「かわいい子は旅をする?」



「――――ハァ……」
「えっと、大丈夫ッスかジロー先生?」

 修学旅行三日目、宴会場で朝食を終えた少女達が待ちに待った完全自由行動のために銘々部屋に戻る中、一人テーブルの前に置いた湯飲みを眺め、だるそうにため息をついているジローに、周囲の目を気にしながら近付いた美空が声をかけた。

「……体は全然問題ない。ただ、精神的に少しな」
「ア、アハハ……お勤め御苦労様ッス!」

 まだ見習いではあるが、一応魔法生徒である美空がわざとらしく頭を下げる。
 ここで「半人前だけど、何か手伝えることある?」と聞いてこない辺り、彼女の性格の良さが現れているが、ジローとしてもそんな不真面目な少女の行動は慣れたもので。

「まあ、こうやって一声かけてくれるだけでも有り難いし。ホレ、あんま話し込んでると、否応なしにネギと愉快な仲間達に遭遇するぞ」
「ウゲゲ、それは勘弁!」

 お互い微妙な立場であることを理解しているため、顔に浮かぶのは苦笑ばかり。

「そーいえば、親書がどーのってシスターシャークティが言ってたけど、あれってどうなったんスか?」
「今日、ネギが自由行動に紛れて協会に届けに行くことになってる。まあ、道筋の途中に変なトラップもなかったし、お邪魔虫でも出なけりゃ大丈夫だろ」
「へー……」

 麻帆良でお土産を待っている、赤い瞳に褐色肌の少女マスターを思い出させる半眼でお茶を啜り、ほとんど独り言のように話すジローに相鎚を打っていた美空だが、先の会話に気になる部分を見つけて首を傾げる。

「あれ? 道筋に変なトラップもなかった、って……」
「あー、昨日お前らを部屋に帰らせた後、少し泣きたくなることがあってな。そこで泣くのも癪だったから、ざーっと大雑把に下調べしてきた」

 手に持っていた湯飲みの中身を飲みきり、「やっぱり出涸らしに近いお茶は美味しくないな……」とぼやき、その癖、どこか落ち着いた風に一息ついているジローを半眼で見つめ、美空は思った。

(どーして嫌なことや悲しいことが労働意欲に向くんだろ? いや、今回の親書どーのって私に関係ないし、別にいいんだけど……)

 そういう行動を、主人であるネギや仲間の少女達の知らない間にしているのは、何と言うか、酷く無駄骨なのではないか。
 魔法使いとして特に成功したい、褒められたいと考えていない美空だが、ジローの地味な土台作りみたいな行為は、非常に損をしているだろうと思う。
 いや、それ以前にだ、

「ってか、呪術協会だったかの側まで行ったんだったら、ジロー先生が親書を届けちゃった方がよくない?」

 そちらの方が効率安全など様々な面でいいと、至極真っ当な意見を述べてみた美空に、ジローは昨晩の悪鬼魔人モード――当人はほとんど覚えていない――を微塵も感じさせない、普段通りの穏やかなのか緩いのかわからない眼差しを返し、面倒くさそうに答えた。

「阿呆、学園長はネギに親書を届けるように言ったんだ。何故に俺が代理で届けてやらにゃならん?」
「な、何故にって……まあ、確かにそーだけどさ」
「ネギの仕事はネギの仕事。俺の仕事は、あくまでそれが上手く進むよう手伝うこと」

 お役所仕事ッスねー、と頭の後ろで手を組んで漏らす美空に苦笑を浮かべ、ジローは言葉を続けた。

「いいんだよ、それで……ネギだってやる気出してるんだし。だいたい、アポなしに俺みたいな使い魔もどきが行ってみろ、あっという間に蜂の巣か黒焦げだぞ」
「ウゲッ、『西』の本山ってそんなにおっかないトコなの!?」
「いや、適当に言ってみただけだぞ? 一応、俺って『こっち』には魔法先生で報告されてるし、即抹殺なんて流れにはならんだろ」

 白目を剥いて驚く美空にさらっと返して、空の湯飲みを掌中で転がして暇を潰すジローの口元に、多少の皮肉が溶け込んだ笑みが浮かぶ。

「どだい無理があるんよ、そんな閉鎖的な組織や行動を良しとするんは。大袈裟に言うと、時代を突っぱねるより紛れ込むか、流れに乗るかできなきゃ――――後はわかるだろ?」
「……いや、全然まったく、これっぽっちもわかんないッス」
「…………うん、美空相手にシリアスをやってみた俺が悪かった」

 問い掛けの視線に、やる気の欠片も見えない白目顔で首を振った美空に対し、ジローはわかっていたと言いたげに苦笑した。
 コン、と音を立てて湯飲みをテーブルに置いたジローが、話題を切り替えて美空に尋ねる。

「ふぅ……で、今日は一日自由行動な訳だが、お前らの班はどこに行くんだ?」
「んー、そーッスね、うちの班って超りんとかいるし、『南京中華街まで足を伸ばして、新メニューの研究ネ♪』とか言ってたかなー」
「京都から神戸までってチャレンジャーだな……あー、でも新幹線やら使ったら一時間ぐらい、だったか?」
「その辺は頭いいのが二人いるし、問題ないんだけど……」

 続きを言い淀み、タハハと後頭部を掻く美空の表情から、路銀の問題だろうと当たりをつけてジローは嘆息した。

「まぁ、学生には厳しいよな、二千円近く飛ぶし。往復で五千は考えておかないと駄目だし」
「うぐぅッ」
「南京中華街の料理って店にしろ露天にしろ、美味しいことは美味しいけど、肉まん一つ五百円とか結構バブリーだし……」
「そ、そんなに……!?」

 ジローの言葉一つ一つに反応し、ショックを受ける美空の顔が徐々に青褪めていく。
 お土産が、お菓子が、と呟いているところを見るに、修学旅行二日目にして既に財政難に陥りかけていて、何らかの経済政策を実行せねば赤字になるのだろう。

「エ、エヘへ、それでジロー先生に少〜し相談が……」

 ぎこちない笑顔を浮かべ、揉み手で話しかけてきた美空に対し、ジローがすることはたった一つ。

「断る、拒否、NO、不可、却下、ふざけるな正気かお前?」
「ヒッド!? 最後は私の頭まで疑ってるし!」

 ジト目を向けて、速射砲並に拒絶の言葉を放ったジローに美空が抗議するが、少なくともこの場において彼女に正当性はなく、一応は教師と生徒という立場を維持しようとしたジローに軍配が上がるのだが――

「お願いだよー……あっ、そうだ! ココネのお土産、代わりに買ってきてあげるから!!」

 麻帆良に来てから学校以外でも、教会などで頻繁に顔を合わせている少女である。八房ジローの勝利の方程式を突き崩す方法など、とうに心得ていたようだ。

「キーモン紅茶と桃饅頭、マンゴープリンと杏仁豆腐、あと海老蒸し餃子。キーモン以外はチルドもので郵送、店はその道の専門家に任せる」
「え゛? あの、これは少し多すぎる気が……ま、まあいいか、シスターシャークティの分も買えばいいし」
「あ、忘れ………………いや、何でもない。そっちはお前に任せる、何買えばいいのかわからん」

 一瞬で周囲の状況を把握し、誰にも見咎められぬ様に注意しながら、すぐ側に立つ少女に『武士道』の著者が描かれた紙幣を三枚、小さく折り畳んで握らせた後、ガックリと項垂れて囁くように指令を与えたジローに見せ付けるように、美空は胸の前で手を組んで、

「ああ、主よ! どうかジロー先生の未来に幸福が訪れますよーに♪」

 これで救いは与えられますと、胡散臭い上に有り難味のない御言葉を声高らかに謳ってみせた。
 その顔に、悪戯が成功した時と同じような笑みが浮かんでいることが、彼女の言葉をペテンだと証明していると考えても、恐らく天罰は下らないだろう。

「お前あれだろ、ものすっごくいい笑顔で免罪符を売る奴だろ?」

 宗教革命でも起こされてしまえ、とため息と一緒に毒づき、ジローは「どっこいしょ」と爺臭い掛け声を出して腰を上げた。
 そろそろ部屋に戻らねば、準備に使う時間がなくなってしまいそうだった。
 生徒だけでなく一応は先生であるネギやジローも、今日一日は私服で過ごしてよいと、同じ引率教師である源しずなに言われたのだが――

「むしろ私服で動けって言われる方が困るんだよなぁ……」
「ちょっとちょっと、ジロー先生。そういう台詞、きっと年齢的に間違ってると思うッスよ」
「仕方ないだろ、麻帆良に来てから背広が私服ですって勢いだったし」

 あまり流行の服装どうのこうのに興味はないしな、と付け足してから、

「だけど安心しろ、ちゃんと服の用意はしてある」
「ま、まさかジーンズにTシャツ、ニャジダスジャケットのセットなんて言わないッスよね?」

 どん、と胸を叩いて話したジローは、半眼を向けて聞いた美空に、彼にしては珍しい得意げな笑みを浮かべて答えた。

「ウニクロって店で、セットにして売ってる服を買ってきた」
「それ、ただの量販店の見本商品じゃん!?」

 ここで一言説明するなら、ジローの話に登場したウニクロとは、全国展開しているカジュアルウェア専門店チェーンの名前である。
 手頃な値段で、組み合わせの幅が広い良品質商品を揃えていることを目玉にしているのだが――

「私、商品の組み合わせ例で展示してる奴をそのまま選ぶ人、初めて見たッス」
「な、何か悪かったのか? そんなに派手じゃなかったし、着た感じ動きも邪魔されなかったから、サイズだけ合わせて買ったんだけど」
「いや……別に悪くはないですけど」

 ああいった店では、安い値段で同じ種類の色違いなど、様々なものを組み合わせて、自分なりのオリジナリティーを出したコーディネートをするものでしょう、と痛みを訴えるこめかみに手を当てて美空は呻いた。

「ジロー先生、麻帆良に帰ってからでいいから、男子向けのファッション雑誌でも買って勉強した方がいいッス、絶対に」
「正直、そーいうの苦手だ。『向こう』だと服って、買い物に付き合わされたら勝手に増えるものって感じだったし……」

 『向こう』にしろ『こっち』にしろ、どうして女の人というのは、年齢如何に関わらず、服飾関係についてチェックが厳しいのか。
 口をへの字に結んで、やれやれと言いたげな足取りで歩いていくジローの後ろ姿を眺めながら、美空はジットリした半眼と共に溢した。

「ダメだあの十代、早くなんとかしないと……」

 運動部所属の男子生徒でも、もっとファッションその他に気を遣うのに、と呟いてから、美空はいいことを思いついたとばかりに、口元をニヤリと動かした。

「フッ、しょーがない、ここは一つ心優しくて善良なシスターが一肌脱ぐとするッスか♪」

 度重なる苦労のためか、若さを忘れかけている自称使い魔の青年に救いの手――という名の服選びをしてあげるのも、神に仕えるシスターの立派なお役目ですよね、と上司の顔を思い浮かべながら、美空は自分も外出のための準備をするために、足取り軽やかにスキップで部屋に向かうのだった――――






 美空に『個人的』な経済支援を行った後、部屋で私服に着替えるために宴会場を出たジローが遭遇したのは、自分の姿を発見した途端、わたわたと手に持っていた装丁の凝った本を背中に隠す宮崎のどか嬢であった。

「あうー、ジジ、ジロー先生……あのー!」
「あー……」

 並みのハードカバー本よりも大きい、辞典や図鑑ほどのサイズがあるだけに、彼女の背中からまだ頭を覗かせている本に視線を落とし、やや呆れたような半眼になったジローは、慌てている少女にどう説明すべきか考え、

「大丈夫、俺はもうとっくに巻き込まれてるから」

 結局、上手い説明も思いつかなかったので、単刀直入にそれだけで済ましてみた。

「えう? えーっと……ぁ、そ、そーなんですかー?」
「……さっきの言葉で納得されたっぽいのが、些か納得いかないけど、そーだったりするんです」

 何故か腑に落ちたと言いたげな顔で、最後の確認をのどかが行う。
 自分で言っておきながら、のどかにとって自分は、あれっぽっちの説明で理解を得られる人間なのだろうか、と胸中で苦々しく思いながらジローは頷いた。
 頷いて見せてから、やはりこれもいつもの事なのだろうと、ため息と一緒に流して現実と向き合うことにする。

「あー、自由行動開始まであまり時間もないし……どーいう事を聞きたい?」
「え、え? どーいう事を、ですかー? じゃあ、そのー……」

 相変わらずの緩いのか穏やかなのかはっきりしない、茫洋としか顔で切り出したジローに虚を突かれ、助けを求めるように辺りをきょろきょろ見渡した後、のどかは場を繋ぐ意味も兼ねて、自分が後ろ手に持っていた本――ラテン語で『DIARIUM EJUS』という題が記された、魔法書と思しきものを体の前に抱きなおした。
 何度か深呼吸を繰り返す。それでも胸の動悸は治まらない。
 元より上がり症の自分だが、今まで以上に緊張していることがわかった。

「あの、そ、その、この本……」

 聞いてもいいのか。本当に、目の前の青年に質問をしてもいいのか。
 怖さにも似た疑問が、自分の頭の中で繰り返されていた。
 それでも、

「き、昨日のゲームの景品でもらったカードなんですけど……『来たれ』って唱えたら、こんな本になっちゃってー……」

 『来たれ』というのは、たまたまネギ先生達がしていた会話を聞いた時に耳にしました、と恐縮した様子で付け足すのどかに、緩い表情を僅かに曇らせるジロー。
 一応、周囲に気を配ってから話を始めたのだろうが、途中から会話に夢中になったかしたらしいネギ達の話を、偶然のどかが聞いてしまった形なのだろうと結論付ける。

「ま、いいか……麻帆良に帰ってから書類を書けば済む話だし」
「え?」
「いんや、こっちの話。あー、その本の中身、ちょっと見せてくれるかな?」
「は、はいー」

 漏らしてしまった呟きを聞き、首を傾げたのどかに手を振って誤魔化し、ジローは彼女に本を開くよう指示する。
 言われた通り、のどかが本を開くが、中は白紙の項が延々と続いているだけで、特別何かが書かれている様子もない。

「こんな風になってるんですー、ジロー先生」

 のどかの方は、特に不思議そうな顔もせず、真っ白な本を開いてジローに見せている。

(白紙……?)

 本の中に何が書かれているのか、内心不安もあったジローが、拍子抜けしたように考えた時だった。

 【白紙……?】

「――ん?」

 突然、胸中で自分が浮かべた疑問が文字となって表れ、眉根を寄せたジローに、本を開いて持っていたのどかが遠慮がちに口を開いた。

「わ、私もよくわからないんですけど……心に思ったことが、絵日記になって浮かび上がってくるみたいなんですー」
「げ、何その嫌な方向に強力なアーティファクト」

 ジローと遭遇する少し前に、手にした『DIARIUM EJUS』――和訳すると、『いどのえにっき』となる――の能力を偶然ながら目の当たりにしていたのどかに解説され、ジローは本気で苦い顔になってしまう。
 考えたことが絵日記にされるということは、自分がどういう理由でのどかに魔法関係のことを話そうとしているのかや、昨晩衝動的に旅館を飛び出した後、関西呪術協会まではどのルートが一番安全か、妨害されにくいかを調べてメモし、ネギの持っている地図に挟み込んだりしておいたことも知られるわけか。

「――ぁ、しまった」

 ジローの頭の中で、まずいと警報が鳴った時はすでに手遅れだった。
 『いどのえにっき』の白紙ページに次々と浮かび上がる使い魔青年の思考を、本好き、いや本中毒者の性か、のどかはついつい読み上げてしまう。

「え〜っと……『4月24日 木曜日――大体だ、仕事だ役目だ言っても何だかんだで子供だし、さり気なく手助けするのは当然として、ああ、でも甘やかすと絶対にポカやらかすから、表向き厳しいぐらいに注意と警告を……クッソ、心配ばっかさせおってからに。こっち着いてから、刹那も変な感じだし……あー、手間と苦労が増加中で、面倒くさいことこの上ないですよー?』」
「カハッ!? カ、カットカットカットカットカットカットォッ!!」

 謎の奇声を上げて後方に跳び退り、訳もなく徒手空拳の構えを取っているジローに、心を打たれた風な視線を向けてのどかが微笑んだ。

「――――え、えへへ」
「…………」

 そこにあるのは、負の感情など欠片も見受けられぬ、純粋な喜びや安心安堵の色。

「えへへへへ♪」
「………………ぐぅっ」

 鬼の首を取った時に人が浮かべてしまうのは、きっと大き過ぎる功績に歪んでしまった笑顔ではなく、この少女が浮かべている、向けられた者が途方に暮れてしまうような微笑なのではないか。
 目の前で今も控えめに笑い続けているのどかを、畏怖するような半眼で見つめて、冗談抜きに考えるジローであった。

「――――――――知っていることは洗い浚い話すから、その生暖かい笑顔を向けるのを止めてください!」
「そ、そんなに恥ずかしがることないですよー……えへへ、えへへへ〜♪」

 羞恥に染まった言葉と共にジローが頭を下げるが、のどかから返ってきたのは、彼にとって激しく迷惑な慰めの言葉で。

「使い方次第で人どころか、国を殺せるんじゃなかろうか……」
「と、時々、厳しすぎるとか冷たいんじゃないかなー、って思ってたけど、半分ぐらいはネギ先生のためだったんですねー」
「違います、いつも見せてる通りの行動が俺の本心で、ネギを甘やかそうなんて気持ちはほとんど持ち合わせていません。だから、そーいう見直したと言わんばかりの目で俺を見ないでくださいッ」

 落ち着きを取り戻したのどかが微笑みを引っ込めるまで、使い魔青年・八房ジローの羞恥の時間は、まだまだ続きそうな模様である――――






「………………」
「――――ス、スミマセンでしたー」

 壁にもたれ掛かり、燃え尽きたように白くなっているジローに、申し訳なさで頬を赤くしたのどかが頭を下げる。
 依然、開かれたままの『いどのえにっき』に浮かび上がるのは、ジローの現在進行形な思考。

 【いや、別にいいんだけどね。麻帆良に来てから、ちょっと厳しいかなー、って自分でも思うことはあったし……人間素直が一番ですよね、わかります】

「あうー……」
「…………」

 肩を落として俯いてしまうのどかを、力なく目だけ動かして眺めながらジローは考えた。
 パクティオー協会のアーティファクトの選考貸与の基準はどうなっているのだろうか、と。
 性別、年齢、魔力量、性格、趣味嗜好、特技、物事の考え方や捉え方。
 これらを参考に、貸与するアーティファクトと、パクティオーカードに記載する数字や星辰性、星宿、称号などを決定しているのだろう。
 真っ白な灰になり、壁に体と頭を預けた状態で「そういうのを一瞬で決定して、パクティオーカードを出すのは職人技だよな」と声に出さず呟く。

 【――しかし、俺の場合はどうなるのかねぇ? 次郎とジロー、どっちで登録されるかで、アーティファクトが変わったりするのだろうか】

「え……っと?」

 またも漏れてしまった思考が、のどかの手にある魔法書に浮かび上がる。
 悪いと思いながらも、本があって、文字が羅列しているならば読まねばならない。そんな愛読狂に近い習性に背中を押され、つい目を通してしまった少女は、『いどのえにっき』に記された文章に疑問を覚え、本とジローの顔を交互に見て首を傾げた。
 のどかの尋ねるような視線に気付いても、ジローは灰の状態で儚い誤魔化し笑いを浮かべるだけで済ます。
 ただ、いずれ知れることには違いないと、

 【特に重要なことじゃないから、まあ覚えていたら、そのうちネギにでも聞いたらいいよ。よくネギの肩に乗ってる、カモってオコジョに聞いてもいい】

 直接声に出すことはなかったが、のどかにそう伝えておいた。

「そ、そーですかー……で、でもいいんでしょうかー? ネギ先生、魔法使いだって知られると困るんじゃー」

 よく読む物語などでも、正体がバレて困ってしまう魔法使いが多く登場することを知っているだけに、のどかは自分に魔法の存在を簡単な解説付きで教えてくれたジローに不安そうな顔で問う。
 上目遣いに、ネギ先生に迷惑をかけるの嫌ですー、と遠慮がちに意思表示している少女に、瞼の下がった緩い目付きを返して、真っ白な灰の状態より復活したジローは、

 【『仮契約』でアーティファクトまで手に入れてるしねー。お約束通り記憶を消すって手もあるけど、昨日のゲーム終了から結構時間も経ってるし、周りの記憶の調整も必要になってくるから……】

 面倒そうに頭を掻きながら、またも声を出さずのどかに話す。
 わざわざ煩わしい方法を選ぶより、のどか個人の口の堅さ等に任せた方が、ズレの生じる可能性が少なくていい。
 少々危機感や責任感が足りないのではと感じることを胸中で呟いてから、ジローは口元に少しばかり意地の悪い笑みを形作る。

 【そもそも俺、記憶消去の魔法って苦手だし。好きじゃないって理由で、修得も基礎的なところで止めたから……失敗すると、一日二日単位で記憶を消しちゃうかも?】

「ピィッ!? ぜぜ、絶対に言い触らしませんから、記憶は消さないでくださいー!」

 あくまでジローなりの冗談だったのだが、それを本気と捉えたのどかは腰を抜かしそうになって、彼から距離を取りつつ必死の面持ちで頼み込む。
 ネギの秘密を、当人の与り知らぬ場所で知ってしまったことに罪悪感はあっても、やはり好きな相手のことだけに、忘れてしまうことは避けたいと見える。
 それを抜きにしても、日数単位で記憶が消える危険があると聞かされれば、彼女の行動は当たり前なのだが。
 意地の悪い笑みを顔から拭い取り、苦笑いに変えたジローが言葉を続けた。

 【そんなに引かなくても……。宮崎さんの記憶消したって知ったら、ネギも怒るだろうし、俺は手を出さずってことで。これからどうするかは、宮崎さんの意志に任せるから、とりあえず無闇に魔法関係のことを口外しないってことだけ約束してくれれば】

「は、はいー……! ありがとうございますー、ジロー先生」
(まあ、本の中の冒険と現実は違うってーのは、自分で気付くべきもんだし。ここで下手にそれ言うと、意固地にさせる可能性もあるからな)

 だから、今はネギのことを好きだと、実際に告白までして見せた少女の『想う』ままに任せよう。

(全てはそれからでも遅くないと思う……たぶん)

 『いどのえにっき』が対象の表層意識を文字として記すというのなら、それを逆手に取り、頭で別のことを考えながら、本命は声に出してしまえば大丈夫。
 そんなトンデモ理論の実践を密かに成功させ、のどかにわからぬよう、手の平を湿らせていた汗をズボンの横で拭ったジローは、人差し指を唇の前に置いて「お静かに」のジェスチャーをして見せる。

 【少し後ろ暗いだろうけど、夕映ちゃんや早乙女にも内緒にね。始末書の枚数は少ないに越したことないから】

「き、気をつけますー……」

 困った風な笑顔で口の前に指を立てているジローに、本を持っていな方の手をグッと握って秘密厳守の意志をアピールしたところで、ようやくある奇妙な現象に気付いたのどかは、ギョッと目を見開いて魔法書に視線を落とし、すぐに目の前の青年に戻した。

「あ、あのー! もも、もしかしてジロー先生、さっきから喋ってなかったりしませんかー……?」

 理解し難い新種の生物を発見したような顔で凝視する少女に、肯定の頷きを返したジローは、短時間にしては随分と上達した――元々、『口に出す言葉と頭で考える言葉は別物』という感じだったので、そこまで難しいものではなかった気もする――表層意識での会話を行う。

 【いや、下手に心を読ませまいって構えると、余計に考えていることが駄々漏れになるから。ほら、よく言うだろ、剣客や武道家はある程度まで心を制御できるって】

「め、明鏡止水とか無念無想というのですかー?」

 【明鏡止水、無念無想、単語も境地も、大嫌いだとじいちゃんばあちゃん仰っておりましたし、私も愚考、見当違いな到達点だと、しておりますが】

 若干意識に波ができたせいか、『いどのえにっき』に浮かび上がる文章が乱れる。
 小さく咳払いすることで気分を仕切りなおし、ジローは「まあ、イメージとしてはそれに近いかもしれない」と声に出さず言い足してから、無言の会話を続けている本当の理由をぶっちゃけた。

 【慣れてみると、これが案外快適で……言いにくい言葉でも噛まずに済むし、口を動かす手間も省けていいかもなー、と】

「そんな理由ですかー!? も、もう本は仕舞うので、普通に口を使って話してくれませんかー……お願いしますー」

 パントマイムでもするように、頭の後ろに手を置いて「アッハッハ」と笑うポーズだけするジローに、笑顔を引き攣らせたのどかが遠慮がちにお願いする。
 どことなく切実な様子で頼んでいるのは、ただでさえ変わった人という位置付けであった青年が、実は妖怪の『覚』とでも戦える凄い人なのでは、と考えてしまったからか。
 『去れ』と唱えて、『いどのえにっき』をパクティオーカードに戻したのどかに、ジローは本心を判別できない飄々とした顔でサムズアップして、

「覚とか粋呑*みたいに読心使う妖怪はないけど、ゴーレムとかそこそこの竜種を倒したことはあるよ」
「えう!? ど、どーして私の考えちゃったことー!?」
「やー、直感? 本好きだったら覚の名前とか思い浮かべそうだなー、って」
「う、うぅ、すみませんー、何だか信じられないですー……」

 本当は勘などではなく、自分を見るのどかの表情や瞳に浮かぶ感情の色から当たりをつけて、それっぽく言ってみただけである。
 面と向かって信じられませんと謝りつつ、力一杯に目を閉じて「あわわ、どうやったら心の声を止められるのかなー……」と悩んでいるのどかに苦笑し、とりあえず遭遇早々、心を読まれた仕返しは済んだとジローは呟く。

「しかし、読心ねえ……? 読んでみて、実は嫌われてたなんてわかるとやだなぁ。人間性もちと難ありで、ネギみたいに受けは良くないだろうし」

 腕を組み、顎を撫でながらしみじみと溢す八房ジロー・十七歳。
 残念そうな口振りとは逆に、その表情はどこまでも我関せずの茫洋たるもので。
 色々と鋭いくせに、ある方面に対する洞察力が皆無に等しいと陰日向無く評価されている青年が、綾瀬夕映嬢と一緒にのどかを探していた早乙女ハルナ嬢に、

『発見&確保ー!! 私達、ってか特定人物の思い出作りに協力してねー♪』

 という、当人にのみ理解し難い台詞と共に、『技の二号』を髣髴とさせる跳び蹴りを叩き込まれるのは、そう遠い未来のことではなかった――――






 古都・京都。
 その名称が醸し出す静寂の雰囲気の通り、京都を歩いていると時々、自分が世界に一人取り残されてしまったのでは、と錯覚してしまう寂寞に遭遇することがある。
 二つの人影が言葉を交わしていたのも、そんな寂寞を感じさせる空間だった。

「えー、なんで俺がそんなんせなアカンのや?」
「やかましい、文句言いなや。ウチと月詠はんは顔知られとるし、さり気なく近づけるんはアンタしかおらんのや」
「それやったら、あの新入りでもええやん……」
「アホ、あんな無表情無愛想なんがゲームセンターにおったら、違和感バリバリやろ」

 駅近くなどの開発が進んだ地域から少し離れた、木造家屋が数多く残されている住宅街。
 碁盤目を思わせる細く狭い路地よりもさらに細い、建物の間を走る路地裏で、不服そうな子供の声と、それに舌打ちしながら諭す女の声が響いていた。

「そーかもしれんけど、わざわざゲーセンの中まで追いかけんでも……」
「しゃーあらへんやろ、連中が中に入ったまま出てけえへんやから」

 「ほんまに……やる気あるんやろか、あいつら」、とブチブチ愚痴っているのは、修学旅行初日の夜、木乃香を誘拐しようとして返り討ちにあった猿の着ぐるみ女――天ヶ崎千草である。
 初めてネギ達と対峙した時の、生協の販売員風の制服にエプロンを装備した格好ではなく、今の彼女が着ているのは、肩も背中も大きく出たドレス風の白い着物。裾部分に薄く足元が透けて見えるフリルが付いている。
 袖は形だけでも、という様に二の腕の中ほどで紐で直接留めており、裾から零れる太腿まで覆うハイソックスや木履の朱色など、露出の高い着物と相まって遊女を思わせる。
 そんな派手、というよりふしだらな服で着飾った千草と話しているのは、白のTシャツに黒の学生ズボン、前のボタンを全て開けた学ラン姿の少年。
 声に多少の甲高さや幼さが残っているところから判断するに、ネギとそう年齢も変わらないと見えた。

「ゲームにかこつけて情報聞き出すて、ガキとちゃうんやからさー」

 額部分に大日如来を筆頭とする、全ての仏を表すとされる梵語の『ア』――印象としては、左手に巨大な筆を持って立つ人か――が刺繍されたニット帽を弄りながら、納得いかないと不貞腐れている少年は、名を犬上小太郎という。

「何がガキちゃうー、や。なー、大丈夫やて、アンタやったら神鳴流の剣士とか、あの変な男に勘付かれずに名前ぐらい聞きだせるから」

 小太郎の言葉を鼻で笑い飛ばし、一転して機嫌を取るような猫なで声で千草が話す。
 二人とも結構な声の大きさで話しているのだが、不思議と千草と小太郎のいる路地裏を覗き込む通行人はいない。
 それどころか、皆一様に気付きもせず路地裏の前を通り過ぎていくのは、千草が周囲に貼った『人払いの呪符』のせいである。

「ホレ、早うせんと連中がまた動き出してまう。これ持ってさっさと行ってきてや」
「……千草の姉ちゃん、なんでカードゲームのデッキなんか持ってんや?」
「あいつらがやっとるゲームに必要みたいやったから、ゲームセンターの近くにあった『黄色潜水艦』っちゅう店で適当に買ってきた。子供騙しのオモチャの癖に結構高かったし、なんや強いカードでも入っとるんとちゃうか?」

 子供の遊びには興味ないけど、誕生日プレゼントなどでリクエストされたので、仕方無しに買ってきた。
 関西風に表現するなら、オカンみたいなことを言って、「ウチはいらんし、返さんでええで」と手をひらつかせる千草。
 放り投げるように手渡された、世に言うTCGのデッキ――千草の発言通り、中身のデッキに入っているプレミア付きだったり、反則気味に能力の高い初期ロットの仲魔や魔法カードの数々を見て、

(おお、スッゲー! 3コストで5ダメージ与えるとか、もうイジメとちゃうんか!?)

 内心、驚いたり狂喜乱舞したりで瞳を輝かした小太郎は、付属の箱に戻したカードを学ランの内ポケットに仕舞い、両手をズボンのポケットに突っ込む。

「ま、まあ、千草の姉ちゃんがわざわざ買ってきたん、無駄にするのもアレやし。しゃーないから、ちょっくら行ってきてもええで」
「そか、せやったら頼むわ。とりあえず、赤毛の西洋魔術師――名前はネギ、やったか? そいつの苗字が気になっててな」
「わかったわ、西洋魔術師のガキの苗字を聞き出したらええんな」

 自分の言葉に軽く頷き、路地裏を後にしようとした小太郎に、もう一つ用事を思い出したと千草が呼び止めた。

「ああ、ついでや。ガキの側におる、えー…………黒髪の妙に緩い男でええか。たぶん二十ちょい、二十三、四や。そいつの名前ぐらいも頼んどくで」
「えー? こないだの晩にいっぺん戦ったんやろ? 名前ぐらい聞いとるんとちゃうん」
「やかましいわ。こないだはええトコでアイツが出てきて、こっちは何や滑りっぱなしにされて……結局ボケ倒されて、名前覚える余裕もなかったんや」

 眉をひそめ、訝しげな顔で聞き返した小太郎を、「はよ行け、シッ、シッ」と苦々しい表情で千草が促す。

「俺、犬とちゃう言っとるやろ!」
「ハン、似たようなもんやろ。ホレ、行った行った」
「ハァ……わかったって、急かさんといてーや」

 鼻を鳴らし、訂正を聞き入れない千草に口をひん曲げ、ガシガシと頭を掻きながら小太郎は、敵対している西洋魔術師一行が遊んでいるゲームセンターに向かって歩いていった。

「……ったく、口だけは一丁前やからに」

 小太郎がいなくなってから暫くして、感情先行で口答えするなど、扱いにくいところがある少年への愚痴を溢し、胸の下で腕を組んで壁にもたれた千草の横手に、突如として二つの人影が出現した。

「遅れてしまいましたー」
「…………」
「ああ、アンタらか。遅かったな」

 接近する気配もなく現れた、ロリータ服姿に白木鞘に納めた二刀を携えた眼鏡っ娘――月詠と、先日の木乃香誘拐の際には姿を見せなかった、青みがかった灰色の学生服に身を包む白髪の少年に驚きもせず、千草は非難の視線を送る。

「すみません〜、念には念を入れて得物の手入れしてたら、知らん間に約束の時間すぎてまして〜」
「…………ルビカンテ」

 本当に悪いと思っていないだろう、調子っぱずれな口調で謝りながら頭を下げる月詠と、千草の咎める視線に表情を毛ほども変化させず、呪符を取り出して、片角の折れた有翼の鬼――西洋の悪魔を思わせる容姿と、筋骨隆々で三メートルはある体躯を持っているため、千草の猿鬼熊鬼よりもよほど俊敏で強そうである――を召喚する白髪の少年。

「月詠はん、前も似たような理由で遅刻しとったでな? 新入りはなに、仏頂面で式神喚び出しとるんや……」
「……移動で使うから」
『も゛ほ?』

 頭痛を堪えるように、こめかみに指を当てて呻く千草に、白髪の少年は素っ気無く返して、それっきり一言も話さなくなる。
 その様子は、指示が出るまで待機しているロボットや、間違って命を持ってしまった人形を連想させる。

「クスクス♪ こないだは二人いっぺんに『食べよう』としたから、失敗してもうたけど、今日はキチンと一人ずついただいて……順番はどないしましょ? やっぱり真剣持ってる方がええでしょうか〜」
「…………」
(――――――腕は立つけど、どいつもこいつもアクが強うて……ホンマに大丈夫なんやろか……?)

 魔法や呪術といった、裏の世界に関わる知識や技を持たねば近付くこともできない路地裏に、己の野望達成までの道行きに不安を感じた千草の、とある使い魔の青年に似た深いため息が溢れた――――






 京都という伝統と文化の都において、存在そのものが異質な印象を与えるゲームセンター。
 それでも経営者側の自主的努力か、それとも京文化の保存に躍起になっているお偉方の指示があったからか。
 世にも珍しい、木材を使用して和の雰囲気で装飾したゲームセンターの入り口を潜った途端、ゲームの筐体やクレーンゲームの電子音、それらのゲームに興じる人々のざわめきの音が、鉄砲水のように小太郎の耳に飛び込んできた。

「――きっついわー……サクッと偵察済ませて戻ろ」

 梵字刺繍の入ったニット帽がずれていないかを手で確認し、小太郎は途切れることなく響くゲームセンター内の騒音に眉根を寄せながら呟いて、目的の人物達の姿を探して周囲を見渡す。

「赤毛に黒と白の英字プリントパーカー、緑っぽいジーパン履いたガキに、黒毛の何や緩い感じの男、っと……」

 男の方は灰色のプリントTシャツに、濃いブラウンのノータックパンツ、黒のプリント入りジャケットを着ていて、服屋のザ・見本展示品みたいだったと、千草に聞かされている。

「カードゲームやっとる言ってたから、たぶんアッチやな」

 他のゲーム筐体越しにだが、チラリと見えたオンライン対戦型カードゲームの筐体を発見した小太郎は、ごそごそと懐の箱に入ったデッキを取り出しながら進んだ。
 高得点を獲得すると、地方ごとに限定のカードが手に入るなど、特徴あるシステムで人気を博しているゲームだけに、他人のプレイを見物する人々の山ができている。
 目的の場所に辿り着き、「ちょっとどいてや」と断りを入れつつ、見物人の囲いを突破した小太郎の目に、日本では目立つ赤毛が映った。

(おっしゃ、見っけたでー)

 どうやら初心者らしく、一緒に行動していると聞かされていた少女達に説明してもらいながら、ぎこちなく、だがその割りに順調にNPCの敵を倒していく西洋魔術師の少年――ネギを発見し、小太郎は胸中でガッツポーズする。

「や、やったー! 見て見て、ジローさん!」
「あー、凄い凄い……順応性の高さって、やっぱり年齢に反比例するのかなぁ」
「ああっ、何をしているですか!? そこ、そこで魔法カードを使わなくては!」
「ハイ、スミマセン……あー、『速攻魔法・手紙爆弾』をセット、と。なあ、夕映ちゃん? このデッキに入ってるカード、妙に聞き覚えがあるのばっかりなんだけど――」
「気のせいでしょう? さあ、次はその『仲魔・飄々とした青年』を出すですよ」
「…………ハイ」

 協力プレイをしているのだろう。ネギの右隣りでは、千草が探ってこいと言っていたもう一人の男――ジローが、後ろから手札を覗き込んでいる少女の指示に、半ば諦め気味に従ってプレイしていた。
 敵を倒す度、嬉しそうに報告するネギに相鎚や世辞を送り、ダメージを受ける度に後ろの少女――夕映に叱られ、「とほほ……」と苦笑いしている姿は、少しばかり情けない。

(とりあえず、乱入して戦ったら話もできるやろ)

 千草もそれをできるよう、デッキを買ってきたと言っていた。
 まずは自分もゲームを始めなければなるまいと、小太郎はカードの束を箱から取り出して、どこか空いている席はないかと探す。
 運良くか、一つだけ座れる場所があった。軽くカードを切りながら、小太郎は騒がしいゲームセンターの中でも一際目立って賑やかな西洋魔術師の一団に近付き、

「――となり入ってええか?」
「は?」

 唯一空いている席の左隣りに座っていたジローに声をかけた。
 突然のことに戸惑い、間抜けな声を漏らして首を傾げたジローに、後ろから手札を覗き込んで彼にアドバイスしていた夕映が、小太郎にチラッと視線を飛ばしてから教えた。

「このゲームは普通にステージをクリアしていくモードの他に、自分以外のプレイヤーと対戦することもできるのです。今はジロー先生とネギ先生が協力プレイしているので、その少年が乱入すると二対一になりますが」
「へー……俺は構わんけど、ネギは?」

 少女の説明に口を尖らせるようにして頷き、隣りのネギに話を振るジロー。

「え? あ、うん、僕もいーよ」
「――だってさ。二対一らしいけど、そっちがいいならどうぞ」
「へ、そんなん丁度ええハンデやわ」

 なるほど、千草の言っていた通り、妙に緩い印象を与える目をしている。
 飄々という表現を思い浮かべることができず、代わりに「ヒョロッとした兄ちゃんやな」という評価を下した小太郎は、見ず知らずの自分を気遣うような青年の言葉を笑い飛ばし、ドッカと少々乱暴に席に着いた。

「おー♪ がんばれー、ネギ君!」
「地元の子なんかに負けるなー! 関東の意地を見せてやれ、ネギ先生!! ジロー先生はー……うん、ネギ先生の邪魔をしないよう、サポートに回って」
「そうですね。前衛はネギ先生に任せて、ジロー先生は援護に徹底すべきです」
「…………うわーい、楽しいなー」

 立て続けに優しくないアドバイス、というか忠告を受け、まったく楽しくなさそうな薄笑いで呟くジローに、

(この兄ちゃん、ホンマに西洋魔術師の仲間なんか? 何ていうか、情けない上にヘラヘラしてて弱そうやし……)

 少なくとも、殴り合いになったら自分が負けることはないと、小太郎は自信満々に根拠なき判断を下した。
 ネギとかいう西洋魔術師も、あまり凄腕には見えない。唯一手こずりそうなのは、賑やかなメンバーの輪から一歩引いた場所で佇んでいる神鳴流剣士ぐらいだろう、と考える。

(俺、女殴るのややしなー。あの姉ちゃんは月詠の姉ちゃんとかに任そ)

 千草に誘われて参加してみたものの、今回の仕事で自分は楽しむことができなさそうだ。
 胸中で、「少しは骨のある奴と戦える思たんやけどなー」と愚痴りながら、小太郎は手元のモニターにカードを設置する。
 小太郎が置いたものと同じカードが、目の前の大型ディスプレイに表示された。
 カードに特殊な加工が施してあり、手元のモニターに置くことで、目の前の大型ディスプレイに仲魔――このゲームでは、召喚モンスターをそう呼ぶ――が召喚されたり、魔法が発動したりする仕掛けなのだ。

「ゲゲゲェッ、激レアの『仲魔・白き人狼』と『強化魔法・狼の咆哮』のコンボ!? ヤバイよ、ネギ先生! こっちの仲魔の戦闘力が半分になっちゃう!!」
「ええーっ!? ああ、僕の『仲魔・子供魔法使い』がー!!」

 ネギを応援していたハルナが大袈裟に驚き、それに釣られて慌てだすネギ。

「あわわ、焦ったらあかん!! ここで一発逆転を狙って『装備魔法・雷風の杖』やー!」
「いや、ここは耐えの姿勢で、もう一つレベルの高いカードが出るまで粘った方が!」
「しかし、このままでは嬲り殺しです。『速攻魔法・魔法の弓矢』で削るべきでは?」
「え、えーっと、えぇ〜っと!! ガガッ、ガンバってくださーい、ネギ先生ー」

 周りに立つ少女達――なんとかという場所で先生をしていると聞いているので、恐らくは生徒達なのだろう――に応援やアドバイスをしてもらっているネギを横目に、小太郎は胸中で鼻を鳴らした。

(周りの味方に助けてもらわな、ろくに反撃もでけへんのか。やっぱ西洋魔術師はヘタレやな)

 ゲーム上の事とはいえ、戦いは戦い。プレイの仕方を見るだけで、ある程度の戦いに対する姿勢や心構えは見えてくる。
 初心者だから、なんて理由で助けてもらうのを良しとしているネギに、何故か必要以上に苛立ちを覚えてしまう小太郎。
 自分は物心ついた時から、人の助けを必要とせず、むしろ虐待される中で頑張ってきたという自負が、彼の中で存在を主張していた。

(男やったら、一人で戦ってみせんかい!)

 あくまで違う方向から見ればだが、彼が苛立っているのは、恵まれた状況にいるように見えるネギへの嫉妬であろう。
 そのことに気付かぬまま、小太郎はいい加減、ネギとジローの二人と戦うのも飽きてきたと、トドメの一撃を放つためのカードを――

「あー……ちょっといいか? みんなネギの応援に夢中でさ、何をどうすればいいのかわからなくなったんだ」

 手元の画面に置こうとしたのだが、唐突に話しかけてきたジローのせいで、それを中断してしまった。

「ハ、ハア? 兄ちゃん、下手や思てたらルールも知らんかったんかい?」
「こーいうハイテク過ぎるゲームは苦手でねぇ。このカードなんだけど、どこで使えばいいのかわかるか?」

 ゲームの途中で対戦相手に話しかけた上に、手札の出し方まで教えて欲しいと、初めてコンピューターゲームに触れた老人の空気を醸し出しながら尋ねるジローに、小太郎も呆気に取られてしまう。
 「しゃーないな……」とため息をついた小太郎が、見やすいようにとジローが差し出しているカードの説明を読み上げ、

「えーっと、このカードの出し方はやな、自分が仲魔で反撃する時に――――って、何で敵に教えたらなアカンねん!?」

 初心者でも理解しやすいよう、噛み砕いて解説しかけたところでハッと目を見開き、スウェーでパンチを躱すようにジローから顔を遠ざけて叫んだ。
 覇気もやる気もないと全力で主張する、飄々とした表情や口調につい気を許しかけたが、ゲームにおいても現実においても敵である相手に、どうして自分が親切丁寧にアドバイスしてやらねばならないのだ、と思い至ったから。
 唾を飛ばして怒鳴る小太郎に、「まあまあ」と完全に子供をあやす調子で苦笑いして、ジローは自分のプレイ台にカードを置きながら語る。

「いいじゃないかー、細かいことには目を瞑ってギブ&テイクで。ほら、よくわからないけど、この微妙に凄そうな『強化魔法・悪鬼か魔人の覚醒』ってカードを使ってやるから」
「ちょっ!? ギャ、ギャアーーーーッ!! それ自分以外のプレイヤーの仲魔、全滅させるカードやんけ!?」
「おや、俺の『仲魔・飄々とした青年』の様子が――――あっれぇ?」

 ぺしっ、と手元のモニターにカードを置いた瞬間、大型ディスプレイの中で『仲魔・飄々とした青年』が全身を黒い瘴気で覆い、手当たり次第に召喚されていた仲魔を叩き潰していくのを見て、不思議そうに首を傾げるジローと、白目を剥いて頭を抱える小太郎。
 まさしく蹂躙と呼ぶに相応しい勢いで、自分の出したもの以外の仲魔を蹴散らしていく漆黒の魔人に冷や汗を垂らし、引き攣り笑いになったジローは、目の前で行われる恐ろしい所業を食い止めんと、手札からカードを一枚選んで手元に設置してみた。

「え、え〜っと、これでどうにかなりそうな気がするぞ――『仲魔・平気で嘘をつく兄貴』をセットー」
「待ってぇや!? そっちは破壊されるまで、自分以外のプレイヤーにドローさせへんカードやし!!」
「え、そうなの?」

 小太郎の叫びにきょとんとしているジローに、彼の左隣りでプレイしていたネギが、ちょっぴり涙を浮かべながら抗議してくる。

「ジ、ジローさ〜〜〜ん!! 僕にも大ダメージ与えちゃってるよー!?」
「どないしてくれんや、兄ちゃん!? あ、あ、あっちゅう間に、俺の陣地がぺんぺん草も生えへん荒野になってもうたで!!」

 ネギの叫びに便乗し、掴みかからんばかりの勢いで怒鳴り散らす小太郎。
 左右両サイドで喚き立てる少年を交互に見て、気まずそうに指で頬を掻いたジローが口を開く。

「あー……………………どんまい?」
「だから、兄ちゃんのせいや言っとるやろぉーーーが!?」
「どうして他人事みたいに慰めるんだよぉーーーー!?」

 プレイしている少年二人が泣きそうになりながら、諸悪の権化たる青年に抗議する声をBGMに、数人の少女達が顔を寄せ合って話し込んでいた。

「ね、ねえ、あーいうのってビギナーズラックって言うの?」
「いえ、予定調和という奴かもしれませんよ」
「えうー、け、『計画通り』っていうやつなのかなー?」
「なんやー、あの大っきい画面で暴れとるの、昨日の――」
「シィッ!! そっから先は口に出しちゃダメだよ! 覚えてるのは私達だけでいいんだから!!」
「ど、どうしたですかハルナ?」
「ど、どうしたのー……?」
「う、ううん〜、な〜んもあらへんよー♪」

 何故か顔色を土気色にして、夕映とのどかに何かをひた隠しにするハルナと木乃香。

「だから、昨日の夜に何があったのよ……」
「さ、さあ……。お嬢様、あんなに顔色を悪くされて……」

 それを一歩離れた場所で眺め、昨日の夜、自分達が露天風呂を満喫している間に一体何があったのか、と顔を見合わせる少女が二人。
 知りたいような、知りたくないような。
 複雑な顔で、顔を寄せて話し込む友人達や、とうとう真ん中に座る使い魔の青年に掴みかかって抗議している少年二人を眺め、「ア、アハハ……」と複雑な笑いを上げるアスナと刹那。

『ギャハハハハハッ、喰い足りねぇぇなぁ!? もっと、もぉっと、もっとだぁぁぁっ!!』

 少女二人の視線の先では、ジロー以外のプレイヤーの仲魔を滅殺し終え、喉を反らして高らかに笑い続ける黒い魔人が。

『南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ぅぅぅぅぅッ――――!!』
「カ、カモ、どーしたのあんた? 地面に体投げ出して、一心不乱に手を合わせて……」
「す、すごい……体毛が床と同じ色に変わっていきますよ……!」

 何故だろうか、彼女達にはそのオコジョ妖精の反応に、全ての疑問を解く答えがあるように感じられた――――






「…………で?」
「そんでやなー、兄ちゃんのせいで仲魔は全滅、手札は増やされへんで……ムチャクチャやったわ」

 呪符によって人払いの為された路地裏。
 千草や遅れて合流した月詠、白髪の少年、そして少年が喚び出したルビカンテの前で、ゲームセンターより帰還した小太郎は、ガシガシと頭を掻きながら愚痴を溢していた。
 頭からずり落ちかけたニット帽を直しつつ、「ホンマ何やねん、あの兄ちゃん……」と呟いている小太郎に、全力で温度を下げたジト目を向けていた千草は、

「アンタ……ウチが頼んだ仕事、覚えとるか?」

 と、同じく低温の声で聞いた。

「オ、オォ、あのガキの苗字はスプリングフィールドやったで」
「フン、まさか思うてたら……あれがサウザンドマスターの息子やったんか。麻帆良に来てるって噂は聞いてたけど――」

 今回の計画決行までの下調べの際、情報屋より格安で買った噂レベルの情報が正しかったことに鼻を鳴らし、「それやったら相手にとって不足はない」と不敵に歌うように呟く。
 木乃香を誘拐し、その身に眠っている有り余る程の魔力を手中に収めるのが、今回の計画の最大目的だったが、オマケに過去の大戦で活躍し、広がり続ける戦火を終息させた『英雄様』の息子が付いてきた。
 英雄の息子が付いていながら木乃香が攫われれば、少なくともサウザンドマスターを崇拝し、その息子にも期待の目を向けている連中の鼻を明かすことができよう。
 さらに――

「その攫われたお嬢様が原因で、『西』も『東』も壊滅してまうような『ゴッツイモン』が復活して暴れたら……面白いことになるやろうなぁ?」

 一昨日の借りはしっかり返すつもりであったが、この賭けに勝つことができれば、自分には負け分も気にならない額の払戻しがありそうだ。
 暗い色を瞳に湛え、千草は口元に指を当ててクツクツと喉を鳴らすような笑いを漏らした。

「やる気でてきたでぇ……。よっしゃ、次はあのようわからん男や。どの程度、話聞き出せた?」
「え゛? あー、えーっとやな……」
「どないしたんや? ほれ、名前ぐらいは聞けたやろ」

 一頻り笑い、計画を成功させるために気合を入れなおした千草に尋ねられ、何故か口篭って視線を逸らす小太郎。
 首を傾げて、さらに催促する千草に気まずそうな顔を見せ、指先でポリポリと頬を掻きながら小太郎は口を開いた。

「名前は……ジローとちゃうかなー、って思うよーな思わへんよーな」
「ハア? ジローってどう考えても渾名やろ。ウチが聞きたいのは、本名やらやで」
「や、やっぱそうやでなー。周りにおったん全員、そう呼んでたんやけど……」

 呆れ顔で首を傾げた自分に同意し、腕を組んで難しい顔で唸る小太郎を目にして、千草はある可能性に気付いて声を荒げた。

「ちょい待ち……アンタ、本気で遊んできただけとちゃうやろな!?」

 目の端を吊り上げて怒鳴る千草に、小太郎は狼狽した風に手を振りながら弁解する。

「し、仕事のことは忘れてへんで!? ただやな、お、俺は勝負事にはつい熱くなってまうタチなんや!!」

 どうやら図星のようである。
 言い訳を続ける小太郎の言葉を無視して、眉間に皺を刻んだ千草は思いっ切り息を吸って――

「アホなこと自慢すな!! 競馬で身持ち崩すギャンブル馬鹿かいな、アンタは!?」

 人払いの結界が張られたはずの場所に、付近を歩いていた感性の強い通行人の何人かが、「ん?」と周囲を見渡してしまう程の怒鳴り声が路地裏に轟いた――――






 賑やかな電子音と、ゲームに興じる人達の声が途絶えぬゲームセンターにて。

「何や不思議な感じのする子やったなぁー。ウチも対戦してみたかったー」
「ま、いーじゃん。さあ、パル様の本気プレイを目にもの見せてあげるよ」
「お相手しますよ」

 木乃香やハルナ、夕映の三人は、半刻近くの対戦を終えて満足し、意気揚々と去っていった小太郎の話をしつつ、カードゲームのプレイを行っていた。

「さぁーーー、関西限定のレアカード、全部集めちゃうよー!!」
「おー」
「おーーー♪」

 地方限定のプレゼントカードを手に入れるため、三人の少女達は協力プレイに熱中していた。
 それをチラリと確認し、

「あー、大丈夫だろうか……」
「だ、大丈夫だろうかって……笑顔で送り出したの、ジロー先生じゃないですか」

 ポケットに入れた親書の存在を確かめ、あどけない顔を引き締めて「行ってきます」、と手を振りながら駆けていったネギの姿を思い出し、小さくため息をついたジローに、呆れ顔の刹那が言った。

「仕方ないだろ……自由行動の前に心の壁を突破されて、もう少し素直に優しくしておけばよかった、と思わされたばかりなんだし」

 再び嘆息し、頭を掻きながらジローが溢す。その顔に苦々しいものが浮かんでいるのを見て、はたして出発前に何があったのだろう、と刹那は首を傾げた。
 だが、気にしたところで目の前の青年は答えてくれまいと割り切り、別の気にしていた質問を放り投げてみた。

「あの、ジロー先生……ネギ先生と神楽坂さんのこと、宮崎さんが追いかけてしまったのは――」
「あー……そうだな、後を追ってったな」
「やっぱり……」

 問い掛けに対し、真面目には見えない緩い眼差しになって、「それがどうかしたか?」と首を傾げて見せたジローに、刹那はジトッとした視線を返す。

「ネギ先生が魔法使いだとバラさない方がいいと、今朝みんなで決めたばかりなのですが」
「その会話を、宮崎さんがバッチリ目撃してたらしいし。少しだけ話が聞こえましたって、アーティファクトも見せてもらったぞ」
「ぇ……」
「しかも能力が読心でな。遠からずバレていた、確実に」
「そ、そうでしたか……」

 まさか盗み見されていたとは知らず、苦悶の顔で口を噤んでしまった刹那にジローは苦笑し、

「ま、気に病むほどじゃないだろ。向こうも狙ってやったわけじゃなし、気付かなくても仕方がない」
「し、しかし――――あ、あの? うぅ……」

 ポンポン、と慰めるように頭を撫で叩くジローに言い返そうとするが、慣れないことをされ、少しばかり気恥ずかしくも心地よく、しかも邪険に手を弾くのも失礼だと悩み、照れと困惑の混じった顔で少し俯いてしまう刹那。
 反論できなくなってしまった刹那に、ジローは内心「よーしよしよし」と某動物好きな人っぽい声で呟いてから、呆気なく彼女の頭から手を放してしまった。

「あ……」
「ん、どうかしたのか?」
「い、いえ! 何でもないです!」

 思わず頭から離れた手を目で追った刹那に、瞼の半分ほど下りた訝しげな目をジローが返す。
 激しく首を振って、何でもないとアピールする刹那の行動と言葉を「そうか」とあっさり信じ、ジローは腕を組んでゲームセンターの天井を見上げ、

「本当はすこぶるマズイんだろうけどなぁ……」

 彼自身が『使い魔召喚の魔法の失敗で』という、完全な不意打ち状態で魔法の世界に関わらされた人間だけに、ぽつりと漏らしたその呟きは、非日常的な明るさを持つゲームセンターの中にあっても、どこか暗く重たいものであった。
 何と声をかけていいものかと思い悩み、視線を泳がした刹那に気付くことなく、ジローは気分を入れ換えるために盛大にため息をつく。

「しっかし、素直に心配してみたらしてみたで、えらく疲れる」

 顔を上げて頭を掻くために手をやった時には、もうジローの表情はいつも通りの緩いものであった。
 ただ、普段と違うところがあるとするなら、眉間に溝ができていて少しばかり飄々さが足りないところ、であろうか。

「地図に挟んだメモとか、落っことしてそうで怖いし……道に迷ったって、今にも電話が来るんじゃないかとか」
「さ、さすがにそれはないですよ」
「だよなぁ? 『もしも』なんて考えたら、動悸が激しくなるだけのに……」

 心配しない時は冷たいぐらいなのに、心配し始めたら今度は落ち着き無いぐらいに心配するんですね、と妙におかしくなって刹那は口元を緩める。
 刻一刻と眉間の皺を深めていくジローに苦笑していた時、刹那はいいことを思いついたとばかり、制服の胸ポケット――今日一日は私服でもいいというのに、彼女は麻帆良学園のブラウスとスカートにネクタイを着用していた――から、昨夜3Aの少女達を恐怖のどん底へ突き落とす一因となった『身代わりの紙型』を取り出し、

「そんなに心配でしたら、連絡係に式神を飛ばしましょうか?」

 と、ややぎこちない笑顔で聞いてみた。
 彼女の笑顔が強張っているのは、式神用の紙型を見た途端、ジローが不安そうだった顔を一変させ、何か生理的に許容し難い生物を見たような顔になったからだ。

「あ、あの?」
「……それ、本当にちゃんと動くんだろうな?」
「う、動きますよっ、絶対に、間違いなく」

 もしかすると、昨日の一件で自分に対する信頼は大きく失われたのでは。
 少しだけ泣きたい気分になりつつ、相手の顔色を窺いながら返事を待つ。

「――――――――折角だし、頼んでおこうかな」

 やや警戒や疑心を残しながら、ジローがそう言ったのは、たっぷり一分以上経ってからだった。
 いまだに疑いの眼差しを向けているのに、式神を飛ばすことを依頼したのは、少しだけ素直にネギ達を心配すると決めたからか。
 それとも――――自分に対する信頼が、紙型に対する不信感よりは大きかったからか。

「は、はい、任せてくださいっ」

 これこそ、ジローが言う『もしも』に過ぎないのに、そう考えた途端、妙に声が張ってしまった自分に、「少し現金じゃないか?」という声が生まれる。
 だが、滲み出る奇妙な嬉しさに従って漏れた笑みも否定できない。
 一応、周囲にいる人々の視線が自分に向いていないかを確認し、刹那は宙に浮かべた紙型に、

 ――オン

 と、刀印を組むと同時に短い呪を発して気を送りこんだ。
 瞬間、刹那の目線より僅かに下の場所に浮かんでいた紙型が、ぽうっと淡い光を放って――

『こんにちわ〜♪』
「は?」

 ぽよんと、そうまさしく、ぽよんという気が抜けてしまう音と共に、ジローの前に全長二十センチほどに縮んでしまった刹那が現れた。
 何事ぞ、と目を丸くして固まっているジローの顔の前に浮かんだまま、白い着物に緋袴という巫女装束に似た格好に、刹那が常に持ち歩いている夕凪のミニチュア版を装備した縮小版刹那が、ぺこりと頭を下げて口を開く。

『どうも! わたしの事はちびせつなとお呼びください〜』
「あー……」
「連絡係用の分身みたいなものです。この子をネギ先生達のところへ飛ばして――――あの、ジロー先生?」

 ジローが驚いた顔で固まっていることに、多少気をよくして説明しかけた刹那だが、彼がまったく反応を返してこないことを訝しく思い、話を中断して様子を窺った。

「なるほど、ちびせつなって名前なのか……」
『はいー、そうですよー?』
「随分小さいけど、ちゃんと仕事はできるのか?」
『むー、見かけで判断しちゃダメですよー。連絡係ぐらい、きちんとこなして見せます!』

 何気なく、本当に何気なくなのだろうが、式神の頭を撫でながら話すジローと、頭を撫でられるのが心地良いのだろう、ほっぺに朱を刷きながら、小さな手を振り上げて自己主張するちびせつな。
 自分の式神に送られるジローの眼差しが、頭を撫でる手つきが、語りかける声が、その他諸々が、常の彼女に対するものと比較して、三倍は優しく感じられるのは何故なのだろう。

『頑張っちゃいますよー、えへへ〜』
「そーかそーか、ほら、お駄賃代わりに飴でもあげよう」
『うわーい♪』

 うん、三倍じゃ利かない。
 主人である自分よりもジローに懐いてしまって見えるちびせつなと、そんな式神に、疲労回復用に持っている那智の黒飴を食べさせているジローに、刹那はジットリ、いやねっとりとした半眼を送りながら呟いた。

「何ですか、この扱いの差……」

 少なくとも、自分はああいった感じに接してもらったことはないし、労いで飴をもらったこともない。
 いや、飴は特に重要ではないが、「あー、お疲れ様」の一言で済まされている自分が不満の一つや二つ、抱いてしまっても問題ないと思う。
 生真面目で、仕事だから当然の事と考えて頑張っている彼女がそう考えてしまう程に、ちびせつなに接しているジローは優しく、そして穏やかであった。

「ネギ先生に対して、妙に厳しいけど、極稀に優しかったりするのはもしや――」

 八房ジローという青年の優しさが処方されるのは、十歳までがボーダーラインなのではないか。
 社会的に白い眼で見られる称号が付く人でないのは確かだが、こうまで明確な扱いの差を見せられると、それらを邪推したくなるのも仕方あるまい。

「じゃあ、悪いけどネギ達のところまで頑張って飛んでくれるか? 順調に進んでいれば、もうすぐ関西呪術協会の本山近い駅に着く頃だ」
『モゴ……まかせてくださいー!』
「ああ、でも飴を食べきってからでいいな。慌てると喉に詰まらせる」
『ふ、ふぁ〜い……』

 口一杯に飴を頬張り、目を白黒させているちびせつなに、焦る必要はないと優しく語りかけ、珠を愛でるように頭を撫でてやるジローを見れば尚更。

『ゴックン――――じゃあいってきますねー、ジローさ〜ん♪』
「あー、気をつけてな。道中、カラスに襲われないよう気をつけろよー」
『ハーイ!』

 何度も振り返り、小さな手をぶんぶんと振って意気揚々と飛んでいくちびせつなを、比喩抜きに輝いている笑顔で見送るジローの姿は、まるで初めてのお使いに挑む初孫を見る老人のそれ。

「さて、と。これでネギの方は問題ないとして――――ん? どうして世の中を恨んでるみたいな目で、俺のことを見るんだ」
「…………別に、何でも、ありません」
「何故に一言ごと区切って、力を込めて話す」

 ちびせつなの見送りを終えた途端、いつも通りの緩いのか穏やかなのか不明な表情に戻り、微妙なやる気なさと眠たさの混ざった眼差しを自分に向け、一瞬前と比べると無愛想すぎる声で話すジローは、何故か無性に腹立たしかった。
 特別、何が腹立たしいと説明できるものではなく、ただ何となく腹の底が煮えているような、胸辺りがイラッとするような。

「もう少し、優しさと厳しさを平均してくれてもいいんじゃないですか?」

 カードゲームに熱中する木乃香や夕映、ハルナのプレイ状況でも気になったのか、ぶらっと散歩にでも出かけるような足取りで側を離れたジローの背中に、刹那はそんな呟きを投げつけてみた。
 もっともそれは、当然のようにゲームセンター内の喧騒にすり潰されて、跡形も残さず霧散してしまったのだが――――






*粋呑(スイトン):岡山県と鳥取県の境にある蒜山高原に住むといわれる、人の心を読む妖怪。悪巧みする人の前に現われ、一本足でトンッと立って喰らうらしい。

後書き?)二十二話は、麻帆良帰還後のお説教フラグ(?)、関西勢の路地裏会談、ゲームセンターでの小太郎接触イベントに重きを置いて書いてみました。
 カードゲームについては、水瓶座の時代・遊びの王様・本家っぽいものを参考にして、です。
 ネギ対小太郎の初戦と、のどかのアーティファクト大活躍な話、何をどう書けばいいのかわからないし――――いっそ削って、次からは映画村の話に行こうかな、と。
 ただ、小太郎については次かその次、そのまた次のどこかに割り込ませて書きたいなー、と思っていたりです。
 感想やアドバイス指摘お待ちしております。



「幕末浪漫・城下の剣士」



 関西呪術協会の本山に親書を届けにゆくネギと別れた後、刹那は木乃香を連れて太秦のシネマ村に身を潜めていた。
 理由は、最初にいたゲームセンターでゲームをし終え、満足したハルナ達と共に外へ出た途端、敵の気配を感じさせられたからだ。
 身体に絡み付いてくる、蛇の肌のようにざらついた不快な視線と、分かりやすいまでに放たれる棒手裏剣の数々。
 木乃香や一般人の夕映、ハルナには気付かれないようにしながら、的確にこちらの死角を狙って投げつけられる手裏剣と、いつまで経っても離れようとしない気配に焦燥を覚えながら、木乃香の手を引いて走っている時に見えたシネマ村。
 ここに潜り込んで人ごみに紛れてしまえば、そう容易くは発見されないだろう。
 過分に期待を含む考えから、後ろにジローと一緒に夕映やハルナがいることも忘れ、あまつさえ入場料も払わずに、施設を囲む漆喰塗りの塀を跳び越えてしまった。
 木乃香を抱えたまま、十数メートルも高さがあったというのに。
 携帯電話に、メールで『後で入場料を返すように』と短く一文が送られてきていることに気付き、自分の間抜けさに酷く落ち込んだのは、ほんの数分前のことだ。
 小さく嘆息し、刹那は「ちょっとだけ待っといてなー」と残して離れた木乃香を待ちながら、今後の行動予定を呟いた。

「これだけ人がいれば、見つかってもそうそう襲ってはこれないだろう。一先ずここで時間を稼いで、ネギ先生達が戻ってくるのを待つか……」

 そのネギ達も、親書を届ける最中に敵側の一人に襲われて消耗していた感じで、まだまだ安心はできないが。
 式神と連絡が途絶えてしまったことに眉宇を寄せたまま、刹那はそれとなく周囲を警戒して見渡す。
 辺りに立ち並んでいるのは、時代劇でしか見ないような、呉服屋や菓子、酒屋の看板を掲げた木造の店舗。中には、お約束とも言える越後屋もある。
 側を通り過ぎていくのは、小袖袴に刀を差していたり、町娘的な橙色の格子柄の着物や、渋い色合いの着流しに身を包んでいる人達。
 施設の雰囲気をより楽しむために、シネマ村で貸衣装に着替えたのだろうが、そうした江戸時代風の装束に身を固めた通行人の中で、稀に自分と同じく制服を着た学生や、洋服を着てカメラを覗いている人の姿を目にすると、まるで自分達が江戸時代に観光しに来ている気分になる。
 これで今、敵に追われていない状況だったなら、少しはシネマ村を楽しもうという気持ちにもなれるのだが。
 よくよく考えれば、久しくなかった木乃香と二人っきりの状態である。
 修学旅行が始まって、馴れ馴れしくも言葉を交わしてしまったりもしたが、

「学園に帰ったら、今までどおりの生活に戻さなければ……」

 自分に言い聞かせるように刹那は呟いた。
 これまでと同じ、あまり関わらず、陰から密かに見守り続ける生活に。
 だったら、だったらこの修学旅行の間だけは、今までよりもほんの少しだけ近い場所に居てもいいのではないか。
 耳の奥で囁かれる甘美で抗い難い誘惑に逆らえず、最後の思い出作りをしたいと考えてしまう自分に、苦々しいものが湧き上がってくる。
 まるで、力も何も持たない普通の少女のような願い。
 ふざけているのか、と冷めた己の声が聞こえる。木乃香とは身分も、立場も、そして身体に流れる血液さえも違いすぎる存在の分際で、何を考えているのか。

(甘えたことを考えるな! 私は……私という存在は――!!)

 思わず、背を預けていた壁を叩きたくなる衝動に唇を噛み、眉間に皺を寄せて目を瞑る。

「どうしたというんだ、私は。今まで問題なく続けていたことなのに、麻帆良に帰ってからもう一度やるんだと考えたら……」

 どうしようもなく辛く感じられた。
 最後の言葉を飲み込んで、刹那は瞑っていた目を開けた途端、

「どないしたん、せっちゃん?」
「はい?」

 視界一杯に、木乃香の顔が映り込んで意識が飛んだ。

「わあっ!?」
「じゃーん♪」

 大袈裟に驚いて声を上げた刹那に見せ付けるように、木乃香が艶やかな模様の入った唐傘を手に一回転する。
 紅白の梅花に、手鞠や藤の刺繍で趣を凝らされた振袖が、刹那の目の前でくるりと踊った。
 長い黒髪を一房に纏める、金細工――恐らくはメッキなのだろうが――の簪に付いた飾りがシャラン、と澄んだ音を奏でた。

「お、お嬢様、その格好は?」
「知らんの? そこの更衣所で着物、貸してくれるんえ」

 自分でも間抜けだと思える質問に、木乃香は上機嫌な様子で、その場をくるくると回りながら答える。
 当然、刹那も貸衣装のことは知っていた。だが、それでも問わずにはいられぬほど、目の前で一国の姫に扮した木乃香の姿は美しかったのだ。

「えへへ、どうどう? せっちゃん」
「いや、そのっ、もう、お、お綺麗です……」

 木乃香に問われ、しどろもどろに称賛の言葉を返す。
 それから、訳もなく動揺している自分を叱咤しながら、鮮やかな着物姿を見せびらかす木乃香を見つめていた時、

(こういった格好を私がしたら――)

 はたして、どういった反応を返してもらえるのか。刹那はふっと一瞬だけ、本当に一瞬だけだが、そうした妄想に囚われてしまった。

(……何故だろう、馬子にも衣装みたいな台詞を、残酷なまでに緩い眼差しと一緒に送られそうだ)

 誰とは言わないが、豪華絢爛な着物と装飾品で飾った自分に、親のいない間に勝手に化粧品を使って大失敗した幼子に向ける瞳をする、とある使い魔の青年の顔が浮かび、思わず口元を引き攣らせる。
 夕映やハルナ達と一緒に行動しているはずだが、もしや近くにいるのではないか。
 あまりに克明に想像できた青年の表情反応に、疑心暗鬼に陥った刹那は目を細めて周囲を見渡してみる。

「どうしたん、せっちゃん……あ、もしかして更衣室探しとるん?」
「えっ? い、いえ、違います! その、もしかしたら、ジロー先生達が近くにいるかもしれないとっ!!」
「あ、そやった。ジロー君達のこと放ってきてもうたもんな」
「はい……急いでいたとはいえ、ジロー先生に余計な迷惑をかけてしまったと思い、それで。け、決して、おかしな他意はないのですが!」

 自分の質問に慌てふためきながら弁解する刹那に、そういえばと困り顔で笑みを浮かべた木乃香だったが、その表情も長続きしなかった。
 じわじわと、木乃香の表情に意地の悪い笑みが染み出してくる。

「へー、ふ〜ん……そういえば寮の部屋も一緒で、修学旅行始まってから、よう話しとるの見たし――」
「あの、お嬢様?」

 急に悪戯っぽく、悪い言い方をするなら、下世話な笑みを浮かべて口元に袖を当て、クスクスと笑い声を上げている木乃香に、刹那が遠慮がちに言葉をかけた。
 そんな彼女に、何かを探るが如き視線を浴びせて、木乃香がピッと人差し指を立てて提案した。

「そや、せっちゃんも貸衣装に着替えよ♪ ウチが選んだげるから!」
「えっ!? いえ、お嬢様っ、私こーゆーのはあまり……あの――」

 更衣室に向かって強引に手を引かれながら、何とか彼女に思い留まってもらおうと弱々しく抗議をする刹那に、突然振り返った木乃香が言う。

「せっちゃん、シャンとしてるから新撰組の格好が似合てると思うんやけど――」
「な、なぜ私は男物の扮装なのですか……?」

 正面から男物の衣装が似合うと言われ、流石に不満そうな色を覗かせた刹那に、木乃香は「うーん」と顎に人差し指を当てて暫し考えて見せ、

「そやなー、せっちゃんもウチとお揃いのお姫様の格好してた方がええかな? そしたら、町中で会うた時にビックリさせられるかもしれへんしな♪」

 と、僅かに頬を赤らめて、からかうようにのたまった。

「――――は?」
「やっぱり女らしい格好してた方が、ポイント高いでなー♪」

 一体何を言っておられるのでしょうか、とデフォ顔になって固まっていた刹那だが、「あややー、何や言ってるウチの方が恥ずかしいわー!」と真っ赤になった両頬を押さえ、いやいやをするように頭を振っている木乃香を見ているうちに、彼女が何か致命傷レベルの勘違いをしていることに気付いた。
 しかも、自分にとって致命傷レベルな勘違いを、だ。
 木乃香が言外に言わんとしていたことに思い至った途端、刹那の白皙が夕日に染まったように上気する。

「あ、あのっ!?」
「大丈夫っ! ウチは口堅い方やから、みんなには内緒にしとくで!!」

 止まらないニヨニヨ笑いでサムズアップされては、信用できるものも信用できない。

「ち、違いますお嬢様!? 内緒にするしないの問題以前に、私とジロー先生の間にそーいった色恋沙汰は!!」

 木乃香がしているであろう誤解を解くために、どうにかして話を聞いてもらおうとした刹那だが、そこで、はたと動きを止めてしまった。
 石になったように強張った顔に、だらだらと冷たい汗が溢れてくるのがわかる。

「えへへへへ〜、ウチ、ジロー君の名前出してたかなー?」
「お……おじょーさま?」

 刹那の視線の先には、悪戯っぽく歯を見せて笑う木乃香の顔があった。
 してやったりな表情に、今頃になって自分が一杯喰わされていたことに気付く。

「一応、冗談のつもりやったけど、せっちゃん――」
「チ、チチ、チガイマス……!」

 「ん? んん〜?」と顔色を窺うように首を傾げ、下から見上げてくる木乃香のせいで、青くなっていた自分の顔が、再度熱を帯びていくのがわかった。
 上擦った声に、必要以上に激しくなる動悸。そして、誤魔化そうにも誤魔化しきれない真っ赤な顔。
 つまりはそういうこと、なのだろうか。
 荒くなった呼吸を整えながら、いい笑顔をしている木乃香を一先ず意識の外へ置き、刹那は自分自身に問い掛けてみる。
 今こうして木乃香の言葉に狼狽し、忘我に陥りかけているのも、必要以上にちびせつなに優しいのを見て、少しばかり苛立ちを覚えたのも、全ては『そういった感情』から来るものなのだろうか、と。

(そ、それは、好意的なものを抱いていないのかと聞かれたら、答えはノーだが……し、しかしっ)
「あれ……せっちゃん? せっちゃ〜ん?」

 木乃香の呼び掛けにも気付かず、刹那は一人悶々と自己分析に没頭する。
 そういえば、こうした『好意以上の好意』に関する質問は、木乃香が初めてという訳ではない。大停電の夜、ネギとエヴァの戦いを見に行くジローを送り出した後、瀬流彦と共に学園長室に向かう時に真名にもされた。
 前回は、真名が引いてくれる形で有耶無耶になったが――

(――――い、色々と踏まえて考えると、やっ、やはり私は……こ、ここ、こっ!?)

 木乃香の護衛に一生を捧げると決意した身でありながら、異性に心惹かれているというのか。
 愕然となった刹那は、真っ赤に上気した顔を絶望に染め上げて、ガバッと伏せられていた瞳を持ち上げた。

「ひゃっ!?」
「お、お嬢様……」
「え、な、なに? せっちゃん」

 何故か悔恨の念にかられた顔をする幼馴染の少女に、少々怯えながらも笑顔を維持して小首を傾げた木乃香に、刹那はスッと静かに、だが真剣を振る時よりも深く吸って、

「申し訳ありませんッ! 不肖、桜咲刹那! お嬢様というものがありながら、色を、色を知る年齢に――!!」
「せ、せっちゃん、アカン! その台詞は周りに変な誤解させてまう!!」

 服が汚れるのにも頓着せず、いきなり土下座して謝罪の言葉を叫んだ刹那に、木乃香は度肝を抜かれつつも制止の叫びを上げる。
 お姫様に扮装した自分に土下座している姿だけで、周囲の視線を独占するに足るというのに、その様な百合の花が咲き乱れ、背中に鬼の顔が出る最強生物の咳き込み笑いが響くことを叫ばれては、せっかくシネマ村に来たというのに居た堪れない。主に自分が。

「己に課した務めも果せぬ身でありながら、このような不始末……こうなっては最早、腹を召してお詫びするより他は――」
「ええぇーっ!? な、何でジロー君のことどう思ってるか聞いただけで、そんな話になるん!?」

 言葉通り、本当に腹を割ってしまいそうな刹那に飛びつき、「い、命は大切にせなアカーン!」と、半泣きで思い留まらせようと頑張る木乃香の声が、城下町を模したシネマ村に響いた――――






 夕凪を入れた刀袋の封を解こうとした刹那が、半泣きになった木乃香に叱られて正気を取り戻した頃。
 一応使い魔な青年・八房ジローは、酷く疲れ果てた死んだ魚の目で城下町の通りを眺めていた。

「なあ、早乙女……」
「んー、なんですかー、ジロー先せ……じゃなかった、ジロさん」
「……何故に呼びなおす?」

 カチャリ、と眼鏡を指で押し上げて、わざわざ呼び方を言い直すハルナに脱力させられ、億劫そうにため息をついたジローは、頭を掻きながら自分の格好を見下ろした。
 黒のジーンズに半袖の黒のハイネックシャツ、そして何故かその上に、袖と裾に波模様の入った着流しという奇妙な格好をしている。
 どういう目的があってか、右側だけ肌蹴させて袖を垂らしているし、腰には木刀が差し込まれていて、しかも柄部分にはふざけたことに『洞爺湖』と、黒々した文字が。
 青い線入りの白い小袖と青い袴を着て、どこか満足そうに眼鏡を光らせているハルナにジト目を向けて、ジローは呻くように聞いた。

「なあ、お前コレあれだろ? たぶん日本で一番有名所な週刊誌に出てくる、最初の一文字から濁点とったら、下手すりゃ回収騒ぎの起きる漫画に登場する甘党の格好だよな?」
「そうだよー、わかってるじゃんジロさん♪」
「阿呆かおのれは? 何が楽しゅうて太秦はシネマ村で、漫画に出てくるキャラの格好をさせられにゃならん?」

 今にも胸倉を掴みそうな眼差しで自分の肩に手を置くジローに、ハルナは多少引き攣った笑いを返して、提案でもするように人差し指を立てて話す。

「えー、だってさ、せっかくのコスプレだよー? それだったら普通の江戸時代な格好より、少しだけファンタジーとか創作の世界寄りの格好をした方が楽しくない!?」
「俺は普通の江戸時代装束の方が、現状の幾倍もシネマ村を満喫できるわ、この阿呆!! つーか、何故にこんな珍奇な服がここにある!?」
「ブーブー、ノリ悪いぞー、ジロー先生。ねー、夕映もそう思うでしょ?」

 ガックンガックンと肩を揺すられながら、真っ当な抗議を行うジローにブーイングを行い、ハルナは冷めた表情で側に立っている夕映に話を振った。
 ハルナの強引な押しに負け、渋々と赤いチャイナブラウスとズボンのセットを着て、紫色の傘を持っていた夕映が、眉間に皺を作りながら口を開く。

「ハルナ……前から思っていましたが、あなたは恐ろしくアホだと思うです」

 過去に類を見ないレベルの頭痛に耐える表情で、斬り捨て御免張りに断言する親友に、ハルナは「あっるぇ〜?」と呟いてから暫し考え、何か大切なことを説明し忘れていた、とばかりに手を打つ。

「心配しなくても大丈〜夫! 銀×神だって、銀×土とか銀×八に負けないぐらい需要あるから!!」
「てっ、天下の往来で何を叫んでいるですか!?」

 お菓子屋の赤い服を着たマスコット少女よろしく、舌を出してサムズアップしたハルナに対して、周囲を歩いていた通行人が立ち止まり、何事かと振り返ってしまうほどの大音声を夕映が上げた。
 その顔が羞恥に赤らんでいるのを見る限り、「同人誌は高尚な趣味である」と主張するハルナに駆り出され、軸のずれた濡れ場シーンを何度も目にしたことがあると考えられる。
 夕映やハルナの脳内で再生されている映像は知らずとも、少女二人が少々過激にいかがわしい事を考えていると察し、

「あー、思春期のテンションに身を任せすぎるのは止めような……」

 腫れ物に触れるような調子で、ジローは彼女達が身を滅ぼすことないよう言っておいた。
 ただ、ジローの視線が力の限り夕映とハルナから逸らされていたり、立つ場所が彼女達から確実に遠ざかっている辺り、心配する気持ちよりも、自分は巻き込んでくれるな的な気持ちの方が大きそうである。
 しかし、世の常として現実は非情なもの。
 その様に我関せずの態度を取ったところで、

「すみませーん! 写真一枚いいですかー?」
「ちょっとー、こっち来なよ玲子! こんな場所でレイヤー集団発見〜♪」
「そっちの女の子達ー、ちょっと目線お願いしまーす」
「…………ハァ」

 類は友を呼ぶ、と言うのだろうか。どこからともなく現れた、侍や自然の声を聞ける少女が出てくる格闘ゲームのキャラに扮装した四人組の女性にとっ捕まり、否応なしに写真を撮られることに変わりはない。
 背後で夕映やハルナも写真を迫られていたが、そちらの様子を窺おうという気はまったく起きなかった。

「いいよー、その脱力具合! もう、生きるのも面倒そうな眼差しなんて、役になりきってる証拠だよ!」
「いや、今すぐこの場を立ち去りたいとか、別の服装……できることなら、個性も何も見受けられない町民と化したいって、心底願っているだけです……」
「あー、口調が堅い堅いーッ! こういうのは恥ずかしがっちゃ負けだよ?」

 自分は何か悪いことをしたのだろうか。
 一枚と言っていたのに、バシャバシャと無遠慮にカメラのフラッシュを焚くだけ焚いて、鼻歌交じりに去っていく、アイヌ柄の改造巫女服の集団を胡乱な瞳で見送った後、ジローは肩を落として重いため息を吐いた。

「もういいや……ああいう格好した人達に比べたら、まだ俺らもまともに見えなくはないだろうし……」

 だから早いところ、シネマ村に逃げ込んだ木乃香と刹那を捜しに行こう。
 精神的に辛いと感じているのか、ジローは気を抜くとすぐに俯いてしまう視線を持ち上げて、後ろで自分と同じく写真を撮られていた夕映とハルナに声をかけた。

「今から別の服に着替えるとなると、また長い時間、待つことになるだろうから。少し……あー、結構恥ずかしいけど、もうこの格好で動こうか……」

 諦め半分、投げ遣り半分。
 そんな感じで話しかけたジローに返ってきたのは、まったく想像だにしなかった、厭世家気質の少女の意外な返事であった。

「わかったアル」
「…………夕映ちゃん?」
「…………わかったです」

 意外すぎて突っ込みを入れることもできず、ジト目と呼ぶにも厳しいまでに瞼の下がった瞳を向け、静かに問い詰めるよう首を傾げたジローから目線を逸らして、夕映が返事を言い直す。
 自分でも馬鹿なことをしたと後悔しているのだろう、ジローの目に映る彼女の横顔や耳が、茹蛸のように赤くなっていた。

「どうどう、ジロー先生? 中華っ娘モードなゆえ吉! 萌えた? キュンと来ちゃった!?」
「ハァ…………『〜アル』なんて、ウチのクラスの功夫少女で間に合ってるだろ。夕映ちゃんに変な真似させるんじゃないよ、阿呆」
「アイターッ!?」

 ムフフと笑いながら、下から見上げるように聞いてきたハルナにそう返して、ジローは半眼とセットにした拳骨を落下させた。
 彼的に九割は手加減した握りこぶしに叩かれ、スパカンッ、と軽いとは言い難い音が、城下町の大通りを模した往来に響いた――――






「シネマ村……面白い所に逃げ込みましたな」

 刹那達の追跡を中断し、太秦シネマ村の入場門を見下ろせる電柱の頭頂部に佇みながら月詠は、片頬にそっと手を当てて熱っぽい呟きを漏らした。
 いつ以来だろうか、ここまで胸が熱くなって、むず痒く感じるほどに身体が疼くのは。
 片手にまとめて持っていた二刀が擦れ合い、カチャリと音を立てる。
 手の平に伝わる頬の熱に、堪らず吐息が溢れた。

「ウフフ、今回の仕事は当たりですわ〜」

 今すぐにでも、刹那達を追ってシネマ村に飛び込みたい。
 追いかけて、追いついて、全身全霊を懸けて斬り合い、大事に大事にしている木乃香の前で、彼女の肢体を心ゆくまで手にした刀で――

「は、ぁ……刹那センパイ、お仕事でなくても仕合いたいお方やわぁ〜♪」

 ブルリ、と月詠は体を震わせて、まるで愛しい異性の名を呼ぶように「刹那センパイ」と繰り返し呟いた。
 火照りを帯びた頬に潤んだ瞳が、否応なしに彼女の胸中で滾っている、劣情に近い真剣勝負への欲求を感じさせる。
 地上で吹くものより涼しい風が、ロリータ服から伸びた手足を撫でて通り過ぎる。だが、異常なまでに興奮している彼女には、そういったささやかな刺激でも、身体の熱を昂ぶらせる要素に過ぎない。

「まだやろか、まだやろか〜……遅いですなー、千草はん。はよしてくれな、ウチ、ウチ〜」

 真剣勝負をしたい、いや、それ以上に少女の柔肉を切り裂いて、飛び散るだろう血飛沫を全身に浴びて、舐め取りたい。

「刹那センパイもやけど〜、『あの人』のもきっと甘くて、気持ちようなってまうぐらい美味しいんやろなぁ〜」

 そんな危険な衝動に疼き続ける心を持て余し、落ち着き無く体を揺らしていた月詠だったが、ふっと何かに気付いて、視線を前方のシネマ村から足元に向けた。

「…………」

 彼女が立っている電柱の根元の側に立って、肩と背中が大きくでた白い着物姿の女性――今回の仕事の雇い主である千草が、何か気持ちの悪い生き物を見る目で、自分のことを見上げているのを発見した。
 その隣りには、感情を少しも感じさせない表情をした白髪の少年も立っている。

「あ、到着したみたいどすな〜」

 ロリータ服のスカートの裾を握り、電柱の頂上に立った状態でモジモジしていた月詠は、待ち望んでいたと言いたげな笑顔を浮かべて、躊躇せずその場から飛び降りた。
 数メートルはある高さから飛び降りたというのに、スタンと軽い着地音しか立てずに道路へ降り立った月詠に、呆れたような顔で千草が話しかける。

「連絡あったから来てみたら……月詠はん、あないな場所で変な動きせんといてや。ちょい向こうからでも丸見えやったで……」
「あや〜、ホンマですかー? いややわー、恥ずかしいですな〜」
「幸い、気ぃついてポリ呼んだ人もおらんみたいやし、ええんですけどな。もうウチらの周りに認識阻害の結界も張っとりますし」

 ちょい向こうと言いながら、歩いてきた道を指差して顔をしかめる千草に、先ほどから赤いままの頬を押さえて恥らって見せる月詠。
 まったく反省の色が浮かばない少女の笑顔にため息をつき、千草は気だるげに細めた瞳をシネマ村に移した。

「ほんで? 木乃香お嬢様達は今、こん中におるんどすな?」
「はい〜、たぶんウチに見つからんよう、人の多い所に逃げ込んだんでしょうけど〜」
「ハッ、アホやな。今更ウチらが人目あるからて、遠慮してくれる思とるんやろうか」

 月詠の推測を聞き、口元を歪めて鼻を鳴らした千草は腕を組んで、これから自分達がどう動くかを考え始める。

「…………」
「今、あそこにおるんは神鳴流の剣士とあの変な男で……。サウザンドマスターのガキとそのパートナーの足止め、小太郎にやらせたんは正解やったかもな。あの子、『女は殴られへん〜』なんてふざけたこと言いよるし――」

 無感情に白髪の少年が見つめる中、千草は自身の作戦の成功率を確かめるように何度か小さく頷き、垂涎の面持ちでシネマ村の入場口を凝視していた月詠に指示を出した。

「よっしゃ、決めた。やっぱり今日の朝に話した通り、月詠はんは神鳴流の剣士の相手をお願いするわ。ウチと新入りは、あの男の方に回るからな」

 月詠に襲撃された場合、護衛を務めている神鳴流の剣士はお嬢様の安全を確実のものにするため、一緒に行動している黒髪の男に護衛を任せるはずだ。
 確率として高いであろう状況を幾つか提示しながら、千草は側にいる月詠や白髪の少年に作戦の内容を説明する。
 その様子は、先日の悪戯の域を出ない妨害工作や、木乃香の誘拐に失敗した時のそれとは比較にならぬほど真剣で、鬼気迫るものがあった。

「ええか? 親書は最悪、長に渡ってもええけど……木乃香お嬢様の確保の方はしくじる訳にはいかん。今回の計画の肝やし、攫うのに成功したら、親書が渡ってても『西』と『東』にある溝は確実のもんにできるからや」
「了解しました〜」
「…………」

 念を押して、木乃香の身柄の確保だけは絶対に成功させろ、と言う千草に頷きを返す月詠と白髪の少年。
 片や気楽で何も考えていないような声と共に、片や無言のまま表情をピクリとも変えずに頷く様は、とてもこれから、人一人攫うために行動しようと考えている者達には見えない。
 だが、そうした普段と変わりなさそうな様子が、逆に非日常の世界に生きている人間の『慣れ』を感じさせるようであった。
 そのことに満足を覚えてほくそ笑み、いざ作戦の開始を告げようとした時、少しばかり気になることができた千草は、踊りだしそうな空気を纏って、手に持っていた二刀を腰に差す月詠に問い掛けてみた。

「話まとまったとこであれやけど、月詠はん」
「何ですか〜?」
「いや、神鳴流の剣士の相手してもらうんは助かるんやけど――――あんさん、あの男の方とも戦いたいみたいなこと言うてたから……そっちはええんかな、思うてな」
「ああ、そのことですか〜」

 今更、作戦内容の変更はできへんけど、と断りを入れて遠慮気味に聞いた千草に、月詠は「心配せんといてください〜」と前置いて話す。

「ホンマは両方が一番ええんですけどー、前はそれで失敗したんで〜。だから今回は、刹那センパイだけで我慢しよかな〜、って思てたトコなんです〜」
「そ、そうなんか……」

 満面の笑みだというのに、細めた瞳の奥に酷く淀んだものが渦巻いている月詠に引きながら相鎚を打つ千草。
 若干顔を引き攣らせている雇い主の様子を気にも留めず、月詠は再び熱を孕んできた声で話を続けた。

「ちょっと別のもんで例えたら、刹那センパイはフランス料理とか懐石料理っぽいお洒落な料理でー、あの男の人の方は趣を凝らした料理って感じでしょうか〜?」
「……えーっと、何か違いがあるんかソレ?」

 フランス料理にしろ懐石料理にしろ、変な雰囲気を持つ黒髪の男――千草達はまだ、ジローの名前を知らない――を例えた趣を凝らした料理に含まれるではないか。
 怪訝な顔で首を傾げ、声に出さないまでもそう言いたげにした千草に、月詠は「結構違いますよ〜」と答え、顎にほっそりとした指を当てて説明に戻る。

「えっとですな〜、刹那センパイの方はー、料理の盛り付けとか匂いを楽しんで、それから食べて楽しむって感じなんですよ〜」
「ふむ、そんで?」
「…………」

 付き合いがいいな、この人。
 言外にそう言ってそうな白髪の少年の視線に気付かず、先を促す千草を見た月詠は、ジローがどういった料理かを説明しようとして、唐突に堪えきれなくなって笑い出した。

「そんでですね、あの男の人はぁ〜……クスッ、クスクスクス♪」
「な、なんや、どないしたんや?」
「なんて言ったらええんでしょうなぁ〜? ホラ、猪とか熊のお鍋に、レバーのお造りみたいなー……」

 黒目と白目の色を反転させた瞳を向け、楽しくて仕方がないと肩を震わせて笑う月詠から後ずさりながら、千草は言葉を選んで恐る恐る聞いてみる。

「せ、精がつく、とかか?」
「そう、そんな感じでしょうかー。刹那センパイの場合は、後で何度も思い出して楽しむこともできるんですけど〜……ちょい疲れとる時とかー、ガッツリ『喰べたい』時にあの人と殺りおうたら、きっとしばらく何もいらんぐらい、お腹一杯にさせてもらえそうなんです〜♪」

 神鳴流のように妖怪を屠るために磨き上げられた、剣術とは呼び難い剣を振るうのではなく、ただ純粋に、人が人を斬るために連綿と伝えてきた剣術の遣い手。
 月詠の中でジローは、自分と方向は違えど、人を斬ることに何ら躊躇しない『業』を背負った人という位置にいた。
 妖を斬るための神鳴流を学びながら、人斬りの道を歩くようになった自分が異端ならば、彼は人を斬るために剣術を学んだ、ある意味、剣の道における正統。
 美味しくなるよう品種改良を受けてはいるが、天然物と遜色ないレベルの価値と味を備えた食べ物とも言える。
 ああいう人を喰べる機会は滅多にないと喉を鳴らして、溢れそうになった唾液を飲み下して月詠は自問した。

「あの人はぁ、自分は言うほど饅頭好きとちゃう言うてましたけどー……それってつまり、食べよう思たら食べれるってことですよね〜?」

 つまるところそれは、落語の『饅頭怖い』と同じ意味。最後に熱いお茶が一杯怖い、と笑って言える人種の証明だ。なのにどうして、回りくどい遠慮や我慢をしているのか。
 月詠にはどうしてもわからなかった。何故、ジローがせっかくの腕を錆び付かせて、泣かせてしまうような真似をしているのかが。
 裂けそうなほど口の端を吊り上げて、月詠は心の中でジローをなじり、懇願するような声を漏らす。

「あきませんよ〜、木刀みたいなオモチャ使ってたらぁ。今度『死合う』時は、ちゃんと真剣を使うてくれへんとー……でないとウチ、我慢できひんようになってしまいます〜」

 油断をすれば、逆に自分が喉元に喰らい付かれて糧にされる。せっかく出会った同類の彼とは、そんなギリギリの戦いをしたかった。
 剣をぶつけ合ってお互いを高める。そういった刹那との真剣勝負と対極にありそうな、呼吸一つに自身を昂ぶらせ、お互いの存在を削りあい、そして喰べる喜びを満喫する戦い。
 それをさせてもらえないなら、自分は消えない身体の火照りを止めるために、飽きるまで何度も何度も何度も何度も、全身のありとあらゆる箇所を刀の切っ先で『犯し尽くしたく』なってしまう。
 愛撫するように、丹念に手入れしてきた腰の愛刀を撫で上げ、月詠は止むことなく身体を疼かせる衝動に耐えつつ、シネマ村の入場口へ足を進める。
 全身から尋常ではない、磁場にも似た感情を撒き散らす彼女から、千草や白髪の少年が無言で数歩分離れていたりするが、そんなものは気にもならなかった。
 今の彼女の頭にあるのは、刹那との青火散る仕合いと、ジローとなら行えるはずの血飛沫が舞う『死合い』だけなのだから。

「あ〜……そういえばウチ、お財布忘れてしもてたんです〜」

 しかし、シネマ村の入場門まであと数メートルとなった時、彼女はあることを思い出して立ち止まった。

「――――月詠はん……まさか思うけど、それが理由でウチに早く合流するよう頼んだんとちゃうでな?」

 唐突に、欲情で上気しっぱなしだった顔を普段の状態に戻して、僅かに眉尻を下げて笑う月詠に内心ホッとしつつ、だが依然として数歩の距離を保ったままで千草が半眼を返す。

「えっと〜、塀を跳び越えてもよかったんですけどー……それはちょいアカンかなー、思て」

 そう言って笑いながら頬を掻く月詠の姿は、彼女の質問をしっかり肯定していた。

「もうちょい、しっかりしてくれんやろか……。一応聞いとくけど、まさか新入りも財布忘れた、とか言うんちゃうやろな?」
「…………」

 妙なところで間の抜けている月詠にため息をつき、視線を彼女とは逆方向に移した千草が見たのは、無表情に首肯して見せる白髪の少年。

「どいつもこいつも、しゃーない奴らやなぁ……。ったく、ええな? 後でちゃんと返してもらうで」
「すみません〜」
「…………」
「トイチやからな……ハァ、何でウチが三人分も入場料払わなアカンのや――」

 ジト目で後払いであることを明言し、千草はブツブツと愚痴を溢しながらも、財布片手に入り口近くのチケット販売所へ歩いていく。

「ウチ、こういう所に入るん初めてですわ〜」
「…………僕もかな」
「あ〜、初めて声聞きました〜♪」

 そんな千草の後ろ姿を眺めて呑気に話す月詠と、短いながらも初めて言葉を発する少年。
 認識阻害の呪符を持っているのに、律儀にチケットを購入している千草も大概だが、そんな彼女に突っ込みを入れることなく待っている辺り、この二人も妙なところで律儀らしかった――――






後書き?)前回は月〇の剣士でしたが、書き直しでは濁点を抜くとジャ〇プ回収騒ぎが起きる漫画のコスプレに。
 ジローの〇さんやハルナの新〇はまあいいとして(よくないかもですが)、夕映の神〇は少しばかり見てみたいですね。こう、どこまで違和感があるのか、的な意味で。
 千草が、とある使い魔の青年みたく苦労しているのはさて置き、月詠がもう、ただの変態みたく……。
 連載の方、何か凄かったらしいし、本当に死合いや斬ることが好きな人間にとって、斬り合いは書くのも憚られる行為と同じらしいので(少なくとも、私にはわかりませんが)、まあこのぐらいは大丈夫だろう、で書きました。やばいだろうか……。
 一人登場できない小太郎、ちょっとかわいそうだなと思いつつ。
 感想やアドバイス、指摘お待ちしております。



「幕末浪漫・城下の剣士2」



 天ヶ崎千草一味の追跡から逃れるため、木乃香を連れて京都太秦はシネマ村に逃げ込んだ刹那。
 そんな彼女を待っていたのは、幼馴染の少女との久方ぶりの楽しい時間と、経験のなさから理解できていなかった、とある青年への『好意以上の好意』の自覚。
 そして――

「……そっか、刹那は新撰組の格好か」
「は、はい……その、お嬢様にお姫様の扮装をさせられそうになって、それでは護衛できないと、何とか説得して……」
「まあ……立派な心がけだと思うぞ。うん、似合ってるんじゃないかな」

 木乃香に引っ張りまわされる形で見学していた、シネマ村の城下町。そこでばったり再会した、自称使い魔に成り下がった(?)青年・八房ジローの、何か大切なものを吹っ切ってしまった微笑と、弱々しい称賛の言葉だった。
 ジローの言葉通り、今の刹那は尊皇攘夷派を相手に、動乱の京都を白刃引っ提げて駆け回った壬生狼達と同じく、小袖の上に浅黄色の新撰組を象徴した羽織を着用していた。
 貸衣装として支給された常寸の模造刀を脇差代わりに、愛刀の夕凪を差しているのだが、五尺を超える野太刀は新撰組隊士の衣装に死ぬほどそぐわっていなかったりする。
 それでもジローが褒めたのは、早乙女ハルナ嬢に強制される形で漫画のキャラクターと同じ格好をしている自分より、数倍はまともに見えたからだ。

「あ、あの、大丈夫ですか? ジロー先生」

 重そうな黒い影を背中に担いでいるジローを心配し、刹那が顔色を窺うように尋ねる。

「たぶん大丈夫だ……道往く早乙女の同類らしい女生徒集団に、変な台詞やらポーズを強要された挙句、了承も得ずに写真を撮られたりして、やったらめったら疲れただけだから」

 物憂さげに手を振り、「カップリングとか攻めとか受けとか、意味わからん……」とため息をつくジローに愛想笑いし、刹那は彼の背後に視線を向けてみた。

「へー、二人とも面白い格好しとるなー」
「アッハッハ、意外とウケはよかったよー? ね、ゆえ」
「し、知りません、おかしな話を振らないでくださいです」
「またまたー、修学旅行中のどっかの学校の人達に、『銀さんとセットでお願いしますー』なんて言われた時は、あれで結構ノッテたくせに〜♪」
「ゆえ、チャイナ服似合とるでー」

 和気藹々といった感じに、合流を果した着物姿のハルナや、チャイナ服姿の夕映と話している木乃香を暫し眺め、困り顔になってジローに囁くように聞く。

「その、大丈夫でしょうか? 早乙女さんや綾瀬さんがいても、向こうは関係無しに仕掛けてきそうですよ……」
「仕方ないだろう、こうやって運悪く再会できたんだから。今のところ、シネマ村に入るまで追いかけてきてた奴……まあ、あの月詠とかいうのだろうけど、アレの気配は感じてないな?」
「はい、それはまだ」

 木乃香達に聞かれないよう、顔を寄せて話していることに密かに鼓動を早めながら、だが、月詠を『アレ』呼ばわりして真剣な表情で今後の行動を練るジローの手前、そうした感情はおくびにも出さぬよう意識して、刹那は殊更表情を引き締めて頷いた。
 普段の緩さと穏やかさの間の子みたいな眼差しを細め、こめかみを人差し指でトンッ、トンッ、と一定のリズムで叩きながら思案するジローを盗み見して、一人勝手にどぎまぎしている刹那だったが、彼に伝えておくことがあったと我に返る。

「考え事をしている時にすみません、ジロー先生。一つ報告しておきたいことが」
「あー、何だ?」

 こめかみを叩いていた指を止め、問い掛けるような視線を送るジローに、どう説明すべきか一瞬考えた後、刹那は小さく咳払いをしてから口を開いた。

「はい、その、ちびせつなの事なんですが――」
「ちびせつながどうかしたのか。まさか、ネギ達に合流する前にカラスに襲われたのか? それとも、敵の妨害のせいで式を壊されたとかか?」
「あ、あからさまなぐらい心配……いえ、今は関係ないですね。実は――」

 ちびせつなの名を出した途端、眉宇を寄せて不安げに顔を歪めるジローに、ちびせつなを出した時と同じ、かすかな苛立ちや感情のざわめきを覚える。
 だが、その程度で嫉妬するような女だと思われたくないと、恐らくジロー以外の人間から見れば涙ぐましい努力を行って、刹那はちびせつなを介して知ることのできた情報を話した。

「月詠に追跡され始めた時、集中が乱れて式神を維持できなくなったのですが……本山に向かったネギ先生達の方にも、連中の妨害がありました」
「まあ、単独犯じゃないだろうし、当然っちゃあ当然か」
「はい、それで少々厄介な結界に閉じ込められた後、狗族の少年の襲撃があって、ネギ先生が手酷くダメージを負わされたようです……」

 細かい補足の説明を付け足しながらそこまで話し、一旦言葉を区切ってジローの様子を窺う。
 顎に手を当て、ふむと眉間に皺を刻んでいるジローの顔からは、予想以上に手の込んだ千草達の妨害に困惑する色以外に、少なからずネギ達の心配をする色も見受けられた。
 何故かそのことに安堵の息を吐きながら、ネギ達一行の話を続ける。

「幸い……と言っていいのかは微妙ですが、狗族の少年――あ、名前は小太郎と言うらしいです。彼にやられそうになったネギ先生を助けに宮崎さんが現れて、彼女のアーティファクトのお陰で危機は乗り切りました」

 さらに結界の破り方まで見破って、それを利用して敵を閉じ込めることにも成功しました。
 苦笑気味にそう話した刹那に、呆れたような笑いを返してジローは頭を掻いた。

「怪我の功名と言えばいいのでしょうか、だねぇ」

 帰ったら書類が待ってるさね、と皮肉な感じに口元を歪めて、なのに嫌味っぽさを匂わせずに呟くジローの姿は、刹那の目にはどこか儚げに映った。
 まるで、ネギ達と自分に埋めようのない距離があるように。
 側に近付くことを諦めて、少し離れた場所から見守ることに慣れきっているように。
 それは、木乃香の側にいたいと思いながら、近付くことを恐れている自分に似ているようにも思われた。
 だが、違う。面倒そうにため息をつき、頭を悩ませているジローを見つめながら、刹那は目の前の青年が自分に似ている、という感想を否定する。
 あくまで似ているように感じるだけなのだ、彼は。
 近付きたくても近付けない自分と違い、彼は近付きすぎる必要はないと判断して、適度に距離を置いているのだろう。
 傷つくことを怖がって、周りの全てさえ突っぱねてしまうのではなく、自分が負う傷を最小限に抑えるために。そして、自分にとって親しい者が倒れた時に、すぐにフォローに入れるように――

(いや、それも間違っている気がするな……)

 深くまで考察しようとするほど、ジローという青年がわからなくなる、と刹那はかぶりを振った。
 間違っても、ネギや『立派な魔法使い』を目指す魔法使いのように、「困っている人は全て助けたい」と叫ぶ類の人間ではないし、かといって、「誰が死のうが困ろうが関係ない」と吐き捨てる人間でもない。

「……なに、さっきから人を上目遣いに睨みつけて、うんうん唸ってる?」

 腕を組んで半ば睨みながら、ジローという青年の本質や行動原理は何か、と思案に沈んでいた刹那に気付き、訝しげな顔で聞くジロー。

「え゛っ!? あ、い、いえ、何でもないです!」
「はあ? ……まあいいか」

 急に現実に引き摺り戻されて、ぶんぶんと大きく首を振って誤魔化す刹那に眉をひそめながら、だがすぐに興味を失って彼女から視線を外した。
 刹那は刹那で、もう一度ジローを見つめながら考察をする気にもなれず、周囲をそれとなく警戒している彼の側で、ややもどかしい気分を味わいながら立っていた。
 近くに木乃香がいるのだが、夕映やハルナとの会話に割って入るのは気恥ずかしく、だがジローに話しかけるのも何だか、という感じだ。
 ついさっき、木乃香によって自分の中の『好意以上の好意』に気付かされたことも手伝い、沈黙が苦しくて仕方がない。
 ここでタイミング良く、知り合いでも出てきてくれないだろうか。チラチラと、ジローや木乃香達の様子を窺いながら、刹那は祈るような気持ちで呟いた。
 一日自由行動ということで、シネマ村に来ている3Aのメンバーが訪れている可能性もある。
 望みとしては薄すぎるが、絶対にないとは言い切れないし。
 一般人が増えれば、今以上に木乃香の護衛が難しくなると理解しつつ、大通りに知った顔でもないか、と刹那が顔を上げた。
 瞬間、刹那の視線の先に砂煙を上げて爆走する馬車が現れた。御車台には黒子が座っており、執拗なまでに手綱を操って、馬に鞭入れを行っている。

「――え?」

 轢かれたら確実に命を落とすと断言できる。それぐらいに空恐ろしい速度で、明治時代の貴族が乗っていそうな馬車が距離を縮めてくる。
 暴走と変わらない速度で走る馬車に気付き、周囲を歩いていた観光客達が慌てて通りの脇へ逃げる。
 逃げながら「暴れ馬だぞー!」と叫んでいるので、まだまだ余裕はありそうであるが。

「ひゃあ!?」
「お、お嬢様、後ろへお下がりください!」

 爆走馬車に気付き、転びそうになる木乃香を背後に隠すように庇う刹那。
 彼女の隣りでは、ジローが「何だありゃ」と言いたげな顔になりながら、夕映やハルナに道の脇へ寄るよう指示しているのが見えた。
 ちょうど退避が完了するのと同時に、あっという間に距離を詰めた爆走馬車は、刹那達の前で地面を擦る音を上げて急停止した。

「お、お前はっ……!」
「どうもー、神鳴流です〜〜〜」

 馬車の座席に座る貴婦人の格好をした少女が、顔を隠していた扇子をのけて挨拶してくる。
 間延びした声を発し、馬車から地面に降り立ったのは他でもない、貴婦人風の服に身を包んだ月詠であった。
 突然の襲撃に泡を食いながら、それでも木乃香には指一本触れさせないと、鋭い眼差しで睨み付ける刹那だが、月詠の方はそんな彼女の様子に構わず、優雅な仕草で口元を扇子で隠して笑う。

「コホンッ……ウチは東の洋館に住む、お金持ちの貴婦人でございます〜。そこな剣士はん、今日こそ借金のカタにお姫様をもらい受けに来ましたえ〜」
「な、何……?」

 唐突に月詠から言われた台詞に戸惑い、刹那は助けを求めるようにジローへ視線を送った。
 このような人目のある場所でいきなり登場するだけでなく、訳のわからないことを言い出す月詠に、どう対応すべきかよくわからなかったからだ。
 最初から頭のネジの大半が緩んでいそうな少女だっただけに、「もしや、とうとう?」という考えも拭いきれない。
 別の意味で不安そうな刹那に緩い眼差しを返して、ジローもどこか気の毒そうな顔になる。

「あー、あれだ……この前の雷撃だ、きっとそうに違いない。いや、かわいそうなことをした。だけど、あれは正当防衛が成立するはずだし、お前が気に病む必要はないぞ。なんなら学園長辺りに掛け合って、腕のいい弁護士さんだって紹介してやるから」
「ど、どうして、責任が私にある前提で話してるんですか!? 本気で奴を叩き伏せるよう指示したの、ジロー先生じゃないですか!」
「待て待て、俺は頑張ってアレの隙つくるから、そこを狙って気絶で済む程度にぶっ飛ばせ、って言ったんだぞ? 視線で。刹那の言い方じゃ、まるで俺が黒幕みたいだ」
「そんな!? あんなに血走った目で指示出しておいて、『手加減してないなんて信じられないよ。あーあ、今時の子は怖いなぁ』みたいな顔されても――――ちょっと、どうして悲しそうにため息ついてるんですか!?」

 思わぬところで傷害や過剰防衛の罪を押し付けられそうになって、必死に抗議している刹那と、何故か目頭を押さえて俯いているジローに、笑顔のまま一筋の汗を垂らした月詠が話しかける。

「あの〜、刹那センパイ〜? それにー、え〜っと……そちらの殿方も〜、ウチのこと無視せんといてください〜」
「無視してるっていうか、相手したくないだけだよ。何が面白くて登場早々、脳内が常夏みたいな人間の妄言を聞かされにゃならん」
「え、あの……そっ、その通りだ!」

 遠慮がちに声をかけた月詠へ、刹那の相手をあっさり中断し、氷点下まで冷めた半眼を叩きつけて答えるジロー。
 そんなジローの身代わりの早さに戸惑い、だがすぐに前に倣えで答える刹那の瞳は、端から見ても不自然に泳いでいた。騙されやすいというか、人の言動一つずつに反応してしまう生真面目さも時によりけりである。
 敵側の人間が出てきた場面で味方に一杯食わされるなど、予想もしていなかっただけに、刹那の精神的ダメージは大きかった。
 戦えなくなるほどではないが、喉の奥に刺さった魚の骨や、指の中に潜ってしまった棘ぐらいには気になるレベル。
 心なしか肩を落として見える幼馴染の少女を励ますように、後ろに立っていた木乃香が口を開いた。

「せっちゃん、あの人、ここのスタッフさんやで! シネマ村って、いきなりお客さん巻き込んで劇やるって、パンフレットにも書いてたし」
「な、なる程……」

 芝居に見せかけ、衆人環視の中で木乃香を連れ去るつもりなのか。
 肩越しに木乃香が広げたパンフレットを見て、月詠が堂々と姿を現した理由を察した刹那は、気持ちを戦闘時のものに切り替えて、目の前の月詠に啖呵を切る。

「そうはさせんぞ……このかお嬢様は私が守る!!」

 途端、周囲で遠巻きに月詠と刹那達を見守っていた観光客達から、拍手喝采が起こった。
 目の前のものは、シネマ村主催のイベントだと完全に信じているのだろう。みな一様に楽しそうに笑い、口笛など吹いて、一国の姫に扮した木乃香を守る剣士役の刹那を囃し立てている。

「キャー、せっちゃん格好えー♪」
「わ、い、いけません、お嬢様……!!」

 それは刹那の後ろに立っていた木乃香も同じで、修学旅行が始まるまで疎遠になっていた幼馴染の少女に、お芝居とはいえ「守る」と言ってもらえたことに感激して、これまでにない積極さで抱きついたりしていた。
 驚きで顔を真っ赤にして、すぐに離れてくれるよう言う刹那にしても、本気で木乃香を引き剥がす様子はない。
 ぎこちなさは依然として残っているが、そうした姿はどこから見ても仲の良い友達のそれである。

「このまま目出度し目出度しで終われたら、どれだけ有り難いことやら……」

 万感の想いを込めた呟きと一緒にため息を漏らし、ジローは横でじゃれ合っている刹那と木乃香を放置して、前方に立っている月詠にジト目を向けた。

「ウフフ、またお会いできましたなぁ〜♪」
「はいはい、そーですねぇ。あー、嬉しくて涙が出てきそうなので、さっさと帰れ」
「そういう訳にはいきませんよー、お仕事なので〜」

 つれない態度を取るジローに笑顔を崩さないまま、月詠がのほほんと返す。
 僅かに開いた彼女の瞳が、ジローの腰に差されている木刀を映した。月詠の顔に浮かぶのは、失望にも似た感情の色。

「はぁ〜、刹那センパイの相手するんは決まっとるんですけど……残念ですわ〜、またそんなオモチャ持って〜」
「勝手に期待して、勝手に落ち込まれても困るんですけどぉ?」

 小さくため息をついた月詠が漏らした言葉から、自分が真剣を持っていないことへの不満なのだろう、と当たりをつけながら、ジローは何が言いたいのかわかりませんとばかりに首を傾げる。

「またまたぁ〜、ホンマは刀、大好きなんでしょ〜?」
「あー、刀ね。好きだぞー、刀身を流れる刃紋とか、反り具合に鎬地の肌理。眺めてるだけで一日過ごせる」
「…………」
「最も、そこまで気に入る刀には滅多に出会えないけどねぇ」

 糸目の状態で憂鬱そうに嘆息して見せるジローに、質問をはぐらかされる形になった月詠の笑顔が微かに淀む。
 小馬鹿にするように鼻を鳴らしたジローは、一瞬だけ背後に立つ夕映やハルナに視線を送り、すぐに笑顔の内側からどす黒いものを滲ませる月詠に戻して告げた。

「少し勘違いしてないか? お前さんと違って、俺ぁ『楽しみたい』なんぞで斬ったりはせんよ」

 心底嫌そうに顔を歪めた後、彼は餓えた野良犬でも追い払うように手を振り、

「実際に『殺る』かどうかなんて、その時々の気分で変えるけど――――――刀を持ったら、人を斬るのは当たり前だろ?」

 ネギ達や顔見知りの魔法先生、そして公私問わず付き合いのあるシスター達(見習い含む)の前にいる時と同じ、飄々としてどこか浮世離れた表情で、月詠の考えていそうなことに何一つ同意できない、と肩を竦める。
 斬りたいから刀を持つのではなく、刀を持つから斬るのだ。
 斬るという行為そのものが目的なのに、そこに余分な楽しみや興奮、喜び、快感の付加価値を求めるなんて無粋ではないか。
 言葉ではなく、全身でそう主張するように佇むジローの、本気かどうかはっきりしない緩い眼差し。それを正面から受け止めた月詠の口が、禍々しい形に変化する。

「フ、フフ、クスクスッ♪ あぁ〜、なるほど〜」
「…………」

 例えるならば、見ている者の心まで腐らせてしまいそうな笑みを浮かべ、時々大きく体を震わせる月詠。
 彼女の酷い笑顔に塗りたくられているのは、ようやく理解できたことによる狂喜の色。
 喜びの余り、吐息は勝手に熱を帯び、頬は上気して、どこか淫靡な雰囲気が漂い始める。

「ハァ、フゥンッ……お兄はんはー、ものすごい真摯で誠実なんですなぁ〜? ホンマは『その気』になったら、色んなもんを笑い飛ばして、禁忌だってなくすことできるのにー」

 息を吸う動作にさえ悦ぶ体を抑えて、目の端に浮いた涙を指で掬い取り、針のように細く、危ない熱を孕んだ瞳でジローを見つめながら、月詠は歌うように言葉を紡ぐ。

「人の道とか道徳とか〜、全部戯言みたいなもんやわかってるからこそ、もてあそぶんが嫌なんですね〜?」

 だからこそジローは、人を斬るのは当たり前のことだと言い、人を斬ることや命の瀬戸際に興奮を覚える自分に、共感することができないと告げたのか。
 人を殺すことに葛藤を覚え、結局壊れて止まれなくなる人間とも、まして殺人という結果だけでなく、過程にさえ悦楽を得られる自分とも違うのに、死を隣人と考えられる人がいたなんて。
 ようやく理解できた青年の中にある行動原理、そして殺生する際の約束事らしきものに、月詠はカルチャーショックに近い感動さえ覚えた。
 だが結局のところは、

「お兄はんも、自分をソレで現実に繋ぎ止めてはるんやないですかぁ〜」

 あなたも私と同じ穴の狢でしょう、と月詠は歪んだ笑顔で問い詰める。
 生きるために斬るのでも、死に場所を求めて斬るのでもない。ただ、『死』という概念こそが人を現実に存在させていると、人を斬ることで実感する人間なのでしょう、と。
 自分という一個人は、他者の死という礎と、その積み重ねがあって初めて価値があると考えているのでしょう、と。
 そして、だからこそ自分は『死』を絶対に裏切らず、それを他者に与える時は躊躇せず、償いも贖いも必要ないと考えているのでしょう、と。

「え、えーっと、あのスタッフさん、演技すっごく上手いねー」
「あの、ジロー先生? 先ほどから、あちらのスタッフの方が一人で話を進めているですが、さすがにそろそろ台詞を返した方が……」

 瞳の色を白黒反転させて、今にもゲタゲタと笑い出しそうな月詠に引いたハルナの呻きと、恐る恐るだが、彼女の演技にしては狂気を感じさせる芝居の相手をしてあげては、と背後から促す夕映の声を聞き、ただ黙って月詠の語りに耳を傾けていたジローは、目を細めて静かに口を開く。

「自分の理念理想は誰にもわからないとか、誰にもわかってもらえない、なんて言うほど不遜じゃないけど……お前さんに理解示されて喜べるほど、落ちぶれてもいないし。いい加減、その気色悪い面で笑うの止めろよ、でないと……」

 そこで一旦言葉を区切り、口元を引き裂いたような笑みを浮かべる。

「――――もうさぁ、色々と撒き散らしてみるか?」

 月詠が浮かべているものと同種の、見る者の心を爛れさせ、笑っている当人まで腐らせてしまうような酷い笑みを。

「それもなかなか、そそられるもんがありますなぁ〜」
「解体されてもそれ言えりゃ、たいしたもんさねぇ」

 ジローに返す月詠の言葉と笑顔は、元より孕んでいた狂気を増加させる。
 そんな彼女に向けるジローの笑みも、それと張り合うように狂気の色を濃くしていく。

「ウフフ、フフフフフフ〜」
「フッ、クハ、ハハハッ」

 同極ゆえに反発しあう磁石のように、実に朗らかな笑い声と、それとは逆にまったく笑っていない視線をぶつけ合って、敵意や殺意といった負の感情を昂ぶらせていく。

「クスクスクスッ、フフ、ウフフフフ〜〜〜♪」
「ハハッ、アハハハハハハッ!」
「ちょ、ちょっとー、ジロー先生〜?」
「い、いくらなんでも大袈裟ではないですか、演技……」

 ジローの背後で、昨夜の悪鬼魔人と化した使い魔青年を思い出し、顔を青褪めさせているハルナや、常の緩くて穏やかな気質の青年しか知らない夕映が戸惑った声を漏らしているが、彼と月詠はお互いの姿だけを視界に納めて、狂気を孕む笑いを肥大化させていく。
 そしてついに、互いの身の内で渦巻く浄化しきれぬ負の衝動が弾けんとして――

「――――でさ、そろそろ話を進めてくれんかね?」
「ウフフ、フ…………はい〜?」

 いきなり真顔に戻り、月詠に話を先に進めるよう促すジローによって、周囲に張り詰めていた空気が軽いものに変化した。
 馬鹿笑いを中断させられ、首を傾げている月詠にうんざりした顔になり、ジローは頭を掻きながら言う。

「だーかーらー、『はい〜?』じゃなくて。無駄なお芝居に付き合ってやったんだから、さっさと続きをやれ、つってるんよ」
「え、え〜っと〜……」
「ジ、ジロー先生……?」
「あー、もう面倒くさい。何故に俺がこんなことせにゃならんのだ……」

 ため息をつきながら、ガシガシと頭を掻いてぼやくジローに呆気にとられ、汗を一筋垂らして逆方向に首を傾げなおす月詠と、隣りで木乃香を庇って立っていた刹那の両方が、彼に対して疑問や問い掛けの視線を送っていた。
 先ほどまでの、どう考えても本気としか思えない負の淀みを露とも感じさせず、心底億劫そうにかぶりを振っている青年の姿は、どこから見ても緩くて、歳不相応に老成した空気を醸し出しているだけで。
 その様子が扮装している漫画キャラっぽいと、周囲に立っていた見物人の中から聞こえたが、この際、それは無視しておくべきだろう。

「ありゃ〜……」
「…………」

 どちらの狂気がより深く、そして色濃く淀んでいるのか。それを確かめあうように、プロレスの手四つ状態で出していたものを一瞬で全部透かされ、奇妙な脱力感を味わっていた月詠と、依然として呆気にとられたままの刹那の視線が引き合い、自然と結びつく。

「…………お、お嬢様は渡さんぞ」
「……そ、そーおすかー、ほな仕方ありまへんなー」

 舞台などで一度とちると、その後に続く台詞や演技が全てぐだぐだになるというのは、3Aの演劇部所属の村上夏美嬢の談。
 そのことを証明するように、刹那の木乃香を守るという二度目の啖呵と、それに返す月詠の言葉はぎこちないこと、この上なかった。
 やる気がごっそり削がれてしまった、と言いたげな不満顔で、月詠は左手に嵌めていたシルクの手袋を引き抜き、刹那に向かって投じた。
 投擲された手袋をあっさり受け止め、「む……」と声を漏らした刹那に、

「このか様をかけて決闘を申し込ませて頂きますー。三十分後、場所はシネマ村正門横『日本橋』にて〜」

 そう宣言した月詠は、黒子が御者を務める馬車に乗り込む直前、刹那に対してメッセージを残す。

「御迷惑と思いますけど、ウチ……手合わせさせて頂きたいんですー。そっちの男の人でもええんですけどー、なんや今回はフラレてしもうたみたいなんでー」
「――――」

 欠片も笑っていない瞳でジッと見つめる月詠を睨み返した後、刹那は横に立つジローを横目に見た。
 麻帆良で出会ってから、それとなく目で追い、知らず知らずのうちに積み重ね、今日ここに来て始めて自覚した、『好意以上の好意』の対象である青年の内面について考える。
 人を喰ったような言動に、守るべき主人や自分、そして顔見知りの魔法先生達さえ容赦なく騙そうとする性格の悪さなど、確かに黒いというか、狡賢いところはある。
 だが、それは結果的に見ると大半が、味方である自分達のためだったりするのだ。
 麻帆良に来たジローと出会ってから、まだ半年といったところだが、そのような短い期間でも、全ての敵に対して真正面からしか戦えない自分は、何度もそれで助けてもらっている気がする。
 だから――

「当たり前だ、ジロー先生は貴様なんかとは違うからな」

 信じられるのだ、八房ジローという青年の根本にあるのは、優しさや思いやりの心であると。
 だからこそ、斬ることに喜びを覚えているような、人の命を楽しみのために踏み躙れるような人間と一緒にするなと、刹那はそう月詠に断言した。

「フフ、ホンマにそうやったら残念なんですけど〜……そうですかー、お名前、ジローって言いはるんですね〜♪」
「刹那さんや、余計な情報をアレに渡すのやめてくれ。正直、名前呼ばれるだけでも鳥肌ものだから」
「あ、す、すみません……」

 ジローと名前を口にしたことで、当の本人から苦言を呈され謝る羽目になったが、それでも言うべきことは言ってやったと、刹那は少々誇らしい気分で月詠を見る。
 返ってくるのは、神鳴流の当主やそれに近しい者など、真に業の深い者のみができるとも言われている、瞳の白と黒が反転した凶眼。

「ひっ!?」

 それを見て、背後にいる木乃香が体を強張らせていたので、僅かに立ち位置を変えて、木乃香の視界に月詠が入らないようにする。

「――逃げたらあきまへんえー、刹那センパイ♪」
「…………」

 殺気の篭った視線を正面から浴びながら、それでも木乃香を気に掛ける余裕がある刹那に、内心満足しながら、月詠は安い挑発とも取れる捨て台詞を置き土産に、登場した時と同じく爆走馬車に乗って遠ざかっていった。

「面倒なことになりましたね……」
「あー、まあそうだな。アレだけしかいないってーなら、何とでもできるんだけど」

 肩の力を抜いて、小さく嘆息しながら話しかけた刹那に、同じく脱力してため息をついたジローが溢す。
 だが、すぐに言いなおした。

「ああ、いや……何ともできんかもしれんな」
「え? ……え゛?」

 まさかの弱音、と若干の驚きを覚えながらジローを見て、さらに彼の視線が向けられている方向を追った刹那の顔が強張る。
 ジローと刹那、二人の視線の先から近付いてきたのは――

「ちょっとちょっと、桜咲さん! どーゆーことよー!?」
「今の心境は!?」
「あらあらまあまあ♪」
「ち、ちづ姉、笑顔が輝きすぎだよー……」
「アアッ、みなさんお待ちなさい! こういった問題は細やかな配慮が――!!」

 何やら喜色満面の笑顔で駆け寄ってくるハルナはまだいい。
 問題は、いつの間にか見物人の中に混じっていた、麻帆良のパパラッチと名高い和美に、普段以上に癒し効果を発揮してそうな笑顔の那波千鶴、それを追いかける村上夏美に、雪広あやかといった面々。
 全員、黒の着流しに刀を落とし差しにした浪人姿や、明治時代の男爵スタイル、桜の花びら柄の着物を着た町娘、遊女の中でも最上級の地位にいる花魁姿など、シネマ村の雰囲気にあわせた扮装をしている。
 花魁が真昼間から城下町、しかも人通りの多い道を歩いていることを、あまり気にしてはいけない問題にしておけばだが。

「ハァ、テンションたっけぇ……」
「…………」

 珍妙な組み合わせの集団から一歩遅れて、巫女装束の長谷川千雨と、肖像画にある宮本武蔵と同じ格好をしたザジー・レイニーデイの姿を視認した刹那は、パクパクと口を開け閉めしながらジローに顔を向けた。
 そこに、現状の問題を解決する答えがあると信じているように。

「――――――?」
「ジロー先生?」

 だがそこで待っていたのは、乱入してしまった一般人生徒達の存在を無視して、木刀の柄に手を掛け、不思議そうに周囲を見渡しているジローの姿だった。
 怪訝な顔をしている刹那に気付き、何でもないと苦笑いしたジローは、側にいられると本気で戦えない、正直足枷になる、魔法の存在を知らない生徒達にざっと視線を巡らせ、どこか達観した顔で呟く。

「全部CGですとか、シネマ村の演出は世界一ィィッ、で誤魔化されてくれるといいなぁ」
「い、いくらなんでもそれは――」

 いくらなんでもそれは無理がある。そう言いかけて、あることに気付いてしまった刹那は、口を噤まざるを得なかった。
 希望的観測すぎる言葉を口にしたジローの目の端に、ちょっぴりとだが、涙が溜まっていることに気付いたから。

「も、もしかしたら大丈夫かもしれませんね……もしかすればですが」
「…………気遣い感謝するよ」

 搾り出すように言った刹那に返されたのは、使い切った歯磨き粉のチューブを切り開いて、歯ブラシで直接こそげ取った歯磨き粉の量レベルの、少なすぎる感謝の言葉であったことは言うまでもない――――






「…………」

 建物の陰から様子を窺う白髪の少年の視線の先で、先の刹那に対する月詠の決闘申し込みが、実はお芝居にかこつけた略奪愛だと勘違いした少女達が騒いでいた。

『よっしゃ野郎共、助太刀だーーーっ!!』
『さぁ〜て、敵は何人かな〜? 任せといてよ、桜咲さん!』
『ち、違うんですってば! 大丈夫ですからやめてください!』

 正直なところ、場所が場所とはいえ、本物の殺気を放っていた月詠に危機感の一つも抱かない少女達は、生き延びるための本能が欠如しているのではと思った。

『このかさん、どうかしたですか?』
『えっ……な、何でもないよ?』

 さすがに、月詠の殺気に淀んだ瞳を直視してしまった木乃香は、今も体の強張りが抜けていない様子だったが、その程度では意味がない。
 護衛役の神鳴流剣士の苦労がわかるよ、と白髪の少年は声に出さず呟く。
 護衛というのは、守る側だけが必死になっても意味がない。守られる側の人間も、自身が危害を与える者に狙われていると理解して、護衛しやすいよう心掛けるからこそ、護衛は意味を持つのだから。
 しかし、そのことを教えてやる義理はないと、小さくかぶりを振った白髪の少年――フェイト・アーウェルンクスは、視線を賑やかな少女の一団からずらした。
 移動させた視線の先では、腰に木刀を差した黒髪の青年が立っていた。

「……さっき、僕の気配に気付きかけた?」

 もしかするとただの偶然かもしれないが、神鳴流の剣士ですら気付かなかった自分の存在を察知しかけた青年を、細心の注意を払って物陰より見つめる。
 月詠という生粋の戦闘狂である少女が、刹那とは別の方向で興味を持っていると言っていた青年。
 敵意や殺気などの気配を察する手合いなら五万といるが、先のあれは少し違う。
 楽団の演奏中、観客がうっかり落としてしまったパンフレットの音のような、一つの世界における不協和音。
 フェイト・アーウェルンクスという、違和感で構築された存在を探そうとしているように見えた。

「虫の知らせとか、そういうものかもしれないけど……」

 生まれながらに勘がいい人間というのはいるが、気のせいに等しい予感で周囲を警戒して、武器に手を掛ける人間というのは珍しい。

「月詠さんが興味を持ったのは、そういうところかな?」

 普通の魔法関係者と比べ、人間の本能的な部分が鋭いのだろう。もしかすると、見た目よりもずっと長い時間、裏の世界に身を置いているのかもしれない。
 魔法使いには、容姿と実年齢が釣り合わない人間も多いから、とフェイトは独りごちた。
 本人が聞けば、間違いなく「俺は十代でございますよ!?」と主張する呟きを漏らし、千草達のところへ戻る前に、青年の顔でも覚えていこうとしたフェイトの目に映ったのは――

『大丈夫ですか、ジローさん、刹那さん!』
『あー……?』
『ネギ先生? ど、どうやってここに……』
『えと、ちびせつなの紙型を使って、気の跡を辿って……』
『それより何があったんだ、相棒! ……相棒?』


 大人の拳程度まで小さくデフォルメしたネギと、それに覆いかぶさるように背負われたオコジョ妖精を見て、何故か固まっている青年の姿。

「……?」

 疑問を覚え、小さく首を傾げたフェイトの見ている前で、石化を解いて一旦俯き、すぐに顔を上げる青年。
 そこにあったのは、フェイトにとって限りなく縁遠い満面の笑み。
 小さなデフォルメネギ――ちびネギに、眩しいぐらいに輝きを放つ笑顔でサムズアップした青年が、何か話していた。

『俺……初めてネギのこと、誰よりもかわいいって思えた』
『え、ええーっ!? じゃあ、今まではどう思ってたの!?』
『あー……聞かない方がいいぞ♪』
『ヒ、ヒドイよ!? どう思ってたかわかんないけど、絶対にヒドイよ!!』
『相棒、花丸笑顔で残酷なこと言ってやんなよ……。これでも兄貴、頑張って小太郎って奴を出し抜いてきたんだぜ?』

 ついていけないテンションの変化に思考を止め、暫しの間、沈黙していたフェイトが口を開く。

「……やっぱり、さっきのはただの偶然だね」
『ちびネギ最高〜ッ♪』
『あ、あううぅ〜?』
『やっぱり理不尽です……もう少し優しさを平均的にですね――』
『まあまあ、相棒があからさまにかわいがるのは、こーいう小っせぇもんだけってことでさ……アレ? 俺っちも一応、可愛げある小動物なんだが……』

 理由は不明だが、岡崎という苗字が思い浮かんでしまうフレーズで、目の前に浮遊するちびネギの頭を撫で、飴を与えて猫可愛がりしている青年は、ただの初孫ボケな老人そのものであった。

「…………」

 あっさりとジローに対する関心を失い、踵を返したフェイトの姿が掻き消える。
 後に残っているのは、雨も降っていないのに地面にできた、小さな水溜りだけであった――――






後書き?) 修学旅行編、本当に書きにくいなぁと思いつつの改正。
 月詠の変態化は留まる所を知りませんが……でも、直接的な表現は書いていないし、大丈夫だといいな、と考えております。
 題名の幕末浪漫な剣劇格闘ゲームに登場する、紫の鏡さんっぽくなっていますね、はい。
 刹那はイメージ的に、『2』で弱体化しすぎな主人公といった感じでしょうか。『1』では自身の力に懊悩していますし。ビリビリと雷出しますし。
 ネギは……一条の娘さん? パートナーのアスナは、赤いちゃんちゃんこを着て金棒持ったデカイ人ですし、合ってるかも。
 ジロは………………玄武の爺ちゃん? バカ息子はどの格闘ゲームのどういうキャラっぽいのか、ちとわかりませんね。
 感想やアドバイス、指摘、常時お待ちしております。

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