「ワビサビの世界で会いましょう?」


 狭いながらも息苦しさを感じさせない茶室。時折、外の庭から届く鹿威しの音が響く。
 藤や芍薬、ふくろ藤など、季節を感じさせる草花が挿された花瓶が、殊更に和の風情を醸し出させていた。

「――――」

 目の前では、着物姿の茶々丸が淀みない手つきで茶を点てている。
 決して機械的に同じ動作を繰り返しているのではなく、変な表現だが侘び寂びを感じさせる、緩急を織り交ぜた精妙な手つきで、だ。

(こう言っちゃなんだけど、ロボット娘――ガイノイドだったか? がこうまで見事にお茶を点てるなんて。着物も似合ってるし、科学の進歩ってすごいんだなー……。世間じゃ、『ASIM〇が立った、ASIM〇が歩いた』って騒いでたばかりの気がするけど)
「………………」

 茶室を訪れてからこっち、人に三白眼を向けているエヴァンジェリンを無視して、口寂しさを紛らわすために、目の前に置かれた茶請けの菓子を頂戴する。
 春の和菓子らしく霞ぼかしで作られた、白と紫の入り混じりが美しい「薄墨桜」。
 口に入れた瞬間に広がるのは、洋菓子と趣の違うゆったりとした甘さ。清涼な風に流される春霞の様に、口の中で甘さがさらりと流れ、えもいわれぬ満足感だけが残る。
 菓子の名に恥じぬ口当たりに、思わず唸りを上げそうになった。

(久しぶりだなぁ、こんなに美味しい和菓子は……)
「―――」

 ばあちゃんの作るおはぎやお稲荷さんみたく、素朴なものの方が好みではあるが……超包子の肉まんに代表されるように、麻帆良は美味のサラダボウルみたいだぞ、ヌイ。
 今一つ美味しさの伝わらない微妙な胸中レポートを行う俺の前へ、一杯の茶が饗される。
 茶を点ててくれた茶々丸に一礼し、次いでお茶に一礼。器を持って拝むように一礼した後、お茶の香りや泡立ちを眺めて楽しみ、かなり昔のあやふやな記憶通りの手順を踏んでお茶を頂いた。

「……結構なお手前で」
「――」

 お茶を飲みきった後、茶々丸とお互いに礼を交わし、そこでようやく一息つく。
 それから暫くして、全員がお茶を飲み終えた後は、みんな堅苦しい空気を霧散させてお喋り雑談を楽しんでいた。
 やはりどこの世界のお茶会でも、真の楽しみは儀礼後のお喋りにあるということだ。

「……たぶん作法は間違ってなかったはずだ、あからさまには」
――はい、大丈夫でしたよ。ジロー先生もお茶を嗜まれるんですねー
「昔、ばあちゃんに連れられて、そういう集まりに少しだけ顔出してて。うろ覚えで、かなり怪しかったけど」
「いえ、作法通りに手順を踏まれてました」
――そうですよ

 茶道部に来ていた四葉さんと話していると、釜の側に座っていた茶々丸が保証してくれる。
 こういう気遣いもしてくれるとは……本当にこの娘はロボなのだろうか?
 ふと見ると、彼女のマスターであるエヴァンジェリンはお茶が美味かったからか、機嫌良さげに一人庭を眺めて楽しんでいる。
 無理に話しかけて機嫌を損なわせるのもあれなので、俺も部活が終わるまでの間、四葉さんや他の茶道部員の生徒にお茶の薀蓄等を聞かせてもらい、大いに有意義な時間を楽しませてもらった。
 そうして、久方ぶりにのんびりした時間が幕を下ろし、他の部員達がいなくなって――

「……それで? 貴様は何の用があってここへ来た」
「あー……今朝、茶室へ来たらお茶をご馳走してくれるって聞いたから」
「…………喧嘩売ってるのか、貴様?」

 エヴァンジェリンと茶々丸の前に座り、とくに気負うことなく言った俺に、エヴァンジェリンが鋭い視線を飛ばしてくる。
 そんなに不機嫌になることもないだろうに? ちゃんとお前の従者から言質……というか、許可はもらっていたんだから。
 そこで一つ、大事なものを出すの忘れていたことを思い出し、目を細めているエヴァンジェリンに苦笑しながら、ごくごく自然に背広の懐へ手を入れる。

「!?」
「!」

 突然の行動に顔を強張らせたエヴァンジェリンや、主人を庇う動きを見せた茶々丸に構わず、懐より取り出しますは――

『ぷはー、さすがに一時間以上男の懐にいるってのは辛いぜ、相棒』
「文句言うな。喋るオコジョなんてシュールな存在、侘び寂びの世界にゃご法度だ」
「……ホウ、この間の侵入者のオコジョか」
「侵入者といっても、主な罪状は下着ドロって小物だから。お目こぼしを下さると助かる」

 文句を垂れるカモを観察し、口元を歪めたエヴァンジェリンが言ってくる。
 一応、警備員なエヴァンジェリンではあるが、俺が見逃してくれるよう願い出ると、あっさり許しを施してくれた。

「ふん、まあいいさ。どうせ警備員なんて、厄介な呪いでやらされているだけだしな」
『さすが真祖、話がわかるぜ』
「相方の同席に許しが出たところで――ではでは、本題に入りましょうかね」

 まだ置かれたままだった座布団にカモを座らせ、軽くため息をついてから話を切り出す。
 同時に、茶室の静謐な空気が音を立てて硬質なものに変わった。

「あー、念のために聞いておくけど、ネギを狙うのを止めてくれる気は?」
「下らん」

 淡い希望を含ませた質問が音速で一蹴される。

「今の不便な生活は、全て奴の父親のふざけた呪いが原因なんだ。誇り高き真祖である私を虚仮にした責任、奴の息子にとってもらうのは当然だろうが」
『なんつー、勝手な言い分だ』
「フン、貴様のような獣妖精如きに、私の悔しさは理解できんよ」
「……」

 親の責任を子供にとらせるという言い分に顔を顰めたカモに嘲笑を浴びせ、エヴァンジェリンがそっぽを向いた。
 まあ、誇り高いかどうかは置いとくとして、真祖で不死の吸血鬼なんて超越しちゃった存在が、十五年もお気楽女子中学生と一緒に生活させられたら腹も立つよね。
 三ヶ月ちょい副担任した俺でも、胃に穴が開くんじゃないかって心配なレベルなのに、それを十五年間。
 しかも、最低二年は今の3Aメンバーと――ダメだ、ちょっと想像しただけでお腹が痛くなってきた。
 真祖の吸血鬼でも嫌気がさすクラス……そんな場所で頑張っている長谷川さんにエールを送ってから、腕を組んでそっぽを向いているエヴァンジェリンに話の続きを放る。

「じゃあ、次の質問。エヴァンジェリンさんはネギの血を狙ってるって聞いたけど、それってあいつを殺そうとしていると考えてもいいのか?」
「とーぜん! ぼーやの体液を絞り尽くして呪いを解き、『闇の福音』とも恐れられた夜の女王に返り咲くのが私の目的だからな」

 実に教本通りというか、予想通りな答えがエヴァンジェリンより返ってきて、思わず苦笑してしまった。

『あ、相棒?』
「何がおかしい。私を舐めているのか、貴様?」
「?」

 苦笑を浮かべた俺を訝しがるカモと、馬鹿にされたと思ったのか柳眉を逆立てて不機嫌さを露にし、静かに恫喝するエヴァンジェリン。
 茶々丸も疑問には思っているのだろうが、彼女から特に反応はなく、ただ感情の薄い瞳を動かしただけだった。
 それら三者三様の反応を余所に、ネギを吸血し殺すと宣言したエヴァンジェリンへ語り始める。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。真祖の吸血鬼にして、元600万$の賞金首。サウザンドマスターに『登校地獄』の呪いをかけられるまでは『闇の福音』、『人形使い』、『不死の魔法使い』と呼ばれ、冷酷な『悪の魔法使い』として世界中の魔法使いに恐れられていた」
「フン、よく知っているじゃないか」
「世の中便利になったからねー。魔法の世界の情報までネットで入手できるってんだから……。ああ、それで続きだけど――ある時期からサウザンドマスターを追いかけるようになり、十五年前、ここ日本で彼との『死闘』に敗れ、麻帆良で暮らすようになったと……ここまでで間違ってる箇所は?」
「……勝手に人の過去を調べたことは腹立たしいが、間違ってはいないな」

 顔色を窺うように尋ねた俺に、微妙に顔を引き攣らせたエヴァンジェリンは訂正はないと返した。
 彼女が顔を引き攣らせている理由はよくわかる。誰だって勝手に過去を調べられたら嫌だし……何より、俺はこの話の真の恥部を知っているから。
 今回の『企み』を話した際、嬉々として予備知識を与えてくれましたよ、学園長モドキは。
 『死闘』に敗れたというのは言葉の綾で、十五年前のサウザンドマスターとの戦いで戦闘らしい戦闘は行われず、実際は吸血鬼の苦手なユリ科野菜満載のスープ入り落とし穴に嵌められ、動けなくなったところで呪いをかけられたということを。

「あー、それでもう一度聞くけど、その冷酷で悪の魔法使いなエヴァンジェリンさんは、やっぱりネギを殺すのか?」
「――くどいぞ。それとも何か、貴様は私に殺されたくてここに来たのか?」
『うひぃっ!? もったいつけすぎだ、相棒! 弱体化してても、相手はモノホンの真祖なんだぜ!?』

 いい加減、焦れてきたのか、エヴァンジェリンの体から殺気が洩れ出す。
 形は小学生な少女が出すには鋭すぎる殺気。それにビビッたカモが、カタカタと震えながら人の後ろに逃げ込んで叫んだ。
 いや、別にからかってるとかじゃないんだけどね。存在自体が重い小さな鬼を前に苦笑いしつつ、『企み』に乗ってもらうための手札を切り始める。

「――不思議だな? 六百余年の長い人生で、女子供は殺したことがない誇り高き真祖が、子供を殺すと言っている」
「――」

 こちらが切った一枚目のカードに、エヴァンジェリンの眉が微かに動いた。

「ちなみに、麻帆良学園で警備員をするようになってから、侵入者を半死半生にすることはあっても、誰一人殺したことのない『闇の福音』が子供を殺すと宣言している」
「――――」

 手札を切る度に表情を険しくしていくエヴァンジェリンに構わず、さっきまでの飄々とした口調を消して、わざと静かな口調で問いかける。

「力を取り戻したいがために、自分の矜持すら捨てて、大切な約束を交わした相手の子供を殺すのか。それは――俗に言う腹いせか?」
「――ッ、茶々丸!」
「ハイ、マスター」
「ぐっ!」

 俺が喋れたのはそこまでだった。エヴァンジェリンの声を切欠に、飛び掛ってきた茶々丸に胸倉を掴み上げられ、茶室の壁に押し付けられる。
 出鱈目な茶々丸の動きと力に、苦しい呼吸の下で苦笑を浮かべた。変な話だが、人間にはちと難しい動きをされたお陰で、やっと彼女がロボであると理解できたのだ……一応。

「貴様……一体何が言いたくてここへ来た? 返答次第では、この場で人生を終えてもらうぞ!!」
「申し訳ありません、ジロー先生。マスターの命令ですので」
『なっ、何してやがる!? 相棒を放しやがれ、このロボッ娘!』
「ゲホッ……カモ、変な呼称を作るな……」

 激昂して叫ぶエヴァンジェリンに、謝りながら人を持ち上げている茶々丸、震えながらも俺を解放するよう怒鳴るカモ。
 あっという間に侘びも寂びもなくなった空間で、何故か自分の咳とため息はよく響いた。
 まあ、こうなった原因は人の心の領域に土足で踏み込んだ俺にあるので、うっかり文句も言えませんがね。
 にしても苦しいです。壁に押し付けられている首から、メリメリって音が聞こえてくるよ、ばあちゃん……。

「ゴホ、カッ……ぁー、何、条件次第ではご所望のネギの血を差し上げます……って話、さね」
「――何?」
『あの、相棒? いきなり何言い出してんだ? こいつはネギの兄貴を殺すって言ってる奴だぜ!?』
「ククッ、そこのオコジョ妖精の言う通りだ。私はあのぼーやを殺す気だぞ。まさかお前、命惜しさに自分の主人を売ろうとでも考えたのか?」

 突然の申し出に慌てふためくカモと、あからさまに嘲笑を浮かべたエヴァンジェリンがが交代で聞いてくる。
 笑ってはいるが、瞳の奥に濃密な殺気を湛えているエヴァンジェリンに、胸中で「くわばらくわばら」と唱えてから、温存していた手札を切った。

「別に、命惜しさでネギを売るわけじゃ……ないさ。どちらかと言うと……お節介的な理由でな。それ、と……できないことは言わない方がいいよ? 『闇の福音』として、じ……自分の存在に誇りを持っている真祖が、己のルールを曲げて……腹いせや自棄っぱちで想い人の息子を殺すのは、考え……にくい」
「……その言い方だと、可能性もなくはないと言ってるだろうが。積もりに積もった十五年分の鬱憤を晴らそうとして、うっかりぼーやを殺ってしまうかもしれんぞ?」

 揺らいだ。エヴァンジェリンは誇り高く、決して自分のルールを曲げないという部分に、僅かにだが顔に忌々しげな色を浮かべたのを見て確信する。
 この機を逃すまいと、取って置きの切り札を切ることにした。でないと、そろそろ喉が潰されそうだし。

「ゲホ……ハァ、サウザンドマスターとの約束が、あるだろ? 卒業する頃には帰って来るから、それまでは光に生きてみろとか、なんかそーいうの……。まだ継続中のはずだけど」
「フン、口の軽い狸ジジイめ。そんなもの、十年前にあいつが死んだ時点で無効だ。奴の強大な魔力のせいで呪いが続いているから、仕方なくこの学園にいるだけだ」

 一先ずは狙った方向に話が進み、喉の痛みに涙を浮かべながらふてぶてしく笑って、最後の手札を切ってやる。

「――サウザンドマスター……いや、ナギ・スプリングフィールドが生きてる可能性……あるんだけど…………聞く?」
「なに?」

 意外な申し出に呆気にとられたらしく、組んでいた腕を崩したエヴァンジェリンにわかりやすく、今も俺の胸倉を掴んでいる茶々丸の手を指差した。

「と、どりあえず、放してくれたら話す……話せるんだけど」
「どうなさいますか、マスター?」
「……チッ、降ろしてやれ。ただし戯言や妄言と判断した場合は覚悟しろよ?」

 エヴァンジェリンの言葉を聞き、茶々丸が胸倉を掴み上げていた手を放す。
 慇懃というか、慇懃無礼な一礼を残して下がる茶々丸に口元を引き攣らせながら、新鮮な空気を求めて喘ぎ、酸素の存在に感謝の祈りを捧げた。

『で、でーじょうぶか、相棒?』
「な゛ん、とか……」
「さあ、さっさと話せ。こちらも人間モドキの与太話に付き合ってられる程、暇ではないのだ」

 カモに気遣われている俺を鼻で笑ったエヴァンジェリンが、早く話せとせっついてくる。
 これからする話を与太と言いながら、ほんの少しだけ期待している風な金髪幼女に苦笑して、座布団に座り直してから口を開いた。

「では……ンンッ、どうしてサザンドマスターが生きているかもしれないと言うとだな――」

 話を聞き終えたエヴァンジェリンが、血相を変えて胸倉に掴みかかってきたのは、それからすぐのことだった――――




 目の前の人間……分類上は使い魔らしい、八房ジローとかいう男の話を聞き終えた私は、頭をトンカチで打ち抜かれたような衝撃を受けていた。
 六年前、ナギの息子――ネギ・スプリングフィールドが暮らしていた村を襲った悪魔の集団。
 命の危機が迫ったぼーやの前に颯爽と現れ、たった一人で悪魔の群れを殲滅したという男――

「だ、だが、それが本当だという証拠は! 証拠はあるのか!?」

 認めがたいが、心のどこかでそれを信じたいと思っていた。
 我を失い、使い魔モドキの胸倉に掴みかかって証拠を出せと怒鳴る。

「あー、今のところ、ネギから聞いた話と、あいつが大事そうに持ってる魔法の杖だけかな。エヴァンジェリンだって、あの杖に見覚えがあるんだろ?
 仮にサウザンドマスターが十年前にどこぞで野垂れ死んだとして、なら六年前にネギに杖を渡したのは誰だ? まさか、親切な魔法使いが父親の形見を渡すために、四年もかけて村を探して、ついでに悪魔の群れもやっつけたと?
 変な例え話で恐縮だけど、俺が英雄様の杖なんて拾ったら、売るか隠すか燃やすかだぞ」
「ぬ……」

 私を挑発するように話していた時と打って変わって、妙に落ち着いたというか、枯れた穏やかさ醸し出す声の調子で、八房ジローは聞きたかった疑問の要点をズラズラと話しきって笑いおった。
 確かに一理あるか……本人がバカであれ、世間で英雄と持ち上げられた奴の遺品を、わざわざ悪魔を蹴散らしてまで渡しに行く人間はいないだろう。
 こいつの言う通り、有名人の魔法道具というのは高値で売れるしな……というか、こいつやけに場慣れした感じだな。本当に、半年そこら前に『こちら』側に来た人間なのか?
 目の前の使い魔モドキの胡散臭さも手伝ってか、考えるほどに頭が白に染まってゆく。
 久方ぶりの感情に、体の震えを抑えることができなかった。

「フ、フフフ……奴が、奴が生きている――」
「それじゃあ、一応の納得はしてくれたみたいだし、こっからは俺の話を――……もしもーし?」
『ダメだぜ、相棒。あっちの世界に逝っちまってる』

 すぐ側で使い魔モドキが二匹、ゴチャゴチャと話していたが、私は会話をまったく聞き取りもせず、ただ奴が……サウザンドマスターが……ナギが生きているという可能性に歓喜していた。
 ククッ、ククククク! 随分と待たせてくれたじゃないか……ずっと、ずっと待っていたぞ、ナギ――――!




「……帰ってこないな」
『そだな……』

 サウザンドマスターが生きているかもしれないと知り、感極まってトリップしている真祖の吸血鬼様を眺めながら、待っている時間はお暇でしょうと、茶々丸が点ててくれた抹茶を静かに口に含み、飲み込んでから小さく嘆息する。
 会ったことがないから、今のところ好感なんてろくに持ってないけど……好かれてるねー、サウザンドマスター。

『かー、うめえ! 下手な店のもんよか、よっぽど美味ぇぜ!』

 オコジョのくせに、どうやって店で抹茶を飲んだのだか。
 器用に前脚で碗を持ち上げ、緑の髭を作って抹茶を呷るオコジョへ半眼を送る。
 とはいえ、カモの言う通り、茶々丸が点ててくれた抹茶が美味しいのは事実。

「オコジョの入店を断らない店に興味はあるけど……確かにカモの言う通り、そんじゅそこらの店のものより美味しいよ」
「ありがとうございます」

 ニコリともせず、無表情で頭を下げて礼を返す茶々丸に苦笑する。

「嫌味に聞こえるかもしれないけど、これを味わえないっていうのは残念だな」
「私は機械ですので――フェイクで飲食はできますが」

 端的に事実を述べているせいか、殊更に機械的に聞こえる茶々丸の言葉に眉根が寄った。

「そうは見えないんだけどなー……耳飾とかはともかく。美味しいお茶を点てられるのに」
「ハア……あの、『そうは見えない』とは?」

 俺の言い方が気になったのか、小さく首を傾げた茶々丸が質問してくる。

「いや、茶々丸本人が言うほど、『機械』はしてないからさ。耳飾やら関節? それはともかく、パッと見じゃロボット……ガイノイド? とはわからないし、俺からすると人間臭いことこの上ない」
「私が人間臭い……ですか?」
『イヤイヤ、どっからどー見ても、この姉ちゃんはロボじゃねえか』

 軽い調子で告げた内容に固まった茶々丸と、呆れた様子で俺の言葉を否定してくるカモ。

「そうかねー? 確かにわかりにくいっちゃあ、わかりにくいけど……知り合いな無表情少女シスターと同じで、感情が恐ろしく判り難いだけっぽいけど」

 お茶を飲み飲み、茶々丸を暫し観察してから意見を述べる。
 だいたい、外見からしてロボっぽくないんだよ。俺の中でロボと言えば、良心回路を積んだ『同名のツートンカラーロボ』とか、火星に基地作ってる脳むき出しの『ドン』だし。
 個人的には『SHOW TIME』で登場するアレが好きだけど、と前振っておいて頭を下げる。

「変なこと言われて、気を悪くしたなら謝る。あくまで俺の主観での話だったから」
「いえ、謝罪していただく必要は」
『頭が痛ぇぜ……兄貴もそうだが、相棒もたいがいズレてるぜ」

 気は悪くしていないと、手を振ってアピールする茶々丸に苦笑いした後、存外に失礼なことをのたまっているカモへ非難を送る。

「失敬な。俺はネギほど抜けてないし、世間ずれしてないわけじゃないぞ」
『あ? 世間ずれしてないわけじゃないって、ちょっと変じゃねえか?』

 俺の抗議に訝しげな顔をして、カモの奴が見上げてきた。

「世間ずれというのは、社会の波に揉まれ、裏表を知り尽くした人に対して使う言葉ですので、世間ずれしていない――わけではない、というジロー先生の言葉は間違いではないかと」
『へーへーへー……確かになあ、変に世間ずれしてるよな、相棒は』
「にゃにおう?」
『おー、怖ぇ』

 素晴らしいタイミングで合の手を入れてくれた茶々丸に感謝しつつ、人を世間ずれしすぎた人扱いしたカモを睨み付ける。
 まあ、お互い遊びだとわかっているので、口元に笑みが浮いているのだが。

「――あの、ジロー先生。もう一杯、お茶はいかがでしょうか」

 俺とカモの漫才みたいな掛け合いを見かねたのか、茶々丸がもう一度、お茶を点てると申し出てくれる。
 もしやすると、オコジョと仲良さげに話している姿に同情されたのだろうか?
 一抹の不安を胸に抱きながら、さっきよりも少しだけ人間味を増した茶々丸に抹茶を点ててもらう。

「?」
「いや、別に」

 まあ、それも俺の錯覚だろうけど。
 苦笑を浮かべた俺に首を傾げた茶々丸に、何でもないと首を振って見せ、再び饗されたお茶を飲み飲み、エヴァンジェリンの現実への帰還を待つ。

「――しかし長いな。さっきから十五年間の物語になってるし、放送禁止用語も聞こえるんだけど」
『ま、諦めろや相棒。触らぬ神に祟りなし、そっとしておいてやろうぜ』
「それもそうだな。当たらぬ蜂は刺さぬ、ってな」
『ははは、言いえて妙だぜ』
「静かですね」

 エヴァンジェリンを放置して、談笑している俺達に聞こえるように呟いた茶々丸の言う通り、茶室は静寂に包まれていた。
 至福だ……こんなに美味くて楽しいお茶と時間が、今日限りというのは惜しすぎる。今のエヴァンジェリンはともかく、まともな時に聞いたら反対されそうだし……。
 暫し黙考し、ここは一つ、エヴァンジェリンの従者たる茶々丸の許可を頂戴することにした。

「迷惑じゃなければ、またお茶を飲みに来てもいいかな?」
「ハ……あ、ハイ」
「よしっ」
「問題はないと思うので、どうぞお好きな時にいらしてください」
『お、俺っちも連れてってくれ!』
「普通の部員がいないときなら考えてやるよ」
『やっぱ相棒は話がわかるぜー』
「ジロー先生にカモミールさん、お待ちしております」

 唐突に話を持ち出したせいか、反応が遅かった。しかし、すぐに了承を出してくれた茶々丸に感謝する。
 同行を願い出たカモに適当な返事をしながら、心の癒される場所を一つ確保したと、内心でほくそ笑んだ。
 すでにお茶会が恒例になってる場所が一つあったりするのだが、そこに行くと教会の手伝いとかあるしな……。問題はエヴァンジェリンがどういう反応をするかだけど、お茶を飲んでる間はおとなしかったし、特に問題なしだろう。

「フ、フフフフ……どうした、ナギ? もう満足したのか……私はまだまだ――ハアハア、ジュルリ」
「あー……」
『……随分とお楽しみ中みてえだな』
「マスター、なんて幸せそうなお顔……」

 急に顔を出さないようになったら、またお説教を喰らいそうだし、時々は教会にも顔を出さないとな。
 つらつらと取り留めないことを考えながら、くねくねと蠢き、茶室の静謐な空間にそぐわない妄想を垂れ流している存在を無視することに専念する。
 結局、エヴァンジェリンが現世へ還ってこられたのは、それから三十分も後のこと。

「カモ……俺は少し厠へ行ってくる」
『お、俺っちもだ……飲みすぎたな』
「いってらっしゃいませ」
「なんだ、待っててやるからさっさと帰って来いよ」
「…………」
『………………』
「申し訳ありませんジロー先生、カモミールさん」

 エヴァンジェリンの帰還が予想以上に遅く、考えていた以上に水分を摂取してしまった俺とカモは、結構な気まずさを覚えながら雪隠へと赴くことになった。
 後ろからかけられる無責任な金髪幼女の声に顔を引き攣らせながら、俺とカモは小走りに三番へと向かうのであった。
 何でだろう……さっきまでのシリアスな空気とか、穏やかな時間が全部台無しになった気分だよ、ヌイ。
 空で愛想良く尻尾を振っている愛犬(故)を見て心を慰めた後、俺は胸中で呟いた。
 みなさん、大事な話の前の水分摂取には気をつけましょう――――


「茶室といえば談合?」


「――で? さっきはイロイロあって聞きそびれたが、どういった条件ならぼーやの血を吸っていいのだ?」

 用を足して帰ってきた俺とカモに向かって、手は洗ったのだろうな、と問いたげな目を向けて、エヴァンジェリンが聞いてきた。
 とりあえずその質問を無視して、ちゃんと洗ったということをアピールするために、濡れた手をハンカチで拭きながら、よっこらしょ、と声を出して座布団に腰を下ろした。

『そうだ、忘れてたぜ! ありゃどう意味なんだ、相棒? 俺っち達は兄貴の味方のはずだろ!?』
「まあ、ここでエヴァンジェリンと話してる時点で、味方かどうかも怪しいけどな。あー、当たり前だけど、ネギが死ぬまで血を吸うってのはなしだからな。最初にそれをしっかり、頭に叩き込んでおいてもらうぞ?」
「ふん、話の内容次第だな」

 少しだけ引き締めた顔で注意事項を述べておく。
 正直、話を聞いてくれるのかさえ微妙だったのだが、前もって嗅がせておいたサウザンドマスター様の話という、とっておきの鼻薬が効いているのだろう。
 エヴァンジェリンの奴は、これから俺が何を言うのか、それなりに楽しみにしていそうな感じに、顔を歪めて見せた。

「期待に沿うことを祈るよ。あー、エヴァンジェリン……サウザンドマスターを超えるかもしれない魔法使いに興味はないか?」
「――なに?」

 こちらが放り投げたボールの球筋を見極めるために、一瞬だけエヴァンジェリンが黙り込む。
 だが、相手もさる者。すぐに俺が言いたいことを理解したらしく、こちらを小馬鹿にした視線を向けて聞いてきた。

「ハン、本気で言っているのか? あのぼーやに、そんなたいそれたことが可能だと? 茶々丸に捕まって、ピーピー泣いてたガキだぞ。
 まあ、仮に可能だとしても、この腑抜けた学園でぼーやの持っている才能や魔力を向上させられる環境があるとは思えん。不可能だ」
「だからこそ、俺達が整えてやるのさ。人間が成長・向上するのに必要な、少し厳しいぐらいの環境をさ。
 まあ、父親譲りの馬鹿でかい魔力やらを受け継いでるにせよ、それを使っているのはネギだっていうのをわからせる必要がある、って問題もあるけど……それは後回しでいいや」

 サウザンドマスターを直接、見たり聞いたりしてない俺からはなんとも言えないけど、ネギって『サウザンドマスターの息子』としか認識されてないっぽいしな。学園長は……微妙なところだとして、高畑先生にしろ他の魔法先生にしろ。
 いくら顔かたちが似てようが、魔力が親譲りででかかろうが、ネギはネギでしかないんだけどねえ。数えで十歳の子供を捕まえて、サウザンドマスターの忘れ形見だー、ってどうして喜べるんだか。
 げんなりした顔でため息をついた俺を、エヴァンジェリンは鼻で笑う。

「ハン、人に生まれを選ぶことは不可能だからな。別にいいじゃないか、生まれに縛られてそれを目指して、周囲の期待に応え、いい魔法使いらしく人から感謝されて生きていっても。
 サウザンドマスターに並ぶことや、超えるなんて夢に破れても誰も文句を言わんさ。悪くないんじゃないか? 父親の名に恥じないように頑張る、小さくまとまった大人になっても。ぼーやだって、それに何の疑問も覚えんだろう」

 どこか馬鹿にした口振りで話すエヴァンジェリンに対し、俺は糸目になって頷く。

「まあ、ネギ自身、偉大だと言われた父親の話に憧れているし、その『背中』を自分の到達点や、最終的な目標に掲げている節もある」

 けれど――
 心の中で一言呟いてから思う。それじゃ、ネギは生きることを楽しめないし、つまらんだろう、と。
 父親の背中に追いついたところで、その背中の向こうにどんな風景があるかを見れないってのは、ちと面白くない。
 これが自分勝手な押し付けで、俺の個人的な希望でしかなのは、重々承知だ。

「あー、エヴァンジェリンさんや。俺がどういう存在かは知っているよな?」
「ああ、ジジイから聞いてるよ。なんでも、ぼーやに別の世界から喚ばれた使い魔だそうじゃないか」
「胡散臭くはあるけど、その通り。契約がめちゃくちゃだったせいか強制力もないし、保護者の役目の方が多くて、最近は俺も自分が使い魔だって忘れそうになってるけどな」
『オオイッ!?』

 今日だって、この場で話をしてやっと少し実感したぐらいだし、と言って笑った俺に、カモがジャンプツッコミを入れてくれた。
 相棒のツッコミのキレに変な満足感を覚えつつ、自分で言うのもなんだが、あくどいことを企んでいると感心する。
 コレが、育てる楽しさというものなのだろうか? 込み上げてくる笑いを隠しもせず、口元を吊り上げながらエヴァンジェリンに聞いてみた。

「せっかく仕える御主人なんだ。他のどんな魔法使いよりも自由で、立派に、雄々しく立ってもらいたいと願っても、たぶん罰は中らないよな?」
「――――プッ、ククククク」
「マスター?」

 しばし、俺を珍しいものでも見るように凝視した後、エヴァンジェリンは堪えきれずに吹き出した。
 いきなり笑い出す主人の姿に、無表情で狼狽(?)している茶々丸に構わず、爆笑し続ける。

「ク、クククッ、アハハハハハハハ! 最初は何かの罠かと疑っていたが、正気か貴様? 本来、絶対服従で仕えるべき存在が、主人に試練を与えるつもりなのか? それも自分の我侭で!?」
「その通りにございます、ってな」
「ククク……ハア、ハア……。ジジイとタカミチが変わった奴だと言っていたが、まさかここまで酔狂な奴だったとはな。
 フフッ、まあいいだろう。私もほんの少しだが、あのぼーやがどこまで足掻いてくれるのか興味が湧いた。一度ぐらいは手を貸してやらんでもない」
『うお、マジかよ!? やったな、さすが変わり者の相棒だぜ!』
「協力してくれる理由が、俺が酔狂な奴だからってのは、些か納得いかないけどな。それでだ、――――」

 興奮のあまり、座布団の上で小躍りするカモの叫びに顔を顰めてから、エヴァンジェリンに俺が適当に組んだ計画の流れを話し始める。
 俺が話す内容(エヴァンジェリンに対して緘口令が敷かれていたりする秘密含む)を聞いて、エヴァンジェリンが驚いたりしているが、これは既に学園長から了承を得ているので無問題。
 良識派……というか、穏健派な魔法先生達にも、事前に断りを入れることにしているので、こちらも心配ご無用。
 仲間外れにしてしまう人達については、一応だが胸中で謝っておく。主にガンドルフィーニ先生とか、ガンちゃん先生とか、ガンドル先生にだ。
 それより怖い人がいたりするのだが、彼女……某シスターについて考えるのは、ずっと後……できることなら、今回の件が終わってからにすることにしておいた。
 いや、まあ、説得する自信がないし、最悪お説教を受ければ済む問題だから――二時間ほどかかることに目を瞑るとして。
 ちと怒りやすいのと、説教が長いことが欠点だなあ、と失礼なことを考えながら、俺はつらつらと話を続けていくのだった。
 御主人をえらい目に遭わせて頑張ってもらおう、という阿呆な計画についての話を――――




 ――俺の話を聞き終わった後で、エヴァンジェリンは顎に手を当てて、感慨深げに呟いた。

「……なるほど、まさか私の魔力を二重に抑えていたとはな。十年以上気がつかなかったのはあれだが……魔法使いが電気に頼るとはなー。なんだ、ハイテクってやつか?」
「私も一応、そのハイテクですが……」

 ひたすらに感心している風なエヴァンジェリンに対して、茶々丸が対抗するように呟きを洩らす。何故に対抗していると思いながら、エヴァンジェリンが驚くのも無理がないと苦笑した。
 夢とファンタジーの塊な魔法使いが科学を使う――初めてそれを知った時は、俺もたいそう驚いた。
 どのくらい驚いたのかを言葉で表すなら、小さい緑色のフォースマスターが携帯電話を華麗に扱っているのを見るぐらい、だろうか?

「ククッ、久しぶりにいい暇潰しができそうだ。だが、言っておくが下手な手加減をしてやれると思うなよ? 私はそんなに優しくない」
「あー、大丈夫。あいつは俺と違って、土壇場で強くなるタイプだし。今のネギはまあ、根性なしというかヘタレというかな奴だけど……一度覚悟決めれば大化けするさね」
「クク、その土壇場で目覚めるだけの時間を稼げればいいのだがな。それにしても、えらく主人を信頼しているじゃないか、ええ?」
「英国紳士を自称してるんだ、夜のお姫さまのダンスパートナーぐらい、余裕で務めてもらわないとな」

 皮肉っぽく笑いながら聞くエヴァンジェリンにそう返しながら、密かに首を傾げていたりする。最近のネギ関係の騒動を見ていると、あいつが本当に英国紳士を目指しているのか疑問だ。
 せめて、クシャミだけもどうにかならんものか。些か手遅れな気もしないでもないけど、ポンポコポンポコ、魔法をぶっ放す癖をなくさないと情操教育に悪そうで。

「まっ、簡単に負けて諦めたりするようだったら、お仕置きってことで血を吸ってくれて構わんよ。もちろん、貧血を起こすぐらいまでだけどな」
「いいだろう、ぼーやのダンス受講料としては充分だ。なに、安心しろ。これだけ笑わしてくれたんだ、死ぬまでは吸わんさ」
「どうだか」

 ニヤリ、と顔を歪めたエヴァンジェリンに苦笑を返す。
 もしも、エヴァンジェリンが約束というか、ゲームのルールを破ろうとした場合、俺が次のダンスの相手をしないとダメなんだろうな、と考えてげんなりした。
 できることなら遠慮したいな、とコッソリため息をついた俺に向けて、エヴァンジェリンは微妙な褒め言葉……らしきものを送ってくだすった。

「『悪い』使い魔だな、貴様は」
「いやいや、そんな、『悪』の魔法使い様ほどではございません」

 悪笑いとでも呼ぶのだろうか? 目と口を三日月の形にして笑う、実にあくどい表情なエヴァンジェリンに言葉を返しておく。
 そんな俺に対して、カモの奴が余計な一言を洩らした。

『今回に限っては、相棒の方がよっぽどの悪だけどな』
「酷いことを言うなよ、カモ。お前だって共犯なんだぞ?」
『わかっちゃいるけどよー。まさか、相棒がここまでやるとは思ってなくてな』

 腕を組んで、カモが糸目で考え込む素振りを見せる。

「まあ、やれる時にやれるだけのことをしておいた方がいいだろう? ばあちゃんの受け売りだけど、役に立つ立たないは別として、強くなっておいて損はないさね。心も体も、な」
『そうだけどよ……』

 とりあえず、エヴァンジェリンとの話は終わったので、カモと雑談を楽しんでいると、唐突にエヴァンジェリンが近づいてきて、ガッシと人の手首部分を掴んだ。何事かと顔を上げると、視線の先には何故か注射器。
 俺の右手首を掴む小さい手をまじまじと見てから、視線をエヴァンジェリンの顔に移して問う。

「何をするつもりだ、俺は本屋帰りの海皇さんに襲われていないぞ? あと、首を掻き毟っちゃうような薬もいらん」
「なに、ぼーやを鍛える前金替わりだ。感謝しろよ? 真祖の吸血鬼にして不死の魔法使いである私が、使い魔ごときの血液を所望しているのだからな」
「ハイ?」

 こちらの質問にまともな答えを返すことなく、エヴァンジェリンの奴はさっさとシャツのボタンを外して、注射器を刺しやすいよう腕を肌蹴させる。
 唐突すぎる展開に、頭の中を疑問符が飛び交った。ネギの血を欲しがっていたから、ある程度のところで妥協させるため+ネギの成長に一役買ってもらおうと、今回の計画を持ちかけたんだけど……これは想定外です。
 そんなことを考えている間に、消毒なしで針をぶっ刺されそうになっていることに気付いて、慌ててエヴァンジェリンの手を振り解いて後ろへ逃げた。

「いやいやいやいや、俺みたいな使い魔の血液じゃ、真祖の吸血鬼様のお口汚しになるから、止めといた方がいいって」
「フン、私が飲みたいと思ったから飲むんだ。美味いにこしたことはないが、この際不味くても構わん」
「な、なんて漢らしい……」

 あまりに漢らしい言葉に絶句した俺に、いつの間にか茶室の隅にまで逃げたカモがエールを送ってくる。

『頑張れ相棒! 応援してやるぜ』

 カモの奴には、あとでデコピンの一発でもくれてやろうと考えながら、エヴァンジェリンがどうにか思いとどまってくれるよう説得を開始。

「あー、前金なら別のもので頼む。そうだ、出席日数なんかはどうだ? 出欠席は俺がつけてるから……」
「ナギが呪いを解かん限り、卒業してもずっとここにいるんだから関係ないな。というか、そこまで嫌がられると協力する気が失せてくるんだがなあ?
 まあ、無理にとは言わんさ。お前一人分から摂取できるであろう魔力分の血液を、夜中に出歩いている生徒達から頂戴すればいいだけの話だしな。さて、口うるさい魔法先生達に見つからずに集められるかどうか……」

 遠回しに、お前が血を差し出さないと他の生徒達から頂戴するぞ、と脅してくださるエヴァンジェリンに顔を顰める。
 正直な所、誰から血を摂取してくれても構わないんだけどな。別に死ぬわけじゃなし。

「うぐぅ……」
「クックックックック」
「ああ、マスターがとても楽しそうなお顔に……」

 だからといって、その言葉を口にするのは人としてどうかとも思うわけで。
 堪らず呻き声を上げた俺と、不敵に「さあ、どうする?」的な笑みを浮かべているエヴァンジェリンを見て、茶々丸が微妙に感激したように呟きを洩らしていた。
 亀の甲より年の功、というのだろうか。選択肢があるようでない状況に追い込まれて、悔しげに歯軋りする。その状態で数秒、考えて結論を出した。
 注射、嫌いなんだけど……仕方が無いか。これも御主人のためとか言って、策略をした自分へのお仕置きってことで。
 深々とため息をついてから、覚悟を決めた目でエヴァンジェリンを見上げる。

「わかったよ、エヴァンジェリン。だけど一つ頼みがある……」
「フン、頼みごとの多い奴だな。聞くだけは聞いてやる、言ってみろ」
「…………初めてだから、痛くしないで」
「へ、変な言い方をするな、この馬鹿使い魔!」
『結構、余裕だな相棒』

 どんな時でも、余裕という名の清涼剤は忘れちゃいけない。それが、今は亡きじいちゃんの教えだったから。
 俺の言い方がヒットしたのか、エヴァンジェリンの顔が赤くなる。
 もしかすると、意外に純情なのかもしれない。なんだかんだで、サウザンドマスターとの約束も守ってるしな。話を持ちかけた方が行方知れずで生死不明ってのが、なんとも皮肉なもんだけど。
 そう考えると、エヴァンジェリンに妙な親しみやすさ的なものが感じられた。

「あー……血を献上する代わりっちゃあ、なんだけど……名前短縮していいか? 毎度毎度、エヴァンジェリンって言いにくい」
「人の名前を言いにくいで短縮するのか、貴様は……? フン、まあいいさ、形だけとはいえ協力する相手だ、それぐらいは許可してやらんでもない」
「そりゃどーも」

 思いつきで出した俺の提案にそう答えて、エヴァンジェリン――エヴァが俺の腕に牙、ならぬ注射器の針を突き刺した。
 右腕の肘関節のところに浮いた血管に、注射器の針が特に抵抗もなく、プツリと潜り込む。

「あ、上手い。ほとんど痛くなかった」
「忌々しいことだがな、魔力が戻っている時しか牙が使えん以上、こういう方法でしか血液を得られんからな。必要に迫られれば、どんなに不本意なものでも上手くもなる」

 思わず何度でも頷いてしまいそうなぼやきに聞き入ってしまった俺の腕から、生温かそうな赤い液体が吸いだされていった。
 不愉快そうな顔から一転、採血し終えて顔を緩めたエヴァは、茶々丸が差し出したお茶用の碗に血液を流し込んでいく。
 数回それを続け、やっと満足のいく量――目分量でだが、五〇〇mlの缶ジュース一本分ほどに達したらしく、顔をほころばしたエヴァが碗を満たす血液に口をつけた。
 ゆっくりと味わうように、碗の中の赤い液体を傾けるエヴァを見ながら密かに思う。侘び寂びの道具でそんなことをしてもいいのか、と。
 ルミノール反応でうっすら輝く茶器というのは、恐ろしくシュールではないかろうか。
 それ以前の問題として、碗を満たしていた自分の血が飲まれていく様というのは、見ていて気分のいいものではない。

『災難だったな相棒』
「大丈夫ですか、ジロー先生? よろしければ、消毒と手当てを致しますが」
「あーそうだな、念のために消毒をお願いします」
「はい。ありがとうございました、ジロー先生。マスターがとても楽しそうです」

 野暮なツッコミを入れるなかれ。どこからか救急箱を取り出した茶々丸が、手際よく滲み出た血を拭い、消毒を済ませて傷テープを貼ってくれる。
 それが終わる頃には、エヴァも血を飲み終えていた。些か満足げに息を吐いているエヴァを見て、ふと好奇心から疑問を覚えてしまった。
 健康には自信があるのだが、血の味は健康に左右されるのだろうかと。

「あー、吸血鬼って、吸った相手によって味の違いを感じるものなのか? 知的探究心のために教えてくれ」
「ふむ、そうだな……血の味そのものは変わらんが、そこに含まれる魔力の量などで風味や口当たりが変わるといったところだ。
 貴様の血は、それなりの吟醸酒といったところか。口当たりが強い割りにまろやかな風味も感じるし、後味も悪くない」
「左様ですか。えーっと、中の上ぐらい?」
「クククッ、予想よりは上だったよ。満月の夜は後ろに気をつけろよ?」
「ジロー先生の味が気に入ったのですね、マスター」
「だ、黙れ、紛らわしい表現をするな! 巻くぞ!?」
「アアア、もう巻いてますマスター」

 さらりと怖いことをのたまい、余計な合の手を入れた茶々丸のゼンマイを巻いているエヴァを眺めて、冷や汗を一筋流す。
 あまり嬉しくないな、血の味が予想より美味しかったと言われても。血を舐めて悦に入る変な人間と戦りあった経験はあるけど、こっちはマジ物だしな。

「勘弁してください――――あー、それじゃあ、談合はここまでってことで。俺はこれから、ネギが戦おうって気になるよう、手段を講じないといけないから帰るさね」
「フンッ、無駄な足掻きだとは思うが、あの坊やが少しでも私に対抗できるよう仕込んでおくことだな。楽しみにしているぞ、ジロー?」
「一応、俺は先生で副担任なんだけど、呼び捨てですか」

 地味に立場が対等以下になっていることに抗議した俺に、エヴァ様は蔑んだ笑みを浮かべて言い切ってくれる。

「ハッ、若造がほざくな。私がせっかく親しげに呼んでやってるんだ、もっと嬉しそうにしろ」
「はいはい」
「ああ、マスターが照れてらっしゃいます――」
『姉ちゃん、口は災いの元って知ってるかい?』

 仕方がないので、協力者として扱いがよくなったと考えておくことにした。
 で、俺達が揃って茶室から出たところで高畑先生に会い、学園長からの伝言を聞かされたエヴァは高畑先生と一緒に、学園長室へ歩いていった。
 俺やカモの使い魔(もどき)コンビと、エヴァ主従コンビという奇妙な組み合わせに高畑先生は不思議そうにしていたが、俺が意味深に笑って見せると、納得したように苦笑を返してくれた。
 まあ、俺達がしようとしていることを、無理矢理に黙認してもらっているのだから、至極当然の反応かもしれないが。

「――さって、これで当分は生徒もネギも襲われず、事が起きるまで落ち着いて準備ができる」
『ちょっとだけ肩の荷が下りたな、相棒』
「まあ、下りたら下りた分だけ、他の厄介ごとが回ってくるんだろうけどな」

 くらくらする頭を抑えつつ伸びをする俺に、カモの奴が一仕事した風に息をついて言ってくる。
 出てもいない額の汗を拭っているカモに苦笑してから、わざとらしくため息をついて溢した。
 事が起きるまでの間に、いろいろ準備しないといけないし、他の心が広めな魔法先生達に根回しもしないといけない。折角整えた舞台を、封印の解けたエヴァは危険だって理由で邪魔されると困るしな。
 まあ、そんなことをするのは、極少数の魔法先生と魔法生徒だけだが。主に、ガンドル先生と自称・影使いね。
 約一名、別の意味で厄介な魔法先生がいるのだが……まあ、あのシスターが言ってきそうなことは、悲しいかな予想ができているので――

「情けないことこの上ないが、悪戯好きのシスター見習いと一緒に掃除すれば問題ない」
『なんでシスター見習いと掃除する、なんて言葉が出てくるんだ?』
「まあ、気にするな。慈悲深いけど、俺みたいな人間には厳しいシスターに隠し事をした罰が、たぶん説教と掃除だろうって話だ」
『ハア?』

 肩の上で、訝しげに首を傾げているカモに苦笑して見せて、俺は空いている方の肩を揉みながら呟いた。

「とりあえず、今日はもう働かないぞ。血を採られすぎて、頭もぼやけてるし」

 茶室で行った『献血』の後、魔力の補充という名目で逆の腕から再度、エヴァに血を搾取されただけに……下手に走ったりすると、目眩で倒れることができそうです。
 まあ、あれだ。傍若無人な金髪幼女様の我侭のお陰で、確実に一リットルは吸い出されたしね。
 心なしか冷たく感じる手でこめかみを揉んでいた俺に、まだ近くに立っていた茶々丸が、申し訳なさそうに頭を下げてきた。

「申し訳ありません、ジロー先生。マスターの魔力補充に必要だったとはいえ、一度にあれだけの量の血液を……」
「あー、別にいいよ。一リットル程度じゃ人は死なない……はずだし。これぐらいなら、しっかり食べて寝ればすぐに戻る」

 直接、危害を与えていない人に頭を下げられても困るので、適当なところで謝罪を終わらせて、何か別の話題を振ることにする。
 といっても、茶々丸みたいな娘が反応を返すような話題を知っているわけではないので、口から出たのは実に所帯じみた内容だったが。

「これから、俺は商店街で夕飯の材料を買って帰るけど……。茶々丸はエヴァが戻ってくるまで、ここで待ってるのか?」

 てっきり、高畑先生に連れられて学園長室へ行ったエヴァを待つのだと思っていたが、茶々丸から返ってきたのは予想に反した答えであった。

「いえ、私はマスターより一足先に家へ戻らせていただきます」
「あー、そうなのか?」

 機械の従者らしからぬ返答にこっそり驚くが、確かにエヴァも「人目のある所を歩くんだぞ」と言っていたし……。これはこれで、主人の命令を聞いている――――ことになるのか?
 まあ、この娘が何を基準にして行動しているのかは置いておこう。そう考えて、早いとこ買い物に行くために思考を切り替えた俺へ、肩の上に座るカモが声をかけてきた。

『それじゃ相棒、俺っちは先にネギ兄貴と姐さんのところに戻っておくぜ』
「ああ。ついでに程よく、ネギの闘志を昂らせておいてくれると助かる」

 一声かけた後、軽やかに地面へ飛び降りたカモに、来るべき日のための下ごしらえを頼んでおく。

『フフフ、任せておきな相棒。ネギの兄貴が戦いたくて仕方がないようにしておいてやるぜ』
「いや、そうなるとあいつ暴走して力も戻ってないエヴァを襲いそうだから、ほどほどに」

 不敵な笑みを浮かべて、自信満々にサムズアップしたカモに釘を刺し、ため息交じりに苦笑する。
 普段、冷静な奴とか勉強『は』できる奴がキレると、何をしでかすかわからないからなぁ。最悪、どちらか一人になったときを辻斬りしかねん。
 ずっと魔法使いしかいない環境で育ったせいか、いまだに魔法で問題解決しようとする癖が抜けてないし。

『まあ、その辺りの加減は任せてくれって。そいじゃ、気ぃつけてな相棒〜』

 薄くて頼りない胸板を叩き、したたたたっ、と走っていったカモを見送り、俺も夕飯の材料を買いに行こうと、茶々丸より先にその場を去ろうとする。

「あー、それじゃ俺も帰るよ。特に心配する必要もないだろうけど、茶々丸も気をつけて帰るんだぞ?」

 正直、エヴァの従者として物騒な強さを持っている少女を襲う相手に同情したいと、胸中で失礼なことを呟きながら踵を返した――

「――――少々よろしいでしょうか、ジロー先生」
「は?」

 のだが、そんな俺の背中にかけられた茶々丸の声は、意外にも制止の声であった――――




 どうして私はあの時、ジロー先生を呼び止めてしまったのだろう。
 場所を、茶道部の庵から教会近くの猫さん達が集まる広場に移し、私は少し離れた場所で猫さん達に相好を崩して……融解させているジロー先生を観察しながら、自身に問いかけた。
 何故、あの人に対して興味を持ったような行動をしたのか。明確な答えは出せないが、それを行う切欠となったものは理解している。
 一握りの魔法先生しか知らないはずの、学園結界の情報をマスターに提供するだけでなく、半ば強制されたとはいえ魔力の提供を行い。
 それだけでも、学園に所属する魔法関係者としては異質であるのに、自身の主人であるはずのネギ先生を襲ってくれとまで……。

「おー、よしよし。人懐っこいなぁ、お前達」
『にゃーん』
『ゴロゴロ……♪』

 理由はわかりませんが時折、教会の方に視線を向けて警戒しつつ、足元に擦り寄ってきた猫さん達を抱っこしたり、喉をくすぐったりしているジロー先生に歩み寄って、私は意図的に主人を危険に晒そうとする人に尋ねた。

「一つ聞いてもよろしいでしょうか、ジロー先生?」
「んー? 俺に答えられることなら」

 いつの間にか頭や肩、曲げた足の上にまで猫さん達を乗せて、ほくほく顔のジロー先生が、こちらを見ることなく言葉を返す。
 茶道部の庵でマスターと交渉していた姿が嘘に思える状態のジロー先生に、私は静かに問いを発した。

「何故、ネギ先生を危険な目にあわせるような計画を、マスターに提案したのですか?」
「別に? 特に深いことを考えて、エヴァに襲撃してくれって頼んだわけじゃないよ」

 私の質問に対して返ってきたのは、あくまで猫さん達を構うことに集中しながらの投げやりな答え。
 ネギ先生がマスターに襲撃されることがわかっていながら、どうしてジロー先生はこのような態度……文学の言葉を借りるなら、飄々としていられるのだろう。
 経験やくぐり抜けてきた修羅場の差を考えれば、ネギ先生に勝機がないことは明確。ならば主人に仕える使い魔として、マスターがネギ先生を襲わないようにすることを第一に考えるのが普通のはず。

「この麻帆良学園に来てからのジロー先生とネギ先生の言動を見た限り、二人の関係は良好のように感じられました――――ジロー先生はネギ先生のことを大切に考えているという、私の判断は間違っていたのですか?」

 その質問が興味をひいたのでしょうか?
 小さく首を傾げて質問した私にようやく視線を向けて、ジロー先生は少し考える素振りを見せてから口を開く。

「あー……そう聞かれると、耳に痛いものがあるかな。微妙な答えになるけど、ネギのことは『大切だけど大事ではない』?」
「――――それはどういう意味でしょうか?」

 猫さんを撫でながら返された答えを理解できず、聞き返した私に苦笑を浮かべて、ジロー先生は先ほどの答えについて説明してくれました。

「なに、大切だけど大事じゃないっていうのは、自分にとってそれが『絶対』じゃないってだけのこと。大切で、傷の一つも許せないから箱に入れて厳重に保管する……俺にとって大事っていうのは、そういうものだし」
「…………」

 マスターの存在が『絶対』である私にとって、ジロー先生の答えは予測もしないものでした。
 その言い方から推測すると、ネギ先生が傷つくのは問題ないということでしょうか?

「正直、『登校地獄』なんて人を小馬鹿にした呪いかけられたエヴァが、ネギの血を吸ってでも自由になりたい、って気持ちもわかるし。親の不始末を子供に償わせるっていうのも、それなりに妥当な方法だと思う……なー?」
『にゃ〜?』

 手に持った猫さんを高い高いしながら、どこか眠たげな眼差しでジロー先生が呟くように語る。
 復讐や報復を認める――この学園の魔法先生達が聞けば、恐らく怒りだすであろうことを平然と言ってのける人の考えが理解できず、口を噤んでしまった私を横目に見て、ジロー先生が苦笑いを浮かべた。

「まあ、復讐・報復が当然だからで放置できないから、今日みたいに裏取引を持ちかけたりしてるんだけど」
「…………」

 仕方なさそうにため息をついて、再び猫さんを可愛がりだすジロー先生。
 この人の本当の目的がどこにあるのかわからず、私は小さく呟く。

「わかりません、何のために今回のような行動をされたのか」

 私が洩らした呟きが聞こえたのか、ジロー先生は視線を地面に向けて口を開いた。

「わからなくていいと思うよ? ただ単に、俺の考え方と価値観が変わってるだけだろうし」

 そう言って、ジロー先生が僅かに目を細めて口元を歪める。
 頭や肩といった、体のいたるところに猫さんを乗せながら浮かべた表情。人をからかう時にマスターが浮かべるものと似た、皮肉げな笑みなのに……どこか空虚で、殺伐としたものを感じさせたのは何故なのでしょうか?

「――――さって、名残惜しかったりするけど、俺も夕飯の準備やらがあるし。そろそろ帰るかな」
『ふにゃ〜?』
『にゃにゃにゃ〜』

 奇妙な表情を浮かべてから数分経った頃、猫さん達との触れ合いに満足したらしいジロー先生が、頭や肩にぶら下がる猫さん達を地面に降ろして立ち上がる。

「ありがとうな、茶々丸。こんな素晴らしい場所に案内してくれて」
『んみゃー』

 帰ろうとするのを引き止めるように、足に擦り寄ってくる猫さん達に顔を綻ばせながら、ジロー先生は私に感謝の言葉を送ってきた。

「いえ、猫さん達の遊び相手をしていただいたので。私の方こそ、お礼を言わせていただきます」

 よろしければ、また猫さん達の遊び相手をしにきてあげてください――
 そう告げた私に、心の底から嬉しそうな顔で「今度はお土産を持ってくる」とサムズアップしながら告げて、ジロー先生は軽やかな足取りで去ってゆく。
 次第に遠ざかっていく、ジロー先生の後ろ姿を見送りながら私は呟いた。

「八房ジロー……ああいう人を、『変わり者』と呼ぶのでしょうか?」
『うにゃあ?』

 私の真似をして、足元にいた猫さんもジロー先生を見送りながら首を傾げる。視線の先でジロー先生が大きなクシャミをしているのを見て、猫さんが逆方向にもう一度、首を傾げた――――




後書き?) 改正前と比べて、後半部分をちょこっと変えてみました。茶々丸視点は難しいです……。
 微妙に気付かれていない気がするので書いてみますが、ネギの茶々丸襲撃イベント。あれを丸々、起こらないことにしてしまっているのは、案外珍しいのでは? などと、自分の書いたものに首を傾げつつ。
 感想・アドバイスお待ちしております。



「少年よ大志を抱け?」


 相棒と別れた後、俺っちはネギの兄貴とアスナの姐さんが待つ寮へと帰っていった。途中で、兄貴のクラスの女子たちに抱かれていい思いをしたのは相棒にゃ秘密だ。

「あ、カモ君。今日はどこ行ってたの?」
『いや〜、ちょっと相棒とエヴァンジェリン対策について話し合ってたんすよー』
「なに、まだあいつらネギのこと狙ってるわけ? しつこいわね〜」
「うぅ……どうしたらいいんだろう」
「でもさ、エヴァンジェリンも茶々丸さんも二年間、私のクラスメートだったんだよ? いまいち本気で命を狙ってるなんて思えないんだけど」

 悩んでいる兄貴と、うんざり気味の姐さんを交えて今後の対策を練ろうとするんだが、どっちもいまいち話に乗り気じゃねえ。
 ここはひとつ危機感を持ってもらうとするかい。

『甘い、甘いですぜ姐さん! ネギの兄貴も、そんな調子じゃやばいですぜ!? あのエヴァンジェリンについて相棒と調べたんだけどよ、これを見てくれ!』

 魔法使い関係者の必須アイテム・『まほネット』のページを兄貴達に見せる。一応、今は協力関係なんだが、悪役になってもらっても構わねえだろ。

『あのエヴァンジェリンて女、十五年前まで六〇〇万$の賞金首ですぜ!? 確かに女子供を殺ったって記録はねーが、闇の世界でも恐れられる極悪人さ!!』
「何でそんなのが、ウチのクラスにいるのよ!?」
『そいつはわかんねーけどよ……』

 本当は兄貴の親父がかけた、冗談みたいな呪いが原因なんスけどね。

「う゛うぇく…」
「あーもー! あんたもグスグス泣かない。それでエロおこじょ、ジローはどうするって言ってたのよ?」
『カモッス、姐さん!! えーと、相棒の奴は次のエヴァンジェリンの襲撃に備えて、マジックアイテムを仕入れに行くって言ってたっすよ』
「てことは、戦うつもりなのね」
「そ、そんなー。僕達がどうやっても、真祖の吸血鬼になんて勝てないよ……。ジローさんは大丈夫かもしれないけど、狙われてるのは僕なんだよ?」

 確かに、真祖の吸血鬼を相手にしようなんて正気の沙汰じゃねえんだけど。
 相棒のやろうとしていることは、これからの兄貴にとっても必要な試練だからな。どうあってもやる気を出してもらわねえと。

「なによ、次の満月まではおとなしくしてるって言ってたけど、『真祖』ってそんなにやばいの?」
『まあ、姐さんはこっちの世界に疎いから仕方ねえけどよ。吸血鬼の真祖と言やあ、最強クラスの化け物っすよ』
「そ、そんなに強いんだ……でもネギの口ぶりからすると、ジローなら何とかできそうって感じだけど?」
『それは俺っちも不思議に思ったッス。兄貴、俺っちはよく知らねえんだが、相棒はどのくらいの強ぇんすか? よく考えりゃ、知らなかったッスよ』
「う、うん。えっとね……」

 そういや、『裏』は相棒の担当って勝手に考えてたけど、相棒だって元々一般人なんだよな。それが兄貴の召喚魔法の失敗で、今の状況に置かれてるだけで……。
 言っちゃ悪いが、そんな元普通人が鍛えた程度で真祖の吸血鬼の相手なんて、到底無理だぜ?

(まあ、言動や立ち居振る舞いを見りゃ、ただの使い魔じゃねえのはわかるけどよ。もしかしたら、戦闘力以外のところで、すげえ切り札でも持ってるのかもしれねえし)
「僕が、お姉ちゃんとアーニャに聞いた話も一緒に話すけど――」

 心の中で、相棒に戦闘力のランクをつけるとしたらどの程度か、って考える俺っちに、ネギの兄貴がぽつりぽつりと話し始める。
 お姉ちゃんっていうと、ネカネ姉さんのことッスね。アーニャってのは……兄貴の幼馴染ってところかい?
 それはさて置き、兄貴の口から相棒の異種戦闘談が出始めたんだが、その話がこれまた――――




「――とかかなー、僕が聞かせてもらったの」

 話し終えて、知らねえ間に姐さんが持ってきてくれたお茶を飲んで、兄貴が人心地ついたように息を吐く。

『…………ま、まあ、オークとかゴブリンとか、性質の悪ぃボギーみてえな妖精を叩きのめしたって話は、相棒の「魔法の矢」付属のパンチを喰らった俺っちからすると、不思議でもなんでもないッスが。
 ド、ドラゴンを倒したって、何の冗談っすか兄貴! そんなの使い魔どころか、並の魔法使いでも簡単にはできねえッスよ!?』

 兄貴が人から聞いただけの話をしているってのは理解してても、その話の内容のぶっ飛び具合にツッコミを入れねぇと、辛抱できなかったんだよ。
 ツッコミ入れられたことが気に入らねえのか、兄貴は頬を膨らませて文句を言ってくる。

「だって、本当のことなんだもん。確かにドラゴンって言っても、ウェールズでジローさんが倒したのは、グリフォンみたいな亜種に近いものだけど」
「ジローって案外、規格外なのねー……」
「僕が呼びにいった、魔法学校の人達が到着するまでの間に倒してたみたいです。よくわからないけど、ちょっとショッキングな光景が広がってるから見ない方がいいって待たされて――そういえば、その日はご馳走だったなぁ。お姉ちゃんが、『ジローさんがドラゴン倒した記念よ』って、ローストビーフとか……」

 話してて、故郷のネカネ姉さんの手料理の味でも思い出したのか、兄貴は天井を見上げて、しみじみとした感じで呟いてた。
 しかし、聞けば聞くほど信じられねえ。亜種とはいえ、グリフォンタイプだって立派な竜種。野生のくせに魔法障壁を展開したり、風や雷を放つ奴までいるって話なのに……。
 さすがに今は、現実世界で生息はしてねえけど、『魔法世界』にいる奴らは、熟練の魔法使いでも手こずるって聞くぜ?

(一体、どうやって一人で竜種を倒せたのか、今度相棒に聞いてみるか……)

 そのドラゴンがどっから来たとか、誰の召喚した奴か、とか聞かねえとダメだしな。
 頭の中で一旦、相棒の竜殺しについての話を終わらせて、兄貴にエヴァンジェリンと戦うって心構えをさせるための話を続ける。

『信じられねえけど、兄貴が言うんだから本当なんすね。けど真祖+パートナーが相手じゃいまいちこころもとないっスよ』
「ど、どんな化け物なのよ真祖って!? ゲームとか漫画なら、ドラゴン殺しなんて最強っぽいスキルでしょーが!」
『いや、そんなキレかたされても困るんスけど……。てか、ゲームのドラゴン族って相当、ステータスやら劣化させられてますぜ?』

 ちょっと上級になりゃあ、人語を理解して使用するとかいう『古代竜種』も存在するって噂だし。当然のように、詠唱魔法も使用可能って反則具合だ。
 まあ、俺っちのドラゴン談義は次の機会に置いとくして。軽く頭を振って雑念を飛ばしてから、俺っちは姐さんに提案してみる。

『そうだ、アスナの姐さん! 兄貴のパートナーになってくんねースか? 兄貴と相棒二人じゃ駄目でも、姐さんが加わってくれりゃ百人力ッスよ!』
「な、何それっ、私はイヤよ! 仮契約って昨日やってたアレでしょ? バカみたいッ」

 言ってはみたが、反応は芳しくねえっつーか、非難轟々。
 そのことが原因で、姐さんの機嫌が悪くなるし、ネギの兄貴は襲われるとか考え込んで、どんより塞ぎ込んじまう。
 ウーン、やっぱ駄目か。悪い相棒、俺っちだけじゃ兄貴をやる気にはできねえみたいだ。

『わ、悪かったッス。今日はもうこの話は終わりにして、また明日、相棒も合わせてやることにしやしょう。ね、兄貴?』
「う、うん……」

 その後、すぐにこのか姉さんも帰ってきたんで、エヴァンジェリンに関する話を一言も交わすことなく俺っちたちは寝たんだがよ。
 朝、アスナの姐さんのでかい声で目が覚めちまって文句を言おうとしたら――

『うう〜ん、なんすか姐さん? 朝っぱらから――』
「んなことはどうでもいいから! ネギ、ネギがいないのよ!? 起きたら枕元にこんな書置きがあったし!」
『うええっ!!?』

 慌てた俺っちが、アスナの姐さんに見せてもらった紙には――


『探さないでください ネギ』


 あ、兄貴ー!? 俺っちの頭の中で、土砂降りの雷が落ちまくった。
 ヤバイ、昨日のやる気を出させるつもりの話が、不必要に怖がらせただけになっちまったか?
 カタカタと震える体を抑えながら、俺っちは声を搾り出した。

『ア、アアァ、相棒に殺される……』




 朝、目を覚ましたばかりの俺に、意外な人物が電話をかけてきた。
 あの歓迎会の日にあった腕試しの後、電話番号を教えあったのだが、一度もかけてきたことがなかったのに珍しい。
 そういえば、腕試しで二人同時に戦う意味があるのか、って疑問が出たりしたんだけど……相手が単独で動く方が珍しいし。同時に複数を相手に立ち回れるだけの視野や判断能力、行動力を確かめたいってとこだろう。
 まあ、済んだことだし、どうでもいいけど。今は楓の相手をしないと。
 やはり忍者は山奥で暮らしているせいで、電話をかけたりするのは苦手なのだろうか?
 えらく失礼なことを考えながら、現在進行形でコール音を鳴らしている携帯を手に取り、着信ボタンを押して声をかける。

「はい、もしもし、八房ですが」
『もしもし、ジロー殿でござるか?』

 電話の向こうから、微妙に高くなったというか、余所行きのなんちゃって忍者――長瀬楓嬢の声が届く。
 大体において、女の人というのは電話に出る時、気味が悪いぐらい澄ました声を出すものだ。俺の幼馴染というか、そういう感じの存在だった知り合いの少女も、普段は億劫そうな声しか出さないのに、電話に出る時とかは人格変わったと思う声を出していたしね……。
 そんな、どうでもいい知り合いの豹変具合を思い出していた俺の耳に、信じられない事が楓から伝えられる。

『あの、その、でござるな……なんと言えばいいのやら。今日の朝早く山に入って、川辺で寝ているネギ坊主を拾ったのだが、どうすればいいでござるか?』
「……はあっ!?」

 いきなり告げられた話の内容が理解できず、口から恫喝する時に出すような叫びが飛び出した。
 矢継ぎ早に、楓に対する質問の言葉を投げかける。

「ちょっと待て! お前が何で山の中にいるとか、電波届くのかとか、どう考えてもアレの修業だろうってツッコミは置いとくとして、何故にネギが川辺で――!!」
「五月蝿い」
「ふおおおぉぉ!?」

 次の瞬間には、前髪を十数発の弾丸で散らされて沈黙することになったが。
 冷静に考えてみると、アスナ達の部屋にいるはずのネギが山にいる理由なんて、すぐにわかったのだが。
 それはともかく、想定外のことばかり。ネギ君強化計画、まだまだ道は険しそうだぜ――――




 寝起きが悪いスナイパーによって、前髪が少し焦げ臭くなった俺だが、時間的に散髪屋も開いていないということで、アスナ達の部屋へ直行した。
 部屋の前で熊みたいにウロウロ歩き回っていた、アスナとカモの二人と合流して、人目につかない寮の裏庭に行く。
 最近、ここで密談することが多くなった気がするけど、実はまだ二回目でそんなに多くないから、ただの気のせいだろう。密談や裏話をする機会と相手がいないせいで、特別に感じているだけだ。
 それはさて置き、裏庭について開口一番にカモが謝ってきた。骨格の構造を無視した、美しいまでのジャパニーズ土下座。

『スンマセンでした!!』

 ついでに地面に穴を掘って、頭を土より下に沈めてくれると、完全無欠の美しい土下座になるのだが……それはまたの機会に置いておくとしよう。

「ちょ、声が大きいわよ!? 誰か来たらどうすんのよエロおこじょ!」
「アスナの言う通りだ。別に怒ってないから顔を上げろ、カモ」
『へっ? こ、殺さない?』

 ちょっと幼児化してるカモミール。
 俺は鬼ですか? 何故に逃亡かましたネギの責任を追及して、カモに死んでもらわなきゃならんのだ。
 俺が無意味に怖がられている理由は、アスナの説明でわかったのだが……。ネギの奴、大袈裟に話しすぎただろ?
 カモの怯え方が尋常じゃないし、アスナも微妙な目で俺のこと見てるし。何で朝っぱらから、こんな居心地悪い気分にされなければならない。

「いや、ネギがどっかに行ったってお前らに聞く前に知ってるから。どこにいるかもわかってるし、あんまり心配するな」
『え?』

 俺の言葉に呆気にとられ、アスナとカモの口から惚けた言葉が洩れる。前から思っているんだけど、実はこいつら良いコンビじゃないか?
 言えば確実に、アスナが否定するであろう言葉を胸の奥に封印して話を続ける。

「朝一番に楓から電話があってな。近くの山中で寝てるのを、わざわざ回収してくれたらしい」
「山中って、てかなんで楓さんが……いや、いいわ。なんとなくわかった」
『あ、姐さん?』

 何故、楓が山の中にいるのかを察したのか、アスナは苦笑いを浮かべている。
 カモはまだ知らないかもしれないけどな、忘れられた島以外にも、忍んでいない忍びはいるのだよ。

「ネギのことは、この際だから楓に任せることにした。山で一晩過ごせば、いい気分転換にもなるだろうし。忍んではいないが、忍者がついているんだ。安心して任せられるだろ?」
「まあ、あんたがそう言うなら、私は別にあのガキがどこにいてようがかまわないけど……」
『本当にすまねえ、相棒。俺っちが兄貴にやる気を出させようと思って、煽りが過ぎたみてえだ』

 まだ心配そうなアスナに胸中で感謝する。なんだかんだと言いながら、ネギのために世話を焼いてくれる、本当に「人がいい」やつだ。

「ネギが心配かけてすまんな、アスナ。カモもそんなに落ち込むな。非は、逃げ出したネギの方にあるし……ちゃんと帰ってくるさ、たぶん」
『そうだな……』

 そこで、逃亡犯・ネギについての相談会を終了させる。新聞配達のバイトがあるアスナとカモを先に帰し、俺は一人裏庭に残った。

「――――ハァ」

 結局は、そういうことだ。ただ魔法が使えるだけの子供に過ぎないのだ、ネギは。何か問題が起これば、ろくに対処もできず、戦うしかない状況で逃亡という手段を選択する。
 逃亡も立派な戦い方の一つであることは否定しないが、時と場合を選んで逃げてほしいものさね。
 本人の自覚が、覚悟が――なんて偉そうに非難できるほど、上等な立場でもないし、立派な責任や覚悟を背負ってるわけでもないが。

「英雄の息子だ、『立派な魔法使い』を目指す、将来有望な魔法使いだ……。それ以前に、あいつがまだ子供だってことをわかってもらわないとな」

 どこの誰に……いや、どこの皆様方にとは言わないけど。本人からして、自分が子供であるってことを忘れてやがるし。
 オシャマな女の子なら可愛げもあるのだが、ネギみたいなのは、見てて息苦しくならぁな。自然と目が細くなり、口元が歪んでいくのを自覚する。
 できるだけ人に見せないようにしている、皮肉を通り越した酷い笑みを押し戻して、いつも通りの緩い顔に戻ってため息をつく。その拍子に、粉状の焦げた髪がハラリと落ちた。

「散髪、行かないとな」

 髪型どうのこうのを気にする性質でもないが、一部分だけ茶けた前髪が、不自然に巻いているのはあれだし。
 手っ取り早く、十分千円で髪を切ってくれるとこでいいか? 渋い顔で、たまには洒落っ気を出して、カット専門店にでも行けと文句を言う、知り合いの顔を思い出しながら、麻帆良の駅方向に向けて歩き出す。

「……たまには理髪店を利用するか」

 たまには、知り合いの言ってたことをしないと、色々と忘れてしまうしな。そう、苦笑いしながら胸中で呟き、俺は理髪店目指してぶらぶらと歩く。

「そういえば、理髪店とカット専門店って何か違いがあるのかね?」

 道すがら、ふと浮かんだ疑問に足を止めて首を傾げてみるが、二つに大きな違いはないように感じられた。
 きっと理髪店の洒落た呼び方が、カット専門店なのだろう。そう解釈して満足げに頷き、俺は歩みを再開した――――





後書き?) 理髪店とカット専門店って、何か違いがあるのですか?
 それはさて置き、改正版のジロは少し口が悪いというか、微妙に黒が混じっていそうなのをデフォにしております。
 わかりやすく書くと愚痴っぽい? 何かが違う気もしますが、後書きはこの辺で終わっておきます。
 感想・アドバイスお待ちしております。

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