夜空には冷たい月が浮かんでいた。
冷ややかな月光と、満天の星々から降り注がれる輝きを遮るものは雲一つない。
すでに市民は寝静まっている時刻。
人気の無い校舎をひたひたと歩く一人の女性が居た。
背が高く、髪は綾糸のように艶なる紫紺の色。
肌は雪肌の如く、上質の絹織物を髣髴とさせる。
飾り気のない眼鏡をかけても、その美貌は少しも損なわれる事はない。
もしこの場に、彼女に出会う人間がいれば。きっと羨望の眼差しを向けるだろう。
10人いれば10人振り返るであろう、美貌を持ったその人物は。
夜の学園長室に向かって歩いていた。
遠い雨5話
私と桜、それとネカネの3人は。
士郎とネギの二人をウェールズに残して、一足先に麻帆良学園に赴いていた。
それというのも、出立の日に。
士郎が魔法学校の校長から剣を鍛えて欲しいという依頼をされてしまったからだ。
それもこれが最後の依頼だということで、どうしても旅立つ前に作って欲しいと頼み込まれた。
日本刀を鍛えるのにかかる日数は玉鋼がある状態で最初の圧延工程、刃を研ぎ出し、鑢がけをして銘を打つまで約10〜12時間、
この後、研ぎ師に渡してきちんと刃を研いで貰い。
その後、柄や鍔を作ったり鞘を作ったりといった工程があるため。
相当数の日程がかかってしまう。
魔法の剣ならなおさらだ。
用意すべき、魔法薬、金属、宝石、水、いくら士郎が製作に及ぶ技術を模倣できるといっても。
製作にかかる時間ばかりは、変えようがない。
最低でも3日は遅れるとのことだ。
「―――――先輩が来るまで、待ちたい」
という桜の願いは、残念ながら聞き入れられる事はなく。
先に転入生として、ネカネと共に麻帆良学園に来る事になった。
そして私は表向き女子寮の寮長として、この学院に就職した。
明日には、士郎が到着してしまう。
彼のそして彼女の為にも、知られずに行動しなくては。
彼らには不確定な情報で悲しんで欲しくない。
あの魔法都市では無かった情報が。
ここ麻帆良の学園にある世界最大規模の図書館にならあるかもしれない。
霊体化して忍び込んでもいいが。
本を読んでる途中に見つかりでもしたら、余計な軋轢を生み桜や士郎に迷惑がかかる。
それだけは避けなくてはならない。
「――――よく来てくれたのう、ライダー君」
そういいながら、学園長はソファーをすすめてくれた。
私は使い魔だというのに。やはり、この街の魔法使いも私を人間扱いしてくれるようだ。
「いえ、こちらこそ夜分遅くにすいません」
ソファーに座る事を身振りで辞退させていただいて、見知らぬフードの男を見る。
「これは、挨拶が遅れました。私は、アルビレオ・イマと申します。ですがここでは、クウネル・サンダースとお呼びください」
「? わかりました。クウネル。私はライダーといいます」
不気味な男だ。
潜在的な魔力量もかなりのものですが、なによりその存在感が不気味に感じてしまう。
ですが、なぜ、不満そうな顔をしてるのでしょうか?
言われたとおりの名で、呼んだのですが。
「……………………もう少し、反応してくれてもいいと思うんですがね」
なにか聞こえた気がしますが、気のせいでしょう。
「―――――して、ライダー君。話とは何かな?」
「図書館島の最深部への閲覧許可をお願いに来ました」
『図書館島』
こちらの世界であったという2度の大戦。
その戦火で、貴重な書物が焼かれるのを防ぐために創られた世界最大規模の図書館。
だが増改築に伴い、その最深部には誰も辿り着けないといわれている。
そしてその最深部には。
歴史書、魔法書など、表に出せないものを保管する書庫があるとも言われている。
「ふむ、なぜ最深部に行きたいのか、その理由が聞きたいのう。それになぜ許可を取る必要があるのかね?
確か君は桜君の使い魔でゴーストライナーとよばれる、高位の存在と聞き及んでおる。
君なら図書館島の罠など、簡単に潜り抜けられるのではないのかな?」
「これから共に戦う仲間として出来るだけ無用のトラブルはおこしたくない、という事です」
できるから、何でもする。というわけにはいかない。
霊体化できるから、勝手に情報を盗むなどをすれば。
それが露呈したとき、どんなトラブルになるのか。
それにコレは桜にも、士郎にも黙っておきたい。
「こちらとしては、あまり見られたくないものもあるんじゃが。ちなみに調べたいものはどんな物かのう?」
「まずは歴史書。そしてマスターの魔法を伸ばす為の闇、もしくは影系の魔法書だけです」
「ふむ。魔法書はともかく、歴史書はのう………………」
やはりなにか闇の歴史があるのか? だとすれば、期待できる。
「よろしいのではないでしょうか?」
「クウネル君?」
「ライダーさんが、最深部の書を閲覧している時は私も一緒。という条件をつければよろしいのではないでしょうか」
「どういうことでしょうか? クウネル?」
「そのままですよ。私は貴方の監視役、といったところです」
「―――――交換条件はなんですか?」
いくら人がいいとはいえ、そこまで私の為になにかするとは思えない。
私の言葉に苦笑すると。
「貴方の半生、もしくは能力が欲しい。というのはどうでしょうか?」
「――――女性の過去を知りたいとは、随分無粋な人ですね。クウネル?」
「私の趣味なんですよ、人の半生を集めるのは。そして高位のゴーストライナーの半生、とても興味があります」
「私が嘘をいう、とは考えられないんでしょうか?」
「それは不可能です」
「私のアーティファクト、『イノチノシヘン』は1、特定人物の身体能力と外見的特長の再生。
2、半生の書を作成した時点での特定人物の全人格の完全再生。貴方の過去、能力を知る事ができます」
「なぜ、そんな事を教えるんですか? 何も言わずにそのカードの能力とやらを使えば良かったのでは?」
「それはできません。貴女と対面し、儀式をしなければならないので」
………私の承認が不可欠ということか。
断りたい、というのが本音だ。
自分の過去を誰かに明かしたいなどとは思わない。
だが、同時に。
私の存在は、元いた世界でも。こちらの世界でも。
どれだけ特殊な例なのかは解るつもりだ。
そしてこの地を守らねばならない、管理者にとって。少しでも情報を集めたいということも解る。
更に、僅かな時間とはいえ。
私と同じ能力を持つことが出来るなら、私に対抗することも可能だろう。
それに。
このことだけは、私にとって調べねばならないことなのだから。
だから、その申し出を断るコトができなかった。
◇
「ねえ、ライダー。英霊いえ、守護者って何だと思う?」
士郎の体を戻すのに四苦八苦していた頃、唐突にそんな事を凛は聞いてきた。
抑止の守護者、カウンターガーディアン。
人類の守護精霊であり、最高位の“人を守る力”。
滅びの要因を排除する殲滅兵器。
該当するのは英霊の中でも信仰の薄い者だとか、或いは世界と契約し力を得る代償として己の死後を売り渡した元英雄。
あの聖杯戦争のサーヴァントの中で守護者と言える者は“英霊エミヤ”のみ。
他は神性が高かったり星よりだったりといった理由から守護者として取り込まれずに済んだ。
「守護者………ですか?」
「うん、ライダーに聞くのも変だと思うけど、最近ちょっと思う事があってね」
「人の世を護るために『世界を滅ぼす要因』が発生した場合にのみ呼び出され、これを消滅させる殲滅兵器。
人間は自らの業によって滅ぶため、消滅させる『要因』とは人間です。
つまり呼び出された土地にいる全ての人間を殺すことで人間全体を救うモノ………でしょうか」
特に英霊エミヤ。
彼は目の前にいる人間を救うために、世界と契約した。
だが、同時に。より多くの人間を殺し続ける存在となった。
存在を世界に売り渡すことによって。
「じゃあ、世界に身を売り飛ばす、ってどうやるのかな? 世界がなんで、その人に契約を持ちかけるのかな?」
「――――――」
「私はこう思うの。世界が契約を持ちかける存在。自身の身を世界に売り飛ばすような人。守護者になるべき存在。
そういう人がおこなった事とは、本来、死ぬべき定めにある命を、救うということじゃないかって。
真実何を救ったか、どれだけ救ったかではなく。死ぬべき定めの命を救った事が、人を超えた存在。
世界が契約を持ちかける資格を持つ、英雄なんじゃないかしら。これはあいつの過去、抑止の守護者としてアーチャー、
いいえ英霊エミヤシロウ。その生涯を夢でみた、私の推論よ」
「………なるほど、つまり」
「ええ、士郎はひょっとしたら世界に契約を持ちかけられる存在かもしれない。桜と共に」
それは無意識のうちに、私が考えないようにしていたコトだった。
基本的に英霊とは、生前。英雄だった者達だ。
だが中には。本人にしてみれば普通に一生を終えたつもりでも周囲の人間がその生き様を神格化し、英霊となった者も居る。
そう、士郎にとって桜を救うということは普通のことだった。
だが『 』とつながり、英霊を染め上げるほど強力な魔力を持ち。
一つ間違えれば、この世界すら滅ぼしかねなかった桜を。士郎は救った。
世界が滅びる原因かもしれない『 』との接続。
この世全ての悪を“産み落とす”寸前だった桜。
彼女の存在を。無視できない世界はきっと桜を殺そうとする。
そして、最後には。抑止力が働き。
この冬木市全てが、滅んだかもしれない。
そう、あの時の桜を殺すためにはソレぐらいの力が必要だった。
その果てに、どれだけの犠牲が出たのか。
「あの戦争時、桜は死ぬ確率が高かった。あの言峰やイリヤが言ってたようにね。
そして、その死ぬ運命を変えた士郎。多くの人間を殺したコトにより、人々の恐怖の対象として反英霊化するはずだった桜。
桜がアンリマユを産み落とすことによって、死ぬべき多くの人を救ったモノ………それらを救った」
確かに、世界が契約を持ち掛けそうな人間達だ。
ただでさえ士郎は、英霊になった自分自身を知っている。
桜は私と同じだ。
他者の介入により体を作り変えられ、望まぬ殺人を強いられた。
他者から怪物にされたモノ。
だが2人とも、このまま名を知られず。
信仰が薄いままなら世界と契約しないかぎり、守護者にはならないだろう。
そしてこのまま士郎の体が安定して、平凡な日常に満ち足りていれば。
「…………そんな怖い顔しないで、あくまで仮説だし。謎を解きたいのは魔術師のどうしようもない性なんだから」
いつの間にか私は凛を睨んでいたようだ。
せっかく幸せになった桜に、これ以上辛いことなどさせたくない。
未だに、夜になるとうなされる毎日。
己の成した罪に。愛しい人と姉に。自分が何をしたのか。
己をいつも責めつづけている。
「それに。桜は世界と契約なんてしないだろうし。士郎は根本からして多分無理よ」
「士郎が?」
英霊エミヤという存在がいるのに?
あの英霊は士郎がいつか辿り着く道なのでは?
「―――――これも仮説なんだけど、世界は矛盾を嫌うわ。
英霊エミヤは、多くの人を救う為に戦った英霊よ。時には少数を殺して多くを救ったわ。
でも、士郎は違う。たった一人。桜を救う為に多くを見殺しにしたの。同じように本来死ぬべき定めにある命を救う。
ということをしながらも存在のあり方が反対なのよ。
確かに世界は、英霊や抑止の守護者を欲しているけど。わざわざ矛盾する同一の存在を、取り込もうとはしないはずよ」
そう、世界は矛盾を嫌う。
己の存在。それ自体を裏切ったモノ。
己を裏切ったものが己の行き着く先に行けるはずがない。
………いけるはずなどないのだ。
◇
学園長室から出た後。あの時の様子を思い出していた。
思い出すきっかけは、桜とネカネのじゃれあいだろうか?
あの様子に懐かしい衛宮家を思い出し。
同時に凛の冗談みたいな英霊の話を思い出してしまったのは。
だがそれは、この数年を振り返ってみると驚くほど奇妙な一致をみせた。
思えばおかしいと思う事は、いくつもあった。
弟子を廃人にすると恐れられた、宝石の翁。
彼が“救いではない”そういい残し、この世界に私達を飛ばした。
飛ばされた世界に、抑止の守護者という概念が存在しなかった。
まだ幼いネギが士郎に教えを乞い。戦い方を学びたいと願った。
そしてなにより、はじめて遭ったナギ・スプリングフィールド。彼の存在だ。
あの存在感、英霊とほぼ互角と思えるほどの力量。
そして事が終わった後の存在の儚さと消え方。
後日知った事ではあるが、彼は1983年に終わった大戦の英雄であったらしい。
そして、その10年後。
彼は死んだという噂が魔法界に流れた。これから考えられる事は………………。
……間違えであって欲しい。
荒唐無稽な仮説ともいえない暴論だ。だが、符号が合いすぎている。
世界は「抑止の守護者」を欲しがっている。
だが、前の世界では。士郎も桜も抑止の守護者になるには矛盾が多すぎた。
世界は矛盾を嫌う。
多くの人の為に生きた英霊エミヤ。そしてある意味反対の存在である、今の士郎。
小さな矛盾だが、英霊が欲しい世界としては放置できない矛盾。
だが“抑止の守護者”がいない世界なら、どうだろうか?
士郎達なら、この地の人々に抑止の守護者の概念を教えることができる。
しかも私自身も守護者たる資格がある。
英雄の息子という、これから英雄になるであろう逸材を。
守護者になる資格がある士郎達が育て、そして鍛える。
考えられる推論。
―――私達はこの地の抑止の守護者になる為に。そして新たな英霊を創る為に並行世界を移動させられた―――
馬鹿馬鹿しい考えだが、否定できる材料も無い。
そして私の存在が、この仮説に拍車をかけてしまう。
我々英霊は、
『本体は英霊の座と呼ばれる、高き処にある無色の力であり。人の世の滅亡の可能性が生じたあらゆる時代、場所にその分身が世に下る』
つまりここにいる私は分身だ。
元の英霊の座に帰る必要などない、いわば使い捨ての道具。
元の世界に帰る必要などない、英霊の粗悪品。
そもそも、人間に英霊を御するなど不可能。
サーヴァントという、器に押し込むが故に使い魔として何とか扱うことができるのだ。
もし、そうだとしたら、
「――――――私達は世界に遊ばれている、という事ですか」
愉快な仮説ではない。だが、まだ何か出来るかもしれない。今はまだ情報収集の時期。
世界に負けないためにそして、彼女を幸せにするために。
桜を私のような存在にさせない。
士郎を未来の英霊にさせない。なにより、ここに私たちを送ってくれた。彼女の努力を無駄になどさせない。
だが、
「凛、貴方がいてくれれば」
常に前向きな彼女が居てくれれば、どれだけ心強いだろう。
「――――――弱気になっていますね」
今は居ない人間を、惜しんでいる時ではない。
2人の為に、できるだけの事をするべきだ。
今はこの世界に、英霊か守護者に近い概念があることを信じて探すしかない。
その記述さえ見つける事ができれば、この仮説は否定できる。
世界が2人を必要とする理由が一つ減るのだから。
そしておそらくその記述が無い事も、理解してしまっている。
仮にも魔法学校の校長が、知らないはずはないのだから。
だが、諦めるわけにはいかない。今の主とその友人達を護る為に。世界との契約をさせない為に。
この世界では、まだ士郎も桜も。英霊になるほどの善行も悪行もおこなっていない。
ならば、英霊にならずにすむかもしれない。
そんな状況にならないように。
<続>
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