「大停電終了」


「フーッ、危なかった。」

 大橋でのエヴァ主従との戦闘。用意した策を破られ、杖まで奪われた挙句、敗者として血液を吸われる寸前であったネギは、突如乱入したアスナとカモによって救出された後、一人俯いて下唇を噛んでいた。
 暫しの時を稼ぐために、ネギとアスナ、カモの三人は、橋の物陰に身を寄せてたっている。
 目の端の浮いていた涙を拭って、自分の頭に手を置いたアスナを見上げて思う。エヴァンジェリン――エヴァに言われた、「お前の親父ならこの程度の苦境、笑って乗り越えた」という言葉のように、苦境を乗り越えるために。
 そして、自身の未熟さや情けなさのために、ジローやカモのことまで見下させてしまわぬように。
 今までないほど強く「勝ちたい」と思いながら、その言葉を口にする。

「お願いしますアスナさん! 僕、あの人に勝たなきゃ!!」

 真剣な眼差しでアスナに訴えるネギをさらに鼓舞するように、彼女の肩に乗っていたカモが小躍りして叫ぶ。

『そーこなくっちゃ兄貴!! では姐さん!!』
「うう……宣言したものの、やっぱり恥ずかしいかも」
「え?」

 アスナとカモだけに通じる会話に、蚊帳の外へ置かれたネギが首を傾げるが、それを相手にすることなく、地面に飛び降りたカモは素早い動きで白墨を取り出して、少年少女を囲む狭い円を描いた。
 円の中にもう一つ描かれた円の中央には六芒星が、それを囲む円との間には、黄道十二宮のそれぞれの星座に対応した記号が描かれている。魔法使いが、『魔法使いの従者』との『仮契約』を行うための魔法陣だ。
 唐突にそのようなものを描き出したカモや、自分の前で恥じらい、体をモジモジさせているアスナを交互に見るネギを余所に、話は勝手に進行する。

「――う、うん、よし。準備OK、いいわよ。じゃ、ネギ、いくからね」
「え?」

 一度大きく深呼吸して、ネギの顔を掴んだアスナが腰を屈める。虚を突かれ、間の抜けた声を洩らしたネギの唇と、『ただのお節介』で魔法の世界に足を踏み出した少女の唇との距離が零になった。

「む……ムウゥゥゥ〜!?」

 いきなりアスナに唇を密着――キスされて、訳がわからず呻くネギから唇を離して、激しく運動したように呼吸を落ち着けた後、アスナは親指を立てて――サムズアップして、涙を浮かべて抗議するネギに断言した。

「大丈夫。私キスしたことないけど、今のはカウントしないから」
「だ、大丈夫って……! ぼぼ、僕、キスしたことなかったんですよっ!?」
「いや、あんたガキだし。細かいこと気にしないでよ」
「え゛」

 依然として緊迫した状況にあるというのに、どうにも緊張感の薄いネギとアスナに、カモが戦闘準備が整ったことを伝える。
 その手には、タロットカード大の仮契約カード――パクティオーカードが握られていた。カードの中央には、大剣を持って制服姿で振り返るアスナが描かれており、傷ついた戦士(BELLATORIX SAUCIATA)を表しているのか、頬に絆創膏が貼られている。
 中央部分にラテン語で書かれた名前と称号の下には、徳性の勇気(audacia)、方位の東(oriens)が。そのさらに左下には、星辰性――天体的属性を意味する火星(Mars)の文字が。
 そして、カードの左上部と右下部分には、彼女の出席番号八番がローマ数字で、右上部には従者の色調――色彩的属性が赤(rubor)であると記されていた。

『これで仮契約成立だぜ! さあ、これでもうエヴァたちに簡単にゃ負けねえぜ! Let's リベンジですぜ、兄貴!!』
「う、うん、そうだね!」

 気を引き締め直し、ムンッと両拳を握ったところで、あることに気付いたネギが不思議に思って尋ねた。

「それにしても、『エヴァ』なんて、ずいぶんフレンドリーな呼び方だね? この間までフルネームで呼んでたのに……」
『ギックゥ!? い、いや、いちいちフルネームじゃメンドイからよ。省略したんだよ!!』
「ふーん?」
「…………さ、さあ! どうでもいいこと気にしてないで、問題児を懲らしめに行くわよ!」

 ただ一人、この橋の上でエヴァとの戦いが仕組まれたことをしらないネギ。それを不憫に思うと同時に、少なくとも今は知らない方がいいと考えたアスナが、ネギの背中を押す。

「あ、はい!協力してくれてありがとうございます、アスナさん!」
(ふぃー、助かったぜ姐さん)
(いいって。これから大変になるってのに、ジローが黒幕だなんて知ったら、このガキ、ショックで白くなるだろーし)
「どうしたんですか?」
『ドッキー!?』
「だ、だから何でもないって!!」

 これから始まる戦闘に緊張しているのだろうか、と疑うことを知らぬ瞳で聞いてくるネギに、一人は白目を向いて硬直し、もう一人は引き攣った笑みを浮かべて誤魔化し、少年の手を掴んで身を寄せていた物陰から飛び出した。






「ふん、出て来たか。どうした、ぼーや? お姉ちゃんが助けに来てくれて、ホッと一息か?」
「うぐっ…」

 余裕綽々といった態度で腕を組み、茶々丸とともに中空に佇んでいたエヴァが、アスナに手を引かれて現れたネギをからかう。
 その言葉に恥ずかしさを感じて顔を赤らめたネギに、カモとアスナが落ち着くようアドバイスする。

『気にすんな兄貴』
「そーよ。これで2対2の正々堂々互角の勝負でしょ!」
「そうだな、双方パートナーも揃ったわけだし、正式な決闘ができるか。だが、はたして互角かな? 坊やは杖なし、貴様も戦いについては素人だろう?」

 二人の物言いに頷き、しかし自分の勝利は微塵も揺るがぬと言った表情で聞いた。
 しかし、余裕の笑みを浮かべながら地上に降りたエヴァは、隣りに立つ茶々丸へ密かに忠告を送る。

(――茶々丸、神楽坂を甘く見るなよ。意外な難敵かもしれん)
(ハイ、マスター)

 一度目ならまだしも、二度目の全力状態で展開した障壁を抜かれたエヴァの、勘とも言うべき警戒。
 年季や経験から見ても、自分達とネギ・アスナのコンビの間に、埋めることのできぬ実力差があるのは分かりきっている。
 それでも油断せず、小さなイレギュラーに対して注意を払うこと。そこに長き時を賞金首として過ごした、エヴァの強さの一端が見えていた。
 本契約を果しているであるエヴァコンビと比べ、即席のコンビである自分達が圧倒的不利な状況にあると自覚しているが、気持ちだけは負けないと精一杯顔を怖くしたネギが叫ぶ。

「この勝負、絶対に負けません! 魔法使いとして! 助けに来てくれたアスナさんのため! そして、ジローさんやカモ君の主人として!」
「クク、いいだろう。私が生徒だということは忘れて本気で来るがいい、ネギ・スプリングフィールド」
「はい!」

 いい覚悟だという風に笑ったエヴァの言葉に応じて、ネギがズボンのポケットから取り出したのは、先に星の飾りがついた小型の振り出し式の杖。
 父の杖を使いだすより前に使っていた、子供用の練習杖を取り出すのと同時に、仮契約で出現したパクティオーカードに魔力を流して契約を執行する。
 それと同時にエヴァと茶々丸の主従も動き出した。

「『契約執行・90秒間・ネギの従者・神楽坂明日菜』!!」
「『リク・ラク・ラ・ラック・ライラック――』!!」
「『ラス・テル・マ・スキル・マギステル・風の精霊17人・集い来たりて――』!」

 契約執行が終わると同時に、アスナの体を奇妙な酩酊感に似たものが走り、身を羽のように軽くした。まるで風になったみたい、と目を丸くしながら飛び出したアスナと茶々丸の距離が、一呼吸する間に詰まる。

「――!」
「うひゃ!?」

 顔目掛けて放たれた、茶々丸の鉄拳。それを素人とは思えぬ動きで捌いて脇へ流して、アスナが繰り出したのは――

「あたっ!?」
「!!」

 カウンターのつもりが、逆にカウンターを取られてデコピンをぶつけあい、アスナと茶々丸の体がよろめいた。
 いかにもロボットらしい、有線式のロケットアームから繰り出されたデコピンの威力に、涙を浮かべて額を押さえて座り込むアスナと、魔力で強化されたデコピンを、精密機器が詰まった頭部に喰らって動作不良でも起こしたのか、グラリと一歩下がる茶々丸。
 少なくとも、第一撃は相打ちで終わった従者同士の対決を心配そうな横目で見ながら、だがネギは、ジローに聞いた茶々丸の情報――猫好きに悪い人はいない――を信じて、今の己が成すべきことに集中する。
 向けた視線の先では、呪文の詠唱を終えたエヴァが哄笑を上げて魔法を放とうとしていた。

「ハハハ! ずいぶんカワイイ杖だな!? 喰らえ! 『魔法の射手・氷の17矢』!!」
「ううっ、『魔法の射手・連弾・雷の17矢』!!」

 エヴァの撃ってきた氷属性の『魔法の射手』に対して、雷の属性を持った魔法の矢を放って迎撃する。ぶつかりあった氷と雷の矢が、ネギとエヴァの中間地点で電気を帯びた白煙を生む。

「雷も使えるとは!! だが、詠唱に時間がかかり過ぎだぞ!? 『リク・ラク・ラ・ラック・ライラック・闇の精霊29柱――』!!」
「あうえっ!?」

 敵に呪文詠唱の遅さを指摘された上、一気に跳ね上がった魔法の矢の詠唱数に驚くが、始まってしまった戦いを中断するわけにはいかないと、ネギも詠唱を開始する。

「くっ! 『ラス・テル・ラ・スキル・マギステル・光の精霊29柱――』!!」

 ――魔法の射手連弾・闇の29矢!!
 ――魔法の射手連弾・光の29矢!!

 弱者であるネギをいたぶることに楽しみを感じているのだろう。わざとネギの詠唱が完成するのに合わせて、エヴァの魔法が放たれた。
 雷や風のように追加効果を持つのではない、火と同じく純粋な破壊効果を持った光と闇属性の矢が、両者の間で再び激突し、爆発と突風を渦巻かせる。

「うくっ」
「ネギ!」
「マスター」
「アハハ! いいぞ、よくついて来たな!!」

 肌を叩く風に身を縮めたネギと違い、エヴァは余裕ありげに敵へ称賛の言葉を送って、激しく髪を躍らせる風を心地良さそうに浴びていた。

(ほ、本当に強い人だ……。)

 はたして自分に勝てるのだろうか。父が勝ったというエヴァの強さ――十五年前に行われたエヴァとナギの戦いが、どのようなものであったのかを知らないのは、はたして幸運なのだろうか――に瞠目し、湧き上がってきた不安を新たに呪文を詠唱することで無理やり掻き消す。
 これから唱えるのは、魔法学校時代、夜な夜な禁呪書庫に忍び込んで修得した、幾つかの戦闘用魔法の中でも特に威力の高い呪文。

「『ラス・テル・マ・スキル・マギステル・来たれ雷精・風の精――』! えっ!?」
「――『リク・ラク・ラ・ラック・ライラック・来たれ氷精・闇の精』!!」

 これならば。そう思い詠唱を始めたネギの顔が、驚愕に強張った。
 目の前で楽しそうな笑みを浮かべたエヴァが唱え始めたのは、今のネギが唱えることの出来る最強呪文と同クラスの呪文だったからだ。
 改めて敵対した相手に脅威を感じ、詠唱を詰まらせてしまったネギに水をあけるように、エヴァは詠唱を進めていく。

「フフッ――『闇を従え・吹雪け常世の氷雪』!」
「くっ、『雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐――』!!」

 気後れして、中断していた詠唱を慌てて再開させたネギへ、掲げた手に闇と冷気の混ざり合った魔力の塊を待機させたエヴァが叫んだ。

「来るがいい、ぼーや!!」

 頼まれ承諾したこととはいえ、敵である少年に発破をかけ、呪文の完成を待って、エヴァは掲げていた手をネギに向けた。
 エヴァの呼びかけを合図に、ネギが手に集束させた雷と轟風を解放した。

 ――雷の暴風!!
 ――闇の吹雪!!

 両者の手から解き放たれた雷を纏った暴風と、身を裂く冷気を纏った闇の奔流が激突し、橋を震わすほどの轟音を立てる。
 ネギとエヴァ、二人が持つ膨大な魔力が鎬を削り、青白い火花を散らした。撃ち出した魔法を支える手が震え、ネギの顔が苦痛に歪む。

「うううっ、うぐ」
「ぐっ……ククッ」

 少なくとも、ネギと同じ程度に苦しいはずのエヴァだったが、その表情にはまだ若干の余裕が見られた。
 恐らく、生まれ持って保有していた、父譲りの膨大な魔力を使いこなせていないネギと、六百年を越す長い時を魔法とともに過ごしてきたエヴァとの、年季の差が現れているのだろう。
 しかし、ここで諦めるわけにはいかない。徐々に押し込まれている『雷の暴風』を支えながら、弱気になって逃げたりはしない、と意志を込めて上空のエヴァを見上げ、

「ええい!!」

 と、最後の気合とともに魔力を放出しようとしたネギだったが。

「は……!? ふぁ、はぁ――」

 突如、鼻先をくすぐったものに、自然と体の力が抜ける。許容量を超える魔力に自壊を進めていた子供用の練習杖の破片が、風に呷られてネギの鼻へ潜り込んだらしい。
 戦闘の真っ最中、しかも強力な魔法の撃ちあいをしている時だというのに、ネギが大きく息を吸い、

「ハックシュン!!!」

 唾を飛ばして、爽快なまでに大きなクシャミをした。
 それがただのクシャミなら、『雷の暴風』が押し戻されてネギが敗北するという結果もありえたのだろう。だが、ネギのクシャミ。これが曲者だった。
 使い魔を召喚する魔法の制御途中でクシャミをしたした――それだけの失敗でジローを喚び出してしまうほどの、何が起こるのかわからない魔力の暴発を起こす悪癖。
 この場面でも、そんなネギの悪癖は予想だにしない効果をもたらす。
 手に持っていた練習杖が崩壊すると同時に、異常な量の魔力を上乗せされた『雷の暴風』が、ついさっきまで押し負けていた『闇の吹雪』を突き破って、エヴァ目掛けて猛スピードで奔った。

「な、何!?」

 ありえない現象に目を剥いて驚くエヴァを、雷を纏う轟風が飲み込んで、周囲を昼間と錯覚させるほどの閃光と爆音を響かせた。
 

『や、やったぜ兄貴! あのエヴァンジェリンに打ち勝ったぜ!? 信じられねー!!』
「え、えーっと……」

 カモの言う通り、本来なら起こりえない光景を目にして複雑そうに呻き声を洩らすネギ。自分でやったこととはいえ、クシャミが切っ掛けで魔法の撃ち合いに競り勝ったというのは、はたして喜んでいいのだろうか。
 ネギの脳裏を、クシャミが原因で起こしてしまった諸々の事件や騒動が蘇る。ジローを召喚してしまったり、出会ったばかりの頃にアスナのパンツだけを消してしまったり、服をボロボロにして裸にしたり、裸にしたり、真っ裸にしたり。
 色々な意味で悲しくなって、頭を抱えて蹲りそうになったネギの耳に、煙の中から低くおどろおどろしい、気のせいで済ますには重過ぎる声が届いた。

「――――やりおったな、小僧……」

 痛い記憶から復活して顔を上げたネギが目撃したのは、着ていた黒いネグリジェ風のドレスを破かれ、素っ裸で浮いているエヴァであった。
 ささやか、いや、密やかと表現すべきか。とにかく、その程度の胸元を手で隠して宙に浮いているエヴァの髪が、まるで怒り狂うヒュドラのように波打っている。
 ただ単に、風に吹かれて揺れているだけだと思うが、少なくともネギにはそう見えた。

「ヒ、ヒイィ……ッ!? ゴ、ゴメンなさい、脱がしてゴメンなさいッ!」

 半泣きで謝りながら、ネギは思い出していた。「御免で済んだら、警察も記憶消去の魔法も必要ない」という、実に重い響きを伴ったジローの金言を。
 恥辱を与えられ、こめかみには青筋を、口元には引き攣った笑みを浮かべてエヴァが称賛を浴びせてくる。

「フ、フフフ、頼まれて半分は遊びでやっていたとはいえ……期待していたより面白いことをしてくれたな、ぼーや……。さすがは奴の息子と言うべきかぁ?」

 深い、底があるのか覗き込むのが怖いほどの、深い怒りを滲ませた声。顔面を蒼白にさせながら体を震わすネギに、表情を真剣な――というより、本気と書いてマジ切れと呼ぶものに変えて、エヴァが体の前で腕を振って宣言する。

「だがぼーや、まだ決着はついていないぞ!!」

 先ほどの『雷の暴風』と『闇の吹雪』の撃ち合いで、精神力と魔力が底を尽きかけて膝を突いているネギが、苦しげに歯軋りをする。
 出来ることなら、もう負けを認めてしまいたい。降参して楽になることを囁きかける声に抗って、震える腕で苦労して自分を立ち上がらせた時、勝負の経過を見守る形になっていた茶々丸が、何かに気付いて注意を喚起する声を発した。

「――! いけないマスター、戻って!!」

 普段の慇懃で物静かな様子からは想像できない大きな声。そのことを訝しく思い、自分の従者へエヴァが視線を向けた瞬間、

 ――バシャッ!!

「な、何!?」

 ストロボを焚くのに似た大きな音を立てて、吊り橋に設置された巨大なライトが点灯し、空中に佇んでいたエヴァを照らし出した。

「予定よりも7分27秒も停電の復旧が早い!! マスター!」
「チッ! ええいっ、いい加減な仕事をしおって!」

 表情は普段通りの無表情だが、声に必死なものを滲ませて叫ぶ茶々丸。その声を聞き、予定よりも早く仕事を終えた技術者達へ悪態をつきながら、血相を変えてエヴァは橋の通路に降り立とうとして――

 ――バシンッ!!

「きゃん!?」

 一筋の静電気程度の太さの電気の糸が、エヴァの体に触れた途端、怖気を誘う感電の音を響かせた。雷に打たれたように大きく体を仰け反らせたエヴァの体が、橋の下に広がる湖面に向けて、糸の切れた人形のように堕ちていった――――






「――マスター!」
「キャン!?」

 学園都市のメンテナンス作業が終了したことで復活した結界により、再び力を封印されたマスターが、橋の下に広がる黒い湖の水面に向けて落下を始めた。

「ど、どうしたの!?」
「停電の復旧でマスターへの封印が復活したのです! 魔力がなくなれば、マスターはただの子供。このままでは湖へ……あと、マスターは泳げません」
「ウソ! 空飛べるのに!?」

 何が起きたのかわからず、神楽坂さんが私へ尋ねてこられたので、手短に質問に答えながら、私は身体を宙に躍らせた。
 背後のブースターを展開させて、眼下を落ちていくマスターに追いつこうとするが、

「そんな――マスター」

 私に内蔵された演算装置は、既にマスターの救出は不可能であると結果を弾き出していた。
 そんなことはない。あらゆる可能性を探りながら、尚ブースターの出力を上昇させる。

「エヴァンジェリンさん!!」
「!!」

 その時、私の横を魔力が尽き、ろくに動くことも出来ずに膝を突いていたネギ先生が、マスターへ両手を伸ばしながら落ちていった。

 ――一体何のために?

 橋の欄干を蹴って得た加速で、私よりも早くマスターに接近していますが……。魔法を行使するのに必要な魔法発動体――子供の練習用杖は先の戦闘で壊れてしまいましたし、お父様の形見という木製の杖はマスターの手で、眼下の湖の黒い水の中に沈んでいます。
 マスターに追いついたところで、救助を待つだけしかないはずなのに、どうしてそのような無駄なことを。
 ネギ先生にしろ、茶道部の部室でマスターに無茶な取引を持ちかけた『あの人』にしろ。何故、『人』というのは私には理解できない行動を取るのでしょうか。

(――いえ、今はそのことを考えても仕方ありません)

 私がすべきことは、ただマスターをお助けするのみ。過剰な負荷のためか、背中で軋みを上げ始めているブースターをさらに酷使して、マスターに近付こうとする。
 視線の先で、落下していたマスターの目が薄っすら開き、私とネギ先生を映しました。それがわかる距離なのに、お助けすることができない。
 そのもどかしい現実が、私の思考にノイズを走らせた。もうマスターの体が湖に没してしまう。
 今の季節、まだ水は冷たい。泳げないマスターにとって、それはどれほど酷なことでしょうか。
 仮にマスターが泳げたとしても、橋の路面から湖まで優に十メートルを超えています。そんな高さから水面に叩きつけられれば、見た目通りの身体能力に戻っているマスターのこと。よくても意識を失い、運が悪ければ骨を折ってしまうかもしれません。

 ――――――マスター……マスター!!

 マスターに追いつき、腕を掴むことに成功したネギ先生を掴み取るために手を伸ばしながら、声にならぬ叫びを上げる。
 あと僅か、ほんの十数センチの距離。たったそれだけの距離なのに、私の手はマスターの手を掴んだネギ先生に届きませんでした。
 悔しいと、私はそう感じたのでしょうか。本来ならありえないことなのですが、私が至らないがために水中に没するはずのマスターとネギ先生を見たくないと言うように、私の目が閉じられた。
 ですが――

「あー……いくら暖かくなったからって、まだ泳ぐには早いと思うぞ? 寒中水泳だった場合は、時期的に少し遅いしな」

 私の聴覚センサーには、いつまで経ってもマスター達が水中に没する音は届かず、代わりに届いたのは、どこかのんびりとした声でした。
水面を見る私の頭上から声が聞こえたのはそこまで思考していた時でした。
 聞き覚えのある声に、閉じてしまっていた視覚が開いて、状況の確認を自動的に開始する。
 すぐ下には湖。少なくとも水面は穏やかで、人が飛び込んだようには見えません。では上でしょうか。
 ブースターの出力を抑えてホバリングしながら顔を上げると、そこには聞き覚えのある声の主が、マスターとネギ先生の二人を両脇に抱えて浮遊していました。

「ジ、ジロー先生……?」
「はいはい、その通りですよ。呆けてるとこ悪いけど、こっちを持ってくれないか? 両方持つのは面倒だから」

 どこか飄々とした笑みを浮かべて、小脇に抱えたマスターを私の方へ向けるジロー先生を睨み上げて、抱きかかえられたままのマスターが抗議される。

「ぐっ、この私を荷物扱いか!? この馬鹿使い魔! というか貴様、助けるなら助けるでもっと早く出てこんか!!」
「ジ、ジローさーん、どこにいたんですかぁー! とっても怖かったんですよぉーーーー!?」

 マスターにつられて、ジロー先生の脇に抱えられているネギ先生が、目を潤ませながらジタバタされています。

「い、痛い!? 腕に爪を立てるな! ネギも暴れるな! 落ちる、落ちるぞ!?」

 一人私を置いてけぼりにして、騒いでいるマスターと、ジロー先生とネギ先生。
 それを見ながら、私は考えました。茶道部の部室で話を終えての帰り道。ふとした興味から、一緒に帰宅した際に聞いた質問にジロー先生が返した答え。

 ――ネギのことは『大切だけど大事ではない』?

 同じマスターや主人に仕える存在として理解できない在り方、考え方。
 大事なものは傷の一つも許せない。逆に言えば、大切なものは――ネギ先生が傷つくのは問題ない。そう言いながら、こうしてきちんと助けるという、矛盾した行動を取っている人。

「あー、もう……あれだけドンパチやったのに、元気な奴らだ」

 マスターとネギ先生の二人を、湖に落とされたくなければ大人しくしろ、と脅して黙らせて荒い息をついているジロー先生に、私は聞こえないよう呟いていた。

「――八房ジロー……『変わり者』と同時に、どうやら天邪鬼な人でもあるようです」

 きっと天邪鬼というのは、漢字でそう書いて『ウソツキ』と読むのに違いありません。ため息をつきながら、結局一人でマスターとネギ先生を抱えて、神楽坂さん達が待つ橋を目指して高度を上げるジロー先生についていきながら、私はそう考えた。
 もしかすると、そう考えた時の私の表情は、クラスの皆様が浮かべるものほど明確ではなかったと思いますが……笑顔、というものだったのかもしれません――――






 拝啓、あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。
 つい先日……ぶっちゃけ昨晩、ネギとエヴァによって行われた人外魔法大決戦。それを最後の最後まで、自分は遠くから見物するだけのつもりだったのですが、予定外のアクシデントのために飛び出してしまいました。
 まあ、ネギとエヴァが二人して季節外れのダイビングをするのを阻止できたので、行動としては間違っていなかったと思います。
 ただ、橋の上に降ろした後、救助に来るのが遅いと喚き立てて脛を蹴ってきた金髪幼女や、エヴァとの戦いが、実は仕組まれたものであったと知って大泣きしたネギを宥める仕事が、俺に回ってきたのはどうかと思います。
 後者はともかく、前者については側にいる茶々丸に任せたかったのだが。彼女に助けを求めたら、なんだか無表情にしては楽しげな顔で、

 ――ああ、マスターがとても楽しそうにしておられます。

 なんて、満足そうに吐息を洩らしておられました。
 そういうところで人の助けを求める視線を無視する、無駄に高性能なスルー能力を搭載するのは止めて欲しかったです、うちのクラスに生息している開発者二名。
 それはさて置き、現在の私が何をしているのかと言いますと――

「まったく、君は何を考えているんだ!? ネギ君と『闇の福音』――エヴァンジェリンを戦わせるなんて!」
「いやー、なんと言いますか……良かれと思って仕組んだことでして――」
「良かれと思って? 将来有望であるネギ君が、そんな思いつきで再起不能になるほどの怪我を負ったらどうするつもりだったんだ?」」

 現在、褐色肌に黒髪をスポーツ刈りしている魔法先生――ガンドルフィーニ先生に呼び出し喰らって、こうして説教を受けておりますです、ハイ。
 大停電の夜、ネギとエヴァの戦闘が終わった後も、こんな感じにお叱りを受けたんだけど……あの時は、学園長や高畑先生、ついでに瀬流彦先生とか、根回しとかしていた穏健派(?)な方々に助けてもらったしなぁ。
 どうやら怒り足りなかった分を、今日消化してしまおうという腹積りらしい。

(魔法先生の中でも頭が固い……というか、善悪の判断基準がキッツイんだよねー)
「聞いているのかね!?」
「あー、はい、聞いてます。怪我したらと言いますが、昨夜の戦闘に関してはエヴァ……エヴァンジェリンとの約束がありましたし、その点についての心配はなかったと思うのですが……」
「所詮は口約束だろう? それを彼女が確実に守るという保証は!」

 普段はもう少し冷静な部分も持っている人なのだが、ネギを――サウザンドマスターの忘れ形見を危険に晒したということで、血を昇らせているらしい。
 口約束がダメなら人間誰も信用できませんよ、と突っ込みたくなることを怒鳴ってらっしゃる。
 きっと魔法先生同士の口約束なら、どうして信用できないのだー、と仰られるのだろうけど。

「以前からそうだが、何故君は独断専攻に走るんだね? 周りに多くの魔法先生がいるのだから、もう少し協調をだね――!!」

 タイミングのいいことに、俺達がいる職員室には一般人の先生もおらず、こうして大きな声で非難は続く続く。
 いつまで話が続くのだろうか、とぼんやり考えながらこっそり周囲の様子を探ると、瀬流彦先生や高畑先生と目が合った。

(えーっと……が、頑張って!)
(やー、災難だね……)
(まあ……仕方ないですよ)

 同情的な眼差しを向けて語る二人に、半ば達観した眼差しを返しておく。

「それとだ、相手がいくら封印から解放されたエヴァンジェリンとはいえ、そのだね……どこで仕入れたのかは知らないが、あのように力を持った魔法剣や刀をネギ君に持たせて反撃させるというのも、些かやり過ぎなのではないかね?」
「あー……それはですね、ほら、『殺られる前に殺る』という言葉に従って――」
「き、君は! 過剰防衛にもほどがあるだろう!? いくら過去に罪を重ねた者とはいえ、一応はこの学園の生徒でもあるんだぞ?」

 ネギを危険に晒したことへの説教ネタは尽きたのか、今度は対エヴァ用でネギに持たせた魔法刀剣についての追求が。
 えらく歪んだ方向ではあるが、何だかんだで生徒って理由をつけてエヴァの心配している辺り、『いい人』ではあるんだよなぁ。
 力を取り戻したエヴァは危険だけど、最弱状態のエヴァは他の生徒と一緒で、守ってやらねばならない存在の範疇に含んでるっぽいし。

(こーやって俺に説教してるのも、いわゆるお節介から……)
「君の立場が我々と多少違うとはいえ……いや、だからこそだ。下手なことはせず、周りの人間に頼ってだね――」
「はあ、そうですね……ガンドルフィーニ先生の仰るとおりだと思います」

 なんとも複雑な優しさを持った方だ。多少は頭の温度が下がってきたのか、怒鳴りつけるだけから諭す口調に変化しているガンドルフィーニ先生を刺激しないよう、注意して頬を掻きつつ同意しておく。
 こうして親切心から声を掛けてくださる程度の関係を築けている時点で、七割方、俺の目標は達しているのですがね。
 だからといって、長いお説教や「我々が目指すべき正義とは――」なんて演説はご遠慮願いたいのですが。
 とうに帰宅準備は整っているのに帰れないもどかしさに、バレないよう顔を顰める。今日は珍しく、早めに帰っていいと学園長直々に言っていただいたというのに……。
 この調子だと、夜まで帰れそうにない。そう思ってため息を洩らしそうになった時、

「――お話の途中、すみません」
「ん?」
「おや、シャークティ先生……」

 唐突に横から口を挟んできた銀髪褐色肌のシスターに、ガンドルフィーニ先生と一緒になって首を傾げる。いつ職員室に入ってきたんだろう。
 訝しげにしている男二人を気にすることなく、一瞬だけ俺を見た後、シャークティ先生がガンドルフィーニ先生に提案した。

「ガンドルフィーニ先生、もうそろそろ、お説教は終わりにしてもよろしいのでは? さすがのジローく……ジロー先生も反省しているはずですし」

 そう言って、温度の低い紫がかった瞳を細めてこちらを見ながら、念を押すように聞いてきた。
 何だろう、「さすがに」じゃなくて「さすがの」って言う辺り、そこはかとない嫌味を感じる。

「――反省はしていますよね、ジロー先生?」
「え゛? ぁ、あー……ハ、ハイ、モチロンデス」
「……フム」

 表現し難い威圧感にどもりながら、シスターの言葉に何度も頷いて肯定する。それを見て、ガンドルフィーニ先生もお説教にある程度の効果があったと考えたのか、自分の腕時計を見るポーズを取ってから、お小言の終了を告げる。
 どうしてか、俺にはそれが新たなお説教の始まりにしか聞こえなかったが。

「もうこんなに時間が経っていたのか……では、ジロー君。今日は君は早引きのはずだったね。ウム、昨日は――ここ最近は休みも少ないことだし、今日はもう帰って休みなさい」
「は、はい……」

 わざわざ言い直す辺り、うちのクラス――3Aが起こす騒ぎや、稀にネギが起こす騒動の後始末で駆け回っている俺に同情していることがわかる。
 こっちを見ているガンドルフィーニ先生の哀れんだ目を見ないようにしながら、小さく頭を下げて席に戻り、

「や、災難だったね、ジロー君」
「まあ、自業自得ですし。それじゃ、すみません、俺は一足先に帰らせてもらいますね」
「うん、気をつけてね」

 側の席に座っている瀬流彦先生や、少し離れた場所で軽く手を上げている高畑先生に挨拶だけして、足早に職員室を出る。
 廊下に出た瞬間、僅かに腰を落として足に力を込めて、少しでも早く、ほんの一刹那の時間だけでも早く、この場から離れようと――

「――教師が廊下を走るのは感心できませんよ、ジロー先生?」
「……………………ハイ」

 一体いつの間に背後を取られたのだろう。後ろから実に優しい手つきで肩を掴んで、窘めてくださるシャークティ先生にぎこちなく頷く。
 いつもは君付けなのにわざと「先生」と呼ぶ辺り、彼女の機嫌が麗しくないことが知れた。
 できれば振り返りたくないと思いながら、背後に立っておられるシスターの顔色を窺うと、そこには実に素晴らしい笑顔なのに、こめかみに血管マークが貼り付いているシャークティ先生が立っていた。

「お……お説教はもう、お腹一杯なんですけど」
「そうですね、ガンドルフィーニ先生に随分、油を絞られていましたし」

 掴んだ俺の肩を放すことなく、大袈裟に頷いて見せたシャークティ先生は、小さく首を傾げながら仰られた。

「ですので、お腹ごなしの運動をしていただこうと思いまして」
「…………オナカゴナシじゃなくて腹ごなし、ですね」

 あっさり言い切ってくださったシスターに、糸目の端に浮かべた涙を輝かせながら訂正しておいた。
 そして声に出さず訴えかける。シャークティ先生、一つ言ってもいいですか? たぶん、これからシャークティ先生がさせようとしていること……腹ごなしじゃなくて、『デザートは別腹』って類のことだと思いますよ。

(俺が何をしたって言うんだー……)

 ズルズルと肩を掴まれた状態で廊下を引き摺られながら、俺は溜めに溜めたため息を吐き出した――――






 当然というべきか、抗議虚しく連行された教会にて。

「ハァ……」

 時折、ため息を洩らしながら、俺は一人寂しく掃除に精を出していた。
 どうも、エヴァによるネギ襲撃の計画を秘密にしていたことが気に入らなかったらしく、

『隠し事をするのは、心に疚しいものがあるからです。というより、そんなに私達、魔法先生のことが信用できないのですか。少なくとも事前に説明していただければ、私も黙っておく程度のことはしたのですよ?』

 プンスカしながら、反省のために掃除を申し付けて教会の奥へ去っていかれた。

「……ジロー、手が止まってる」
「あー、すーみーまーせーんー。ったく、本当に掃除してるのか?」

 監視役としてシャークティ先生が残していった、褐色肌に感情の起伏が少なそうな据わった赤い瞳をした少女――ここの教会でシスター見習いをしているココネが、後ろから小さな声で注意してきた。
 投げ遣りに謝って、止まっていた掃除の手を動かす。なんか綺麗なとこと汚れてる場所の違いが激しすぎるぞ。
 窓の端っこや桟など、手を抜いて掃除していることがわかる部分を拭いて汚れた雑巾をバケツに突っ込み、水を絞って次の窓に取り掛かる。
 あー、手の届かない場所は本当に形だけしか拭いてないよ……。

「こういう掃除はココネ達がするべきだと思うんだけどねえ……。俺、教会には縁もゆかりもないし」
「でも、シスターシャークティが掃除しなさいって言ってタ」
「いや、それはそうなんだけどさ……」

 まあ、縁もゆかりもないっていうのは、ある程度シャークティ先生やココネ達にも当て嵌まることだけど。
 教会に属してはいるけど、一番の目的は魔法使いであることを隠すカモフラージュみたいなもんだしな。
 ここじゃない、武蔵麻帆良の方にあるでっかい教会だって、下にある魔法協会の人間界日本支部施設ー、とかいうのを隠すために建ててるっぽいし。
 魔法使いって何を信仰してるのだろうか、と考えながら次の窓を拭き始めた時、教会の入り口の扉がバタンッ、と蹴りでも喰らったような勢いで開いた。

「WAWAWA〜、忘れ物〜♪ 別に忘れ物はないけど、掃除はある〜……って、ジロー先生?」」

 調子の外れた歌を口ずさみながら現れたのは、麻帆良学園の女子中等部の制服――最近、衣替えした、チェックの入った蘇芳色(たぶん、今時の子には臙脂でも小豆色でも通じないだろうし……濃い赤でいいや)のブレザースカートにブラウス、その上に肩で切れているジャケットを着た、ショートカット……セシルカット、だったか? とにかく短い髪型の少女――春日美空嬢だった。

「ヤッホ、ココネー」
「……」

 教会の扉を閉めて、挨拶代わりにココネの頭をグリグリ撫で回した美空が、不思議そうに聞いてくる。

「何でジロー先生が、いつもは私がするはずの教会の掃除をしてるんスか?」

 陸上部に所属しているせいか、礼儀正しくないけど砕けてもいない中途半端な言葉遣いで尋ねる美空に、窓を拭く手を止めずにしんみりしながら答える。

「あー……お前は寝てたから知らんだろうけど、昨夜の事だ。うちの御主人が『闇の福音』と事を構えたんだけど、そうなるよう裏で仕組んでたことがシャークティ先生にバレてなぁ」

 一通り拭き終えた窓を確認して、汚れが残っていないと満足げに頷き、近くにあった礼拝の時に座る長椅子に腰掛けた。
 同じように側にあった椅子に腰を下ろし、膝にココネを乗せた美空が雑談モードに入る。

「へ、へー、そりゃ災難だったッスね。シスターシャークティ、こないだの一件以来、ジロー先生のこと気にかけてるからさー」
「こないだの一件って……ああ、廃教会の調査のことか。狼男の亜種みたいな犬男が出た奴」
「そそ、あの時にジロー先生、シスターシャークティのこと庇って怪我したでしょ? それも手伝って――」
「美空……」
「オット、これはオフレコで! 聞かなかったことにしといてね、ジロー先生だから問題ないと思うけど!!」
「あ? ああ、別に構わんけど」

 何かまずいことでも言ったのだろうか。膝の上のココネにジトッとした目を向けられ、慌てて口の前に指を立てる美空を訝しがりながら頷いた。

「…………」
「ど、どうした、ココネ」
「ン」

 今度はこちらに温度の低い瞳を向けるココネを不思議に思って聞くが、感情の薄い赤い目を据わらせた少女は、フルフルと首を振って何でもないとアピールする。

「しっかし、ジロー先生も無茶なことするもんだねー。ネギ先生と『闇の福音』が事を構えるようにー…………って、へ?」
「どした、美空」

 ヘラヘラと笑っていたのに、急に石化した少女に眉を顰めて聞くと、急に顔色を悪くして嫌な感じに汗を流し始めた美空が、震える指で俺を指して素っ頓狂な声を上げた。

「ちょっ、ま、待って。やみ……闇、『闇の福音』!? なに、どうしてそんな魔法界のなまはげの名前が出てくるの! ってか、そんな超大物が麻帆良に来たッスか!?」
「へー、なまはげなんだ、『闇の福音』って」
「夜、ちゃんと寝ないとさらいに来る……」

 美空の叫びを聞いて糸目状態で呟く俺に、美空の膝上から真剣な顔でココネが教えてくれた。どんなけ怖がられてんだ、エヴァの奴……。
 少なくとも災いを祓って幸福を授けてくれるだけ、本物のなまはげの方がありがたみがあると思いながら、恐怖にガタブルしている美空へ伝える。

「まあ心配するな、あくまで昨日の一晩限りだし。もうどっか行ったよ(カリスマとか能力喪失的な意味で)――でだ、そんなこんなで隠し事したせいで、更生のための奉仕活動を強制されてるわけ」

 深々とため息をついて、休憩を終えて掃除を再開するために立ち上がる。バケツに入れていた雑巾を取り出して絞る俺に、膝の上のココネを隣へ降ろした美空が、白々しい笑みを向けて言った。

「何時もながら御苦労様です。んじゃ、私は着替えのために少しの間、出かけてくるッス!」
「待てーゐ」
「キャー!?」

 踵を返して扉の方へダッシュしかけた美空の襟首を掴んで制止。嘘っぽい悲鳴を上げる美空を窓まで引っ張り、桟をなぞって指についた埃を見せ付ける。

「お前も一緒に掃除しようや、掃除。なんだこれ? 一通りやったけど、ちょっと高い場所とか一ヶ月は放置した汚れ具合だったぞ」
「ヤ、ヤダナー、そんなに放置してるわけないじゃないッスか……」

 アハハ、と死んだ魚みたいな目を逸らして否定する美空に嘆息し、聞かせるでもなく呟いた。

「ハァ……素直に認めて掃除手伝うなら、黙認してやらんでもなかったのに――」
「ほんの二週間ほどです! もう、全力で手伝わせていただきます、サー!」

 途端、手の平を返したように直立不動で敬礼する美空。この様子から察するに、普段からよほどシャークティ先生に怒られているのだろう。
 見た目通りというと失礼かもだが、怠けたりする人には結構、厳しいんだろうな。常に彼女の元で指導を受けている美空に同情しつつ、バケツに入れてあったもう一枚の雑巾を絞って手渡した。

「ホイ、じゃあ美空はあっち側な。俺はこっち側をやるから」
「了解ッス! ハー、メンド……まあ、ジロー先生がいる分、楽になるからいっか」
「……聞こえてるっての」

 雑巾を受け取って、小声でぶつくさ呟きながら掃除に取り掛かる美空にジト目を向けて、同じように掃除を再開する。
 途中まで掃除を終わらせてた方を任せて、少しだけ楽させてやろうと思ったのに……まあいいけど。

「……頑張れ、ジロー」
「はいはい、一生懸命やらせていただきますよー」

 元気のない、というかテンションの低い応援に返事しながら掃除に集中する。
 美空の戦力を少なめに見積もっても、あと半刻もあれば綺麗になるかな……。






「――ジロー君、ご苦労様。もう掃除はいいですから、お茶でも……あら、美空も来ていたのですか」

 区切りのいい時間を見て、奥の居住部分から顔を出したシャークティ先生が、雑巾片手に窓を拭いている美空を見て少し意外そうにする。

「ハーイ、一人掃除していたジロー先生を見るに見かねて、こうして善意の手伝いを!」
「それは素晴らしいことですね。だけど奉仕活動をするなら、ちゃんと服を着替えること」
「――うへぇい」
「きちんとした返事をなさい」
「ハイ……」

 調子のいいことを言ってサムズアップする美空だったが、シャークティ先生に素気無く一刀両断され、微妙な顔で呻き混じりの声を出していた。
 きっと普段が普段のせいで、何をやってもマイナスがゼロに近付くだけで、プラスにならないのだろう。ココネと一緒になって、少しだけ不憫そうな目を向けておいてやった。

「あー、一通りざっとですが、少しは綺麗になったかと」
「フム。ん、綺麗になっていますね…………いつも以上に」

 窓際に近付いて、軽く確認してシャークティ先生が呟く。どうやら本気で言っているらしいが……だったら普段はどうなのだろうか。

「ピカピカだ、さすがジロー」
「ちょ、私の努力は!?」

 シャークティ先生に倣って、同じように掃除した場所を確認して言ったココネに、白目を剥いた美空が抗議する。
 それに対して、

「……美空が拭いた高い場所、いつも角が汚れてる」
「ちょちょ、ココネ!? それは――!」

 ココネは丸く窓を拭く真似をして、普段の美空がやっている悪行をばらして黙らせた。

「なんで丸く拭くんだ……?」
「え? そりゃー、ダルイし面倒でサクッと終わらせたいから――ぁ」

 半ば本気で不思議に思ったのもあるが、俺の誘導尋問に引っ掛かった美空が途中まで言いかけて、ピシリと石になる。
 石化した美空に、目を細めたシャークティ先生が微笑みかけるが、その表情は怖いです。なんというか、蛙を見つめる蛇っぽくて。

「ホウ……」
「ア、アハハー、冗談ですってー……」

 青褪めた顔で誤魔化し笑いを浮かべる美空から視線を外し、こちらを見たシャークティ先生は、

「それではジロー君、ご苦労様でした。向こうの部屋にお茶とお菓子を用意していますから行きましょう」
「へ? あ、はい」

 そう言って、さっさと美空に背中を向けて歩き出した。

「今日のお菓子はクッキー、手作りダ」
「へ、へー、そりゃ楽しみだ」

 戸惑いながらだが、それに続いた俺の横を歩いていたココネが、本日のお茶菓子を教えてくれる。

「し、素人の作ったものですから、そんなに期待しないでいただけると――――ああ、美空。あなたには懺悔室の掃除もお願いしておきますね? できればちゃんと着替えてから」
「ワッツ?」

 唐突に振り返って気持ちよく命じたシャークティ先生に、こっそりついて来ようとしていた美空が、信じられないといった顔で再度固まった。

「当然です……しっかりやるんですよ?」

 一片の慈悲もなく命じて、振り返ることなく颯爽と歩いていくシャークティ先生に、本当に容赦ないなと妙な感心をしながら、立ち尽くして灰になっている美空へ耳打ちしておく。

「あー……端から雑巾の幅一杯使って、左右に拭いてくと早いし楽だぞ。それと、お菓子は取っておいてやるから、ちゃちゃっと済ませてこい」
「うぅ、イエッサー。ジロー先生、中途半端に優しいから好きだよー」
「それ褒めてるか?」
「モッチロン」

 涙を拭って、まずは服を着替えるために更衣室へ向かう美空を見送ってから、シャークティ先生達に追いつく。

「……美空に何を吹き込んだのですか?」

 やや警戒した視線を飛ばしてシャークティ先生が聞いてくるが、俺が何かしたらまず疑うというのは、些か酷いのではなかろうか。
 そんなに信用ないのだろうか、と密かに悩みながら答える。

「いや、掃除を早く、かつ楽に綺麗にする方法をば」
「美空にピッタリダ」

 感心した風に目を丸くして呟くココネに、口元を緩めて教えてやった。

「掃除なんて、コツを覚えたらいくらでも楽にできるんだぞ? むしろ、ダラダラタラタラやる方が、疲れるし面倒くさい」
「そうなのか」
「そうなのだ、ってな」

 フンフンと納得して頷くココネに眉を寄せ、複雑そうにシスターが抗議してくる。

「フゥ……まじめに楽をする方法を教えないでいただけますか?」

 これ見よがしにため息をついて、眉間に人差し指を当てて歩いていくシャークティ先生の背中を眺めつつ、首を傾げてココネに聞いてみた。

「あー、また怒らせたか?」
「……ちょっとわからない、微妙ダ」

 彼女をよく知る少女にもわからないらしい。同じく首を傾げているのを見て、どうしたもんかと嘆息する。
 まあ、掃除で心を清めるー、みたいな考え方は仏教や神道でもあるしな。修行の一環なのだから、楽をさせるなってことか。

「ちなみに知ってるか、ココネ。普通に肉体とか戦闘技術やらを鍛えるのは修業で、心や精神を鍛えるのは修行って書くんだぞ」
「業と行……?」
「そうそう。ココネ達のシスター見習いの活動は……どっちなんだろう」
「…………ワカラナイ」

 手の平に修業と修行の二つを書いてから、シスター見習いであると同時に魔法使いとしての勉強をしている場合はどっちに入るのか、とココネと一緒になって悩む。

「ふむ、後で聞いてみるか」
「ウン」

 餅は餅屋に、魔法シスターのことは魔法シスターに。そう結論を出した俺とココネは、とっくに奥の部屋に消えてしまったシャークティ先生を追って歩き出した――――






後書き) 改正前と比べて、後半部分がかなり変わった……というか増えました。後日談的なもので。ええ、教会組が好きですよ……。
 これでようやく、エヴァ編までの改正が終了。次からは改正の本命の修学旅行編。主に戦闘やらをマトモなもの――魔法先生ネギま!チックに変えられるとは思えないので、趣味に走った時代小説っぽいもの目指してやっていきます。
 感想、アドバイスや指摘、お待ちしております。


「修学旅行・準備編」



(拝啓、あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。先日のエヴァの一件が終わった後、少しは平和な時間を過ごせるんじゃないか……。そう思っていた時期が、俺にもありました)

 時は四月の中旬。草木が萌えいずった頃。
 何の因果か、至って普通の普通人をやっていたのに、ネギ・スプリングフィールドに使い魔として召喚されてしまった青年・八房ジローは、胸中で某地下闘技場チャンプの少年みたいなことを呟いて、こっそりとため息をついた。

「わかっていました、現実逃避だって。ああ、やることが尽きないって楽しいなぁ」
「えーーと皆さん!! 来週から僕たち3Aは京都・奈良へ修学旅行へ行くそーで!! もーー、準備は済みましたかーー!?」
『はーーーい♪』

 麻帆良学園女子中等部、一応ご主人様であるネギが担任を務める3Aの教室にて。
 授業終了後のホームルーム、ジローはこれまた色んな巡りあわせで務めることになった副担任の仕事――大半はネギに任せて、副担任として仕事を行うのは、ネギだけでは3Aの騒ぎを抑えきれなくなった時ぐらいがいいなぁ、と常日頃から思っている――を形だけ行いつつ、窓際で物憂さげに深くて長いため息をついた。

(今日は普段の三割り増しでテンション高いなぁ、みんな。ネギは……まあ、生まれて初めての古都と仏閣巡りが待ち切れないのはわかる)

 教壇から降りて、見た目小学生な双子――鳴滝風香と史伽の二人と一緒にバタバタやっているネギに半眼を向け、指で自分の頭を掻く。
 自分の通っていた中学の修学旅行はどこに行ったか、と振り返ってみた。

(俺らの年は沖縄だったかー……。修学旅行らしい場所だったよなぁ)

 沖縄で見た防空壕跡などが脳裏に蘇り、しみじみと感傷に浸りながら考えた。
 近年、国際化とやらが進んで、やれハワイだオーストラリアだという流れらしいが、やはりもっと身近な場所でインパクトの大きいものを見て学ぶ。それこそが修学旅行の正しい形だろう、と。

(ま、好き好んで戦争の悲劇やら見ろ、とは言えないけどな。興味あるなら自分で調べろ、と)

 自分なりに色々と考え、知識として吸収できれば修学旅行の目的は達成だ。適当にまとめ終え、ジローは落ち着きのないクラスを見渡した。
 女子中学生らしいノリ、なのか。自由気ままに席を立って、班決めや持っていくお菓子などを相談している生徒達の中、自分の席に座ったまま、肘を突いて頭痛を堪えるような顔をしている二人の少女に気付いた。
 一人は、長い髪の前側両サイドは三つ編みにして鈴のついたリボンで括り、後ろ側は真ん中から二つに分けてリボンでまとめてある、小柄で厭世家じみた雰囲気を持つ、綾瀬夕映という少女。
 もう一人は、ロングヘアを大雑把に背中側で一つに縛っている、眼鏡をかけた長谷川千雨という名の少女。
 両名とも騒がしいクラスメイトに呆れているのか、皮肉などが混ざった冷めた眼をしていた。
 一般水準程度の常識を持ってしまったが故に、クラスの浮ついた空気に溶け込めないのは不運なのだろうか。
 どこか哲学的にも感じる疑問に首を傾げた後、ジローは夕映と千雨の二人に同情の眼差しを向けて、胸中でお悔やみの言葉を送っておいた。

(あー、諦めて受け入れておくのがいいと思うぞー。自分達は不幸じゃないって信じるんだ)

 しかし、ジローが送りつけた無言の慰めに返ってきたのは、

(なんですか? 恐ろしく不愉快な、憐れみを含んだ視線を感じるですよ)
(ちょっ、同情の眼差しだと!? 何であんたが人のこと、かわいそうな奴扱いしてんだよ!!)

 「お前が言うな」と実に雄弁に語る、純天然ものの憐憫製な熨斗が付いたジト目。

「…………」
「ござー……」
「あー……」

 よくよく教室を見渡してみれば、夕映や千雨だけでなく、サイドポニーで傍らに袋に入った野太刀を置いている少女や、糸目で長身の忍者少女からも、そこはかとなく気の毒そうな視線が送られていた。

「…………そうでしたね、結局、ここの連中がはしゃいで割を食うのは私でございました」

 ビシビシと痛みを伴って突き刺さる少女達の視線から顔を背け、ジローは窓の外に広がるうららかな春の空を眺めた。
 陽光に暖められた教室にいるせいか、欠伸を一つ。
 少し泣けそうだ。そう呟いたジローの目が潤んでいたのは、はたして欠伸のせいだけだったのか。

(にしても、京都・奈良ね。関西呪術協会の直轄領みたいな場所に、麻帆良学園の生徒を引き連れてお邪魔します、か。あー……また厄介ごとの匂いがしますよー?)

 終わりの見えない教室の騒ぎをBGMに、どんより据わった半眼になったジローは、「面倒くさいことさせられそうだ……」と重いため息を洩らした――――






 ホームルーム中に感じたジローの嫌な予感が現実のものとなるのに、そう長い時間は必要とされなかった。
 一週間後に迫った奈良・京都行きについての話をまとめ、学園長――麻帆良学園のトップであると同時に、関東魔法協会の理事も務めている近衛近右衛門がいる学園長室を訪れたネギとジローを待っていたのは、修学旅行の京都行きが中止になる可能性がある、という衝撃的な知らせであった。

「え゛……修学旅行の京都行きは中止!?」
「うむ、京都がダメだった場合はハワイ――」
「あ、ああ〜〜〜〜〜、……きょ、きょうと――」

 ショックが大きすぎたのか。「京都がダメだった場合はハワイへ」と言いかけた近右衛門を無視して、フラフラとよろめいたネギが壁に手を突いて、絶望に打ちひしがれる。
 落ち込みすぎなネギにため息をつき、近寄って頭を掴んだジローが無理矢理に立ち直らせた。

「ほれ、まだ途中なんだから、最後までちゃんと話を聞くさね」
「う、うん……」

 グリグリと掴んだ頭を揺らしながら、元いた位置までネギを引っ張ってきたジローに苦笑した近右衛門が、顎から伸びる白髭をしごきながら話の続きを喋りだした。

「ワシが関東魔法協会の理事をやっとるのは知っとるじゃろ? 実は昔から、関西呪術協会と関東魔法協会は仲が悪くての――」
「関西呪術協会……!?」

 東西の魔法関係者の確執の話に没頭し始めたネギを横目に、ジローは近右衛門が語る話の中から、相応に重要そうな単語を幾つか抜き出して黙考する。

(特使に親書、向こうからの妨害……色々とチグハグした感じの話だぁね)

 修学旅行の引率の新米魔法使いを特使にして、『ついで』に親書を持っていかせる。しかも、その親書を渡そうとしている相手からは妨害工作が行われるかもしれない。
 妨害する向こうも失礼だが、それはこちらも同じことだろう、とぼんやり近右衛門を眺めながら、言葉に出さず感想を述べた。

(ま、偉い人達が何考えてるかなんて、しがない元普通人にはわかりません、っとくらあ)

 事件の対策は会議室で決められるのだ。
 『トレンチコートの熱血警官』のライバル役で出てくる人が言いそうな台詞を、これまた声に出さず呟くジロー。
 自分が口を出したところで、状況が大きく変わることはないと貝に扮し続け、ネギと近右衛門の間で順調に決まっていく京都行きの話の聴衆に徹する。
 『仮に』、関西呪術協会から妨害工作が行われるとしたら、どこでそれが実行されるのか。どういった内容で、どんな人物や組織が行うのか。考えるべきことは枚挙に遑がない。
 自分がやるなら、どこでどうやってどう行うか。想像で挙げられるだけのもの全てを、日程や見学で訪れる場所別に選り分けていく。

(一番のネックは移動時……。まあ、いかに頭が悪かろうと、『裏』に属してることを自負する方々が多いし、生粋の一般人な生徒がいるとこで仕掛けてこない可能性は高い。だとすると、集団で行動する時はある程度、安心してもいいか……)

 一番襲われる可能性として高いのは、ネギが一人に近い状況になった時だな。今時手書きの親書が重要かどうかは知らないけど。
 と、ぶつぶつ口の中で呟いて考えを練っていたジローに、近右衛門が窘める調子で声を掛けてきた。

「……ジロー君や、ちゃんと話は聞いておったかね」
「あー、何でしょう、親の方針だから、このかには魔法がバレないようにですか?」
「違うよ、引率の魔法先生が二人いたから、今回の修学旅行を関西呪術協会の人達が嫌がってるって話だよー」

 小さく首を傾げて答えたジローに、眉根を寄せたネギが尋ねられた話の内容を教える。

「ほおほお、引率の魔法先生が二人」

 片眉を上げて訝しがる顔を向けたジローへ、近右衛門が機先を制するように口を開いた。

「なに、わざわざジロー君が使い魔じゃと伝える必要もないじゃろうし、無用な警戒を避けるためにの。話をスムーズに進めたくて、ジロー君のことも魔法先生として先方に伝えたのじゃ」
「はあ、なるほど」
「元々、オコジョ妖精などと違うて人の身で魔法を一から修得したんじゃ、あながち間違いではないよ」
「そういうものですか」

 ゆっくりと髭をしごきつつ言う近右衛門に、ジローは適当に頷いて納得の意を表す。
 ここ最近は、というより最初から形式のみな気もしないでもないが。一応はネギの使い魔をしているジローだが、メルディアナ魔法学校や麻帆良学園でも、普通の魔法先生や魔法生徒と同格の扱いを受けている。少なくとも、近右衛門の言い分におかしな点はない。
 あくまで近右衛門が口に出して、ジローとその隣りに立つネギが聞いた限りに於いては、だが。

「ふむ……人間だけど使い魔ですじゃあ、色々と目立ちますしねえ」
「そうじゃな、ネギ君のことでも先方にはいらぬ警戒をさせぬとは限らんしのぉ」
「え、僕がですか?」

 きょとん、と不思議そうに自分を指差すネギを尻目に、ジローのわざと茫洋にした眼差しと、近右衛門の長い眉毛の下から覗いた目が一瞬だけ交差する。
 ジローの口元がきゅうっ、と弓のように孤を描き、近右衛門は髭をしごいて「ふぉふぉっ」と朗らかに笑い声を上げた。

「あの、学園長? ジローさんも、どーして微妙な顔で笑ってるの?」
「いやー、学園長の素晴らしい采配に感服極まって、泣きそうになってるだけだよ」

 両者の顔を交互に見て、実に純粋な眼で問いかけたネギの頭にポン、と手を置いてジローは答えた。

「――ではネギ君、親書を先に預けておこう。修学旅行の引率だけでも大変じゃろうが、西への特使の仕事も頑張ってくれい」

 そんな激励の言葉と共に近右衛門が差し出した親書を暫し見つめ、決心したように表情を引き締めたネギが一歩進み出てそれを受け取った。

「――わかりました。任せてください、学園長先生!」
「うむ、よい返事じゃ」
「そ、それじゃ、僕は修学旅行の準備があるので、失礼させてもらいます。じゃあジローさん、先に僕は帰るね」
「あいよ」

 声を張り上げて一礼した後、修学旅行の準備があると告げたネギが、近右衛門とジローに断りを入れて学園長室を退室する。
 部屋を出る際、もう一度頭を下げたネギの姿が消え、ガチャリと音を立てて扉が閉まった。

「――――」
「…………」

 近右衛門と、立派な執務机を挟んで彼の真正面に立つジローの間に沈黙が舞い降りる。
 数秒ほど時が過ぎるのを待ち、渋面になって首を傾げたジローが尋ねた。

「あー、特に話がないなら、俺も退室していいですか?」
「ふぉ? ワシはてっきり抗議があると思っていたんじゃが」

 質問が意外だったのか、近右衛門が片眉を上げて丸くした眼を覗かせる。
 その反応は心外だと言いたげに目を瞑ってかぶりを振り、頭を掻きながらジローがため息をついた。
 暫く煩わしそうにガリガリ頭を掻いた後、ジローの口から含みのある言葉が出てくる。

「そーですねぇ……文句言って修学旅行の日程が変わるとかぁ、『二人しかいない』魔法先生の数が増えたりぃ、護衛しやすくなってくれるってーなら、私め如きが思いつく限りの問題点やら要望やらまとめた書類なり嘆願書なり提出しますけど?」

 瞑ったままの目を片方だけ開いて流し見るジローに、一筋の汗を垂らした近右衛門は恐々と聞いてみた。

「……もしかしてジロー君、怒り心頭したりしておる?」
「怒っちゃいません、呆れているだけです……割と地味に、心の底から」

 魔法使いには関係ないかもしれませんけど、身辺警護や要人警護と一緒で、こういうのって色々面倒な決め事とがあったりするんですけど。
 そうぼやくように呟いて、「まあ……」と諦めた風にジローは言葉を繋げた。

「元々修学旅行の行き先と日程なんて、このか達が中学に上がった頃には決定してたでしょうし。事前に覚悟決めておかなかった俺が悪いんですよ、ええ」
「ふぉ、ふぉっふぉっふぉっ……ま、まあ、積立金や移動手段、宿の手配などの問題があるしのぉ」
「鶏が先か卵が先かは不明ですけど、ね……」
「そこまでいくと、少々穿ちすぎじゃな」

 やんわりと、髭を弄りながら窘める近右衛門をあまり信用していない目で眺めていたジローだが、いつまでもここで問答を続けても意味がないと判断したのか、退室するために踵を返した。

「――さすがに好き好んで、こちらに喧嘩を売って来る者は多くないはずじゃ。あまり気を張り詰めすぎず、ジロー君も京の歴史に触れてくるとええ」
「――――」

 背中に投げかけられた近右衛門の言葉に、ドアノブを握ったジローがピタリと動きを止めて、

「…………小学校の時の修学旅行、行き先が京都だったんですよね」
「ふぉ……」

 視線だけ後ろに向けて、実に重々しい口調で告白した。
 だが、それを聞いて顔を強張らせた近右衛門に皮肉っぽく口元を歪め、すぐに訂正する。

「冗談ですよ――――伊勢・奈良です」
「…………なんだかワシ、無性に申し訳ない気持ちになってきたぞい」

 あくまで本人は認めていないが、運の悪さに定評がある青年のありがちな不幸に、半ば本気で呟いた近右衛門に意趣返しが成功したと、意地の悪い笑みを置き土産にして、ジローは静かに学園長室の扉を閉めた――――






「――――ハァ」

 学園長室に暇を告げてから、必要以上に広大な学園の敷地を歩く。放課後ということもあり、側を通り過ぎる生徒達の顔は皆一様に明るい。
 女子中等部の敷地なので、周囲を見渡しても男は自分一人だけ。
 そこはかとない居心地の悪さが、ジローの気分を余計に重苦しくしていた。

『イッチニー、サンッシーーーーッ!』
『ゴーロック、シッチ、ハッチ!!』

 部活のランニングから帰ってきた運動着姿の一団が、気だるそうに歩いていたジローへ頭を下げたり、親しげな感じに手を振って遠ざかっていく。
 一応は挨拶してくれた女生徒達へ、なおざりにだが目礼を返してブラブラと帰路を辿る。

「あー……かったるいぞ」

 ほとんど学園長に強制されてだが、女子寮へ帰らなくてはならないという現実が、もう一段階、ジローの気だるさゲージを上昇させた。
 もう夕刻と呼んで差し支えのない時間帯だが、四月も半ばまで過ぎたせいか、辺りはまだ明るかった。
 もう四半刻もすれば、夜の帳が下りて来るだろうけど。込み上げてくる欠伸を噛み殺して、肩の凝りを解すように首を鳴らす。魔法使いより妖怪に近い気がする人間の相手は疲れるのだ。
 精神的に疲れているせいで無性に眠い。このまま寝起きする場所として借りている女子寮の一室のロフトへ直行して、明日の朝まで眠りこけてもいいのだが、

「いい歳した若者がそれでいいのか、と思わなくもないさね。でも……ふあぁ、ぁ――――さって、どうするかねぇ?」
「コホンッ――何をどうするのですか?」
「ん?」

 欠伸交じりの自問に声が返ってきて、訝しげに眉根を寄せて顔を巡らせた。
 眠気が強すぎて、集中力が底辺まで落ちていたのだろう。目蓋を重そうに下げているジローの隣り、一人分程の隙間を挟んだ場所に銀髪褐色肌の修道服を着た、年の頃十代後半からぎりぎり二十代ぐらいの女性が立っていた。

「……あー、こんにちはシャークティ先生」
「……あまり感心できませんよ、大きな口を開けて欠伸をしながら歩くのは」

 ジローを見るアメジスト色の瞳が、非難を意図して細められている。
 存在をスルーして通り過ぎかけたからか、若干不機嫌そうな空気を滲ませて、仕事のできる怜悧な女性然としたシスターは注意した。
 一日の授業を終えて、学園の敷地内にある割りかし大きめな教会に戻る途中なのか、教材らしきものを胸の前に抱えているシャークティに、

「はあ、すみませんです」
「…………ハァ」

 苦笑いと共にジローが頭を下げる。
 日本人の固有技能として名高い誤魔化し笑いに、シャークティの柳眉がピクリと動くが、習性レベルで日本人に浸透している行動を指摘しても仕方がないと諦めたらしく、軽いため息で流すに終わった。

「じゃあ、俺はこの辺で――」
「って、待ちなさい! 何ですか、そのあからさまな逃げの姿勢はっ!?」

 だが、努めて冷静に保っていた凛然と澄ました表情も、シュタッと手を上げて早々に立ち去ろうとしたジローのせいで、あっさりと剥ぎ捨てる羽目になった。
 気分を害して、鋭く尖った眼差しでシャークティが制止する。
 もしかして、この青年はわざと自分を怒らせようとしているのか。思わず邪推してしまい、慌てて頭を振って猜疑の心を彼方へ追いやる。

(この程度で情けないですよ、シスターシャークティ。人の善性を信じることができないのは、とても悲しいことです)

 本職は魔法使いだが、サブの職業であるシスターも疎かにしていないシャークティらしい考え方。
 一教会を預かる身として、どのような相手にも平等な態度で接するべきと言い聞かせ、相手を威嚇しないための穏やかな表情でジローへ話しかけた。
 微かに口元が引き攣っていてぎこちないが気にしない。

「もう間もなく修学旅行ですね。西の方に関する話は知って――」
「それをつい今しがた、学園長直々に聞かされてきたとこです。準備期間が一週間しかないっていう、今日この日に」
「そ、そーでしたか……」

 彼女の話を途中でぶった斬ってジローが答える。実に気だるそうで、剣呑さまで醸し出している半眼に、さすがのシスターも怯んでしまった。
 あまりこの話題には触れない方がいい。痛いほどに確信して、「が、頑張ってください」と当たり障りのない激励の言葉を送るも、

「頑張るのは俺じゃなくて、特使を任命されたネギですから」
「…………」

 なんて、素っ気無い言葉を返されては黙るしかない。
 こんな風に露骨な不機嫌さを表している青年は初めてだった。いつもなら真面目なのかどうか判別に困る飄々とした態度なのだが、とシャークティはつい考えてしまう。

(ま、まあ、態度を偽られるより、ありのままで接してくれる方が望ましいのですが。何故でしょう? どっちにしても、私が思うものと違う気が……)

 普段ならここまで疲れを見せることもないのだが、京都行き直前に西で不穏な動きがあったりすると伝えられて、気分が荒んでいるのだろう。
 株価の大暴落並にやる気が減衰していますと、死んだ魚を彷彿とさせる瞳が語っていた。

「えっと……」
「あー、お土産の方は適当に選んできますので。過度な期待はしないでください」
「え? お、お土産? えっ?」

 どうする、一体どうすれば目の前の迷える、というか疲弊している子羊に救いを施せる。いつもみたく、教会へ連れて行ってお茶でも振舞うか。
 人間的にクセがあるというか、灰汁があるせいで、どういったことが救いになるのか正直、掴みかねている青年への対応に悩んでいたシャークティだったが、唐突にジローに告げられた言葉に呆気に取られてしまう。

「では、俺はこの辺で」

 いつものことですけど、また日曜に教会へ顔出せばいいんですよね? と、無駄に爽やかな笑顔で手を上げたジローが、競歩と見紛うばかりの早歩きでさっさかと遠ざかっていく。
 少しの間、呆然と小さくなるジローの背中を見送っていたが、ハッと我に返ったシャークティは顔を歪め、

「し、しまった……煙に巻かれてしまいました」

 指導を任されている、彼のクラスに所属する悪戯好きのシスター見習いと違う鮮やかな逃走手口。今日は見事に脱出を成功させてしまったらしい。
 最近では十中六、七の割合で逃走の阻止に成功して、主の救いとは、善とは、正しい人の道とは何かなどについて説いているのだが、それでもシャークティは不満そうに佇んでいた。

「ジロー君の場合、お説教の内容を理解しても守らない感じですし」

 ただ単純に面倒くさい、聞きたくないと舌を出して反発する見習い魔法使い兼シスターの少女と、はたしてどちらの性質が悪いのか。

「修学旅行についての注意事項もあったのですが……」

 特に最近は、教師と生徒の淫行が問題になって取り上げられるニュースも多い。旅行という特殊な状況下で羽目を外してはいけないと、言い含めておきたかったのだが。
 片手で教材を抱え、頬に手を当ててシャークティはため息をついた。
 まあ、あの青年に限ってソレはない気もするのだが、人間万が一が起こり得るものである。ただでさえ数奇な人生を送っている彼だけに、心配してしまうのは当然のことだろう。

「…………?」

 一瞬だけだが、名状し難いもやもやが胸の内に広がって顔色が曇った。
 どこか複雑そうに眉をひそめて、大きく息を吐いたシャークティが歩き出す。今の自分がすべきことを、もう一つ思い出したのだ。

「まあ、ジロー君についてはいいとしましょう。誰かさんと違って、まだ信頼できますから……」

 心持ち早まった歩みで教会への道を急ぎながら、シャークティは呟いた。

「最近はおとなしくなってきているとはいえ、いつ本性を表すかわかりませんしね。あちらの方にはちゃんと釘を刺しておかなくては」

 ブツブツと口の中で言葉を転がし、妙に不機嫌な自分を落ち着かせる。
 ただ結局、教会についても、自分が感じた名状し難いもやもやの正体はようと知れなかった――――






『ヨウ、テメーガ噂ノイカレ使イ魔カ。御主人カラ話ハ聞イテルゼ、餓鬼ヲイタブッテ悦ブSデ、ツイデニ妹ニ粉カケタ人形ニ欲情デキル変態性欲者ナンダッテナ』
『……ちょっと腹割って語り合う必要があるみたいだな、この腐れ殺人人形もどき。その台詞だけで、俺の積み上げてきた社会的信用を失って余りあるわ』
『ケケッ、腹割ッテ? テメエノ頭ナラカチ割ッテヤルゼ』

 初めて顔を合わせた時、面と向かってぶつけられたのは遠慮のない侮辱。社会で人間的生活を営む権利を二束三文で売り飛ばされかねない言葉。

『ソレトモ、テメエハ人形壊ス方ガ興奮スルッテカ? オオ、怖ェ怖ェ。コレダカラ生身ノ女ニ興味ネエ気違イハ』

 自力で動くことも出来ないくせに、決して相手に遜ることを知らない、というよりする気がないらしい、緑のショートヘアで茶々丸を二頭身にデフォルトした風な木製人形に、ジローは切実に訴えた。

『俺は極々普通な一般人的趣味嗜好をしてるっての。ただ悲しいかな、女の子との「フツーな」縁がないだけだ。きっとあれだ、酔っ払った勢いで「余裕こいた顔がむかつく」なんつって、仏様の顔面に正拳叩き込んで粉砕したじいちゃんのせいで、宗派問わず恋愛の神様に嫌われたんだ。堪ったもんじゃないぞ? これでも清く正しく生きてるのに、まともな青春を謳歌できないって。俺が何かしたのか? したのなら教えてくれ、謝れるものは全部謝ってやるから。あれか、東西南北日本全国津々浦々に建ってる宗教施設で祀ってある神仏その他に土下座すればいいのか、コノヤロー』

 その前に、思わず「退屈だ……」と呟いてしまうような平凡極まりない日常をお願いした方がいいかもなぁ、と真剣な顔でぼやいた青年に、エヴァの初代パートナーである腐れ殺人人形、もといチャチャゼロはこう告げた。

『モォイイゼ、テメェハSジャネエMダ』
『どこがだ!? さっきの俺の語りを聞いて、どの辺りにそう判断させる要素があった!? 言っておくけど、俺は苦労災難不運不幸の類が大っ嫌いだぞ!!』
『嘘だろ』
『嘘ダナ』
『私には答えかねます……』
『満場一致で否定されたよ……。なんですか、不幸だーって蚊の鳴くような声で囁いて、夜な夜な枕を濡らせばいいんですか?』

 大きく手を振って否定したジローの叫びを、チャチャゼロ含めその場で二人のやり取りを聞いていた者全員が、それぞれ呆れ顔で、人形特有の変化がないのに笑って見える顔で、申し訳なさそうに眉をひそめた顔で、否定への否定を行った。
 それが、麻帆良の学園都市の外れにあるエヴァの住居――カナダのログハウス風のエヴァハウスにて交わされた会話。

「――――難しいもんだよなぁ、人に自分のことをわかってもらうのって」
「知るか、帰れ。お前の『不幸だー』なんて台詞は切っ掛け以外、ほとんど自業自得だろーが。というか、何でここで一服かましつつ、しみじみ回想している?」

 遠い眼で呟いたジローに、つまらなそうにお茶を飲んでいたエヴァが問う。
 某森の中の小さなお家こと、エヴァハウスにて。至るところにヌイグルミが置かれたファンシーな内装の部屋の中には、香ばしさと甘さの溶け合った緑茶の芳香が満ちていた。
 その香りを吸い込み、心地良さそうに息を吐いたジローに対し、不機嫌さを強めた顔でエヴァが文句をつける。

「だいたいなんだ、ここに来るなり『京都は危険が危ないらしい』ってボケたこと言いおって……。修学旅行に行かない私には関係ないことだろうが」

 忌々しげにお茶を啜った後、からかうような流し目を送って、

「それともまさか、西への対抗策でも授けて欲しかったのか?」

 形はただの金髪碧眼小学生だが、その正体は六百数十年を生きた真祖の吸血鬼、『闇の福音』他の二つ名で呼ばれ、今現在では魔法世界で聞き分けのない子供を脅かすナマハゲ扱いされている、六百万ドルの賞金首であったエヴァが愉悦に浸った声で問う。
 相応の対価を払うなら、策の一つや二つは授けてやらんでもない、とふんぞり返った金髪幼女にジローは、

「うんにゃ、帰って不貞寝するのは青春の無駄遣いな気がしたから、若者らしくお茶して時間を潰してから帰ろうかと」
「帰れッ!」

 しれっと答えた青年に、クワッと牙を剥き出しにしてエヴァが怒鳴った。
 芳しくないエヴァの反応に渋面になり、暫し考えてからジローが手を打って言い直した。

「じゃあ、修学旅行に行けないエヴァに、お土産のリクエストを聞きに来た」
「『じゃあ』!? 『じゃあ』って言ったな、貴様!? っていうか訂正しろっ、行けないじゃなくて行かないんだ!!」

 さも、いい訪問理由だと言いたげに頷き、満更でもない顔をする青年に掴みかからんばかりの勢いで手を戦慄かせる。

「ぁ、それでしたらジロー先生、マスターにこのお店の和菓子詰め合わせを――」
「ふむふむ……」
「何、勝手にガイドブック持ち出して頼んでいるんだ、このボケロボォッ!?」

 しかし、いきり立つ真祖の少女を余所に、給仕のためにメイド服を着て二人の側に控えていた茶々丸が、何故か赤丸でいくつもチェックの入れられた旅行ガイド雑誌を持ってきて、ジローにお土産のリクエストを伝える。
 『じょろん・京都遊び尽くしマップ〜銘店散歩の乱〜』なる大手出版社が出している、完全保存版と銘打たれた雑誌には、誰かが付けたらしい付箋や折り目、赤ペンチェックが多数見受けられた。
 ざっと大雑把に目を通して、顔を上げたジローが取り成すように言う。

「あー、うん、わかるわかる。旅行に行く前に、こういう攻略本っぽいもの見てテンション上げる時間が限りなく楽しいって、『向こう』の幼馴染っぽい奴が言ってた」
「貴様は……生暖かい目で私を見るな! なんだ、その懐かしいものを眺める顔は!?」
「いや、エヴァとは似ても似つかない、日本人形みたいな奴なんだけど……元気に――――あれ? あいつが怪我するとか病気する姿が想像できない? 大丈夫かな、『こっち』の俺……」

 ガイドブックを色彩豊かに塗り替えた犯人を見て、昔を振り返っているらしいジローに指を突きつけ、こめかみに血管を浮かばせた犯人の少女――エヴァが声を荒げる。
 何たる偶然か、ネギに召喚された世界にもいた自分の無事を本気で祈り、最近覚えたらしい十字を切っているジローは気にも留めていなかったが。

「毎回、修学旅行の時期が近付くと、マスターは旅行先のガイドブックを購入して全ページを暗記するまで読み込むと姉さんがあアァァァァァァァ――」
「いらんことをバラすなっ、このボケェッ!! 何で馬鹿使い魔にフレンドリーな調子で喋ってる!? 巻くぞ、巻いてやる、この軸ぶれロボがぁッ!!」

 本人的には恥ずかしい秘密をばらされ、顔を真っ赤にしたエヴァが己の従者に飛びかかった。
 手に持ったブリキ製らしい金色のゼンマイ巻きを差し込んで、鬼の形相で何度も何度も何度も何度も巻いていく。

「マ、マスター、許し、てッくださァァァァ……」
「うるさい、この! こぉのぉぉッ!!」
『ケケケッ、照レテンノカ御主人?』
「元凶は貴様だろぉぉが、この役立たずが! 後でバラバラにしてやるから覚えていろよ!?」
『ケケッ、ヤレルモンナラヤッテミヤガレ』
「あー…………落ち着くまでガイドブックでも見ておくか」

 何かを誤魔化すために、茶々丸に馬乗りになって怒鳴り散らしながらゼンマイを巻いたり、置物よろしくテーブルの上に座らされているチャチャゼロに廃棄処分を宣言しているエヴァを眺めていたが、暫くこのままだろうと判断したジローは静かにお茶を啜り、茶々丸が持ってきた赤丸付箋チェックだらけのガイドブックを読み始めた。
 彼もこの騒ぎを生む原因の一端だったりするのだが、完全に我関せず、我に罪なしの姿勢である。

「――――まあ、自分だけ留守番ってのは楽しくないだろうなぁ」

 時折、思い出したようにお茶の入った湯飲みを傾けながら、チェックしてある店の評価やお土産の紹介記事に目を通していく。微かにだが、眉間に面白くなさそうに皺が刻まれたいた。

「行けないじゃなくて行かないんだ、か。本人がそう言うんだ、それが本当でいいさね」

 エヴァの言葉が嘘だろうと本当だろうと、それを聞いた側が信じれば、彼女の言は本当になるのだから。
 中身の少なくなった湯飲みに、自分で置いてあった急須のお茶を継ぎ足しながら、ジローはそんな風に結論を出す。

「ま、それはそれでいいとして――」

 どうして『登校地獄』に課外授業に関する制約の変更などがないのか、と続けて考えかけて、すぐにどうでもいいかと鼻を鳴らした。
 自分が悩んだところでエヴァの呪いは解けないのだから、考えるだけ無駄だろう、と。

「大方、そーいった細かい部分にアレンジ利かせるの忘れたとか、方法がわからなかったとか……。最悪、呪いをかけてから『よし、学校に通わせたらいいんじゃねーか?』なんて考えたのかもねぇ」

 片手落ちな呪いのかけ方から、とある英雄の人間性や思考回路を推測する。あまりぞっとしない話が出てきてしまった。
 できることなら正解してほしくないな、と肌の粟立った首を撫でて呟いた。

「あれだな、偉業を為したら多少の失敗やダメな所もお茶目に受け取ってもらえるっていい例だ」

 言ってから、誰かさんとは大違いだと胸中でこぼす。誰かさんである、自分を『こちら』へ引っ張り込んだ少年の顔がちらついていた。

「ま、いいさね。とりあえず、間近に迫った修学旅行が大きな問題もなく、平穏無事に終わることを祈っておこうか」

 何か面白いことでも考えたのか、それともただ捨て鉢な気分になったのか。口元を歪めたジローはネギに関する考え事を保留にして、京都に着いてからのことに思いを馳せることにした。

「――――お、ここのお土産は良さそうだな、五辻の酢昆布。これと京焼とか買いたいな……」

 ページに掲載された写真を眺め、ホゥッと熱の篭った吐息を漏らす。どうやら本気で欲しいと思っているらしい。

「ここの座布団と干菓子も良さそうだ。干菓子の方は、ココネにあげても喜んでくれそうだし」

 ちなみに、干菓子というのは乾菓子とも書き、字からもわかるように水分の少ない和菓子の総称である。
 一応、カテゴリーの中に煎餅や八つ橋なども含まれるのだが、一般的に想起されることは少なく、落雁や有平糖のイメージが定着している。
 ジローが見ているガイドブックの掲載ページに載っているのも、渋い色合いの桂皮を使用した落雁で、唯一子供受けしそうな点は、デフォルメされた狸や梟の形をしている辺りであろうか。
 ここ最近、よく顔を出している教会にいる褐色肌に赤い瞳を据わらせているシスター見習いの少女が聞けば、きっと微妙な顔をするであろうことを呟く八房ジロー・ついこの間、十七歳になったばかりの元普通人な高校生をしていた、現使い魔もどきな青年。
 女の子との「フツー」な縁や、若者らしい青春を送る日々というものは、本人が「フツー」で若者らしい趣味嗜好をしていなければ訪れないと知るのは、はたしていつのことになるのだろうか――――






「――ハックシュンッ! ズズッ……なんだろう? カモの奴が人を出汁にして、いらんことを仕出かした気がする……」

 学園生協の試着室にて、父親のサウザンドマスターの二つ名は女性千人と『仮契約』したからだ、若いうちに落ち着いてしまうとジローの様になるぞ、とネギを唆して、魔法に関わらせないでくれと頼まれた少女との『仮契約』を実行させかけたオコジョ妖精が、一緒に修学旅行用品を買いに行っていたオッドアイのツインテール少女にしばき倒されたことを彼は知らない。

「……あれかな、このかに魔法使いの血が流れているって知って、関西呪術協会とのイザコザがあるかも〜、で仮契約してる従者の数は多いほうがいい、なんて上手いことネギを誑かして、オコジョ協会から支給される仲介料を手に入れようとした――――とか?」

 …………知らないったら知らないのだ。
 あくまでは憶測に過ぎない、自分を相棒と呼ぶオコジョ妖精の行動を呟いてから、ジローはお茶を飲みつつ京都の観光ガイドブックを読む作業を再開した――――






後書き)本格的に大幅な描写の変更・追加が行う修学旅行編が始まりました。
 最初に書いた方を読んでくださった方でも、初めて読んだと感じていただけるぐらいに修正を加えていくことになるかとです。
 ただ、流れ自体は最初のものとそう変わることはないので……一からやり直すではなく、二か三からやり直す、という感じでしょうか。
 自分の未熟さというか、書き進めることしか考えていなかったっぷりが痛いほど……。
 少しでも文章が向上した、面白くなった、と感じていただければ幸いです。
 感想指摘にアドバイス、お待ちしております。

「修学旅行・出発編」



「――とまあ、ここ地主神社は明治一年、1868年ですね。その年に発布された神仏分離令によって清水寺鎮守の地主権現社が地主神社として分離独立されたのです」
「なるほど」
「京都最古の縁結び寺と名高い場所ですが、他にも厄除けのはらい大神、長生きと芸事上達の大田大神、撫で大黒に開運招福の栗光稲荷などなど、ご利益のある何柱もの神様も忘れてはならないかと」
「あー、たしか94年だったかに世界遺産に登録されてた気が……」
「ええ、その通りです。といっても、文化財清水寺の一部としてですが。私個人の意見としてはメジャーマイナー関わらず、京都に存在する歴史ある神社や古刹は須らく世界の、いえ人類の宝として――」

 フルオートの機関銃のように喋り続ける神社仏閣仏像マニアな少女・綾瀬夕映の言葉に相鎚を打ち、時々言葉を返しながら、最近『使い魔』の肩書きが自称になりつつある青年・八房ジローは地主神社の境内を見渡してため息をついた。

『何だ何だ!』
『こんなところに落とし穴が!?』
『だ、大丈夫ですか、まき絵さん、いいんちょさん!!』

 目を瞑って十数メートル先にある石に辿り着くことができれば恋愛成就という『恋占いの石』がある境内で、3Aの少女達とネギ少年の慌てふためく声が響いていた。
 どうやら、恋占いの石に恋愛成就の祈願をしようとして、何故か境内に設置されていた落とし穴に少女が何人か引っ掛かったらしい。

「仕方がないとは思うが、こーいう場所ではあまり騒がない方がいいと思うんだけどねー」

 近年の観光地化のせいで、あらゆる神話伝説、伝承が残る曰くある土地の暗いエピソードが忘れられる傾向にあるが、ここも例外ではないのだ。
 地主神社にある『おかげ明神さま』を祀ってある建物の裏にある杉の古木――『祈り杉』と呼ばれる木の逸話を思い浮かべ、ジローは心の中で騒がしい連中を許してくださるよう、真摯に祈り申上げておいた。
 何故、そんなことをしているのかというと、

「丑の刻参りに使われちゃう場所でもあるしな……」

 たいていのと言うと語弊があるが、古来より縁結びある場所に縁切り伝説あり、だからだ。
 ジロー自身、少女達の恋愛が成就するか成就しないかは、本人のやる気と相手の気持ち次第だと考えているので、神様に縁結びをしていただこうという気持ちは特にない、というより、長年の経験上信じられなくなっているのだが。
 神様がおわす神聖なる場所で騒ぎたて、笑えないバチを中てられるのは本気で怖かったりする。

「あの、ジロー先生……」
「ん? 何、夕映ちゃん。拝殿の八方にらみの竜の作者が狩野元信っていうのは聞いてたけど」

 苦虫を噛み潰した顔で、落とし穴周辺でドタバタやっているネギを中心とする少女達を見ていたジローに、妙に気落ちした様子の夕映が話しかけた。

「い、いえ、そっちではなく。やはり神社仏閣の由来などの話は面白みに欠けるですか……? さっきからしかめっ面になっているので」
「あー、いや、違う違う」

 話を上の空で聞かれていると感じたのだろうか。若干落ち込んでいるように見える。
 自身の趣味が人と違う程度で落ち込む玉とも思えないのだが。雰囲気が萎れてしまっている夕映に内心首を傾げつつ、ジローは軽く顎でしゃくって、恋占いの石前に掘られた穴の周りの騒ぎに意識を向けさせる。

『な、何、またカエルーーーーッ!?』
『きゃーーーーっ!?』

 折りよく、穴の中に落っこちていた少女二人――日本人らしくない金髪ロングヘアーのお嬢様然とした雪広あやかと、髪の毛の両サイドをリボンで結んだ、良く言えば子供っぽさ、悪く言えばそこはかとないバカっぽさを感じさせる佐々木まき絵の悲鳴が届いた。
 叫びから判断するに、落とし穴の底にクッション代わりに蛙が敷き詰められていたらしい。

「…………今日は蛙と縁があるなぁ、って思ってさ」
「……そういえばそうですね」

 どう考えても、あの蛙は自然に発生したものではない。ついでにいうと、今の季節は繁殖期とも違うはずだ。
 関西呪術協会の一部の過激派からの妨害工作がある、と聞かされていたジローには、ある程原因に目星がついているのだが。

(式神って、もっとこう……鬼とか蛇とか烏みたく、見た目にも格好いいもんだと思ってた)

 それとも、暗に蛙と「帰る」即ち「帰れ」をかけているのだろうか。胸中で妨害工作をしているらしい人物の行動に疑問を覚えた。

「しかし、カエルの大量発生にしてはおかしいですね。時期的にもそうですし、行きの新幹線の中でもありましたが、一体どこからあれだけの数が……」
「さあ……」

 隣りで疑問符を浮かべる夕映に肩を竦める。
 思考嗜好趣味味覚などが多少変わっている以外、極々普通の世界で生きている少女に、蛙の大量発生は関西呪術協会の――魔法使いのせいです、などと答える気は更々なかった。
 八房ジロー、親しい『一般人』な女の子との縁は大事にしておきたいと、最近頓に思っていたりする。

「――そろそろ移動しようか。次は音羽の滝だったかね」
「そっ、そうでした。音羽の滝は常に人気で行列ができているですし……一足先に行かせてもらうです」
「ん? ああ、どーぞ」
「でっ、でわっ!」

 ジローの呟きに小さく体を震わせ、シュタッと音が出そうな勢いで手を上げて駆け足に先へ進む夕映を見送る。
 何をするつもりだろう。携帯していた魔法瓶の蓋を外して、準備万端だと背中で語りながら競歩ばりの速度で離れていった。
 途中、恋占いの石のチャレンジに成功した、目を隠すぐらいに前髪を伸ばした少し内向的そうな少女・宮崎のどかと、頭の上に生えた二本の触角が印象的なロングヘアーに眼鏡をかけた少女・早乙女ハルナや木乃香達と合流し、何か言葉を交わしている夕映から視線を外し、恋占いの石前に設置された落とし穴へ歩み寄る。

「ったく、行きの新幹線の時といい……蛙に思い入れでもあるのかよ?」

 ネギに引率され、音羽の滝へ向かい始めた3Aの少女達のはしゃぐ声を聞きながら、ジローはまだ見ぬ妨害工作を行っている人物へ毒づいた。

『ケコッ?』

 足元まで跳ねてきた蛙と目が合う。

「新幹線の中にいたの、お前の兄弟か?」

 ジローは尋ねた。顔に浮いた苦笑から、ほんの気まぐれで出した問いだと窺い知れた。

「――なんてな」
『――!』

 軽く持ち上げ、その割りに重さを伴った足の踏みつけ。ジローの足の下で、ポンッと紙風船が弾けるような音がした。
 多少の後味の悪さを感じながら、足元の蛙――だった呪符の成れの果てを踏み躙りつつ、ジローは朝の新幹線であった騒動を思い出していた――――






(あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。敵は関西呪術協会の連中だけなんて考えていた俺が甘いようでございました!!)

 3Aを含む麻帆良学園女子中等部の修学旅行一日目。
 集合地兼出発地である大宮駅にて、新田先生が腰を痛めて来れなくなったことや、エヴァと茶々丸が参加しないことで班員が足りなくなった六班所属の刹那と、常にピエロのメイクを施している銀髪褐色肌の少女・ザジー=レイニーデイを、それぞれアスナが班長を務める五班、あやかが班長を務める三班に振り分けた後、3Aの副担任兼ネギ少年の使い魔の青年・八房ジローは皆と共に京都へ向けて出発した。
 あさま506号で一旦東京駅まで行き、乗り換えて京都経由新大阪行きのひかり213号を使い、一路目的地である京都へ。
 特に大きなトラブルもなく、新幹線の中にいる間は生徒達も多少大人しくせざるを得ない。
 このまま目的地到着まで短いながらも眠れるか。そう思い、朝早くにネギに叩き起こされて眠気を残していたジローが、座席に体を預けて目を閉じた時、事件は起こった。
 起こってしまったのだ。突如、新幹線の車内に響き渡る悲鳴。

「うん? 何だ、こんな狭い場所でもバカ騒ぎする切っ掛けを見つけやが……んぐあぁぁっ!?」
「ござざ、ござあっーーーーっ!! ジジジジロー殿ッ、奴が! 奴が大量発生してるでござるうぅぅぅっ!?」

 一体何が原因で騒ぎ出したのか。
 呆れ半分、迷惑半分で閉じていた目を開けて席を立ったジローだったが、その直後に座席を飛び越えてきたらしい人物に首の後ろから手を回され、彼はブラックアウトしかける自分を叱り付けることに集中する羽目になった。
 裸絞、俗にチョークスリーパーやバックチョーク、リアネイキッドチョークなどと呼ばれる、着衣を使わないで可能な絞め技。

「鳴いているでござるっ、奴ら全部オスでござるよ! 声帯で出した声を喉の鳴嚢で共鳴させて、心地良さそうに合唱してるでござるぅぅっ!?」
「げ、ぐ……カハッ、折れる、絞゛まる前に折れる……!」

 本人としては、恐怖に駆られてただ抱きついているつもりなのだろうが、悲しいかな一般人にはない戦闘技術を所有している糸目長身の忍者少女こと、長瀬楓が狂乱の体で行った藁にも縋る行為は、見事なまでにジローの命を危うくしていた。
 裸絞が完全に極まる直前、幾度となく危険に身を晒した経験からか、咄嗟に楓の腕と自分の首の間に手を差し込むことに成功し、辛うじて落とされることを免れたジローは、明滅を繰り返す視界の中で動き回る、子供の拳大の緑色の生物に気付く。

『キャー!! ヒィーーーーッ!?』
『わーっ!?』
『カ、カエル〜〜〜ッ!?』

 三十数名が乗っているせいで狭く感じる車両。その中を右往左往して悲鳴を上げる少女達の間を、どこから現れたのか十、二十ではきかない数のケロケロ鳴く両生類無尾目――ぶっちゃけ蛙が跳んだり跳ねたり(誤字に非ず)していた。
 床や座席シートの上など、所構わず占領して勝利のケロケロを上げている姿は、さながら列車ジャックに成功した無法者である。

(何で蛙!? これがもしかして、学園長が言ってた『妨害工作』か? よ、予想の斜め下すぎるぞ、こんなのッ!!)
「いーやーでーごーざーるぅぅぅぅっ!!」
「い゛やなの、はァ……ごっぢ、だっ……!」

 苦手だと公言して憚らない蛙を頭に乗せ、火事場の糞力に任せてジローを絞め落としに掛かる楓。
 間に挟んで手ごと首の骨をへし折りかねない、万力が可愛く思えるチョークスリーパーに抗いながら、ジローは少しでも動きやすい体勢になるべく足を動かす。
 滑らせるように動かしたジローの足が、丁度彼の足元で歌っていた蛙の一匹を蹴り飛ばした。

『クワッパ!?』

 某『売れない手品師とデカイ助教授が主役の推理ドラマ』出典の謎な声を漏らしてひっくり返った蛙は、ポンッと間の抜けた音と共に一枚の紙切れに姿を変えた。
 忌々しげに、すでに食い縛っていた歯を余計に軋ませ、「一般人のいるとこで仕掛けてくるのは、いいとして! もう少、し……趣向を凝らせよ!?」と、ジローが荒い息の下で声を絞り出す。
 本当は全然良くなかったりするのだが、あまりにも幼稚な妨害工作の内容に、よくわからない憤りを感じてしまったのだろう。

「あーーーーっ、親書が!?」
『追うぜ、兄貴!』
「うんっ! 待てーーーッ!!」
(ま、待って!? 待てーーーッ、って追いかける前に、まず生徒に殺されそうな俺を助けて……!!)

 恐らくは、蛙を大量発生させた術者が放ったものらしい燕の式神――陰陽道に代表される、呪符に力を込め、何らかの生物を模らせて使役する符術の一種――に、無事を確かめるために取り出した親書を奪われたネギが、慌てて後部車両へと駆けていく。
 カモを引き連れて颯爽と走っていく少年の背中に、震える手を伸ばしてジローは声なき叫びを上げた。
 この場合、東と西の調停のために重要な親書を奪われ、すぐに追いかけたネギの方が正しく思われるのだが、

「ぃ、いいから……さっきのアレは盗られてもまったく問題ない、からッ!」

 何故なら、彼には先ほどの親書が『妨害者』の手に渡っても絶対に大丈夫という確信があったから。
 いい加減、酸素不足で顔色が悪くなりつつあるジローは、命の危機を放置された腹立たしさも手伝ってか、ぐりぐりと執拗に足元にあった呪符を踏み躙って紙くずに変え、首に回された楓の腕を渾身の力でもって掴む。

「そろそろ落ちッ、着け!! 我を失って人を殺しちゃった……なんてのは、列車サスペンス失格、なんだよっ!!」

 一人、正確にはカモを引き連れてだが、先行したネギを心配する気持ちもあるが、それ以上に列車の中で起きる殺人は計画的でなくてはいけないんだ、という信条に従い、ジローは両の手で首に回された少女の手を引き剥がしに掛かった。

「ござー! いっそ、いっそ殺せでござるぅ!? 奴らに体を蹂躙されて穢されるぐらいなら、潔く清い体でぇぇぇぇっ!!」
「頭に蛙乗ったぐらいで死を選ぶなっ! そ・れ・以・前・にっ!! 清い体で死にたいなら手を汚すなぁ、阿呆ぅっ!!」

 全身の力を振り絞り、クワッと目を見開いたジローが裸絞からの脱出に成功する。

「ご、ござぁぁぁっ!?」
『ケロケロ♪』
『ゲコゲコ♪』
『クァックァックァッ♪』
「――――キュウ〜」

 刹那、宙を舞った楓が床で輪唱していた蛙の群れに頭から突っ込み、一瞬で精神耐久値が底を尽いた彼女は、間抜けな声と共に目を渦巻きにして夢見の悪い眠りへと突入した。

『ケロッパケロッパ』
『ケーロケーロ』
『ケロケロケロケロ』
「ござー……うぅ、奴らが……奴らがぁぁ――」

 丁度いいステージだとでも思ったのか、仰向けに倒れた少女の体で一番盛り上がっている、世間一般の平均的な数値を凌駕した場所で、数匹の蛙が登頂成功のケロケロを上げていたが、それは彼女が意識を取り戻しても教えぬ方がいい。

「ハァー……ハァー……!」
「オォ、楓を投げ飛ばすとは。さては前より腕を上げたアルな、ジロー!」
「うるさしっ! お願いだから、今は蛙の捕獲にだけ集中してくれ」

 正気を失っていたとはいえ、楓を投げ飛ばしたジローに瞳を輝かせているクーフェイが、蛙の入った透明なビニール袋片手に構えている。
 場所と状況を考慮せず勝負を挑みかかりそうな少女に半眼になって、シッシッと煩わしげに手を振るジロー。ある程度の騒ぎや踊りの見物は楽しいが、自分が中心になって騒いで踊りまわっては御免だった。

『クルァークルァー』
『ゲーコーゲーコー』
「こいつら……本気で喧嘩する気あるのか?」

 無駄につぶらな瞳で自分を見上げ、喉を膨らまして美声を披露してくれる蛙に眉間の皺を深め、ぶつぶつと口の中で文句を転がしながら捕獲を続ける。
 この妨害工作だけで判断するわけにはいかないのだが、まるで気合を入れて勉強したテストのレベルが、高校大学ではなく小学一年生レベルだった気分。

(それで終わるなら、これぐらいの妨害は我慢できるけど……ヤッバイなぁ、備えあれば〜とは言うけど、備えすぎたか?)

 封筒を奪った燕の式神を追いかけたネギの背中を思い出しつつ、複雑な気分になって頬を掻く。
 下手をすると、自分が一番の危険人物認定を受けそうな『仕込み』をしていたからだ。

「ジロー、ジロー、捕まえたカエルはどーするアルか?」
「そーさなぁ……」

 一先ず満杯になったビニール袋を掲げて、クーフェイがその処断方法を尋ねる。
 体をしゃがめて蛙をビニール袋に詰め込んでいたジローが、首だけ上げてクーフェイの手に握られた袋の中で、ガサガサピョンピョンと抵抗を続ける両生類に、僅かに目蓋を下げた力ない目を向けて、

「あー……さすがにホテルに持ち込んでも調理に困るだろうし。うん、どっかで捌くか」
『ケロッ!?』
「オォ、なるほど」
『え゛?』

 何の気負いもなく、本当にそれが何でもない感じで、蛙達の『処分方法』を告げた。
 中国出身だけに、ジローの発言に免疫を持っていたらしいクーフェイは笑顔で納得し、新しい袋を取り出して蛙の捕獲を再開するが、周りにいた日本出身の恵まれ過ぎた食事環境にいる女子中学生達は、胃の腑に氷塊を突っ込まれたように動きを止め、恐ろしいものを見る目でジローを見ていた。

『ゲココッ、ゲコォーッ!?』
『ケッ、ケロケロケロケロ!!』
『ガギグゲコーッ!?』

 辺りを飛び跳ねていた蛙達が、ジローの足元から逃亡を開始している。
 生徒達からも発せられる畏怖の視線に包まれながら、ジローは低いどよめきの中で目を細め、聞いた者を凍てつかせる声で問いかけた。
 その間も、逃げる小さな緑色のケロケロを追い詰める足は止めない。

「――――俺とお前ら、どっちが『ピラミッド』で上位消費者をしてるか……わかるよ、ナァ?」
『――――ケコ』

 扉の前に追い込まれ揃って涙目になった蛙達が、同じく涙目な3Aの少女達の手で一匹残らず捕獲されるまで、そう長い時間はかからなかった。
 念のために断っておくが、捕獲した蛙達が捌かれて唐揚げやフロッグ&チップスにハンバーグ、炒め物、モッツァレラ・サラダの具材等になるようなことはなかった。
 決して、断じて、誓ってなかった。

「もしかしたらで捌こうとしたけど、ナイフ入れる端から呪符に戻りやがった……」
「何にナイフを入れたの、ジローさん?」
「いや、特に重要なことじゃないよ」
「?」

 しかめっ面で呟くジローと、訝しげに首を傾げるネギの姿で安心していただきたい――――







「――あの、ジロー先生」
「ん……どうした、刹那?」

 落とし穴に大発生していた蛙を処分した後、恋占いの石の前に穴が開いていると社務所に報告して、先に音羽の滝に向かったネギや3Aの少女達を追いかけようとしたジローに、建物の陰から姿を現した、袋入りの野太刀を持った左サイドポニーの少女――桜咲刹那が遠慮がちに声をかけた。
 神鳴流の剣士として癖になっているのか、ろくに気配も感じさせずに接近した刹那に驚くでもなく、足を止めたジローが声をかけた理由を問う視線を彼女に返す。

「い、いえ、その……ネギ先生もクラスのみんなも、もうバスに戻ってしまったので呼びに――」
「は……何故に? まだみんなが向かって二十分経ってないぞ?」

 ジローは、見学時間はまだ半時間はあるぞ、と言った。
 気まずそうに目を逸らして、非常に言い難そうに伝えられた内容に眉をひそめ、訝しげな顔で音羽の滝がある方向を仰ぎ見た彼に、刹那が説明を続ける。

「音羽の滝の列に並ぶまでは何ともなかったのですが……みなさんが一番左の縁結びの滝の水を飲み始めた途端、『とても効果がありそうな、霊験あらたかな味』と騒ぎ出して……」
「水の味わかるのか、あいつら? ま、まあ、そこまではうちのクラスなら『ああ、やりそうだなぁ』って諦め半分に納得できてしまうんだけど……夕映ちゃん、みんなに教えなかったんだろうか」
「……綾瀬さんが何か?」

 顎に手をあて思案顔になったジローに、僅かに表情を硬くした刹那が問う。

「いや、特にたいした問題じゃないのかもしれないけど」

 そう前置きして、話に出た少女から聞いた話を刹那に伝えた。内心、顔を微かに強張らせている少女に首を傾げながら。

「音羽の滝って右から健康・学業・縁結びになってるんだけど、まあそれは置いておくとして。まとめて飲むと効き目がなくなる上に、一本に絞っても、二口飲んだらご利益二分の一、三口飲んだら三分の一って話もあってな……」
「え゛……」

 ちなみにこれは余談だが、音羽の滝の本来の効能は健康・美容・出世で、先に挙げた三つの効能は観光用だという話もある。
 水源は、東山断層の割れ目から噴出した鴨川の地下伏流水。地下で丹念に磨かれた純水で、『金色水』、『延命水』とも称される霊水の名に恥じぬ味わいを持つ。
 界隈に住む地元住人達が、お茶を淹れるのに使用するために汲みに来ることからも、音羽の滝の水の美味しさが知れよう。
 閑話休題――――

「――んで? その霊験あらたかな味の水を飲んで騒いで、結局どうなったんだ? お腹が冷えたなら、バスに戻るより先に行く場所があるだろうし」

 水を飲んで騒いだことと、みんなが既にバスへ乗り込んでしまったこと。二つの関連がわからず、ジローが先の話を促した。
 地味にお腹が冷えた場合の行き先をぼかしはしたが、面と向かって少女に言うには少々問題がありそうな発言に一層渋面になっている青年へ、恥じらいよりも怯えを覚える刹那。
 相手が違う内容でそうしているとわかっていても、こうまでしかめっ面で話されると、責められていると感じても仕方あるまい。

「それが……縁結びの滝にだけお酒が流れるよう、屋根の上に細工がされていて……。みなさん、それを美味しいと何度もお替りして――」
「………………ナンデスト?」
「ジ、ジロー先生っ!?」

 未成年の女子中学生達が修学旅行先で酔い潰れたと聞かされ、眩暈がしたジローが堪らず膝を突き、顔に手を当てて特大のため息を吐き出した。
 口から出てくる深くて長いため息が上擦っているところからも、青年の落胆虚脱その他の感情が窺える。

「ハアァァァァ〜……どこまでも悪質な悪戯レベルなのが、余計に腹立たしいような、情けないような……。あー、ちなみに、滝に流れてたのはどんな酒だったのよ?」

 気を平静に保つためか、それとも単純に興味が湧いたからか。しゃがみ込んだまま、ジローはそんなことを聞いた。
 自身が特に気にしていなかったことを問われ、若干焦って記憶を掘り返した刹那が、少々自信なさげに答える。

「は? お、お酒の名前ですか? えっと、確か『美少年』と書いてあったよーな……」
「……縁結びとかけたと言いたいのか、コノヤロー。つーか、何故に熊本の酒を持ってくる? どうせなら京都の地酒使えっつーの……」
「く、詳しいですね……というか、文句を言うところがずれてませんか、ジロー先生?」

 お酒に詳しくない刹那だが、それでもブチブチと妨害に使用された酒について物申しているジローに、そこに突っ込んでどうする、と突っ込みを入れて現実に引っ張り戻す。
 年下の少女、しかも生徒にやんわり窘められて、もう一度ため息をついた彼は、まだ納得できないという気持ちを滲ませながらだが、頭を切り替えることにした。

「ハァ……あー、それでみんな先にバスへ戻ったのね。よく他の引率の先生にバレなんだなぁ……」

 指の間から胡乱な目を覗かせて、息も絶え絶えに絞り出した声を少女に向ける。自分への伝達が行われていないのは、この際どうでもいいことにして。
 未成年、しかも修学旅行という学業の一環で訪れた場所で飲酒を行ったなどとバレれば、初日にして旅行は中止。
 飲酒とはまったく関係ないのに、麻帆良へ戻されてしまう他のクラスからは、顰蹙と怨嗟を浴びることになるだろうし、加えて飲酒をしてしまった生徒、悪ければ3Aの生徒全員が停学なんてこともありうる。

「くだらない妨害工作だけど、こればっかりは洒落にならん」

 教育委員会やPTAを相手取って勝利する自信など、ジローは一片たりとも持ち合わせていないのだ。
 今回の妨害に関して唯一と言っていい幸運に、地主神社の祭神に祈りを捧げながら、額に滲んだ嫌な汗を拭う。

「いえ、危ない所で瀬流彦先生が来て、バスに酔い潰れた人を運ぶのを手伝ってくださって……。一応、ネギ先生や神楽坂さんの『朝の騒ぎの疲れが出て眠ってしまった』、という話を信じた形で」
「うあー……後でお礼言っておかないと。他の先生達にも、上手いこと誤魔化してくれたんだろうし……」
「は、はい、色々と手を回してくださったみたいです……」

 神様以外に味方してくれる人がいてよかった。よろめきながら立ち上がり、膝の砂を払ったジローが、『話の分かる』先生に対しても感謝の言葉を述べた。

「本当ですね……」

 刹那も彼に同意して、声に出さずだが瀬流彦へ感謝する。まだ完全に危険が去ったわけではないので、安心する早いと思わなくもないが。
 安堵の息をついて見上げた二人の視線の先で、いかにもお人好しそうな柔和な顔立ちで、常に目を細めて笑っている印象のある瀬流彦の顔が浮かんでいた。
 その顔は、まるで重大なプロジェクトを一人やり遂げた会社員の様に輝いていた。

「あー、今回の修学旅行、魔法先生は『二人しかいない』からなぁ」

 唐突に、ジローが頭を掻きながらぼやくように言った。

「そういえば、『魔法先生は二人だけ』でしたね……」

 今更確かめる必要もないことをわざわざ声に出した二人の顔には、それぞれ異なった表情が浮かんでいる。
 ジローの顔には、何やら間違った方向で悟りを開いた達観の表情が。そして、刹那の顔には不満と、固い決意を匂わせる頑なさを感じさせる表情が。

「ま、早いとこ親書を渡して、少しでも楽になりたいもんさね」
「…………はい」

 少女の雰囲気が、どこか痛々しいものを孕んだことに気付いても、それを指摘するでも注意するでもなく、ジローは「ネギには頑張ってもらわんとなぁ」と他人事のように呟いて歩き出そうとして、

「ぁ――」
「ん? どうかしたのか?」

 唐突に重要なことを思い出した風に声を上げた少女に、その歩みを止めて振り返る。
 片眉を上げて訝しげな顔をするジローに手を振り、「ただの勘違いかもしれませんが」と前置きを挟んで、刹那は朝の新幹線の時から気になっていたことについて尋ねた。

「朝、列車の中でカエルの騒動があった時、ネギ先生が敵に親書を奪われたんですけど……」
「あー、盗られてたな。懐に入れてたもんを、わざわざ外に出して確認したから」

 京都行きの新幹線の車両内で起きた騒ぎが再生され、一気に顔の渋みが増していくジローを見て、疑問は疑問のままで置いておいた方がよかったかと後悔するが、口に出してしまった以上、仕方がない。
 一度ジローから目を逸らし、小さく息を吐いて緊張を解してから刹那は、

「その、ですね。私が見たものを信じるならですが…………学園長に渡された親書、ジロー先生が持っているのでは?」

 ババ抜きでお互い手札が二枚になった場面で、恐る恐る相手の手札を抜き取る時の心境。
 飄然と佇むジローに問う刹那の脳裏で、今朝新幹線の中であった出来事が再生された――――







「気をつけた方がいいですね、先生――――特に……向こうに着いてからはね」
「あ、どうもご親切に……」

 メルディアナ魔法学校の卒業試験で、麻帆良学園の教師をしにやって来た子供先生に、妨害者の放った式神に奪われかけた親書を手渡し、ついでに思わせぶりな言葉を残したのは、刹那なりの気遣いであった。
 魔法使いとして稀有な才能を持っているというのは、赴任時に学園長から説明され、また、魔法使いの間で語り草になっているサウザンドマスターの血を引いていることからも、ある程度推測できる。
 加えて、先日の大停電の夜。学園結界の封印が解けたことで、在りし日の力を取り戻した『闇の福音』――エヴァンジェリンを相手に、一杯一杯ながらも停電終了まで戦えたことを見れば、少年の分不相応な魔法の才能が分かるというもの。
 だがしかし。

(オイオイ、兄貴!! 何が「どうも」だよ!? あの女、メッチャ怪しいじゃねーか。気をつけろよ!!)
(え!? どーゆーコト?)

 肩に乗せたオコジョ妖精の言葉に首を傾げているネギを見て、刹那が下した評価は、

(正直、心許ないな……。魔法の才能と技術はあるようだが、こと実戦に於ける心構えや警戒心というものが足りない……というより、欠如しているように見える)

 と、中々に辛辣なものであった。
 実戦経験が皆無なのだから仕方ないといえばそれまでだが、これから向かう先に待ち構えているのは、関西呪術協会の一部強硬派の妨害。
 蛙や式神を使っての親書強奪などならば、いくつか対処の仕様もあるが、ネギが戦闘経験皆無の新米魔法使いだと知れば、強攻策に出る可能性もある。
 その辺り、気を引き締めてもらうために、怪しまれるのを覚悟して忠告を行ったのだが。

「じゃ、じゃあ、僕は先に車両へ戻りますねッ! さっ、桜咲さんも早めに帰ってきてくださいね!?」
(無駄に緊張させただけか……)

 怯えた視線を残して、バタバタと前方の車両へ逃げていくネギを見送り、小さくため息をつく。
 自分の狙いと外れたのもそうだが、ほんの少しばかり、知り合いの使い魔(自称)の青年の苦労を理解してしまったからだ。

(――まあ、ネギ先生だけでなくジロー先生もいるし、私の方でもそれとなくサポートすれば、無事に修学旅行を終えられるか)

 自称・使い魔で副担任な青年――ジローに今後の作戦の相談と、ついでにネギに抱かれたらしい誤解を解いてもらえるよう、お願いしておこう。
 ただ単に話をする切っ掛けにしているような。そこはかとなく感じる不謹慎さに目を瞑り、先に車両へ戻ったネギを追いかけるように歩き出す刹那。

『うわっ!?』
『あー、何だ……他の人に迷惑だから、あんま目を閉じて頭抱えながら走るな。たぶん、鍛えていない人には悶絶必至な威力だ』
『う、うん、ゴメン、ジローさん』
(やれやれ……)

 車両に大発生した蛙の問題を解決して様子を見に来たのか、車両と車両の間のスペースに、普段通りの穏やか、というより緩くて眠たそうな眼差しでジローが立っていた。
 そのすぐ前に、頭を押さえて謝っているネギの姿もある。どうやら前方確認を怠って、自動ドアを潜って現れたジローの腹部に、結構な勢いで突進をかましてしまったらしい。
 痛がっているのがネギだけなのは、単純にジローが頑丈だからなのか、それとも不意打ちにも関わらず、瞬間的に腹に力を込められたからなのか。

(……ジロー先生の場合、暗がりで完璧な不意打ちをされても、『何となく危なく感じた』なんて言って対処できそうですしね)

 自動ドアを作動させぬよう注意しながら、色付きで見難い覗き窓の向こうで会話しているジローとネギの様子を窺う。

『カエルの方はどうなったの?』
『あー、無事に捕獲しきったよ。俺が責任持って処分するから、お前さんは適当にクラスの連中と話を合わせてくれ』
『わかったよ』

 ようするに、知らぬ存ぜぬを貫いてくれということか。
 確かに、下手に誤魔化そうとすれば3Aの生徒達のこと。余計に騒ぎを大きくしかねない。
 妙に手馴れたクラスの女子達への対応と、ネギを刺激しない物言いに感心すると同時に、「それでいいのだろうか」と疑問を覚える。
 ある部分で仕方ないとも思うが、どうもジローには、人を騙すことや誤魔化し、煙に巻く行為への躊躇がない気がしたからだ。
 本人からすれば、ちゃんと悩んでいるし、騙すことへの罪悪感もあると言うのだろうが、刹那にはその具合度合いが、自分達とズレているように感じていた。

(それ相応の人生経験をしてる、といつか聞いたが……何をどう経験すれば、ああなるんだろう?)

 麻帆良の魔法先生や魔法生徒を代表される正義の魔法使いや、自分のように『守りたい者』のために戦う者とも、どこかしら違っているのだ。
 違和感。考え方や捉え方の違いが生む捉え難さが、彼には常に纏わりついていると、色付きの樹脂ガラス越しの曇った視界に立つ青年を見ながら思う。

(味方として心強いのは確かですけどね……)

 ただ、それがあっても疑惑や警戒心を抱きにくいのは、彼の人徳なのだろう。
 心身の疲労で荒んだり、歳に似合わぬ枯れ具合や老成ぶりが目立つが、恐らくは基本姿勢である、緩さと飄々さが混ざった立ち居振る舞いを見ていると、疑惑や警戒心を抱く自分が間抜けに感じるというか、馬鹿らしくなるというか。

(ま、まあ、これには多少の贔屓目があるかもしれませんが――――?)

 憎からず思っていないこともない青年についての考察で、僅かに赤面した刹那だが、その直後、自動ドアの向こうで交わされる会話に気付いて、覗き窓からの盗み見を再開する。

『あー、ネギさんや、さっき気をつけるって決意を新たにしたのに、もう落としてるぞ?』
『え゛、ええ!? わわっ、ホントだ!? ゴメンさない、ジローさん!!』
(?)

 話も終わり、前の車両へ戻ろうとしたネギを呼び止めて、ジローが手に持った白い封筒――後ろが麻帆良学園の校章入りの蝋で閉じられていることから、どうやら親書と思われる――を渡しているのが見えた。

『別にいいって、何度も同じ失敗さえしなけりゃ』
『ウ、ウン!』

 ポンポン、と優しい手つきで頭を撫でてネギを送り出す。
 今度こそ3Aの少女達がいる車両に戻るため、自動ドアを潜った少年の姿が完全に消える。一人残ったジローが、背中の筋を伸ばすために伸びをした。
 そこまでなら、実に微笑ましい光景で終わったのだが。伸びを終えたジローが次に行った行動に、刹那の目が見開かれた。

『…………』
(え……?)

 胸中で疑問の声を上げるのと同時に息を呑む。
 一体どうなっているのか。背広の内ポケットからジローが取り出したのは――――







「――――あれはどう考えても、ネギ先生に渡したものと同じ封筒だったのですが」

 相手の手札を引き抜いたところで、刹那はカードの確認を行う前に、目の前の青年の様子を窺った。

「あー、あれ見てたのかぁ」

 ネギに偽物の親書を持たせているのか。言外にそう問いながら、顔に非難の色を乗せて口を噤んでいる少女に苦笑いしたジローは、悪びれた様子もなく、背広の内ポケットに入れていた白い封筒を取り出した。
 後ろには、麻帆良学園の正式な書類であることを示す、校章入りの赤い蝋の封。

「やっぱり……少し度が過ぎるんじゃないですか?」

 言ってみれば、体よくネギを囮にしているのだから。
 確かにジローが親書を持っていた方が、様々な面で安全が約束されるが、何も知らない少年を嘲笑うようなやり口は、刹那には賛同しかねた。
 未熟な上に頑張りが空回りしがちだが、それでもネギの努力を踏み躙るやり方はいかがなものかと思う。

「んー……別に刹那が考えてそうな、あくどい真似はしてないんだけど」

 指に挟み持った封筒をヒラヒラ揺らし、真面目なのかどうか判別つかない緩い眼差しを返すジロー。
 それでも非難の色が消えない少女の視線に、わざとらしく嘆息して、ジローは「しゃあないか……」と小さく呟いた。

「あー、ちょっと離れた方がいいと思うぞ、ウン」

 どうしてか、急に周囲に人払いと防音の結界を展開させ、自身も障壁を纏ったジローが、戸惑いながらも数歩後退した刹那を確認し、

「ジロー先生? 一体何をする気――ちょっと、あのッ!?」
「――よっと」

 慌てて制止する少女に構わず、封筒を閉じていた蝋を剥がして、中身を取り出した。
 瞬間、

 ――ズドバンッ!! 

 何故か空になった封筒が火を噴いた。手紙を持っていたジローの身体を、炎の塊が飲み込んだ。

「は? え、え? え゛えぇぇぇっ!?」

 火を噴くでは表現が足りない、爆炎と呼んで差し支えない炎にジローが飲み込まれるのを目撃して、刹那が上擦った声を上げる。
 事前に人払いや防音の結界を張り、障壁まで纏った理由は理解したが、紙でできているはずの封筒が爆発する理由がわからない。
 あれではまるで小型の爆弾ではないか。もしかすると、一定の手順を踏まずに親書を開くと、爆発する魔法でも施されていたのだろうか。
 いや、だとしてもおかしい。親書の内容を秘守するにしても、威力が尋常ではない、というか完全に殺傷設定だ。
 それ以前に、ネギに渡した親書の封筒は魔力など感じられない、ただの紙だったはず。
 半ばパニックに陥りながら、残った冷静な部分をフル回転させて思考する。

「――――――――」
「ケホッ……」

 威力の高すぎる爆炎だったが、その燃焼時間は非常に短く、呆気なくも感じる時間で鎮火した。
 一瞬前の、手紙を取り出した格好のままで炎に包まれたジローだったが、障壁のお陰で火傷どころか、煤の一つも見受けられない状態で立っている。
 何がどうなっているのか。
 もう、あまりにぶっ飛んだ状況の変化についていけず、ぽかんと口を開けるしかない刹那に、眠いのか緩いのかわからない目付きのジローが、障壁や周囲の結界を解除しながら語りだした。

「あー…………相手は魔法使い連中だし、火の魔法とかは気付かれる可能性が高かったからさぁ。こういう場合は基本の手段手法に頼るがよかろう、でちょっと材料集めてダミーの親書をこさえておいたわけさ」
「は、はあ……」
「仕組みは単純で、封が切られて外気に数秒触れたら発火するよう、薬品やら染みこませたり、粉を入れたり――まあ、どんな材料をどう混ぜるとかは割愛させてもらうけどな」

 材料さえ手に入れば、子供でも作れるからと言われても、少なくとも自分にはそんな危険な化学の知識はないです。
 胸中で呟く刹那を余所に、一気に危険人物への道を駆け上っている青年の語りは続く。

「で、朝のうちにネギの懐から本物の親書を抜き取って、すり替えておいたわけさね」
「それは……ネギ先生が親書を盗まれると確信していたから、ですか?」
「んなわきゃねぇですけど、絶対に盗まれない可能性もないわけですし? たいていの魔法使いは、魔力なり感知できなけりゃ油断してくれっから、もろで直撃喰らってくださるかな、って」

 次第に白くなっていく少女の視線に耐えかねて、少し顔を逸らすジロー。「ちゃんと呪術協会の総本山に行く時までには、返しておくつもりだったさ」と、ふてぶてしく瞳が語っている辺り、本気で反省はしていないのだろう。
 口調が三流の脇役っぽくなっているのは、その場の空気を少しでも温めるための要らぬ心遣いか。

「でも、おっかしいなぁ、聞いた分量通りに配合したんだけど……」

 俺が喰らったのは、もっと威力控えめだった気がする、とジローがぼやく。
 「もしかして、あいつなりの優しさ?」や「『アルバイトで覚えました』って、どーいう仕事だよ……」、「変な虫がつかないよう、一緒に帰宅しろ? ハッ、冗談、虫の方が逃げるわ」など、徐々に誰かに対する疑問から悪態へ変化していく呟きに、刹那の顔が引き攣る。
 彼が『ここ』にいる経緯を考えれば、おいそれと興味本位で聞くわけにいかないのだが。この時ばかりは、八房ジローというか八房次郎の人間関係を知りたいと、冗談抜きに思ってしまった。

「――何にせよ俺に言えるのは、惜しいことをしたって事だけか。さっきの手紙がスムーズに敵に渡っていたら、一発で片がついてたはずなのに」
「そこで唐突に、『お前のせいで妨害が続いてしまう』、みたいな言い方をするんですか!?」

 だが、そんな刹那の思いも、急に回想モードから復帰したジローの冷ややかな視線に砕け散らされてしまった。
 自分はただ、義務感とネギに対する親切心から、式神に奪われた親書――と見せかけた手紙爆弾だったが――を取り返しただけなのに。
 思わず目を剥いて抗議した刹那に、何故か満足そうな顔で口元を緩め、ジローは理不尽な責めに眉をひそめている少女を置いて、さっさとバスへ戻るために歩き出す。

「え、あれっ?」
「あー、よく考えたら、いつ酔い潰れた連中が他の先生に見つかるかわかったもんじゃないし、迅速に行動しないといけないんだった」
「あの、ちょっとジロー先生!?」
「刹那もバスに乗り遅れないよう気をつけてな〜。つーか、さっさと来るように」

 慌てて追い縋ろうとした刹那の視界から、手品のようにジローの姿が消えた。
 どうやら一足先にバスへ戻るために、瞬動――足元に溜めた気や魔力を爆発させて、数メートルの距離を一瞬で移動する術――を連続で使用したらしい。
 辺りを探っても、彼の気配はまったく感じられなくなっていた。
 一人残された刹那の足元を、季節外れの枯れ葉を運ぶ風が、ヒュルリと渦を巻いて通り過ぎていく。

「……どうして置いていかれたのか、訳が分からないんですけど」

 しかも、酷く理不尽なことを言われた気がする。みんながバスに戻っているのを知らせに、わざわざ探しに来たというのに。
 所在無く伸ばした片手を下ろして、若干口を尖らせ気味に歩く。

「どこから話を逸らされたんでしょうか……」

 つい先ほど、親書について問い詰める時、自分はお互いに手札が二枚になった場面でのババ抜きを想像したのだが、どうやらそれは間違いだったらしい。
 胸中に湧いてくる、怒りと呼ぶには若干色の薄い、苛立ち辺りが妥当な感情に足を速めながら、刹那は自分が引いた、ジローの手札をイメージする。
 きっと彼が持っていたのは、数字や絵が描かれたトランプではなく、松や梅が描かれた花札か何かだったに違いない。

「あいつの言う通り、ジロー先生は信頼しても信用しない方がいいんだろうか……」

 よく一緒に仕事をする、魔眼持ちの褐色ロングヘアーのスナイパー少女(?)が、何かの拍子に言っていた言葉を思い出して、今更ながら同意してしまう。
 バスが停車している駐車場までの彼女の足取りは、酷く疲れているように重たかった。
 ネギ達よりも早くジローを捜し出したのは、当然ながら出発を早めて『彼女』の守りを厚くし、より安全確実にホテルへ向かいたいという意図があったからなのだが。
 分かりにくくも好意を表せるのではないかと、心の奥の奥の方で考えていたのかもしれない。
 自分でも少し驚くぐらいに落ち込んだテンション。

「結局、私の一人相撲だな……」

 こういう事だけじゃなくて、自分が守ると誓った『少女』の護衛にしても。無性に重く感じる足取りのまま、自嘲するように刹那は微笑んだ。

「守る、か……」

 自分とジローの『守る』をぶつけ合った時、どちらに皹が入るのかなんて考えるまでもない。
 鬱々と、底なし沼みたいに心を飲み込んでいく暗い感情。いつの間にか、足は止まってしまっていた。

「やっぱり私は、『血』だけじゃなくて性根まで――」

 見当違いも甚だしい嫉妬をしかけている自分に、刹那は思わず嫌悪を――

「――シリアス決めてるとこ悪いけどぉ、まずは優先的に修学旅行のルールを守ろうや。旅の栞一ページ目〜、みんなで移動・単独行動の禁止・時間の厳守。はい、りぴーとあふたーみー?」
「――へ?」

 抱きかけたのだが。
 何故か目の前に出現して、発音の悪い英語と共に肩に手を置いたジローによって、後ろ向きで暗くじめついた思考が吹き飛ばされた。
 虚を突かれて目を瞬かせている刹那に、相変わらず真面目なのかどうかわからない緩い眼差しを返して、

「いやいや、『――へ?』じゃなくてだな。色んな意味で危険な連中を運ぶために、すぐにでも出発したかったわけですよ、僕ぁ。バスの中、通夜会場みたいにみんな項垂れてるし、酒の匂い充満してて頭フラフラになるし……ああもうっ、無駄にテンション上げて米俵みたく担いで運ぶぞ? お前の希望は聞いてないけど」

 早口で捲くし立るや否や、痺れを切らせた様子で刹那を肩に担ぎ上げて、駐車場にあるバスとは違う方向を目指して駆け出すジロー。
 もう、相手の向きがどちらでも関係ないのか、前側に頭が来ている。抱えられている当の少女に、「持ちにくいんじゃ……」と心配される始末。
 「知ってるか? 気分悪い人間に車のエアコンの匂いは凶器なんだぞ?」走りながら彼は短く、だが明確にバス内の危機を伝えた。
 だが、そんなことを教えられても、今の彼女に感想を述べるような余裕はない。

「うわっ、わわわわわっ!?」

 ガタガタと、悪路を突き進むジープに匹敵する振動が刹那をシェイクしている。

「うぅ、一歩ごとに揺れがきつくなるぞ、オイィ。あー、宿に着いたら俺は部屋で休むぞ、絶対だ。もう風呂の時間になるまで、部屋に引き篭もって備え付けのお茶と茶菓子で一休みしてやる……」

 まさか、バスの車内に満ちた酒気だけで酔ってしまったのだろうか。
 妙に潤んだ瞳と朱の入った顔で呟いている青年を、山で捕らえられた熊か何かの如く抱えられた状態で見上げ、唖然とする刹那。
 それでも頬が照れによって多少赤らんでいるのは、何とも現金なものだが。

「――って、ああ、あのっ、ジロー先生!! さっきから駆けている方向が、バババスのあるるっ、駐車場と違っ、違う気がするんですけど!?」

 舌を噛みそうな振動の中、途切れ途切れに報告した少女へ熱の篭った瞳――あくまで酔っ払いの酔眼である――を向け、ジローはヤケクソになった様に叫んだ。

「いつまで経っても誰かさんが戻ってこなくて、何故か俺が居残って捜すってことで話が纏ってですねー!? 何かもう、俺もそれでいいやって気分になったから、先にバスを出発させたんだよ、阿呆! 仕方ないから、このまま一直線にホテルまで突っ走る!!」
「ちょっ、え゛え!?」

 魔法の秘匿云々以前に、他に突っ込みを入れるべき部分が多すぎて混乱する刹那の叫びを引き連れて、ジローは建物の屋根や電信柱の天辺と、次から次に移動していく。

「あー、もう……何だ、こういう時に『不幸だぁぁっ!』なんて叫べばいいんですかー!?」
「私に聞かないでください!? そ、それより自分で走りますから、まずは下ろしてくださいぃぃぃぃっ!!」

 羞恥か、それとも不本意な形ではあるが、思わぬ異性の大接近を味わってか。
 真っ赤になった肌と同じ色に染まっていく、黄昏時が近付いた京都の空に、泣き声の混じった刹那の懇願が響き渡った。

(あー…………今更ながら、エヴァの言葉が腑に落ちた。切っ掛け以外、俺の不幸苦労は全部自分のせいですよ、バカヤロォ)

 慣れないことをしたせいか、耳の辺りが熱く感じる。大根役者もいいところだ、と声に出さず吐き捨てた。
 口をへの字に結び、少女一人を肩に担いで器用に走っていた電線から飛び降りつつ、ジローは胸中で滂沱の涙を流していた。
 認めたくなかった、認めてはいけなかった何かを、自分の心が美味しく消化してしまったのを感じたから。
 まさに今が働き盛り。体だけでなく、心まで高カロリーな食事を求めているというのか。
 本人の問題は本人で解決、が隠れたモットーである十七歳の自称使い魔の青年・八房ジローの、自発か自爆か自滅的な苦労の仕方であった。

「あぁっ!? 私のことよりお嬢様です! もしもバスに罠が仕掛けられていて、走行中に発動でもしたら――!!」
「ハァ……護衛なんだから、イの一番にその可能性に思い至ってくれよ……。そんなもん天井の表に裏、車体の下の隅から隅、荷物入れるとこにホイールエンジンその他諸々。存在する隙間という隙間に穴という穴、きっちりかっきり調べ尽くして来てるっつーの」
「な、何だか表現が卑猥な気が――」
「どう聞けば、さっきの話からそんな表現を発見できるのか教えてくれませんかー? 俺と違って思春期真っ盛りで、感受性豊かな刹那さーん…………阿呆か、こンの糞たわけが!!」
「きゃああぁぁぁぁっ!?」

 危うく放り投げられそうになった少女が気付いていたのかどうか、それは不明であるが。
 少なくとも肩に宣言通り米俵みたく担がれて運ばれている間、刹那が自分で生み出し、自身を苛ませていた自虐的で暗く淀んだ思考は、どこにも見当たらなかった。
 一つ問題があったとすれば。
 ジローが青田買いしてしまった苦労と、まったく割りが合っていない感じがする。
 ただその程度のことであった――――









 ちなみに、佐〇急便のトラックに描かれている飛脚よろしく刹那をホテルへ運び終え、

「ど、どうして私達より先に着いてるですか?」
「あー、運良く、京都案内の達人を自称するタクシーの運ちゃんを捕まえて――」
「それこそ地主神社から一直線に障害物の上を走れば、まあ可能かもしれませんが……」
「はは、実はそうなんだ。『貫け俺の三つ葉タクシー!』なんて言って――」
「ハァ……バカにしてるですか?」

 遅れて到着して首を傾げたさる少女を口八丁でだまくらかし、というか有耶無耶にして、

「むっ、ホテルでお約束のショボイお土産物販売所が。ちょ、ちょっと見に行くですよ」
「あー、はいはい。……念のために木刀とおはじきでも買っておくか?」
「確かに木刀は修学旅行の定番と聞きますが……何故おはじきまで? というか、念のためとは?」

 土産物屋に入ってすぐ、籠の中に何本も無造作に突っ込まれている木刀を一本掴み取り、曲がっていないかを確かめながら呟いたジローに、訝しげに眉をひそめたジュース好きの少女が問う。

「ん? ああ、防犯」
「何言ってるですか……」
「何言ってるんだろうねぇ」

 どんなに真面目な話でも、ふざけた調子で語ればろくに相手にされない。
 そんな例の一つを実証しつつ、土産物屋を物色した後、ジローは自分の言葉通り、用意された部屋に引き篭もった。
 そして、ホテルに備え付けられた、日本庭園を思わせる見た目にも素晴らしい、疲労回復、神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、痛風等に効く単純弱放射能泉(天然ラジウム温泉)に浸かって、暫し魂の救済――命の洗濯でも心の休息でもなく、魂の救済という単語が真っ先に出てきたことに、着々と『さるシスター』のお説教が効いてきていると、密かに恐れ慄いた――を堪能して、修学旅行初日の疲労心労を癒したジローは、

「――敵の嫌がらせは明日以降、さらにエスカレートしていきそうです。このままでは、このかお嬢様に被害が及びかねません。今夜も怪しいものですし、それなりの対策を講じなくては……」

 刹那が関西呪術協会の回し者だという、ネギやカモの誤解を解き、

「また魔法の厄介事かー」
「すいません、アスナさん」
「ふふっ……どーせまた助けて欲しいって言うんでしょ? いいよ、ちょっとなら力を貸したげるから」

 前回のエヴァの事件の時と同じく、実に男らしくて頼もしい台詞と共に、魔法使いであるネギ少年の協力要請を快諾したアスナを交えた、3A防衛隊(ネギ命名)の今後の作戦会議にて。

「――ネギ先生は優秀な西洋魔術師と聞いていましたので、上手く対処してくれると思ったのですが……意外と対応が不甲斐なかったので、敵も調子に乗ったようです」
「あうっ、ス、スミマセン!! まだ未熟なもので……」

 と、じとっとした非難の視線と、ガッカリしたと言いたげな失望のため息で、ネギ少年に頭を下げさせた刹那に近付いて目線を合わせ、

「ぇ、ぁ、あの、ジロー先生……?」
「あー、いやな? 刹那の言い分には納得せざるを得ない場所もあるし、むしろもっと言うべきだろうって場所もあるんだけど――」

 湯上りという理由以外で火照った少女の頬を、繊細な美術品にでも触れる力加減で抓み、

「いやー……あれだな、一応は家族な俺が心の中で色々文句付けたり、悪いとこ非難指摘するのは良くても――――人が同じことすると……しかも直接声に出されちゃうと、結構腹が立っちゃうもんなんだねぇ?」
「ひぅっ!? いひゃ、いひゃひでふっ、ひゃふぇてくだふぁひぃっ!?」
「うっわー、あれは痛いわよ……」
「容赦ねえな、相棒……」

 若干引いているアスナやカモに見守られながら、心行くまで少女の頬を抓って引っ張り回し、露天風呂だけでは解消しきれなかったストレスなどをこっそり発散したりしていた。

「ふぅ……ちょっとスッキリ」
「ひ、酷いです、ジロー先生……」
「理不尽な責めってのは、この世に五万とあるからな。何なら生き証人になってやるぞ?」
「……それを言われると、何だか抗議し辛いんですけど」

 今度は物理的な理由で真っ赤になった頬を擦って、涙目になっている刹那を余所に、ジローは特に運動をしたでもないのに、何故か額で輝く汗を浴衣の袖で拭って、満面の笑みを浮かべる。
 元普通人な使い魔の青年・八房ジロー、十七歳。
 こうした地味な方法で、ストックが有り余っている溜飲を下げ、過剰な栄養を摂取する心のダイエットに勤しんでしまうお年頃であった――――






後書き?) 十八話改正版。最初に書いたものと変わりすぎ……もう決まり文句ですね。新作です、はい。
 個人的には、こちらの方がジローらしさが出せている気もするし、各キャラにも出番を作れたかな、と思わないでもなかったり。
 少しジローの行動思考が硬い感じですが……百話辺りと見比べて、微妙に歪んでるけど、色々丸くなったんだなぁ、と感じていただけると嬉しいです。
 さて、次は京都編初の戦闘。盛り上がるよう書きたいと思います。
 感想や指摘、アドバイス、お待ちしております。

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