――――――春の香りがした。





 明るい日の光が白いカーテンを透かして、保健室を明るく彩る。





 消毒薬の匂いに混ざって、日に当てられた春草と花の香りが風と共に運ばれてきた。

 その柔らかな風が、寝ている佐々木まき絵の顔をくすぐる。





 柔らかな寝息をたてて眠る彼女を、桜とネカネさんは診察していた。

 彼女達は知らない、獏に佐々木まき絵が襲われたということを。

 桜の魔術特性の為に、この怪異が起きた事を。


 
 そして、………俺はそれを話す気はない。




 彼女達は平和に暮らせばいい。 

 平和に生きる彼女達、3−Aの子達と共に。幸せに生きて欲しい。

 

 そして今頃、その3ーAの皆は身体測定をしている事だろう。

 階が違うここまで、彼女達の喧騒が聞こえてくるようだ。


 

 その喧騒を聞きながら、俺は昨夜の事を思い出していた………。








  遠い雨   20話








 碧い月が冴え冴えと光を放ち。冷たく切る風が夜桜を散らせる。

 




 その月光と夜桜を切り裂く一閃。

 バケモノを守ろうと黒い鏃の前に立ち塞がるのは、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。


 
 ―――――真祖の吸血鬼。




 散る夜桜に、彩られた黒い閃光。

 その魔弾が穿つ目標は、殺すべき『獏』

 この学園にとって、現在危険なモノ。



 にもかかわらず、奴は。

 エヴァンジェリンは俺の射線に立った。




 あと、僅か数瞬でエヴァンジェリンと共に獏を砕く“赤原猟犬――――フルンディング”

 その一撃は、エヴァンジェリンを切り裂き。

 後にいる、奴。獏を殺すことも可能だろう。




 だが。

 桜と『自己強制証文』をエヴァンジェリンはしている。

 故に、殺せない。

 今、エヴァンジェリンを殺せば。

 桜にどんな影響がでるか解らない。



 
 故に、殺すわけにはいかない。





 ――――ドクン。 






 心臓の鼓動があがる。

 魔術回路を叩き起こし、奴等を穿つ宝具を睨む。





 どうすればいい。

 エヴァンジェリンに傷を負わせるわけにはいかない。
 




 “ブロークンファンタズム――――壊れた幻想”

 宝具を爆破させて、エヴァンジェリンに与えるであろう衝撃を逃がす。




 ―――――却下。



 この距離。もう僅か数十メートルの距離で爆発させれば、佐々木まき絵まで巻き込む可能性がある。

 それに、僅かでもエヴァンジェリンが傷つけば。


 

 ………桜に何が起こるか解らない。

  

 俺自身の手で桜を傷つける。そんな事は許されない。

 俺はもう2度と、桜を殺そうなんてしない。思わない。





 では、新たな宝具を投影して、“赤原猟犬――――フルンディング”を壊す。



 


 ――――却下。




 三十秒以上かけて籠めた魔力。 

 強化した肉体。



 これらから放たれた魔弾を壊すには、それ以上の時間が必要。

 後、数瞬で奴等に届く魔弾。



 僅か数瞬でアレを超える魔力と魔弾を投影して放つなど、俺には不可能。


 

 ならば、宝具“赤原猟犬――――フルンディング”この狙いを外す。

 奴等に当てない方向に逃がす。

 


 ――――論外。




 射撃の常識。 



 数百メートル先の的を射抜く狙撃手でも、覆せない定理。

 一度放たれた矢は標的を変えられない。

 どんな幼い子供ですら知っている、簡単な常識。



 いかに必中の道具を持っていようと、この法則は変えられない。
 







 だが、奴なら。

 奴、赤い弓兵なら矢を撃ち終わった直後。

 魔力を充填した必殺の一撃ですら、標的を変えられるかもしれない。

 

 正義を貫き、弓の英霊になった奴なら。



 
 ………そして、俺にそんな能力はない。

 狙い定めた標的、【当たる】と確信した矢は外れない。外せない。


 
 
 正義を貫く事ができなかった俺には、そんな能力はない。

 それが俺の限界。






 狙った獲物を撃つ。

 その直後に、目標を変えるなど俺には過ぎた技術。

 ありえない絵空事。

 

 ならば、―――――新たな条理を覆す。





 限界まで籠められた魔力。

 奴等2人を貫くには十分な魔弾。


 





 …………だが、



 奴、エヴァンジェリンは防御の姿勢すらとらず。

 嘲るように、その魔弾を見ている。

 当たるはずがない、殺せるはずがない。

 そう、まるでこちらを見透かすように。

 


 そして、俺は。




 エヴァンジェリンの目前に迫る魔弾を睨む。





 俺が出来ることは唯一つ。
 


 剣製のみ。

 幻想を結び、剣と成す。それが衛宮士郎に許された唯一つの業。


 
 
 魔術回路に火をともす。

 奴から受け継いだ、唯一の呪文。





 ――――I am the bone of my sword.

              
 
 体は剣でできている。

 だから、耐えられないはずがない。 
 


 できることは間違いがない。

 できないはずがない。


 問題は………間に合うかどうかという事だけ。


 

 あと数瞬で、エヴァンジェリンを貫く魔弾。

 その状態でも、奴は動かない。

 あくまで、後のバケモノを守ろうとしている。



 刻がとまる。

 刹那の空白。神経に魔力が疾走し、暴走する。




 イメージする必要などない。

 むしろ、イメージなど必要ない。



 
 「――――つぅ!」


 
 恐怖と緊張で、目が焼ける。

 怖い。



 なにより、自分自身の手で桜を殺めるかもしれないという恐怖が俺を責め立てる。

 



 ―――――30メートル。


 

 
  
 息が荒い、ヒュウヒュウという風切り音が喉からもれる。



 難しい筈がない。



 不可能なはずがない。



 もとよりこの身は剣製に特化した魔術回路。

 幻想を結び剣と成す。それのみが俺にできること。


 

 ―――――20メートル。



 
 ならば、逆も真なり。


 
 剣となった幻想を、元の幻想に戻す事も可能。

 問題は距離。

 

 黒い魔弾はもう、エヴァンジェリンのすぐ近く。




 ―――――10メートル。



 
 そして、宝具“赤原猟犬――――フルンディング”に30秒以上かけて籠めた魔力。

 それら全てを、幻想にかえす。


 だから問題は時間だけ。

 

 「投影≪トレース≫―――――」




 ―――――5メートル。




 魔術回路の撃鉄を上げる。

 普段とは逆の手法。





 投影した宝具のイメージをずらし。

 イメージを意図的にずらして現実との矛盾を広げ。

 幻想を現実に負けさせることにより剣を消失させる。






 「―――――――――棄却≪オフ≫」





 幻想を剣と成したのは俺自身。

 ならば、消すのも俺自身。


 

 衛宮士郎にとって敵とは、常に自分自身。

 ゆえに、自分自身の幻想に負けるわけにはいかない。





 ―――――パリィィィィン。




 魔剣は貫く事は無く。

 幻想である剣は光の藻屑となり、エヴァンジェリンの目前でガラスのように砕け散った。




 
 幻想を膨らませる【壊れた幻想】と違い、コレなら衝撃はこない。



 だが、



 「っ――――くぅ………!」



 普段とは違う魔術回路の暴走に、体の節々が痛む。

 自分の手元にあるならともかく。

 

 魔力を充填した宝具。

 それが高速で飛行している最中に消す。
 


 この神業をおこなうには、俺の魔術回路は貧弱だったようだ。



 全身の血が逆流し、喉を塞ぐ。



 

 その血を飲み下し、前方のエヴァンジェリンを睨む。

 


 ――――なぜだ。なぜ奴は逃げなかった。




 俺の能力に気がついてるのか。 

 ならば、奴は何時それを知った。





 ………だが、今はそれすらどうでもいい。




 問題は、奴。

 学園を危機に陥れる、獏を殺せなかったこと。 
 
  
 
 
 



 ――――ギリッ!





 歯を噛み締め、弓手を握り締める。

 ズキリと痺れるような痛みが、心地いい。

 今はこの痛みがないと、冷静になれない。

 

 ………もう一度、狙うべきだろうか。獏のことを。

 だが、またエヴァンジェリンが邪魔をすれば。

 

 エヴァンジェリンを避けて『獏』だけ殺す。

 そんな離れ業は俺には無理だ。

 


 エヴァンジェリンが避けようとしているならともかく、自分から当たりにきているのだ。

 エヴァンジェリンをかわし、獏だけを殺す魔弾。

 そんなものは俺は知らない。

 故に、投影できない。



 

 エヴァンジェリンを傷つけるコトで、桜に危険が及ぶのでは意味が無い。

 

 だとするなら………。



 


 ◆






 冷たかった闇に。柔らかな光が灯った。



 
 それは、当たり前の光。

 先程まで感じなかった、柔らかい月光。

 それを顔に感じていた。



 

 それで、先程まで月光すら霞む黒い殺気が消えたコトに気がついた。

 周囲を全て凍りつかせ、逆巻き。

 圧倒的な質量でこの身を砕くはずの魔弾と共に放たれた殺気。 
 



 その私の身を貫くはずの黒い魔弾は、なぜか光の霧となって消えた。

 エヴァが何かしたんだろうか?

 だが、魔法を使った形跡はなく。

   
 彼女も、動かないままだった。



 
 生命の危機が去り、淡い月光の下。
 
 お互いの姿を見比べた。 




 暗い道に人影は無く、碧い月光は2人を明るく照らす。

 そこにいるヒトツは、醜く変わった一匹の妖怪。

 かつて弱い陰陽師だった私。



 もう一人は碧い月光に縁取られ、桜舞う風に金髪を靡かせる吸血鬼。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。


 
 ………真祖の吸血鬼。

 神々しい程に美しいその姿。


 

 あまりにも対照的な2人。




 一人はこの世のモノと思えないほど醜く。

 そして、一人はこの世のモノと思えないほど美しかった。



 「どうした? 偽善者」

 


 金に縁取られた吸血鬼の言葉に、醜い獣になった私は答えられない。

 答える術を持たない。




 出会うならせめて、昔の姿で会いたかった。

 姿が醜く変わり、呪いに蝕まれた姿で。

 君に会いたくなど無かった。

 

 それが、偽らざる気持ち。

 だが、





 「―――――何をしている。そんな体になってもしたい事があるんだろう」 



 
 静かに、蔑むように――――――慈しむように。

 吸血鬼の少女は言葉を紡いだ。





 「早く行け、奴は私を攻撃できん。今なら奴が攻撃しようと盾にぐらいなってやれる」
 
 「…………」





 その言葉に息を呑み、獣は少女を見上げる。




 そう。しなければならない事があった。

 夢で見たあの景色。

 そして、彼らの思い。

 紺青の鬼にされた、亡者の思い。


 
 なにより、望まない殺人を犯さなければならない。………君が見えたから。





 だから、………しなければならないことがあった。





 バケモノとなった『獏』は、少女に頭を下げ立ち去ろうとした。

 だが、その背中に、






 「―――――最後まで続ける気なのか?」





 少女は小さく問いかけた。
 

 バケモノになった、彼は。少女に返せる言葉は無い。

 彼に。何も出来ない無能な男に話せることはない。

 



 彼はただ―――――夢に見た景色、それを現実にしようとするだけ。




 それしかできない、無能な男。

 誰にも話せない、話してはいけない。未来の景色。

 未来を変えようとすること。
 
 ソレ自体が罪。

 
 
 定まった未来を変えようとすれば、未来がより混沌となる。

 夢で見た未来は、天命。
 
 誰にも変えられない、未来。

 それでも、彼は動く。
  

 
 夢で見た景色を、―――――現実にするために。




 
 



 エヴァンジェリンは衛宮士郎がいるであろう方向に目を向け。

 振り返ることもなく言葉を続けた。



 

 「わかっているだろうな………このまま続ければ。宮崎のどかから、妖気を吸収したあと」


  
                    ―――――貴様は殺されるのだということを。






 言外にこめられたメッセージを読み取りながら。

 バケモノになった青年はニッコリ笑う。




 「なら、なぜ………」

 

 ―――――ココで殺さないんですか。


 
 

 エヴァンジェリンはバケモノに最後まで言わせず、言葉を重ねた。

 


 「面倒はごめんだ。始末するなら一度に終わらせたいだけだ」






 そうココで【獏】を殺せば、宮崎のどかを救うのは遅れてしまう。
 
 ならばここで【獏】を見逃し、宮崎のどかから妖気を吸い取ったあと。






 ―――――貴様を殺したほうが、手間は少ない。







 だから、生きていたいなら。

 このまま逃げろと。



 これ以上、体を酷使すれば。

 【獏】である貴様を殺さなければならない。

 妖気に汚染された、貴様を救う術はない。

 そのまま、学園の驚異となるのなら。

 殺すのが、私の仕事。





 だが、今なら。今なら逃げられる。  




 そう言わずとも解るであろうメッセージを。

 

 聞こえているであろう【声】に。彼は何も言わず、去っていった。



 誰より臆病で弱いモノ。

 今の状態を、誰より。…………恐れているはずのバケモノ。 




 バケモノになった青年は、何も言わず。

 ただ、静かに去っていった。




 夢で見た、あの景色を―――――現実にするために。







 
 ◇





 獏が去った後も、エヴァンジェリンはその場を動く事は無かった。



 薄暗い桜通り、そこに月光を反射させ少女は立っていた。

 その長い金糸の髪をより煌びやかに、薄い桜色の花弁が飾り立てる。





 「遅かったな」

 


 そこにいるのは、先程まで【獏】を殺そうとしていた衛宮士郎。

 その目は冷たい殺気を放っている。

 

 言葉を交わさずともわかる。

 彼が聞きたいことは、一つだけ。



 「なぜ逃がした? ―――――そう聞きたいのか」  
 
 「…………」

 「そうだな、では逆に問おう。なぜ奴を殺そうとした? 衛宮士郎」




 

 ◆

 




 「そうだな、では逆に問おう。なぜ奴を殺そうとした? 衛宮士郎」


 
 エヴァンジェリンの言葉に、俺はすぐさま反応した。



 「奴は学園に害をもたらす」




 そう、ソレが理由。

 奴が何をしようとかまわない。

 だが、奴は妖気に身を焼かれ。何時、身体がはじけてもおかしくない。 



 その妖気は必ず学園を危機に陥れる。




 

 「最初に言ったはずだ。佐々木まき絵、そして宮崎のどか。この2人から奴が妖気を吸い取ったら」




 ――――――殺す、と。


 

 「それで、間に合わなかったらどうする」

 「間に合うさ、奴なら」

 「なにを―――――」

 「言っただろう、あの馬鹿はそういう奴だと」


 
 語気を荒くする衛宮士郎に、エヴァンジェリンは語る。

 その姿はまるで慈母のように優しく………冷たかった。



 
 「………貴様の考えに根拠があるのか」

 

 間違いが無いのか。もし、助ける以外の目的が奴にあったらどうするのかと。

 奴が、学園に害意がないと言い切れるのかと。

 間に合ったとしても、宮崎のどかから妖気を吸い取った瞬間に身体が弾けて。



 
 学園に妖気が蔓延したらどうなるのかと。



 奴の身体が最後まで持つ可能性はあるのかと。






 「さてな………。だが、あの馬鹿のことだ。何か考えがあるんだろう」

 「ならば、その馬鹿の考えを聞かせろ。なぜこんな意味がないことを続ける?」



  
 そう。意味など無い。

 限界まで人を助けても、その行為で周囲がより危険になるのであれば。





 もう、自分は去り。

 他の人間に任せればいい。



 


 前の世界から逃げ出した俺のように。

 周りに迷惑をかけることを恐れ、理想を貫けなかった俺達のように。

 前の世界を見捨てて、この世界に来た俺のように。




 自分の行動が、周囲を危険にさらすなら。

 そのまま消えるのも、………受け入れなければならない。





 幸い、宮崎のどかの体内に具現化した妖気の総量は少ない。

 学園の魔法使いでも、対処可能だ。




 自分の身を危険にさらし、周りも危険にさらす。

 それはもっとも、愚かな選択。
 
 ここまで他人を救うことができたなら。

 引き際もわきまえなくては意味がない。

 


 その愚かな選択をした男の考えが、解るのなら。



 

 「―――――知らんよ。馬鹿の考えなど」

 「なにを………」

 「あの馬鹿の考えなど読めん。ただ、終わってみれば………【ああ、なるほどあの馬鹿らしい】と、思うだけだ」


  

 

 
 清々しげに言い放ちながら背を向けるエヴァンジェリンに、苛立ちを強める。

 そんな根拠の無い思い込みで、学園を危険に晒すのかと。
 
 


 だが、今となっては意味が無い。

 此処で、エヴァンジェリンを殺すなど不可能。

 桜に、契約である『自己強制証文』がかけられている以上。

 エヴァンジェリンを殺すことで、桜にどんな悪影響があるか解らない。




 そして、学園長にこのことを報告する事も意味が無い。

 もう逃げ出した【獏】を追いかけることは不可能であるし。
 
 そもそも、学園長は【獏】を殺したくない。

 殺すことを邪魔されたと訴えても、意味が無い。





 「―――――衛宮士郎、聞きたい事がある」 



 
 
 少し、考えこんでいると。

 いつの間にか、こちらを向いたエヴァンジェリンが言葉を紡いだ。




 「貴様は、解呪の専門家だそうだな。ならば―――――」

 「無理だな」



 エヴァンジェリンに言葉を続けさせず、斬って捨てる。

 言いたい事は解る。確かに“破戒すべき全ての符【ルールブレイカー】”なら契約した魔術。



 吸収した妖気を【獏】から切り離す事は可能かもしれない。

 桜からアンリマユを切り離したように。




 だが、それでは意味が無い。

 妖気を切り離した場合、それは学園を穢す。

 黒い聖杯から桜を開放したときも、アンリマユは残ったままだった。




 故に、解呪などすれば。

 せっかく【獏】の体内にある妖気を拡散する事になる。

 それでは、意味がない。




 “破戒すべき全ての符【ルールブレイカー】”はあくまで魔術を破戒するだけの宝具。

 残った妖気を消し去る能力はない。





 
 そして【獏】を助けるということは、学園を危機に陥れるということ。

 だからこそ、学園の関係者でない【獏】に“破戒すべき全ての符【ルールブレイカー】”を使うわけにはいかない。
 



 「そうか――――すまんな。忘れてくれ」
 


 
 その言葉を最後に、エヴァンジェリンは去っていった。

 愁いを帯びた瞳を、霞が如く散る花弁に隠し。

 もう話すことは無い、と。背中で語りながら。





 ◆






 昨夜のコトを思い出していると、ドタバタと走る音が外から聞こえた。

 静かに、と注意しようとすると。



 ネギ君と身体測定をしているはずの3ーAの生徒たちが、保健室に入ってきた。


 

 「し、士郎さん。まき絵さんが倒れたって聞いて………」

 「しー。静かに」



 ネギ君と3−Aの生徒達を静かにさせてから説明する。
 
 【獏】に襲われたなど話せないため、あくまで表向きの理由。

 貧血で倒れたと説明して教室に帰した。


 

 皆、心配そうにしていたが。

 今は桜とネカネさんに検査してもらうのが、一番安全だ。

 だが魔法を使っているのを、見られるわけにはいかない。 


 
 そして、皆が帰った後。

 改めて結界を張りなおして、桜達は呪文を詠唱し始めた。






 ◆






 桜とネカネさんの治療を見ながら、不思議に思う。

 昨夜、奴。



 エヴァンジェリンはなぜ、奴を助けようとしなかったのか? と。

 奴の前にでて盾になるくらいなら。

 もっと簡単に助ける方法がある。



 なぜ気がつかない。

 いや、気がついてるのに、知らないフリをしてるのか?




 
 奴の妖気を解呪する。

 桜を救った宝具“破戒すべき全ての符【ルールブレイカー】”


 


 これは生徒達の体内にある、魔術契約ではないモノ。

 具現化した妖気には使えない。

 生徒の体内に具現化した妖気は魔術や魔法が使われたわけではない。

 故に使えない可能性がある。


 それに一か八かの賭けで、生徒の生死を決めるわけにはいかなかった。







 だが。獏は【吸収】という、魔術契約に近い行動をとった。

 だから妖気を取り除ける可能性はある。



 身体はボロボロになり、限界は近い。それは確かだ。



 だが、今なら。

 佐々木まき絵の妖気を吸い取っただけなら。

 身体がまだ無事なら。



 
 ………助けることができる。
 





 問題は、奴から妖気が拡散すること。

 妖気の拡散。これが学園を穢す。






 ならば、答えは簡単。


 

 ………学園外で解呪すればいい。





 学園の結界外なら、穢れが学園に蔓延することは無い。

 まだ、身体が限界でないのなら。

 

 学園外で身体から妖気を解呪。

 それから、宮崎のどかを救えばいい。


 


 奴は元々、身体に大量の妖気を具現化したものから順番に吸収していた。

 故に、宮崎のどかの体内に残っている妖気は学園でもっとも微量だ。

 学園の浄化が終わったら、数人の魔法使いで治せる程度の妖気しか具現化していない。




 つまり、宮崎のどかは2,3日治療が遅れても命に別状は無い。

 そう、奴【獏】が妖気を吸収する必要など無い。




 にもかかわらず、エヴァンジェリンは奴を救おうともせず見逃しただけ。

 奴、【獏】も一緒だ。

 



 自分が助かり、宮崎のどかも救える方法があるというのに。

 気がついてるはずなのに。

 

 
 ………。なぜ、無謀な事をする?



 そんな、意味が無い事を。

 なぜ続けるのだろうか。






 

 ◇



 士郎が考え事をしている間も、桜とネカネは術の行使と身体の検査を続けていた。

 そこにいるのは、一人の少女。

 佐々木まき絵。

 バケモノが救った彼女の、命を繋ぐ為に。

 



 【――――――――nomikomu Schluck】

 【――――――――nomikomu Schluck】




 新たな命の息吹を、ココに籠める。

 そして、2人には視えないモノ。



 それが、桜には見えていた。


 

 以前より、いっそう姿が希薄になった子供。

 いつもと同じように、桜に訴え続ける。



 士郎が視えないのはまだ解る。

 士郎の魔力感知は低い。

 だが、ネカネさえ視えない子供。


 
 その子供が、桜に訴え続ける。





 ―――――――泣いているよ。苦しい苦しいと、泣いているよ。
 




 教えて。

 貴方が言いたい事が解らない。


   
 誰にも見えない、その子供。

 彼に、言葉は届かない。

 今は、ただ。目の前の少女を救わなければならない。




 だから問いかける事は許されない。




 桜にしか視えない子供。

 その子供に質問する事は許されない。


 誰を救えばいいのか。誰が泣いているのか。





 【――――――das Versiegeln von Gerat】

 【――――――das Versiegeln von Gerat】







 なぜ………私が助けなければならないのか。






 ―――――お願い、助けてあげて。兄様を。



 ―――――間違えないで、最初の選択を。






 呪文の詠唱が終わると、子供はいつもどおり消えていった。

 新たな言霊を、残して。











 ◇ 





 ――――――おかしい。




 士郎さん達は気がついていないんだろうか。

 まき絵さんからほんの少しだが、魔法の力を感じた。

 いや、魔力とか妖気といったほうがいいんだろうか。



 「ネギ君どうしたのー?」

 「あ、いえ。なんでもありません。早く教室に戻りましょう」
  


 皆さんに迷惑をかけるわけにはいかない。

 士郎さんは魔力感知が苦手だと言っていたし。

 あとで、相談してみよう。



 ネギは、後で話せばいいと思い。

 その場を後にした。 



 




 ◇






 ―――――夜。山肌に日は落ちて、地上に闇が満ちる時。


 

 月の光が闇を割って、屋敷の前に散る桜を儚げに映し出している。

 深緑の奥まった場所にある屋敷。

 花冷えのするこの季節、まだ肌寒い縁側で。

 吸血鬼の少女は仕事前、最後の茶を飲んでいた。





 
 「――――茶々丸」

 「はい、なんでしょうか?」



 台所から顔をだした彼女に、



 
 「今日からな………。お茶請けに金平糖はだすな」

 「――――はい」



 彼女が伝えたことは、あまりにも小さな一言。

 意味が解らずとも、忠実な下僕は彼女の言葉に従う。



 話はそれで終わりだと、彼女は湯呑みをおき。



 「――――そうだな、貴様も来い。奴が逃げた時、足止めをしろ」
  
 「解りました。………では準備を」


 

 そういって、茶々丸は下がっていった。

 エヴァンジェリンには、解っていた。

 奴、バケモノになった………アイツは。決して自分の言った事を聞かないということを。




 逃げずに、宮崎のどかの妖気を吸い取るために現れるということを。

 


 奴を、助ける方法はあった。

 学園外に連れ出し、そこで解呪すればいい。


 だが、自分には。

 登校地獄の呪いがかけられている。

 

 故に、誰かに奴を連れ出させなくてはならない。





 本当は、解呪の専門家である衛宮士郎にやらせようかと思っていた。

 だが、奴の解呪能力がどの程度か解らない。
 
 それに、敵対関係にあった私に協力してくれるだろうか?

 昨日はあっけなく断られた。




 他の魔法使いで、蝕まれた妖気を浄化できそうな人間。






 ―――――ジジイなら、できるだろうか。

 ジジイなら、獏になったアイツを救いたがっていたし。

 術のレベルからすれば、難しいだろうが不可能ではないはずだ。





 だが、問題は。

 奴がそれを了承しないであろう、ということだ。




 姿が変わっても、解る。

 あの目。鈍く光るあの眼差しは何かを決意した時のものだ。

 奴は、何か馬鹿な事を考えている。



 だが、何を考えているのか。



 奴が、生徒を救いたいのは解る。

 だが、自分の身を危険にさらして何の意味がある?




 それに。

 学園外に連れ出せば、奴の身体は治る可能性がある。



 妖気が具現化した生徒を外に連れ出せば、何が起こるか解らない。

 この学園に張られた結界、これが妖気を抑えている可能性がある。

 故に、簡単に外に連れ出せば。

 体内から妖気が爆発して、死ぬ可能性があった。  




 だが、昨日。

 奴は妖気の爆発、解放を制御した。

 元々、不浄なる妖怪。

 この学園がマイナスに働く事はあっても、プラスには働かないだろう。




 ならば、奴なら外に連れ出しても生きる可能性がある。

 なのに。なぜ助けを求めない。



 そして、なぜ私は。

 奴が助けを求めないと、確信できるのだ。
 
 

 




 考え事をしながら、奴がタカミチに渡したという金平糖を月光に透かす。

 あまりにも、小さな砂糖菓子。



 あの頃、とても高価だった砂糖菓子。 

 

 その小さな砂糖菓子が七色に光り、姿を変える。
 





 ………食べることができない。

 今では決して高価ではなくなった、小さな砂糖菓子を。

 今では、非常食の乾パンにオマケで入れられるようなものなのに。




 奴が生きていると知らない時は、簡単に食べるコトができたのに。

 奴が持ってきた、この菓子だけは食べられない。




 昔、吸血鬼になってまだ幼い頃。あんなに喜んで食べていたのに。

 奴に渡されて、食べていたのに。 




 それなのに。こんな小さな砂糖菓子を、食べられなくなっていた。



 



 「―――――マスター! 玄関にこんなものが」 
 
 「なんだ、騒々しい」

  



 めったに感情を表に出さない茶々丸が、いつもより少し大きな声で。

 そして、早足で私に近づいてきた。



 そして、その手には。



 

 ――――――いつか見た、金平糖が小さく彩られていた。







 <続>



感想は感想提示版にお願いしますm(__)m







◇幻想を現実に負けさせることにより剣は消失する。
投影の消し方は、このSSの独自設定です。


◇幻想を膨らませる【壊れた幻想】と違い、コレなら衝撃はこない。
くどいようですが、爆弾として使う壊れた幻想のメカニズムは解明されてません。
ですので、このように独自設定しました。


◇エヴァンジェリンは桜から魔力供給を受けているため、かなり不死に近いです。
そのため、ギリギリまで射撃をひきつけました。

◇弓手
弓を持つ手。左手の事をさします。

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