た度胸。世界の理から外れた生粋の『化け物』である存在を前に、堂々と啖呵を切るだけでなく、跳び蹴りまで決める特異な人物。
 アスナという少女の言動は見る者に力を与え、その言葉を耳にした者に力を与えるようだった。がらりと方向は変わるが、相対した相手を掴みどころのない言動で惑わし、敵意や殺意といった負の感情さえ、いつの間にか有耶無耶にさせてしまうジローと同じ、一風変わった人柄とでも言おうか。

 ――アスナさんは、強い。きっと、私なんかよりもずっと。

 憧憬の念さえ抱きそうな気持ちでアスナを見て、刹那は一人静かに唇を噛み締めていた。
 木乃香を助ける。ここにいるメンバー全員、その想いからこの場で戦っているというのに、自分はまだ重大な事実をひた隠しにしている。
 傷つきたくない、ただそれだけで。
 だが、それも終わりにするべきではないか。ちらりと、横目に隣に立つ二人の様子を窺う。
 魔力が尽き、肩で息をする疲労困憊の体のネギに、手にした魔法具は強力だが、あくまで一般人の域を出ない少女であるアスナ。
 この二人をこれ以上、傷つけさせるわけにはいかない。片手をポケットに入れたまま、ゆっくりした足取りで近づいて来るフェイトから、ネギ達を守るように立ち塞がる。

「フゥ……いい加減しぶといよ、君達」
「黙れ、もうこれ以上、ネギ先生達に手は出させない」

 目に少なからず、うんざりしたといった感情を覗かせるフェイトに切っ先を向け、刹那が強い決意を滲ませて言った。
 そんな刹那の背中を見つめ、戸惑ったようにネギが声を掛ける。

「はぁ、はぁ……せ、刹那さん?」
「――――ネギ先生、それにアスナさんも。お嬢様の……このちゃんのために頑張ってくれて、ありがとうございました」

 訝しげな顔で自分を見る二人に柔らかく、だが、どこか寂しげな笑顔を向けて、別れの言葉を口にした。

「やっぱり、お二人は今すぐに逃げてください。お嬢様は私が救い出します」
「ちょっと、刹那さん? いきなり、なに言い出して――」
「千草と一緒に、両面宿儺の肩のところにいるお嬢様を助けにいくのは、きっと……私が一番適任ですから」

 自身の体に流れる血の解放。それを行って、ネギやアスナ達からどういった目を向けられるのか。
 嫌悪か、それとも恐怖か。どちらにせよ、二度と笑いかけてはくれまい。
 自虐的な考えにほろ苦く笑い、どこか吹っ切れたように感じる諦めから、ずっと抑えつけていた力の解放を決意――しようとした。

「……敵を前にお涙ちょうだいのお別れかい? 少し舐めすぎじゃないか、君達」
「!」
『げげぇっ!? 忘れてた!』

 しかし、そうした漫画やアニメでは『お約束』の律儀に待つ敵役ほど、目の前に立つ白髪の少年は甘くない。
 痺れを切らしたのか、元より希薄だった存在感をさらに薄められ、いないものとして扱われていたフェイトが、仄かにだが苛立ちを匂わせる言葉を送った。

「もう終わりにしよう、茶番は飽きた」

 ここに居ることさえ、無駄だという断言。
 後方へ下がり、手を掲げたフェイトが声高く叫んだ。それも、陰陽道や修験道にある、呪術のための詠唱ではない。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト‥‥小さき王(バーシリスケ・ガレオーテ)八つ足の蜥蜴(メタ・コークトー・ポドーン・カイ)邪眼の主よ(カコイン・オンマトイン)
『し、始動キー!? こ、こいつ、まさか西洋魔術師だったのか!?』
「ウソッ? ズルい!」

 千草の一味であることから、無意識にフェイトは東洋の術師であると思い込んでいたネギ達の虚を衝き、魔法の詠唱を続けていたフェイトが、最後の呪文を口にしようとする。

「‥‥時を奪う毒の吐息を(プノエーン・トウ・イウー・トン・クロノン・パライルサーン)
『や、やべぇっ、逃げろ!』
「に、逃げろって、どこに!?」
「アスナさん、こっちです!!」

 もう、詠唱を中断させることはできない。この場から急いで離脱するよう、警告を発するカモに泡を食いながら、既に手遅れのタイミングで駆け出したネギ達に向けて、フェイトが完成させた石化の呪文を放った。

 ――石の息吹(プノエー・ぺトラス)!!

 瞬間、手の先から濛々たる白煙が噴き出し、祭壇を白く塗り潰した。

「……しまった、大きすぎた」

 ここも微調整の必要がある。自分が想定していた範囲よりも大きかった魔法に、どことなくお茶目にも感じられる呟きを漏らし、掲げていた手を下ろしたフェイトは、煙が晴れるのを静かに待つことにした。







「な、何とか逃げれましたね。大丈夫でしたか、アスナさん、ネギ先生、それにカモさん」
「私は大丈夫だけど、ネギが……酷い、死にそうじゃん」
「僕は平気です……」

 メンバーの中で最も迅く、長い距離を移動できる刹那に抱えられ、石の息吹に覆われた祭壇から離脱を果したネギ達が、互いの身を案じて言葉を交わしていた。
 死にそうという、大袈裟にも聞こえるアスナの言葉。だが、状況が状況だけに、決して軽んじるわけにはいかない言葉を耳にして、前方の祭壇へ警戒を向けたまま、横目にネギの様子を窺った刹那の顔が強張った。

「ッ!? ネギ先生、その手……!!」
「え?」
「だ、大丈夫です、掠っただけです」

 声を荒げた刹那に困惑し、視線をそちらへ外したアスナの横で、ネギが悪戯の見つかった子供のように手を背中の後ろへ隠す。
 辛くも、フェイトの魔法の直撃を避けることに成功した。アスナやカモがそう考えている状況の中、ネギの変化――右手の指先から、徐々に石化している様子を目の当たりにした刹那だけが理解していた。
 もう、まともに戦うことのできるのは自分だけだ、と。

「…………」

 ついさっき決意したばかりだというのに、自分の真の姿を見せることに恐怖を覚える。
 しかし、ここで逃げてしまっては、何もかもが水泡に帰してしまう。
 フェイトを始めとする、危険な相手が待ち受ける場所へ、木乃香を助けるためだけに同行してくれた、ネギやアスナの頑張りも。
 自分達を先へ行かせるために、怪我を負った体を押して、足止めに召喚された百鬼夜行の軍勢を受け持ってくれたジローの行動も。

「私には、ずっと隠してきた秘密があるんです……」

 ポツリと小さく言葉を発した刹那へ、ネギやアスナ、カモの視線が送られた。
 この劣勢の状況の中、自分にまで向けられる優しい視線が、もうすぐ嫌悪や恐怖、不快なものに対する視線に変わってしまう。
 そのことに内心、例えようのない寂しさと苦しさを感じながら続ける。

「この姿を見られたら、もう……みなさんの側にいるわけにはいきません。けど――――あなた達になら」

 僅かに体を屈め、力を溜めるように手を交差させた刹那が、グッと大きく背を反らせた。
 瞬間、

「え――?」
「ふへ?」

 少女の着ていた、学校指定のブラウスの背中部分を押し上げ、夜闇の中に大きく広がった一対の白き翼に、ネギとアスナは揃って息を呑んだ。
 ようやく、窮屈な状態から解放されたと身震いするように、バサリと空を叩く翼から、純白の羽毛が幾つも舞い散る。
 驚き、呆気に取られた顔で佇んでいるネギ達を振り返り、刹那は「やはり」と言いたげな顔で語り始めた。

「これが私の正体。あそこにいる巨人や、百鬼夜行の妖怪達と同じ……化け物です」
「――――」
「――――――」

 自虐的な言葉を口にする刹那を前に、ネギもアスナもただ無言で立ち尽くす。
 その沈黙を拒絶と受け取り、「むしろそちらの方が気が楽だ」と苦笑して、刹那は自分の胸中を吐露する。

「でも、誤解しないでください。私のお嬢様を守りたいという気持ちは本物です。今まで秘密にしてきたのは……こんな醜い姿、お嬢様に知られて……嫌われるのが怖かったから」

 きっと自分は、ネギに告白したのどかよりも弱い人間なのだ。
 情けなくなるほど弱い心を恨む。この局面に来るまで翼を――状況を打開できる力を隠していた自分は、ネギ達からすれば、この上なく卑怯な存在に映るだろう。
 罵声も、謗りも、暴力も、全て一身に受け止めよう。木乃香を――――大切な幼馴染である『このちゃん』を助ける代償がそれなら安いものだ。
 そう考え、目を瞑ってそれらを待った刹那に届いたのは、

「なーに言ってんのよ、刹那さん。こんなの背中に生えてくんなんてカッコイイじゃん」
「………………え?」

 予想外にも温かく、そして優しい言葉だった。

「アスナ、さん……?」

 翼を見た時のネギ達と交代で、呆気に取られた顔になった刹那の肩に手を置き、アスナは心底、呆れた風に話す。

「あんたさぁ……このかの幼馴染で、二年間も陰からずっと見守ってたんでしょ? その間、あいつの何を見てたのよ? このかがこの位で、誰かのこと嫌いになったりすると思う? ホントにもう……バカもバカ、大バカね」

 力強い断言。きっとそれは、自分が知る近衛木乃香という少女を、心の底から信頼する気持ちの表れ。

「何も遠慮することないわ、ここは私達に任せて、このかのこと助けてきなさい! ううん、このかを助けてきて!!」

 バンッ、と少々痛く感じるほどの強さで刹那の背中を叩き、アスナが勇気付けるように親指を立てて促した。
 それにつられるように、石化が進行する右手を後ろ手に隠すネギも、彼女に励ましの言葉を送る。

「はぁ、はぁ……大丈夫、こっちのことは心配しないでください。刹那さんが戻ってくるまでに、あの少年を倒してみせます」

 礼儀正しく、また謙遜ばかりする――往々にして、それが逆の効果を生み出すことが多いが――少年には珍しい強気な発言。それも、徐々に石化に蝕まれる体のことを心配させまいとする心遣いだろうことは、刹那にも十分に知れた。
 ここは敢えて、ネギの言葉を信じて前に進むべき時だ。
 少なからず申し訳なさを覚えながら、刹那は湖の中央に佇む両面宿儺の顔近く、千草の前で浮遊している木乃香の下へ飛翔するために、祭壇へ続く橋の上で大きく体を屈めた。

「――――行きますっ!」
『姉さん、Good Luck!』

 床を蹴って飛び立つ直前、張りのある声で宣言した刹那の背中に、カモの小洒落た激励が投げ掛けられる。
 ネギ、アスナ、カモ。三者三様の期待と励ましを受け、力強く翼を羽ばたかせた刹那の体が、橋の上から一気に宙へ舞い上がった。
 両面宿儺の魔力に照らされ、薄靄がかったような光に包まれる夜空をキャンバスに、純白の翼を広げて鬼神に向かって飛翔する少女の姿は、一枚の絵画にしたいと思うほど美しい躍動感に溢れていた。

「刹那さん……すっごく綺麗じゃん」
「ええ、本当ですね」
『美的感覚は人それぞれって言うしな。それにあれで結構、苦労してきたんだろうよ』

 小さくなる刹那の背中を見送り、感嘆の吐息を漏らすネギ達だったのだが、それも彼らに向かって静かに歩いてきたフェイトの声によって、厳しい現実へと引き戻された。

「…………まさか、彼女が烏族とのハーフだったとはね」

 刹那の真の姿に多少、意外に思いはしたものの、取り上げて記憶に留めるほどではないと、あっさり意識の外へ放棄して告げる。

「まあいい、今更、彼女が西の長の娘を取り戻そうと取り戻せまいと、両面宿儺の復活はもうなされたのだから」
「くっ……」
「どうする、ネギ……」

魔法使いの従者としての自覚か、それとも単純に、小さな少年がこれ以上、傷つけられるのをよしとしなかったのか。
 ハマノツルギを正眼、と呼ぶには少々ぎこちない形に構えたアスナが、横目にネギ、そして少年の肩に乗るカモへ問い尋ねた。

「どうしましょうか……カモ君、何か手はない?」
『悪ぃ、兄貴、姐さん。俺っちも考えちゃいるが、これだって名案が浮かばねえ』

 年少者二人から助けを求められ、言いにくそうに答えて首を振るカモ。

「相談は済んだかい? 君達も相応の覚悟を持って、この場に来ているはずだ」

 フェイトの揺らぎのない、酷く平坦で冷たい声が、重しのようにネギ達の心と体にのし掛かる。

「もし、何かの行動を起こす――誰かと敵対することで生まれるリスクを知らずに、僕の前へ来たのなら……期待外れもいいところだ」

 救いがたいと言うようにかぶりを振り、ポケットに入れていた手を抜き出して、フェイトはやんわりと拳を握った。

「……!」
「く、来るなら来なさいよ!」
「……仮にも実力が上の相手に向かって、そうまで強気な発言ができる神経の太さには感心するよ」

 ふっ、と呆れ返った風にため息をつき、言葉を途中で止めたフェイトの姿が一瞬ぶれ、

「――でも、あまり褒められたものじゃないな。相手の方が強いと理解しているのなら、それ相応の態度を取るべきだよ」

 元からそこにいたのではと思わせる迅さで、アスナの背後に回り込んだフェイトが、魔力を込めて強化した拳を振りかぶる。

「危ない、アスナさん!」
「ウソッ、はや――――って!?」

 このままでは、アスナが怪我を負わされてしまう。
 フェイトの移動速度に目を見開き、最悪の結果に顔を強張らせたネギが、アスナに警告を発する。
 それよりも早く、信じられないと言いたげな顔でフェイトに視線を向けたアスナだったが、次の瞬間、彼女の顔は別の意味で強張ることになった。

「だからって、仮にも実力が上のお強い御方が、神経太い子供の言葉にムキになるのも、あまり褒められたもんじゃないさね」
「……君は」
「ジ、ジロー!?」
「あ……ジローさん!!」

 百鬼夜行の足止めという意味で、この場に来れるはずのない人物――あちこちに血の染み込んだ跡があるボロ服を着て、だが、痛々しい外見のわりに落ち着いた、というより場違いに緩い表情で、アスナに放たれるはずだったフェイトの拳を、後ろから手首を掴んで止めているジローの姿に、程度の差はあれ驚きの視線が向けられる。

『あ、相棒、いつの間に!? ってか、よく無事……じゃなさそうだが、ここに来れたな!?』

 それらをまったく意に介した様子もなく、ジローはフェイトの手をしっかり掴んだまま、

「よぉ〜、お邪魔」

 緩く、穏やかな笑みに見えなくもない顔と同じ、空気を読めと言いたいほどに力の抜けた挨拶を、敵味方関係なしに送りつけた――――







後書き?)誰がとは言いませんが、むちゃくちゃ、シリアスだった場の空気を乱したところで話を〆る。
 これからはこういう作風で行こうか、なんて考えたところで、毎回色々試したり変えてみたりなので。今回はそういう気分だった、でご了承ください。
 次回からようやく、京都編終了に向けての話を展開できそうだ。サブキャラを優遇、という名の劣化ばかりさせていると悩むことはあれど、もうこれでいいや、な感じで話を進めていきたいと思います。
 感想・指摘・アドバイス、切にお待ちしております。

〈続く〉

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