「シスター(見習い)は見た?」


 私、シスター(見習い)こと、春日美空は何をトチ狂ったのか、シスター服を着た状態で女子寮の廊下をトボトボと歩いていた。
 あーあ、せっかくの日曜だってのに、どうしてこんなことしてんの? 毎週毎週、朝の礼拝にもちゃんと出てるのにさ。
 普段着に着替える暇もなく、シスター服で女子寮まで案内させられた自身の不運を嘆く。
 ああ、主よ。あなたは何を思って、私にこのような試練を――

「何かふざけたことを考えていませんか、美空?」
「い、いえー、そんなことないですよ? シスターシャークティ」

 勘鋭い……ってか、鋭すぎ。
 パッと振り向いて、きつい視線を飛ばしてきたのは、私と同じシスター服姿の女性――褐色の肌に、色の薄い銀髪(日の加減で白髪……ゲフンゲフン)、紫がかった瞳を持った、シスターシャークティって人。
 常に凛とした表情をしてて、軟派な男じゃちょっと近寄り難い、お堅い感じのする美女って奴なんだけど……。
 ホント、もったいないよね。ちょっとその気になれば、男なんて簡単に引っ掛けられそうなのにさ。
 だってのに、本人は一生独り身で通すみたいなこと言ってたし。
 信じらんないよねー。娘代わりのココネ――今、私の隣をチョコチョコと歩いてる、同じくシスター服を着た、褐色肌・常に眠そうな目付き・赤い瞳と、色々と要素が揃った異国少女を横目で見て、胸中で首を振る。

(よくよく考えると、ウチの学園って肌が褐色の奴、多いよね〜)

 どうでもいいこと考えてから、前を歩いていたシスターシャークティに半眼を向けて思った。

(娘みたいなのがいるのはいいとして、二十歳過ぎていまだに処じ――)
「美空、あなたから淫らな思考を感じるのですが?」

 ちょっぴりイヤラシイ、というか下卑た方向に思考を移した瞬間、また振り返って鋭い視線を飛ばしてくるシスターが一人。

「ヤダなー、気のせいですよ、気のせい♪」
「嘘ダナ……」

 悪魔でも射殺せそうな目付きで振り返ったシスターシャークティに対し、横方向に首を猛烈に振って冤罪だとアピール。
 懐に手を入れないでって。シスターシャークティの投げる十字架って痛いし刺さるし、最終形態は『うしおと〇ら』の渋い親父が投げる千〇輪だし。
 あとココネもさー、そんな見透かしたような目で見ないでよ。
 誤魔化せてホッとしながら、隣りの無表情少女に抗議の視線を送る。スルーされたけど。

「――ここですね?」
「あ、ハイ。そうです」

 女子寮の、とある部屋の前でシスターシャークティが立ち止まり、私に確認する。
 そこは、私のクラスメイトな桜咲さんと龍宮さんの部屋――だったんだけど、最近、住人が一人増えたんだよね〜。
 学園長のジジイの遊び心にも困ったもんだよね。まあ、あの人が問題起こす可能性は低い……っていうか、考えられないレベルな気もするんだけどさ。

(ああ、ごめんなさい、ジロー先生。私がウッカリ、ジロー先生が女子寮に住んでいるなんて、シスターシャークティにバラしちゃったから……)

 こっそり十字を切りながら、何故こういう状況になったのかを思い返す。
 日曜の朝にやる礼拝が終了した後、珍しいことに、片付けが終わった私をシスターシャークティが食事に誘ってくれて。
 そこで――




『最近、変わったことはありませんか、美空?』
『(め、めっずらし〜、微笑んでるよ)そうですね、変わったことといえば、ウチのクラスに新しい担任と副担任の先生が来られました』
『ああ、ネギ先生とジロー先生のことですね』

 シスターシャークティって普段、滅多にムダ話をしないのに、今日は怖いぐらいに機嫌良かったのか、最近の身の回りに起きた出来事について聞いてきて、深く考えずにパッと出したのがこの話題。
 一ヶ月程前のことを最近と言うのかどうかは、各々の判断でってことで♪
 で、普段の仕事振りとか印象を話したまでは良かったんだけど、何でか二人の住んでいる場所に話がいって……。

『あ、あれ? どうかされましたか、シスターシャークティ?』
『……美空、彼は今も女子寮に?』
『へ? あ、ええ。今も桜咲さんと龍宮さんの部屋で居候を――』
『彼に話があります。行きますよ、美空、ココネ』
『え゛っ? ちょっと、シスターシャークティ? まだデザートのケーキが――』
『諦めろ……』




 こうしてシスター姿のまま女子寮に来ることになった経緯を思い出して、涙をホロリと流した。

(うぅ、シスターシャークティのおごりだったから、あの店限定の特製ケーキ頼んだのに……)

ってか、めんどくさいッス。男子禁制の規律を破ってるからって、本人に直接、注意しに行くってさ。
 使命感の強い魔法使いって厳格、つーか細かいことにうるさいよね。シスターシャークティもだけど、ガンドルとか、影使いの姉ちゃんとか……。
 目の前で、ウチの副担任――ジロー先生が居候している部屋の扉をノックしているシスターシャークティを半眼で見つめる。

「……」

 似たような目でココネもシスターシャークティを見ているけど、こっちはどんなこと考えてんだろ?
 私の興味深そうな視線に気付いたのか、ふっとこちらを見上げて、ココネが囁くような声で言った。

「……そのジローって人、運がないナ」
「あー、確かに」

 ココネの言葉に、もっともだと頷いてしまう。あの人の経歴って、イロイロとぶっ飛んじゃってるしねー。
 やれ異世界だ、やれ使い魔だって……正直、眉唾だけど、存在そのものがぶっとんじゃってる妖怪爺が言ったわけだし、信じるしかないっしょ?
 それはさて置き、こんな小さい子にまで同情される副担任が本気でかわいそうになった頃、ノックされていた部屋の扉がやっとこさ開いた。

「……………………………………ハイ」
「ヒッ!?」
「うわ……」
「…………」

 扉が開いて目的の人物――ジロー先生が顔出した瞬間、大きく飛び退いて十字架を構えるシスターシャークティ。
 私達はと言うと、現れたジロー先生の様子にどう反応すればいいのかわからなくて、とりあえず私は呻き声っぽいものを洩らし、ココネは口を僅かに開けて固まっていた。

「………………………………?」
「――――」
「…………」

 扉から顔覗かせて、訝しそうに眉を顰めているジロー先生を見ながら思う。

(『胡乱な目』っての、初めて見たー……)

 ジロー先生って、いつもはもっと余裕のある、のんびりした雰囲気があったんだけど……今は追い詰められて虫の息ですか? な感じだよ。
 普段の穏やか〜、ぼんやり〜な顔を思い浮かべて、あまりのギャップに口元を引き攣らせる。

「あ、あの……」
「…………」

 マジで珍しい。話しかけるのを躊躇ってるシスターシャークティに、つい珍しいものを見たと感心してしまう。
 ユラユラと体を揺らして今にも倒れそうなジロー先生は、シスターシャークティ、私、ココネと順番に見た後、ニッコリと笑みを浮かべてこう言った。

「家主の一人が光覇明〇の親戚ですから……間に合ってます」

 言い終えた瞬間、バタンと扉が閉められて、内側から鍵をかける音とドアチェーンをかける音まで続く。

「し、失礼な!? 私は訪問して聖書を売りつけるようなことはしません!!」

 あんまりっちゃあ、あんまりな対応に激昂しちゃったシスターシャークティが、扉越しに怒鳴った。
 まあ、普通は扉を開けた先にシスターが立ってたら、ロクでもない新興宗教の訪問勧誘だと思うよねー。
 激しく扉まで叩き始めたシスターシャークティを眺めながら、そんなことを考える。

「開けなさ……開けてください! 今日、ここに来たのは宗教の勧誘ではなく、あなたにお話があって――!」
『止めてくれませんかー。近所迷惑ですから、大声で叫ばないでください〜。
 そうやって油断させておいて、長々と御利益のありそうな話をした後、帰って欲しかったら〇〇を買ってください、なんて言うのはわかっているんです』
「ち、違いますっ! 私は決して宗教の勧誘や、聖書の訪問販売で来たのではなく――!」
「あーりゃりゃ……」

 扉越しに行われてる漫才を見物しながら、周囲を見渡す。人っ子一人通らない女子寮の廊下。
 日曜日ってことでみんな出かけているのか、それとも関わりあいたくないから、部屋の中で息を潜めているのか……。
 できることなら前者であって欲しいなー、と思う一般ピープルに毛が生えた程度のシスター兼見習い魔法使いな私です。
 ちなみに――
 ものすごく情けない顔で、自分の代わりにジロー先生に扉を開けてもらえるよう説得してください、とシスターシャークティが頼んできたのは、それから数分後のことだった。
 いやー、良いもの見れたよ、困りきったシスターシャークティの顔なんてレア物。ジロー先生、グッジョブ♪




 一波乱あったけど、どうにかそれも収まって――
 あ、私がジロー先生の誤解を解いたから、部屋の中に入れてもらうことができたんだし、貸し一ですよ? シスターシャークティ♪

「いや、すみません。扉を開けたら、何故かシスターが三人も立っていて、驚いてしまいました」
「驚いたと言うわりに、ジロー先生の対応はひどく冷静でしたが……?」
「気のせいですよ、シャークティ先生。それと、前から言っているように、俺みたいな若造に『先生』は付けなくていいです」

私達のお茶を出しながら言うジロー先生と、シスターシャークティの引き攣った笑顔がぶつかり合う。
 シスターシャークティはともかく、何でジロー先生も機嫌が悪そうなんだろ?
 まあ、その辺はどうでもいいとして……。出してもらったお茶を飲みながら、目の前に置かれたお煎餅を見つめる。

(どうして、ココネのお茶請けは羊羹なのに、私のはお煎餅なのかなー……)

 女の子は甘いものが大好きなんだよ、ジロー先生? これってあれかな、私にはこれで充分だって、暗に告げてくれてるのかな。
 ああッ! 主よ、この世は不公平です。

「それで、本日はどのような御用件で? 三人が魔法使いだってことは、学園長から聞いてますけど……わざわざ挨拶に来られたんですか?」

 ゆっくりと、行儀良く音を立てずにお茶を啜った後、ジロー先生が機嫌悪そうな半眼で尋ねた。
 相手のつれない態度を気にせず、シスターシャークティはキッとジロー先生の目を見て告げる。

「……今日ここへ来たのは、ジロー先生が女子寮に住んでいることについてです」
「……あぁ」

 それだけでどういう用件か悟ったらしく、ジロー先生は思いっきりため息をついて言う。

「何度も学園長に打診していますが、引っ越しの許可が出ないんです。俺だってね、問題だと思いますよ。ネギならともかく、俺だってまだ健全な青少年……のつもりです。まあ、問題起こす気はまったく! これっぽっちも! ありませんけど」

 目を瞑ってため息をつきながら湯のみを置いて、ジロー先生が眉間に皺を寄せて断言した。
 そこまで力を込めなくてもよくない? そこまで否定されると、女の子として納得しかねるものがあるんだけど。
 複雑な少女の心境を無視して、ジロー先生の言葉を聞いたしスターシャークティはもっともだ、と頷いて喋り出す。あーあー、始まっちゃうよー。

「ええ、その言葉は信じましょう。しかし、問題はあなただけのものではないのです。女子寮という男子禁制の場所に、年頃の男の子がいては――」

 とうとうと語り始めたシスターシャークティを横目に見ながら、音を立てないよう気をつけてお茶を啜る。長いんだよねー、この人のお説教。
 だいたい、ジロー先生に嬉々として女子寮に住むよう命令したの、学園長の妖怪じいさんだって言ってるんだし、抗議すべきはソッチじゃね?
 まあ、口は災いの元って言うし、間違っても口出したりはしないけど。

「そもそも、『汝、姦淫するなかれ』とは――」

 必要以上に長いシスターシャークティの説教をBGMに、お説教されている当人のジロー先生を見る。

「はい…………そう、ですねー……ですねー」
(うおぉっ!?)

 合間合間に、頷きと返事を入れながら寝ている副担任に驚かされた。
 便利な技だね、ソレ。今度、こっそり教えてもらおうかな。

「……寝てる」
「え? な…………起きなさい、ジロー先生!!」
「ハッ!? あー、す、すみません、寝てません」

 神の教えを説くことに熱中していたシスターシャークティの袖を引っ張って、ココネがチクる。ようやくジロー先生が寝ていることに気が付いて、シスターシャークティの一喝が部屋に響いた。
 寝てないって、首鳴らしながら言ってるけど……さすがにその嘘は無理があるよ、ジロー先生。

(にしても、度胸あるよね〜。シスターシャークティの目の前で居眠りできるって)

 感心する私を余所に、ジロー先生は頭を掻きながら言い訳をしていた。

「いや、本当にすみません。さっき『出張』から帰ったところで、もうどうしようもないぐらい眠くて……。三日……四日か、不眠不休だったんです」

 『出張』――よくデスメガネ……高畑とかが行ってる、普通の先生がやるのとはちょっと違う出張。
 アレって、危ない場所に出かけて戦ったりしちゃう、ぶっちゃけ夢も希望もない魔法先生専用なお仕事なんだよね。ホント、ご愁傷様。

「ハァ……」

 半分以上残っていた湯のみの中身を飲み干して、ジロー先生が私達に病んだ笑みを見せた。

「学園長がね、『ジロー君にピッタリの仕事があるんじゃがの〜。高畑君は明日から別の所へ「出張」じゃし、人手が足りなくて困ったの〜』なんて言って、笑顔で荷物一式持たせてくれたんですよ。御丁寧に、飛行機のチケット付きで」

 ビシリッ、と手に持った湯のみにヒビを入れたジロー先生に引きながら、シスターシャークティに耳打ちする。

(あの、シスターシャークティ? ジロー先生、ホントの本気で疲れているみたいですし、話はまた日を改めて、ということにしてあげた方がいいのでは?)
(む……)

 私に耳打ちされて、冷や汗を垂らしたシスターシャークティが、気まずさを誤魔化すようにお茶を啜る。
 ジロー先生が『出張』に出かけたのって、確か私達がドッヂで高校生と勝負した日だよね。
 四日間不眠不休って、一体どこに『出張』させられたのやら。アフガンとかだと、マジでシャレになんねって。

「もうね、仕事なんて始末書と報告書だけでお腹一杯ですよ……。何でプチ『スプリガ〇』な真似をさせられなきゃならないんですか……? 俺は平凡な半使い魔ですよ!?」
「…………美空、彼を憐れと思うなら、あなたもがんばりなさい」

 とうとう、半泣きで喚き出したジロー先生から目を逸らして、シスターシャークティがボソリと言ってきた。

「は、はは、善処します(ヤなこった)」

 同じ巻き込まれ型とはいえ……超が付くルーキーと比べて大変だね、何かすごいことした英雄様の息子の使い魔って。
 本人も、メルディアナの魔法学校代表な使い魔として、面白くもない特訓を半年とかさせられたらしいし、やっぱ強い人って苦労するのがお約束なのかね?
 そう思った時、部屋の中で携帯の着信音が鳴り始めた。何故か、ホラー映画の『デッドの着信メロディ』。
 趣味悪いなー、とか思いながら部屋を見渡していたら、懐に手を突っ込んでジロー先生が携帯を取り出す。
 二つ折りの携帯を開いて着信メールを読んだ後、ジロー先生はパチンと携帯を畳んで肩を落とした。

「ああ……また仕事だ……」

 ゆっくりと天井を見上げて、ジロー先生が口を吊り上げて笑う。

「フ、フフ……学園長、いつか泣かす……」
「いけませんよ、労働を疎んでは」

 仕事をやりたくなさそうなジロー先生に、シスターシャークティは顔を顰めて酷いことを言いなさった。
 だけど、平然と鬼発言したシスターシャークティに血走った目を向けて、ジロー先生はビックリなことを告てくれる。

「今夜の仕事、シャークティ先生も一緒みたいですよ? ついでに、美空とココネちゃん――」
「呼び捨てでイイ。変ダ」
「あー、ココネ……も修業ってことで同行って……ああ、なるほど。コレ、ホントはシャークティ先生達の仕事ですね」
『え?』
「えっとですね、何でも最近、魔力溜まりの近くにある郊外の朽ちた教会で、夜な夜な化け物っぽい吼え声やらが聞こえるって噂が出てるらしくて。そこの調査らしいです。
 美空達は仕事を見学するだけで、訓練にもって来いって考えたらしいですね。ただ、噂の内容が内容なので、念のために俺が付き添いとして同行する、ってことらしいです。
 あー、詳しい話は、十六時に学園長室で話してもらえるらしいです。それまではゆっくり休んでおくように、ですって」

 マジかよ……あの妖怪じいさん、メンドクサイことを押し付けてくれるな〜。私は別に、『立派な魔法使い』になりたいなんて思ってないのに。
 つーか、十六時に学園長室でって――

「今、十二時を回った所……ギリギリまで寝たとして、三時間半……だよね」
「わざとダナ、学園長」
「…………休ませてもらってもいいですか? いいですよね?」
「え、ええ……」

 鬼気迫るジロー先生の迫力に押されて、シスターシャークティが慌てて頷く。
 ああ、いくら鬼がつくようなシスターでも、慈悲の心は持っているんですね。

「そ、それでは、今日の夕方。学園長室で」
「遅れるナ」
「じゃね……じゃなくて、失礼します、ジロー先生(あ〜あ、メンドクサイな〜)」

 休んでいいのか聞いてすぐ、机に突っ伏してしまったジロー先生に三人で声をかけて、音を立てないよう注意して玄関へ向かう。
 しっかし、夜中に朽ちかけた教会でお仕事の見学ねー? 何かこう、映画みたいに面白いことでも起きないかなー。
 ボンヤリとそんなふざけたことを考えながら、私達は逃げるように部屋を後にするのでした、と――――




(ああ、主よ! あなたは私に何を望んでおられるのでしょーかー!?)

 目の前で繰り広げられる、常識からかけ離れた戦闘の余波から逃げ惑いながら、美空は胸中で叫んだ。
 場所は数年前に管理する者がいなくなり、お化け教会と化した建物の礼拝堂。

「クッ!」
『ガアァァッ!』

 シャークティが繰る十字架を、標的だった人型の犬――イメージ的に最も近いもので呼ぶなら狼男なので、狼男と呼んでおく――が避けて、シャークティに肉薄して袈裟にかぎ爪を振り下ろす。
 後方に跳躍して、辛くも攻撃をかわしたシャークティだったが、その頬には薄っすらと赤い線が一筋、刻まれていた。

「ハッ!」
『ガルルッ……』

 顔を傷つけられたことに毛ほども動揺せず、自分の背後で無数に待機している十字架を指揮して、狼男へ向けて殺到させる。

「うわっ、とととっ!」
「……」

 狼男が叩き飛ばした十字架や、その豪腕が砕いた石畳の破片を、ココネを抱きかかえながら美空は命辛々、避け続けていた。

(こ、こんなことなら、シスターシャークティの側のが安全そうとか言って、ジロー先生を置いて逃げるんじゃなかったよー!?)

 化け物の吼え声がする廃教会の調査、という簡単そうな任務と舐めてかかったのがいけなかったのか。
 夕刻、メンバーが教会に足を踏み入れ、シャークティが先行して教会内部を、ジロー・美空・ココネの三名は教会周辺の調査、という形で分断した瞬間、外に残ったメンバーを歓迎してくれたゾンビ犬やゾンビ猫の群れ。
 それと戦うより、一人教会に入ったベテラン魔法教師のシャークティのところ方が安全だろう、とジロー一人にゾンビ動物を任せた結果、戦闘のとばっちりで死にかけている見習い魔法使い――春日美空は、『救世主』ばりのエビ反りで拳大の飛礫を避けながら毒づく。

「もー! こんな時にジロー先生は何してるの!? かわいい生徒のピンチだよ!?」
「自業自得……」

 ココネのもっともなツッコミを無視して、飛来する十字架と石の塊を避け続ける美空の耳に、礼拝堂の扉が開く音が届いたのはそんな時だった。

「『こんなバイオな連中と戦えませーん』って言い残して、人をゾンビアニマルへの置き土産にしたのは誰だっけ?」
「美空……あなたっ!」
「バレタ……」
「……やっぱりね、人には適材適所があるんですよ。一般ピーポゥに毛が生えた程度の見習い魔法使いなシスター(見習い)に、エクソシストな真似は無理だと思いませんか?」

 戦闘中にも関わらず、自分を睨んでくるシャークティや、白い目で見てくるジロー、ココネから目を逸らして、美空は白々しくうそぶいた。

『ガアッ!』
「あっ!? しま――くあっ!」

 一瞬、シャークティの注意力が美空へ逸れる。そこへ、狼男の人外の耐久力に任せて、体を穿つ弾幕のような十字架を無視しての一撃。
 かぎ爪ではなかったのが救いか。岩のように固められた狼男の拳が、シャークティを教会の壁まで弾き飛ばす。

「う、ァ……クゥッ……!」
『ブグルルッ!』

 石壁に叩きつけられた体を丸め、全身がバラバラになりそうな痛みに耐えるシャークティに向かって、狼男が体を弓の如くたわませる。
 シャークティを餌と認識しているのだろうか。凶悪な牙が並んだ口からは、ボタボタと涎がこぼれていた。

「ちょっと、ジロー先生! シスターシャークティがピンチだよ!?」
「言われんでもわかる!」

 狼男の口から、聞く者の魂を心胆を寒からしめる遠吠えが迸る。たわめた巨躯が矢の如く、前方のシャークティに向かって解き放たれた。
 この直後に生まれる惨劇を見たくないと、目を瞑ってしまった美空は知らなかったのだが、ジローが飛び出したのはそれとほぼ同時であった。

「み、美空っ」
「およっ、ココネ? どしたの――――って、げげ!?」

 普段、相手が聞き取れるかどうかのボソボソ声しか出さないココネには珍しい、普通に聞き取れる大きさの声。
 その声を意外に思いながら、恐る恐る目を開けた美空が目撃したのは、惨劇が広がる最悪の結果ではなかったが、こと血の苦手な者にとってはそれなりにショッキングな光景であった。

『ギ、ギギギ……ッ!』
「ッ……ごはんの、前は……『いただきます』だ。教会だし、お祈りでもいいけどな。ウチのヌイは言えたぞ? あくまで、飼い主の耳で聞いた限りでは」

 自分が目を瞑っている間に、壁際にうずくまったシャークティと狼男の間に割り込んでいたジローを発見して、美空の口から呻きが漏れる。
 ジローが右腕を猿轡のように、牙の並ぶ狼男の口に差し込んでいたからだ。

「そ、そういう問題じゃないって! ジロー先生、血っ、血がスゴイよ!? 痛くないの!?」
「フッ……ヤセガマンに決まってるだろ?」

 牙の食い込んだ右腕から血を滴らせながら、躾けのなっていない犬に注意するように話すジローに、美空が思わずツッコミを入れる。
 泡を飛ばして聞いた美空に、完全に涙目になったジローが引き攣った笑みを向けた。
 だが、すぐにどこか憂いを帯びた表情になり、無事な左手で拳を作って狼男に語りかける。

「――苦しかったろう? これからゆっくり眠らせてやるよ」
「苦しいのはお前ダ」
「だよね」
「黙ってろい、そこの見習い魔法使い二人」

 至極まっとうなココネと美空のツッコミに言葉を返し、ジローが左の拳を引いた。

「――ッラア!」

 ショートアッパーが狼男に入る瞬間、無詠唱で喚ばれた火属性の『魔法の射手』が左拳に集束する。直後、ボンッという炸裂音が廃教会に響いた。
 火属性の『魔法の矢』を拳に集束させて、攻撃力を飛躍的に向上させる技――『閃花・紅蓮』が、狼男に存分に叩き込まれたのだ。

『ギャンッ!?』
「そら……よっ!」

 腹部で炸裂した焔の花に叫びを上げて、狼男が咬み付いていたジローの右腕を解放する。
 自由になった右腕をだらりとさせながら、さらにジローが攻撃を続けた。
 先ほどと同じく、空中に喚んだ無詠唱の『魔法の矢』を付加させた膝蹴り――これも『閃花・紅蓮』に入るのだろう――から、地面に叩きつけるような大振りの拳打を叩き込む。
 さながら、プロレスのボディプレスを行うように、狼男が床にうつ伏せで張り付いた。

「……うわ〜、リアル『デビルの実』能力者?」
「……天に召される犬男に祝福を。アーメン」
「優しいねー、ココネ。アーメン」

 通常の生物の理から外れているからであろう。焼け焦げた体から煙を上げていた狼男が、まるで夜の闇に吸収されて消滅していく。
 ある意味、爆殺されてしまった狼男を不憫に思ったのか、ココネが静かに呟いて十字を切った。
 心優しい少女に倣って自分も十字を切りつつ、美空はなるべく控えめにジローに尋ねた。

「あのさ、ジロー先生。床が赤くなり始めてるけど……大丈夫?」
「あー、血が止まらないな。ヤバイ、床が汚れる――」

 恐々と、狼男に咬み付かせて穴のできた腕を指差した美空につられて観察し、どこか他人事のように返してジローは右腕をぷらぷらと振る。
 床にできた血溜まりに赤い雫が降って、不快な雨音を立てさせた。

「そ、そういう問題ではありません! 早く手当てを!」
「シャークティ先生こそ大丈夫ですか? さっき、かなり強く体打ってましたし。ありゃ、顔、怪我してますよ?」
「ああ、もう! 私の心配をしている場合ですか!? 早く腕を診せなさい」
「――――ぐあああっ!?」

 止まることなく床の赤い水溜りを大きくする、床が覗けるようになったジローの右腕を掴んだシャークティの叫びと、傷ついた腕を無遠慮に引っ張られたジローの悲鳴が、朽ち果てた教会に響き渡った――――




 オンボロ教会の裏にある林の中で、地面を掘る音が続いている。

「よし、こんなもんだろ」

 スコップ片手に、廃教会の裏にある雑木林に掘った穴から出てきたジロー先生が、スコップを置いて私の足元に置いていた箱――犬とか猫の骨が詰まった箱を抱え上げた。
 ジロー先生の右腕の傷が塞がった後、本格的に調査する必要が出てきたって、私達で教会を隅々まで調べたんだけど――

(出るわ出るわ、犬と猫の死骸……)

 正直、かなり退いたね。私達が遭遇したゾンビ犬やゾンビ猫の死骸以外の、「柱に繋がれたまま」餓死したっぽい猫とか、「首だけ出して」埋められた犬の骨とか。
 酷いことするバカもいたもんだよ。ジロー先生が抱えている箱を見ながら、顔を顰めてそう思った。
 まんま埋めるのはあれだからって、ジロー先生が魔法で火葬したんだけど……それでも、大きめのダンボール箱一つが満杯だし。

「相当、人間に対する恨み辛みが積もってたんだろうな。厄介なことに、近くにある魔力溜まりの魔力も流れ込んじゃって、バイオハザード発生、になったんだろう。あの狼男は……恨み辛みの集合体かね? ゾンビで出てきたのは兎も角、人型ってのは皮肉さね」
「最近の噂の正体はわかりましたが……あなたは何をしようとしているのですか?」
「何って……供養でしょうか」

 穴の底に置いたダンボール箱に土を被せながら、ジロー先生はのほほんとシスターシャークティに答えてる。
 時折、土を被せながら「心配しなくても、お前らに酷いことした奴らには、キチンとお仕置きしてやるから。ちゃんと眠れよ〜」、なんて怖いこと呟いてんだけど、それって場を和ませるための冗談だよね?

「さて……この場合、お経と大祓詞、どっちがいいのかね」

 穴を埋めなおした後、手やズボンに付いた土を払いながら、ジロー先生が顎を擦りながら自問した。
 いや、ここ教会だし。おあつらえ向きにシスターがいるんだし、やるなら洋風でいいんじゃない?
 てゆうかさ、ジロー先生ってお経と祝詞……って神道だったかの呪文だよね? それ唱えられるんだー。

「唱えられるのカ?」
「あー、まあな。昔、知り合いの寺と神社でバイトしたことがあってさ」

 半目を向けて聞いたココネにシレッと返して、ジロー先生は言った。

「安心していいよ? 形だけ立派な生臭坊主とか、性格破綻者な神主よりはマシな程度に祈ってやれるから」

 そう言ってから暫く考え込んで、最終的に「寺は動物入れない」ってことで、ジロー先生は祝詞を唱えることにしたみたい。
 何か、こっちの方が雰囲気出るとかなんとか。

「コホン。では……『高天原に神留り坐す 皇親神漏峡 神漏美の命以ちて――』」

 小さく咳払いした後、ジロー先生が手を合わせて祝詞っていうのを唱え始めた。
 場所はともかく、聞いている私達まで落ち着いた気分になってくる鎮魂の歌が、途切れることなく紡がれていく。
 玄人裸足ってこういうのを指すのかな? 礼拝中のシスターシャークティみたいに真剣に、だけど、どこか包み込むような優しさを含ませた言葉が、雑木林の闇に染み込んでいった。

「ほう……」
「……美空、見習え」

 祝詞を唱え続けるジロー先生を見ながら、感心したらしいシスターシャークティが声を洩らす。ついでにココネが、耳に痛いことを言ってくれた。
 聞こえませんと私が耳を押さえている間も、ジロー先生の唱える言霊は途切れることなく、朗々と続いていく。

「『――かく佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓い給ひ清め給ふ事を 天つ国 国つ神 八百万神等共に 聞こし食せと白す』…………ふぅ、祝詞だけで悪いな。近いうちに、お供え物でも持ってくるから許してくれ」

 祝詞を唱え終わったらしいジロー先生が大きく息をついて、ポツリと呟いた。

「にしても、神様がいるから祈るのか、それともいて欲しいから祈るのか……許されたいから祈るのか、許したいから祈るのか……どれだろうね?」
「えーっと……」

 何かわかんないけど、急にそんな重いテーマ問いかけないで欲しいッス。
 戸惑った私の顔を見たからか、苦笑したジロー先生はそれっきり口を閉じて、地面に置いていたスコップを拾って歩き出す。

「さて、とっとと帰って寝ようか。あー、でも学園長に報告があったな……」

 面倒くさそうにそう言って、かなり眠そうに欠伸。そういやここ数日、不眠不休とか言ってたしね。

「――――」
「……何ですか、シャークティ先生?」

 そんなジロー先生の進行方向に、妙に真剣な顔をしたシスターシャークティが現れた。
 顔が怖いです……もしかして、さっきのジロー先生の問いかけが気に入らなくて、文句があるとか?
 でも、またお説教タイムの開始かな、って顔を顰めた私の行動は無駄になった。
 だって、シスターシャークティの行動は、私の予測タイムを遥かに上回っていたから。

「――信じなさい。あなたの祈りは、きっと届きます」
「…………はあ?」

 唐突に、労わるような微笑を浮かべたシスターシャークティが、ジロー先生の手を掴んで祈りを捧げるみたいに持ち上げる。
 わお、大胆……なんてちょっと興奮しちゃった私の前で、いきなり手を握られた当の本人は照れもせず、訝しそうな声を上げて首を傾げていた。
 そんな、男の人として間違ってそうな反応をするジロー先生に構わず、シスターシャークティが話す。

「あなたと同じ境遇にない私では、何を言ってあげるべきなのかはわかりません。どの様な罪を自分に背負わせ、どのような痛みを抱いているのかもわかりません。
 ですが……さっきの、祈ることについての質問を聞いた者として言わせていただきます。その背負わせた罪や痛みを抱え込むようなことだけはしないでください、と。
 確かに、全てを取り除いてあげることはできませんが、私も聖職者の端くれ。話を聞いてあげることなら……ほんの少しだけ、罪の重さや痛みを軽くしてあげることなら、できるかもしれません。だから、辛いことがあるのなら迷わず話してみてください」
「あー……」

 使命感に燃えちゃってるモードに入ったのか、真剣な目で見つめながら、シスターシャークティが語ってる。
 かなり居心地悪そうに呻いて、そんなシスターシャークティの手を外したジロー先生が、一歩下がって頭を掻きながら言った。

「別に俺、そんな高尚なもの背負っちゃいないですよ? それにキリスト教徒じゃないから、罪の十字架なんて知ったこっちゃねぇですし。日本人らしい、チャンポンな信仰心しか持ち合わせていませんから」
「…………仮にそうだとしても、胸の内を話すのは悪いことではありません」

 微笑んで、たぶん遠まわしに話す気はないって告げたジロー先生に対して、シスターシャークティは静かにかぶりを振った。
 それを眺めながら、私は漠然とだけど理解していた。『ここ』じゃない世界から来たっていう、トンデモ使い魔な人。
 正直、その話を学園長とかから聞いた時は、ただぶっ飛んでるなって思っただけだったけど――

(そうだよねー、喚ばれちゃった側からしたら、ぶっ飛んでるの一言だけじゃ足りないよね)

 いきなり了解も得ずに喚び出されて、「ハイ、あなたは異世界に喚ばれて使い魔になりました」なんて言われても困るだけだし。
 聞いた話じゃ、『こっち』にも『八房次郎』がいるとか何とか。どういう気分になるんだろう? 自分が二人とか。
 それ以外にも考えること、悩むことはいくらでもありそうだと思う。例えば――ジロー先生の家族のこととか、友達のこととか?

(うわー、考えてみると結構、重いってコレ〜)
「美空、ふざけるナ」

 思わず呟いた感想に釘を刺してきたココネに、顔の前で片手を上げて謝る。
 茶化すつもりはちっともないんだけど、ちょっと自分には無理そうだったからさ。ジロー先生みたいな状況に放り込まれて、普段は穏やか〜に、のほほ〜んと笑ったりするとか。

「……今日、助けてもらったお礼です。よければ、次の日曜に行う礼拝にいらっしゃい。礼拝の後で、お茶でもごちそうしましょう」

 ここで話を続けても埒が明かないと思ったのか、滅多に見せない笑顔で、シスターシャークティが意外なことを提案した。これはあれかな、取調室でカツ丼の法則?
 まあ、シスターシャークティの性格からしたら放っておけなさそうだよね、さっきのジロー先生は。

「は、ははー……それじゃ、楽しみにしておきます」

 半分は失敗したって表情に、あと少しだけ迷惑そうな苦笑いで、諦めたようにジロー先生は頭を下げた。よくわかってるね、一度燃え出したシスターシャークティが止まらないって。
 そこで話は終わって、四人はまた、学園に向かってトロトロと歩き始める。その途中、私は少し気になったから尋ねてみた。

「あのさー、ジロー先生」
「ん? どうした、美空?」
「ちょっと気になってさー。教会でシスターシャークティのこと助けたじゃん。その時、よく自分の腕を楯にできたなー、って思って。怖くなかったの?」
「ああ、アレね」

 魔法でケガの塞がった右腕を、自分の顔を高さまで持ち上げるジロー先生。治ったって言っても、破れた袖の下から、ケロイドみたいな牙の痕が覗いていた。

「ホントは障壁があるから、ちょっと痛いぐらいで済むと思ったんだけど……いや、予想以上に深ーく喰い込んじゃって」

 いつも教室で見せている、のほほんとした笑顔で腕をパタパタと振って見せるジロー先生。隣りで、尊いものを見るようにしていたシスターシャークティがつんのめった。
 そんなウッカリで、よく腕を楯にできたよね。下手したら、千切れてたよ?

「まあ、ボランティアで人助けする程、善人じゃないけど、目の前で人に死なれて平気な程、スレてもいないし。手が届くなら助けるだろ、フツー」
「うわっ、サラッと言い切っちゃったよ、この人」
「お人好し……」

 自分の行動を「普通」に設定しないで欲しいよね〜。思わず奇異な人を見る目で、ジロー先生を見ちゃう。私の隣りを歩いていたココネも、ちょっと呆れたように見ていた。

「ジロー先生、もう少し賢くなったら?」
「……バカ正直が美徳とか思うなよ? このエセシスター」

 笑顔の種類を変えたジロー先生が、両手の指を蠢かしてバキバキ鳴らす。アハハ、マジで怖いって、ソレ。

「それに……子供の目の前で、母親を死なせるわけには、ね」
「ハ?」
「ヘ?」
「…………?」

 指を鳴らすのを止めた後、少し気恥ずかしそうに、鼻の頭を掻いてジロー先生がぶちかましてくれた、核爆発級の『ココネ、シスターシャークティの娘』説。
 それを聞いて、私とシスターシャークティは音を立てて固まってしまった。
 ココネは相変わらずの半眼で、首を傾げていたけど。ま、この辺はまだまだ、お子ちゃまってことか。

「あ、あれ?」

 ヒビが入りそうな私とシスターシャークティの石像を見て、ジロー先生もココネに倣って首を傾げて、不思議そうに聞いてくる。

「え〜と、シャークティ先生の娘ですよね、ココネって?」
「なっ!? コ、ココネは私の娘ではありません! い、いえ、娘のような子には違いありませんが、断じてお腹を痛めた子では――!!」
「え゛っ? な、何か重い過去があって、親子でシスターになったんじゃないんですか?」
「どっ……どんな重い過去ですかっ!?」

 あまりに失礼なジロー先生の予想を聞いて、クワッとシスターシャークティが吼えた。
 いや、そりゃ吼えるよね。どこの時代劇に出てくる尼さん? ソレ。

(つーか、ココネがシスターシャークティの娘だとすると、色々とヤバイよ? 花の高校生かそこらが一児の母親って、笑えないって)

 ヒクヒクと口を引き攣らせたシスターシャークティが、何度か深呼吸を繰り返して、ゆっくりと自分を落ち着かせながら尋ねる。
 スゴーイ、こめかみに血管浮かべて笑えるんだ、人間って。

「ジロー君……あなた、私を何歳だと思っていたのですか? これでも私は、まだ二十――」

 よっぽど気が立っていたのか、ジロー先生のことを「君」呼ばわりしたことに気付かないまま、シスターシャークティが首を傾げながら問う。

「ひっ!? ぎゃ、逆です逆! 今日、わざわざ女子寮に住んでいることを注意しに来たのは、自身の体験を基に、一時の感情に流されるなと言いたかったのかと……ハッ!?」

 綺麗すぎるシスターシャークティの尋問の笑みを見て、青くなったジロー先生が自分で致命傷を負った。
 ダメだよ? さっき言われたじゃん、自分を大事にしなさいって。

「…………そちらの方が、激しく失礼ですね?」

 ユラリ、と懐から十字架を取り出すシスターシャークティ。どうしてか、夜の闇の中で尚、色濃く映る闇が我らが上司から噴き出ていた。
 うっわ〜、何かおどろおどろしい空気が出てる。この人でも、年齢とか気にするんだー……ちょっと違う気がするけど。

「『汝、姦淫するなかれ』というのは、何もソウイウ行為に溺れてはいけない、という意味だけではありません。人を辱めるような妄想を抱いてはいけない、という教えでもあるのです……」
「は、はは……仏教にもありますね、そういう戒め」

 顔面引き攣りまくりのジロー先生とは対称に、シスターシャークティは清々しい笑顔で……それこそ、少女な私が見ても魅力的だと感じるぐらいの、水晶みたいに透き通った笑顔を浮かべていた……その、怒りのせいで。

「…………」
「…………」

 それを見て、私とココネはコッソリと十字を切って、祈りを捧げる。どうか安らかな眠りを、ジロー先生。

「さあ……懺悔の時間です」

 某霊能力者、M・Oさんが敵で出てきたドラマの決めゼリフを合図に、シスターシャークティの背後で十字架が整列を開始。
 それはまるで、銃殺刑の準備をする兵士か何かに見えた。私と同じものを幻視したみたいで、ジロー先生が猛烈な勢いで頭を下げる。

「――ご、ごめんなさいっ! 勘違いです、思い違いですっ! 綺麗ですからっ、若々しいですからっ! シスターに言うことじゃないですけど、十分魅力的ですから、教会のシンボルを物騒な凶器にしないでください!! て言うかこれ以上、血が出たら、さすがに死にますよ!?」
「…………ふぅ」

 懇願なのか、遠回しな脅しなのかわからないけど、顔面蒼白で半泣き状態のジロー先生が命乞いをする。
 あんまり怯えているのを見たからか、シスターシャークティがため息をついて、宙に浮かべた十字架を回収して懐に仕舞った。前々から不思議なんだけど、どうやって収納してるんだろ、あの十字架の群れ。

「……私も少し大人気なかったですね。主の教えは日曜の礼拝に回すとして、今日のところは目を瞑りましょう」
「…………………ハイ」

 さっきのが『少し』なのかは置いといて、やっぱり日曜の礼拝は出席確定なんだ。主よ、やはりこの世は無情です。
 助けた恩を説教で返されるジロー先生に同情しながら、主に抗議を送っておいた。ま、意味ないとは思うんだけどね。

「――――」

 助かったと思ったとこでどんでん返しを喰らって、肩を落としているジロー先生のことを、ココネも気の毒そうに眺めていた。
 無表情で見られると、逆に傷つきそうだから、止めてあげた方がいいと思う。

「あー、もう……何でマジメに仕事してるのに、やることばっかり増えるんだよ……」
「ハァ……」

 案の定、鬱っぽくぼやいてしゃがみ込んじゃったジロー先生に、シスターシャークティは目を瞑って、眉間に指を当ててかぶりを振る。
 それからしばらく考えて、意外なことを提案した。

「――今日は怪我もしましたし、さすがに疲れているでしょう。学園長への報告は私達で行いますから、あなたは一足先に帰ってお休みなさい」
「…………いいんですか? 何か裏があるとかじゃないですよね?」

 思いがけなく優しいシスターシャークティの申し出に、ジロー先生が顔を上げて、疑わしげな目を向けて聞く。なんだか、今日一日でずいぶんと荒んだね、ジロー先生……。
 まあ、私としては、えらくビックリなんだけどね。『あの』シスターシャークティがこんなこと言うなんて。こりゃあ、明日は雨だ。
 驚き半分、おちゃらけ半分で空を見上げていた私を横目で睨んで、シスターシャークティが釘を刺してくる。

「――美空、あなたが何を考えているのかはわかりませんが……マジメに働く子に休息を与えるのは、至極当然のことですよ?」
「……は〜い」

 ありがたくもない、有り難い言葉に内心、渋い顔。
 私もとっとと休みたいってのに……主よ、やはりこの世は不公平です。
 そんなことを考える私の前で、ジロー先生は依然、疑わしげな目を維持して、シスターシャークティに確認を取っていた。

「じゃ、じゃあ、帰りますよ? いいんですか? いいんですね? 嘘じゃないですよね? 学園長みたいに、そういえばもう一つ仕事が――とか言わないですよね?」
「疲れてル」
「言いませんから……早く帰りなさい!」

 あんまりしつこく確認してくるジロー先生に、ついにキレたシスターシャークティが怒鳴る。
 途端――

「あ……ありがとうございます!」
「キャ――!?」
「この御恩は忘れませんです、ハイ!!」

 疑わしげな顔から一変、泣き笑いの顔になったジロー先生が、シスターシャークティの手をガッシ、と握って頭を下げた。
 何もそこまで喜ばなくても――と考えて、すぐに思い直させられる
 でも、当然の反応かもしれない、って。だって、何か「数ヶ月ぶりの五時間睡眠かも!?」って自分の頬抓ってるし。

「ぅ、嬉しいのはわかりましたから……ソノ、アノ、手ヲー……」
「あっ、すみません。じゃ、失礼します! ははっ、スゴイ、『救いの天使』ってホントにいたんだー。
 遺跡で襲ってきたのと大違いだな……。ざまあ見やがれ、天使なんて名ばかりの人型兵器ども」

 さっき自分もやったってのに、それを返されて顔を赤くしていたシスターシャークティの抗議を聞いて、あっさり手を離したジロー先生は、貴重な動物か何かを見たような顔で変なことを呟いてから、一陣の風になって去っていく。
 遺跡とか、天使とは名ばかりの人型兵器って……出張先で何を見たんだろ、ジロー先生……。

「よ……よほど苦労しているのですね、彼は」
「き、きっと色々あるんですよ」

 ポツリと、遠くなったジロー先生の背中を見送りながら、シスターシャークティが洩らした。
 それに苦笑して相鎚を打ちながら、心の中で例を挙げておく。例えば、隠す気があるのかどうかもわからないネギ先生のフォローとか、自分で蒔いてそうな苦労の種とか、イロイロね。
 ジロー先生の後ろ姿が完全に見えなくなってから、残ったメンバーで学園に向けて歩き始めた。
 その道中――

「それにしても…………わ、私が救いの天使だなんて……」
「シスターシャークティ?」
「か、彼には、私がそう――い、いえ、あれはただの社交辞令というもの……そんなことは――」

 学園までの道を歩いてる時、変なことに気がついた。
 シスターシャークティの様子がおかしい。何か自分の手を握り締めて、必死になって火照った顔を元に戻そうとしている。
 人の呼びかけにも応えず、ジロー先生に握られた方の手を凝視して、ブツブツと呟いてるシスターシャークティを見て、私に一つの預言……というより、イメージ映像が降りてきた。
 ずばり、こんなの――

 ――底なし沼とか、崖の向こう岸にある聖地へ行こうとする子羊。

 頭の中に浮いたイメージ映像を鑑賞して、ニヤリと口元を歪めて笑っちゃう。

「……次の日曜日の礼拝、楽しみですね、シスターシャークティ?」
「えっ!? そ、そうですね。話を聞いてあげることで、彼の心が少しでも晴れるなら、聖職者冥利に尽きますし……ええっと、他に、そう! 私達が形だけの宗教者ではないと、彼にわかって――」

 そんなことはどうでもいいんです、シスターシャークティ。
 どこか誤魔化すみたいに返事を返して、理由やらを並べ立てるシスターシャークティに、悪魔――おっと、天使の笑みを浮かべる。
 ンフッフッ〜、おもしろいオモチャ見〜っけ、ってね。
 外は慈悲深い聖女の笑みを、内では悪魔にスカウトしてもらえそうな笑みを浮かべて考える。何か、映画みたいな面白いことでも起きないかな、とか思ってたら……ねえ?
 夜空に向かって十字を切って、感謝の祈りを上げる。主よ、あなたも粋なことを為さいます♪

「……美空、顔が邪悪ダ」
「気のせい気のせい。あ、シスターシャークティ、明日にでもジロー先生の好物から趣味・嗜好まで聞いてきますから。今日のお礼のお茶会に役立ててください♪」
「え? え、ええ、お礼の席で嫌いなものを出すわけにもいきませんしね。それでは頼みます、美空」
「合点承知です♪」

 任務に就く前とは真逆で、上機嫌になった私の声が人気のない路地を抜けて、麻帆良の夜空に響いた。

(ところでジロー先生、知ってる? 天使が堕天する理由の一つ)

 この罪は重いよ〜♪ たっぷり罪の十字架背負って、アップアップしてよね。主に私の為に!
 新しい心の潤いを得られる予感に打ち震えながら、私はすでに見えなくなったジロー先生に向かって、そう叫ばずにはいられなかった――――




後書き?) お題・「レストラン」
「おい、お前さん。あそこで坊さんがステーキ食ってるぜ。こりゃ、世の中終わりだね」
「おいおい、急にどうしたんだい? どうして坊主がステーキ食べたら、世の中終いなのさ」
「肉食うのは『生臭』坊主。世も末(饐え)だねぇ」

 初っ端からすみません、コモレビです。何となく消したくなくて、小噺は残してしまいました。
 教会組の話・改正版。やっぱり、教会組三人の性格が掴めていません(今もですが……)。
 うちの教会組の面々は、原作とかけ離れた場所に向かって駆けていると思いつつ。
 ではでは。



「宴会? 演怪?」


 拝啓、あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。お元気ですか?
 俺は元気です。そう――

「という訳で、宴会をしようと思う」
「何が『という訳』ですか、学園長?」

 特に事件も厄介ごともない、平穏な昼下がり。呼び出されて訪れた学園長室で、急に思いついたように口を開く学園長に対して、半眼になりながら冷静に突っ込める程度に。

「基本、魔法教師全員の参加が望ましい……が、ネギ君はダメじゃ」

 こちらの質問に無視を決め込んで、話が進む進む。前後に長く伸びた、映画に出てくるエイリアンみたいな頭をシェイクして、中身が入っているのか確認したい。

「まあ、夜更かしさせたくないから、いいですけど。ちなみに、何でネギはダメなんですか?」
「…………ボウヤだからじゃよ」

 ホントはその台詞を言いたかったがために、職員室で休んでいた俺を呼び出したんじゃなかろうな?
 微かに頬を朱に染める寿老人に、不愉快なものを感じながら思った。

「場所は『超包子』での。他の教師への伝達は頼んだぞい」
「了解です……」

 こちらの冷めた目を気にした様子もなく、学園長が伝達事項を仰られた。
 別にいいんだけどさ、何で俺に面倒ごと回すかね、この妖怪じいさん。ウチのじいちゃんといい、メルディアナの校長といい、人が頼まれたら断れないって知って……。
 内心、愚痴を溢しながら学園長室を出て廊下を歩く。さって……まずは誰に連絡しようかねぇ――――






 夜の帳が落ちた広場に、祭囃子に似たざわめきが響いている。

「聞いていますか〜、ジロー先生!」
「はいはい、ちゃんと聞いてますよー」

 グラスに入った杏のお酒をチビチビと舐めながら、目の前で管を巻いている、茶っぽいロングヘアーに眼鏡をかけた、三十路前のおば――妙齢の女性に相槌を打つ。

「私らってね、もっと彼とデートしたり、お買い物に行きたいんれすよ? れも仕事柄、時間が取れなくて……」

 ビールジョッキ片手に熱弁を振るっている彼女の名は、葛葉刀子。一部の男子生徒に人気の美人教師である。
 魔法使いが多い麻帆良では珍しい西出身の神鳴流剣士で、刹那がこちらに移り住んでから、剣術の指南などで世話になっている人でもある。
 ちなみに、以前離婚した西洋魔術師のことに触れると黄泉醜女と化す。現在、一般人の彼氏がいるらしいが、当人の年齢もあって再婚を焦っているらしい。

「休みの時は一日中、彼につきっきりでお世話してるのに、彼ったら嫌そうな顔をするんれす〜……」
「はあ……」

 グラスのビールを飲み飲み、涙ながらに語っているが……そりゃ、依存されたら困るよな、彼氏も。すでにこの会話も九回目だし。
 絡み酒って性質悪いな、と思いながら慰めの言葉をかける。

「あまり尽くしすぎるとダメになりますよ、両方」

 カップルにしろ夫婦にしろ、適度な距離感を保てなければ破綻は目に見えている。人間誰しも、息苦しくない距離や一人になりたい時間があるもんだ。

「だから、ベタベタするより一緒にいることが幸せ、な空気を出した方がいいですよ? 押し競饅頭と一緒で、近すぎると逆に辛くなりますから」
「な、なるほろ! 勉強になります、ジロー先生!」

 真っ赤になった顔で目を見開いて、戦意表明するようにグラスに残ったビールを呷る刀子先生。
 断言できる、明日になったら絶対に忘れてるって。だいたい、俺が言うようなことができるなら、「性格の不一致」なんて理由で離婚するわけないし。
 空になったジョッキを握り締めて、気持ち良さそうに卓へ突っ伏している刀子先生を眺めながら思った。

「何となくだけど、刹那が精神的に成長できなかった原因って、この人にもあるんじゃないか……?」
「いやや〜……しゅてないで〜」

 悪酔いしたのか、ウンウンと唸っている酔っ払いから遠ざかる。腕は立つのに精神的に脆いって、師匠としてダメダメだよな。
 師匠の義務って、剣の腕を向上させるだけじゃなくて、生き方や在り方の見本にもなることだぞ、たぶん。




「おお、ジロー君じゃないか」
「ん? ああ、御晩です弐集院先生」

 最初に座っていた卓を刀子先生に占領され、仕方なしにグラス片手に流浪していた俺を、卓上の料理をバキュームしていた男性が呼び止めた。
 恰幅のいい体格をした、傘のやどんぐりが似合う『森の妖精』っぽい人が、こちらに向かって手を振っている。
 彼の名は弐集院光。眺めていると何となく和んでしまう、小太りと呼ぶのが多少難しい人で、魔法先生の中では数少ない既婚者だ。

「こんばんはー、ジーちゃん!」
「……こんばんは、弐集院さん家の娘さん」
「あはは、ゴメンね。その呼び方が気に入っちゃったみたいで」

 今日の宴会には、奥さんと娘さんの二人を連れて来ていたらしい。
 膝の上に乗せた、コロポックルみたいに愛らしい娘さんのオカッパ頭を撫でて、弐集院先生が娘をフォローする。
 隣に座る奥さんも、苦笑しながら頭を下げてくださった。

「いえ、気にしてないですから」

 頭下げられるのがこそばゆくて、手を振って止めてくれるようお願いする。
 大丈夫、気にしてません。「ジーちゃん」という呼び方も、俺が「ジロー」であるからこその呼び方で、決してジジ臭いという理由ではないはずですから、きっと。
 そういえば、ばあちゃんには「じろちゃん」って呼ばれてたなぁ、と妙な懐かしさを覚えながら、勧められるままに席に着いた。

「はい、ジーちゃん。お酌してあげるー♪」
「あー、どうもどうも」
「エライなー。将来、きっといいお嫁さんになれるぞー」

 未成年者にお酌する娘を、蕩けそうな瞳で見つめる弐集院先生に苦笑する。
 あーあ……杏のお酒がリンゴサワー風味に。

「エヘへー♪」

 「いいお嫁さん」という単語が嬉しかったのか、父親の膝上で足をパタパタさせて、娘さんが大きな声で内緒話をしてくれる。

「あのねあのね、ジーちゃん。私、大きくなったらパパのお嫁さんになるのー!」
「へー、そうなんだー」

 全身、蕩けてしまいそうな父君を極力、視界に入れないようにして相槌を打つ。

「でもね、ジーちゃんがパパみたいになったら、ジーちゃんのお嫁さんでもいいよ♪」
「……へー、そうなんだー」

 これからはポッチャリ系の時代なのだろうか? スルーするには多少、ショッキングな弐集院先生の娘さんの好みに目を瞑り、笑顔で二度目の相槌を打つ。
 どうせ大きくなれば、「そんなこと言ったかな?」で終わる子供の戯言だ。食生活さえ間違えなければ、将来、うちの連中みたいな美少女になるのは確実だが……俺は平安中期に成立した王朝物語に出てくる主人公でもなければ、ぺドフェリアでもない。
 心の中でありがたい申し出に辞退を述べながら、とりあえず、小さなお姫様の機嫌を損ねないように頷いた……のだが。

「…………ジロー、君?」
「あー……じゃ、じゃあ、知り合いに呼ばれている気がするので、俺は行きます!」
「え〜、もうバイバイなの、ジーちゃん?」

 身の危険を感じて、別れの挨拶だけ残して脱兎の如く歩き去る。
 俺は今日という日を忘れない。娘を守らんとする森の精霊の瞳を……。見たことのある人ならわかるだろうけど、傘と独楽が似合う『彼』の歯……アレに噛み付かれたら、無事では済まないだろう?

「にしても……世の中、不公平だ」

 声を掛けてくれる知り合いに挨拶を返しつつ、軽く愚痴る。俗に言う「嫉妬」という奴だけど、彼女なしの僻みと見逃してほしい。
 どうしてか、弐集院先生の奥さんの容姿を聞かれている気がするので答えるが――――娘さんの容姿から察してくれ。
 それ以上、俺が語れることはない。というか、心が寂しくなるから語りたくないです。
 いや……嫉妬だ云々いったところで、特に相手を探したりしてない俺が、寂しいどーのこーのって、ちゃんちゃらおかしいのだが。
 もう酔ったのか、と自分に突っ込みながら歩いていた時、横手から呼び止める声が届いた。

「あら? どうかしたの、ジロー君?」
「あー、いえ、人生の勝者の定義について考えていただけです」
「?」

 足を止めて、呼び止めてきた人物に言葉を返す。
 視線の先にいたのは、褐色肌に銀髪と紫がかった瞳の女性――魔法先生であると同時に、麻帆良にある大きな教会でシスターもしているシャークティ先生だった。
 今日の宴会は全員参加が望ましいと言われたので、とりあえず誘ってみたのだが……来ていたのか。

「意外ですね、シャークティ先生がこういう集まりに来るなんて」
「私だって、たまには息抜きをしますよ?」

 微妙に失礼な俺の言葉に苦笑を返し、彼女は息抜きの言葉の通りグラスを傾けた。
 たしかに、息抜きしないとやってけないもんな、ここでの生活……。奇妙な説得力を感じて、同じような苦笑が浮かぶ。
 ずっと立ったままの俺を見て気を遣ってくれたのか、シャークティ先生が隣の席を引いて座るように勧めてくれた。

「さっきから歩き回っているみたいですし、よければここで少し休んでいってはどうですか?」
「あー、ありがとうございます」

 実を言うと、もう酔いが足に来ていたところだったので、シスターの気遣いに頭を下げて、席に着かせてもらうことにする。

「じゃあ、少しだけここで休ませてもらいます」
「ええ、どうぞ。あ、ここにあるものは自由に食べてください。あら? 飲み物も少なくなっていますね……それじゃ、これを――」

 席に着いた俺に微笑んだ後、シャークティ先生はテーブルの上に置いてあった肴を取りやすい場所に移動させたり、残り少なくなっていたグラスへ、置いてあった梅酒サワーらしきものを注いだりしてくれた……。
 杏にリンゴと梅の味が混ざり合った新種のお酒に視線を落としながら、何とはなしに考える。
 甲斐甲斐しく、色々してもらえるのは嬉しいのだが……この人も、俺が飲酒していることについて不問なんだな。
 やはり麻帆良は治外法権ですよ、じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ――と、いつもの如くあの世の祖父母と飼い犬に報告を上げて、ふと嫌な予想が頭を掠めた。

 ――もしかして、みんな俺がまだ十代だってことを忘れてるんじゃなかろうか?

 確かにエヴァの別荘を頻繁に使用して、見た目は少しばかり歳相応じゃなくなってるかもしれんが、いくらなんでもそれは酷いだろ。
 話し相手ができたからか、少し嬉しそうにしているシャークティ先生とグラスを合わせつつ、俺はこっそり涙を流した――――






 そして、シャークティ先生と飲み始めてから半刻ほど経ち。俺は星空を見上げて、何度目になるのかわからぬ呟きを洩らした。

 ――我思ふ、何故にこの宴会に参加した?

「ええ! 美空ときたら、隙さえあれば仕事をさぼって……! しかも最近は、ことあるごとに私をからかう始末……!」
「た、大変ですね……」

 隣の席で、優雅な仕草だけは変わらず、飲むペースだけがアップしていくシャークティ先生の剣幕に怯えながら合いの手を入れる。
 卓の上には、追加で俺が頼んだ料理の他に、空のワインボトルがすでに三本。同席させてもらってから、シャークティ先生がご機嫌で空けてしまったのだ。

「わかってくれますか、ジロー君! やっぱり私の味方はあなただけです! もう、最近はココネまで私のこと、度胸がないと言ってイジメるんです……!」
「うわあっ!?」

 相鎚を打った俺に据わった目を向け、ガッシリとこちらの両肩を掴んだシャークティ先生が、ズズイッと顔を寄せてきた。
 さ、鎖骨を折る気だろうか? 徐々に力が込められていく指に、顔を引き攣らせながら恐怖する。

「の、飲みすぎじゃないですか? か、顔が近いですよ!?」
「ウフフ……ワインは主の血液だから大丈夫です♪」

 恐々と進言したら、すごく華やいだ笑顔でトンチンカンな答えが返ってきた。
 うわぁ、この人、もう話が通じないよぉ……。暗闇越しでもわかるぐらい頬を赤く染めて、瞳を潤ませたシャークティ先生が、人の顔をジッと覗き込む。
 酒か、それとも分からない程度につけている香水のせいか。匂い立つような色香に、思わず目が泳いでしまった。
 動揺しているのを察したのか、普段しないようなニンマリと微笑を浮かべたシャークティ先生が聞いてきた。

「……フフ、照れているんですか? ジロー君もお年頃なんですね」
(ダ、ダメだ! これ以上、ここにいちゃダメな気がする!?)

 普段の凛とした様子からは想像もできない、フランクな態度と悪戯っぽい笑顔。
 ウェールズにいるはずのネカネさんと、似通ったものを感じるのは何故だろう? イギリスにいた頃、なにかと世話になったネギの姉にあたる人の、含むもののある笑顔が、自然と思い出された。

「(笑顔が怖い……こうなったら)あー、えー……シャ、シャークティ先生、グラスが空になってますよ? も、もう一杯どうぞ」
「…………酔い潰す気ですか? ジロー君のエッチ……」
「違います」

 古今東西、性質の悪い酔っ払いは眠らせるのが一番安全だと、酒を勧めた俺に艶っぽい流し目を送るシスターに頭痛を覚える。
 これ以上、肩を強く握られると、冗談抜きで鎖骨が折れかねないし、刻一刻と顔が近付いてきている……もう時間がないんだ。

「んー……ジロー君がお酌してくれるなら、飲んであげます」
「はいはい。どうぞ、シャークティ先せ――」

 しめたと内心ガッツポーズしながらワインボトルを持ち、いざグラスに注がんとしたのだが、「先生」と言いかけたところで、唇を指で押さえられる。
 あんた、なんばしょっとね!? 驚いて目を見開いた俺に、心底楽しんでそうな視線を向けて、シャークティ先生がのたまう。

「クスクスッ♪ 『シャークティ』って呼んでくれないと飲んであげません」
「……お願いですから、これ以上、口を開くことなく飲んでください、シャークティ……さん」
「うー……もう少し力を込め欲しかったのですが。まあ、いいでしょう、よく言えましたね♪」

 若干不満気味な顔で、しつこく掴んでいた手を離したシャークティ先生が、頭を撫でてきた。
 俺の中で、しっかり者で怜悧な女性像が……数少ない頼れる人と、積み上げてきたシャークティ先生への信頼が砂になっていく……。グラスにワインを注ぎながら、心の中で滂沱の涙を流す。
 酒が人を変えるってホントなんだなぁ。いやいや、待て待て、きっと普段から、ストレスを溜め込んでいるからに違いない。
 でなきゃ、シャークティ先生がここまで我侭言うとは思えない。信じないぞ、この人まで虎だったなんて。
 諦めたらそこで試合終了ですよ、というどこかで聞いた台詞を思い出しながら、弱々しく誓った。
 明日にでも、美空にもっと真面目に仕事や修業をするように言おう、と。

「クス……クスクスクス――――わふー♪」
「ええい、無駄に可愛らしい声を出すなぁ……って、ウワッ!? 何で犬チックになってるんですか――――痛い痛い痛いッ!!」

 ……とりあえず、現在のこの危機的状況を切り抜けることができれば、だが。
 やけに楽しそうに人を齧りにくるシスターの顔を押し退けながら、全力で叫ぶ。甘噛みってレベルじゃないぃぃぃぃぃ!?





「ハァ……どっと疲れた……」

 何の因果で、迷惑や騒動は俺に突貫をかましてくれるのかね。
 楓から頂戴した――教授を受けたわけじゃないが――空蝉の術を使い、俺が着ていたジャケットの袖を握り締めて潰れているシャークティ先生を残して、安息の地を求めて歩きながら誓った。
 そして、

「伝達だけして、帰って寝てりゃよかった。何で俺、この宴会に参加したんでしょうね……」
「フッ……」
「そこは多分、ニヒルに笑うところじゃないですよね?」

 最終的に、屋台に直接、備え付けられたカウンター席で項垂れ、ジト目を向けた俺の疑問に、サングラスに黒服&ラウンド髭という、マフィア一歩手前のダンディ魔法先生――神多羅木先生が水割りの入ったグラスを見つめて、ボソリと呟いた。

「毎度のことだろう、ジロー」
「……それもそうですね」

 二人並んで周りの狂乱を肴に、グラスの入ったお酒を飲んでいく。ああ、もう結構飲んだせいか、頭がぼやーっとしてる。

「あのさ、もう少し明るくいかない? 二人とも」
「周りが騒がしい中、こうやってマイペースにのんびりと」
「……それがいいのさ」

 カウンターに引っ越してきて、遠慮がちに隣に座っていた瀬流彦先生に緩い笑みを返す。神多羅木先生はグラスしか見ていなかったが、同意だと呟いていた。
 夜が更けていく中、酒で鈍くなった思考で考える。明日は絶対に二日酔いだろうな、と。

「上着、どうやって取り返そう……」

 夜も更けて寒くなったのか、人のお気に入りな灰色のジャケット――いつかだったか、テストの罰ゲームで長谷川に服を奢った時、ついでに買ったニャジダスの新作だ――を抱き寄せて安眠されているシャークティ先生を遠目に眺めながら、グラスに残った杏リンゴ梅風味の酒を飲み干す。
 ため息をついて、周りの喧騒に耳を傾けて思った。魔法使い達の宴会は、まだまだ続きそうだ、と――――






 ――翌日、当然の如くやってきた苦しみに顔を歪めながら職員室の扉を開ける。

「う、うぅ……」
「やあ、おはよう……大丈夫かい、ジロー君?」

 予想通りというように、席に着いてグラグラズキズキする頭を抱えて唸っていた俺に、苦笑しながら高畑先生が聞いてきた。

「な、何でみんな、あれだけ飲んで平気なんですか……?」

 結局、昨日は閉店時間まで宴会は続いた。学園長の解散宣言が出た後、部屋まで運ばなきゃいけない人もおられたし……。誰とは言わないが、家主の剣の師匠や生徒の指導者とか。
 あんなに混沌とした状態だったのだから、一人や二人は俺と同じ状態だと思ったのに――――みんなピンピンしてやがる。
 職員室を隈に彩られた半眼で怨めしそうに見渡して、死にたいと嘆きながら机に顔を伏せた。

「……ちくしょう、みんな人間じゃねえですよ」
「ははっ、みんな魔法使いだしねぇ」
「理由になってませんよ……」

 呑気に言葉を返す高畑先生に、机に顔を押し付けたまま突っ込む。
 あれか、二日酔いを治す魔法でもあるんですか? それか、肝臓に強化の魔法? 夢もヘッタクレもないな、そんなことに魔法を使う魔法使いなんて。

「あー…………そういやジャケット、どうやって返してもらおう」

 昨日、仕方無しに貸したままにしたニャジダスのジャケットを思って、アンニュイに呟く。今朝、シャークティ先生に会ったんだけど、半泣きで逃げられたんだよなぁ。
 どうやら、昨日の醜態を覚えてるらしいし。あれだけ酔ってはしゃいで、人にじゃれついた記憶が残ってるって……。

「何というか……不幸な人だな、シャークティ先生って」
「……君が言うと、本当に彼女が惨めになるから」

 高畑先生? マジ顔で、肩を掴んで首を振って見せないでください。そういうことされると、まるで俺が同情しちゃいけないように感じます。

「ハァ……結構、お気に入りだったのにな〜、あのジャケット」

 結局、シャークティ先生に預けたままの、灰色(一番好きな色)の生地で、背中側に「座って背中を見せている猫のシルエット」がプリントされた愛用品を想って、ほうっとため息をついた。

「まあ、教会主催のバザーに寄付したってことでいいんじゃないかな?」
「人事だと思って……」

 張り付いたような苦笑で、咥えた煙草に火をつける高畑先生にジトッとした視線を送る。二日酔いの人間の側で煙草吸うって、正気ですかあんた……。

「ハァ……もう、いいや。考えるのも辛い……」

 結局、シャークティ先生の醜態を忘れる代償として、ジャケットは諦めることにした。
 …………代償にして諦めるって、欠片も得していないような気がするけど、人間諦めが肝心って言うし。
 もう……ゴールしてもいいよね? 頭の内側を金ブラシで擦られているような痛みに苛まされながら、俺は朝の会議が始まるまでの時間を死体で過ごすことに決めた――――






後書き?) この話は、元は風牙亭様が650万HITしているのを見て、衝動的に書いてしまったものです。制作期間、たぶん四十分そこら。
 原作九巻でネギ君が酔って管を巻いていましたが――

「十一年早いんだよ!(某八極拳使い風に)」

 と思ってしまいます。まあ、仲間外れにしたのはかわいそうですが……この話は麻帆良祭最終日、十把一絡げに『跳ばされる』魔法先生達を書いてみたかっただけだったり。絶対に酒乱が多いですよね、あの学園。
 それでは、感想やアドバイス、指摘、お待ちしております。

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