コモレビ氏に捧げる、五十万ヒット記念小説



侍の優雅なお買い物




「アサシン、買い物に行ってきてちょうだい」


 昼過ぎ、唐突にそんなことを言い放った女狐―――もとい、我がマスターであるキャスターの方を振り返るために、私は石段を掃除していた箒を動かす手を止めた。


「……買い物、とな。何とも急な話だが、どういった風の吹き回しなのだ? 普段は基方自ら赴いておるではないか」


 事実、現代の服装である洋服に身を包んだキャスターを見送り、そして出迎えた回数は、両手の指を倍にしても数え切るのに足りはしない。時には食材、時には洋服、時には何かの材料等等、実に多種多様な物を購入してくる。最初の内は食材が苦手分野だった―――買い物から帰って来た時の表情から察した―――のだが、最近はどこぞの者から助言でも受けたのか、それも克服されてきているようだ。

 この山門から一歩も動けない私からしてみれば、自由に散策をすることのできるキャスターは、羨ましいことこの上ない。時折気まぐれで、私に土産も買ってきてくれるのだが、それがなお更私の虚しさをかきたてた。一人石段に腰掛けて、大福を食べていた時のやるせなさと言ったらない。

 そういった不平不満を表に出すことなく、私は掃除を再開しつつ、言葉の続きを口にした。


「それに、忘れたのか、キャスター。私はつい先ほど、基方から石段の掃除を言いつけられたばかり―――」
「だから、それが終わったら直ぐに行くのよ」


 にべもない、とはこのことであろう。私の言葉など端からなかったかのような物言いだった。

 ……どの道、私は暇を持て余している身。素直に受けてもよいのだが、それだとどうも癪だ。故に、当の本人が忘れている事柄を、若干の嫌味を混ぜた口調で告げてやった。


「行けと言われてもな、キャスターよ。私はこの山門を離れることはまかりならん身だぞ。そも、そういう風にしたのはキャスター、基方ではないか」


 この山門を依り代として召喚された我が身は、他のサーヴァントとは少々事情が異なる。魔力はマスターであるキャスターから送られてきているのだが、私を現世に縫いとめている存在は山門であり、そのせいで、山門から離れることはできなかった。


「何だ、そんな事? そんなもの―――」


 せいぜい己が迂闊さに気づき、間抜けな顔を晒すかと思うていたが、キャスターは事もなげにそう言うと、何か理解が及ばぬ音を呟いた。

 そして、手に持っていた財布をこちらに放ってくる。片手でそれを受け止めた。


「今、貴方の依り代をその財布に移しました。それを貴方が持っている限り、どこへなりとも自由に動く事ができます」


 これで文句はないでしょう、とキャスターが目で語っていた。

 流石に私の召喚者で、かつ稀代の魔女と謳われるだけはある。あっさりとキャスターは私の依り代をこの小さな財布に変えてしまい、そのおかげで―――かどうかは少し微妙だが、とにかく、買い物を引き受ければ、私は一時の自由を手に入れられるようだ。

 だが……


「……本当に、急にどうしたのだ。山門の守りの役目も果たせなくなるが、構わぬのか?」
「昼の間なら大丈夫でしょう。いえ、そもそもこの四日間は、私たちには何の危害も加えないもの。襲い来る脅威がないと分っていながら門番を配置するのは無駄でしょう」


 ならばすぐにでも、たった今やって見せたように依り代を別のものに移してくれ、という言葉が出かかったが、それも黙っておいた。実際に言ってしまえば、山門以上に酷い場所に縛り付けられる結果が、直感持ちでない私にもありありと見えているからだ。


「―――承知した。では、石段の掃除が済み次第、向かうとしよう」
「えぇ、そうしてちょうだい。それと、私はこれから宗一郎様と素敵な時間を過ごすから、当分は帰ってきてはダメよ。あと、その背中のものは置いていきなさい、持って行ったら必ず面倒に巻き込まれるわ。いいわね、マスター命令よ」


 買うものは財布の中にメモを挟めているから、と言い残して、キャスターは境内の中に戻り、お堂の方に消えていった。それを見送った後、私はふっと空を見上げた。

 ―――思いがけず手に入った、束の間の自由な時間。刀を置いていかねばならぬ代償があるが、これは存分に満喫せねば罰が当たるものよ。

 今すぐにでも、長い間見るだけであった街に向かいたい。そう考えつつも、動けるようになったついでにと、上から下まで全ての石段を掃いてしまう私は、ほとほとに損な性分であった。


「さて、向かうとしよう」


 全ての石段から落ち葉を取り除き、箒を所定の位置に戻し、そこに青江を一緒に立てかけた私は、常よりも早い足取りで柳洞寺を後にした。

 十月にしては温かい風が吹いていた。日差しもそれなりに強く、暑さに弱い者であれば、今の季節を夏と勘違いするかもしれぬ。幸い私はそうとは感じず、こういう秋も趣深いな、と上機嫌に頬を吊り上げた。

 歩調を落とし、辺りの風景をゆっくりと眺めていく。そこに私の生きた時代の面影は欠片もなかった。

 硬質な物体に覆われた大地には、ひしめくように住居が立ち並んでいる。その一軒一軒が、大地を覆う物体と同じ材質で作られた壁に区切られており、殊更に閉塞感を与えてくる。

 見渡す限りの畑も、そこかしこに生えている木々も見受けられない風景に、少々の寂しさを感じた。


「もっとも、これも十分に興味深いがな」


 家を区切る壁に手を触れてみる。日差しに熱せられたのだろう、生暖かさが伝わった。今まで体感したことのない感触は、ただ触れているだけで興味をそそられる。かなり硬いが、斬ることはできるだろうか―――


「……っと、いつまでも時間は潰せぬな」


 如何に『当分帰って来るな』と言われていようと、時間を無駄に使っていい理由にはならぬ。言いつけられた使いを早々に済ませ、残った時間で有意義に過ごすとしよう。

 懐に収めた財布を取り出し、買うものが書かれているという紙を開き、


「…………む」


 そこでようやく、根本的かつ重大な問題を思い出した。

 開いた紙には確かに、キャスターの手によるものであろう文字が書き連ねられている。何行かに分れていることからも、それぞれが違った物をさす指しているだろうことも察せられた。

 しかし、


 ―――しまった。私は文字が読めぬではないか。


 斯様に単純な、しかも自分のことを忘れていたとは、いささか『山門を離れられる』ということに浮かれすぎていたようだ。更に言うならば、どこに行き、どの店に入ればいいのかすらも分りはしない。

 ……今から柳洞寺に戻り、キャスターに聞くか?

 否、今頃は既に宗一郎殿と世界を形成していることだろう。近づけば私の命がない。


「恥を忍び、適当な店の者に聞くしかないか……情けない話だ」


 背に腹は変えられぬ状況に陥ってしまった私は、いくらか肩を落としながら、山門から見下ろしていた景色を思い出し、店らしき建物が立ち並んでいた辺りに足を向けた。

 しばらく歩くと、商店街らしき場所に至ることができた。柳洞寺から一本道であった事が、真に幸いであった。とは言っても、ただ単に人の往来が多く、商品が陳列されている店が多いことから判断しただけなのであるが。

 周囲の人々が、チラチラとこちらを見ては、足早に遠ざかっていく。やはり、私の格好が浮いているのだろう。


 ―――早々に済ませなければならぬな。


 そう思い立ち、どの者に聞こうかと視線を巡らせた時、見知った顔を見た気がした。そちらにしかと目を向けてみれば、向こうも私に気づいたようで、驚いていた顔をぱっと喜色に染めると、タッタとこちらに近づいてきた。


「こ、こんにちは、小次郎さん。こんな所で会うなんて、何か用事でもあるんですか?」


 一度山門で会った時と同じ、小動物のような愛らしい微笑を浮かべて、少女―――三枝 由紀香殿が、私にそう話しかけてくれた。地獄に仏とはまさしくこのことであろう。


「これは由紀香殿。実は、キャスターから使いを頼まれてな。こうして出向いておる訳だ」
「あ、そうなんですか。私も今、夕飯の材料を買いにきたところなんですよ。小次郎さんは、何を買いに来たんですか?」


 当たり前の会話の流れで、由紀香殿がそう尋ねてきた時、私は救いを得た。

 何気ない顔で財布から紙を取り出し、由紀香殿に手渡す。


「これだ」
「えーと……あ、分りました。肉じゃがの材料ですね?」
「そのようだ。時に由紀香殿、一つ折り入って頼みがあるのだが」


 私が都合よく相槌を打ち、そう尋ねると、何でしょう、と首をかしげて由紀香殿が尋ね返した。そのあどけない、無垢な表情の何と愛らしいことか。

 そんな彼女を少し騙すようで悪い気もするが、進退窮まっている私は、その頼みを口にした。


「私はあまり、この辺りの地理に詳しくなくてな。聞けば由紀香殿も、夕餉の材料を調達に来たのであろう。事のついでに、案内をしてくれると助かるのだが」
「ぇ―――案内、ですか? 私が、小次郎さんを?」
「左様。無論、無理強いはせぬが」


 どうかな、と最後に再度尋ねて、由紀香殿の返答を待った。恥を忍び、気違い扱いされるのも覚悟の上で尋ねねばならぬと覚悟していた、紙に書かれている商品を売っている店までの案内の依頼。由紀香殿に断られれば、それを実行に移さねばならぬので、内心では是非にも受けて欲しいというのが本音であった。

 由紀香殿は、恐らくその純朴さ故に、男と二人連れ立って歩くということに抵抗を感じているのだろう。「私が、小次郎さんと……」と何度か呟きながら、赤らめた顔を俯かせて悩んでいるようだった。

 いつまでも突っ立って話している私たちを、周囲も気にしているようだ。そろそろ動かねば、由紀香殿にも迷惑がかかると思い、先の頼みを断ろうとした時だった。


「……わ、分かりました。それじゃあ、小次郎さん。先ずは野菜から買いに行きましょう」


 顔を赤らめたまま、あどけない笑みを浮かべて、私の申し出を受けてくれた。その笑顔に、少しドキリとさせられたが、それをおくびにも出さず受け答えしていく。


「おぉ、左様か、忝い。では、由紀香殿の荷物も私がまとめて持とう」
「え、そんな、大丈夫です。そこまで重い買い物じゃありませんし……」
「迷惑をかけるのだ、それくらいの礼はさせてくれ、由紀香殿」


 心からの本心を笑いながら告げると、由紀香殿はまた俯いてしまい、そのままか細い声で、分りましたと了承してくれた。

 それからしばらく、のんびりと時間を使いながら、由紀香殿と二人、初めての買い物というものを楽しんでいった―――




 ―――太陽が赤く染まり始めている。もうじき夕方となる時間帯、私と由紀香殿は、他愛ないおしゃべりを交わしながら帰路についていた。


 向かっているのは、由紀香殿が住まう家だ。案内の礼に家まで荷物を運ぼうと申したのだが、頑なにそれを拒む由紀香殿に負けて、家の近くまでという条件で話がついた。私の両手には、四つの袋がぶら下がっている。


「あ、あの、やっぱり私も持ちますよ」


 時折、申し訳無さそうに由紀香殿が申してくるが、刀に比べれば軽い物だと、含み笑いを浮かべながら丁重に断っていった。


「しかし……先の店主には困ったものであったな」
「そ、そうですね……」


 先ほど起きた事件の感想を洩らすと、由紀香殿も気まずそうにそう呟いた。
 由紀香殿の案内により、順調に買い物を済ませて行った私たちは、最後に肉を買いに行った。そこの店主殿は何故か、頼んだ量に更に色をつけて渡してきた。由紀香殿と二人、その理由を問うと、


「お二人さん、付き合ってるんだろう? こんなお似合いな二人には、サービスしないわけにはいかないからねぇ」


 などと、見当違いも甚だしい理論を展開してくれた。私たち二人の抗議も虚しく、最後の最後まで、肉屋の店主は私たちを恋人だと思い込んでいた。その後しばらくの間、私たちの間に微妙な空気が流れたことは、言うまでもないだろう。

 ……太陽につられたのか、歩いている道も赤く染まり始めていた。秋の日は釣瓶落とし、とはよく言ったものである。キャスターの気まぐれで得たこの自由と、由紀香殿との買い物も、正にそれに等しいものであった。


「今日は真、世話になった。荷物持ち程度では、この恩は返せぬな」


 故に、日が沈み切らぬ内に、今日一日の礼を述べた。事実、由紀香殿に会えなければ、私は未だ当て所もなく商店街の辺りをうろついていたことであろう。


「そ、そんな、これだけで十分です。これ以上何かしてもらうなんて、私にはそんな……」


 慎ましく、私の申し出を断ろうとする由紀香殿。そう言われれば、応えたくなってしまうのが私だった。


「そういう訳にも行かぬ、私の気が収まらぬからな。
 ……ふむ、そうよな。では、いつか約束した、由紀香殿が弟御を連れてきた時、多少剣舞をお見せするとしよう」


 由紀香殿は、自分の弟と会って欲しいと申した時、本当に侍がいるのだということを弟に教えたい、と理由を語っていた。しからばただ会うよりも、多少刀を振るう姿を見せた方が、その者たちのためになろう。


「え、本当ですか? うわぁ、それは、弟たちも喜びます」
「はっはっは、では、由紀香殿が弟御を連れてこられる日のために、少々修業に精を出さねばなるまいな。無様な姿は見せられぬ」


 恐縮させてばかりであった由紀香殿がようやく笑ってくれたので、それが何故か嬉しく思えて、自然と笑いが零れていた。
「―――あ、小次郎さん、もうここまでで結構です。ほら、あそこが、私の家ですから」
「む、左様か。今日は本当に助かった、ありがとう、由紀香殿」
「いえ、どういたしまして。私も、小次郎さんのお役に立てて嬉しいです」


 それじゃあ、と笑顔で手を振りながら、由紀香殿は家に向かって歩いていった。その背を最後まで見送った後、私も自分の帰路についた。

 偽りの四日間で得た、偶然の自由と何気ない一時。この記憶だけは、『佐々木小次郎』ではなく、『私』の記憶として、残り続けるであろう―――





 後書き
 コモレビさん、五十万ヒット、おめでとうございます! 逢千 鏡介です。
 木陰の庵から一人立ちして以来、まともに顔も見せず月日が流れ……ふと気づけば、五十万ヒットが目前に迫っている事に気がつきまして、この作品を書かせていただきました。量も短く、これといった特徴もない小話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 Fateで、小次郎と由紀香のカップリングは外せない、逢千でした。

 P.S 話が分らなかったらごめんなさい。その時は何か別のを書き直させていただきます。

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