「修業は生かさず殺さず?」
すぐ近くで聞こえる焚き火の爆ぜる音と暖かさに、僕は目を覚ました。慌てて体を起こして状況を確認する。
現在、僕は裸で毛布一枚を身に纏っていた。後ろには誰が張ったのかテントがあって、近くの木には僕の物らしき服が紐に通されて揺れている。
昨日の夜遅く、不安や焦りで行く当ても無しに飛び出したことを思い出して、僕は顔を俯かせた。
『僕のせいでアスナさんやこのかさん、他のみんなに迷惑はかけられない』。そんな理由を作って、僕はどこか遠くへ逃げようと考えたんだ……。
エヴァンジェリンさんのことは、ジローさんが何とかしてくれると押し付けて。
そして、いつまでも逃げられるわけがないと知りながら、ウェールズに帰ろうかなんて馬鹿なことを考えて飛んでいた僕は、低空飛行のし過ぎで山の木にぶつかって川に落ちた。
「そ、そうだ僕の杖どこ!?」
大事な物が手元に無いことに今さら気がついて周囲を見渡したけど、それらしいものはどこにもない。
「ど、どうしよう……杖がなかったら僕ほとんど魔法使えないし、帰れなくなっちゃうよ〜」
『ワオ〜〜〜〜ン』
「ひっ! オ、オオカミ?」
遠くから聞こえた犬みたいな動物の遠吠えに、心細さが強くなる。半分泣きそうになって、故郷のお姉ちゃんやジローさん、そしてアスナさんの名前を叫びそうになったその時、
「おや。目を覚ましたようでござるな、ネギ坊主」
「な、長瀬さん?」
「あいあい」
紫色(ジローさんは、これは菖蒲色だって譲らなかったけど)の忍者服を着た、長身で後ろの髪を一房だけ伸ばして縛っている珍しい髪型をした僕の生徒の一人、長瀬楓さんが目の前に現れました――――
「へー、土日は寮を離れてここで修業してるんですか」
「そーでござるよ。最近は一人だけで修業するのも味気なくて、ジロー殿を誘ったりしているのだが、仕事が忙しいやら休日ぐらいゆっくり寝かせろと断られているでござる」
「あはは。ジローさん、僕と違って色々お仕事があるみたいですから……」
実にもったいないって零す長瀬さんを見ながら、僕はジローさんの弁護をしておいた。
同じ新米の先生なのに、僕とジローさんってどうして仕事量に違いがあるんだろう? やっぱりしっかりしてるから、いろんな仕事を任されてるかな。
「ネギ坊主はこんな山奥で何を?」
「えっ……」
考え事をしていた時に長瀬さんに聞かれて、僕は咄嗟に返す言葉が見つからなくて顔を強張らせる。
魔法でここまで飛んできたとは言えないし、魔法の杖をなくして帰ることもできなくなった、なんて答えられなくて、だんまりを決め込むしかなかった。
さっきから意識を集中して杖を探してるんだけど、ダメ魔法使いな僕に愛想を尽かしたのか、いつもなら目を閉じても場所ぐらいわかるのに、今は何の反応も返ってこない。
少しだけ晴れていた気分が、またすごいスピードで曇り始める。だというのに体は正直で、暗い気分とは裏腹にお腹が盛大な音を立てた。
「あう……」
「おや、ネギ坊主はお腹が空いてるでござるか?」
恥ずかしさで顔を赤くした僕に、笑いかけながら長瀬さんが提案してくれた。
「ネギ坊主、しばらく拙者と一緒に修業でもしてみるか?」
「――え?」
「ふふ、ここでは自給自足が基本でござる。岩魚でも獲ってみるでござるよ」
「あ、はい!」
思わぬ長瀬さんの提案だったけど、お腹が空いていた僕には嬉しい申し出だったから、勢いよく首を振って賛成した……んだけど――――
まあ、たしかに僕は賛成したんだけど、岩魚獲りでは――
「んー、ホレ。もっとこうしてポポポーーンと」
「そんなコトできませんよっ!!」
岩場を蹴って、空中で錐揉み状に体を回転させた長瀬さんが、目にも止まらぬ速さで手裏剣……苦無? を連続で投げて、泳いでる岩魚を難なく仕留める。
そんなアクロバティックな動きで岩魚を獲れって言われも困ります。
次の山菜採りでは――
「十六人に分身すれば、十六倍の速さで採れるでござるよ」
『頑張るでござるよ〜、ネギ坊主!』
「う、うわあああ〜〜〜!?」
恐らくオリジナルと思われる長瀬さんの声に続いて、十五人の長瀬さんが激励の言葉をハモリで送ってくれる。すごく不気味で、思わず悲鳴を上げちゃいました。
原理がどうなっているとかわからないけど、ちょっと……ううん、本気で怖いよ、これ。それと、質量がある分身って実物と同じなんじゃ……?
「いやーでもすごいなー。さすがは日本忍者です」
「♪〜〜何の話でござるかな」
感心して褒めた僕に対して、長瀬さんは感情のわかりにくい糸目でとぼけて見せた。もしかして、ちゃんと隠せてるつもりなんでしょーか?
ジローさんに聞いた話だと、日本の忍者といえばスパイと同じで存在を秘匿として、誤魔化しや騙すことについてのエキスパートって教えてもらっただけど、近年ではずいぶんと存在がオープンになったんだね。
そんな僕の胸中を知ってか知らずか、午前中に獲ることのできた魚や山菜を焚き火で炙ったり茹でたりして調理する。
「あまり慌てると火傷するでござるからな。ちゃんと冷ましてから食べるでござるよ」
「は、はい……! 熱つ……ハフハフッ」
長瀬さんに注意されたけど、空腹に勝てなくて熱々の魚や山菜を頬張ってしまう。少し唇を火傷しちゃったけど、お腹が空いていたせいか塩をつけて焼いただけの魚や山菜はとても美味しかった。
あっという間に、集めた食べ物をお腹に収めて少し休憩。暫く横になった後に行った午後からの修業は、またしてもご飯の食材探しでした。
忍者の修業っていうから、岩を背負って山の中を駆け回ったり、川を流れる丸太に乗ったまま滝壺にダイブしたりするのかな、って思ってたんだけど。
そういうことはしないんですかって長瀬さんに聞いたけど、
「山での修業は食料集めが主でござるよ、ニンニン♪」
という拍子抜けしちゃう答えが返ってきた。お姉ちゃん、やっぱり日本のお侍さんや忍者さんは絶滅しちゃったみたいだよ。
今度、お姉ちゃんに送る手紙の内容は、日本にガイドブックに載っていたお侍さんや忍者さんはいないってことにしようって考えながら、長瀬さんと一緒に午後の修業を開始。
山頂にあるらしい美味しいきのこを採るために崖を登ったり、素手で魚を獲ったりと、目の前の問題も忘れて僕は楽しんだ。
でも、蜂蜜を採るために苦労して蜂の巣を手に入れた時、それは突然、現れた―――
『グルウウ、グルオオオオ』
「Wild Bear?」
いきなり目の前に現れた、黒くて毛むくじゃらの獣の姿に驚いて、僕の口から間抜けな呟きが洩れる。
森の熊さんの童謡で、熊に出会った女の子の気持ちがよくわかりました。慌てて逃げようとしたんだけど、何故か隣りに立っていた長瀬さんは普段の糸目を開いて、熱い瞳で熊さんを見据えていました。
「な、長瀬さん?」
「ふむ、どうやらこの蜂蜜を狙って現れたようでござるな。しかし、そう簡単に渡すわけにはいかんでござるよ――覚悟!!」
「ええ!なんでいきなりこんな熱い展開に!?」
後日、ジローさんに教えてもらったんだけど、熊って人が走ったぐらいじゃ逃げ切れない速さを出すものだって、遠い目で教えてくれました。
何でも、おじいちゃんに連れられて山篭りをした時、食料がなくなって最後の手段ということで熊狩りを行わされたそうです。
どうして無事なのかって聞いたら、何だか哀愁漂う笑みを浮かべてジローさんは「動物って、喉に異物を押し込まれると口を閉じられないんだ」って、しみじみと語ってたんだけど……詳しく聞かなくていいってアスナさんに言われたから、それ以上のことは聞きませんでした。
『グルウアア!』
「ひゃあああっ!?」
周りの木が震えるぐらいに大きな熊の声に現実へ引き戻される。
腰が引けている僕を尻目に、分身の長瀬さんが熊に挑んでいく。格闘技素人の僕にもわかる、鋭い攻撃が届きそうになったその瞬間、
『ゴオオ!!!』
「なんと……」
「うええ!?」
立ち上がり大パンチからめくり大キック、振り向きながら両腕振り回し。トドメにに熊だけにベア・ハッグといった、ジローさんに見せてもらった格闘ゲームのコンボみたいな攻撃で、十人以上いた長瀬さんの分身達が消滅させられた。
『グウウ、グッグッグッグ!』
「これほどの獣が、まだこの山にいたとは……」
勝利の笑いらしき声を出しながら、二本足で立った熊が歩いてくる。さすがの長瀬さんも、目を見開いて汗を一筋流していた。
否応無しに高まった緊張感が弾ける瞬間、長瀬さんは僕を小脇に抱えて踵を返して、
「逃げるでござるよ、ネギ坊主!!」
「は、はははははい!?」
『GURUAAAAA!!』
「う、うわあぁぁぁぁ!? 助けてアスナさん、ジローさーーーん!!」
「む、むう、追いつかれそうでござるな〜」
叫ぶと同時に熊さんに背中を向けて逃走を図りました。
魂が震えるぐらい大きな猛獣の叫びと一緒に、地面を蹴るドスッ、ドスッって物騒な足音が追いかけてくる。
『GYAOOOOOOOOッ!!』
「ひゃあああああああああああっ!!」
熊のものとは思えない、イギリスのウェールズで一度だけ遭遇したドラゴンに似た咆哮に負けないぐらい大きな絶叫が、僕の口から飽きることなく飛び出しました――――
その後、長瀬さんが忍術を駆使して熊からの逃亡に成功しました。本当に、忍者らしくないけど長瀬さんが忍者でよかったです。
これは僕の独り言だけど、そっか、熊って木登り得意なんだね………。
「いやはや、なかなかにスリリングでござったな」
「スリリングどころかホラーでしたよぉ〜」
命があることの素晴らしさを二人で喜びあった後、お昼の時と同じようなメニューで晩御飯を食べる。
長瀬さんが蒸し焼きにした、蜂の巣に入ってた『白くて丸っぽいコロコロしたもの』を勧めてきたけど、頑としてお断りしておきました。
「好き嫌いはよくないでござるよ?」
「す、好き嫌いとかそういう問題じゃないと思いますよっ!?」
「ふむ、前にジロー殿にお裾分けした時は、丁度小腹が空いていたと喜ばれたでござるが……」
何だか色々とカルチャーショックな一日でした――――
それなりに騒がしかった晩御飯を終えた後、僕は山の中に用意されたドラム缶風呂というものに入っています。
「いー湯でござるな、ネギ坊主」
「…………」
生まれて初めての露天風呂はすごく気持ちがいいんだけど、何故か長瀬さんも一緒に入っているので身動きできない。
イギリス紳士として、間違っても後ろを見ないように俯いている僕に、後ろから長瀬さんが話しかけてくる。
「――ようやく、少しは元気が出てきたようでござるな」
「え……」
「クラスの皆もでござるが、新学期になってからネギ坊主は落ち込んでいたでござろ? 拙者も心配していたでござるよ」
「すみません、僕先生なのに、生徒のみなさんに迷惑かけてたんですね」
優しい長瀬さんの言葉に思わず落ち込んでしまう。
「スゴイなー、長瀬さんは中三でまだ十四歳なのに……。ジローさんもそうだけど、日本人って落ち着いてて頼りがいのある人が多いんですね」
「ハハハ、それを言ったらネギ坊主こそ十歳で先生を頑張ってるではござらんか。あと、ジロー殿を日本人の基準に当てはめるのは止した方がいいでござるよ」
「……そうかもしれないですね」
もう何度目になるのかもわからないため息をついた僕の頭を、長瀬さんがそっと撫でながら言った。
「思うに、ネギ『先生』は今まで何でも上手くやってこれたけど、ここに来て初めて壁にぶつかったでござるな。どうすればいいのかわからず、戸惑ってるのでござろ?」
「そ、そのとおりです」
図星をさされて驚く僕に笑いかけて、長瀬さんが言葉を続ける。
「これは『ある人』からの受け売りでござるが、ネギ坊主はまだ十歳なのだから、そんな壁の一つや二つは当然でござるよ。例え逃げ出したとしても情けなくなどないでござる」
「あ……それってもしかして?」
「さて、どうでござろうな? でも、安心するでござるよ。ネギ坊主にはちゃんと悩みを聞いてくれる仲間がいるでござる。それに、辛くなった時にはまたここへ来れば、お風呂くらいには入れてあげるでござるから。今日はゆっくり休んで、それからまた考えるでござるよ」
長瀬さんの穏やかな声は、僕が気づかないうちに持っていた意地や慢心を打ち砕いてくれた気がした。
(そうだ……僕、魔法学校をいい成績で卒業して何でも出来るって、いい気になってたんだ。それなのに、いざ僕一人じゃどうにもできない問題が起きたら、逃げることばかり考えて。
エラそうにアスナさんに言った、「わずかな勇気が本当の魔法」って言葉も、いつも助けてくれているジローさんに悩みを相談することも忘れて、自分だけで解決するつもりになってたんだ)
「どうしたでござるか、ネギ坊主?」
「いいえ、なんでもないです。ありがとうございます、長瀬さん」
後ろから覗き込むようにして聞いてきた長瀬さんに首を振って、心配ないことをアピールしてから頭を下げてお礼を言う。
「いやいや、拙者はたいしたことはしていないでござるよ。なんといっても、クラスの担任のためでござるからな。お礼なんていいでござるよ♪」
「そうですか?でも本当にありがとうございました! 今度なにかお礼しますね」
「あいあい。情けは人のためならず、イロイロと助け合うのが先生と生徒でござるよ」
だから気にすることはないって、長瀬さんは。念を押すように僕の頭を強めに撫でました。少し恥ずかしいけど、仕方ないよね。
お礼はいいって言ってくれたけど、エヴァンジェリンさんの問題が終わったら、ジローさんにも相談して長瀬さんに何かお礼の品を送らせてもらおう。
そんなことを考えながらお風呂から出て、僕は食料集めとお風呂が生んだ心地よい眠気に抱かれて眠りについた。
明日の朝は早く起きて杖を見つけないと。ほとんど眠りに落ちた頭で、そう決心しながら――――
次の日の朝。僕は書置きだけ残して、長瀬さんを起こさないようテントを出た。
印を組んで意識を集中する。頭の中に、木に引っかかっている僕の杖が見えた。頭の中で戻ってきてくれるよう念じると、呼びかけに反応した杖が何度か震えて、次の瞬間には僕に向かって飛んできた。
「――ありがとう、僕の杖」
手に収まった馴染んだ感触にホッとしながら、杖に向かってお礼を言う。
後ろのテントで、まだ夢の中のはずの長瀬さんに頭を下げて、僕は麻帆良学園に向けて飛び立った。
目に浮かぶのは、怒った顔のアスナさん達。心配かけたんだからしょうがないけど、ちょっと帰る気が削がれたりしてる。
「帰ったら怒られるかな〜」
そう言いながらもグングン速度を上げて、僕は一晩過ごした山を後にしました――――
(ふむ、行くでござるか。しかし、魔法使いってほんとにいるのでござるな〜)
拙者は「空を飛んでいく」ネギ坊主を、テントの入り口の隙間から見送っていた。こちらに向けて見せたネギ坊主の表情は、憑き物が落ちたように晴れやかでござった。
「拙者も協力した甲斐があるというものでござるよ」
ネギ坊主を川辺で発見した時はそれなりに驚いたでござる。すぐにジロー殿に連絡せねばと思って携帯で電話をかけたのでござるが、よくよく考えれば拙者がジロー殿に電話するのはあれが初めてでござったな。
せっかく番号やメアドを教えてもらったのに、まったく有効活用していないでござる。拙者が言えた問題ではないが、ジロー殿も今時の若者とは思えぬほど携帯電話などを使わぬでござるし。
「宝の持ち腐れという奴でござるな。またチャンスを見て電話なりするでござる」
まあ、電話したらしたで盛り上げる会話のネタというものがない気もするが。
ピチピチの女子中学生として、拙者は間違っているのではなかろうかと考えてしまう。ちょと鬱でござるな。
清々しい朝の空気と違い、拙者の周りだけ空気が重くなる。ま、まあ、ジロー殿と比べればかわいいものでござる。むしろ似た者同士ということで会話も弾むというもの!
忍者だけが持てる鉄の精神で自分を納得させ、記憶してある番号を押して通話ボタンを押す。コール音が鳴り始めてすぐにジロー殿が出てきたでござる。 さては携帯の前で待機していたでござるな?
『はい、もしもし八房です』
「長瀬でござる。ネギ坊主は無事に山を降りたでござるよ」
『そうか、どうやって山を降りたかは聞かないけど、ある程度は吹っ切れたみたいだな』
拙者の報告を聞いて、肩の力を抜いたらしい声でジロー殿が電話越しに呟く。
「そのようでござるな。といっても、昨日の夜まで何度も落ち込んでいたでござるが」
『ハァ、想像以上に追い込まれていたのな。悪かったな、楓。せっかくの山中修業の日なのに、ネギの面倒を見てもらうことになって』
「いやいや、気にするほどのことではござらんよ。拙者達もネギ坊主の元気がない様子を心配していたでござるから、元気になってもらえてよかったでござるよ」
電話越しに頭を下げているであろうジロー殿にそう返して、あまり気にしないよう釘を刺しておく。
実際、クラスのみなも心配していたし……何より、いいんちょが酷く荒れていたでござるし。うん、精神衛生的にもネギ坊主が元気になってよかったでござる。
拙者の胸中を余所に、ジロー殿が話しかけてくる。
『そうか、ありがとうな。今度、何かお礼させてもらうよ』
「ふふ、ネギ坊主と同じことを言っているでござるな」
「うげ、マジか……。やだねぇ、十歳の子供が気持ち悪い」
拙者の言葉に、電話の向こうでジロー殿が唸っているでござる。ネギ坊主の礼儀正しさに思うところがあるようでござるが……拙者が思うに、ジロー殿も幼い頃は相当、子供らしからぬ子供であったはずでござる。
ほとんど確信に近い意見を胸の奥に隠しながら、少しからかう口調でジロー殿に言っておく。
「まあ、期待して待っておくでござるよ」
『普通、こういう場合は期待しないのが定番じゃないのか?』
拙者の物言いにジロー殿が首を傾げているらしいが、期待するしないも相手次第でござるよ。
「それだけジロー殿の人となりを把握してるということでござる♪」
『……やたらと不安になる台詞だけど、忍びの技を犯罪に使ってないだろうな?』
「…………そんなことはしないでござるよ」
少々返答が遅くなってしまった気がするが、それは愛嬌という奴でござる。きっと、ジロー殿は仕事の疲れから疑心暗鬼に陥ってるだけでござるよ。
『間が気になるけど、まあいいや。それじゃ、お礼はちゃんと考えておくけど………本当に使ってないよな? 信じてるぞ?』
何度か念を押して、ジロー殿は電話を切った。むう、必要な話が終わったからといって、あのようにあっさり通話を切るのは殿方としていただけぬ態度ではあるまいか。
しかし、『信じてるぞ』か……何やらこそばゆい言葉でござるな。既に手遅れな気もしないでもないが、なに罪とはバレなければ罪にはならぬという名言があるでござるし。
「さて、明日は学校でござる。早いとこ鍛錬のノルマをこなして山を下りるでござるよ」
テントから這い出て、拙者は伸びをしながらそう呟いた。
「やはり早朝の山の空気は清々しくて美味しいでござるな〜」
ネギ坊主のことで恩を着せるようで心苦しくはあるが、山篭りの修業に付き合ってもらうというお礼を要求するのもいいやもしれぬ。
手始めに山中を縦横無尽に駆ける走り込みを始めるための柔軟を行いながら、拙者は微笑を浮かべながら呟いていた――――
「まったく、心配かけんじゃないわよ、このバカネギ!飛び出したっきり連絡もしないで!」
『そうだぜー!でも無事でよかったよ兄貴。助かったぜー…俺っちが』
案の定、寮に帰った僕は待ち構えていたアスナさんに思いっきり怒られました。カモ君にもとっても心配かけてしまったみたい。
どうしてかわからないけど、すごく安堵したカモ君が印象的。
「よう、帰ったか家出坊主」
「あ、ジローさん……」
散々僕を叱った後、アスナさんが呼んできたジローさんは、いつも通りの穏やかというか緩い感じで笑っていた。
アスナさんみたいに怒って、拳骨の一つでも落とすと思ってたのに、何だか拍子抜けです。
「えっと、怒ってないの?」
「まあ、アスナ達に心配かけた点はいただけないけどな。ちゃんと休日の間に帰ってきたし、よしとしておいてやるよ。朝飯はまだだろ?」
恐々と聞いた僕に、ジローさんはヒラヒラと手を振って許してくれた。
アスナさん達の部屋だけど、勝手しったる様子で台所に立って食事の用意を始めたジローさんに、僕はしっかりとした声で答える。
「うん、お腹空いてるよ」
「じゃあ、少し遅めの飯にするか」
あっという間に準備を終えて、部屋の真ん中に置かれたテーブルにご飯を並べてジローさんが言った。
「はいはい、さっさと座って手を合わせる」
「う、うん!」
「ジロー、あんた妙に手際いいわね……」
「おかずが残り物とハムエッグ、インスタントの味噌汁だしな。ご飯は悪いとは思ったけど、冷凍庫に入ってる奴を使ったし」
家事の基本は抜けるところで手を抜くことだ。効率的なのか、ただ単に手を抜きたいだけかわからないけど、そう力説したジローさんに促されて席に着く。
時間は八時過ぎ。このかさんはもう出かけているみたいで、僕とアスナさん、ジローさん、カモ君の三人+一匹で遅めの朝食を取る。
「じゃあ、農家とかお米の神様に感謝しつつ、いただきます」
「い、いただきます」
『いただきます……』
「あんた、いつの時代の人よ……いただきます」
エヴァンジェリンさんの問題が起きてから、初めての穏やかな食事の時間……のはずでした。
けど、みんなでテーブルを囲んで食事を始めた時、僕はふと興味本位でジローさんに聞いてしまったのです……。
「ねえ、ジローさん」
「ん? どうしたネギ、醤油か?」
「ううん、違うんだけど……ジローさん、髪が短くなってるけど散髪に行ったの?」
『げっ』
「……バカ」
「あれ? どうしたの、カモ君? アスナさんも何か――」
手に醤油を持ったまま、穏やかな笑顔で停止したジローさんと、御飯を頬張った状態で固まったカモ君や、手で顔を覆ってため息をついてるアスナさんに困惑する。
どうしてカモ君とアスナさんの頬を汗が伝っているのかな?
「――なあ、ネギ君」
「な、なに、ジローさん?」
再起動して、にこやかに立ち上がったジローさんが僕の後ろに立つ。笑顔なのに声がすごい平坦なんだけど……って、どうしてアスナさんとカモ君は二人揃って合掌してるの?
いきなり僕を拝むように手を合わせて、口をムニャムニャと動かしているアスナさん達に正体不明の危機感を覚えた僕の後ろから声がする。
「ネギ」
「は、はひ!?」
「痛いぞ」
「え?」
ジローさんの宣言を聞いて後ろを振り向こうとした瞬間、僕の頭頂部を貫くような鋭い痛みが走った。
「う、うわああああん!? どうして急にぶつんだよーーーー!?」
「ハァ……自分で考えろ」
散髪したのかって聞いただけなのに、どうしてお仕置きされなきゃいけないんだよ……。
痛くて涙を浮かべる僕を見て、アスナさんとカモ君が何か話していました。
「ねえ、こういうのが『仏の顔も三度まで』って言うの?」
『う〜ん、それもいいけどよ、やっぱこういう場合は「藪をつついて蛇を出す」じゃねえッスか?』
「あ〜、なるほど、勉強になるわ」
『お役に立てて光栄ッス、姐さん』
「まったく……ハア〜」
『兄貴、口は災いの元ッスよ……』
かわいそうなものから目を逸らすように顔を逸らして、アスナさんとカモ君は静かに食事を再開しました。
ど、どうしてそんな腫れ物に触るような態度をとるの? 誰か教えてよ!?
非常に重苦しい空気の中で食事を続けながら、僕は心の中でそう叫びました――――
後書き?) 元の文章がダメすぎて、改正も上手くいってない感じです。とりあえず、大幅な改正予定は次の話とエヴァ戦前後や戦闘の描写。あと、エヴァ編が終わった後にオマケ的なお話を考えております。
オマケの方は奉仕活動というか、イタズラ好きなシスター(見習い)M・K嬢と一緒に労働に励むような内容になるかも。
改正せずにサイトへ掲載すると、逆に後が疲れるということで改正に苦心しているコモレビでした。
感想・アドバイスに指摘、お待ちしております。
「舞台裏の苦労?」
関東魔法協会の本部であると同時に、小学校から大学までの全ての教育機関が揃ったマンモス校でもある麻帆良。
敷地が広大すぎて、そこに通う生徒達でも稀に迷うことがある学園。そこを囲むように木々が生い茂る鬱蒼とした森の中。
春の落ち着いた闇に包まれた森を、息を切らせて走っている男がいた。
「ハッ、ハッ、ハア゛ッ! ゼエッ、ゼエッ……!!」
全身は汗にまみれ、喉はからからに乾いていた。酸素を求めて喘ぐ口からは涎が垂れている。
時折、くぐもった野鳥の鳴き声や虫の囀りが響く暗い木の海を、男は恥も外聞もなく逃げていた。ただ、生きてこの麻帆良の地から脱出するために。
「冗談じゃない、何だここは!?」
転げるように太い幹を持つ木の後ろに隠れて、喘ぐように酸素を取り込む。
一刻も早く逃げなくてはいけない。だが、このままでは酸素不足で気を失ってしまう。それがわかったからこそ、男は恐怖に震える体を抑えて休むことにしたのだ。
五感を研ぎ澄まして周囲を探りながらの休息。幸いにも、追っ手の気配は微塵も感じられなかった。
「ハッ、ハアッ、ハァ……」
男が請け負ったのは簡単な仕事のはずだった。毎年この時期になると、電気施設の点検のために数時間、完全な暗闇に覆われる麻帆良という学園都市に忍び込み、同学園の施設だという図書館島から本を数冊持ち出すだけの仕事。
特殊工作員として鍛えたスキルに絶対の自信があったからこそ受けたのだ。少々変わった場所だが、所詮は学校施設。たいした妨害もないだろうと。
実際、図書館島とかいう尋常ではない規模を誇る施設に侵入し、指示された貴重書を確保するところまではいったのだ。
だというのに――
「ツイてなかった……まさか施設から出た途端、人に会うなんて」
辺りを警戒しながら、だが迅速な動きで図書館島を脱出した時に鉢合わせた線の細い優男。
いつか見た、さる魔物退治の漫画に登場する主人公の仲間の一人に似ている奴だった。酸素不足だった頭に酸素を供給できたお陰か、そんな冗談みたいなことを考えて男は口元を歪める。
だが、すぐに男の脳裏に恐怖が蘇って顔が強張った。
鉢合わせした優男――確か、名前は瀬流彦と呼ばれていたか。その男に呼ばれて現れた、歳のわりに妙に落ち着いて見える青年。
「あれは絶対に人間じゃない、怪物だ……。そうか、奴の正体は軍で研究していた強化兵かなにかに違いない……!」
特殊工作員として鍛えた自分の足に、息一つ切らさずに追跡してきた青年。目晦ましで使用した煙幕や催涙ガスをものともしなかった上に、
「挙句の果てに拳銃の弾を避けやがった……!!」
この森に入る直前、半ばヤケクソで撃った銃。逃げから一転しての反撃で、確実に青年の体を捉えたと思った弾。
それを青年はヒョイと横へ跳ぶだけで躱してみせたのだ。ありえない光景に思考が停止して、おそらくは間抜け面をしていたであろう自分に青年は、
『あー、銃はダメだろ銃は。こっちは気を遣って攻撃しないようにしてるのに』
言い様、宙をなぞるように手を振って。
その直後の光景を、男は死ぬまで忘れないだろう。なにせ、自分のすぐ後ろにあったそれなりに太い木が、音を立てて倒れたのだから。
何を使えばそうなるのか、鋭利な刃物で切り倒されたような木に愕然とする男に、青年は緊張感のない笑みを浮かべて告げたのだ。
『ワイヤー……まあ、鋼糸なんだけど、斬って良し・絞めて良し・縛って良し。銃は音が出るし、避けやすいから潜入任務にはお勧めしないぞ?』
強化なしだと、精々人の手首までしか落とせないけど。そう呟いて笑った青年の目を思い出す度、男の体を得体の知れない何かが這い回る。
恐怖とは違う、それよりももっとおぞましいナニカ。
だが、その正体について考える時間は男に与えられなかった。
何故なら――――
「――見〜つけた〜っと」
「ヒッ、ウワアアアアアアアアッ!?」
突然、木の幹に背中を預けて座り込んでいた男の目の前に、件の青年の顔が現れたのだから。それも、男から見て上下逆さまに。
下手なお化け屋敷よりも驚かされる光景に絶叫する男に眉を顰めて、青年――八房ジローは言った。
「うるさい、少し寝てろ」
「ゲフッ」
男が言葉を理解するよりも早く、ジローは男の頭を掴んで後ろの木に叩き付けた。
「ハァ、これで担当エリアに入ったのは全部捕獲したか。かわいそうに、本命の魔法使いが侵入しやすくするための撒き餌にされて」
「おーい、ジロー君ー」
「ああ、瀬流彦先生。すみません、これで最後なんでさくっと運びますね」
麻帆良の図書館島に眠る貴重な魔導書を盗みに来た工作員の腕を、鋼糸で後ろ手に縛っていたジローを見つけて瀬流彦が近づいてくる。
「なんていうか、運悪く魔法使いの巣窟に入り込んじゃった方々が憐れ過ぎて泣けてきますね」
「う、うん、そうだね……」
同情の目で、ついさっき自分が気絶させた男を見下ろすジローに顔を引き攣らせながら瀬流彦は頷いた。
内心、ジローのように一旦逃げさせて、いつ襲ってくるのかわからない、どこから近づいて来るのかわからない。そんな恐怖を与えながら捕まえる方が酷いのではと思いながら。
ちなみに、これはジローや瀬流彦の与り知らぬ場所で実しやかに流れる噂なのだが――
曰く、麻帆良には軍が秘密裏に研究していた強化兵の生き残りがいるらしい――
曰く、麻帆良に侵入した者達の半分はそこでの記憶を失って帰ってくる。そしてもう半分は、その強化兵の武勲の証として頭蓋骨を抜き取られるらしい――
曰く、麻帆良にはぬらりひょんをリーダーとする妖怪軍団が潜んでいて、その秘密を知った者を消すために暗躍している――
それはあくまで都市伝説として語られる、今回の話とは関係ないただの噂話。
「さて、行きますか」
「そうだね。大停電はまだ始まったばかりだし」
「ハァ……迷惑な話ですよね、大停電といい侵入者といい」
「だよねー。この後、あれだろ? ネギ君関係で騒ぎが起こるんだよね」
「そうなんですよねー。ああ、なんか面倒になってきた……」
俵運びに男を運ぶジローと瀬流彦は、お互いにぼやき合いながら森の闇へと消えていくのであった――――
ところ変わって――
「やれやれ、賊は闇夜に紛れてというのが定番だけど……」
「うっ!?」
「グハッ!」
「ヒデブッ!?」
僕がズボンのポケットに入れていた手を抜き放つ度、前方にいたお客さん達が崩れ落ちていく。
全員が倒れ伏したのを確認してから、ポケットに入れていた手を出した。
これでこのエリアの敵は全滅かな? やれやれ、今日のメインイベントの前に無粋な人達だ。おかげで魔法先生や、動ける魔法生徒全員が大忙しだよ。
「まあ、仕事だから仕方ないんだけどね」
肩を回しながらぼやいて、胸ポケットに入れてある煙草を取り出して咥える。ライターをどこに入れたのか探そうとした時、僕に近付いてくる人が一人。
切り揃えた短髪と眼鏡が厳しい印象を生んでいる、褐色肌の男性――僕と同じ魔法先生をしているガンドルフィーニ先生だ。
「片付きましたか、高畑先生」
「ああ、ガンドルフィーニ先生の方も終わったみたいですね」
「ええ。私がこんな悪人どもに手を焼くわけがないでしょう」
忌々しげに、先ほど眠ってもらった客人達を見下ろすガンドルフィーニ先生の姿に、知らず苦笑が浮かぶ。
この人は「悪人」と判断した相手には厳しいからね。今日、この人に遭遇した侵入者さん達にはお悔やみの一言でも送ってあげようかな。
「大停電で結界が消えた時を狙ったのかもしれないけど、結界が消えるなんてこっちは承知のことだからね。考えればわかるだろうけど、警備をいつもより厳しくするのは当然のことだよ」
全員寝てもらっているから、聞こえていないだろうけど言っておく。
さて、後はこの人達を運んで目的や所属している組織を聞き出さないと。少なくとも、西の刺客じゃないのだけは確かだけどね。
水面下では相変わらず剣呑なものがあるけど、表面上は落ち着いてきたところなんだ。それを荒立てたところで両者の利益になることは少ない。
(そうは言っても、自制を知らない過激派の人達がちょっかいかけてくることもあるけどね)
胸中で呟いて苦笑する。この人達は麻帆良の図書館島に置いてある魔導書の類を狙って来た手合いかな?
そう考えたちょうどその時、遠くから大量のガラスが割れる音が聞こえてきた。同時に、僕達の携帯に学園長からの連絡が入る。
「な、なにがあったんだ!?」
「ふむ、これは女子寮の辺りからだね」
慌てて周囲を見渡しているガンドルフィーニ先生の疑問に、落ち着いた声で返す。
僕も今夜の予定を知らなかったら、ガンドルフィーニ先生と同じように慌てふためいていたんだろうな。
人事みたいに考えながら、数日前のことを思い出す。ジロー君が、今日の計画を学園長や僕達に提案した時のことを。
(どうしてあの時、ジロー君の提案を呑んじゃったのかなー)
確かに、僕もネギ君に強くなってもらいたいと思っていたんだけど……。
結局、最終的に賛成した僕が言うのもなんだけどね――
「ちょっとやりすぎなんじゃないかなー、と僕は思うんだよね」
「む? どうしたんですか、高畑先生。学園長からの呼び出しですよ、急がなければ!」
「ああ、了解ですガンドルフィーニ先生」
携帯片手に急きたてるガンドルフィーニ先生に頷いて、先に歩き出した彼を追う。侵入者の人達には彼が捕縛の結界をかけてくれたし、放置しておいても大丈夫だろう。
(うーん、大丈夫だろうかネギ君は)
試練の相手が封印から開放されたエヴァだもんなー。
つい、心の中で疑問の声を上げてしまう。ジロー君、君はネギ君の使い魔だって言っているけど、じつは悪魔や鬼でしたとか言わないよね?
脳裏にエヴァにつけてもらった拷――修業の日々が蘇る。現在進行形で、遠くからは連続して聞こえる爆音や閃光の数々。
思い出したくもない懐かしさに、心の汗が一筋だけ頬を伝った。
「ナギさんの息子として……いや、君自身のためだね。ネギ君、頑張るんだよ」
人間、生き残るのに必要なのは決して諦めない心だよ。遠くで閃く魔法の光を見つめて、僕はそう呟いた。
どうしてか、空にいい笑顔で親指を立てるジロー君と敬礼するネギ君の笑顔が見えた気がした――――
全力で振り下ろした野太刀から、三日月状の気の塊が飛ぶ。
「神鳴流奥義・斬空閃!」
「ぐああっ!」
「……ふぅ」
飛翔した気の塊が直撃して、賊が叫び声を上げて意識を失う。そのことを確認してから、私は張り詰めていた緊張を少しだけ緩めて息を吐いた。
周囲への警戒を怠らないよう注意しながら、大停電が生む闇に紛れて侵入した賊を拘束するための捕縛用の呪符を貼り付ける。
「――そいつで今夜の仕事は終わったみたいだな」
側の森の奥から、ライフル銃を片手に提げた龍宮が現れた。
今夜は大停電で学園の守りに隙間ができる日。侵入者の数が多いだろうと予測して、龍宮には狙撃しやすいよう別の場所で待機してもらっていたのだが……考えていたよりも弱い連中だったな。
用心するに越したことはないが、警戒が無駄になったことに些かの落胆を覚える。この程度なら、最初から忍び込んだりしないでほしいです。
自分でも理不尽だと思うことを考えながら、私は極自然に龍宮に訪ねていた。
「ジロー先生の方は、今日は別のエリア担当だったな。状況はどうなっている?」
「ふむ、開口一番がそれか。何だ、そんなにジロー先生が気になるのかい?」
言ってから、しまったと思う。こちらを面白そうに眺めながら、からかう口調で聞き返してくる龍宮に頬を紅潮させられた。
確かにさっきのような聞き方だと、侵入者達よりジロー先生のことが気になっているように聞こえる。
慌てて言い繕おうとするが、元より言い訳などが苦手な私では状況を悪化させるだけで。
「そ、そういう意味で言ったんじゃない。ジロー先生が担当しているエリアに侵入した敵はどうなったのかと聞きたかったんだ!」
「そういう意味とはどういう意味だい? 私は別に、変なニュアンスを込めたつもりはないが」
「ひ、人の揚げ足を取るのは止めろッ」
変なニュアンスと聞いて、余計に私の頬が熱くなったのを自覚して声を荒げる。剣士として情けないことだが、面白いように手玉に取られている。
まったく、龍宮は腕もよくて信頼できる使い手なのだが、こういう趣味の悪いところは直した方がいい。
しかめっ面で口を噤んでしまった私に苦笑して、龍宮はさっきまでの小悪魔的な顔を引っ込めて真面目に話し始める。
「フフ、悪かったよ。まあ、向こうも大きな問題はないさ。警備員になって日も浅いが、ジロー先生の腕の程はよく知っているだろう? 仮に相手が複数でも、何も心配することはないさ」
「それはそうだが……」
心配ないと手を振る龍宮の言葉に頷きながら、それでも多少の不安を覚える。
確かにジロー先生は単独行動が一番適したスタイルを持っているのだが、絶対にもしもがないとは断言できないし……。
鞘に納めた野太刀――京都から麻帆良へ向かう際、長に譲っていただいた夕凪――を手で玩びながら、ジロー先生が担当しているエリアがあるはずの方向に目をやる。
光を発するものが一つもない闇が、私の中にある心配を余計に増長させるように感じた。
「しかし、なかなか珍しいな」
「何がだ?」
ふと呟きを洩らした龍宮に顔を向けて聞き返す。すると、龍宮は私に何か言いたげな笑みを浮かべて口を開いた。
「いや、たいしたことじゃないんだ。ただ、刹那も異性に興味を持つんだなと」
「――ッ、だから私はジロー先生にそういう感情は持っていないと!」
龍宮の自分勝手な納得に思わず叫んで、また、しまったと思う。
うかつだ、まんまと龍宮の仕掛けた言葉遊びに引っ掛かってしまった。龍宮が指したのはあくまで『異性』という範囲であって、ジロー先生という『個人』ではなかったのに。
「ほうほう、なるほど」
「くっ……」
自分の顔が、情けないほど赤みを帯びているであろうことは否めない。
何をやっているんだ、私は。今までこんなことなかったのに……。
胸中で己を叱咤して、冷静さを取り戻そうと躍起になる。落ち着いて考えるんだ、ジロー先生に対して私は特別な感情を抱いてなんかいない。
ただ、今まで会ったことのないタイプで物珍しく感じるから、つい目で追ったり、何を考えているのか知りたいと考えてしまうだけなんだ。
そのついでに、綾瀬さんとよく話しているとか、楓やクーフェイと楽しそうに武道談義をしているのが目に付いて、妙に不満を覚えてしまうのは同室の誼という奴で――――
「刹那、気に病む必要はないと思うぞ? 一目惚れじゃないんだ、数ヶ月かけて発症したものは簡単には治らないよ」
「みょ、妙に知った風な口を……」
「これでいろいろ経験豊かでね」
余裕たっぷりな顔で言う龍宮に皮肉を返すが、彼女は微笑を浮かべたまま肩を竦めただけだった。
一応、同じクラスで中学三年生をしているはずなのだが、龍宮の口振りに『大人』を見てしまう私はおかしいのだろうか?
言い返すこともできなくなって、憮然としている私に小さく笑って龍宮が通りの向こうを指差した。
「フフ、噂をすれば影という奴だな」
「なに?」
首を傾げながら龍宮が指差した方に目をやる。微かにだが、人の気配が二つ近付いてくるのがわかった。
一瞬、新たな侵入者かと身を固くしたが、どうやらそれは間違いだったらしい。
闇に慣れた目に映ったのは、捕縛したらしい侵入者を肩に担いで歩くジロー先生だったからだ。
「よっす、お疲れ様」
「あ、ジ、ジロー先生……お疲れ様です」
先ほどまで龍宮と変な話をしていたせいか、ジロー先生の顔を見るのに多少の気まずさを覚えた。
少しだけ目を逸らして言葉を返す私を気にせず、肩に担いでいた男を降ろして首を鳴らしているジロー先生に、自分勝手な不満を感じてしまう。
いや、普段は異常なぐらい人の機微に目敏いくせに、今の私が抱いているような感情にはとんと疎いのは知っていますが。
「こんばんは。いつもご苦労様だね、桜咲君。龍宮君も」
「……ご苦労様です、ジロー先生、瀬流彦先生。こちらも終わったので、そちらの様子を見に来ました」
「ああ、仕事だからね」
しかめっ面をしている私を、瀬流彦先生が緊張感のない声で労ってくれる。
龍宮のことも労うが、こいつはプロフェッショナルだしな。報酬さえ渡せば、ちゃんと仕事をしてくれる。正直、お金に汚いだけな気もするけど……これは考えない方がいいだろう。
そんなことを考えている私を余所に、合流したジロー先生や瀬流彦先生と話していた龍宮がこれからの予定を相談していた。
「一通りの侵入者達は狩り終わったんだけど、どうするんだい? 彼らを運んだ後は大停電が終わるまで警邏という形で?」
「ああ、それでいいんじゃないか? 俺はこの後、別の場所で用事があるけど」
別の場所で用事? ジロー先生の言葉を訝しく思って、一体どんな用事があるのか私が尋ねようとした、その時――
ガッシャアアアン!!
遠くで大量のガラスが砕け落ちた音が耳に届いた。
「!?」
咄嗟に身構えると同時に、状況の把握に努めようとする。
私と同じように、ライフルの代わりに拳銃を二挺取り出して構えていた龍宮が、音がしたらしい方角を見ながら呟いた。
「今の音は……女子寮の方だったな」
「――まさか、お嬢様!?」
女子寮の一言を聞いて、一瞬で頭に血が上る。まさか、麻帆良学園のことを探りに来た侵入者以外の目的を持った――このかお嬢様を攫いにきた連中がいたのか!?
そんなバカな、お嬢様に知られないよう護衛させている式神からは、何の異常も報告されていないのに!
もしや、式神に気配を察知させることなくお嬢様を攫える手練の仕業か。即座に浮かんだ自分の考えに焦って駆け出そうとした時、誰かが私の腕を掴んだ。
「あー、まあ落ち着け、刹那。このかに危険はないから、焦る必要はない」
「くっ、離してください、ジロー先生! お嬢様が……え?」
私の腕を掴んでいる手を振り解こうとして、ジロー先生の言葉に不思議な断言があることに気付いて動きを止める。
危険はない……。視線をぶつけて、どうしてそう言えるのか説明を求めると、ジロー先生はバツが悪そうに目を逸らして頭を掻いていた。
「あ、あれ? ジロー君、もしかして桜咲君達には説明してなかったのかい?」
「ええ、まあ。話がややこしくなりそうな気がして」
「ほう?」
「……一体何のことでしょうか、ジロー先生?」
気まずそうに言い淀んでいるジロー先生と、何故か冷や汗を垂らしている瀬流彦先生に不審を覚えて説明を求める。
龍宮の方も、私と同じような目でジロー先生を見据えていた。両手に握ってている拳銃のセーフティが外されているのは、この際だから放っておこう。
二対四個の目が発する鋭い視線に気圧されたのか、
「いやぁ、なんて言うかさっきのは前途有望な少年への試練というか、愛の鞭というか、世界を知ってもらおうという目的で行った奴でな――」
私の手を離して、一歩下がったジロー先生が渋々といった感じに口を開いた――――
「――とまあ、そういう訳だ」
「そ、それはなんと言いますか……」
「なるほど、なかなかにスパルタな内容だね」
ジロー先生から今夜の『計画』について一通りの説明を受けて、私と龍宮の口から出たのは呆れの混じった納得だった。
真祖の吸血鬼であるエヴァンジェリンさんの力を解放させて、ネギ先生を『襲ってもらう』計画……。正直、まともな人では考えない鍛錬方法です。
相手は『裏』の世界で今も名を轟かす「闇の福音」。いくらネギ先生が優秀な魔法使いとしての素質を持っていても、子供が勝てる相手とは思えない。
というか、勝つ勝たない以前に生きるか死ぬかの問題な気がしますよ?
「普段の過保護ぶりはこういう時のためなのかい?」
「別に過保護してるつもりはないけど……。まあ、チャンスがあればこれからも機を見て厳しくしたいなぁ、とか考えてる」
呆れながら笑っている龍宮の問いにそう答えて、ジロー先生は「でも、今日は少しばかし厳しいかも」と苦笑を洩らしている。
はっきり言ってやりすぎですと叫びたかったが、ジロー先生のあまりの破天荒ぶりに呆れてしまった私にそれを実行する気力はなかった。
額に手を当ててため息をついている私に苦笑いを浮かべたジロー先生が、地面に転がしていた侵入者の男を指差してお願いしてくる。
「つーわけで、俺はこれからネギのこと見に行くから。すまないけど、この人運んでおいてくれるか?」
「ハァ……別に構いませんが。こういうことはこれっきりにしておいてください、心臓に悪いですから」
「あー、まあ善処したいとは思う」
女子寮の方で異常があった時、お嬢様に何かあったのではと血の気が下がりましたし。
苦虫を噛み潰したような顔で苦言を呈した私に、誤魔化し笑いを浮かべながら謝って、ジロー先生はそれじゃと手を上げて走り出そうとして、
「ああ、そうそう。たぶん学園長室でガンちゃん先生が騒いでるだろうけど、二人は今夜のことは聞いてないってちゃんと言うんだぞ。同じ部屋だなんて理由であらぬ疑いかけそうだしな、あの人」
そう言い残して暗闇の中へ消えていった。
「は、はあ……」
確かに、ガンドルフィーニ先生は正義感が強いというか強すぎる人ですしね。今夜のことでも色々文句を言ってそうです。
たぶんガンドルフィーニ先生でなくても、ネギ先生みたいな子供を全力のエヴァンジェリンさんと戦わせると聞いたら、ほとんどの人が無理をさせるなと叫ぶと思いますが。
「さて、そろそろ僕達は戻ろうか。もう、学園長室にみんな集まってるみたいだし」
「そうだね。行くぞ、刹那」
「あ、ああ」
完全にジロー先生の足音も聞こえなくなったところで、ジロー先生が捕縛した男を担いだ瀬流彦先生が私達を促して歩き出す。
隣りに立っていた龍宮に声をかけられて、後ろ髪を引かれながらだが私も学園長室へ向かうことにした。
ジロー先生のことを気にしている私に気付いてか、時折、からかうような視線が龍宮から飛んでくる。また頬が熱くなるのを自覚して、意識して後ろを振り返らないようにして歩き続けた。
「ハァ〜……絶対に怒ってるだろうね、ガンドルフィーニ先生」
「高畑先生や学園長が頑張ってくれていると願いたいね」
「そうだな」
しばらく三人無言で歩いたところで、侵入者の男を担いでいた瀬流彦先生がぼやく。
龍宮の期待が込められた意見に同意して、すぐに無理に違いないと私は吐息を洩らした。
一度、ジロー先生に聞いたゲームキャラクターのテコンドー使いと同じで、あの先生は自分が思う正義にそぐわないものを嫌う傾向にありますし。
(きっと、今回のジロー先生みたいにエヴァンジェリンさんの――真祖の吸血鬼という、『化け物』の力を借りるやり方は気に入らないでしょうね……)
自分で考えたことで心に暗い影が落ちる。同時に、胸が締め付けられるような苦しさを覚えて顔を歪めた。
化け物、か。胸中で自嘲を籠めて呟き、ジロー先生が去っていった暗闇へ顔を向ける。
(貴方は…………そうじゃないんですよね、ジロー先生)
視線の先に広がる闇は何も答えてくれない。ただ、その沈黙が私とジロー先生が似ているように見えて、まったく違う存在なんだという事実を突きつけているみたいだった。
心が失望に折れそうになるのを堪えて、もどかしい痛みを訴え続ける胸を押さえてかぶりを振る。
身の程を考えろと声に出さず己を叱咤して、止めていた歩みを再開しながら思った。
(もし、私がまともな人間やったら、こんな想いで苦しまずにすんだんやろか。なあ、このちゃん))
決して色褪せることのない、私なんかに綺麗な笑顔を向けてくれた、幼馴染の少女に向けた問いかけに答えが返ってくるはずもなく。
馬鹿な真似をした私に、抜け出すことのできない虚無感を抱かせるだけに終わった――――
後書き?) 大停電のネギ 対 エヴァの戦いの裏側的なものを書いてみました。
山の中や森の中、暗くて狭い建物内のジロは某『捕食者』みたいな存在ですと言ってみます。もっと恐怖感を煽るような文章書きたかったです。
後半部分、刹那パートは色々削って付け足してしてみました。こっちのがキャラらしさは出たかな、と自分では思っていたり。
感想やアドバイス、指摘お待ちしております。
「あえて誤り、少女に謝る?」
「『氷爆』!」
「あうっ!」
私が放った冷気の塊を叩きつける魔法に向けて手を翳し、小型の障壁を使って防いだぼーやが呻き声を上げる。
大停電が始まってすぐに開始した、私とぼーやの鬼ごっこ。戦局は考えるまでもなく私が優勢。
いつか、桜通りで吸血した佐々木まき絵を介して、運悪く一緒に風呂へ入っていたクラスの連中――和泉亜子や大河内アキラ、明石祐奈も吸血鬼化させて下僕にして、呼び出した風呂場へ単身で訪れたぼーやを襲わせて。
実戦は初めてと聞いていたが、それなりに機転を利かせてクラスの女どもを動けなくしたのは見事と褒めてやろう。
だが、それからはてんでダメだな。私への対抗策として用意したのだろう、大量の魔法薬や魔法銃、それにどこから集めたのかもわからん力を持った刀剣類を駆使して、どうにか直撃を免れている程度。
既に用意していた武器の数々も、私が連続して放つ魔法を防いで道具としての役目を終えてしまった。
そうして今は、私に背中を向けて麻帆良の湖に架かる大橋へと飛んでいる。
「『リク・ラク・ラ・ラック・ライラック・来たれ氷精・大気に満ちよ・白夜と闇の凍土と氷河を――こおる大地』!!」
「あぐぅ!」
「フッ、なるほどな。この橋は学園都市の端……私は呪いのせいで外へ出られん。ピンチになれば学園外に出ればいい、か」
まあ、それも私が放った『こおる大地』の余波に巻き込まれたぼーやが墜落した時点で終わったが。
地面に倒れて呻いているぼーやに近付きながら思う。ジローの奴があんまり面白い提案をするから、今回の計画に乗ってやったのだが……正直、物足りん。
「……意外にせこい作戦じゃないか。え? 『先生』」
「う、ぐっ……」
まあ、私が全力でなかったとはいえ、少しは粘ったほうだろう。
開始方法は自由と言っていたので以前、吸血した際に操り人形しておいた佐々木まき絵を使って、坊やを大浴場まで誘き出した。坊やもそれなりに対抗するためなんだろうが、ゴテゴテと大量の骨董魔法具を装備して登場しおった。
あのオコジョはともかく、いつもくっついてくる神楽坂アスナの姿が見えなかったことが気にかかり、だまし討ちでもしてくるのかと思ったら、坊やは『もうこれ以上、生徒やアスナさんに迷惑はかけません。エヴァンジェリンさんとは僕一人で戦います!』だと。
なんとも紳士的で甘い台詞で虫酸が走る。まあ神楽坂は先日、私の展開していた障壁を抜いた奴だ。意外な難敵かもしれんのを相手にする時間はもったいない。
私も久々に全力で『遊べる』のだからな。楽しくて、ジローと約束したことを守る保障ができなくなってきたな。
その場合はあいつが『ダンス』の相手を務めてくれるそうだからな。案外、私の本命はそっちだったりするのか?
「これで決着だ」
茶々丸を引き連れて坊やへ一歩、また一歩と近づいていく。ほう、怯えてはいるがまだ完全に諦めていない表情を浮かべているか。なんとも頼もしいことだ。
坊やの心意気を評価しながら最後の一歩を踏み出そうとしたその瞬間――
パシィィィン!
「なっ……こ、これは捕縛結界!?」
足元で急に出現した魔法陣が発動し、私と茶々丸身動きできないようにした。
「や、やったーーー! ひっかかりましたね、エヴァンジェリンさん! もう動けませんよ!? 僕の勝ちです、おとなしく観念して悪いことも、もうやめてくださいね!!」
「……やるなぁぼうや。感心したよ」
これは偽りない私の感想だ。フルパワー状態の私の魔法を凌ぎながらこの橋まで誘導して、追い詰められたと見せかけて罠を発動させるか。
狡賢いところは父親譲りか? ……くっ、何度思い出しても、十五年前の「アレ」は頭にくるな。
ここまでことを運べたのは、坊やの持っていた骨董魔法具の性能によるものが大きいだろうが、追いつめて油断した私たちの注意力不足もあるか。
しかし、坊やが使っていたあの魔法具……どうせジローが渡したんだろうが、どうやって仕入れたんだ、あんなハイスペックな魔法剣の数々を。
なんだ『碧の〇帝(レプリカ)』とか『紅の暴〇(レプリカ)』って。私の『氷爆』や『こおる大地』を数発相殺していたぞ?
他にも『斬妖刀・〇壱(偽)』や『聖ジョ〇〇ュの剣(偽)』、『数珠〇(偽)』に『ソーディアン・ディ〇ロス(レプリカ)』etcetc。
「偽」や「レプリカ」とあからさまに手で書いてあったが、あんなものが当たりでもしたら、いかに真祖の吸血鬼の私でも冗談ではすまんぞ。実は殺る気満々だったりするのか、あの男……。
「い、いや、そのことはひとまず置いておくか。しかし可笑しいな」
「置いて? な、何が可笑しいんですか!? ご存知のように、この結果にハマれば簡単には抜け出せないんですよっ?」
甘いな。そんなことだから、先生は坊やなのだよ。私の従者の能力を見くびりすぎだ。
口元を歪めて、横で同じく結界に捕らえられていた茶々丸へ声をかける。
「茶々丸」
「ハイ、マスター。結界解除プログラム始動。すみませんネギ先生……」
カシャッ、と音がして茶々丸のイヤーカバーが形を変える。
周囲に空気が帯電する感覚。プログラムとやらが発動し、坊やの捕縛結界が崩れ始めて、数秒と経たずに消滅する。科学の勝利ってやつだ。
「えっ……そ、そんなウソ!? ずるい!」
「私も詳しくはわかんないんだけどな。科学の力って奴さ」
「ううっ、ラス・テル――!」
「茶々丸!」
取って置きの策が破られて涙目だが、それでも坊やは呪文を唱えようとする。しかし、そんな悪あがきを見逃してやる気など毛頭ない。
茶々丸に命じて坊やから、魔法発動体である体の大きさに不釣合いな木の杖を奪わせる。
「フン、奴の杖か……」
茶々丸から受け取った杖を睨みつけ、忌々しさに鼻を鳴らしてから湖に向かって放り投げてやった。
これで坊やは丸腰。先ほどまでの交戦で謎武器な魔法剣は全部砕いてやったし――ああ、そこだけは本気を出した。でないとアレはやばかったしな――頼みの綱だった設置型の結界も破り、魔法の杖もいまや湖の中。
(さあ、これ以上ないまでに追い詰められたぞ。これからどうする、坊や?)
ジローに触発されたせいか、私も思った以上に坊やの才能が目覚めるところを見たくなっていたようだ。
あの使い魔らしからぬ男の言葉に触発されたのか知らんが、なんだかんだで目の前の子供の底力や、秘めた才能というものに期待している己を自覚して、口の端を吊り上げる。
だが、十年以上ぶりの「期待する」という行為を心地よく感じながら向けた視線の先にいたのは、可能性など微塵も感じさせない、へたり込んで泣きじゃくるただのガキだった。
「うわーん! ひどいー、あれは何よりも大切な杖ぇ……ひどいですよーエヴァさん! 本当なら僕が勝ってたににー! ズルイですよー! 一対一でもう一回勝負してください〜!!」
「………」
「うえ〜〜〜〜ん!!」
泣きじゃくりながら、手を振り回して私に近づこうとする坊やを、護衛のために前に出た茶々丸が押し止める。
茶々丸に頭を押さえつけられ、私に縋りつこうとしていた坊やはそれ以上前に進めず、その場で駄々をこねている。泣き言の次は「もう一回勝負して」……か。
腹の底から湧き上がってきた苛立ちに、キシリと歯を鳴らす。本当にこの坊やはナギの息子なのか? 似ているのは顔だけじゃないか。
数えで十歳という幼さで、あれだけの魔力と多用な魔法を使えることは褒められる。しかし、ただそれだけで終わっているじゃないか。
魔力を封印されている状態の私のように、足りないものを補うだけの経験もなく、精神力も足りず、覚悟も足りず。
(『力』の持ち主と遣い手の何が違うのか、この坊やは考えたこともないのだろうな)
茶々丸に頭を押さえられた状態で、バタバタともがいている坊やを見下しながら、体に溜まってきた疲労感をため息にして吐き出した。
クソッ! だんだんイライラしてきたぞ。あの馬鹿使い魔め、期待させるだけさせといて、当の本人はこの様じゃないか。
(手は出さんと言いながら、コッソリと坊やに策の一つや二つは授けてくると思ったのだが、その様子もなし。本当に、私と坊やをガチでぶつけさせただけか? 酔狂もいいところだろ)
魔法学校を卒業したての子供と、『闇の福音』たる私が正面からぶつかればどうなるかぐらい、少しでも裏の世界について知っていれば想像つくだろうが。育児放棄か!?
ガーッ、と表情には出さずに叫んでから、私は殊更冷酷な顔を作って坊やに話しかける。
「フンッ、所詮お子様な坊やに、魔法使いの『ダンス』はまだ早かったようだな……」
「あっ!?」
そう告げてから、私は泣き止む気配を見せない坊やにつかつかと歩み寄って、その情けない面にビンタをくれてやった。
頬をはる音が橋の上に響く。ビンタをされたことより、その音に驚いた風に坊やが泣きやんだ。
「! マスター……」
突然、坊やの頬をはった私に、何か言いたげな抗議の視線を向ける茶々丸。そんな自分の従者の様子に気付いて、内心で鼻を鳴らす。
ほんの僅かにだが、これまでに比べて感情を表すことが多くなったか。いや、人間味が増したと言うべきか? 他人が見てもそうと分からん程、極僅かな変化だがな。
茶室で馬鹿使い魔とした談合の後、買い物ついでに一緒に猫の世話をしている教会裏へ行ったと聞いているが……。
普段の生活でならいざ知らず、こういった戦闘時に感情を表すことの少なかった茶々丸が、こうなる原因。
魔法使いの従者と使い魔。共に誰かに仕える者として存在しているのに、まったく違う在り方を見せられたことによるカルチャーショックみたいなものか?
(坊やのことは、大切だけど大事じゃない、か……)
茶室での談合の後、学園長の爺に呼び出されて釘を刺されてから帰った日の夜。眉根を寄せた茶々丸が、どうしても理解できないと言って聞いてきたジローの言葉を思い出し、口元を歪める。
まったく、言いえて妙という奴だな。爺にしろタカミチにしろ、坊やが父親みたいに大成することを望んでいるくせに、蝶よ花よの過保護っぷりだ。現実がどういうものか知らなければ、それに叩きのめされてそれっきりだと何故わからん。
正義の魔法使いの勝手っぷりに嘲笑が浮かぶが、それをすぐに掻き消して、私はへたり込んで膝をついてしまった坊やを睨み付ける。
「一度闘いを挑んだ男がキャンキャン泣き喚くんじゃない!! この程度でもう負けを認めるのか!? お前の親父ならばこの程度の苦境、笑って乗り越えたものだぞ!!」
はられた頬を押さえ、地面に座り込む坊やの胸倉を掴み上げて言ってやる。この場に馬鹿使い魔……ジローがいたなら、私の発破のかけ方に顔を顰めたのかもしれんが。
なに、ナントカと鋏は使いよう、って奴さ。胸中でそううそぶいて、ここぞとばかりに坊やへ有り難くて貴重な、『闇の福音』直々の言葉を賜ってやる。
「いいのか? お前がそんなに情けないと、せっかくの親父の名声も泣くぞ。だいたい、この程度の苦境でへたれているようじゃ、父親の背中に追いつくなんて不可能だな」
「う? どうして、僕の夢を……」
自分の夢を知っていることに、涙を浮かべながら顔を上げた坊やが首を傾げる。この様子じゃ今夜の戦いが、半分は自分の使い魔が持ちかけたから行われているってことに気付いてないな。
人を疑うということを知らなさそうな子供を笑いながら、わざとらしく肩を竦める。
「さあな、知ったこっちゃない。最後にひとつ、いいことを教えてやろう――――たしか、坊やには使い魔がいたな? 人間とオコジョの二人……一人と一匹か」
「…………」
急に何を言い出すのか。そう聞きたげな坊やの視線を黙殺して、魔法使いとして、僕を持つ者としての心構えを語ってやった。
「フン、いいか? よく聞け、坊や。主人が情けないとな、従者や僕のレベルまで低く見られるんだよ。何かの、誰かの主人になるということは、下につく者の尊厳も守ってやらなければならない責任を負うということだ。よぉく自分を振り返ってみろ、今のの坊やに、それが出来ているか?」
「ぁ……」
少しばかり喋りすぎたことに顔を顰めるが、まあいい。少なくとも、いい暇潰しにはなったからな。その駄賃代わりと思えば、坊やへの講義も惜しくはないだろう。
久しぶりに封印から解放されて、気が昂ぶっているのか。自身の饒舌さに渋い顔をする私を見上げながら、坊やはハッとしたように顔を強張らせる。
(まあ、あの使い魔らしからぬ人間と獣のコンビなら、坊やのことを見捨てる心配など―――ええい、どうして私がそんなことを心配せねばならんのだ!?)
一瞬、何の得にもならん優しいことを考えた自分を、心の中で地団駄を踏んで消し去る。何をやっているのだ、私は。これは坊やと馬鹿使い魔どもの問題で、私には関係ないことだろーが!
「マスター?」
「なんでもないっ!」
私の小さな変化に気付いたらしい茶々丸が、僅かに首を傾げて顔色を窺ってきた。こういうところも、今までのこいつらしからぬ変化だな。必要のない場所にまで気を回すな、バカモノめ……。
気まずさを紛らわすために咳払いをして、これからの予定を考える。とりあえず、停電終了までもう少し時間が残っている。坊やとの「ダンスパーティー」はさっさとお終いにして、約束していた分の報酬を頂いた後は、あの馬鹿使い魔でも捜して、解消しきれなかったストレスを発散するか。
自分の思いつきに心が湧き立って、勝手に口元が歪むのを自覚する。爺に聞いた限りじゃ、メルディアナ魔法学校の校長達にしごかれていたらしいし、麻帆良に来てからも鍛錬は怠ってないらしいしな。
この学園の中でも、腕利きに分類される魔法先生どもに教えを乞うたり、図書館島の深部まで出かけて魔法書を読み漁ったり。
(まあ、魔法先生どもに教えを乞う目的の半分は、この学園における人脈作りなんだろうがな。フン、感心なことだ……)
そうすることで自分が動きやすい環境を作れるし、同時に主人である坊やの後ろ盾を強くすることだってできる。
やることをやっていれば、向こうから勝手に協力を申し出てくれるし……まったく、便利なもんだよ正義の魔法使いというのは。
(まあ、奴がどの程度まで考えてやってるのかは知らんがな)
単純に、鍛えなければ死んでしまうような場所――――へ出張に行かされたり、奴の飄々とした態度を正したいとか、身の上を知ってお節介を焼くために、魔法を教えてやるとか言ってくる連中がいたりするだけかもしれんし。
…………いかん、こっちの方があり得そうだ。というか、それ以外ないような気がしてきたぞ。
(今日のことで、確実に何人かの魔法先生に呼び出しは喰らうだろうしな。自業自得だが)
無事に今夜の大停電が終わった後、特定の口やかましい魔法先生に何度も呼び出されたり、注意されたりする馬鹿使い魔の姿がありありと想像できた。
もしかすると、無駄に正義感に溢れた魔法生徒とかにも文句を言われるかもしれんな。そう考えて、ほんの少しだけ同情してやってから、坊やへの講義の終了を報せる言葉を送る。
「さて、今夜限りの私の講義もお終いだ。少しは頑張ったようだが、そもそも一人で私を止めようという考えからして無謀だったな。さて……血を吸わせてもらおうか」
「うううっ、ジローさん……カモ君、アスナさん…………ゴメンナサイ」
一歩足を踏み出して、地面に跪いている坊やの胸倉に手を掛ける。観念したのか、小さく震えながら目を閉じて知り合いの名を呼んでいる。
フフ、久しく見ていなかったが、やはり恐怖で震える人間の血を吸う瞬間には、言い知れぬ悦びを感じるな。星が燃え尽きて流れる、最期の瞬間に似た輝きがある。
「あの、マスター、ネギ先生はまだ10歳ですし……その、『約束』が――」
「心配するな、別に殺しはせん。期待を裏切られた分、多めに吸わせてもらうが。この後もう一戦、馬鹿使い魔で楽しむつもりだしな」
「え……そ、そうですか」
坊やの血を吸った後、ジローでも捜してストレス解消をするつもりだと告げた私に、茶々丸の奴は何ともいえない表情になった。
主人である私を止めることができず、申し訳ないと言いたげな色。全力全開の私が相手では、とうてい無事には済まんと悟っているからだろう。
こいつのこんな反応も、なかなかに面白いものがあるな。趣味がいいとはいえない楽しみに口角を吊り上げて、坊やの血を吸うべく身を屈める。
「では……頂戴するとしよう。サウザンドマスターの息子様の血液を、な」
「ァゥゥゥゥ〜……」
殊更いたぶるように耳元で囁き、唇を坊やの首元へとゆっくり滑らす。そして、いよいよ私の牙が坊やの首に届こうとした時だった。
「ん?」
橋の向こうから、我がクラスが誇るバカレッドこと神楽坂アスナの声が響いてきたことに気付いて、いいところで水を差されたと顔を顰める。
「コラーーーッ!! 待ちなさいーーーーーーー!!」
「フン、パートナーでもないのによくやる……茶々丸」
「ハイ」
私の命令に従い、人間離れした速度で走ってくる神楽坂アスナの前へ飛び出す茶々丸。
一言、「申し訳ありません」と断りを入れてから繰り出した茶々丸のパンチが、神楽坂アスナの顔面に当たりそうに迫る。だが次の瞬間、私も予想していなかったことが起きた。
「今よ、カモッ!!」
『合点姐さん! 俺っちの力を見してやるぜー!!』
「ごめんね、茶々丸さん!」
神楽坂アスナの肩の上に現れたオコジョ妖精――たしか、名前はカモミールだったか――が、茶々丸の顔に向かって跳躍し、何かの金属片と安物のライターを取り出して叫んだ。
『おおおぉ! オコジョフラーッシュ!!』
「!?」
夜闇に慣れた目には刺激の強い、カメラのストロボよりも激しい光が生まれ、思わず手を翳す。
眩しい。マグネシウムとライターを使った即席の閃光弾だと?
器用なことをするオコジョ妖精に、小癪なことをすると歯噛みする。とはいえ、網膜を焼くには光力が足りない。
一瞬白んだが、すぐに視力を取り戻した私の視界に、跳躍のために力を溜めて駆け寄る神楽坂アスナの姿が映った。
(狙いを私に絞ったか。フン、悪くない判断だ)
魔法使いとの戦いは、将棋やチェスに似ている。王である魔法使いを撃破してしまえば、勝負はそれで終了だ。
魔法使いは、いかにして自分を攻めさせないか。そのために駒である従者を上手く動かすことに心を割かなければならない。
(まあ、それは従者がいなくてはマトモに戦えない、二流三流の魔法使いの話だがな)
体を沈めた神楽坂アスナの姿を眺めながら、自信に溢れた動作で静かに手を翳す。前の満月の夜は、坊やと一戦やらかした後で魔力が不足していたせいで障壁を抜かれたが、今夜の私は際限なく魔力を使える無敵状態。
もう、どんな偶然が働こうが、身体能力が高いだけの一般人にこの障壁は抜け――――
――ゴッ!!
「あぷろぱぁっ!!???」
弾き飛ばされた神楽坂アスナに、どんな屈辱的な台詞を与えてやろうかと考え、喜悦に染まった笑みを浮かべていた私の顔を、見事な跳躍から放たれた飛び蹴りが撃ち抜いた。
予想もしていなかった衝撃に、後方へ吹っ飛ばされながら目を白黒させる。バ、バカな、どうしてただの人間が、飛び蹴りで私の障壁を抜けるんだ!?
頭から地面に墜落して、固い路面を削れそうな勢いで滑っていく。茶々丸の私の身を案じる叫びが聞こえるが……お前が抜かれたから、こんな情けない姿を晒す羽目になったんだろうが!!
地面に張り付いていた体を引き剥がして、蹴られたせいで熱く感じる鼻を押さえながら顔を上げる。
だが、神楽坂アスナがいたはずの場所を私が睨みつけた時、既にそこには誰も残っておらず、神楽坂アスナの奴が回収したらしく、坊やの姿も消えてしまっていた。
「申し訳ありませんマスター」
「ええい、どこに行った!?」
「マスター鼻血が……」
素人にガードを抜かれたせいか、心なし落ち込みながらハンカチを取り出して、茶々丸の奴が私の鼻を拭いてくるのを邪見に振り払い、鍵爪の形にした指をワキワキと蠢かす。
まったく……ど・い・つ・も・こ・い・つ・も! 私の邪魔をしおってぇぇぇっ!!
俺の視線の先では、捕縛結界を破られたネギが失意のあまり泣き出していた。
麻帆良湖に架けられた、学園都市と外部を繋ぐ橋――ニューヨークにある、ブルックリン橋を彷彿とさせる立派なつり橋だ――まで、エヴァの阿呆みたいな威力の魔法を紙一重で避け続け、ちゃんと目的の場所まで誘導してみせたことや、追い詰められたように見せかけて、エヴァと茶々丸の二人を罠まで歩かせたことは見事と褒めてやりたかったけど、結界を破られてからが拙かった。
「茶々丸があんな芸当をできるなんて、俺だって想像もしてなかったけど……策一つ破られたぐらいで泣いてたら、この先どうにもならんぞー、ネギ」
のほほんと、遠目にネギやエヴァ達を眺めながら呟く。おじいちゃんが言っていた、「罠っていうのは、破られることを前提にして設置するものだ」って。
なんとか破ったと安心したところに、さらにもう一段、二段と罠が張ってあるから効果的なんだって。
(俺もそれで、何度も痛い目に遭ったよなぁ)
いい思い出には分類されない過去の記憶が蘇り、ふるふると頭を振って記憶の奥へ追い払う。
それはまあ置いといて、「こんなコトもあろうかと」と用意して渡しておいた、秘蔵の刀剣コレクションが全滅か……。
アンティーク好きなネギに影響されて、暇や余裕を見て買い集めていた、魔法使い御用達の道具店で手に入れた霊剣・魔剣・魔法剣達の冥福を祈って、静かに手を合わせる。
店の主人が趣味で作ったものとはいえ、その力は本物に並ぶほどの業物ばかりだった。
「まあ、使われてこその道具だし。彼らも本望だったと思いたい」
ムニャムニャと口の中で念仏を唱えてから、改めてネギ達の方に視線を戻す。
丁度、情けなく駄々を捏ねているのに腹を立てたらしく、ネギの横っ面を張っているところだった。
頬を押さえてへたり込んだネギに、何か声を荒げて説教しているエヴァの姿に苦笑する。最初は面倒そうだったくせに、なんだかんだで人生の先達をしてくれてるし。
本人に聞かれたら無事には済まないだろうけど、根は良い人って感じ、とエヴァを評価して頭を掻く。
「とりあえず、今日のところは及第点……かな?」
経験、息の合った戦い方、豊富な魔法の種類。逆立ちしても敵わないであろうエヴァコンビを相手に、正面からぶつかって倒すのではなく、罠にはめることを選んだのは、今のネギにできる最良の選択だったはずだしな。
今夜のネギの戦闘評価をしてから、「にしても……」と付け足して嘆息する。
「アスナの姿が見えないってことは、まーた変な意地を張って、『一般人に迷惑はかけたくない!』なんて言って、一人で突っ走ったんだろうな」
勘違いも甚だしい、と若干イライラしながらため息をつく。学園に来て早々、魔法の世界に引き込んだのはお前だろうに。
その時点で、もう十二分に巻き込んでるし、記憶操作も効かない以上、放置は許されないだろ。
(あいつの性格やら考えたら、下手に気遣って置いてけぼりにした場合、どういう行動に出るかぐらいわかれよ……)
口は悪いし、すぐに手が出る少女の顔を思い浮かべて、眉を顰めながら、もう一度大きなため息をついた。
「俺は俺で、本人の与り知らぬ場所で重い秘密聞かされてるし。どうしたもんかねぇ」
アスナに、ネギが魔法使いであることがバレたと報告を上げてから数日後、学園長や高畑先生に呼び出されて聞かされた話が蘇る。
アスナが昔、サウザンドマスター一行と一緒に生活していたという話を。まあ、どうして一緒に行動していたのかとか、何が切っ掛けでそうなったのかは、「それはアスナ君が思い出したらね」と高畑先生に言われたので聞いていないが。学園長も、ただその辺のことを気に留めておいてくれる程度でいい、って言ってたし。
「ったく、俺みたいな半使い魔に何をさせたいんだか……」
忌々しげに頭を掻きながら考える。記憶を封印されているのに、アスナが思い出したらということは、要するに教える気がないか、まだ知るべき時じゃないっていうことなんだろう。
だが、ネギを通じてアスナがサウザンドマスター達とともに行動していた時のことを思い出す時が来る……かもしれないと考えているのか。
「記憶を封印するってことは、よっぽど重いか暗いか辛いかってことだ。だってのに現状維持」
俺としては、アスナがどんな過去を思い出そうと、ちゃんと『立っていられる』なら構わないのだが。
内心、どこか投げ遣りに考えながらだが、礼儀的な意味も兼ねて俺は聞いた。
――ネギと一緒にいたら、どうやっても魔法に関わっていくと思うんですけど。いいんですか? 内容は知りませんけど、アスナにとって辛い記憶が蘇るだけかもしれないのに。
――…………そうならないといいけどね。
意味深なことを呟いて、高畑先生は複雑そうな笑みを浮かべていたけど……あれはどういう意味の笑みだったんだろうな。
諦めに似ていたけど、そうとも言い切れない複雑な表情だった。痛いけど懐かしい、大切な記憶ってか?
「俺には関わりないことだけど、よっぽど大切なことを忘れてるんだろうな、アスナは…………と? 噂をすれば影ってか。御本人の登場だ」
ネギとエヴァたちを眺めながら、一人思考の海に沈んでいた俺は、後方から届く夜の橋によく響く少女の足音、というか爆走音に気がついた。
俺の姿を発見してか、走る足を緩めてスピードを落し始めた少女の方を振り返り、ひょいと片手を上げて夜の挨拶をした。
「よう、こんばんはアスナ」
「ととっ、やっぱりジローだった! あんた、何してんのこんなところで!? ネギを助けないと――――!!」
矢継ぎ早に言い捲ろうとして、徐々に語尾を弱くしていったアスナが、何とも表現しにくい胡乱な目になって、呻くように言った。
「……そういえば、今日のことはあんたが仕組んだんだったわね」
頭痛でもするのか、こめかみに指を当ててため息をつくアスナに代わり、肩の上に乗っていていたカモが話しかけてくる。
『悪ぃ相棒。やっぱり兄貴のことが心配で、アスナの姐さんに助けを頼んじまった』
今夜の戦いはネギ一人――あくまで、助勢や助太刀を頼まれない限りは――で戦わせるつもりだと釘を刺していたからか、少し申し訳なさそうに言うカモに緩い笑みを浮かべて首を振る。
「いやー、別に気にする必要はないって」
ヘラヘラと笑いながら、胸中で思う。悪いのは本人に何も知らせず、高難度の試練をさせている俺だろうし。
じいちゃん達に色々仕込まれたせいか、命の危険や大怪我しない限り、多少きつくて厳しい内容でも問題ないって思ってるしなー。
とはいえ、今日のことをネカネさんやアーニャに知られたら、笑顔で説教とビンタかパンチかキックのコンビネーションだろうな、と口元を引き攣らせる。
本当に実現しそうなお仕置き内容に、嫌な汗が垂れ始めたので話を変えることにした。
「ところでアスナ、こんな夜更けに物騒な場所へ来たってことは、ネギのことを助けに来たって考えていいんだよな?」
あからさまな話題転換を不思議そうにするが、すぐに顔を真剣なものに変えてアスナが力強く答える。
「そうよ。あんたが敵側にいる以上、あいつに勝ち目なんてないじゃない! 一人で戦ったって、どうせこの間みたいに負けるに決まってるじゃん。なんか今日って、エヴァンジェリンがスンゴク強くなるらしいし!!」
「はは、『敵側』って……まあ、密通はしてたけど」
こちらへ噛み付かんばかりに叫ぶアスナに苦笑しながら、声に出さず自己弁護しておく。実際に言葉にすると、怒りの鉄拳を頂戴しそうだし。
俺はどこまでもネギの味方ですよー。やってることは使い魔失格だったりするかもしれないけどー。
こういうのも、言論弾圧されていると考えていいのだろうか。そんなくだらないことを考えながら、しかし、と呆れ混じりに感心する。
アスナって、本当に人が良い奴だよな。魔法と……ネギと関わってしまっただけなのに、心配だからって理由で自分から物騒な世界に踏み込んでくるし。
でもなぁ……。一応とはいえ、事前確認しておかないとダメだろうな、と考えながら口を開いた。
「ま、ネギのこと助けたいって思うのは構わんけど。それで? アスナ、お前に何が出来るんだ?」
「何がって、急になに言い出してんのよ!?」
『あ、相棒?』
突然の問いかけに顔を強張らせて、アスナが俺を睨み付ける。意気込んで助けに来たのに、いきなり「役に立たないだろ?」的なことを言われれば、それも仕方がない。
でも、だ。酷い言い草だけど、それについて考えて欲しいのは本当だ。アスナの完全魔法無効化体質は知っているけど、それだって意図して使えるわけでもなく。
実質、運動能力が高くて、ちょっとばかし魔法が効きにくい程度の少女だ。ただ持っているだけの力で、この先どれだけの危険に対処できるのか。
ここで本格的に関わることを選んでしまえば、もうこれから先、抜け出す機会はないだろう。
高畑先生や学園長の意図がどこにあるのかは知らないが……魔法の世界を忘れて生きてきたんだ、今夜を最後にすっぱり忘れてしまってもいい。
嫌な役回りだと溢しながら、真っ直ぐにアスナを見て告げた。
「今日に限って、エヴァがネギを殺すことはしないし、仮にそうなりそうな場合になれば、俺がどうにかして止める。巻き込みたくないから、ネギは呼ばなかったんだ。偶然、魔法があるって知っただけ。ここで引き返せば、これから先、お前に迷惑のかからんようにするけど?」
「ッ…………」
『……』
絶句して黙りこくるアスナと、俺が何をしたいのかを見極めようと見つめるカモ。
言うだけ言って口を閉じた俺の前で、アスナは俯いて肩を震わせていた。
その方の震えが、非常に不吉なものを醸し出している。実をいうと、アスナが返すであろう、俺の問いに対する答えは何となくわかっていた。
自分の馬鹿さ加減というか、損な性分に嫌気がさす。痛い目見たくないんだから、何も言わず『裏』の世界へようこそ、とか言ってネギのところへ行かせればいいのに。
アスナの人となりなんて、麻帆良に来てから数ヶ月でよっく理解してるのになぁ。
「ジロー……」
糸目の状態で深々とため息をついたところで、ゆっくりと俯いていた顔を上げたアスナが口を開く。
ああもう、嫌な予感が的中したようだよ、ヌイ。バレないよう、アスナから半歩分だけ離れて、できる限り体を楽にする。
「もう充分に巻き込まれてるし、迷惑を被ってるわよーーーー!」
アスナが叫んだ途端、空気を裂いて飛んできた拳が、横っ面にめり込んだ。
拳が当たる寸前、歯を食い縛ったのに視界がブレる。たたらを踏んで後ろに下がって、殴られた頬を押さえて呻いた。
あまりの痛さに涙を浮かべて毒づく。本当に一般人……っていうか、人間かこいつ? 鍛錬の名目で、メルディアナの校長に戦わされたゴーレムとか、仕事で出かけた先で遭遇した変な生物のパンチ並の威力があったぞ。
頬を押さえてプルプル震えている俺を指差して、アスナが声高らかに叫んだ。
「いまさら知らん顔できるわけないでしょう!? 私はそこまで冷たくないわよ!! それに……あいつの場合は、ただ意地張ってるだけでしょうが。私がここに来たのは、『私が!』助けに来たいから来たのよ。だから、迷惑でもなんでもないわ」
一度叫んで落ち着いたのか、次第に声の調子を下げて真摯な顔で告げるアスナを見て、ため息をついてから苦笑いする。
「あー………やっぱり、お前は人が良すぎるな。お人好しって言葉でも足りないんじゃないか?」
「べ、別にそんなんじゃないわよ! 私はただ単に――」
真正面から言われて気恥ずかしさを覚えたのか、顔を赤らめて言い訳を始めるアスナに、ドウドウと手で言葉を遮ってやった。
「はいはい、皆まで言うな。わかってるって」
「最後まで聞いてよ!? かか、勝手に納得するなーーーー!!」
殴られたことへのささやかな復讐を終えて、満足げに微笑んでいた俺に、アスナの肩の上で俺と同じく、彼女に生温い笑みを向けていたカモが話しかけてきた。
『それでよ、実はアスナの姐さんにお願いしたことがあるんだよ』
「なんだ?」
『仮契約だよ。さっき相棒が「何が出来る」って聞いてたがよ、従者になってもらえりゃ、上手くすりゃ兄貴がエヴァンジェリンに勝つことだって出来るかもしれねえしな』
唐突に切り出されたカモの案に、どうしたもんかと困りながら言葉を返す。
確かに、エヴァにも茶々丸っていう従者がいるし、数を揃える必要があることはあるけど。
「そりゃ上手くいけば、その可能性もなくはないけど……いいのか、アスナ?」
そも、仮契約する当人はどう思っているのかと話を振ると、アスナの奴は顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。
「べ、別に? チャッチャと問題児をどうにかするためだし、この場合は仕方がないわよ。そ、それにキ、キキ、キスといっても相手は十歳だし、き、緊急事態だから、人命救助と同じでノーカウントよ!」
ワタワタと手を振って、目を渦巻き模様にして言うアスナに心の中で、思いっきり動揺してるだろ、と突っ込みを入れる。
しかし、心配だからといってこんなところまで来て、さらに仮契約までしてくれるとは……いろんな意味で将来が心配になるお人好しだな、こいつは。
詐欺に引っ掛かるなよ、と内心苦笑しながら、アスナに対してしっかりと頭を下げる。
「もろもろの意味を込めて、ありがとうなアスナ。阿呆な計画のせいで迷惑をかける……。虫のいい話だけど、ネギのこと助けてやってくれ」
俺が頭を下げたことが気まずかったのか、小さく咳払いしたアスナは、ボソボソと愚痴を言うように答えた。
「……あのガキを危ない目に合わせたのは、さっきの一発で許してあげるわよ。勝手に計画して戦わせるなんて、正直どうなのよって思うけど……アンタはアンタで、アイツのこと考えてやったんでしょうし……。つ、次にやったら、今度は蹴りだからね!?」
「あー、了解、肝に銘じておくよ」
恥ずかしさが限界まで達したのか、ギッとこちらを睨んで怒鳴ったアスナと、自分でも信用できない約束を交わす。
なんていうか、勝手に事を進めようとして緑の人に怒られた、宇宙最強の戦闘民族の人みたいだ。
まあ……あくまでこういうことは今夜限りってだけで、また何かあれば裏で動くだろうな、次からは殴られたりしないよう、本当に上手く。
心の中でべぇっ、と舌を出してる俺に気付かず、アスナは目の高さに持ち上げた拳を握り締めて宣言した。
「それじゃ、私達はこれからバカガキの救助活動に行きますか!」
『合点だぜ、姐さん! それじゃ、しっかり俺っちたちの活躍を見とけよ相棒!』
「ああ、頼んだ。俺はここで見学しとくから」
責任感のなさそうな緩い声でアスナ達を送り出す。俺に背中を向けて、いざ出発と走り出そうとしたアスナが、ふと思いついたようにこちらへ振り返って言った。
こちらを向いた顔に浮かんでいたのは、悪戯っぽい笑顔。
「あ! アンタさっき、私のこと人が良いって言ったけどね……『たまたま魔法の世界に巻き込まれて』使い魔やってる『誰かさん』の方が、よっぽど『人が良い』から! そこんとこ忘れるんじゃないわよ!」
言いたいことを言えて満足そうな顔を残して、アスナがネギ達のいる橋の中程に向かって駆け出すのを見送りながら、夜空を見上げて呟いた。
「あー……そうなのかもしれないな」
ただ単に俺は、後々自分が何らかの形で楽をできるように動いてるだけだが……。まあ、こっちの意図が何であれ、受け取った側がそう感じたのなら、好きなように思わせておいた方が得だし。
人間、やっぱりギブ&テイクでいくべきだよな、と考えていると、唐突に頭に直接語りかけるような声が届いた。
『ふぉふぉふぉ、アスナちゃんにずいぶんと叱られたみたいじゃの〜』
「ええ、まあ。口ではなんだかんだ言いながら、しっかり面倒みてるような奴ですし」
どうやら魔法を使って、さっきのやり取りを覗いていたらしい学園長に言葉を返す。念話を使うのなら、実際に言葉を発する必要はないのだが……まあ、なんと言うか収まりが悪いのだ。
声を出しちゃいけない場所なら別だけど、今は問題ないだろうということで肉声に乗せて言葉を飛ばす。
「あー……アスナがどういう奴か知ってるのに、ああいう役回りさせるの止めてくれません? 変な話聞かされたらやるしかないってわかってるのに……」
『ふぉふぉ、スマンかったのぉ。じゃが、ネギ君の置かれた状況は特別じゃし、アスナちゃんがこれからも一緒に行動するなら、どうしても意思確認の必要があるしの』
こちらの苦言に、いけしゃあしゃあとのたまう学園長に、内心で「だったら、あんたか高畑先生がやれよ」と呟く。アスナなら、高畑先生の言うことを一から十まで信じるだろうし、学園長の場合は容姿からして人間じゃないから、何を言っても信じるしかないっていう、異様な説得力があるしな。
『…………ジロー君、なんぞワシに対して酷いこと考えておらんか?』
「ハハ、メルディアナの校長の頼みを聞いて、俺にも職を与えてくれてる恩人に対して、そんなこと考えるわけないじゃないですか」
『…………』
本当は、悪口の一つや二つや三つを言われたとわかっているのだろう、白々しく笑う俺に少しだけしょんぼりした声で、学園長が言ってきた。
『まあ、ワシら魔法使いの存在は極力、一般人から隠さねばならんとはいえ……ジロー君に皺寄せが行っとるのも確かじゃしの。名目上は使い魔でも、ジロー君だって年頃の青年じゃ、息抜きしたり青春を謳歌したりしたいじゃろ』
「その辺はまあ、主人が主人ですし、ある程度は仕方がないって思ってますよ。青春を謳歌するっていうのはともかく、息抜きはしてますけど」
最近は教会に呼び出されてお茶会したりしてるし、他の魔法先生とか、一般人の先生方に食事に連れていってもらったりしてるし。教会の方は……知り合う切っ掛けがあれだっただけに、半分は俺の更生が目的かもしれないが。
魔法先生や一般人の先生方が食事に誘って、あまつさえ奢ってくれるのはアレだな、誰かさんが騒ぎ起こしたり巻き込まれた事後処理で、てんてこ舞いになったり、出張に行かされる度にボロボロになって帰ってくる俺を憐れんでくれているからだな、うん。
あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。俺はこっちで人の優しさに支えられながら、強く生きています。
『おお、そうじゃそうじゃ。青春を謳歌するでよいことを思いついたぞい』
「なんですか急に……」
静かに、あの世にいる祖父母と犬に語っていると、突然、学園長が話しかけてきた。念話は頭に直接声が響くから、急に話すのは止めて欲しい。
顔を顰めながらだが、話を聞く姿勢だけは整えた俺に、学園長は――
『やはり青春といえば恋愛じゃろう。忙しいジロー君に、自分で相手を探せというのも酷な話じゃし、ここは一つうちのこのかと見合いだけでも――』
「時間なくて相手探させるのが酷だってわかっているなら、ちゃんと休みください。労働組合に駆け込んだら、間違いなく俺は勝ちますよ? 法廷で勝つまで頑張りますよ?」
少なくとも出張の名目で、手の空いていない高畑先生達の代わりに、名前も聞いたことないような小国に飛ばして、変な魔法具とか奪還しろとか、そういう物騒な任務をさせるのを止めてください。
アスナの飛び蹴りがエヴァに炸裂するのを眺めながら、半眼で叶う筈もない願いの成就を祈る。
「っていうか、毎度毎度、趣味で孫に見合いさせるってどうかと思いますよ? 本気で嫌われる前に自重することをお勧めします」
『し、しかしじゃな、このかの見合いは老い先短いワシの数少ない――』
「大丈夫、学園長ならもう百年は余裕で生きますよ。不思議なでっぱりに懸けて保証します。じゃ、そういうことでー」
『ふぉ!? ジロー君、それはどういう意味じゃ――』
きっと、学園長の後頭部はラクダの瘤みたく、普段は使わない余分な栄養や生命力を溜めているに違いない。飢饉とかが起こった際、徐々に小さくなっていく学園長の後頭部を想像して口元を歪める。
うん、絶対に人間業じゃない。そんなことを考えながら、学園長からの念話を着信拒否状態にする。
丁度向こうでは、ネギとアスナの仮契約の儀式が終わったところらしかった。
「ハァ……ネギが大人の階段昇っちゃった。ネカネさんとかにどう説明したもんか……」
内心、自分よりも早く大人に近付いてしまったようなネギに、仄かな悲しさやら悔しさに似た感情を覚えつつ、前方を見ることに集中する。
視線の先では、ついにネギとアスナのコンビと、エヴァと茶々丸のコンビが戦いを再開させたところだった。
「さって、俺が言うのもどうかと思うけど……精一杯頑張れよ、ネギ」
聞こえるわけがないと思いながら、俺は視線の先で戦闘を再開させた主人兼、弟に向かって、そっと声援を送っておくことにした――――