「本当の意味で、八房ジローの休日?」



 冷静に振り返ってみなくても、その日は朝からおかしかったのだ。

「だ、大丈夫かい? ジロー君」
「……今にも死にそうな顔色をしているぞ」

 職員室へ入って早々、みつね顔……もとい狐顔の瀬流彦先生には開眼状態で真剣に心配され、口髭とサングラスが渋い神多羅木先生には、同情するように肩を叩かれ――

「ジロー君……ドーナツ食べるかい?」

 恰幅のいい癒し系な弐集院先生には、最近の流行らしい砂糖コーティングしたドーナツをダースでお裾分けされて。
 連絡事項の伝達があったので、ネギに会いに3Aに顔を出せば、

「ジ、ジローさん、調子悪いの!?」
「い、一体何がありましたかーーーーッ!?」
「あ、あんた、ジロー……よね?」

 いの一番に悲鳴を上げたネギを筆頭に、朝倉には激写と同時にマイクを向けられ、アスナには恐々と本人かどうか尋ねられた。
 一体何があったと聞きたいのはこちらの方だ、と首を傾げつつ、何故に人と会う度、気遣われたりせねばならんと思いながら職員室へ戻る道すがら。
 普段よりも少しばかり重い頭をしゃっきりさせんと、顔を洗うために手洗いへ。
 そして手洗いに入ってすぐの壁に並んでいる鏡を見て、ようやく理解するに至った。

「あー、なるホロ。こりゃ心配されるわけだわ……」

 鏡に映った自分の顔に滞在している、くっきり黒々と浮いた目の下の隈。
 まじまじと己の酷い面を眺めて、ここ数週間の行動を振り返ってみた。

「所用で呪術協会、ってか詠春さんのとこに顔出して、何故かその足で山中の化け猿退治のメンバーに……。そのまま直接、メルディアナへ跳んで、学園長に渡す貴重品を受け取って、なのに校長の客人の護衛をさせられて……事態収拾の手伝いさせられて、どういう訳かその客人に気に入られて、危うく魔法世界へお持ち帰りされそうになり……それからどうしたっけ? ああ……こういうローテーションをずっと続けていたのか」

 やっと思い出したというか、思い至った隈ができた理由があまりにも馬鹿らしくて、膝から崩れ落ちそうになる。

「やけにしんどいと思ったら――――寝るの忘れてるじゃないか、俺ぇ」

 危うく膝を突きそうになるのを洗面台の淵を掴んで堪え、体中から疲労を絞り出せそうなため息をついた。

「うん……あれだ、気付きたくなかったんだな、抜け出すことのできない無限ループに……」

 某デス・メガネ先生みたく「戦争や紛争を終結させてこい」、なんて言われないだけマシだと思いたいけど…………いくら何でも、ろくな睡眠なしで二週間は厳しいさね。
 ギネスに載っている連続不眠記録は何日であっただろうか、と埒もないことを考えながら、俺は今日の分の書類を始末するために職員室へ戻るのでした。
 めでたしめでたし――――






 ――で、話が終わるはずもないのですよ、じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。

「……何か弁明はありますか、ジロー君?」
「いや、何と申し開きをすればよいのやら……」
「私は以前から、口が酸っぱくなるほど注意していたはずですが? どうして、何故ッ、しっかりと休みを取らないのですか!?」

 運悪くというのは心苦しいので付けないが、アナザーマスターでもある銀髪褐色肌のシスターことシャークティ先生に捕まって、「有休を使ってでも休みやがれ、コノヤロー」とばかりにお説教を受けていたりする。

「あまり心配させないでください……。何ですか、その死人も驚く顔色は?」
「そこまでですか……」

 内心、俺がこういう状態に陥っているのは、休みたいのに仕事を回してくる学園長の皮を被った諸悪の権化なのですと言い訳するが、当然ながら通用する道理もなく。

「もう……私ですら明日、明後日の連休は羽を伸ばそうと考えているのに――――何ですかあなたは? ワーカーホリックな人ですか?」
「いや、痛いです、イタタタタタタッ……!?」

 責める気に満ちたジト目で、シャークティ先生が両頬を抓って伸ばしにかかる。
 眠気と疲れでボンヤリしていた頭が強制的に覚醒させられ、両目に涙が浮かぶほどの痛み。
 まるで感触を楽しむかのように、グニグニムニムニと人の頬を抓って伸ばすのを継続しながら、聞き分けのない子供に釘を刺すようにシスターが命じてきた。

「いいですか? 明日明後日の連休は、ジロー君もしっかり休むこと。約束ですよ?」
「――――ふぁい……」

 言うことを聞かないと酷い目に遭わせるぞ、と語るような妙な迫力、もとい逆らい辛い微苦笑を浮かべて警告してくるシャークティ先生から目を逸らして、素直に縦方向へ首を振っておくことにした。
 情けないとか、根性なしと言われそうな気がしないでもないが…………何とでも言うがいいさ。
 機嫌を損ねて、後々までチクチクと嫌味や文句を言われるのは御免だし。

「……ん、いいでしょう。明日、明後日のお休みが楽しみですね?」
「あー、ハイ、そーですね」

 何故か歌いだしそうなぐらい上機嫌になったシャークティ先生に、ようやく解放された頬を擦りながら相鎚を打っておく。

「では、また」

 僅かに頬を染めて、実に軽やかな足取りで去っていくシャークティ先生の背中を見送った後、首を傾げて呟いた。

「明後日は、ココネも美空とお買い物に出かける予定ですので――――って、やけに嬉しそうだったなぁ」

 一人でゆったり過ごす休日というのは、それほどまでに楽しく、心踊るものらしい。
 まあ、シャークティ先生も色々と気苦労が多いだろうしなぁ。ココネ……は聞き分け言いから別として、美空の指導とか、何だかんだで迷惑かけている従者への注意とか……。

「――――やっぱり、ちゃんと休んだ方がいいか。アナザーマスターに休めって指導されるなんて、よっぽどだし」

 我ながら、現金というか調子がいいというかだが、シャークティ先生に警告された通り、明日からの連休はのんびり過ごすべきだと考えた。

「そうと決まれば、まずは学園長に釘を刺して、次に書類を片付けて――」

 本当に休む気があるのか、自分でも首を傾げたくなることを呟きつつ、俺はダカダカと足早に廊下を進むのであった――――






「――てな訳で、俺も連休を楽しむことになりました」
「そ、そうですか……」

 念のため、学園長に明日明後日は絶対に仕事を回さないでください、というか電話も念話もしてこないでください、存在も匂わせないでくださいと念を押して、食堂で日替わり定食――今日は鮭の粕漬けに根菜の味噌汁だった――に舌鼓を打った後、時間を潰すために立ち寄った図書室で遭遇した夕映ちゃんに、一応の報告をしておいた。
 朝、調子悪そうにしていたのを気に掛けていたらしく、顔を見た瞬間、

 ――疲れた時には、梅干のクエン酸が有効ですよ?

 と、梅干コーヒー牛乳を手渡されたので、それを丁重にお返しするついでに。

「まあ、連休って言っても……ゴロゴロするか、庭眺めてお茶飲むだけで終わりそうだけど」
「何かが激しく間違っているですよ。ジロー先生、まだ十代だったはずですよね?」

 俺の年齢が本当に十代なのか疑問を覚えたらしく、眉を顰めている夕映ちゃんに苦笑を返して、とりとめない雑談に戻るために話の種を蒔いてみる。

「夕映ちゃんは連休の予定って決まってる? 明日とか」
「え゛!? あ、いえ、いっ、いつもの通り図書館島の探検ですが……」
「へー、図書館島の探検。なるほど、そういう休みの過ごし方もあるのか」

 妙に忙しなく目を泳がせていることを不思議に思いながら、とりあえず参考にさせてもらうと告げて、一足先に図書室を出ることにした。あと五分もすれば、昼休み終了の鐘が鳴るだろうし。

「あ、あの、ジロー先生……!」
「あー、なるべく楽しい休日になるといいね」
「そ、そーですね!?」
「? じゃあ、お先に」

 何やら焦った感じに呼び止められたので、社交辞令的な意味合いを込めて言うと、夕映ちゃんはわたわたと手を振り回しながら、激しく頷いていた。
 あまりに意外なできごとに、頭の処理が追いついていないようだったが……はて?

「――――何かでっかい間違いを犯した気がするけど、それが何なのかわからん」

 昼ご飯を食べたことで眠気を受信して、五割増しに思考回路が鈍くなっていた俺は失念していたのだ。
 休日というのは、必ず一人で過ごさなければならないもの――――ではないという、誰に教えてもらうものでもない世間一般の常識を。
 もっとも――

「刹那は連休、何か予定あるか?」
「わ、私ですか!? あ、あの……剣道部の練習があった気もしますが、やっぱりすることがなくて、暇を持て余している気がします!!」
「どっちなのかよくわからんけど……まあ、連休は大いに楽しもうや」
「ハ、ハイッ!!」

 そのことを思い出して――――

「明日からの休みは、マスターと一緒に別荘に篭る予定です」
「いつもと変わらない気もするぞー?」
「姉達もいるので、比較的自由な時間ができると予想されます」
「そうなのか。じゃあ、別荘の中を散歩するのもいいかもな」
「――――そうですね、個人的なお勧めは古城見学コースかと」
「どこのツアーだよ……」
「楽しめること間違いなしと保証しておきます」

 色々と後悔するというか――――――

「連休こそ鍛錬するに打って付けの機会でござるよ」
「一日休むと、取り戻すのに三日かかる言うアル!」
「体力が有り余ってるんだな……いいなぁ、若いって」
「ジ、ジロー殿も十分に若いと思うでござるが……」
「たくさん体動かして、お腹一杯に食べるご飯は最高アル♪ ジローもそう思うアルネ?」
「あー、そうだな、休みでも少しは体を動かすべきか……」
「喜ばしい言葉でござる」
「稽古の後は超包子に行くアルよー♪」

 強制的に後悔させられてしまうのは――――――

「千雨は休み、何して過ごすんだ?」
「ハァッ!? い、いきなり変なこと聞いてくんなよ!」
「へ、変なことって……休日の予定を聞いただけなのですよ?」
「ま、まあ、どうしても聞きてぇなら教えてやらんでもないけど……」
「結局、教えてはくれるのか……」
「私はあれだ、部屋でパソコンでも見てダラダラ過ごす。ひ、暇潰しに覗くぐらいだけどな!」
「ほー、ネットサーフィンって奴か。意外と面白そうではあるけどなー……知らないサイトを見るの、少し怖くないか?」
「お前……いつの時代の人間だよ? まあ今更だけど――――そ、そうだ、気が向いたらよ、前に教えたサイトの板に顔出せよ」
「あー、『Tiu』って人がいるとこだったっけ? あの人、元気にしてるのかねぇ……」
「し、知るかよ、自分で見に行けばいいだろ!」
「それもそうか……まあ、気が向いたら覗いてみるか」

 二日間の休みという、極楽浄土で心身ともに癒して――――――――

「小太郎は休み、何をするつもりなんだ?」
「俺? そんなん当然、修業やで!!」
「相変わらずだなぁ……修業で肉体を鍛えるのもいいけど、たまには修行で心を豊かにするのも必要だと思うぞ」
「その修業と修行の違い、よーわからんのやけど……何して心を豊かにするん?」
「そうさねぇ、手っ取り早いのは遊ぶことだな。そうだ、那波さん達と遊園地に行くとかどうだ?」
「!! ゆ、遊園地か〜、子供っぽいトコはあんま好かんのやけど……たっ、たまにはええかもな! 修行やし、心を鍛えるためやしっ!」
「そうそう、張り詰めてばっかじゃなくて、息抜きも覚えないと」
「オウ! ヘヘッ、何や楽しみになってきたわ♪ ちょう、ちづ姉に弁当とか頼んでこよっと!」
「ほ、本気で走っていったな、尻尾と耳を振り乱して……。当日は那波さん達、苦労しそうだ」

 生まれ変わった心持ちで学園に行ってからなのだが……一応、未来のことになるので、今話すのは控えておくとしよう――――――――――






 連休初日、ジローが目を覚ましたのは、朝日が顔を覗かせ始めた寅の刻(四時〜六時)のことであった。

「…………予定だと、九時ぐらいまで寝るつもりだったのに」

 布団から這い出して壁に掛けた時計を睨み、寝癖のついた髪を手櫛で梳きながらぼやいた。
 気合を入れて休もうと、夜の十一時前に床へ就いたことが原因なのだろうか。
 欠伸を漏らしながら伸びをして、寝室――先日、ついに間借りしていた刹那や真名の部屋を出て、自分だけの城を入手したのだ――を出る。
 まだ薄暗い廊下を進んで洗面所に入り、しぶとく纏わりついていた眠気を洗い流す。
 洗面台の脇に置いてあるタオルで顔の水滴を拭い、人心地がついたと息を吐いた。

「さーって、どう過ごすかねぇ……」

 すっきり爽快とまではいかないが、程よく疲れが取れていることを確かめ、満足そうに頷いて洗面所を出る。
 ぼやきながら向かったのは台所である。今朝は普段よりもずっと遅い時間に起きるつもりで朝食の用意をしていなかったのだが、それが災いしたようだ。
 クルル、と切なげに鳴き始めた腹の虫に口をへの字に結んで、ジローはやや機嫌を損ねた足取りで冷蔵庫へ向かう。

「まあ、何はさて置き、まずは朝ご飯だな」

 野菜室に詰め込んでいる米櫃から、軽量カップで手早く三合の米を取ってボールに移す。
 米を炊く場合、前日に洗って冷蔵庫などでしっかり吸水させた方が美味しく、かつ綺麗に炊けるのだが、お腹が空いていれば問題ない。
 ザーッ、と勢いよく米の入ったボールに水を満たし、軽く混ぜた後、すぐに水を捨てる。
 昔は米を研ぐの表現通り、力を込めてザクザクとかき混ぜたものだが、昨今の精米技術のお陰で糠というのは粗方、除去されているので、むしろ力は入れない方がよい。
 シャッ、シャッと数回ボールの中の米を掻き回し、もう一度、蛇口から水を流し込んで、すぐに白濁した水を捨てる。
 そして三度目の米研ぎ、というより米擦りを行ったところで、今度は流し込んだ水を全て捨てずに、三合の米を炊くのに丁度よさそうな量を残した。
 これも精米技術の進歩に理由があり、米の旨味まで抜けてしまうことを防ぐための処置である。

「これなら前の晩に米、用意しておくんだったなぁ……ホイ、炊飯スタート」

 食器棚とは別に置いた、スチール製の棚に乗せた炊飯器の釜にボールの米を移して、好みの硬さに炊き上げるために少量の水を足して炊飯開始。
 炊飯器の蓋に超印が付いているのが不安をそそるが、事故の報告例はないということで購入した、最近流行のIH炊飯器の銀色ボディーが「任せておくネ、最高に美味い米を炊いてやるヨ」と言うように、眉を顰めたジローの顔を映していた。
 米が炊けるまで約三十分。その間におかずを用意しなければならない。
 寝巻きのまま腕捲りして、ジローは冷蔵庫の中から適当に材料を取り出した。
 台所の側にあるテーブルに並んだのは、味噌に豆腐、胡瓜に卵。その横には、前日に作ったおかずの残りの、油揚げと菜っ葉の煮物と金時豆の煮物がある。

「あー……面倒だし、これでいいや」

 魚の干物をどうするか、と暫し腕を組んで冷蔵庫の扉を睨んだ後、朝食のおかずはテーブルに並べたもので十分だと判断し、さっそく調理に取り掛かる。
 調理といっても、手のかかるおかずは前日の残り。ご飯が炊けるまでにするのは、味噌汁作りと胡瓜を塩もみする程度だが、と一人苦笑する。
 片手鍋に水を張って、流しの下に入れている昆布をポイッ、と放り込んで火に掛けて他の作業へ。
 まな板の上で数回胡瓜を転がして苦味を抜いた後、一掴みした塩を振りかけて板擦りに。軽く緑色の水が出てきたところで、胡瓜に付いた塩を拭って置いておく。
 豆腐を切って、米を洗うのに使ったボールに放り込んだところで、小さな泡が付き始めた昆布を鍋から引き上げ、豆腐に被せた。
 これはおばあちゃんの知恵袋的な調理法ではなく、ただ出汁を取るのに使った昆布を捨てるのが勿体無いという、ややケチっぽい考えからだ。

「細切りにして味噌汁に放り込むとしよう。さて、味噌味噌、味噌〜っと」

 沸騰しかけの鍋のお湯を見て、鰹の出汁も取った方がいいかと思いながら、やはり面倒という理由で味噌を溶いてしまう辺り、一人暮らしの男っぽさが滲み出ている。
 味噌を溶き終えて、ポポイと乱雑に切った豆腐を鍋に投入し、煮立つ寸前で火を止めて蓋をしたジローは、もうやることがなくなってしまった、と鼻を鳴らすように嘆息した。

「フゥ…………ご飯が炊けるまで縁側で新聞よも」

 小さく呟き、下駄を突っ掛けて新聞を取りに玄関を開けた。
 新聞入れを設置しているのは表門の脇なので、少し歩かなくてはならない。
 春から秋の間は問題ないのだが、冬は少しだけ億劫な気分になるだろう。カラコロと下駄の歯を鳴らして歩きながら、緩い眼差しで空を見上げて思った。
 早いもので、起きた時はまだ薄暗かった空は、すでに朝日に照らされて涼しげな青に染まっている。
 パカッと快晴、眺めているだけで気分良くなれそうな朝の色だ。

「ん、んんん〜〜〜〜〜〜ッ、決めた! 今日は一日、家でゴロゴロする」

 新聞受けに入っていた新聞片手に、伸び上がるように全身を反らしてジローは決心した。
 そうと決まれば、さっさと家に戻って鍵をかけてしまおう。
 昨日から携帯を電池が切れた状態で放置しているが、充電は明日の晩にでもすればよいのだ。

 ――わざわざ休日に、個人使用の携帯に電話を掛けてくる物好きもいないだろう。

 何の根拠もなくそんな断言をできる人間は、麻帆良広しと言えども彼ぐらいのものに違いない。
 目を覚ました時と一転、軽くなった足取りで玄関に戻ったジローは躊躇うことなく扉に鍵をかけて、ご飯が炊けるまでの時間を潰すために縁側へ向かうのだった――――






 丼ご飯に豆腐と刻み昆布の味噌汁、油揚げと菜っ葉の煮物に金時豆の煮物、そして塩もみ胡瓜に生卵。
 質素なのか、昨今の朝食事情と比べれば贅沢なのか、今一つ判断しづらい食事――生卵は当然、卵かけご飯に使用した――を終えたジローは、手早く食器を片付けて歯を磨き、次に始めたのは家の掃除。
 洗濯については前夜の内に済ませてあるので、そちらについては問題ない。

「何だかんだで、すぐに埃が積もるんだよなー……。まあ、週一でするのがやっとだから、仕方がないっちゃないけど」

 ブツクサと愚痴を溢しながら、家の隅から隅を綺麗にしてゆく。
 埃のことを、親の敵と言わんばかりに執拗なまでに拭きとっていく姿は、どこからどう見ても熟練の主婦、いや、将来のアットホーム・ダディーだ。

「ああ、面倒くさい、面倒くさい。だからサクッと終わらせましょう、っと」

 近年は家事炊事のできない、主婦と名乗るのもおこがましい人が増えていると聞くが、このようなものは格段意識しなくても覚えられるものだろう、と取り留めないことをつらつら思考しながら、廊下の水拭きと乾拭きまで終えて、

「――――よしっ」

 額の汗を袖で拭い、満足したようにジローは頷いた。
 一体何が「――――よしっ」なのか、懇切丁寧に説明を乞いたくなる呟きを漏らした頃には、時計の長針と短針は昼餉時を指していたりする。
 昼飯はどうしよう、と掃除道具を片付けて普段着に着替えた彼は、縁側から庭へ出て空を仰ぎつつ、こう言った。

「朝、多めに食べたし、日暮れまでは持つだろ。昼は軽く、お茶漬けで済ますとしよう」

 そうと決まれば、話は早い。身を翻して縁側から家に戻り、台所へ直行する。
 炊飯器に残しておいた冷ご飯に熱いほうじ茶をかけ、即席の胡瓜の漬物で掻き込むという、質素且つ適当な昼食を終えてしまう。
 それまでの所要時間、十分に届くか届かないか。昼時のサラリーマンも驚きの早さだが、昼食の内容が内容なので、それが妥当な気もしないではない。

「プゥ……よくよく考えると、お茶漬けってインスタントな上に和製のファストフードだな。健康を考えると、控えめにした方がいいな、うん」

 食事後の歯磨きを終えて軽く口をゆすいだ後、食事バランスが崩れているかもと不安になるのはいいが、自分と同じ年頃の者が好むのは、ハンバーガーやホットドッグといったもので、それらと比べればむしろ遥かに優秀であろう。
 その辺りについて一度真剣に考えさせるために、手頃な若者を連れてきて、お互いの食生活などについて徹底的に比較論争させるべきなのか――

「さって……阿呆みたいに積んである本を読むか。まず『わんこ倶楽部』と『どうせ買うならこの一振り!』を読んで、その後、息抜きに『月間庭ニュース』……」

 最も、今更この青年にそのような事を指摘しても無駄だろうことは、同年代と趣味の位相を異とする積み本のチョイスからも知れよう。
 この呟きに続く昼下がりの時間の流れは、あらゆる意味で八房ジローという青年のズレを証明するものでしかないので、ダイジェスト風に流させていただきたい――――






「ふーん……最近は新しく作られた犬種が流行なのかぁ、何だか複雑な気分だ。雑種と何が違うんだろうか? なあ、ヌイ……」

 毎月発行される、犬に関する情報が網羅された雑誌を読みつつ、今は亡き愛犬――雑種・生没年齢不詳――に語りかけること一時間。





「ハアァァァ〜……こう、見た目に優美な刀もいいけど……保昌一門とか、波平一門の作刀も捨てがたいなぁ。あぁー、もう! 何でここに掲載される刀は、どれもこれも有名所を微妙に外しながら、こうも魅力的な一品を……!!」

 同じく毎月発行され、どれだけ忙しくとも、麻帆良と地軸を挟んで点対称な場所に飛ばされようとも、必ず購入して隅から隅まで読み込む刀の専門雑誌を、座布団を枕にして縁側に転がりながら読み耽ること三時間。





「――――やっぱり置石とか松は必須だよなぁ……でも、手入れとかしないと駄目か。いくら麻帆良でも、害虫の予防は必要だろうし……」

 田舎の民家や古い屋敷の趣ある庭を紹介する、世にも珍しい庭専門の月刊誌片手に、自宅の庭をうろつくこと一時間。





「っと、もうこんな時間か。そろそろ夕飯の材料を買いに行くか」

 たった三冊しか積み本を消化できなかった割に、顔をツヤツヤさせてお茶を飲み終えて、ようやく日が傾いていることに気付いて商店街へ。
 ちなみに、これが本日の最初で最後の外出である。
 しかし、買い物に出かけたはいいが、家の冷蔵庫に魚の干物があることを思い出し、また朝作った味噌汁も残っているので、たまたま目に付いた豆腐屋で豆腐とがんもどき、油揚げ、厚揚げを購入してさっさと帰ろうとする。
 普通、休日の夕飯ともなると、いつもより贅沢なものをと考えて精肉店や鮮魚店を覗くものだが、

 ――作るの自分、食べるの自分、片付けるのも自分と来たら、できるだけ手間のかからないものがいいさね。生肉とか鮮魚って、捌いたり調理したりで洗い物が増えるんよ。

 と、その辺りのことについて聞いた生徒などに平然と答えるのが、彼が彼たる所以だ。まさに八房ジロークオリティー。

「最近、豆腐ばっか食べてるような……まあいいか。美味しいし、体に悪いこともないだろうし」

 ずっしり重い豆腐類の入った袋片手に、ジローは完全に日が暮れる前に家に戻ろうとする。
 だが、

「あらー、ジローちゃん! 今日は一人でお買い物?」
「いつも一緒のシスターさんはどうしたの?」
「あら、変ね。よく一緒にお買い物してるの、ジュースパックを持った……パッと見、小学生みたいな女の子だと思ってたけど」
「やっだー、またなのー? この間は耳に派手なアクセサリー付けた子と、鬼のような強さでタイムセールスを制覇してたのにー!」

 出かける直前の電話や、予定がある時に限ってやってくる来客と同種の妨害者が、帰路を急ぐ彼の前に姿を現す。

「あー、そういう言い方されると、俺が常日頃から異性と一緒に行動しているように聞こえるので、できればやめてほしいのですが? というか、あなた達いつもこの時間帯に出没しますよね。ご家族の夕飯の準備は済んだんですか? 井上さんに横山さん、飯田さん、小川さん」
「オホホッ、私達主婦歴十何年の人間からすれば、夕飯の準備なんて十五分あれば事足りるのよ♪ そんなことより、前から聞いてた本命について聞かせてちょうだいな!」
「私はもう済ませてきたから、帰ってレンジでチン! するだけ。というわけで、ささっ、私達にあることないこと話してみなさい!」
「ああ、ウチの人は今日遅いから、私は外で済ますことにしたの。旦那は……大丈夫、カップラーメンの買い置きがあるから♪」
「今日も自炊? まーったく、『せっちゃん♪ふぁんクラブ』なんて言ってるうちの子と同い年だなんて信じられないわねー。ジローちゃんの三分の一……十分の一でも似てくれれば、ウチのもマシになりそうなのに」
「後半の二人、色々と酷いですね!?」

 夕方、買い物に出かけた時は必ずと言っていいほど遭遇する、近所の主婦四天王の方々に捕まって、世間話の種にされたり、そこから咲いた世にも不思議な花――ようするに、根も葉もない噂話だ――を見せられ聞かされで、一時間近く立ち話に付き合わされて、内心帰宅が遅くなると渋い顔になるジロー。
 律儀にそれに付き合っているからだろう、という声が聞こえなくもないが、主婦の方々と親しくなると、そうした屋外コミュニケーションは半ば義務になるのだ。仕方がないと諦めるしかない。

「それじゃ、またねー! ああ、もうこんな時間、やれ急げや急げ」
「大根は上が甘くて、下に進むほど辛くなるから気をつけるのよー」
「やーだー、もう、横山さんったら! 下が辛いだなんて、年頃の男の子に言うもんじゃないわー」
「あっはっは! 飯田さんったら、それを言うなら辛いじゃなくて苦いでしょ?」
「こらこらー、二人とも駄目ですって。十代の心は繊細なんだから、ソッチ方面は触れずに、そっとしておいてあげるもんですよ。私だって気まずいんですから、何せあの子ったら部屋で毎晩――――」
「あんたらは公の場で何、下ネタに走ってやがりますか!? つーか、さり気なく息子のプライバシー侵害してませんか、小川さん!?」
『アッハッハッハッハ――――!!』
「うわ、迅ぇ……。あー、くそ、あの人達のせいで絶対によからぬ噂が広まってる」

 野菜のお裾分けをしてもらって別れ際、おばちゃんお約束の下ネタを振られて、商店街の人々に生温かい視線を送られつつ、トボトボと帰宅を再開する青年の背中には、燻された色の哀愁が漂っていたりする。





「今日の晩御飯は、白米に豆腐の味噌汁、厚揚げがんもと大根の煮物に焼き魚〜」

 お裾分け野菜を使っておかずを一品増やして、朝と同じく一人慎ましやかに胃の腑へ晩御飯を納めた後、

「ふぃ〜…………ガブハッ!? ゲホッ、ゲホ!! あ、危なかった……」

 風呂にて居眠りして溺れかけつつ、体を芯まで温め。

「っよ、っと……ふぅ――」

 風呂上りの習慣になっている柔軟で全身を解したジローは、自室に戻って壁に掛けてある時計を見た。
 時刻は夜の九時を過ぎたところ。
 連休初日ということで、テレビでは映画など面白い番組が流れているだろうし、普段はできない徹夜でゲームなどに挑戦する人も多いはずである。
 折角の連休初日の夜、さて自分はどうすると考えながら、既にジローは寝床を整えていたりする。

「…………いつもなら、まだ鍛錬だお仕事だー、で這いずり回ってる気がしないでもない」

 布団を敷き終えて腕を組み、部屋を見渡した彼の目に入り込んだのは、床の上に放置している電池の切れた私用携帯電話と、机の隅にデンと鎮座するパソコン。

 ――メールのチェックと、ネットの板を覗くぐらいはした方がいいのだろうか?

 それらを暫しの間、ジッと眺めた結果、小さくため息をついてジローは言った。

「――いいや、やっぱり携帯は明日の晩に充電しよう。パソコンは……明日、覚えていたらやりましょう、ってことで」

 言うが早いか、電気を消して布団に潜り込んでしまう。
 これが後に自身へ最大級の不幸をもたらすと気付けなかったのは、連休という甘美なる言葉に彼の危険感知能力、所謂虫の知らせを発する虫が、気持ちよく酔い潰れていたからに違いない。

「おやすみー……」

 そうして、自称使い魔の青年はあっさりと眠りの世界へ落ちていく。
 翌朝、意外すぎる人物の襲撃によって、凄まじく爽やかでない目覚めを味わう羽目になるとも知らずに――――






 連休二日目。時刻は朝の五時になるかならないか。
 辺りはまだ薄闇に包まれていて、お世辞にも朝とは呼べない暗さだ。
 そんな状況の中で、ジローは眠たそうな三白眼で外に突っ立っていた。

「――――で? 何考えて、こんな時間に家のチャイムを連打したんですか、あなたは」
「お前なら、もう起きていてもおかしくないと思ったんだがな……」

 玄関から少し離れた場所にある門の柱に設置してある呼び鈴を、朝の早くから某名人ばりに十六連打していた人物をジト目で睨み、ジローが呻くように問い質す。

「むしろ、起こす気満々で押してるように感じましたよ……?」
「そんな気はなかったんだがな」

 返ってきたのは煙草の煙と一緒に吐き出された、どこまでもマイペースで独り言にも聞こえる声。

「まあ、あと三十分もしたら勝手に起きてたでしょうから、別にいいんですけど……何なんですか、その格好?」
「何と聞かれてもな。ただの標準装備だが」

 常人なら引いてしまう恨みがましい視線をサラリと受け流し、指でサングラスを押し上げて話すのは、普段はサングラスに黒服、ラウンド髭が渋いと評判の神多羅木という男だ。
 ネギや高畑と同じく魔法先生をしていて、実力では麻帆良の上位に立っており、ジローも魔法先生のイロハについて何度も指導してもらった。
 それはさて置き、本気なのか冗談なのか区別がつかないジョークをよく口にして、激昂した葛葉刀子女史をさらに怒らせたりする、別の意味で兵の一面を持っている彼が、何故このような時間に家を訪ねてきたのか。
 普段の黒スーツではなく、モスグリーンのチノパンに赤と黒のチェックのシャツ、その上に袖なしのベストを着込み、フライ用の釣竿片手に佇んでいる神多羅木を訝しげに観察して、ジローは首を傾げた。
 どこからどう見ても釣り人の格好で、洒落にならないほど様になっているのは認めるが、この格好で家に来るのは間違っているのではないか。
 本気で訳がわからず眉を顰めているジローに、神多羅木はフッとシニカルに口元を緩めて、サングラス越しに目を光らせて告げた。

「早く着替えるんだ、ジロー。釣りへ行くぞ」
「は?」
「ふとした流れで、男の魔法先生達で釣りに行こうという話になってな。一日、何もせずに過ごすよりはマシだろうと、こうして誘いに来たわけだ」
「…………………………寝なおしてきていいですか?」

 もしかして釣りが好きなのだろうか。
 糸目の状態で、妙な感じに上機嫌になっている神多羅木の話を聞き終えたジローは、そう告げて玄関に向かおうとして、

「ああ、言い忘れていたが六時にお前の家へ集合だから、もう少しすれば他の連中もやって来るぞ」
「って、それ最初っから俺の参加意思関係ないでしょーが!?」

 煙草を吹かしながら平然と語る神多羅木に、朝一の突っ込みを入れるために全力で振り返ることとなる。

「ハァ…………もういいです、どうぞ上がってください」
「悪いな」
「絶対に悪いとか思ってないでしょ……?」
「そんなことはない。ああ、お前の分の道具は瀬流彦かガンドルフィーニ辺りが持ってくるだろうから、心配しなくていいぞ」
「結局、俺の参加は揺るぎないんですね」

 この人、色んな意味で最強だ。
 神多羅木を連れて玄関へ向かいながら、ジローはそんなことを思いつつ、出発前に軽くお腹へ入れるものを作ろうと考えるのだった――――






 その後、時間通りに集合した魔法先生達と共に訪れた湖の釣りポイント――神多羅木曰く穴場中の穴場で、魔法関係者しか知らない場所とのことだったが、後日、周囲を探索して人払いの結界を発見し、頭痛を覚えてしまったのはジローだけの秘密である――にて行われた、釣りバカ日誌IN麻帆良の様子を手短に記す。
 何故、詳細を書かないのかというと、釣りの様子を書き始めると終わりが見えなくなったりすることの他に、名前を伏せられたままの方がいたりするからなのだが……これは舞台裏の話として、心に秘めておいてほしい。
 釣り開始一時間後――

「華がないというか、代わり映えしない顔ぶれですね……」
「明石の奴は、娘と買い物という理由でドタキャンしたがな」
「ここの魚は食べられるのかなー」
「ドーナツを食べながら食べ物の話をしなくても……」
「むぅ、釣れん……」
「今日こそ四十センチオーバーを釣って、息子達に写真を見せてやらねば」

 釣り開始二時間後――――

「いい場所ですねー……周りの景色もいいし、意外と静かだし」
「お前の周りがうるさいのは、色々と自業自得な気もするがな」
「でも、最近は落ち着いてきた感じだよね。結局今はどういう状態なんだい? もしかして、誰かに手を付けちゃったり――」
「ちょ、直球で聞くのは駄目ですよ、弐集院先生! 中には生徒もいるんですよ!?」
「同僚が刺されるのを見るのは忍びないな」
「大体だね、君がハッキリした態度を示さないから――」
「あれ……? 何故かみんなに非難されてる……」
「そういうところが原因だと、お前はそろそろ気付くべきだぞ?」
「この様子じゃ、あまり進展はないみたいだねー。チョコバー食べるかい?」
「う、うーん……幸せなこと、なのかな……」
「事件が起こらないことだけを祈ろう」
「いい加減、君も身を固めたまえ。そうすれば、今の浮ついた状況も改善――――い、いや、まだ年齢的に認められなかったか。うっかり失念していたよ」
『――――ああ、そういえば』
「…………イジメですか? これってイジメですよね!?」

 釣り開始三時間後――――――

「…………みんな調子悪いですね」
「珍しいことにな」
「こういう日もあるよ」
「うーん、少しお腹が空いてきたかな」
「それを本気で言っているなら、私は驚くしかない」
「な、何が悪いんだ……? ここまで釣れないのは始めてだ……」

 釣り開始四時間後――――――――

「そろそろ昼時ですね。どうします? 俺、何か買ってきましょうか」
「そうだな、適当に買ってきてくれるか。なるたけ腹に溜まるものだぞ、大食漢が一人いるからな」
「あ、じゃあ、僕も一緒に買いに行きますね。ジロー君だけだと、荷物が多いでしょうし」
「悪いねー、二人とも。ハンバーガーがあったりすると嬉しいかな」
「私は……お握りとお茶を頼む」
「ああ、私は妻が弁当を用意してくれているから――――な、なんだね?」
「聞きました? サラッと愛妻弁当発言しましたよ、あの人」
「フッ、自分は幸せ者だと自慢したいんだろう。生温かく見守ってやれ」
「あー、何だか胸にズキッと来ましたよ……。羨ましいな〜」
「僕は今日、みんなとご飯を食べるからって言って、お弁当断ってきちゃったんだよねー」
「すみません、弐集院先生。気を遣わせてしまったようで……」
「な、なんだね、みんなして!! 私だけが悪者なのか!?」

 釣り開始七時間後――――――――――

「…………さすがにダレてきましたね」
「あまりにも釣れなくて、逆に楽しくもあるがな」
「そ、それは変じゃないですか……?」
「何故釣れないんだ……場所か? それとも仕掛けか?」
「駄目だよ、ガンドルフィーニ君。道具や場所のせいにしちゃ」
「弘法筆を選ばず、ですな」

 そして、釣り開始から十一時間後――――――――――――釣りバカ達は、魔法関係者の常連が多い居酒屋で管を巻いていた。

「だから、俺は別にそーいうつもりで接してる気はなくてですね……」
「ホホウ、その割りに色々な話が耳に入ってくるんだがな。といっても、主な情報源はココネなんだが」
「君がいつまで経ってもそうだから、関係が複雑になっていくのだろう!? そろそろ覚悟を決めるなどしてだね――――!」
「っていうか、今何について議論してるんですか!?」
「まあまあ、ガンドルフィーニ先生、こういうのは難しい問題ですし。やっぱり、ジロー君が気付くまで見守る方向で――――あっ、すみませーん、追加の注文お願いしま〜す」

 陽気なざわめきに満たされた店内――団体客用の個室だが――で、異質な印象を与える釣り人スタイルの集団が、ジョッキやグラス片手にやいのやいのと騒いでいる姿は、何というかとても楽しげである。
 その中に一人いるはずの十代の青年が、毛ほどの違和感も感じさせずに溶け込んでいることを考慮してもだ。

「もーぐもぐ、もぐもぐ、ゴックン」
「普通に言葉を使ってくれませんか、弐集院先生……」
「――若い時の火遊びも経験しておくべきだよ、と仰っている」
「わかるんですか!? さっきの咀嚼音の意味!!」
「細かいことに驚いてちゃいけないよ? だって僕達、魔法使いなんだし。さあ、そろそろ歌にいこうか!」
「瀬流彦、実はお前酔ってるな……」

 顔を赤くして、フラフラと小さく頭を揺らしている狐顔の後輩に呆れたように呟いて、神多羅木がジョッキを傾ける中、部屋に設置されたカラオケマシーンからテンポの速いイントロが流れ出す。

「飛んでって〜♪」
「無駄に上手いし……って、ガンドルフィーニ先生? どうしたんですか、泣きそうな顔でマイク握って」
「…………ウゥオォォォッ! 私の歌を聞いてくれェェェェェッ!!」
「相変わらず潰れるのが早いねー、ガンドルフィーニ君」
「潰れるの方向が違う気がするんですけど……ああ、毎度のことかー」
「普段からカリカリしてるからな。こういう場所でしか、羽目を外せないんだろう」

 結局、坊主で湖を去った足で居酒屋に直行した魔法先生達の、飲めや歌えやの宴会は混沌の体を極めていき、

「――――――――うぷはぁ……楽しかったけど、やたら疲れたぞ……」

 千鳥足になったジローが家に戻れたのは、釣りが始まってから十五時間を過ぎた頃――午後十時を回ってからのことだった。
 玄関の上がり框に前のめりに倒れこみ、ウンウンと唸りながら靴を脱ぎ捨てて、呪いのビデオに登場する女の幽霊みたく廊下を這い進む。

「ホント、人の迷惑を考えないで飲ませるからなぁ……。俺以上に飲んでも、向こうは二日酔いにならないし……不公平だ」

 昨日、掃除しておいてよかったと考えながら、台所まで這いずったジローは流し台に縋るようにして体を起こし、コップに注いだ水を立て続けに二杯飲んで一息ついた。

「まあ、楽しかったからいいんだけどさ。こんなに羽を伸ばしたのも久しぶりだし」

 流しにコップを置き、グッと伸びをして笑った。
 どう過ごせばいいのかと悩みながら始まった連休だが、思ったよりも有意義に過ごすことができた、と自画自賛するように頷く。
 これならば、しっかり休むよう釘を刺してきたアナザーマスターであるシャークティに文句を言われることもないし、休日の過ごし方を参考にさせてもらった少女達にも顔向けができよう。
 安堵したように大きく息を吐いて、ジローは俯き加減に呟いた。

「よし、明日からまた適当に頑張るか」

 やる気がないようにも聞こえる台詞を吐いて、明日の準備をするために部屋へ向かう彼は知らなかった。

「携帯の充電始めてから風呂に入ろうっと」

 次の日の朝、充電を終えた携帯電話に残された、

『――――――――小太郎君、ずーっと待ってるんですけど……ウフフ♪ スッポカシですか?』

 という、中学生らしからぬ色香を醸し出す少女の身の毛もよだつ質問や、

『………………ジローのバカ、甲斐性ナシ』

 公私共に親しくしている、見習い魔法使い兼シスターな少女の囁くような罵倒に加え、目を剥いてしまうほどの着信履歴を見て、不安に駆られながら学園に赴かなければならないことを――――






 連休明け早々学園で行われる、八房青年に対する理不尽ばかりとは言えない責めについて書くのは割愛するが、その内容を連想できるかもしれない会話を残すのは、最低限の義務ではないかと思われる。
 故に、ここに一つの場面を取り上げておいた。

「あー……目、真っ赤だな」
「ソーダナ」
「…………パソコンも控え目にしないと、目ぇ悪くするぞ?」
「誰のせいだと思ってる!? 紛らわしいこと言ってんじゃねえよ!!」
「――――千雨もか……。何で会う人会う人、みんなして怒ってるかなー」
「てめぇが怒らせてんだろーーーーーが!?」
「俺、休日を楽しんだだけなのですが……?」

 どっとはらい――――






後書き?) なんていうか、凄まじく書きにくかった。
 会話を多くして無理矢理にでも進めないと、永久に話が終わらないような気持ちにさせられましたよ、ええ。
 シスターのイベント話と比べて動きが悪すぎかと思いますが、アンケートの題材にあった「ジローの休日」な話です。
 釣りの参加者は、神多羅木先生に瀬流彦先生、ガンドルフィーニ先生、弐集院先生に加え、原作でまだ名前出ていないスキンヘッドにサングラスを掛けた、MI〇みたいな魔法先生です。
 個人的な印象で、神多羅木先生は釣りが好きそうなのですが……変ですか?

 こうした話でも、少しは楽しめたと言ってもらえるなら嬉しいのですが……。
 こ、これからも木陰の庵をよろしくお願いいたします!
 話を書く意欲の源の感想、アドバイス、指摘お待ちしております。

〈続く?〉

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