「夜が明ければ元通り」


「ハアッ!……ハアッ! ハアッ!」

足元も見えない山道。走り続ける天ヶ崎千草は、粗い息を吐きながら悪態をついた。

「くっ! まさか、このかお嬢様を奪われて制御が効かんようになるとは……誤算やったわ」

だが、失敗してしまった計画を嘆いても意味はない。今は身を隠して、新しい復讐の機会を待つべきだと考え、千草はこうして恥も外聞もなく逃げ続けている。

「ハアッ、ハッ、ハッ……それにしても、なんやったんやあいつら」

遠くから見た、伝説の鬼神が体験したものを思い出し、千草は声を震わせながら呟いた。

「あの兄ちゃんに、知らんうちに増えとった金髪のガキや……伝説の鬼神を結界に閉じ込めて焼くて、冗談やないわ! 並の使い手にできることとちゃうで、あんなん。金髪のガキなんて、鬼神を凍らせて倒してまうし……クソッタレの西洋魔術師め!」

悔しさのあまり、噛み破った唇から血が滲んだ。今回の計画を、たびたび邪魔してくれた少年達への殺意が湧く。それがただの逆恨みだと気付くはずもなく、千草は熱に侵された頭で、どのような復讐をしてやれば気持ち良くなれるのかを妄想する。

「く、くくっ……仕切り直しになってもうたけど……次やる時は、イの一番にあのガキンチョどもに仕返しさせてもらおかな。一番は誰にしょうかな? あの兄ちゃんと、金髪のチビは外すとして……やっぱ最初は、あの烏族のハーフか魔法使いのチビやな」

自分が味わった屈辱以上のものを与えて、辱め、そして……壊す。そんな狂った願望に、千草は顔を歪めかけて――――

『オ前……悪人ダナ?』
「!!?」

別の感情に顔を歪ませてしまう。少しでも遠くに逃げなくてはならない状況で、足を止めてしまった。

「何者や!?」

周囲を見渡しても人の姿は影も形もなく、ただ声だけが自分の耳に届く。

『自分ノ目的・欲望・理想ノタメニ、他人ノ犠牲ヲ厭ワヌ者――ソレガ悪人ダ』

突然、周りの茂みを掻き分け、凄まじい速さで動き回る「ナニカ」が現れた。

『ダガ誇リアル悪ナラバ、イツノ日カ、自ラモ同ジ悪ニ滅ボサレルコトヲ覚悟スルモノダ』

正体がわからないものほど、人を恐怖に陥れるものはない。古来、妖怪が人間にとって恐怖の象徴であったのも、その訳のわからなさ故。
鵺の如き不気味な「ナニカ」の問いかけに我を失い、千草はその場で叫ぼうとして――

「―――よう、こんばんは。どこに行く気だ? 天ヶ崎千草」
「ひっ! ひぃいいいっ!?」
『覚悟ガネェンナラ、テメェハタダノバカカ、三流デ腰抜ケノ小悪党ダ』

目の前に現れた「二人」に、千草の腰が抜けた。必死に這いずって逃げようとするのを眺めながら、二人の会話は続く。

「そう言ってやるなよ、チャチャゼロ。三流に三流って言っても意味がないぞ? だいたい、覚悟があったのなら、こんなところまで逃げないだろうし」
『ケケケケッ、ソレモソウカ』
「それよりもだ」
「げふっ!?」

散歩するような足取りで近づいてきたジローが千草を蹴り飛ばし、仰向けになったところを、呼吸が出来る程度に鳩尾を踏みつけた。
千草から苦悶の声が上がったが、チャチャゼロはそれを楽しそうに聞いている。

「さっき楽しげに話していたが……「あの烏族のハーフか魔法使いのチビ」がどうしたって?」
「ぐっ、ぐえ、ううっ……」
『ケケッ、ナカナカ上手イジャネェカ』

胸骨が折れる一歩手前でかけられる圧力。どうにか呼吸を続けることしかできない千草に、ジローは平坦な声で催促を続けた。

「なあ、聞いてるんだからさっさと答えろよ。二人に何をしようと考えた?」
「かっ……アウアッ!?」

声を出そうとして、千草の目が見開かれた。声が出せないことに気がついて――

「ふぅ、『強情だな』? 『どうしても答えたくない』なら仕方がない……いいぞ、チャチャゼロ」
『ナンダ、モウ終ワリカヨ。骨グライイットケヨ』
「!!!?」

つまらなそうなチャチャゼロの取り出した物に、千草は出すことのできない悲鳴を上げた。
動く人形が取り出したのは、小さな自分の体長を超す、長大な剣。

「ククッ、まずは『〇ザリー』の原作でいくか?」
『オッ? 渋イネェ♪ ジャア俺ガ足切断ダナ。焼クノハテメェニ任セルゼ』
「了〜解。ショック死させないよう、上手くやれよ? 生きていることを後悔し尽すぐらい啼いてもらわないと、懲りずにまた三文芝居を書きそうだしな、こいつ」
『ケッ。誰ニ言ッテンダ? シクジルカヨ。ツイデニ皮デモ剥グカ?』
「ハハッ、いいねぇ。サービスだ、焼いて出血は止めてやる」
「!!?? ん!……グ……ヒィ……!?」

これから自分に対して行われようとしていることに、か細いうめき声でしか抵抗できない。絶叫できれば、少しはこの怖さが紛れるかもしれないのに、声を出すことすら青年は許してくれなかった。ゴキゴキと指を鳴らすジローの手に、血の如き唐紅色の炎が灯る。

「大丈夫、気持ち良くなるぐらい綺麗に「壊してやる」よ。何、心配するな。顔ぐらいはそのままにしておいてやる」
『マッ、ソレ以外ハ全剥ギノ後、焼キ決定ダケドナ』
「それじゃ、出来の悪い三文芝居の脚本家には――」
『引退シテモラオウカ――アバヨ』
「ンーーー!!!?」

チャチャゼロの大剣が振り降ろされて――そこで千草は意識を閉じた。




始まりました、修学旅行四日目。眠いけどマラソン中のジローです。寝不足で長距離走は危なくなかったか? ま、じいちゃんの特訓に比べりゃ安全すぎるか。
今日は自由に動ける最後の日。ネギとカモでも連れて、名所を観光したいです。ただ、それは暴走した紙型を葬ってからの話だな。
現在、「ホテル嵐山」に向けて全員で進軍中なのですが――

「急がないとたいへんですよ、お嬢様、ジロー先生♪」
「また、お嬢様ゆうー」
「あっ、ご、ごめんなさい、こ……このちゃん」
「おーい、前見ずに走ったら転ぶぞ、二人とも」
『…………』
「(不気味すぎる……みんなして、じっと見るのは止めてくれ……)」

舞台の後片付けとか、いろんなトコでがんばったんだから、自由に観光できる最後の日ぐらい、使い魔な俺にも安らぎをください。
あの後、少し遅れて合流した俺とネギへ幸せそうに微笑んだ刹那を見て、何故か睨まれ、生暖かい目で見られている俺の切実な願いだ。
刹那が幸せそうなのは、このかと仲直りできたからだが、そのことと俺が睨まれ、生暖かい目で見られることに、一体何の因果関係が? 解答を求めて首を捻っていると、満面の笑みでこのかが話しかけてくる。刹那と仲直りできて嬉しくてしょうがない、って顔だな。

「どうした、このか?」
「あんなー、さっきお父様から、ジロー君にーって、手紙渡されたんよ」
「詠春さんが俺に……スクナの封印処理したら、また会うのに?」

やけに上質な和紙に包まれた手紙を渡された。走りながら包みを開き、達筆な文章を読んでいく。

「はあ、はあ……ジローさん、何て書いてあるの? ぼ、僕には読めないんだけど」
「あー、いくらネギでも草書は読めないか。え〜と、なになに? 『拝啓、ジロー殿。今回の件における君達の活躍に――』長いな……少しとばして、『―小太郎君のことは、僕に任せておいてくれ。決して悪いようにはしない。反省室には入ってもらうけどね』、だってさ」
「よかったー。コタロー君、そんなに重い罪にならないみたいだね!」

嬉しそうにネギが笑う。個人的に一番気にしていたことだけに、俺も嬉しい。

「そうだな。ま、しっかり油を絞ってもらえるよう、俺が頼んだんだけど」
「あはは……」

一応、千草に協力したんだ。それ相応の罰は受けないと。手紙はそれで終わっていたので包みに戻そうとして、俺はある『仕掛け』に気がついた。

「……なんだこりゃ?」
「どうしたの、ジローさん?」
「いや、包みの方にも文字が……えーと、『僕は諦めないからね』……何を?」
『!!?』

俺が読んだ詠春さんのメッセージに、アスナやカモが反応した。何か知っているのか?
意味のわからない詠春さんからのメッセージに首を傾げた時、息を弾ませながら、このかが父親からの伝言を伝えてきた。

「昨日なー、お父様が言うとったんやけど、ジロー君のこと気に入ったから今度、ウチとかと一緒にじっくり話しせーへんか、やって」
「話くらいなら、別にいつでもいいけど……何の話だ?」
「もー、ジロー君のいけず……わかっとるくせに〜♪」

どこかの双子を彷彿とさせる笑顔で話すこのかには悪いが、本当にわからないから聞いているんだ。まあ、別にここで考えなくても、会えばわかるか。それにしても、詠春さんと話ね……昔のこととか、けっこう面白い話を聞けそうだ。絶対に武勇伝を持っているよ、あの人。

「楽しそうだな。それじゃ今度の休日にでも、こちらから会いに行きます、って詠春さんに―――」
「「絶対にダメです!」」
「拙者も、その話には応じない方がいいような気がするでござるよ、ジロー殿」
「嫌な予感するから行っちゃだめアルよ、ジロー」
「――――」
「―――伝えなくていいぞ、このか……」
「残念やわー。気が向いたらいつでもウチに言ってや、ジロー君」

謎な威圧をかけられて、「伝えといてくれ」とは言えませんでした。何で俺が詠春さんと会うことに、そこまで反対されなきゃいけないんでしょうか?
刹那と夕映ちゃんは見事なハモリで怒鳴るし。楓とクーフェイは「なんとなく」で行くなと言うし。茶々丸も、「用件を知らずに承諾なんて、あなたはバカですか?」みたいな目で見るし……用件なんて、会った時に聞けばいいんじゃないか、とは言えませんでした。
みんなさっき以上に不機嫌そうな顔で、俺を見ている。さっきあんなに幸せそうに笑っていた刹那まで、詠春さんのメッセージを聞いた途端、不機嫌さ全開。人にとってどれだけ幸せが儚いものか、教えられた気分だ。

「……みんな、寝不足で怒りっぽくなってるぞ」
『……はあぁぁぁっ』
(さすがやー、ジロー君♪)
(ちょっと、このか。あんた、少し黒いわよ……)

みんなが白い目で俺を見てイジメるんです。理由を教えてください。

「ヤレヤレ……人気者は大変だね、ジロー先生」
「俺が人気者でないのは確かだが……まさか真名に慰められるとはな」

捨てる神ありゃ拾う神あり。あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。世の中、わからないことだらけだよ――




「修学旅行血風録〜京都いい旅?夢気分」


現在、俺は京の有名甘味処「くまばち」にいます。目的は、真名への報酬を支払うため。
楓やクーフェイも一緒にどうかと思ったのだが、発見した時、ウチのクラスの葉加瀬や超といった連中に、「肉まん地獄」なる拷問を受けていたので見捨てました。
恩人達を見捨てた天罰でしょうか? 真名の助っ人料を、餡蜜+依頼料で合意したのは間違いだったかもしれません。

「モグ……おかわり」
『お、おおおぉぉぉ……』
「あ、餡蜜48杯目……」

目の前で積み上げられた空の容器の塔に、また一つ餡蜜の器が加わった。頭の悪い光景に頭痛がする。

「……いいかげん、見てるこっちが胸悪くなってきた」

朝のマラソン大会の後、ホテルで俺達を待っていたのは、「身代わり達のドキドキストリップショー」なんて性質の悪い見世物だった。
偽者とはいえ、外見だけは本物とまったく同じな身代わり。宴会場の真ん中で繰り広げられる世界をまともに見るわけにもいかず、身代わり達を葬る仕事はアスナ達に任せた。

「関西呪術協会は、「身代わりの紙型」の製造を禁止すべきだ……」
「ふふ、ジロー先生には刺激が強すぎたかな、アレは?」

下手すりゃ名誉毀損ものだ、あの身代わり達の行動は。刹那や夕映ちゃんなんてよっぽど恥ずかしかったのか、ずっと上目遣いで俺の様子を伺っていたし。
このかの実家で、同じくらいに危険なものを見てしまった俺ではあるが、むしろ中途半端に着衣が残っていた方が……いかん、それ以上は考えるな。全部、忘れてしまえ。

「顔が赤いよ、ジロー先生?」
「……うぐぅ」

言うな、俺だってまだ若いんだ。残ったお茶を飲み干してから、席を立つ。

「おや、もう行くのかい?」
「ああ。大はしゃぎの金髪幼女に京都観光に付き合え、って約束させられたし」

約束があるのに俺がここにいるのは、みんなで出発する時間を決めたのに、「ハリー、ハリー」としつこすぎるエヴァの催促から逃げるついでに、真名の助っ人料を払ってしまおうと考えたからだ。

「朝にあんなことがあったから、ホントはここで、真名とお茶でも啜っていたいけどな……」

昨日の晩から、軽い自己嫌悪に陥っています。気まずく呟いた俺に、真名も苦笑する。

「ふっ……誘ってもらえるのは光栄だけど、後が怖いからね。残念だけど、遠慮させてもらうよ」
「何だ? 後が怖いって……まあいいや。それじゃ、俺は先に出るな」

こっちとしても、餡蜜49杯目に突入した人の仲間と思われては困る。見ているだけで虫歯になりそうだ。

「50杯分は払っておくから、最後くらいは味わって食べろよ」
「ふふっ、依頼主の命令には従わないとな」

…………作ってくれている和菓子職人さん達のためだよ、この阿呆。さっきから、厨房の中の悲鳴が聞こえる。いや、泣き言か。もっとゆっくり味わって食べてくれ、って。

「じゃあな、真名。今日一日、ゆっくりと京見物でも楽しんでくれ」
「モグモグ……ああ、わかったよ」

幸せそうに餡蜜を頬張る姿は、普段のクールビューティーな外見とかけ離れていた。

「はぁ……いい女がハム〇郎みたいに餡蜜食べてると、美貌が台無しになるぞ」
「グッ!?……り、了解したよ。な、なかなか嬉しいことを言ってくれるね、ジロー先生」

発言が不適切だったせいか、真名が切れ長の瞳で見てくる。

「あー、気に障ったなら謝る」
「そ、そういうわけじゃないよ」
「そうか、怒ってないならよかった。変なこと言って悪かったな」

謝罪して、机の上に置かれた「正」の字がすごい伝票を手に、今度こそ本当に席を立つ。
俺の分も合わせ、〆て二万六千七百七十五円(税込み)也。笑うしかない。

「もう、しばらく甘い物はいいな」

店を出る時、本気でそう思った。


「ふ……私らしくもない。あの程度の言葉で狼狽するとは……」

ジローが店を出てから、真名は呟いた。顔にはニヒルな笑みが浮かんでいる。脳裏をよぎったのは、在りし日の甘い夢。

「嬉しかったのは本当だよ、ジロー先生……」

目の前の器も、あと少しで空になる。それをしばらく眺めて、真名は独りごちた。

「……せっかく褒めてもらったんだ。いい女らしく、最後くらいはゆっくり食べようかな」

49杯目を空にした後、自分らしくない気まぐれに苦笑しながら、真名は店員に声をかけた。

「すまない、餡蜜おかわりだ」
『お、おおおぉぉぉ!?』

餡蜜50杯という「偉業」を成し遂げようとする褐色の美女(仮)に、店内にいた客から、憧憬や畏怖といった様々な視線が集まる。
それを痛いほど肌に感じながら、口を開く店員。その開いた口から出た言葉は――

「…………すみません。職人が、「もう嫌だ」って」
「……そう、なのか?」
「……………………ハイ」

一杯分の料金だけ返してもらい、店から出た真名の背中は結構、煤けていた。

「……ふっ、私も焼きが回ったものだ」

あきらかに使いどころを間違ったセリフを残して、少女は京の町へと消えていった。後日、京の町に「妖怪・餡蜜女」が出没するという噂が実しやかに囁かれている、という情報をさる筋から提供されたので、ここに記す。

「普通、ソレは逢引と呼ぶ」


真名と別れて待ち合わせ場所に行ったら、エヴァに「遅い!」と脛を蹴られました、ジローです。現在、俺達は清水寺にいます。ネギ達は、すでに逃げてしまいました。今、俺の前で高笑いしながら京見物に狂喜乱舞している、そこな阿呆のせいで。
俺ってそんなに、神仏の類に嫌われることしていたのかな? ここの御本尊ではないが、千手観音さんを殴ったのはじいちゃんなのに……あの世で「千手パ〇チ」でも喰らえばいいんだ。

「勘弁してくれ……」
「くくく……アーハハハハハハ! ここが彼の有名な、清水の舞台か!」
「本来は本尊の観音様――十一面千手観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な「清水の舞台から飛び降りたつもりで……」の言葉通り、江戸時代、実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く――」
「――フハハハハ! 見える、遠くの景色がよく見えるぞ!!」
「――京都東山の中央・音羽山を背景にした絶佳の場所に位置し、京洛の街の大半を瞰下し、特に晴天裡には遠く大阪をも望見できるです。約13万平方メートルの寺域は、春は桜、秋は紅葉と四季の景観もすばらしく、観世音補陀洛の楽土と仰がれているです。
本尊の十一面千手千眼観世音菩薩様は、霊験あらたかな観世音として著名でして、西国三十三所観音霊場第十六番の札所として香華のたえることなのない、全国屈指の名刹です。あ、ちなみに1994年、UNESCOの世界遺産に登録されたですよ」

飽きることなく、清水の舞台から景色を見渡し高らかと笑うエヴァに、夕映ちゃんの痒くないところにまで手が届く解説が続いている。

「楽しんでくれるのは大いに結構なんだが……はぁ」
「申し訳ありません。15年ぶりに「外」に出ることができて、興奮されているようです」
「ある程度はしかたがないと思っていたけど……さすがにな」

もう、行くとこ全部であんな感じなんです。周囲の奇異なモノを見る目に、心の耐久力が限界だ。

「ジローも見ろ! 絶景だぞ!!」

俺達は京都に来てすぐにここに来たから、もう知ってます。やたら親切に、付きっ切りで夕映ちゃんも教えてくれたしな。さすが、神社仏閣マニアだけあった。
まさか清水寺の宗派が北法相宗で、玄奘三蔵の弟子である慈恩が開宗していたなんて。煙草ふかして銃ぶっ放す坊主に、弟子を育てるだけの甲斐性があったとはな。

「クハハハハッ! 自由だ、私は自由なんだー!」

どうでもいいけどエヴァさん、少し黙ってください。

「……清水の舞台から飛び降りたい気分になってきた」
「生存率は高いですが、お勧めできないです」

冷静な忠告ありがとう、夕映ちゃん。

「悪い、茶々丸。「アレ」の面倒、見てもらってもいいか?」
「はい。マスターにお仕えするのが、私の仕事ですから」

そう言って一礼し、茶々丸はエヴァのところへ歩いていった。茶々丸がエヴァや姉に似なくて、本当によかった。チャチャゼロなら、きっと「清水の舞台から飛び降り――」の時点で、嬉々として俺を突き落としていただろう。


「……清水の舞台から飛び降り――」
『ケケッ、ヒモナシバンジーシテコイヤ』
「っ!!?」

……あまりに鮮明な光景に、口元が引き攣ってしまった。


「だ、大丈夫ですか、ジロー先生?」
「うん……大丈夫だと思うよ、たぶん。夕映ちゃんこそ、お疲れ様」
「いえ、私も楽しかったです……」

さっきまで、エヴァの専属ガイドみたく神社仏閣の「へぇ〜」を披露していたけど、さすがに疲れたのか、夕映ちゃんも俺と同じように、清水の舞台の手すりに背を預けている。
二人の視線の先には、どことなくオロオロした茶々丸の腕を引き、お守りなどのお土産?を売っている場所へ走っていくエヴァの姿。

「とは言っても、さすがにエヴァンジェリンさんがあんなだとは、想像もしなかったですが……」
「だろうね〜」

一体、あれのどこが『闇の福音』、『不死の魔法使い』なんだろうか? 茶々丸相手に、清水寺のタペストリーがない、と駄々をこねているアレが。
なんというか、お姉ちゃんに我侭言って喜んでいる妹みたいに、今のエヴァは――

「輝いてるよな……いいか悪いかは別として」
『し、しかしマスター、それをどのような目的で所望されているので……』
『フッ、このバカモノが! 旅行といったらお土産、お土産といったらタペストリーでなくてはならんのだ! いいか、それがどうしてかと言うとだな――』

「ま、あれで済んでるんだから、大目に見てやるか」
「いいんですか?」

世の中、変わった趣味を持った奴がいるのさ。修学旅行ではっちゃけて、国宝級の仏像を『解体』して、お土産に腕だけ持ち帰る罰当たりがいるぐらいだから、お土産を買う買わないで駄々こねるくらいはね。

「詠春さんとの待ち合わせまで、あと3時間ってとこか……」
「のどか達はどこかに行ってしまったですし。どうするですか、ジロー先生?」

あと3時間も、あれに付き合わねばならんのだろうか? ネギにアスナ、カモ、このか、刹那、宮崎さんに早乙女、朝倉は、あまりのエヴァのはしゃぎっぷりに恐れをなしてか、知らぬうちに雲隠れしていたし……

「もう昼飯の時間だし……俺達も「アレ」と別行動しようか……?」
「!! そ、その……べ、べべ別に構わないですが」

そうと決まれば、俺達もささっと逃走開始だ。

「それじゃ夕映ちゃん、エヴァが気付いて騒ぎ出す前に行ってしまおう」
「はい。あの、どこに行くですか?」

どこに、か……逃げることしか考えてなかった。こういう場合、連れに聞くのがいいのだろうか? 夕映ちゃんは神社仏閣マニア。たぶん京都には詳しいはずだ。

「あー、昼飯はどこかで済ませるとして、夕映ちゃんはどっか行きたいトコある?」
「え、えとですね、自由行動の時に行きたかったトコがあるですから、そこへ……」
「了解……すまん、茶々丸。後は任せた」
『マスター、そのような場所に登られては……ああ、それに触っては……』
『見ろ茶々丸、この造形美! あぁ、職人魂が感じられるな!!』

……後で茶々丸に、帯留めでも買ってあげよう。たぶん、それで許してくれるさ、うん。

「そ、それじゃ早く行くです、ジロー先生」
「えーと、待ち合わせにはまだ余裕があるから、そんなに急がなくても……」
「と、『時は金なり』です! 少しでも、二人っき……京見物を楽しまないと損なのです」

ま、修学旅行で京都に来るなんて、人生で一回か二回だしな。時間がもったいないという、その気持ちはよくわかる。普段とは違い、実に生き生きした様子の夕映ちゃんに手を引かれ、俺はエヴァから逃走を開始した。

「ご飯を食べたら、まずは本好きなら一度は訪れるべきの『軽文社』に行って、それから今宮神社に野宮神社、次いで下鴨神社に泉涌寺に行って、さ、最後に、その、櫟谷七野神社(いちいだにしちのじんじゃ)に行くですよ、ジロー先生!」
「そ、そんなに行くんですか……?」

しかも、ほとんどが縁結び・恋愛成就関係。最後の方なんて、夫婦円満やら浮気封じのご利益を謳う神社ですよ? そういえば以前、図書館島を探検した時、好きな人がいるらしい素振りを見せていたな。
相手が誰なのかは知らないけど……大変だ、恋する乙女は。

「これでも足りないぐらいです。……き、昨日、がんばって助っ人を呼んだですから、こ、この位、付き合ってくださいです」
「……ごめん」
「う、べ、別に怒っているわけではないです……」

そう言いながらも、夕映ちゃんの表情に影が差す。もしかしたら、あの白髪頭にみんなが石化させられた時を思い出しているのかもしれない。
「物語」で夢を振りまく「魔法」で、あんな怖い体験したんだもんな。

「それじゃ、今日はそのお詫びってことで、とことん付き合うよ」
「え……ホントにいいですか?」
「ホントホント。回りきれなかったら、詠春さんと会った後も回ればいいし」

京見物で昨夜のイヤなことを紛らわせてもらえるなら、それぐらいお安い御用だ。

「ど、どうもです」
「どういたしまして。それじゃ、時は金なり。さっさと行きますか」
「クスッ。ええ、わかったです」

笑顔が戻った――それでもまあ、ウチの連中に比べると控えめだが――夕映ちゃんに連れられて、俺は京都の名所巡りへと繰り出した。なんか、タイムトライアルっぽい。かなり忙しなかったが、「裏技」で全て回りきることができたと、ここに記しておく。
「魔法使い」がバラしまくってるんだ。「魔法」で楽しい思い出を作ってもらいたいという「使い魔」の出来心ぐらい、情状酌量の余地があるだろう?
ただ、納得できなかったことが一つ――

『むむっ、君の顔に女難の相が出ておる。ぜひお祓いを受けていきなさい』
『……そうですね。お払いしてもらうべきです、ジロー先生』

行く先々で、まったく同じ会話がなされたのはどういうことだ。いくら彼女いない暦16年だからって、そこまで女性に縁遠い相を持っていたというのか、俺は?
どうやら、俺の春はまだまだ遠そうだぞ、ヌイ―――え? もう秋に突入した? どうりで寒いわけだ。

「修学旅行血風録〜父の面影」
〈sideネギ〉

「どうぞ、ネギ君」
「ここに……昔、父さんが……」

草木に覆われた、モダンな建物の扉が開く。父さんが、日本で暮らしていた家。
どう表現したらいいのかな? たった一度しか会ったことの無い、話しか聞いたことの無い父さんが、そこにいました。

「……彼が最後に訪れた時のまま保存しています」
「京都だから、もっと和風かと思ってた〜」
「スゴーイ♪ 本がたくさん」
「ここがネギ先生のパパの――」

部屋に残った匂いや、時が経っても消えない、人が暮らしていたことのわかる空気。備え付けられた本棚を見て、本好きな図書館探検部のメンバーや、好奇心旺盛な朝倉さんなんかは、すでに部屋を漁り始めています。
でも、僕は立っている場所から動くのを、少し躊躇ってしまいました。知らない何かを見つけることに。そして、停止していた「父さんの時間」を、僕が消してしまうかもしれないことに。

「どした、ネギ?」
「あ、えと……」

ずっと立ったままの僕を心配したのか、ジローさんが声をかけてくれました。

「その、何て言えばいいのかな……」

根拠の無い不安に口ごもる僕の背中を押して、ジローさんは笑いました。

「みんなが勝手気ままにやっているのに、主賓のネギが緊張してどうすんだ? ほれ、さっさといってこい。手がかり探すんだろ?」
「へへ……そうだよね」

そうだった。僕は父さんの思い出が残った空気に浸りに来たんじゃなくて、手がかりを探しに来たんだよね。
早乙女さん達に、「あまり余所様の持ち物を、手荒に扱わないように」、と注意しているジローさんに向かってちょっとだけ感謝して、僕は父さんの部屋を調べ始めました。

調べ物を始めてから30分程して、西の長さんが二階に登ってきました。

「どうですか、ネギ君?」
「ハ、ハイ! 見たいものや調べたいものがたくさんあって……時間がもっとあれば」

今は修学旅行中なんですよね……

「ハハハ、またいつでも来ていいですよ」

そう言って西の長は、僕にこの家の鍵を握らせてくれました。……父さんの友達で、一緒に戦う仲間だった長さんなら、僕の知らない父さんのことを教えてくれるかな?

「あの、長さん。父さんのこと……聞いていいですか?」
「ふむ、そうですね……」

顎に指を当ててしばらく黙考した後、長さんは頷いてくれました。

「ジロー君、このか、刹那君、こっちへ……それとアスナ君も。あなた達にも色々、話しておいた方がいいでしょう」
「……わかりました」
「はーい」
「はい」
「え、私も?……ま、いいか」
「?」

どうしてだろ? ジローさんの声、少しだけ暗かった気がする。
ジローさん達が登ってきて……あ、エヴァンジェリンさんと茶々丸さんも一緒ですね。長さんが見せてくれたのは、一枚の写真。

「……この写真は?」
「それがサウザンドマスターとその戦友達だよ。ほれ、ここに詠春さんもいるだろ?」
「わひゃー、これ父様? わかーい♪」

ジローさんが指差したのは、黒い服を着た若い頃の長さん。

「戦友……」
「ええ。20年前の、ね。私の隣にいるのが、15歳のナギ……サウザンドマスターです」

写真の中央。今の僕と同い年位の少年の頭に手を置いて、カメラに向かって笑っている人。この人が――

「……父さん」
「へー、どれどれ? どれがネギのお父さんなの?」
「この人やて。かっこえーー、ネギ君もこうなるんかな♪」

何気なく言われた、このかさんの言葉。

「どうなんでしょう……」
「……どうなんだろな?」

つい漏れた僕の言葉に、ジローさんも独り言みたいに呟いて、ただ僕の頭を撫でてくれました。ちょっとだけジローさんの姿が、写真の中で子供の頭に手を置く父さんに重なって――

「「………」」

刹那さん、茶々丸さん、僕を見ないでください。……寒いよ、ジローさん。

「え……アレ?」
「どうかしたのか、神楽坂アスナ?」
「……チッ」

ジローさん、さっきから真剣な顔で写真を見て……睨んでる? 父さんの写真を見て騒いでいた僕達に苦笑しながら、長さんの話が再開しました。

「私はかつての大戦で、まだ少年だったナギと共に戦った戦友でした……そして20年前に平和が戻った時、彼は既に英雄……サウザンドマスターと呼ばれていたのです」

普通の戦争みたいな兵器による戦とは違う、魔法使い同士の戦争。僕も話だけしか聞いたことが無いけど……とても悲惨なものだったみたいです。

「天ヶ崎千草の両親も……その戦で命を落としています」

ジローさんと目を合わせた後で、長さんはそう切り出しました。

「そんなことが……」
「うそ……」
「ほえ?」

ちょっとわかっていない、このかさんは置いといて。僕とアスナさんは長さんの言葉に、少なからずショックを受けました。他の人の反応はまちまちです。長さんはちょっと苦い感じで、刹那さんは目を伏せ、エヴァンジェリンさんは鼻を鳴らして。

「……」

ジローさんの顔は無表情なのに、とても悲しそうでした。いつも明るくて、笑って、怒るジローさんのそんな表情は、初めて見た気がする。

「彼女の西洋魔術師への恨みと今回の行動も、それが原因かもしれません」

自分の両親が「魔法使い」のせいで死んでしまったから、あんなことを……で、でも、そうだとしても今回の事件は―――

「……ネギ、お前がそのことで悩む必要は無い。ただ、そういうことを理由にしなきゃ、生きていけない人もいる、ってことだけは覚えておけ」
「……ジローさん?」

今日のジローさんはいつもより変です。そのことにみんなも気が付いていて、心配そうにジローさんを見ていました。

『相棒』
「……すみません。続きお願いします、詠春さん」

気遣わしげなカモ君に、ジローさんは、ただ苦笑しただけでした。

「……ああ。以来、彼と私は無二の友であったと思います。しかし……彼は10年前、突然、姿を消す……」

長さんは寂しそうでした。何も言わずに、大切な友達と思っていた人が消えたから。自分には、姿を消した理由を教えてもらえなかったから。――あ……『姿を消した理由を教えてもらえなかった』? 何か、それ以上、考えてはいけないことが浮かびかけたのを、長さんが遮ってくれた。

「彼の最後の足取り、彼がどうなったかを知る者はいません。ただし公式の記録では、1993年に死亡――」

それ以上のことは私にもわからない、と長さんは謝ってくれたけど、こうして話を聞くことが出来ただけでも嬉しかったです。


アスナさん達が下に降りても、僕とジローさん、カモ君の三人は、そこに残っていました。

「どうだった? 手がかりは見つかったか、ネギ?」
「ううん……」
『結局、手がかりなしか。残念だったな、兄貴』
「そんなことないよ、カモ君。こうして父さんの部屋を見れただけでも、来た甲斐があったよ……うわ!?」

来れただけでよかった。そんな風に満足しかけていた僕の頭を叩いたのは、ジローさんの持った、紙でできた筒でした。

「もう、ジローさん、何するの?」
「ほれ、やるよ。詠春さんからのご褒美だ」
「え?」

手渡されたの紙の筒は、少しかびた匂いがしました。

「お前の父さんが、最後にここを訪れた時に研究していたもの、だってさ」

な、なんですか、ソレは!? 紙の筒を渡したジローさんの顔は、さっきまでの真剣な表情じゃなくて、いつもの明るい笑みでした。毎度の、僕の知らないうちに話を進める悪い癖に抗議しようかと思ったけど……ジローさんが元に戻ってくれたし。まあ、いいや。
その後、僕達は朝倉さんに集められて、記念写真を撮ることになりました。やっぱり旅行といったら、思い出の写真撮影ですよね!……なんですけど、ジローさん……

「……狭い」
「に、人数が多いですから……」
「がまんしてくださいです」

一番右端に立とうとしたジローさんは、両隣を刹那さんと夕映さんに挟まれて、居辛そうにしています。

「なあ、朝倉。やっぱり俺が写真を撮――」
「「ダメです」」
「……ハイ」
「アハハ……」

が、がんばってください、刹那さん、夕映さん。え? どうしてジローさんじゃないか、ですか? だって、ジローさんはきっと、「人数が多くて狭いから」っていう二人の言い分を、本気で信じているからですよ。
西の長にさよならした後、僕達はみんなでお土産を探しに行きました。

「お姉ちゃんにも買ってあげないと……うん、お土産といえば、やっぱりタペストリーですよねー」
「おお! ぼーやもそう思うよな、当然!!」
「ええ! もちろんですよ、エヴァンジェリンさん!」
「……ネギ、お前もか」

ジローさん、疲れたんですか? 昨日の夜は大変でしたからね。何だか、すごく眠そうですよ。
いろいろ楽しんで、無事にお土産も買い終えてホテルに帰ったんですけど、そこでジローさんを待っていたのは――

「……何故?」
「その理由はジロー殿が」「一番、よくわかっているはずアル」
「はは……すまない、ジロー先生」

龍宮さんと一緒に餡蜜を食べに行ったと知った、長瀬さんとクーフェイさんによる抗議でした。

「いったいどういう了見でござるか? 助っ人に駆けつけたのは、龍宮だけではないでござるよ?」
「ジロー、私かなしいアル」
「ハイ……すんませんでした。二人も誘おうとは思ったんですが、なんやごっつい肉まん食べてたんで、また今度にしようと……」

ああ、朝の騒ぎですね。昨夜、どこに行ったのかを喋るまで、肉まんを食べさせ続けられるっていう拷問。ごめんなさい、長瀬さん、クーフェイさん。僕には助けることができなかったんです。

「龍宮と一緒に……知らなかったですね」
「……だからお祓いを受けておけばよかったんです」
「……お祓い?」
「みなさんがエヴァンジェリンさんから逃げた後、神社巡りしたですから。ジロー先生と一緒に」
「へえ、そうだったんですか……」
「ええ、そうだったのです」

……お願いですから、笑顔で睨み合うのは止めてください、刹那さん、夕映さん。

騒ぎや事件の連続でしたけど、四泊五日の修学旅行はこんな感じで終わっていきました。明日はもう、麻帆良学園に帰る日です。生まれて初めての修学旅行。騒動だらけでしたけど、父さんの手がかりや、日本文化に触れることの出来た、楽しい時間でした まる
……忘れてましたけど、学園長、大丈夫なんでしょうか?―――

「美味しい紅茶の時間」


茶室で密談して以来、訪れることが多くなったエヴァハウス。

「それで、体の方はどうなんだ?」

茶々丸特製の紅茶を頂きながら、俺とエヴァは話していた。俺の膝の上にはチャチャゼロ。何気にシリアス調のエヴァが間抜けに見える。

「体がだるくて、しばらくは眠くてしょうがなかったけど、特に問題なし。このか様様、って感じだな」
「ふん、多少頑丈な程度で無理をするからだ、バカモノめ。あそこまでボロボロになって、よく生きていたものだ。近衛このかに感謝しろよ? 本人がまだ自由に力を使えない以上、あんな奇跡もどきは二度と起こらんと肝に銘じておけ」

エヴァの忠告、というより警告を聞きながら、紅茶を口に含む。いつもより苦い……紅茶だから渋い、か?

『ケケケッ、不憫ナモンダナ、テメエモヨ』
「ほっとけ。身動きできないお前よりマシだ。何だかんだで今の生活は気に入ってるし、『使い魔』になったおかげか、体も頑丈になって、傷の治りも早い。便利でいいじゃないか」
『ケケッ、ヤッパオ前イカレテルゼ、ジロー』

貶しているのか、それとも遠まわししまくりで慰めているのか。チャチャゼロと、毒会話のキャッチボールを楽しむ。

「ジロー先生――」
「……悪い、茶々丸。紅茶のお代わり、もらえるか?」

何か言いかけた茶々丸を遮って、俺は空のティーカップを差し出した。

「……どうぞ、ジロー先生」
「はい、どうも」
「――あ、ハイ」

定番になった、お茶を淹れてもらった時のお礼の言葉に、茶々丸の動きが止まる。

「どうかしたのか、茶々丸?」
「いえ、何も問題はありません」
『ケケケッ』
「フンッ」

何も問題が無いなら、別にいいや。チャチャゼロもエヴァも、何か楽しそうにしてるし。


「それで、日曜のぼーやの弟子入りの試験だが……本当にソレでいいのか?」
「あー、カモとも相談したけど……どういう内容でも、ネギならやるさ。それにある程度、ハードルは高くしておきたかったし。若いから大丈夫だろ、多分」

二杯目の紅茶が冷めかけた頃、エヴァが俺に聞いてきた。

「……ネギはしょうがないとして、茶々丸には辛いことしてもらうと思う。悪いな」
「――ハイ……ジロー先生も」
「フフッ、私も貴様がどうなるのか、楽しみにしているぞ。京都の時みたく錯乱するなよ?」
「うぐっ」

ニヤニヤしたエヴァの言葉に、顔がちょっとだけ引き攣った。

「な、何とかがんばるよ……」

時は火曜日。ネギと一緒に、エヴァへの弟子入りを頼みに来てから2日経った放課後。懲りずに何かを密談する、「使い魔」と「魔法使い」の会話。

「クククッ、なあ、ジロー。貴様、本気で『こっち』に来んのか? 才能あるぞ、お前」
「何の才能だよ? お断りだ、俺はネギの使い魔以外やる気はない」
「チッ、知らんうちに、桜咲刹那と仮契約した奴がよく言う。まだ自分を使い魔と名乗るか」
『ケケケッ。振ラレタナ、御主人』
「ああ、マスターがとても残念そうなお顔を――」
「黙れ貴様ら! ええい、この……巻いてやるー!」

顔を真っ赤にして飛び掛り、茶々丸のゼンマイを巻きにかかるエヴァ。

「相変わらず、仲のいい主従だ」
『マッタク、芸ガネェナ、御主人』
「この! このぉ!」
「ああ―そんなに巻いては――」

それを鑑賞して楽しむ、俺とチャチャゼロの二人。冷めていたが、次に飲んだ紅茶は甘く感じた。

「さて、話がまとまったことは明日、カモにも教えるとして……帰ったら、夕飯の準備か」

――エヴァハウスから寮へと続く帰り道を、のんびりと景色を見ながら辿る。外国に似た街並みの中を、夕飯の支度があるのか早足の主婦、学校帰りに買い食いして、友達と楽しそうに喋っている学生など、いろんな人達がいる。
人波から生まれる音が、徐々に夜に染まっていく街に響く。なんでもないその光景が、俺にはひどく貴重で、ありがたいものに思えた。
毎日騒がしいけど、しばらくはこんな平和が続いて欲しいもんだ――

「八房ジローの日記〜麻帆良学園一週間」

○月○日・日曜日

午前 修学旅行明けの日曜日。ネギ、アスナを連れて、エヴァハウスを訪問する。目的は、ネギのエヴァへの弟子入り。
まあ、俺の期待通り、エヴァの「魔法使い」としての力量に感銘を受けてくれたのはいいんだが……いささか予測通りに動き過ぎなので、近い将来、ネギが悪質商法に引っかからないよう、注意したいと思った。
ネギが弟子にしてくれとエヴァに頼んだが、相手は自称「悪の魔法使い」。当然の如く拒否られる。しょうがないので、土下座してみた。本気でエヴァや茶々丸、ついでにチャチャゼロにまで頭を心配されたので、ちょっとショック。その後、かなり気まずい空気が流れた。

面倒くさくなったので、物で釣ることにする。京都で詠春さんから譲り受けたサウザンドマスターの個人写真のおかげか、あっさりと今度の日曜・午前0時、弟子入りの試験を受けられることになった。
いささか安すぎる気もしたが、エヴァだからこんなもんだろう。しかし、そこで話を終わらせればいいのに、エヴァの阿呆は――

「仮に試験に合格したとして、悪の魔法使いに弟子入りするんだ。それ相応の代償が必要だなぁ? 弟子入りする時、まずは足をなめろ。それから主従揃って、我が下僕として永遠の忠誠を誓え」

――なんてほざきやがった。アダルトな要求にキレたアスナから、教育的指導が入る。凄まじい、「僕はッ、君が泣くまで、殴るのを止めない!」的なハリセン攻撃だった。
最後の方はエヴァの奴に本気で泣きが入ったので、アスナを引き摺るようにしてエヴァハウスを後にする。
エヴァ、そんなだからお前は、いつまで経っても金髪幼女なのだ。

午後 「判子地獄」で腰を痛めた学園長の見舞いに行く。その道中、楓・クーフェイ・真名の三名に遭遇。今回の件について秘密にしてくれるよう、ネギがお願いしていたが……何だろう、この不安感は? 何故か、俺が全員分(俺、ネギ、アスナ、カモ、四天王−1)のお茶代を支払うことになった。納得いかねえ。

茶をしばいた後、学園長を尋ねたが……学園長、床に布団はないでしょう? 「ぎっくり腰にだけはならんようにの」、と学園長からアドバイスされた。
ネギ達が学園長と話している時、ふと興味が湧いたので、学園長が押した誓約書の枚数を計算してみる。エヴァが京都に現れたのを午後十時として、そこから麻帆良に帰還するまで一日と十四時間?(最終日、麻帆良に着くまで大半は寝ていたので、自信がない……)

(24+14)×60=2280(分) 秒換算で136800秒
判子を5秒に1回だから 136800÷5=27360(枚)…………忘れよう。

夕刻 ネギが図書館探検部の三人に父親の手がかりを見せ、協力を要請。話の最中、ネギと宮崎さんが意識しあう初々しい様を見て、心を和ませる。早乙女が何か喚いていた気がするが、意図的にシャットダウンしておく。
しばらくして、ネギとアスナが寮に戻ると言うので俺も帰ろうとしたのだが、夕映ちゃんに呼び止められる。知らぬ間に、俺は3−A図書館探検部のオブザーバーになっていたらしく、一緒にネギの父さんの手がかりを調べるよう言われた。夕飯まで時間はあったので了承。知的好奇心を刺激されたのか、夕映ちゃんはとても楽しそうだった。

手がかりの地図を調べている時、ある記述を発見。弟子入り試験のこともあるので、ネギに知らせるのは待ってくれるようお願いした。
ところで夕映ちゃん、『陰陽道と西洋魔術』なんて「西瓜と天麩羅」並に食中りしそうな本、どこから掘り出してきたんだ?

図書館探検部のメンバーと別れた後、寮に戻ったら、やけに刹那が疲れている様子。部活がハードだったのだろうか?
夕飯の後、何故かカモにチョコレートを貰う。お取り寄せしたはいいが、食べ切れなかったらしい。高級品で日持ちもしにくいとのことで、すぐに食べた方がいいと勧められる。なかなか珍しい味だった。しかし……ネットでオコジョが買い物できる時代、か。
食べた後、刹那から執拗に「どうですか?」、と味の感想を聞かれる。無性に賞味期限が知りたくなった。知らん振りとか、そんなことをする娘じゃないと信じたい。
修学旅行の疲れが残っているのか、頭がボーッっとしてきた。少し熱っぽいか? また明日から、騒がしい学園生活が始まる。風邪をひいては元も子もないので、今日はこのぐらいで寝るとしよう。

○月×日・月曜日

朝 登校(出勤?)途中、クーフェイに遭遇。一緒に行くことになった。何故かいきなり、50人程のいかつい連中に囲まれる。俺が何かしたのかと思ったら、中国武術研究会(略称・中武研)部長である、クーフェイへの挑戦者だった。
クーフェイなら心配無いだろうと先に行こうとしたら、「ジローも一緒に戦るアルよ!」、と強引に戦力に加えられる。実力としては青銅クラスばかりだったが、気迫だけはあった。特に、俺に襲い掛かってきた男子連中。教師に反発する男子生徒……青春だな。
「先生に勝てば、フェイ部長とー!」、と訳のわからんことを叫んでいたが……目がマジで殺る気だったので、2・3人、手加減を忘れてしまった。反省。でも、正当防衛だよ。
その後、騒動を見ていたらしいネギ達に会った。ところで楓、この苦無、お前のか?
何? その「初めて戦った時から、随分と成長なされたな」、的な目。

昼 昼食時、ネギから、クーフェイにも弟子入りしたいと相談された。例の白髪頭が、クーフェイと同じ技を使っていたかららしい。そんな理由で?
だが、以前から体術面での脆さは気にしていたし、中国武術は理屈っぽいネギの性に合っていると思ったので、賛成しておいた。放課後にでも、エヴァがへそを曲げないよう、フォローしに行く必要があるな。

夕 放課後、エヴァハウスに行こうとしたところを、アスナ達に「ボーリングに行かない?」、と誘われる。ネギも誘うと言うので、エヴァハウス訪問は明日に回すことにした。俺が一度もボーリングをしたことがないと知った時の、アスナとこのかの不憫そうな視線は決して忘れまい。
ネギがいると言うので世界樹前の広場に行ったら、どういう訳か雪広も現れる。ボーリング場に着いた時点で、参加者がクラスの約半分になっていたのには驚いた。さすが3A、遊びに関する嗅覚は象並だ。

ほどほどに楽しんでいたら、早乙女達から「ネギがクーフェイに告白寸前なんだが、どうしたらいいのか」、と相談される。なんでも、世界樹前広場で抱き合っていたらしい。大方、ネギがクーフェイの腕試しでもしようと殴りかかったのだろう。
いくら相手が強いからって、普通、生徒に殴りかかるか? ついでにクーフェイクラスの腕を試そうだなんて身の程知らずだぞ、ネギ。クーフェイの優しさに感謝しておけ。俺のじいちゃんだったら、迷うことなく―(黒く塗りつぶしている)。
静観するように言って席に戻ったら、知らぬ間に「ネギ争奪ボーリング大会」が開催されていた。参加者はクーフェイ、雪広、佐々木さん、宮崎さん。一応、宮崎さんを応援する。
結果はクーフェイ圧勝。テレビで見たことはあったけど、本当に300点って取れるもんなんだな。
その後、ネギは無事にクーフェイに弟子入りすることができたのだが、勝手に「ネギがクーフェイを好いている」、と勘違いしていた雪広・佐々木・早乙女の三人が暴れ始める。責任転嫁するなと言いたい。拳骨を落として、従業員や他のお客様に謝らせた。

余談だが、俺のゲームの結果は散々。一緒にやったメンバーと比較すると、アスナ・270、このか・21、刹那・55、俺・30。ボーリングって難しいね……。

○月△日・火曜日

今日は代理で授業をすることもなく、怖いまでに平和な一日。職員室で、新田先生達とお茶を飲みながら談笑していた。学園長に頂いたみたらし団子が絶品。
こんなに平和だったのは、麻帆良に来て初めてのことじゃないだろうか? 飲んでいたお茶が、少ししょっぱかった。どうして煎茶が、昆布茶みたいに塩味なのだろう……? 先生方全員に肩を叩かれた。ものすごく、慈愛に満ちた瞳でした。
放課後、エヴァハウスを訪れる。ネギの弟子入り試験の内容について相談するためだ。そこでも特に騒動は起きず、とんとん拍子で話が進んだ。そのことに、そこはかとなく不安を抱いてしまったのはいけないことなのだろうか?
悪い方向で、麻帆良に染まりつつあるようだ。







「燃えよWelsh Onion」


現在、日曜の午前0時。エヴァに弟子入りするための試験当日が来た。試験までの短い日数の間に、ネギがクーフェイに中国拳法を習い始めたり、アスナが、刹那に剣を教えて欲しいとお願いしたりと、色々あった。

「ネギ・スプリングフィールド、弟子入りテストを受けに来ました!!」
「よう、こんばんは、エヴァ・ファミリー」
「こんばんは、ジロー先生、ネギ先生」
「一括で括るな、バカモノ……まあいい、よく来たな、ぼーや」

自信満々、といった感じに不敵な笑みを浮かべたエヴァが、俺にルールを確認してくる。

「ジロー、テスト内容は『ぼーやのカンフーもどきで、茶々丸に一撃でも入れられれば合格。手も足も出ずに、ぼーやがくたばれば不合格』でよかったな?」
「ああ、その通りだ。いいな、ネギ」
「……はい。その条件でいいんですね?」
「ん? くくっ、約束だからな。それでいいぞ」

ネギを見やると、俺の目を見返した後、小さく頷き、緊張した顔に小さく笑みを浮かべてエヴァの念を押した。『くたばれば―』の意図を、ちゃんと理解しているようだ。
緊張しながらも笑うネギの姿を、エヴァは面白そうに見ている。俺はそっと使い魔の「証」が刻まれた左の拳を突き出し、確認した。

「ネギ、折れないのか?」
「……はい、折れません!」

ネギの方も自分の拳を軽く当てて、力強く応えてくれる。

「主従で仲がいいのは結構。ところでだな――」
「何だエヴァ? 今、いい展開なのに」

熱血なノリでネギを送り出そうとしていた俺に、肩を怒らせたエヴァが声をかけた。

「展開うんぬんなぞ知らん。んなことより……そこのギャラリーは何とかならんかったのか!?」
「はぁ、ついて来ちゃって」

言うなよ、あえて無視していたのに。ビシリ!と音がしそうな、エヴァの指が差した方向に視線を移す。

『がんばーッ、おーー!』

オーケー、冷静にいこう。俺&カモ――ネギの使い魔。見届ける権利は十分。
アスナ&このか&刹那――いまだに微妙な位置のアスナだが、三人とも「こっち」側。ついでに、仮契約の相手(俺含む)で問題なし。
クーフェイ――ネギの拳法の師匠。まったく問題なし。
佐々木さん――何でか知らんが、ここ二・三日の朝錬に加わった。まあ問題なし……かな。
和泉さん&大河内さん&明石さん――何故、ここにいる?

俺は静かに微笑んで、エヴァに語りかけた。

「気にするだけ無駄だと思う……たぶん3Aだからだよ、エヴァ」
「……そうか」
「そうさ……」

初めて、階段の上でふんぞり返ってる金髪幼女が優しく見えた。俺の笑みと口調から、胸中のやるせなさを汲んでくれたのだろう。エヴァもそれ以上、追及してこなかった。

「大丈夫? ネギ君!」
「任せてください、まき絵さん。練習の成果、出し切ってきます!!」
「それじゃ、落ち着いて行くアルよ」
「ハイ、くー老師!」

クーフェイから最後の助言を受けて、ネギはゆっくりと、広場の中央へ歩いていく。

「茶々丸さん、お願いします!」
「お相手させて頂きます」

同じ様に広場の中央に歩み出た茶々丸が、ネギの正面に立った。テスト開始まであと数分。必要以上に多いギャラリーの応援が響く中、アスナが俺やクーフェイに、勝負の行方を聞いてきた。

「ねえ、ネギの奴、大丈夫よね?」
「いや……聞いたカンジ、茶々丸はかなり強いアル。長引けば不利!! 最初の1分でカウンターを当てなければ、ネギ坊主に勝ちはないアル」
「じゃ、じゃあ、エヴァちゃんとこの弟子入りはダメってこと?……ジローは?」

普段のお気楽ではないクーフェイの言葉にショックを受けた感じのアスナが、こっちにも意見を求めてくる。

「クーフェイに同じ。どの位、難しいかと言うとだな、ナ○ック星編の○空にクリ○ンが勝つぐらい、可能性が低い」
「…………それって、ほとんど不可能じゃん」

アスナがじとっと睨んできたけど、事実なんだから仕方がないだろ。

「しょうがないだろ、そうとしか評価できないんだから。はっきり言うけど、それでも今回のテストの条件は破格なんだぞ? 俺だって、本気の茶々丸とは殴りあいしたくないんだから」

じいちゃんの教育の賜物か。悲しいかな、生身で戦っても、ガチができそうだけど。頑丈さだけでは。

「……そこまで強かったアルか、茶々丸は」
「え、え?」
「はあ、いいか? よく聞け、アスナ」

俺の言ったことに、クーフェイは軽く驚いている。クーフェイはそれで納得してくれたんだが、まだわかってなさそうなアスナのために、さらに解説を続けた。

「まず、第一に身体スペックが違いすぎる。例を挙げると、契約発動している・してない状態のアスナぐらいだ。
第二に戦闘経験の差。たかが二・三日、修業した程度じゃどうにもならん。登場したばかりのパ○スと主人公ぐらい、差があると考えてくれ。
最後、第三に全力で戦える時間が段違い。ネギと茶々丸じゃ、100m走の選手と、ハーフマラソン選手ぐらいの違いがある」
「へ、へ〜……」
「思てた以上に、シビアな条件みたいアル……」
「ネギ……」

そこまで解説し、アスナがやっと試験の難易度を理解してくれたところで、俺も広場の中央に歩み出た。

「時間だ。準備はいいな? ネギ、茶々丸」
「「はい」」

さあ、ネギ。お前の夢を実現させるための、最初の一歩だ。一旦走り出したら、もう止まれないぞ?――――だから、程ほどにガンバレ。

「―――始め!!」
「失礼します」
「『契約執行90秒間! ネギ・スプリングフィールド!』」

ネギが、エヴァの弟子になるためのテストであり、これからネギが味わうであろう試練の、記念すべき一回目が始まった―――

〈sideネギ〉

「がっ」

茶々丸さんの振り抜いた手刀に、視界がぶれて、横に大きく飛ばされた。これで何回目だろう、地面に倒れこんだのは。いつの間にか、メガネもどこかにいっちゃってる。

「いきます」
「ぐっ……あうっ…かふっ!」

わざわざ、立ち上がるまで待ってくれていた茶々丸さんが、僕に攻撃を繰り出してきます。そのどれもが、今の僕よりも速くて重い。防ぐことも避けることもできず、僕はただ殴られ、蹴られるしかできません。
それでも……どれだけ体が重くなって、僕も攻撃だけは続けています。テストに合格するには、茶々丸さんに一撃入れないとダメだから。

「どうした、ぼーや。動きが鈍いぞ。もう、『くたばる』か?」
「い、いえ……ま、まら……まらでふ」

挑発する様に笑うエヴァンジェリンさんにそう答えて、僕は間合いを詰めて、茶々丸さんに拳打を出しました。突き出した右の拳は、茶々丸さんの左手に軽く払われて、すぐに右の上段蹴りが――

『ドガッ』
「ひゃあんっ!?」
「センセ、もーやめてー」

僕が蹴り飛ばされた音を聞いて、このかさんや、応援に来てくれた和泉さんが悲鳴を上げています。ごめんなさい、怖がらせて……でも、止めません。
冗談みたいに震える体を起こした時、アスナさんに肩を掴まれるジローさんの姿が見えました。ものすごく大きな声なのに顔も顰めず、そしてアスナさんの方を見ることもせず、ただじっと、僕のことを見ていました。

「……らい、じょうぶ……まら…いけふよ」

確かに茶々丸さんの攻撃で、僕の顔は腫れ上がって、全身が熱を持ったみたいにズキズキしてるけど……京都でジローさんが受けたような傷に比べたら、笑ってしまうぐらいの痛さなのかもしれません。
それなのに「もう、ここでいいかな」、と考えてしまう自分の弱さ。僕は決めたんです。憧れている人に……父さんに追いつくために、どんなことでもがんばるって。がんばって強くなって、このかさんや、アスナさんを守るって……。

「ぐ……やああぁぁー!」

震脚と共に、再び僕は茶々丸さんに打ち込んでいきました。これは内緒ですけど、ジローさんにだって、すぐに追いついてみせますからね!――





―――結果だけ先に言おう。ネギは、エヴァへの弟子入りテストに合格した。総ダウン回数・六十八回。戦闘時間・三時間四十九分。そして、ネギが被った被害は甚大で、全身くまなく打撃による青あざが出来た。
決め手は右の拳打……というか、グーにした手が当たった、って感じだ。茶々丸の頬に手が当たった後、ネギは糸が切れた人形みたいに崩れ落ちた。よくがんばったとしか言えないだろう。達人と素人ほどに差のある勝負で、粘り勝ちしたのだから。もっとも―――

「このボケロボがー!! 何、よそ見してぼーやに殴られとるかー!?」
「す、すすす、すいません、マスター!」

殴られ続けるネギを見て暴走したアスナを止める、佐々木さんの若さ溢れる必死の説得に、茶々丸が気をとられていなかったら、の話だけどな……。今もえらい剣幕で怒るエヴァの前で、気の毒なぐらいペコペコと、茶々丸が頭を下げている。

「あー、エヴァ、その辺で許してやってくれ。ただでさえ、茶々丸にはキツイことしてもらったんだし、ここはひとつ寛大に、な?」
「……ふん、結果は情けないものだったが、ぼーやの根性だけは見せてもらったしな。そこで寝てるぼーやに伝えとけ。『約束どおり稽古はつけてやる。いつでも小屋に来な』、と」

今にもため息を吐きそうなエヴァの視線の先には、佐々木さんに膝枕されて寝ているネギ。アスナやこのかも心配そうに横に座って、起こさないように注意しながら、絆創膏を貼ったりしている。

「茶々丸もご苦労様。悪かったな、テストの相手なんか頼んで」
「い、いえ、私の方こそ……いくら試合とはいえ……ネギ先生のことを……」

見る側が悲しくなる表情で俺にまで謝る茶々丸に、罪悪感が湧いてくる。ネギのためとはいえ、この娘には本当に酷なことをさせてしまった。
ネギの手が当たった左の頬には、まだ薄っすらと赤みが残っている。どういう材質なのか知らんが、きっと製作者はマッドに違いない。ネギと茶々丸の痛々しい姿に、俺の良心はおろし金で削られたようにシクシク痛む。

「効果があるのかわからんけど、これ付けとけ」
「あ――ジ、ジロー先生……あ、あありがとうございます」

茶々丸のほっぺたに、買っておいた「冷え○タ君」を貼ってやる。次の日に茶々丸の顔が腫れたりしないよう、製作者に祈ろう……

『ケケケッ、人ノコト気ニスル余裕ガアンノカヨ、ジロー?』
「ぷ、くくくっ、まったく、チャチャゼロの言う通りだ。酷いぞ、今の貴様の顔は……」

愉快そうなチャチャゼロと、エヴァに指摘された俺の姿――

「あの、私よりも……ジロー先生の方が……」
「言わないで……」

右目の周りに、見事なまでの青あざができていた。それだけじゃなくて、俺もネギと同じ様に、全身にあざができていたりする。どうしても試合を止めると聞かなかったアスナの前に立ち塞がったら、えらい目に合ったのだ。
まず、「邪魔よ!」の言葉と共に、目にグーが飛んできた。よろけたところを蹴り倒されて、後はもう、ハリセンで滅多打ち。
『召喚』された存在に対して、無類の効果を発揮する『ハマノツルギ(ハリセンver)』だけに、もう痛いのなんの……テストを中断させようなんて余計なお世話だったが、ネギのことを思っての行動だから、力ずくで眠らせるわけにもいかず。
正直な話、佐々木さんの説得がなかったら、最悪、永眠していたかもしれない。イヤだぞ、ネギやみんなを守ってじゃなくて、仲間から滅多打ちにされてご臨終なんて。

「『勧進帳』の義経の気持ちがわかった……」
『何て言えばいいのかわかんねーけどよ……マジでお疲れ、相棒』
「よ、よろしければ……あ、後で、良く効く傷薬をお持ちしますが……」
「ありがとう……ホント」

二人とも、抱きしめていいか? うぅ……カモと茶々丸の優しさが、一番の特効薬だよ。

「私達はもう帰るぞ。じゃあな……それとな、ぼーやにカンフーの修業は続けておくよう伝えろ。どうせ、ジローも同じことを考えて許可したんだろうけどな、頭で考えるタイプのぼーやに中国拳法はお似合いだよ」
「あー、了解」
『ジャーナ、ジロー』
「失礼します、ジロー先生、カモさん」

それだけ言って、エヴァは眠たそうに、茶々丸は慇懃に頭を下げて去っていった。去っていくエヴァ・ファミリーを眺めながら、俺はカモに話しかける。

「なあ、カモ……」
『どしたい、相棒?』

頭の中で、サンドバック状態になって殴られ、蹴られ続けたネギの姿が蘇った。茶々丸の攻撃がネギに当たる度、歯の軋みは大きくなり、ネギが地面に転がるごとに、爪が深く食い込んでいく。
叫び、テストを中断するように頼むアスナ達に構わず、リンチみたいな光景を見続けた。

「自分で仕込みをしたとはいえ……ある意味、『裏』よりきついなー。自分が大事に思っている奴が傷つくのを見ながら、同じ位に大事に思っている連中にまで罵られるのは」
『……しょうがねえさ。刹那の姉さんなんかと違って、アスナの姐さん達は、まだ兄貴の置かれている立場ってもんを「珍しいな」、ぐらいにしか思ってねえだろうし』
「……………………すまん、弱音吐いた」
『へへっ、俺っちとしちゃ、嬉しいんだけどな。心配すんな、それが普通だ』
「そんなもんか……」
『そんなもんさ』

素っ気無いカモの言葉に、かすかに胸を覆っていた靄が薄まっていく。カモがいてくれて本当に助かったと、心からそう思う。

「サンキューな、カモ」
『気にすんな。俺っちでよけりゃ、いくらでも話ぐらい聞いてやるさ』

頭の上にカモを乗せ、ネギの元へ歩き始めた。いつの間にか、目を覚ましていたみたいだ。広場の中央で、佐々木さんに膝枕されたままのネギが、みんなから褒められている。ネギの横に座っていたアスナの気まずそうな視線は無視して、ネギに話しかけた。

「よう、起きたか、ネギ?」
「あう……ジローふぁん……僕―」

何か言おうとするネギを遮って、俺は地面に膝をついて、横になったネギの頭をかき回す。

「お疲れ。合格、おめでとう」
「はい……ありふぁとう、ジローふぁん」

殴られた傷が痛むのだろう。時たま、顔を顰めながらだったが、ネギはにっこりと笑って見せてくれた。見事なまでの、お岩さんスマイルを。思わず吹き出してしまう。

「くくっ、酷い顔だな、ネギ」
「あはは……ジローふぁんに言ふぁれたくないよ」
「くっ、ほっとけ!」

何かもう、それだけで不安やらがぶっ飛んだ。ネギの顔は何かをやり遂げた奴の表情で、後悔なんて微塵もなかったから。

「……これからが大変だな。走り出したら、もう止まれないぞ?」
「……大丈夫。僕、ジローさんとも約束したから。『折れません』って」

たかが一回、されど一回。弟子入りのために茶々丸と戦っただけで、ネギはまた少し成長してくれた。そのことを嬉しく思いながら、密かに誓う。
俺も今より強くなろう。ネギのためだけじゃない、自分のために心と体を鍛えよう。ネギに知られることなく、ネギに必要ではなくなるその時まで。

「さて……俺もネギを見習って、もっとがんばって強くならないと」
「うう……それじゃ僕は一生、ジローさんに追いつけないような気が……」
「? 俺に追いついても仕方ないだろ?」
「それはそうなんだけど〜……」
「何故に赤くなってるんだ、ネギ?」

まあ、通過点のひとつにしてくれたってんなら、それはそれで嬉しいけど。何にせよ、よくがんばったな、ネギ。こう言っちゃ何だけど、今までネギは事件や騒動に巻き込まれる形でしか戦ってないからな。今回みたいに、自分で「強くなりたい」ってやり始めたのは初めてのような気がする。
そう思わせるのに十分なぐらい、「どんなことでもがんばる」って言ったネギの姿は力強いものだった。それが逆に不安でもあるが……ギリギリまで放っておいてやろう。見境なく走るのは子供の特権だし―――

お熱いのがお好き?」


ネギの弟子入り試験の後、昼から新体操の選抜テストがあるという佐々木さんを見送り、俺とネギはアスナ達の部屋で治療を受けていた。

「ハイ、ネギ君動かんといてや〜」
「あたたた……あうーー」
「ははは、そんなんで痛がってたら、この先――痛えっ!?」
「そういうジロー先生の方こそ、じっとしてください」
「あのー、その……ホント悪かったわ、ジロー。あの時はもう、何を考えてたのか、自分でもわかんないぐらいで……」

このかに赤チン(懐かしいな、オイ)を塗られているネギの横で、何故か俺も刹那にとっ捕まって、消毒液という名の劇薬を塗りたくられていた。
微妙に幸せそうに、俺をイジメないでください。本当に痛いんです。溝のできた手の平にそれはきついっす。ああ、気分は因幡の白兎。

「手の平はボロボロ、さらに唇なんて抉れるぐらい噛んで……前にも言いましたけど、もっと自分ことも大事にしてください」
「ホント、ゴメン。冷静になって考えたら、ネギ第一主義のあんたが、あれを見て平気な訳ないもんね……」
「何だ? ネギ第一主義って……まあいいか。アスナもネギのことを思ってやってくれたんだし、気に病むことじゃないよ。その、俺も言葉が少なかったし」

喋らなかったのは歯を食いしばりすぎて、ろくに話せないぐらいに顎が痛かったからだけどね。

「二人とも無理してー、もー。二人とも意外と熱血なんやなー」
「すすす、すいませーん」
「……俺は熱血なんてした覚えはない」
「いや、ジローはかなり熱血じゃない? 修学旅行の時なんて、めちゃくちゃヒーローっぽい登場の仕方してたし」
「そ、そうですね、無茶をしていたのは褒められませんが……その、格好よかったです……」
「いい加減、その話は止めてくれ。出血で思考力が鈍ってたせいで、一時的にテンションが上がってたんだ」

ニヤニヤしたアスナに、憮然とした顔で返す。直前まで、オヤビンや小太郎と戦っていたからだと思いたい。俺はもっと、冷静なキャラのはずなんだ。
そこでふと思い出したように、アスナがこのかに問いかけた。

「そういえばさー、このか。修学旅行の時みたく、あんたの能力でパーッと治したり出来ないの?」
「んーーー、でもあの時、ウチ、エヴァちゃんに言われたとおりやっただけやしー」

アスナの疑問に、このかはちょっと困った感じに答える。

「仕方ないさ。今まで魔法なんて使ったことないから、どう力を使うかなんてイメージできないだろうよ。それに回復系は難しいしな」
「僕も回復系はあんまり……」
「そりゃそっか……あれ?」
「どした、アスナ?」

俺の説明に納得しかけたアスナが、間抜けた声を出したので聞いてみた。

「ジローは使えないの、回復魔法?」
「使えるけど? 京都で刹那のケガだって治しただろ……ああ、そういやあの時のケガ、骨盤にヒビ入ってたっぽいぞ」
「そ、そんなに酷かったんですか」
「…………」

今明かされた衝撃の真実に、刹那の頬を汗が一筋流れる。俺が回復魔法(下の上から中の中レベル)を使えると知って、アスナは―――

「何故に固まってるんだ、アスナ?」
「じゃあ、あんたがネギのケガ治しなさいよ!?」

俺の胸倉に掴みかかり、ネギを治せと揺さぶり始めた。

「い、いいいや、そそそれをををし、しししない理由ううううは〜〜〜」
「ア、アスナさん、ジローさんも一応、ケガ人ですから!」
「あ、ああ、ゴメン」
「ぷはっ……た、助かった、刹那」
「いえ……」
「それで? 何でネギのケガを治さないのか、ちゃっちゃと説明!」

くそう。最近、アスナに負け続けている気がするぜ。いいだろう、Iさんばりの「説明」を聞かせてやる。

「ごほん、この講義はネギとこのかにも役立つから、ちゃんと聞くように。返事は?」
「「イエッサー」」
「よろしい」
「どこの軍隊よ、どこの」

うるさい、ノリだノリ。

「治さないのは、まず痛みを覚えてもらいたかった、ってことがあるんだ。治癒魔法はたしかに便利なんだけど、万能じゃないしな」
「はあ、それで?」
「多少のケガなら回復魔法を使って一瞬で治せるし、大きなケガでもそれで塞ぐことができるだろう。ただ、それでどんなケガでも治せるわけじゃないし、それに頼ることは、戦闘における勘を鈍らせる可能性があるんだよ」
「……ああ、なるほど」
「え〜と……何となくわかったような気が……」
「? どういう意味よ」

刹那とネギの方は、すでに俺の言いたいことに合点がいったのだろう。うんうんと頷いている。理解の早い生徒にはご褒美をあげよう。まず二人の頭をかいぐりまわし――

「あ、あうぅ〜」
「ジ、ジロー先生、いいい、いきなり何を?」
「ほら、二人には飴ちゃんをあげます」
「あんたね……」

――しばし頭をかいぐった後、何故かポケットに入れていた飴玉のフィルムを剥がして、二人の口に放り込んでやった。

「えへへ」
「あ、あうあうあう」
「あはは〜、せっちゃんの顔、真っ赤やで」
『相棒、兄貴達の接し方がさらに……』

ネギは嬉しそうに飴を舐めてるんだが、刹那が酷いことになってしまった。

「…………悪のりしすぎた。正直、すまん」
「あんた、いろんな意味で残酷よ……」
「残酷って……そこまで酷いことなのか?」
「自分の胸によっく、手を当てて考えなさい」
「??」

必要以上にアスナの目が白いけど、気にしない。照れてるんだか拗ねてるんだか、どう表現したらいいのかわからん顔で飴を転がしている刹那に、悪いことをしたと胸中で謝りながら、回復魔法についての講義を再開する。

「ええっと……それでだな、『軽度の傷ならすぐに治せる』って考えてケガすることに慣れると、戦闘における注意力や警戒が疎かになるんだよ。どんな小さな気の緩みでも致命傷になる危険があるのに、そんな怖いことはないだろ」
「致命傷って?」
「例えばだな……あー、致死性の猛毒とか、スタンガンみたいに一瞬で体の自由を奪う攻撃だとか、後は有無を言わさず即死な攻撃とか?」
「うわ、エグイこと考えるわね、あんた」
「俺がやるんじゃなくて、そういうことしてくる奴もいるってことを言いたいの。どんな攻撃でも、当たったら死ぬ!ぐらいで戦わないと。肉を斬らせて〜、は流行らんよ」
『運良く、修学旅行で戦った連中にそんなのはいなかったけどな』
「ふ〜ん。魔法使いにも、いろいろ危ない奴がいるのね」
「こわいなー」

注意一瞬、ケガ一生を通り越して、一瞬の隙が死に繋がるしな、『裏』は。そんな連中がネギ達に近づかないよう、全力で排除してるけどねー。死ぬよりマシとか、死んだ方がマシな目に遭ってもらって♪

「体の方も、魔法を使わないと回復力高めようとするだろうし。……さて、今日の講義はここまでってことで。もっと踏み込んだことは、今度エヴァにでも教わりに行ってくれ」
「きりーつ、れーい」
「アスナ、補習が欲しいみたいだな。本当はお前のハリセンで魔力削られて過ぎて、回復魔法を使えないだけなのに……」
「じょ、冗談よ冗談」
「たくっ、人が真面目に――――?」

ふざけたアスナの頭をはたこうとした時、タイミングを見計らったように部屋のチャイムが鳴った。席を立とうとしたこのかを制して、俺が玄関に向かう。
理由か? 俺が一番、玄関に近かったからだ。

「はいはい、すぐに開けますよ」
「あ、ジロー先生……ネギ先生はいらっしゃいますか?」
「茶々丸だったか。ネギなら中にいるから、ちょっと待ってな」
「はい――」

部屋に引っ込んで、すぐにネギを連れて玄関に戻る。

「あっ、ど、ど、ど、どうも茶々丸さん」
「―――こんにちは、ネギ先生。お傷のほうは大丈夫ですか?」
「ハイ、見た目より全然、大したことなかったです」
「茶々丸がかなり加減してくれたからな。見た目はともかく、骨や筋に異常の出るケガはなかったよ」
「そうですか。それは良かった」

むしろ、俺の方がケガは酷かったしな。全身打撲に加えて、手の平はざっくり割れて、口の中はザクロ状態だったし。
ミ○ザ先輩が聞いたら発狂するかもしれんが、しばらく辛いもの禁止だ。

「あの、これマスターから……良く効く傷薬だそうです。あ、ジロー先生の分もあります」
「悪いな、エヴァにもありがとうって伝えてくれ」
「あ、どうも」

何だかんだで、奴もかなりお人好しだな……後で恩を返せなんて言わないよな?

「それで……これは私から……おいしいお茶です」
「はあ、これはこれは、どうも御丁寧に。かたじけない……」
「ジローさん、おじいさんみたいだよ……イタッ」
「……あの…今回はいくら試合とはいえ……ネギ先生に……ジロー先生にも……その、私」

失礼なことを言うネギの頭をはたいて二人で頭を下げ、おずおずと茶々丸が差し出した、お茶の入った紙袋を受け取った。
心優しい茶々丸だけに、今回のテストでネギをボコッたことを気にしているのだろう。もじもじしながら、ネギに謝罪の言葉を呟いている。

「……で、ではこれで失礼します」
「ちゃ、茶々丸さん?」

居づらかったのか、謝罪を済ませてさっさと帰ろうとする茶々丸に、待ったをかけた。

「あー、茶々丸、ちょっと待って」
「――はい?」
「今回のテストは俺が頼んだことだし、お前が気に病むとこなんて、どこにもないよ? むしろ感謝しているぐらいだ。全力を出しながら変なケガしないよう、気まで遣ってもらったんだから。だよな、ネギ?」
「はい! 手加減されて合格しても、僕は嬉しくありませんでしたから」
「あ……ですが……」
「本人が気にしてないって言ってるんだから、そんなに辛そうな顔しない。せっかく来たんだし、ゆっくりしていけ……俺の部屋じゃないけど」
「――では、お茶をお淹れ致します」
「ああ、頼む」

どことなくほっとした茶々丸を連れて、俺とネギは部屋の中に戻った。やっぱ、土産持参で見舞いに来てくれた人を玄関で帰すなんて、人の道に外れるからな。
……茶々丸を連れて部屋に戻った時、背筋に寒いものが走ったんだが、何故だ? アスナとこのかが苦笑いしていたが、何かあったのだろうか。


「―――どうぞ」
「はい、どうも」
「あ、ジロー先生!」

茶々丸がお茶の準備を始めて数分。湯のみに注がれた、綺麗な若苗色の液体を口に含んだ瞬間、俺は重大な問題を失念していたことを思い出した。おそらく刹那も、そのことを思い出して制止をかけてくれたのだろうが……まさに刹那の差で遅かった。

「ガフッ!!!?」
「ジ、ジローさーーん!!?」
「ちょ、ジロー!?」

辛いものがダメってことは、イコール熱いものもダメってことですよね―――口内を焼かれるような痛さに震えながら、俺はお茶の入った湯のみを静かに机に置いて一言。

「……ネギ、こうならないよう、お前も気をつけような」
『い、いろんな意味で根性あるなー、相棒』
「ぷっ……あははははっ!」
「あの、だ、大丈夫でしょうか、ジロー先生?」

部屋に響き始めたネギやアスナ、このか、刹那の笑い声と、俺と救急箱の間を行ったり来たりする茶々丸の挙動不審な動きは、選抜試験に受かったと佐々木さんや運動部三人衆が飛び込んでくるまで、途切れることはなかった。


「ズズ……―――みんな元気だな。若いって素晴らしい……」
(いや、相棒がその言葉を言っちゃなんねーだろ)

一気にお祝いモードになってお茶会が開かれた部屋の隅で、俺が今度は注意深く冷ましながらお茶を啜っていた時、携帯に電話が掛かってきた。

「はい、もしもし、八房ですが」
『―――あ、あの、ジロー先生ですか?』

電話の相手は夕映ちゃんだった。やけに声が裏返っている。そういやどっかの忍者娘も、初めて掛けてきた時はこんな感じだったな……既視感?

「はいはい、そうですけど。どうかした? 何か用事?」
『その聞き方ですと、用事以外で掛け――こほん。ジロー先生、先日見つけた地図の中にあった手がかりのこと、そろそろネギ先生に話したいのですが……』
「あー、そうだった。……うん、ネギのテストも終わったことだし、もう話しておいた方がいいかな」
『ええ……学校の図書室にのどかと一緒にいるですから、ネギ先生を連れて来て欲しいです』
「了解。すぐに行くから、待っといて」
『はい、待ってるです』

掛けてきた時と違い、明るい声で夕映ちゃんは電話を切った。たぶん、これから話すことについての好奇心が抑えられないのだろう。典型的な学者タイプだからな、夕映ちゃんは。
みんなと一緒に、お茶を飲みながら談笑していたネギを連れ出して、夕映ちゃん達の待つ図書室に向かう。

「夕映さんとのどかさんからお話? しかも内密にって、何ですか……?」
「ま、着いてからのお楽しみだ」
『その様子だと、また何か隠してたんだな、相棒』
「えぇ〜。またなの、ジローさん?」
「お前らの反応が非常に気になるところだけど……とりあえずネギ、覚悟だけは決めておけよ」
「ちょ、どういう意味、それ!?」
「はっはっはっ、また学園長に報告書と始末書、書かされる〜♪」
「ええええぇぇぇ!!?」

慌てふためき、自分のやった失敗を数え始めるネギを連れて、俺は学園までの道をのんびりと歩く。修学旅行から帰って一週間……短い平和だったな。
これから一気に加速するであろう日常のスピードを思い、俺は胸中で密かにため息をついた――――

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