――――夢を見ていた。



 目を開けると、碧い月光が障子を透かし。まるで昼間のようだった。

 夜になって風が出てきたのだろう。

 遠く大気のうねる音と共に、庭の木がサヤサヤと葉ずれの音を響かせている。

 


 側に、いるべきの人の姿はなく。

 その姿を探す為に………。












     遠い雨  17話






 朝。台所で朝食の支度をしながら、昨日見た夢を思い出していた。

 (なんだったのだろうか? あの夢は)

 もう、昔の話であり。………そして、視点が違っていた。

 あの風景は俺が見ていたのではなく、桜がみていた筈の光景だ。


 未熟な魔術訓練をする、俺の姿。

 ソレを見ている、桜の視点。
 
 
 

 士郎はフライパンに火をかけたまま、昨夜の夢について考え込んでいた。



 それは、とてもなつかしく。

 そして―――どこか胸の痛くなる―――光景で。



 


 「――――士郎」

 「ん? なんだ、ライダー」

 考え事をしていると、ライダーが声をかけてきた。

 ライダーは笑いながら、俺の手元を指さす。

 その視線の先、自分の持っていたフライパンを何気なくみると。

 




 「――――――どわわわっ!!」

 焦げた卵焼きから、モクモクと煙が上がっている。

 「気がついてたんなら、早く言ってくれ!」

 「もう、すでに炭化していますね。私はたべませんよ」

 「俺が食べるよ! 炭は体にいいんだ」 




 ちなみに嘘ではない。


 鶏卵の黄身だけをフライパンなどで根気よく炒ってつくる卵油は、健康食品として売られているほどだ。

 だが、ココまで一気に焦がすのではなく。

 あくまで丁寧に、根気よく炒ってつくるからこそ体にいいのであり。

 
 ……ここまで焦がしては、もはやまったく使えないのである。  






 「それは初耳です。それにしても珍しいですね、料理だけは得意な士郎が」



 

 ……む。なんだかひっかかる言い方だが、とりあえず聞き流す。

 フライパンにこびりついた卵を、自分の皿にこすり落とすと。


 

 「なんだか、夢見が悪くてな」

 げっそりと、呟きながら手元をみる。

 まったく、朝からなれない考え事などするものじゃない。

 「………夢、ですか」

 「いや、別にいいんだけど」

 内容が内容だけに、話すのはためらわれる。

 それより、


 

 「桜はまだ寝てるのか?」

 「ええ、最近の訓練は相当厳しいらしく、ぐっすりと」

 

 
 龍宮との訓練が厳しいのか、桜はよく寝坊するようになった。

 今までが頑張りすぎだったのだ、少しくらい休んでもバチは当たらないだろう。

 俺も稽古こそ禁じられているが、普段の行動はできるようになったのだし。




 「それで、士郎。食事の準備中に申し訳ないのですが」

 「んっ、いいよ。なんだ?」



 食事の準備中に、ライダーが台所に来る事は少ない。

 桜に内緒の話でもあるのだろうか。


 

 「図書館島以降、刹那が稽古をしようとしつこく誘ってくるのです。正直、私は手加減が苦手なので断ったのですが」

 「――――ああ、そ、……そうなんだ」


 
 桜咲はあの事件以来、ライダーを目の仇にしているからなぁ。

 俺のことを仲間と思っているのか、護るべき仲間を危険にあわせた事を怒っているのか。

 多分両方なのだろう。



 誤解は解かなくてはならないのだが、俺自身もライダーの考えを聞いていない。

 ライダーが言いたくないなら、それでいいのだが。

 せめて、桜咲にだけでも説明して欲しい。

 だが、ライダーにその気はないようだ。

 

 ―――――士郎にすら話さない事を、他人に話す気はありません。 


 
 こう言われては、何もいえない。



 

 「ですが、何度断ろうとしつこく誘ってくるのです。この前は『真剣で立ち合って欲しい』と言われました」

 「―――っぶ!? ライダー、それは」

 「勿論。断りましたが」

 「あ………ああ、そ、そうだよな」

 

 ほっとした。そんな事になったら、俺はどうすればいいいのか。

 ライダーと戦う教え子、………そんなものは見たくない。





 ………いや、少し見たい気もするが。

 



 確かに興味深いし。

 “氣”の防御が“魔眼”相手にどこまで有効なのか見てみたいし、

 “魔眼”無しでも、ライダーのスピードに桜咲がついていけるか?

 林の中なら、多角的に動けるライダーが有利だし。

 逆に開けた場所なら、空を飛べる桜咲のほうが有利だろうか?

 まさか、稽古で“天馬”を召喚するわけにはいかないだろうし………。


 

 ………やばい、本当に見たくなってきた。――――ここは、ライダーに。




 「ですが、まだしつこく誘ってくるのです。………率直にいってアレは【敵】とみなしていいのでしょうか?」

 「否、断じてみなしてはいけない」




 ――――シークタイムゼロセカンド。



 脊髄反射で却下しました。



 それは、さすがにダメです。

 学園どころか、関東魔法協会と神鳴流両方を敵にまわすことになりかねません。


 
 ライダー………。そんな驚いたような顔で見ないでくれ。

 そんな事で、教え子を危険に晒せないんだ。

 それにどっちが勝つにせよ、被害は間違いなく俺に来る。
 
 双方生き残れたとしても、負けたほうが俺でウサ晴らしをするとみた。





 ライダーは忍耐強いようで、敵味方の判別に容赦がないからなぁ。

 コイツは敵、この人は味方と判別するのが異常に早いのだ。

 もし、桜咲を敵とみなしたら大変なことになる。


 

 「ハァ………解りました。ではこれからも何とか逃げ続けます」 

 「ああ。最悪、霊体化してもいいから逃げてくれ。………人がいないとこならOKだから」   

  

 この学園なら、人に見られても目に見えないスピードで移動した。と言っても信じそうだし。

 本気で逃げるライダーには追いつけないだろう。




 ………後にこの判断を後悔するコトになるとは、このときはまったく思っていなかった。



 

 「了解しました。ところで、盛り付けは手伝わなくてもよろしいのですか?」

 「んっ、大丈夫。もうすぐ桜も来るだろうし、2人でやってしまうから」





 気持ちは嬉しいが、ライダーに食器を任せるのは正直怖い。

 不器用ではないのだが、力の入れ加減を間違えてしまう事があるのだ。

 サーヴァントにとって、現代の食器は繊細すぎるらしい。

 食器ブレイカーなる称号を、陰で囁かれていたりもする。

 勿論、口に出したら“俺が”壊されそうなので、何も言わないが。





 「なるほど、私はお邪魔でしたね」
 
 「――――あ、いや。そういうわけじゃ」

 「冗談です、では向こうでおまちしてます」



 
 慌ててフォローに入ろうとする俺を、

 からかうような笑みを浮かべながら、ライダーは去っていく。

 その大人な笑顔に、少し悔しいと思いながらも。

 かっこいいなあ、と見惚れてしまった。

 





 いや、こんな様子を桜がみたら大変だからな。
 
 
 
 焦げた卵焼きだけじゃ寂しいし、新しい卵焼きとおかずを作らねば。と、思ったとき。




 ――――――ダダダダダダ。



 廊下を走る音と共に、




 
 「士郎さん、ライダーさん!」

 「ネカネさん。おはようございます、桜は一緒じゃないんですか?」

 「あ、おはようございます………じゃなくて。桜さんが大変なんです」

 「――――桜が!?」

 「ええ、というか。また夢で思い出したらしくて」

 


 『夢で思い出す』

 この言葉に反応したのは、ライダーだった。

 ブルブルというより、ガタガタと震えだす。

 ああ、やっぱり怖いんだ。




 「えっと、ネカネさん。それって」 
 
 「はい、またかなり怒っているようです」  

 「士郎、ネカネ。私は急用を思い出しました、朝食は結構で……「あら、どこにいくのかしら?」す!?」




 ライダーが逃げようとした瞬間を、捕らえる黒い影。
 
 龍宮との訓練は相当きびしいのだろう。

 不意打ちとはいえ、ライダーを簡単に捕まえる桜さん。10年の恋も冷めるくらい恐いです。




 「ライダー。どこにいこうと、し て る の か な?」

 「い、いえ。少し急用を思い出しまして」

 「そう。でもね、私も用があるの。一緒に………来てくれる?」

  



 凄い迫力の桜に、怯える俺とネカネさん。こういう時の桜は本当に怖い。  

 桜のプレッシャーに、ライダーはブルブル震えている。

 ライダーが俺に目で助けを求めるが、俺は黙って首を振った。

 ネカネさんは、ライダーと目をあわせないようにしてる。



 「し、士郎。ネカネ。裏切るのですか?」

 「―――な、なあ、桜? なにを怒ってる「先輩は黙っていてください!!」………スイマセン」



 ライダーがあまりにも哀れで止めに入ったが、キラリと光る眼光に負けた。

 ………すまん。ライダー、やはり俺にはとめられない。

 

 

 俺とネカネさんを恨めそうに見ながら、ライダーは引きずられていく。

 その、あまりにも哀れな様子に同情してしまった。



 


 発端は『夢』だった。

 サーヴァントと契約したマスターは、ごく稀に夢という形で英霊の記憶を僅かに見ることがある。

 その記憶という夢で、図書館島のことが桜にバレタ。

 ライダーの偽者が俺を襲うという、記憶をみた桜は怒ってライダーを問い詰めたのだが。

 ライダーはその時、何も話さずに桜の記憶を消去したのだ。

 

 それからも何回かソノ記憶を桜は思い出したが、ライダーはそのたびに消去したようだ。

 そして、今回もその夢を桜がみたのだ。






 今まで俺は桜の無くなった記憶を教えなかった。

 というか。俺とネカネさんはこの件に関してはかかわらない様にしている。





 まだ、命は惜しい。  

 ライダーがこの件に関しては、本気で魔眼を使いそうで怖い。

 それに、ライダーには何か考えがあるようだし。

 俺達に言う必要がないのなら、無理に聞き出したくない。

  



 今回も桜のオシオキの隙を見て、記憶を消去するのだろう。

 外では、ガヤガヤと騒がしくなってきている。

 最早、恒例行事だな。

 それにしても催眠術で記憶を無くした。といって信じる、ここの生徒って凄いと思う。

 しかもその後、誰も桜と鳴滝姉妹に【事実】を教えないというのも徹底している。

 さすが、お祭り大好き学園だ。

 魔法をみても、CGといえば信じる。というのを聞いた時は耳を疑ったが。

 このノリをみてると信じられそうだ。




 そして、外ではライダーに対する拷問が始まるようだ。

 ………まあ、あれを世間一般で拷問と呼べるのか、というとかなり疑問なのだが。





 「キャー、ライダーさーん!!!」

 「わーい。ライダーさんですー!!」


 

 窓から外を見ると。

 鳴滝姉妹の嬉しそうな声が聞こえ、木の上でくつろいでいる。

 桜に引きずられるように、ライダーは鳴滝姉妹がいる木の下に連れていかれた。 






 「「ライダーさーんー!!」」




 そしてライダーが木の下にきたと同時に、2人が頭上から叫びながらダイブ。

 翻るスカート。流れる髪。そして、落ちた先には………。





 石化したように動かないライダー。彼女はガタガタ震えながら鳴滝姉妹の攻撃にさらされている。


 そして、僅かな沈黙の後。



 「イ、イヤアアアアアア―――!!」


 
 世にも珍しい、ライダーの悲鳴が聞こえるのだ。

 うーむ。毎回思うのだが、記憶消去は完全に消えてないんじゃないか?

 最近の罰はあまりにも面白すぎる。

 危険もないし、実害は皆無だ。

 

 「さ、桜。お願いします。コレをとってください!!」

 「ああー非道い! 僕達が嫌いなんですかー?」

 「そうですー。仲良くしましょうよー!」

 「ああ、お願いします、――――ゃ、ひぃ………!」



 鳴滝姉妹は調子に乗って、ライダーにしがみついている。
 
 白い衣装に着替えて、嬉しそうにはしゃいでいる姿に。微笑ましいなあと、年寄りくさい感想をもってしまった。




 それよりも何が凄いって、あの衣装を毎回用意しているこのメンバーが凄い。

 桜に内緒で、毎回あの衣装を用意するのは、どんな人脈なんだろう?

 そして、………なんであの衣装を、最初に桜は用意したんだ? 




 それに、あのオシオキそんなに怖いのか?

 鳴滝姉妹がツインテールになって、白いヒラヒラの短いドレスを着て。



 
 ―――――木の上から、跳びかかるだけなんだが。

 

 むしろ、可愛らしいし。

 怖がる要素などないように思える。



 頭上から、双子の少女が飛び降りる。

 この行動を異常に恐れるライダー。さっきの大人の微笑が嘘のようだ。



 桜はなにか知っているようだが。

 ライダーには、まだ俺の知らない秘密があるのだろうか?





  




 ◆






 そう、衛宮士郎にはまだ知らないことがあった。


 コレよりしばらくは、遠い異国の物語。





 ゴルゴン三姉妹の末女、ギリシャ神話の女怪メドゥーサ。



 彼女には異説がある。

 形なき島、と呼ばれる異境。

 三つ子のグラスアイしか知らない、オケアヌスの彼方の島。

 そこには堕ちた女神が変じた、恐ろしいゴルゴンが棲むという。


 

 そこでメドゥーサがおこなっていた事は、人間との戦闘だけではない。




 形のない島では、彼女は………『家事全般』をこなしていたのだ。 


 例えば………『洗濯』

 姉達の衣服、フリルやリボンの多い高価な品々を丹念に手洗いし、河の流れで几帳面に濯ぐ。




 それ以外にも、姉達のために掃除に食事の世話と実に甲斐甲斐しく働いた。

 ある意味、士郎以上に一家のメイドとして働いていたのだ。



 だが。その働きは、姉の気まぐれには対応できなかった。

 なにかと無理難題を押しつける2人の姉は、それができないと。

 2人の女神はメドゥーサの血を吸い、罰としたのだ。  




 

 実は、………メドゥーサ、彼女の生前は2人の姉にいびられ、家事にこき使われていた。

 メドゥーサは2人の姉をとても愛していたが、同時に『恐れて』いた。




 2人の姉はとても可愛らしく、そして小さかった。

 対するライダーは女性としては身長が大きいため、そのことで姉にいつもからかわれていた。

 


 そして、炊事、洗濯などに失敗すると。

 ステンノとエウリュアレに高いところから飛びつかれて、躾と称して血を吸われていた。

 

 はたからみると、可愛い妹が姉に甘えているようにしか見えないのだが、

 小さくて可愛い2人の姉にコンプレックスがある、体の大きいメドゥーサは。

 2人の姉に上から飛びつかれ、血を吸われることを恐怖していた。




 それから、彼女は。

 小さな女の子に頭上から飛びつかれると、いびられていたころを思い出してしまい。

 非常に怖がってしまうのだ。



 怪物といわれたメドゥーサの意外な弱点である。

 
 

 そして契約を結んだ桜は、この光景を夢で見て知っていたのだ。

 ある意味、桜らしい平和な罰といえるだろうか。 






 ◆





 そろそろ、ライダーの悲鳴が聞こえなくなってきた。

 隙をみて、記憶の消去に成功したのだろう。

 
 

 ――――オシオキされる前に、術をかければいいのではないだろうか?

 以前そういった時、ネカネさんに笑われてしまった。

 曰く「女心が分かっていませんね」だそうだ。


 
 
 ネカネさんが言うには、ライダーは罰を受けたがっている。

 と、いう事らしい。

 それが、鳴滝姉妹から誰かを連想させるからなのか。

 それとも、従者として桜になにも言えないことに罪悪感を感じて、罰を受けたがっているのか。



 その理由は教えてくれなかった。

   
   
 両方なのかもしれない。

 俺にはわからないが、女性であるネカネさんにはよく解るらしい。

 

 それがきっと男と女の間に流れる深くて暗い河なのだろう。   

 


 ライダーが桜に対する罪悪感で、罰を甘んじて受けているのか。

 それとも、懐かしい誰かの面影を探しているのか。

 その理由は、聞かないでおくべきなのだろう。 






 だが、次の瞬間。

 緊迫したライダーの声が聞こえてきた。



 

 「サクラ!! どうしたのですか?」

 


 
 あわてて、外に出て桜の側に駆け寄ると。



 「あれ、どうしたんだろう私。なんかフラフラする」

 「サクラ、しっかりしてください」



 ライダーを見ると、どうやら桜に術をかけたようだ。

 鳴滝姉妹の記憶も消したのだろう。

 彼女達は、自分達がなぜこんな格好をしているのか不思議がっている。 





 だがそんなことより、桜の様子がおかしい。

 記憶が無くなっただけじゃなく、熱っぽい。

 

 これは―――



 


 ◇


 


 昨日の夢見が悪いかったのだろうか?

 少し、体が重く感じる。




 昨夜2つの夢をみた。

 一つはなぜか思いだせないが、もう一つの夢はよく覚えている。

 あの夜のこと。




 「サクラ? どうしたのですか」

 「ん、なんでもない。風邪でもひいたのかな? 少しふらついただけで、今は大丈夫だ………か、ら?」




 ―――――キュピーン。




 とばかりに、光る先輩とライダーの目。
 
 アッマズイ。余計な事を言ってしまった。




 「いえ、大したことないですし、大丈夫で………「ライダー、布団の用意を!!」先輩?」

 「はい、こちらに敷きますか?」

 「頼む。ネカネさん、桜を診てくれ」

 「は? 士郎さん、なに『早く』―――は、はい!」


 


 先輩は私を抱き上げた後、部屋に運んだ。

 こちらで何回か魔力の暴走をしたせいか、先輩とライダーは私の体調を凄く気づかってくれる。


 それは凄くありがたいことなんだが、




 「これは大げさだと思うんですけど………」  

 「サクラ!? なにか言いましたか」

 「い、いえ。なんでもないです」

 

 
 ネカネさんの診断で、単なる風邪ということが解った。

 体もそれほど熱っぽくないので、そのまま学校に行こう………と思ったのだが。

 先輩とライダーに寝かしつけられてしまった。

 

 これだから、迂闊に「体調が悪い」などと先輩にはいえない。

 今みたいに、おかゆだ、氷嚢だ、と大騒ぎで。

 ライダーは私の横で薬草を煎じてながら、医学書で症状を分析している。

 ありがたいのだが、正直少し大げさだと思う。

 ネカネさんも見てくれたし、問題ないのでは?




 でも、2人とも良かれと思ってしている事みたいだし。  
 




 はあ、仕方ない。

 今日は学校お休みかな。

 


 それにしても、………。

 もう一度、先輩をみる。

 あの夢のことを聞こうと思ったのだが、



 「――――どうした、桜?」

 


 視線に気がついて、先輩は顔をあげた。

 その瞳は、とても優しく私を心配している。

 だからこそ、聞けなかった。

 あのときの事。



 「いえ、何でもありません」


 
 先輩から目をそらして、昨夜みたもう一つの夢を思い返していた。






 ◇



 
 



 夢のなかで、真夜中に目が覚めた私は傍に先輩がいないことに気がついた。

 この頃の先輩は、まだ体が馴染んでいなくて。

 動くには、私達の介護が必要なはずなのに。



 「――――先輩?」

 

 首をかしげ、もう一度呟くように呼んでから記憶が鮮明になる。

 聖杯戦争の後。

 まだ、不安定な体の先輩は無理ができなかった。


 

 (何処に行ったんだろう?)



 不安になったのがその時の自分なのか、今の自分なのか。

 私には解らなかった。

 


 ただ、あの頃の先輩は生きる事に。

 なんの執着もないようにみえて。



 心配になって庭にでた私は、土蔵に光が灯っているのが見えて。

 そこに歩いていった。

  
 
 
 碧い月光はとても綺麗で。

 そして、とても悲しくて。

 

 (先輩)



 土蔵の中に、声をかけようとして息が詰まってしまった。



 (泣いてるんですか?)


 
 低い声は嗚咽のように聞こえて。

 


 ―――――投影、開始(トレース・オン)。 
 
  
  

 詠唱は、切ない響きで。

 なにかに、消されそうな。

 なにかに、謝罪し続けるような。

 


  
 ―――――投影、終了。



 
 その姿が、まるで泣いているようで。

 どうしてよいかわからずに、立ち尽くした。

 

 

 夢幻のような碧い光の中。

 震わせる肩も、すすり泣くような詠唱も。哀しく。






 その姿を見続けることしかできなかった。
 




 ◇




 あの夜が明けた、朝。

 不安になった私は。

 先輩に、今の生活に満足か聞いた。

  
 

 「ああ、満足だよ」




 なんでそんな事を聞くんだ?
 
 とばかりに先輩は、不思議そうな顔をしていた。

 
 
 先輩は自分がどんな危険な魔術訓練をしていたのか、気がついていなかった。
  

 

 その時みた、訓練。

 それはとても訓練とはいえなかった。
 
 体を痛め続ける、自傷行為にも似た馬鹿げた魔術鍛錬。


 だが、そんな事は知らないとばかりに。

 先輩は優しく笑う。

 その澄んだ笑顔に何もいえなかった。

 


 ―――――解ってしまったから。

 先輩は『涙』を流す事すら、自分自身に禁じたということが。

 犯した罪に対して、後悔も懺悔もできない。

 そんな資格はない、と誓った先輩の【想い】

 その【想い】を『剣』にしているのだと気がついたから。 

 




 「桜? どうした」  

 「あ。いえ、大丈夫です」  





 あの時の夢をみて、少し不安定になっていたようだ。
 
 私の視線に気がついた先輩が、不思議そうな顔でこちらを見ている。

 それがなぜ、あの時の顔に重なるのか。

 



 夢の話は先輩にはできない。

 先輩はきっと、なんでもないように笑うだろう。

 本心を隠して。



 ――――だから、話せない。




 
 「桜、おかゆができたぞ。今日はゆっくり休むんだぞ」 
 
 「はい。―――でも、大丈夫ですよ。熱も高くないですし」

 「馬鹿、風邪はひきはじめが肝心なんだ。ゆっくり休め」

 「………はい、はい。わかりました」

 「『はい』は一回。ほら喰ったら早く休め」   

 


 先輩の言葉に苦笑しながら、私はおかゆを食べた。

 あの『夢』の事は、胸にしまって。



 なぜ、今になってあの夢を見たのか。
 
 そんな理由を考えもせずに。

 今更、あの時の事をどう伝えればいいのか解らないから。

 だから、そっと胸にしまった。













 ―――――だが、それは大きな間違いだった。 



 後に、私達はこの夢を話し合わなかったことを後悔する。

 もしこの時、話し合っていれば。2人が『同じ視点』で夢をみるという異常に気がつき。


 後の災害は防げたかも知れないのだから。


 





 <続>



感想は感想提示板にお願いしますm(__)m




◆ごく稀に夢という形で英霊の記憶を僅かに見ることがある。
今の夢を見るかは、解りません。ですので独自設定ということで見えることにしました。




◆桜の記憶を消去
ホロウで士郎とイリヤの記憶を消去してます。なのでライダーは桜でも記憶の消去をできると思います。

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