「優しさは時に人を傷つける?」


パチパチと、火の爆ぜる音にネギは目を覚ました。

「ん、う……っ」

 どうやら気を失っていたらしい。意識を失う直前に見た、首を切って絞められた鳥の捌かれる光景が原因だろう。鈍い痛みを訴える頭で考える。
 記憶の淵を引っ掻かれる様な疼き。断続して響く火の爆ぜる音と、目の当たりにした生き物の命を奪って食料にする行為が、忌わしい過去の記憶を揺り起こしたのか。
 喉奥からせり上がってくる吐き気を堪えながら、小さく頭を振るネギに声が掛けられた。

「起きたでござるか、ネギ坊主」
「あ……長瀬さん。すみませんでした、僕、気を失っちゃったみたいで」

 視線をやった先、椅子代わりの石に腰かけて苦笑している楓に謝った。
 寝かされていた場所の傍に、腰かけるのに丁度良い石があったのでそこに腰を下ろす。

「気分はどうでござるか」
「……なんとか、大丈夫です」

 調子を尋ねながら、楓が水の入ったペットボトルを放り投げてくる。受け取り、喉を鳴らして水を飲んだ後、笑顔を浮かべて大丈夫と答えたネギだが、その顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。
 それでも、楓は小さく頷いただけで、それ以上の気遣いを見せなかった。当人が大丈夫と言っているのに、重ねて心配するのは逆に恥を与えるだけだと考えたのである。

「食事の用意、できてるでござる。山籠りの基本はまず体力、ささ、食べるでござるよ」

 そう言って、楓は焚き火の傍に突き立てていた、獣肉や川魚の串焼きを手にとって口に運びながら、空いた手で川魚の刺さった串を掴んでネギに差しだした。
 おずおずとネギはその串を受け取り、そこからは黙々と焼けた肉や魚を胃の腑に送る。一口一口、文字通り噛みしめながら、一欠けらの肉も無駄にせんと言うように。
 そこに、有無を言わさぬ真摯さ――ついさっき、目の前で捌かれた鳥や、川で泳いでいるところを捕まえられた魚に対する、捕食する側としての敬意を感じながら、ネギも楓に倣って串に刺さった魚の身に口を付けた。
 自分達が捕まえなければ、今も生きていたはずの物を食べている。
 普段、学園の食堂や女子寮で出される料理に比べれば、粗野で必要最低限の味付けしかされていない、串に刺して焼いただけの物。
 しかし、口に運んだそれは、いつも何気なしに食べている料理と違い、一言で表現するのは難しい滋味に溢れていると感じられた。
 野生動物を捕まえて食べる事に対して、文句などあるはずもない。頭ではそう考えていたが、いざ目の前で命が奪われる様を見た途端、気を失ってしまった己が無性に恥ずかしい。

「結局、僕、知ってるだけで分かってないんですね……」
「…………」

 ぽつり、と溢れた自虐の言葉に、楓は片目を薄く開いてネギの表情を窺う。
 見られている事にも気付かず、ネギは食事の手を止めてため息をついた。

「情けないです……長瀬さんはまだ十四歳なのに、落ち着いてて頼りがいあって……」

 十四歳なのに、などという上から目線の物言いをおかしいとも思わず、数えで十歳という己の身を棚に上げて、自分は至らないとかぶりを振る。
 あれが駄目だった、これも駄目だったと、麻帆良に来てからの失敗談の数々が指折り、思い出しては嘆く。
 それを、楓は口元に薄っすらと笑みを湛えて眺めていた。十歳の身で、自身よりも年上の生徒達を指導する立場に置かれた少年が、今まで溜めこんでいた鬱憤を吐きだす姿を楽しんでいるのだ。

「僕だって、やりたくて失敗したり、騒ぎに巻き込まれてる訳じゃないんですよ? なのに、毎度毎度いい加減にしろって、ジローさんはずっと嫌味言うだけで助けてくれないし、助けてくれたと思ったら、今回みたいに無茶なことやらせるし……」
(若いのに、随分と苦労しているみたいでござるなあ……。まあ、こうして文句言われてるジロー殿も、ネギ坊主の知らぬ場所で色々と苦労されてるみたいでござるが)

 己の未熟さを責める言葉も尽きたのだろう。口を尖らせ、身内とも言うべき青年への文句に切り替えているネギに同情半分、報われないジローの苦労に憐れみも覚える。
 もっとも、この場で執り成そうとしても意固地になって、青年への文句が増すだけだろう。ネギの言葉に相槌を打ちながら、話の焦点をネギ自身が悩んでいる方向に戻すため、それとなく楓が口を挟んだ。

「拙者が見るに、ネギ坊主はよく頑張っているでござるよ。確かに、先生と呼ぶには少々経験不足と言えるでござるが……そこを理解して、なお努力しようとできるのは立派な事でござるよ」
「…………そう、でしょうか」

 パチリッ、一際大きな音と共に弾けた火の粉を視線で追った後、伏し目がちに呟いたネギに、楓は自信を持っていいと言う様に大きく頷いた。
 悩みを抱えている相手に対し、経験不足などと評価するのは些か躊躇いはしたが、そこを踏まえてこそ、ネギの日頃の頑張りにも意味が生まれよう。

「誰だって、壁にぶつかれば逃げ出したくなるもの。しかし、ネギ坊主はどうすればいいか戸惑いながら、それでも逃げずに先生としての務めを果たそうとする。そんな心意気こそ、真に大切な物と、拙者は思っているでござる」

 どれだけ頑張り、努力しようが失敗は失敗。ネギの話から、その経験を次に活かし、同じ失敗を繰り返すなというのが、ジローの言いたい事なのだろうと予想はできた。
 実際、ジローの言い分は正しいものであるし、見方を変えれば、目の前の経験不足の少年にとって、これ以上なく優しい接し方なのだが。

「何だかんだ言って、ジロー殿もネギ坊主のことが好きだから、叱ってくれるのでござるよ。羨ましいことでござるよ? 甘やかさず、見捨てず、助言を与えて見守ってくれる人が傍にいる、というのは」

 しかし、時には褒めるなどの優しさも与えてやらねば、気分が塞いでしまう。それを危惧したというのもあるが、楓は、ネギのジローに対する誤解を解こうと思って、そう言ったのである。

「それは、その……ジローさんがいい人だっていうのは、ちゃんと知ってますけど。もう少し、僕に優しくしてくれてもいいんじゃないかっていうか、もっとこう、遊んだりご飯食べたり――――あっ、べ、別にさびしいとか、そんなんじゃないんですけど!」
「はっはっは、分かっているでござるよ、ニンニン」

 しかし、楓の言葉を聞いても納得できないらしく、口を尖らせているネギの様子を見ていて、ようやく楓は気付いた。
 自分の為にあえて厳しく接している、などというのは、当の本人も十分に理解していたらしい。しかし、そうした事を頭で理解できるからといって、心が納得できるかというのは別問題。ジローの本心がどこにあるのかは関係なく、ネギが不満に思っていたのは、実に簡単なことで。
 ウェールズで一緒に生活していた時と同じように、身内としての優しさを与えてほしい。ただ純粋に、これだけであった。
 子供らしからぬ真面目さと考えを持ってはいるが、この辺りはまだまだ歳相応であるか。勢いの弱まった焚き火に、新しい枝をくべながら口元を綻ばせる。
 忍びとして、幼少の頃より過酷な修業を続け、十を過ぎるかどうかという歳にして甲賀忍者の最高位である中忍の称号を授かったはいいが、まったくもって子供らしい何かをしてこなかった半生に少なからず疑問や後悔を覚え、中学卒業までは歳相応の学生生活を満喫しようと考えて麻帆良学園に通っている身。
 楓はかつての己とまでは言わぬが、非日常的な世界に身を置き、容易に人に相談できぬ悩みを抱いていると思しき少年が、ふとして覗かせた子供の表情にどこか安堵していた。
 鉄は熱いうちに打て、との言葉はあるが。考えなしに打ち据えた鉄でできるのは、薄く脆く、錆びやすく折れやすい、刀とも呼べぬ鉄の棒だ。
 適度に叩き、適度に折り返し、適度に熱して冷まして、適度に研いでやって、と気が遠くなるほどの時間と手間を掛けて初めて、刀と呼べる代物になる。その事を、楓は誰よりも分かっている――少なくとも自身ではそう自負している――からこそ、ネギのひた向きすぎる姿勢が気になっていた。
 が、それも杞憂だったらしい。ネギにはきちんと、腹を割って話したいと思える人間がいる。だから、これ以上、自分があれやこれやと諭す必要はない。
 餅は餅屋に、という奴だ。
 ジロー当人は、自分が餅屋であることを否定するだろうが、そこは普段の言動を顧みてもらうしかない。
 一口分残っていた肉を頬張り、手にした串を焚き火に放り込む。

「さ、早いとこ残りを食べてしまうでござるよ。でないと、折角の御馳走が炭になってしまうでござる」
「あ、はい!」

 笑みを浮かべた楓が、パンパンと手を叩いて促すのに我に返ったネギが、大きく頷く。
 間近にある問題が解決したわけではないのだが、それでも一通り愚痴を溢して、抱えていたものが幾分軽くなったのだろう。楓に返すネギの声には、多少の元気さが感じられた。

「明日も食糧集めで忙しいでござるからな。しっかり食べて、それから風呂に入ってすぐに寝るでござる」
「え? こんな山の中にお風呂があるんですか?」

 はくはく、とほど良く焼けた川魚の身を齧っていたネギだが、楓のその言葉に顔を上げて問う。
 もしや、温泉でも湧いているのであろうか。ネギの頭の中で、猿や熊といった山の動物達が、肩を並べて湯に浸かっている光景が浮かぶ。
 そんなネギの想像図を、ある程度読んでいるのだろう。悪戯に成功したように、口元をにんまりと緩めて、

「ま、それは見てからのお楽しみにしておくでござる。あ、このキノコの串、貰うでござるよ」
「は、はい、どうぞ」

 楓は、勿体ぶるようにそれだけ答え、食事の続きへと戻るのであった。




「あ、あああの、長瀬さん!?」
「おや、もしかして湯が熱かったでござるか?」
「いえ、それはちょうどいいんですけど! な、なんで一緒に入ってるんですか!?」
「ドラム缶風呂はすぐに冷めてしまうから、こうして一度に湯浴みした方がいいのでござるよ」

 山の中。夜天には数え切れぬほどの星が瞬き、顔を半分ほど膨らませた月が、ぼんやりとした蒼光を地上に注いでいる。
 空を見上げれば、その全てを眺めることのできる少し開けた場所に、並々と湯を湛えたドラム缶は鎮座していた。
 俗に呼ぶドラム缶風呂。その中に、顔を真っ赤にしたネギと、少年の反応をまったく気にした素振りも見せず、ゆったりとくつろいでいる楓の姿があった。
 二次性徴が遙か先にあるネギではあるが、そこは自称英国紳士。教え子の、しかも本当に中学生なのかと目を疑うほど、出るとこは出て、締まるところは締まったメリハリのある裸体を見るわけにはいかないと、目を瞑ってドラム缶の淵に齧りついていた。
 半ば強引に服を脱がされ、頭や体は強制的に洗われてしまった少年ではあったが。せめてもの抵抗として、すぐ近くに存在する、年頃の青少年からすれば垂涎ものであろう楓の肌だけは、彼女が服を脱ぎだした瞬間以外、ちらりとも見ていない。
 それが逆に、耳元に届く楓の心地よさそうな声や、波を立てる動作を鋭敏に感じ取らせ、また、彼女が動く度に背中に触れる、何か――そう、それはとにかくひたすらに凶悪で、柔らかい正体不明の何かであった――の存在を余計に意識させていたのだが。
 動くに動けない。
 肩までしっかり浸からねば、体が冷たくなってしまう。そう言った楓に、背後から抱き寄せられたネギは、置物のように身を固くして、心の奥底からふつふつと湧き上がる溶岩の如き羞恥心に耐えていた。
 搗きたての餅のように柔らかく、だというのに、しっかりとした弾力をも併せ持つ双丘――ネギが担任するクラスに在籍する、綾瀬夕映や桜咲刹那、鳴滝姉妹といった面々からすると、それはもはや並び立つ奥羽山脈か、海底火山か、といった驚異的な大きさを誇っている――が、ネギの背中の上にずっしり、ぷにゅわと広がっている。
 無視しようにも無視できない、圧倒的な存在感。己の矮小さを見せつけられたようで、湯船の中で一人、ネギは表現しがたい情けなさを噛みしめていた。
 ジローならば、この状況をいかにして切り抜けるのか。そんな、埒もない考えが浮かぶ。
 十代後半という、世間一般的にある特定のジャンルに最も好奇心が高まるとされる年頃の青年。だがしかし、ネギの脳内にいる八房ジローの仮想人格が取った行動は、興奮でも発散でも焦燥でも混乱でもなく――――

(…………あ、あれ? どうしよう、どんな反応するのか全然、想像できないや?)

 ネギの脳内で流れたのは、半眼にこれでもかと言うほど下げた口角と、ただただ疲れた表情で一つ、ため息を吐きだす姿であった。
 そういえば、と思い起こす。突然、メルディアナ魔法学校に通い始めた――当然ながら、ネギの召喚魔法の失敗が原因である事は、一般の生徒達には伏せられていた――正体不明の日本人。しかも、校長の秘書であるドネット直々に魔法を叩き込まれる特別扱い。
 人柄は良く、時々性格の悪さを覗かせるが、それも普段の飄々とした雰囲気のお陰か、逆に接しやすいと思わせる。魔法学校のクラスメイトなどの雑談を聞いた限りではあるが、いかにも日本人といった顔立ちも、物珍しさが手伝ってか、それなりに評価されていたと記憶している。
 それだけにウェールズにいた頃、浮いた話が出た事もあったのだが、その顛末が当人の口から語られた覚えがない。全て人伝に、主に幼馴染のアーニャから聞かされた話になるのだが、煙に巻かれて最後は有耶無耶になってしまうそうだ。
 もう一歩踏み込んだ関係に、と思いながら、現状を変える事に躊躇いを感じて、近からず遠からずの位置に満足する。
 それでいいのかと、仕入れた話を納得いかなそうに語るアーニャと、彼女を苦笑気味に宥める姉の会話から漏れ聞いた内容に、なんとなく分かると頷いた記憶があった。
 ジローには溝があると、ネギは前々から考えていたから。
 一つでも多くの魔法を習得するために、他者を隔てるための壁を作ってしまっている自分とは違い、顔を見に近づくことも、話しかけることも自由な場所にいるのに、それ以上はどうやっても越えられない、決して踏み越えてはいけない溝。
 その気にさえなれば、容易く跨ぐことのできる溝な気もする。しかし、少しでもそれを踏み越えた瞬間、ジローがどの様な行動に出るのか分からない。それが、どうしようもなく怖かった。
 それは、自分がジローに負い目を感じているからだ。ネギの頭の奥で、そう囁く声がする。何度も何度も、繰り返し、繰り返し、ネギの心を泥中に沈めようとする呪詛の様に。

「――――ネギ坊主、のぼせてしまったでござるか?」
「え?」

 深みに嵌りかけたネギの意識を、耳元に掛けられた楓の声が引き戻した。
 ハッとして振り返ったネギに、首を傾げて見せた楓が提案する。

「あまり長湯をするのも体に悪いでござるし、先に上がってしまうでござるよ」
「は、はい……」

 思っていたより長い時間、湯に浸かっていたのだろう。少し、頭がぼうっとしていた。

「考えが煮詰まらないようでござるな。なに、焦らずとも時間はあるでござるから、落ち着いて考えるが吉なりよ」

 先に上がったネギの背中に、楓の忠告めいた言葉が飛んだ。それに小さく頷きながら、髪を掻き回すように水気を拭き取っていたネギだが、少し躊躇った後、ぽつりと楓に聞いた。

「…………もしもの話なんですけど」
「うむ?」
「もしも、長瀬さんが自分よりもずっと強い相手と戦わないとダメで……でも、相手に怪我はさせたくなくて、自分も傷つきたくない。そんな戦いをすることになったら、長瀬さんはどうしますか?」

 ジッと、前方の闇を睨みながら問い尋ねたネギを、僅かに開いた糸目で見ながら、楓は顎を撫でつつ考える。
 暫しの黙考の後、ふむと自分の答えを確認するように小さく頷いた。

「そうでござるなあ、自分より腕の立つ相手と事を構えた時にどうするか、という質問でござるが……仮にその戦いが、決して敵に背を向けてはならぬものであるなら、負けると分かっていても戦うしかないでござるな」
「やっぱり、そうですよね。逃げちゃダメ……ですよね」
「しかし、でござる」
「え?」

 己の言葉を吟味するように話す楓に、諦めを感じさせる苦笑をネギが見せる。そこに被せる形で、楓が言葉を継いだ。

「戦いというのは、必ずしも力の優劣を競うものではござらぬ。時に相手を倒さずとも、勝ちを取れることもあるでござるよ、っと」
「それってどうやって――――うわわ!?」

 想像もしなかった言葉に驚き、詰め寄ろうとしたネギだが、ドラム缶風呂から水飛沫と共に立ち上がった楓の肢体が目に飛び込み、慌てて両目を塞いで背を向ける。
 そんなネギの初々しい様子に、楓は快活な笑い声を上げながらタオルを手に取って、大雑把に水気を拭き取りながら、先の続きを話す。

「戦いにおいて、相手から逃げ切るというのも立派な勝ちの一つでござるよ」
「逃げるのが……勝ち?」
「あいあい。死んでは元も子もないでござるからなあ、拙者達」

 ぽかん、と呆気にとられた表情で顔を見上げたネギに、楓は口の前に指を立てて「内緒でござるよ?」と付け足して、ドラム缶風呂の火を消して踵を返した。
 向かう先には、食糧集めの後、ネギも手伝って設置したテントがある。ジッパーで開閉できるようになっている入り口を開け、楓がネギに手招きした。

「ま、さっきの言葉について考えるのは明日に回すとして、今日は寝るでござるよ。折角温まったのに、外に突っ立っていると風邪ひくでござるからな」
「あっ、は、はい!」

 ぱたぱたと駆け寄ったネギをテントに招き入れ、自分も入った後、ジッパーを上げて入り口を閉じる。

「では、お休みなさいでござるよ、ネギ坊主」
「お、おやすみなさい、長瀬さん。今日は、その、ありがとう……ございまし……た」

 小さな虫のさざめきを聞きながら、寝袋に包まれる。今日一日の疲れもあったのだろう、奇妙に懐かしい感覚も手伝って、ネギの意識は一瞬にして眠りの中に落ちていった。

「……ゆっくり眠るといいでござるよ。たまにはこうして息抜きしないと、気を病んでしまうでござるからな」

 ネギが規則正しく寝息を立て始めたのを確認して、物音一つ生まずにテントを出た楓は、体のあちこちの筋を伸ばしながら笑みを浮かべた。

「ジロー殿は何を思って、ネギ坊主を山中に放り出したのやら……」

 案外、自分が休みを利用して山籠りしているのを知って、無茶とも思える山中訓練を施したのかもしれないが。
 その辺り、直球で聞いても上手い事はぐらかされるのだろう。緩い見た目の割、腹の底を探らせてくれない副担任にため息を一つ。

「――――さて、考えていても始まらないし、拙者は拙者の鍛錬をするでござるよ」

 そう呟いたと同時に、テントの入り口前に立っていた楓の姿が闇に消えた。
 断続して聞こえる、木々の間を駆け抜ける音が遠ざかっていく。
 完全にその音が聞こえなくなった後、静かに佇むテントの中で眠るネギのために、どこかで梟が、ほぅほぅと子守歌代わりの鳴き声を響かせていた。




「…………あのさ、何やってんの? ジロー先生」

 夕方、修道服を着たココネを連れて南楓荘を訪れた美空が、ジローの部屋に入るなり発した質問。
 学校から帰る途中、南楓荘へ向かうココネと会って寄り道しようと考えたのか、制服姿でぽかん、と顔を上げて聞いてきた美空に対して、ジローは面倒そうに目を向けて簡潔に一言、

「本を読んでる」

 と、答えてから、また手に持っていた分厚い洋書に視線を戻した。
 随分と年月を経ているのか、茶色く変色した紙をゆっくりと捲り、次の項を読み始めたところで、依然として顔を上げていた美空が声を掛ける。

「うん、それぐらい見たら分かるんだけどさ。どーして天井に座って、ふっつーに本読んでるのさ」
「ジロー、器用ダ」

 呆れ返って半眼の美空と、驚愕に目を丸くしているココネの反応に嘆息し、『何故か天井に上下逆さまの状態で胡坐をかいて座っていた』ジローは、読んでいた古めかしい洋装本を閉じた。
 磁力が消えたように、天井から床に向けて頭から落ち始める。
 このまま、床に頭をぶつけてしまうのか。思わず身を竦めた美空とココネの前で、猫の様にくるりと身を回転させたジローが、音も立てず床に着地した。

「で、何か用?」

 手に持った本――背表紙のラテン語から、魔導書か何かだろうと美空は判断した――で肩を叩きながら、突然の訪問客に普段通りの緩い表情で尋ねる。
 部屋の中央に置かれたテーブルの前に座布団を敷き、座るよう促すジローに礼を述べて、美空とココネが腰を下ろす。

「ちょっと待ってな、熊子さんにお茶菓子ないか聞いてくる」
「あっ、いい、いい。今日は長居する気ないから」
「珍しい。お前さんがここに来る時は仕事をさぼるか、菓子たかるかだと思ってたのに」

 茶を用意しに部屋を出ようとしたのを呼び止めた美空に、ジローは心底驚いた顔で美空達の前に腰を下ろした。
 自分がどう思われているのか、その一片を垣間見てしまったと若干傷つきながら、だが否定はしないと無駄に胸を張りつつ、美空はジローの部屋に訪れた理由を話す――――前に、まずジローの奇行について質問することにした。

「ちょっとジロー先生に用事があって来たんだけどさ、その前にちょっと教えてほしいんだけど。なんでジロー先生、天井に座って本なんて読んでたの? てか、あれどうやってんの、頭に血のぼんない?」

 ぞんざいな手つきで、ベッドの下に件の魔導書を放り込んだジローは、顎を突き出すように顔を上げて、どう説明すれば分かりやすいのかと思案した。

「あー、あれはどう言ったらいいのか……上下逆さまにしたり、鏡に映した本を詰まらずに読めるようにする、みたいな?」
「いや、ごめん。疑問形で答えられても困るから」
「逆さま……」

 首を傾げたジローに首を傾げ返す美空の横で、自分が読むために持ってきていた絵本の上下をひっくり返し、どうにかして読もうとココネが悪戦苦闘している。
 眉間に似合わぬ皺を寄せ、本に釣られてか、徐々に体を横に倒している少女に、ジローは「まあ、読みにくいわな」と苦笑した。

「もし、利き腕が右手でその手を怪我しても、左手で文字を書いたり、箸を使えるなら問題ない。それと一緒で、浮遊の魔法をどんな姿勢でも、地面に立っている時と同じ感覚で使えたら便利……かもしれない。さっきのは、そういう思いつきで始めた鍛錬さね」

 役に立つ機会など、はっきり言って皆無だが。持ち上げた左手を握ったり開いたりしながら、ジローは鍛錬の目的と定めた部分について語る。

「ふーん、なんかよく分かんないけど、ジロー先生も頑張ってんだねー」
「…………私にもできる?」
「何だってコツコツ積み重ねていけば、大抵はできるようになるさね」

 常より不真面目を標語に掲げ、実践も行っている美空はともかく、シャークティの指導の下、清く正しい魔法使いになるための勉学に励んでいるココネには、ジローが何でもないように話した鍛錬が容易な事ではないと理解できた。
 それ故に、興味を刺激されたのだろう。新しい絵本やおもちゃを与えられた幼子の眼差しで、ココネがおずおずと尋ね始める。
 ――――例えば術の発動中、上下逆さまの状態で感じる違和感は消えているのか。
 ――――重力に従って頭部に集中するはずの血液は問題ないのか。
 ――――単純に、浮遊の魔法の術式構成を上下逆さまにするだけでいいのか。
 思いつく限りの疑問を解明するために、小さな声で精一杯に聞いていく。そんな少女の姿が微笑ましく、時折質問に答えながら、ジローは静かに考えていた。
 一対一の形で魔法の応用について講義する、今の家庭教師の様な状況を面倒だとは思わないが、どうしても気になっている事が一つ。

(二人とも、何の用事で部屋に来たんだろうなあ……)

 部屋に入って最初に見た光景のせいか、美空もココネも、ジローの部屋を尋ねた用件について忘れているらしかった。
 それでも胸中の疑問をおくびにも出さず、三Aの生徒達が見れば目を剥いて驚くであろう柔らかな笑みを湛えて、ココネに初歩魔法の習得がいかに大切かを説く。

「一応、美空も聞いといた方がいいと思うんだけど……」
「え〜、なに? 聞こえなーい――――んー、ベッドの下も本棚の後ろも空振りかあ……つーか、魔導書とかそんなんしか出てこないし。あとはどこだろ、机の引き出しとか?」

 ついでに美空にも説いておこうとしたが、そちらは端から興味が無いらしく、部屋主の目の前で家探しに勤しんでいた。
 本当は注意するべきなのだろうが、特に見られて困るものがある訳でもない。下手に突いて騒がれるよりはマシと、放置してさせるがままにしておく。
 いつだって優先すべきは、小さな子供の好奇心や知的探究心から来る疑問に応えてあげる事なのだから。
 ベッドの下から初心者向けの魔法教本を取り出して、ココネに分かりやすい形で質問に答えていく。その途中、小さく胸が痛んだ気がしたが、魔法教本に目を落とすことで無視する。

(まあ、ネギにゃこういう機会自体、必要なかったからな)

 助けを求めない人間や、教えを請わない相手に手を貸すのは、ジローからすれば余計な事。一人で立って歩ける相手を助ける意義など見出せない。
 手助けする事で、その相手が自分の力で困難を打ち破り、成長できる機会を奪うことにもなりかねないとさえ考えている。
 だから、あえて手を出さず、見守ることに徹する。例えばそれで、見守った相手が道を誤り、最終的に身を滅ぼすとしてもだ。
 過去を忘れて生きるはずだった少女が、皮肉にもそれを望んだ人間の縁者によって、一度は離れた非日常の世界に関わろうが。
 何らかの秘密を抱えている少女が、それが原因で親友だった少女との不仲に苦しもうが。
 純粋に見えてしまう程の心の歪みを持った少年が、放置すれば救いのない生き方をしてしまおうが。

「……ああ、あいつは助けを求める云々以前の状態だったか」

 唐突に始まった魔法講義の書き取りを行うココネに聞こえぬ声で呟く。
 巻き込まれたにしては明るく、というより能天気に魔法の存在する世界を受け止め、あっけらかんと笑っているツインテールでオッドアイの少女に関しては、悩むだけ無駄な気もしたので脳内から除外して、鼻を鳴らすようにして笑う。
 単なる言い訳。
 問題を抱えた少年や少女らは助けを求めず、教えを請わないのではなく、助けの求め方を知らず、教えを請うという考えを持っていないだけである事は理解しているのに。
 そこを指摘しようという気が毛頭ないのは、自分が呆れ返るほどの面倒くさがりなのか、それとも、非難されるべき人でなしだからなのか。
 考えたところで意味はない。自分が何を考えているのか、どうしたいのかなどの答えは最初から知っているし、理解もしているのだから。

「まあ、なるようになるさね」
「何が?」
「一生懸命頑張ってるココネには、きっといいことがあるって事だよ」

 呟きが聞こえたのか、勉強用として与えたノートから顔を上げて首を傾げたココネに、ジローは誤魔化しの欠片も見えぬ笑みを浮かべた。
 努力していると認めてもらえたのが嬉しかったのか、どこか照れ臭そうにしながらも「ガンバル……」と小さく頷き、再び講義の書き取りに勤しむココネに、ジローの眼差しが自然と穏やかになる。
 とりあえず、この子に嫌われるような事はするまい。胸中に考えながら、そう思える間は大丈夫だと、己を安心させるように繰り返す。

「ね〜、ジロー先生、暇〜。なんか面白い本とかないの? 漫画とかコミックとかアニメとかゲームとか」
「少しはココネを見習って、その下に積んである魔導書の写しでもやってろ」
「面倒だからや〜だ〜」

 勝手に人の部屋のベッドに寝転がり、あくび混じりに聞いてきた美空にジト目を送りつつ、ため息をつく。
 助けも教えも、初めからやる気を持っていない相手には意味がない。というより、考えるだけ無駄だ。
 第一、こちらの都合を考えて動いてくれるなら、最初から誰も苦労などしないというのは、美空に限らず、訳ありな知り合い連中を見ていれば分かる話だろう。

「はぁ……お前さん見てると、頑張ったり努力したりするのが無駄に思えてくるな。もう少しシャンとしたらどうよ?」
「やだなー、もう。シスターシャークティみたいなこと言わないでよね、せっかくのんびりやってんだからさあ。てか、ピチピチの女子中学生が部屋に来てるのに、迷惑そうとか反応間違ってるッスよ――――――――って、あ」
「あー?」

 諦めの表情で形ばかりの忠告を行ったジローに、憤慨した様子で抗議しようとした美空が、重要な何かを思い出した様に顔を強張らせた。
 一体どうしたのかと、訝しげに眉を顰めたジローをよそに、制服の胸ポケットから携帯電話を取り出した美空が、慌ただしくどこかへ電話を掛ける。

「どうしたんだ、美空の奴?」
「……シスターシャークティにお使い頼まれてたの、忘れてタ」
「美空が?」
「ウウン、私が」

 首を傾げて何気なしに尋ねたジローに、意外にもココネが美空の慌てている理由を答えた。
 その声には、少なからず怯えが混ざっている。例えるなら、親の言いつけを破って遊んでいた子供が、家に帰る段階になってその事に気付いた様に。
 どうしようと縋る様な目を向けるココネと、詳しい事情も知らないので何を言えばいいのか、と難しい顔を返すしかないジローの隣りで、美空が電話越しにぺこぺこと頭を下げている。

「いや、ほんとごめんなさい! ちょっと話が盛り上がっちゃってて……いえいえいえ、用事を忘れてたなんて、そんな!! いや、だから謝ってるじゃないスか――――え? ジロー先生に代われ?」

 電話の向こうにいるシャークティに指示されたらしく、携帯電話を渡した後、言外に「上手くご機嫌とって!」と顔の前で手を合わせている美空を横目に、ジローは恐る恐るといった感じで受話器に耳を当てた。

「あー、お電話代わりました、八房です……」
『何故、事務的な応対なのか説明してもらってもいいかしら?』

 下手に刺激すまいと、丁寧な口調を心掛けて電話に出たジローの耳に、不機嫌な様子が見て取れるシャークティの声が届く。
 誤魔化し笑いを上げるジローに、電話越しに大きなため息を溢してから、シャークティが喋り始める。

『まったく……丁度、帰る途中で近くにいたからと、美空に同行させたのが間違いでしたね。まあ、ココネ一人で迎えにいかせるのは不安だったので、仕方がないのですが』
「はあ……ええ、なるほど……」

 電話越しに相槌を打ちながら、目の前でノートに何事か書いているココネへ視線を送る。
 カンニングペーパーよろしくココネが持ち上げたノートには、黒字で大きく「ジローを教会につれてきて、ってシスターシャークティにたのまれた」と書かれている。
 ネギを、魔法を封じた状態で山中に放りだした事がばれたのだろうか。
 シャークティの人となりを考えれば、教会に呼び出される理由として十分にあり得る話。
 他の魔法先生や近右衛門に知られる前に理由なりを問いただし、情状酌量できるかどうか判断するつもりなのかもしれない。美空とココネが使いに送られたのも、こちらの逃走を防ぐためと考えると、実に有効的な手段と言える。

『ハァ……。こうして文句を言っていても始まりませんし、そろそろ用件を話したいのですが、いいかしら?』
「あー、はい、お願いします」

 一通りの愚痴を溢し終えたのか、大きなため息を吐いた後、シャークティが本題に入ってもいいかと聞いてくる。覚悟は決めたはずなのに、心底聞きたくないと思ってしまうのは、己が悪い事をしたと自覚しているからか。
 どの程度の時間で解放してもらえるのか。美空から伝え聞くシャークティの説教の長さに戦々恐々しながら、話の続きを促す。

『美空から聞いたのですが、ジロー君。ついこの間、誕生日が過ぎたというのは本当ですか?』
「――――――――は? 俺の誕生日が……何ですって?」
『ですから、誕生日です、誕生日。今月の一日がそうだと、美空が言っていたのですが、それが本当かどうか聞いているのです』

 しかし、ジローの耳に届いたのは、予想から大きく外れた内容の質問であった。
 聞き間違えたのかと、自分の耳を疑って問い返したジローに、どこか呆れた声でシャークティが質問を繰り返す。
 どうして自分の誕生日を知っているのか。首を傾げて美空を見たところで、答えに思い至る。

(そういや、新聞のネタ出しに協力してって、朝倉に頼まれて答えたな)

 『噂の子供先生の秘密に迫る!』という題名でばらまかれた新聞。そこでネギのおまけ扱いだったが、小さくプロフィールを載せられていた気がしないでもない。
 そういえば、美空の誕生日も四月の頭であった。その辺りの流れで偶然、新聞を目にして記憶していた美空が、誕生日繋がりの話題としてシャークティに話したのだろう。
 話題づくりに自分の誕生日が役立つとは、欠片も思えないのだが。
 その一点がどうしても理解できず、ジローは眉間に皺を寄せる。不機嫌とも取れる様子に、何か不味いことを話したのかと思って目を泳がす美空から視線を外し、シャークティとの会話に意識を戻した。

「ええ、まあ。言われてみれば今月、誕生日があったなと思わなくもないですけど。それがどうかしましたか?」
『そ、そんな人ごとの様に返されると、こちらとしても色々と困るのですが……』

 しかし、シャークティがその事に触れる理由が分からない。わざわざ、美空達を迎えに寄せてまで聞く事ではないはずだ。
 反応の薄さに戸惑ったのだろう。訝しげな声で質問に肯定を返したジローに、一瞬口ごもってからシャークティが提案したのは、本当に予測のできないものであった。

『美空から聞いた限りでは、特にお祝いしたわけでもなさそうですし。数日遅れにはなりますが、お祝いを兼ねた食事会でもしませんか?』
「……はいぃ?」

 口から裏返った声が漏れる。唐突に何を言い出すのか、といった驚きに数秒の間、頭の中が真っ白になっていた。
 裏返った声を遠慮の表れとでも受け取ったのか、食い下がる様に『ケーキもありますよ』と付け足すシャークティに、内心子供の説得じゃあるまいしと突っ込みながら、救援を求める眼差しを美空へ向ける。
 一体何を言い出しているのだ、この人は。携帯電話を指さし、声には出さず口の動きだけで伝えたジローに、美空も同じく無言で答えた。

『なんか、誕生日はその人が今まで健やかに過ごしてきた事を感謝して、友達とか家族と一緒にお祝いする日なんです、って主張してたッスよ』

 一言一句誤らず、口の動きから言葉を読み取って、ため息を溢しそうになるのを耐える。
 これまで積み重ねた時間を大切にしよう、という考え方に好感は持てたが、だからといって顔見知り程度の人間まで祝おうとするのは、お節介というものではないか。

「あー、折角のお誘いですけど――――ん……?」

 そうまでしてもらう理由はない、とは流石に言えなかったが、ここは丁重に断りを入れておくべきだろう。
 暫しの黙考の後、言葉を選びながら誘いを遠慮しようとしたジローだが、ふいに袖を引っ張られた事で口を閉じた。

「…………ココネ?」
「ジロー、いっしょにゴハン食べるのイヤ?」

 カンニングペーパーとして持っていたノートを置き、テーブルの上に身を乗り出したココネが、伸ばした手でジローの服の袖を弱々しく引っ張っていた。
 どうしたのかと首を傾げたジローに、同じポーズで聞き返したココネの顔に不安の色が浮かんでいる。
 断られてしまう事を予感して、それを食い止めようとしている。じっ、と上目づかいにジローを見つめるココネの瞳からは、そんな子供なりの必死さが感じられた。

「ジロー、誕生日をお祝いしてくれる友達いないから、きっとさびしいって……シスターシャークティ、お料理しながら言ってタ」
「そ、そうか。優しいなあ、シャークティ先生は」
「ウン。だからジロー、いっしょにゴハン食べよ?」

 ココネの説得の中に失礼極まりない発言があった気がしたが、可愛らしく、傾げていた首を逆方向へ倒している少女を責める訳にはいくまい。
 抗議は口元を引き攣らせるに止め、シャークティがしたという発言にはあえて目を瞑る。

「あー、分かった、分かったよ。お邪魔させてもらうから、そんなチクチクした目で見ないでおくれ」
「ン……?」

 真っ直ぐ、ただ純粋な想いを乗せて送ってくる少女の視線に耐えきれず、僅かに目を背けて言うジローを不思議そうに見ながら頷き、ココネが引っ張っていた袖から指を離す。

『――――フフ……では、お待ちしてますと言った方がいいのかしら?』

 受話器越しにココネとの会話を聞いていたのだろう、笑いを堪え切れない様子でシャークティが尋ねてくるのに、ジローも渋々とだが答える。

「…………色々、詳しくお聞きしたい話もできましたしねえ。友達がいないとか、一人ぼっちだとか、その辺りについて」
『い、いえ、それは別に他意あっての発言では――』
「だったら、なお悪いでしょうが。まあいいですけど……ええ、それじゃ御馳走になりますので、はい――――はぁ……美空、携帯ありがとさん」
「はいはい〜。御苦労さま、ジロー先生」

 二、三話をして通話を切った携帯電話を、触れた場所を袖で拭って綺麗にした状態で持ち主に返して、深々と息を吐きだす。
 ほんの数分程度の通話で、随分と疲れが溜まったようだ。

「意外と苦労してんだなあ、お前も」
「まあね〜。でも、ジロー先生が注意ひいてくれてるから、これで結構楽になってんだな、これが!」
「…………何で、仲間見つけたみたいな顔するかね?」

 サムズアップして気楽に笑う美空を眺めながら、シャークティの生真面目さに振り回される事に、彼女以上の適任者はいないはずだがと胸中に呟き、ジローは引き攣った笑みと共に嘆息する。

「ジロー、はやく行こ」
「あー、はいはい。もうちょっとしたら出るから、少し待ってくれ」

 とにかく今は、教会へ向かう事を急かすココネを落ち着かせ、それと同時に己の心の平穏も取り戻そう。
 見つめるべき現実から目を背けていると知りながら、いまだにこちらを向いてにやついている美空を無視して、ジローは傍に来て腕を引っ張るココネに座るよう促した。

〈続く〉

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