「ぷろろーぐ?」


 拝啓 あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。
 人生には、必ず転機というものがございます。尊敬できる人に会う、大切な人と死別する、宝くじに当たる、誘拐されるetcetc……。
 その転機の回数については不明ですが、それはまず間違いのない事と思われます。
 唐突にこの様な話を始めて申し訳ありません。何故、私が斯様に人生論めいた話をしているのかというと――――当方、どうやらその転機に遭遇したらしいのです。
 その内容がまたアレでして……。
 じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。クシャミで喚ばれてジャンジャジャーンな某魔王と同じ形で転機が訪れたと言ったら、あなた達は笑ってくれますか?
 ………………いや、間違いなく笑うな。ばあちゃんとヌイはともかく、じいちゃんは。
 まあ、何にしろ常識はずれな転機が訪れた結果、私こと八房次郎。日本からイギリスへ瞬間移動してしまったようです…………眉唾ですが、異世界の使い魔として。
 ハァ……じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。自分、先行き不安過ぎて泣けそうです――――



「喚ばれて飛び出てコンニチハ?」


 危険を感じたときには遅かった。猛スピードで走ってきた車にはねられ、気持ちの悪い浮遊感を味わう。
 普段なら余裕で避けることができたかもしれないが、気まぐれで晩酌なんてしたバチが当たったのだろう。ろくに動くことも出来ず、空を飛ぶことを体験する羽目になった。
 今の俺の醜態を知ったら、じいちゃんのことだ。きっと『この未熟者が!』なんて、どこぞの銀髪おさげ風に怒鳴るに違いない。
 ばあちゃんは……きっと苦笑して心配してくれるだろう。正直、車にはねられた孫に対して苦笑を浮かべる人が、本当に優しいのかどうかは不明だけど。
 じいちゃん、ばあちゃんに続いて目蓋に浮かんだのは、白い毛並みにつぶらな瞳が凶悪だった愛い愛犬。名前はヌイ・♂、享年・年齢不詳。
 じいちゃんに付き合って晩酌やったり、雨の日は洗濯物を取り込んで畳んでくれたりと、犬にしては賢かった奴で……俺が最後に見取った家族だ。
 やばい、思い出したら涙出てきた。ああ、ヌイ。俺、いまからそっちに行くかも? 
 車のハイビームだろうか? 視界がやけに眩しくなったので目を瞑る。
 体はまだ、気持ちの悪い浮遊感を訴えていた。何ていうか、ジャストミート? はたして、後どのくらいで地面に着くのだろうか。

「あの〜、もしもし?」

 一秒一秒が長く感じる。そうか、これが死に際の集中力。
 某・地上最強の生物を親に持つ、地下闘技場で戦う少年に奇妙な親近感を抱く。馬鹿強な親や祖父母を持つと苦労するよなぁ。

「大丈夫ですか〜?」

 しかし、彼は崖から飛び降りるなんて必要はあったのだろうか? 俺はじーちゃんの、修業という名の孫いぢめでよく体験していたぞ。
 それで俺がマジで死にかけた時、ばーちゃんは「困った子だね〜」って感じで、川の向こうから手を振ってくれてたよな。
 『向こう』でじーちゃんと仲良くしているだろうし、邪魔しちゃ悪いので俺はヌイと一緒に別居しよう。

「えと、どうしよう。あの、聞こえますか〜?」

 今さら疑問に思うのはあれだが、、範馬のオーガさんは「死に際の集中力」を持ってないような気がするな。死にかけたことがなさそうだし。

「うぅ〜、しくしくしく」

 さっきから情けないすすり泣きが聞こえるのだが、あの世からお迎えでも来たのか?
 地面に落ちたショックはなかった。ということは、自分は車にはねられた時点で恐らく死んでいたのだろう。
 迎えの者らしき声が聞こえたのは初めてだ。これはもう完璧に死んだと考えるべきさね。
 噂に聞く走馬灯が見れなかったのはちと残念だが、人生諦めが肝心だ。
 内心、せめて友人知人に挨拶だけはして逝きたいと思ったのだが……ま、仕方がない。
 あー、そうだ。どーか、目の前に自分の死体とか転がってませんように。そんなの見たら、目覚めが悪いから……霊が寝起きするのかは知らないけど。

「大変だー、どうしよう!?」

 それじゃ迎えの人も困っているし、そろそろ目を開けますか。
 胸中で覚悟を決めてカウントを始める。やはり日本人ならコレしかあるまい。
 いーち・にー、さーん――

「だー!!」
「わっ、うわあああああ!?」

 『(顎の)曲線美が素晴らしいレスラー』の掛け声で俺が目を開けると、なにやら驚いてるらしい物体が一つ……訂正、一匹。
 あー、誰だこの子。赤い髪で、賢そうな顔に小さい眼鏡をかけた、小学生ぐらいの男の子。
 格好は……うん、魔法使いごっこでもしていたのだろう。深い緑色のローブに身を包み、やたら仰々しい木の杖を持った少年がへたり込んでいた。
 辺りが明るい。しかも、ずいぶんと開けた場所のようだ。。
 どうなっているのだろうか? はねられた時は夜だったのに。
 ぼんやりと周囲に視線を巡らしてみる。赤毛の少年の後ろに見える、教会のような建物に深い森。
 ざっと見た感じ、自然豊かな外国ってとこか。
 はっはっは、何? 俺ってば車に轢かれて、そのまま外国まで飛んでたのか!?
 ジャストミートどころか、逆転ホームラン…………って、そんなことあるわけないだろう!!
 あまりのバカらしさに、実ははねられた俺は意識不明の重体で、今は変な夢を見ているのだと結論付けようとした時――
 恐る恐る近付き、涙を浮かべた魔法使いごっこの赤毛少年が声をかけてきた。

「あの、怪我してるみたいですけど、大丈夫ですか?」

 ケガ……そう尋ねられて、自分の体を診察する。腕……折れてるな。足……曲がっちゃいけない方向を向いてるね。肋骨も……息苦しさから考えて、数本逝ってる――――はは、やっぱ現実だろう、どう考えても。
 やばい、夢じゃないとわかったら全身に激痛が。何気に生きてたのは嬉しいけど、勘弁してくれよ。
 湧き上がってきた痛みで息も絶え絶えになりながら、俺は素直に目の前の少年へ助けを求めることにした。

「あー、悪い。今すぐ救急車や医者を呼んでくれると助かる……かもしれない」
「は、はい! じゃ、じゃあ、今すぐ応急手当して――――!!」

 見た目小さいのに、応急手当をできるのか。パッと見てだが、利口そうだし人に好かれる子に違いない。
 変なところに感心して、アタフタと外国語……聞いた感じポルトガル語かそこらを呟いている子供を眺めて思う。
 ゴメン、少年。魔法使いごっこはもういいから、早く助けを呼んでください。
 ぼやけてきた視界の中。子供の夢を打ち砕くことを思いながら、俺――八房次郎は最期になるかもしれない心地よい眠りに落ちていく。
 2002年四月。無事に進級を果し、晴れて高校二年生となった日の出来事であった――――



「――――ソレがつい三ヶ月前のことで。あれよあれよと言う間に、もう七月か」

 ぽつりと呟いて、視線を落としていた初心者向けの魔法書から天井へと上げる。開け放った窓から、緑の匂いが混じる初夏の風が吹き込んできた。
 前略 あの世のおじいさま、おばあさま、あと愛犬ヌイさま。
 トンネルを抜けるとそこは雪国だった――――では無く。車にはねられた俺が目を覚ますと、そこはイギリスはウェールズ、由緒正しきメルディアナ魔法学校とやらの近くでした。
 それだけでも驚きというか、病院で脳検査が必要なレベルだったのですが、意識を失う前に出会った少年――緑のローブと杖が似合っていたネギ・スプリングフィールド君がマジモノの魔法使いで、しかも使い魔召喚の儀式をしていた時に『ミス』をしたらしく、ソレが原因で俺が魔法陣から出てきたというのですから、世の中よくよく奇妙に出来ています。
 何にせよ、喚んだ責任は取るとのことでネギの家に厄介になり始めて早三ヶ月。現在私、エジプトのミイラ状態。
 喚ばれた時、ちょっとした体質変化をさせられていたらしく、車にはねられたケガは『向こう』にいた時よりも段違いの早さで治ったのですが――
 ふとした弾みで再びケガをしてしまい、絶対安静とネギのお姉さんであるネカネさんに拘束されてしまったのです。

「調子にのって無茶なことをするからです」
「すみません」

 横にならされているベッドの横に椅子を置いて、静かに小説らしき本を読んでいた、長い金髪で黒いローブを着た女性(といっても、年齢的には俺より少し上なだけだが)が、眉を顰めて小言を投げてくる。
 特に何をしたというわけではない。ちと珍しい術……確か、瞬歩だったか瞬動だったかを会得しようとして派手に失敗し、『気をつけろ、車は急に止まれない』をその身で体験しただけだ。

「ただいまー!」
「あらあら、元気な声ね。お帰りなさーい、ネギ」

 そんなことを考えていると、我が御主人が帰ってこられた。大きな声に苦笑して、ネギを出迎えるためにネカネさんが部屋を出て行く。
 ……ちなみに、先ほどまでの会話は拙いながらも英語だったりする。三ヶ月も現地で過ごせば、自ずと喋れるようになるものだ。
 言動は阿呆だったくせに、何気に語学優秀だったじいちゃんは「外国語はスラングまで使いこなしてこそ本物!」とか言っていたが、正直そんなものを使いこなしてまで本物になりたいとは思わない。

「ただいま、ジローさん」
「お帰り、ネギ」

 騒がしい足音を立てて、部屋に駆け込むように入ってきたネギへ声をかける。元気良く返事しながら、ネギが俺の寝てるベッドへ近づいて来た。
 帰って来てから終始笑顔の様子。どうやら、今日も楽しく学校で学んで来た模様であります。
 学校に行く必要がなくなった身としては、微妙に羨ましくもある。まあ、口が裂けても言わないが。

「調子はどうなの?」
「ああ、まったく問題ない。ただ動く許可が下りないから、こうやって魔法の勉強に専念しているけどな」
「そ、そうなんだ……」

 実際、体の方はまったく問題ないのだが、ネカネさんが怖いので我慢しているというのは、俺とネギの秘密である。

「さすがに明日は動いてもいいってネカネさんが言ってたから、卒業式は見に行けるぞ」
「ホント!? やったー!」

 それを聞いた途端、ネギが嬉しそうに叫ぶ。自分の御主人が喜ぶ姿に、俺も笑みが浮かんだ。
 無邪気に笑うネギを見ながら、ここで暮らすことを決めさせた三ヶ月前の事を思い出す。
 実を言うとここに来てすぐ、どうにかして帰る方法がないのか調べてもらったのだ。いくら変な出来事に慣れているとはいえ、さすがに使い魔だ召喚だと言われてもピンと来なかったし。
 だが、念の為というか家に勝手に入るであろう友人達の為に『すぐに帰る』と伝言を残そうとして我が家に電話をかけた時、ソレは意味の無い事であると理解した。
 ソレは自分が住んでいた家に電話をかけて、冷水を浴びたような寒気とともに納得してしまった。
 「理解」したから「納得」したのではない。「納得」したから「理解」したのだ。
 俺がかけた電話に出たのは……紛れも無い「オレ」だった――

『――はい、もしもし、八房ですが』

 その声を聞いた途端、俺は思わず電話の受話器を叩きつけるように置いていた。
 自分がもう一人? あまりに珍妙な現実に頭の中が渦巻いて、勝手に足を震えさせる。
 その時の俺がどんな顔をしていたのかは、側で己の仕出かした事に怯えているネギが教えてくれた。
 とんだ笑い話だが、どうやら自分は『異世界』だか『並行世界』だかに喚ばれてしまったらしい。
 目の前……というか耳に突きつけられた現実が、俺にそう教えてくれた。
 それと同時に、何故か体と心から余計な力が抜けていくのがわかった。

「ゴメンナサイ。僕が魔法を失敗したから…」

 元の世界に送り返すような魔法は無いと、青い顔で謝るネギの頭に手を置く。
 一瞬、体を震わせるネギ。確かに最初、『僕、あなたのことを使い魔として召喚しちゃったみたいなんです』なんて言われた時は、正気に戻す為に殴ろうかとは思ったけど。
 別にウサ晴らしで殴る気なんてなかったので、内心へこんだのは内緒の話。
 どうしてか、ネギに対する慰めの言葉は簡単に出てきた。

「失敗なんて誰にでもあるさ。第一ネギが召喚してくれたから、車にひかれたのに生きていられるんだ。命を助けられたんだ、逆に感謝してもいいぐらいだよ。
 それに俺がもうひとりいるってことは、学校に行ったり、テストをする必要がなくなったってことだろ? ラッキー、ラッキー」

 そういえば錬金術をテーマにした漫画で、術に失敗して弟と体の一部を喰われた上に、変わり果てた母親が現れてしまうなんてパターンもあったな。
 そういう感じな化け物化も回避できたし、実はかなり運が良かったのではなかろうか?
 ふざけたことを考えながら、にやりと笑って頭を撫でてやると、ネギは半泣きになりながらだが笑ってくれた。

「元の世界に還す方法がないですし、弟が迷惑をかけたということもあります。もしよろしいのでしたら、身の振り方を考えるまでウチで暮らしてはどうですか?」

 住所不定無職の上を行く、個人情報すら使えない男になっていた俺に対するネカネさんの勧めもあって居候になり、あっという間に三ヶ月。
 最初は何だかんだで気を遣っていた……というか贖罪します状態でイロイロ(ああ、イロイロさ。何でもかんでも魔法でやろうとしたからな)してくれたネギも、今ではこうして甘えてくれるようになった。
 ネカネさんの方も、色々と気を遣ってくれてか家族同然で扱ってくれるし、まるで急に姉と弟ができたみたいだね。実際の関係は御主人とその姉さん+使い魔なのだが。
 今の俺の手には、使い魔の証として三角形を組み合わせた模様が刺青のように刻まれている。
 ネギ曰く、魔法使いには「従者」と「使い魔」の二種類の僕がいるそうだ。
 「従者」のほうは魔法使いのパートナーとしての役割が主で、「使い魔」というのは偵察や使い捨ての道具といった下僕的な役割が多いらしい。
 それを聞いたときはさすがに顔が引き攣ったが、まあネギならそんな酷い扱いはしないだろうということで黙っておいた。
 後、最近冗談で「ネカネさんみたいな美人の僕なら、それはそれでいいかもしれない」と言って、泣きそうな目に遭った。
 それを聞いた時のネカネさんの笑みは、はっきり言って思い出したくない。ネギが涙目になるほどに妖しく、そして恐ろしかった。さながら、ファウストの魂を頂戴寸前なメフィストフェレスみたいに。

「ねえねえ、ジローさん。今日、学校で――――」
「へー、またアーニャが……。っと、そうだネギ、この本に載ってる術なんだけどな――――」
「あ、ウン。えーっとね、コレは――」

 軽く回想してから、ネギに今日の出来事話を聞いたり、初級の魔法書に載っている魔法を教えてもらったりして過ごす。

「二人とも、もうすぐ夕飯だから下へ来てね」
「はーい、ネカネお姉ちゃん」
「あー、わかりました」

 そうこうしているうちに、ネカネさんが夕飯に呼びに来てくれた。
 ネギ先生の『使い魔でもわかる魔法講義』をそこで打ち切り、明日はネギの卒業式なので早めに寝かすようにしないと、なんて考えながら三人で食卓へ急ぐ。
 ……そういえば、使い魔を人として扱ってくれる二人の優しさに、初めての食事のときは涙が出たな。
 友人が貸してきた漫画やゲームでは、使い魔の食事はペットみたく床に皿の直置きだから、ちょっぴり不安だったのだ。
 まあ、それは置いておこう。胸中でかぶりを振って、両手を合わせて食事を食べられる幸せに感謝を示す。

「「「いただきま〜す」」」

 じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。
 『向こう』がどうなっているのか気にはなっておりますが、俺は俺でその日その日を楽しく、精一杯に過ごしております。
 俺『八房次郎』改め、ネギ・スプリングフィールドの使い魔『八房ジロー』の生活を見守っておいてください マル



「新天地はよろしくフジヤマ?」

『卒業証書授与――この七年間よくがんばってきた。だが、これからの修行が本番だ。気を抜くでないぞ』

 2007年七月某日。イギリスはウェールズ、メルディアナ魔法学校の聖堂にて、堅苦しい卒業式典が続いている。

「……ふぁ――」
「もう少しですから、我慢してください」

 こみ上げてきた欠伸をかみ殺していると、横に立ってたネカネさんに注意された。
 何ていうか、自分が参加していない厳粛な儀式というのは予想以上に厳しい。

『ネギ・スプリングフィールド君!』
「ハイ!」

 苦笑いでネカネさんに謝っていると、やっと卒業証書授与に入った。
 まず名前を呼ばれたのはネギ。今年の首席ということで、一番手に選ばれたのだ。天才・秀才の看板に偽りなしってね。
 堂々と卒業証書を受け取るネギの姿に感極まったのか、ネカネさんはすでに涙ぐんでいる。
 使い魔兼居候としても、御主人が将来の希望に顔を輝かせている様に、頬が緩んでいるのがわかった。
 やはり、ああいう子供が目を輝かせている姿には一種独特な凶悪さがある。人によっては道を踏み外すのではなかろうか? こう、『少年好き』とか『子供好き』な特殊性癖の持ち主ね。
 そういった人種からネギを守るのも、使い魔たる俺の役目と一人決意を新たにする。
 一人使命感に燃えて守るものについて考えていた時、俺は横から突き刺さるジトッとした視線に気が付いた。

「……あの、どうかしましたか、ネカネさん?」
「いいえ、別に」

 少しビビリながらだが、平静を装って聞いた俺に、ネカネさんはフイッと顔をネギの方に向けて何でもないことをアピールする。
 その限りなく嘘くさい動作に冷や汗が一筋。
 ウソですよね? その平坦な台詞は絶対に怒ってますよね?
 一体どうしたことなのだろうか。ついさっきまで、ネギの晴れ姿を微笑ましげに見守ってたのに。
 もしかして、勝手に使命感で燃えていた俺が周囲に迷惑だと言いたかったのだろうか?
 確かに、少年見つめて何か燃えている男がいたら、俺なら間違いなく避けて通るからな。
 身内の恥は家族の恥。じいちゃんから学んだことを忘れたのか、ジロー。
 胸中で己を戒めていた俺に、ネカネさんが心持ち口を尖らせて話しかけてきた。

「……ジローさん」
「イエス、マム」

 やや不機嫌な偉大なる母、ではなく姉に魔導銀風味の返事を返した俺は悪くない。何故なら、彼女はそれだけの威圧感を隠し持っているのだから。

「本当に、ネギのこと『は』優しく見るんですね?」
「あー、それはまあ。ネギが俺のことを『家族』として見てくれてるのと同じで、俺にとってもネギは大事な『家族』だから」

 微妙に強調された「は行」が気になったが、ジャンプめくり大Kで回避しておき、やや恥ずかしくはあるが、己の正直な気持ちを伝える。
 まあ、それを言うとネカネさんも俺にとっては大事な家族なのだが、そのことについて彼女がどう思っているのかは聞いてはいけないことだと、自分の頭の中で声がする。
 ネギの失敗で喚ばれた俺がソレを聞くのは、彼女達を脅しているのと同義なのだから。

「…………そうですね。大事な『家族』ですもの」

 口には出してないけど、俺のそんな胸中も察してくれているのだろう。ネカネさんは少し寂しげに、だがどこか拗ねているような口調で、俺もちゃんと『家族』の一員だと言外に語ってくれた。
 どうして拗ねた表情を浮かべて、いまだにこちらを見てるのかは終ぞ不明だったけど。

『それでは、これを以てメルディアナ魔法学校卒業式を終了とする』

 そうこうしている内に卒業式も無事に終わったらしく、そこでネカネさんの謎な責めは終了となった。
 しかし、五人だけしか卒業しないとは、学校としてどうなのだろうか? 在籍生徒数に対して、僅か一%も満たしていない気がするのだが…………ま、夢と希望のファンタジー学校の事だ。色々と面倒な仕来りその他があるのでしょうよ。
 とりあえずはだ、卒業おめでとう、ネギ――



「卒業おめでとう、ネギ」
「立派だったわよ」
「ありがとう! ネカネお姉ちゃん、ジローさん!」

 卒業式が終わって。卒業証書を持った僕の所にネカネお姉ちゃんとジローさんがやって来て、嬉しそうに笑いながらお祝いしてくれた。
 そのお陰で、ずっと緊張していた体から力が抜けたのを感じる。ああ、しんどかったな……。

「おーい、ちょっと待ってよネギー!」
「あ、アーニャ」

 三人並んで廊下を歩いていると、長い茶髪をツインテールにした少し口の悪い幼馴染の女の子――アーニャが駆け寄ってきた。
いつも元気で、少し……結構騒がしくて強気な子なんだけど――――さっきちょっとだけ涙ぐんでたの、ジローさんとお姉ちゃんには内緒にしてあげよ。

「よう、卒業おめでとうアーニャ」
「アリガトー、ジロー!!」

 軽く手を上げて挨拶したジローさんに、アーニャが体当たりするみたいに飛びつく。
 初めて会った時は、包帯だらけのジローさんをモンスター扱いして蹴り飛ばしたのに、三ヶ月の間ですごく仲良しになったよなー。
 無邪気にジローさんにしがみ付いて、両頬を抓んで伸ばしているアーニャを見ながら、少ーしだけ羨ましいなー、なんて考えてしまう。
 僕は紳士だから、アーニャみたいに子供っぽいことはできないもん。

「!!?」

 そんなことを考えてた時、僕は身の毛もよだつようなオーラを感じて、辺りを見渡した。
 オーラの発生源は僕の真横。ジローさんがここでの生活に慣れた辺りから、時々出現するようになった、黒い笑みを浮かべるお姉ちゃんがそこにいた。
 「修羅」――それはとてつもなく強力な、西洋でいう悪魔に似た存在なんだと、お姉ちゃんの黒い笑みを見たジローさんは教えてくれたけど……うん、絶対に間違ってないよ。
 原因は薄々わかっているんだけど、僕には口に出す勇気がありません。
 ジローさんには耳元で怒鳴って危険を教えてくれる妖精がいないので、お姉ちゃんの黒い笑顔の発する何かに中てられて、顔を引き攣らせて冷や汗を垂らしてる。
 もしかすると、僕が召喚しちゃった体中骨折だらけの時よりもピンチかも。

「そ、そういやアーニャ、ネギに用事があったんじゃないのか?」
「あはは、そうだったー♪」

 お姉ちゃんから目を逸らして話を振りながら、ジローさんが体に引っ付いたアーニャを引き剥がすことに成功する。
 やっぱりスラッとしてる体格だから、攻撃とか避けやすいんだね。

「ネギ、卒業証書に何て書いてあった? 私はロンドンで占い師だったよ」
「そうそう、忘れてたわね。修行の地はどこだったの?」

 好奇心満点のアーニャとお姉ちゃんのお陰で思い出しす。
 そうだった。魔法学校を卒業した僕たち生徒は、卒業証書に浮かんだ場所で仕事をこなさないと一人前の魔法使いになれないんです。

「ちょっと待ってね。今浮かびあがるとこ。お……」
「どう?」

 出てくる文字を待つ僕の後ろから、アーニャが頭を突っ込むようにして覗き込む。お姉ちゃんとジローさんも興味深そうに見ている。
 皆が見守る中、卒業証書に浮かび上がってきた文字は―――

『A TEACHER IN JAPAN』

「日本で―――先生をやること?」
「「「ええええぇぇぇーーー!!?」」」

 首を傾げた僕の耳元で、卒業証書の文字を確認した三人が叫び声を上げた。 こ、鼓膜が破れちゃうから止めてよ〜。
 その後はお姉ちゃんとアーニャが校長先生に詰め寄ったり、ジローさんが校長先生の肩に手を置いて、すごく爽やかな笑顔でなにか囁いたりと大変だった。
 校長先生は「卒業証書に書いてあることは変更できない」と言ってから、修業先は友達が学園長をしている所だと教えてくれ一安心。
 しかも、特別に使い魔のジローさんもそこに就職できるように取り計らってくれるそうなのです!

「おーおー、気にせんでええよ。ネギも一人じゃ不安じゃろうし、ジロー君が付いてくれていれば安心じゃからのう」

 髭をしごいて話す校長先生の瞳が、ものすごく不自然に揺れてたのが気になったけど……ジ、ジローさん? あなたは一体何を校長先生に囁いたんですか!?
 ていうか、魔法使いを脅せる元普通人な使い魔って……尊敬しちゃいます。
 『昔イロイロあったから、こーいう交渉ごとは得意なんだ』。そう嘯くジローさんの過去が少し知りたくなった、2002年七月の卒業式の出来事でした――――



 メルディアナ魔法学校の卒業式が終わった、その日の晩。
 俺はネカネさんに連れられて、夜の魔法学校へと足を運んでいた。

「…………」
「…………」

 先ほどから二人して沈黙を保っているので、空気が少しばかり重いです。
 巨大かつ複雑な造りの校舎を進み、着いたのはメルディアナ魔法学校の校長室。
 その扉の前に立ち、こちらに視線を送った後でネカネさんが数回扉をノックする。

『おー、入りたまえ』
「失礼します」
「あー、失礼します」

 入室の許可を得てから、静かに扉を開けて部屋に入るネカネさんに続き、俺も一礼してから校長室へ足を踏み入れた。

「スマンのー、こんな夜更けに」
「いらっしゃい、ネカネさん、それとジロー君」

 部屋に入った俺達を出迎えたのは校長と、校長の秘書を務めている魔法使いのバゼットさんだった。
 短い金髪で理知的な鋭い目をした人で、最初は厳しそうとか取っ付き難そうという印象を受けるが、『ここ』に来た俺に魔法世界のイロハを叩き込んで、ついでに特訓までつけてくれた、取っ付き難くはないが見た目通りに厳しい人である。
 性格は案外気さくで面倒見の良い人ではあるので、機嫌さえ損なわなければ大丈夫だ。

「えーっと、ネカネさんから俺に用があるって聞いたんですけど……どういった用件でしょうか?」
「それなんじゃがな……」
「校長、それは私から話します」
「そうか、ではドネット君に任せるとしよう」

 無言で席を勧められて、ネカネさんとともに一言断ってから腰を下ろし、首を傾げながら今日の用件を尋ねる。
 まあ、わかっちゃいるけど聞かずにはいられないものが、この世にはたくさんあるのだよ。

「フフ、相変わらずね、ジロー君」
「……ドネットさん」
「ゴメンなさい。つい、いつもの調子でやってしまったわ」

 流し目を送ってからかうように言うドネットさんに、ネカネさんが横から固い声で釘を刺す。
 ネカネさんの顔や声の調子からして、今日のもまた重めな話の模様。内心、また厄介ごとかと軽い諦めからため息をつく。
 まあ、これもネギ少年の使い魔として喚ばれてしまったからには、慣れるしかないのだろうさね。

「今日呼んだのは他でもない。ジロー君にどうしても選んでもらいたいことがあったの」
「はあ、『選ぶ』とはまた仰々しいですね……」

 キリッと顔を引き締めて、ドネットさんが真っ直ぐに目を見て尋ねてきた。

「ジロー君。あなた――――――――魔法使いタイプの使い魔と、魔法剣士タイプの使い魔、どっちがいい?」
「――――は?」

 僅かに逡巡して間を置き、ドネットさんが口を開く。時々結構な毒舌が飛び出す口から出てきた質問に、俺は首を傾げて疑問符を浮かべる。
 やたら重苦しい雰囲気だと思っていたら、そんなことを聞くために人を夜の学校に呼び出したのか?

「どっちと聞かれましても……どっちも無理でしょう? 今やっとこさ『瞬動』と『簡易版・身体強化』、『火よ灯れ』と『風よ』の呪文を使えるようになったところですよ?」
「瞬動と『簡易版・強化』って……普通、初歩の呪文を覚えた後でやっと教え始めるものなんだけど?」
「ジローさん、『向こう』でお爺様やお婆様に護身術として剣術や体術を習っていたから、どちらかと言うと直接体を使う術の方がコツを掴み易かったらしいです……」
「「――――ハァ」」

 ネカネさんの合いの手を聞き、胡乱な目で俺を見た校長とドネットさんがため息をつく。
 何でしょうか、その奇異な生物を見る目は。人間、自分の体の動きを把握してナンボですよ? 手から変な光の矢……『魔法の射手』だったか? や、火・風を出すより、瞬動や自分の体を補強する為の魔力の流れを把握する方が、ずっと分かりやすいと思うんですけど。

「まっ、ただでさえ人間で使い魔なんですもの。それぐらい変わっていても不思議じゃないわね」
「じゃな。『こちら』に喚ばれた際、ちと魔法生物っぽくなるよう、体を弄られておるしの」
「ジローさんですし……」
「素で人を改造人間扱い……。ネカネさんまで……」

 苦笑を浮かべて人を変り種扱いする三人に、思わずソファーに座って顔を覆ってしまった。
 家族だと信じていた人にまで……じいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。この世は無情(誤字に非ず)だよ。
 暫しの間、亡き祖父母や愛犬に己の境遇を訴えてから、涙を拭って面を上げる。

「まあ、こうやって落ち込んでても仕方がないですし……。魔法使いっぽい使い魔か、魔法剣士っぽい使い魔でしたよね?」
「ええ、そうよ」
「あー……じゃあ、魔法剣士っぽい使い魔で。魔法一本じゃ、正直心もとないですし」
「フフ、レベルさえ上がれば最終的に魔法使いも魔法剣士も、その境界なんてあってないものになるけどね」

 投げやり気味に決めた俺に、ドネットさんはイタズラっぽく微笑んでから言った。

「それじゃ、ジロー君の育成方針も決まったことだし――――さっそく今日から始めましょうか、特訓」
「――――は?」
「そうじゃな。ネギが日本に行くまであと半年しかないしの」

 意気揚々といった感じに、『八房ジロー育成計画表』と書かれたノートを取り出して記入を始める校長とドネットさんの姿に、目が点になる。

「そうじゃな、まずは四ヶ月……いや、三ヶ月で『魔法の射手』の無詠唱まで進んでもらってじゃな――」
「その前に、完全版の『強化』を覚えてもらった方がいいのでは? ああ、待ってください、それならいっそ障壁系の呪文をマスターしてもらって――」
「あー……」

 当事者を置き去りにして、勝手に白熱していく校長とドネットさんの会話。
 ジト目で見られていることに気付かない二人に呆れていると、横に座っていたネカネさんが呟くように謝ってきた。

「ゴメンなさい、ジローさん。あの子のことで迷惑ばかりかけます……本当は、あなただって――」
「あー……ま、今さらってやつですよ。『ここ』に使い魔として喚ばれてしまった以上、やらなければいけない事で――同時に自分で決めたやるべき事ですから」

 ネギを監督していなかったから、俺が『ここ』に喚ばれてしまったのだ。
 そう考えて責任を感じているっぽいネカネさんの言葉を遮り、気の抜けた笑みを浮かべる。

「ソレは言わないのが『お約束』って奴ですよ? 住めば都、俺は俺なりに楽しくやらせてもらってます」
「――――」
「まー、あれです。緩くいきましょう、緩く。どう考えて悩んでも、仕様のないことはいくらでもあるんですから。そう、例えば――――」
「……例えば?」

 口を噤んで言葉を止めた俺を、ネカネさんは首を傾げて先を促す。
 そんなネカネさんに頷き、苦笑しながら指を刺した先には――

「――完璧じゃ」
「ええ、完璧ですね。これならどこに出しても恥ずかしくない、メルディアナ学校の使い魔代表として充分な実力を持ってくれます」
「――――ここまで乗り気な人達がいたら、もうどうしようもないでしょう?」
「み、みたいですね……」

 育成計画表に恐ろしい量の文を書き込んで、何やらご満悦な顔をしている校長とドネットさんの姿に、ネカネさんも俺が言いたいことを理解してくれたらしい。
 普段は柔和な笑顔に冷や汗を垂らし、どこか同情した風に俺に頷いて見せた。

「それじゃ今から六ヶ月間、ジロー君には私達が作成した育成メニューをこなしてもらうわ」
「大丈夫、懇切丁寧に教えてやるからのぉ――――覚悟はよいかな?」

 覚悟があってもなくても、厄介ごとなんて大抵向こうからやってくるもの。
 顔を引き攣らせて笑いながら、俺はため息をついた。

「その……頑張って、ジローさん」
「あー……まあ、死なない程度には」

 あの世のじいちゃん、ばあちゃん、それとヌイ。俺の周りにいる人の多くが特訓好きだったり、修業好きだったりするのですが……何故なんでしょうか?
 さて、六ヶ月間の地獄が始まりだー――――




 卒業式からあっという間に約半年が経ち、ついに日本へ向けて出発する日の前夜が来た。
 校長先生が約束した通り、使い魔兼保護者兼教師ということでジローさんの同行も変更なく。とっても心強い旅の道連れの存在に、僕は胸を躍らせていました。
 あ、現在進行形で着いて行くと聞かないお姉ちゃんを『説得中』のジローさんの分もやっておいてあげなきゃ。
 遊びにいくわけじゃないけど、今からドキドキしてるのがわかる。
 憧れの東方の国。きっとジローさんみたいに、優しいけど強い人が一杯いるんだろうな〜。

『光の精霊91柱、集い来たりて……魔法の射手連弾・光の91矢!!』
『嘘だぁぁぁぁっ!!』

 うわ〜、すごい振動と爆音。お姉ちゃん、攻撃魔法が苦手なんて言ってたのに……。
 よし!準備完了!! 明日は早くに出発だから、今日は早めに寝ちゃおう。

『コレが私のジョーカーよ!!』
『うわあぁぁぁっ!!?』

 ごめん、ジローさん……お姉ちゃんの説得任せます。弱い僕を許して。

『きゃー! ネカネさんもジローもどっちもガンバレー!』

 楽しそうな幼馴染の声が聞こえた気もするけど、全身全霊で理解を拒否して、僕は夢の世界へと沈んでいった――――


 校長とドネットさんによる六ヶ月間の地獄送りから還ると、待っていたのは『修羅』を説得するという最後の試練だった――――――嘘だ。
 何にせよ激闘の末、一晩かけてネカネさんの説得に成功した俺は、村一番の英雄になっていたとさ。
 同じ使い魔仲間で、よくまたたびをくれた隻眼の黒猫・○吉の奴も、『お前なら世界を獲れるぜ』と保障してくれたし。
 「明日の嬢」より「最初の一歩」の方が好きな俺だが、嬉しくはあった。

「……日本の空気が無性に懐かしいな」

 飛行機から降りて空港に出てまず一言、そう呟いた。何故かわからないけど、「日本よ、私は帰ってきたぞっ」とか叫んでみたくなる。いや、叫ばないけど。
 とにかく、異世界ながら里帰りを体験した俺は今、日本の交通事情に明るくないネギを連れて電車を乗り継ぎ、ネギの修業の地である麻帆良へと向かっていた。
 校長の話では、駅に麻帆良学園から迎えの人を寄越してくれているとのこと。 どうせなら空港まで来てくれてもいいのではと思ったのだが、向こうも忙しいのだと納得しておいた。

『麻帆良学園中央駅〜、麻帆良学園中央駅〜』
「おっ、もうすぐだな。待ち合わせの時間が近いから、急いだほうがいいな」
「う、うん!待たせちゃったら悪いもんね」

 軽い振動とともに電車が停止。扉が開いて―――

「よし、気をつけろよネ―――」

 ネギに忠告しようとして、俺が喋れたのはそこまでだった。

『ドドドドドドドドドド!!!!!』

 ゲートオープン。各馬一斉にスタートしましたっ! そういうノリで大量の生徒が走り出す。
 その様子は、まさに『魔法のスゴロク』で出現した動物のスタンピード状態。

「大丈夫かネギ!? こけたら、多分楽に死ねるぞ!」

 下手に動けば転んで圧死させられかねない中、俺はネギが立っていたと思しき場所を見る。だが残念なことに、そこには誰もいなかった。

「えぇ、マジかよ? ネギー、どこだー!!?」

 声を張り上げても返事はなく、耳に届くは戦場の如き騒音のみ。
 辺りを見渡しても、中高校生の波の中からちっこいネギを視認できるはずもない。
 こんな異郷の地でさっそく迷子になってしまわれたのか、御主人は。思わず眉間に指を当て、ため息をつく。
 待てよ? 見ようによっては、俺がはぐれたのでは……ネギのことだし、絶対に俺を迷子扱いにしている。

「ハァ……まあネギのことだから、はぐれたとしても待ち合わせの場所には向かっているだろう。ここから移動せんと命が危なくなってきたし、俺も待ち合わせ場所に急ぐか……」

 前方の人並みを回避しながら、ネギを探しつつ走り出す。
 それにしても、本当にに人が多いな。通勤ラッシュも目じゃないぞぞ、これ。

「何だとこんガキャー!!!」
「うん? 柄の悪い叫びだな……通学路にチンピラでも湧いたのか?」

 叫び声に負けない程度の悪態をつきながら視線を移すと、そこにはアイアンクローで持ち上げられるネギの姿があった。
 凄い握力だなー……って、感心すべきはソコではない。
 一瞬、全国レベルを上回る女生徒の握力に感心しかけて、慌てて頭を振る。ネギを助けなくては。頚椎が外れても、某海〇さんみたいに助からないしね、ウチの御主人。

「あー、もしもし。お天道様が見てる天下の往来で子供を虐待するのは止めた方がいいと思うぞ」
「ああん? 何よあんた!?」

 なるべく穏便に話を済まそうと、長い茶髪を鈴付きの髪飾りで纏めているツインテールの少女に声をかけると、想像以上に剣呑な反応が返ってきた。
 あまりの怖さに、一歩下がってしまう。蘇芳色のブレザーに赤黒のチェックのスカートという、麻帆良学園の制服を着た少女の迫力は、そんじゅそこらの不良では足元にも及ばないだろう。
 何気に左右の瞳が青と緑のオッドアイという所も、二尾鉄爪少女の迫力に箔を付けていた。
 怖いなぁ、君本当に中学生かよ? それとも、『こっち』の世界の女子はこれが普通なのだろうか。
 たくさん話す機会があったわけでもないが、前の世界の女の子はそんなことなかったんだが。

「あー、そこで吊られてる子供の連れだよ。なにがあったのかは知らんが、とりあえずネギを離してやってくれ。背が伸びずに首だけ伸びたら困る」
「わかったわよっ!」
「うあ〜ん! ジローさーん」
「よしよし、よっぽど怖かったんだな」

 開放され晴れて自由の身となり、こちらに駆け寄ってきたネギの頭をマッサージしてやる。うむ、頭の形は変形してないな。

「ふん!」
「あははは♪ おもろいなー、こん人」
「そりゃどうも」

 ネギを介抱する俺を見て、二尾鉄爪少女の友達らしい、綺麗な黒髪でロングヘアの女の子が笑う。
 優しそうな人柄が、喋り方や雰囲気からよくわかる。『こちら』の日本の女の子は凶暴なのが多いと思ったのだが、どうやら特別なのはオッドアイの二尾鉄爪少女に限っての話らしい。

「ちょっとあんた達!」
「なんだよ?」
「な、なんですか?」

 黒髪の方の女の子に頭を下げて挨拶していると、もう片方のツインテールの少女の方が噛み付いてきた。
 動く度に涼やかな音を立てている、もう少し冷静になれないのだろうか。
 それにしても、どうしてこうも敵意むき出しなのだろう? ネギなんて半分俺の後ろに隠れてるじゃないか。

「あんた達、どうしてこんなトコにいんのよ? ここは麻帆良学園女子校エリアよ! 男はとっとと出て行きなさいよね!!」

 まあ言い分は正しいと認めよう。だが、いかんせん言い方がきつ過ぎて、先に反感を覚えてしまう。
 ぼんやりと少女の怒りをスルーしていると、ネギがこっそりと話しかけてきた。

(ジジ、ジローさ〜ん。この人、どうしてこんなに乱暴なんですかー? 日本の女の人は親切で優しいって言ってたのにーっ)
(あまり気にするな。何があった知らんが、気が立っているだけだろ。朝飯食べてないんじゃねえか? 朝食を抜くと記憶力や身体能力の低下、さらには精神的発達も阻害するってWHOが言ってたからな。きっと、彼女も悪しき食習慣の犠牲者なんだよ。だからそっと見守っといてやろうじゃないか)
(そうなんですかー……日本の学生さんも大変なんですねー)
「ちょっと、二人してこそこそ話してんじゃないわよ!」

 食育の大切さ・重要さをネギに教えた後、二人揃ってツインテール少女へ憐憫の眼差しを向けてあげた。
 どう言えばいいのだろう? 鏡に映った己に当り散らすチンパンジーを見てる気持ちって。

「あ、あたしをそんな生暖かい目で見るなー!」
「まあまあ、落ち着いてやアスナ」

 手を振り上げて怒鳴り散らすオッドアイの少女を、黒髪の少女が宥めている。朝っぱらから賑やかだな。
 そう思っていると、後ろの方からネギを呼ぶ声が聞こえてきた。

「お久しぶりでーす!! ネギ君!」
「た、高畑先生!?」
「おはよーございまーす」

 後ろに振り返って上方を見上げると、麻帆良学園の教師らしき人物が校舎二階の窓から手を振っていた。
 品のあるスーツ姿に咥え煙草で眼鏡をかけた渋いおじさんだ。俺は知らなかったのだが、どうやらネギの方は知り合いだったらしく、負けじと大声で返事を返す。

「久しぶりタカミチーッ!!」
「な、なんであんたなんかが高畑先生を知ってるのよ!?」

 お前さんの許可が無きゃ、知り合いに挨拶もできんのかい。あまりの少女の言い草にしかめっ面になった。

「すんませんー。アスナはちょう子供が苦手で、ついでに高畑先生のことが大好きなんよ」
「なるほど。それであの娘は、高畑先生とやらと親しげに挨拶を交わすネギに必要の無い対抗意識を持ってしまったと」
「そうなんです。かわえーでしょ?」

 また騒ぎ出した茶髪とネギを尻目に、俺へ気さくに話しかけてきた黒髪の少女の相手をする。

「けどホンマ、二人とも何の用でここに来たん?」
「あー、なんと言うか、ここで仕事をすることになってねぇ」
「はえ?」

 俺が糸目で呟いた言葉の意味がわからず、ポケッと首を傾げる少女。その姿は、何故かコアラみたく人畜無害そうな動物を連想させる。
 まあ本物のコアラは意外と凶暴だったりするのだが……うん、さっきの騒ぎで疲れた俺には、ネギクラスの癒しになるね。
 阿呆なことをひそかに考えている間に、向こうの話もケリがついたらしい。ネギがピシっと姿勢を整え、目の前に立つ二人の少女へ頭を下げた。
 あー……ついでだし、俺も挨拶しとくか。

「この度、この学校で英語の教師をやることになりました、ネギ・スプリングフィールドです!」
「あー、同じくこの学校でお世話になることになりました、ネギの保護者兼同僚の八房ジローと申します。以後、お見知りおきを」
「え……ええーーーっ!?」
「こちらこそよろしゅうに。あ、ウチ近衛木乃香いうんよ。呼び方はこのかでええよ。よろしゅう〜」
「は、はい」
「了解。このかさんね」
「このかでええよ〜?」

 こちらの挨拶に対し、キチンと頭を下げて挨拶を返してくれる黒髪の少女。
 育ちが良いのか、とても礼儀正しい。

「よく見ておけよ、ネギ。このかさ……このかみたいにな、こういう娘が日本的な美少女っていうんだ」
「はー、そうなんだ。大和撫子っていう奴だね」
「いややわ〜、褒めてもなんもでえへんよー」

 実にほのぼのした会話。だが、「このまま平和的に解散」な流れが近付いたところで、急にツインテール少女の方がキレだした。

「ちょっと待ちなさいよー! なんであんたみたいなガキンチョが先生になれんのよ!? ていうか、あんたもあたしたちとそんなに歳離れてなさそうじゃない!?」

 そういえば……ネギは数えで十歳だから実質九歳だし、俺もまだ十六。
 まあ、ネギの頭の良さは折り紙つきだし、俺の方もずば抜けて良好というわけではないが、じいちゃんの変な教育や、就任するにあたっての予習のお陰で、教師の基本水準は満たせるのではないかと推測するぞ。

「いや、彼らは頭いいんだ、安心したまえ。ああ、あと今日からネギ君は君達A組の担任になってくれるそうだよ。八房君だったかな? 彼も同じくA組の副担任だ」
「がーーーーーーん」

 どうやら校長に根回しした効果はあったようだ。
 それにしても、ツインテール少女はわかりやすい反応を返してくれる。そして、あなたはいつの間に下に降りてきた、Mr・高畑。
 あなた、ついさっきまで校舎の二階にいたでしょうが。二分経ってないぞ?
 そんな俺の胸中ツッコミを余所に話は進む。

『プチッ』

 あ、なんか切れた。話の途中で、ツインテール少女のこめかみから響いた音に、間抜けな感想が浮かんだ。

「大体あたしはガキがキライなのよ!あんたみたいに無神経でチビでマメでミジンコで…!!!」

 切れ方が尋常じゃねえな。絡まれまくっているネギも、相当頭にきているみたいだし。顔がヘチャムクレのウーパールーパーになってるぞ。

「なあ、このか。ネギはやたらとあの娘に嫌われてるみたいなんだが、俺が来る前にいったいなにがあったんだ?」

まず事情を聞いてからでないと危なそうな気がしたので、同じように傍観してたこのかに尋ねた。

「朝占いやっとったんやけど、ネギ君がアスナに失恋の相でとる言うてもて……そんでアスナがキレてもうたんよ」

 「それだけかよ!」とは思ったが、年頃の女の子にとっては重大な問題だったんだろうな〜。いや、若い。
 当の想われ人は煙草吸いながら、ネギに絡む少女――アスナとやらを微笑ましそうに見ているし。
 ……ん? ネギの様子がなにやら――――ってまずい!

「は、は、はくちんっ!」
「な!? キャーーーッ、何よコレーーッ!!?」

 俺が止める間もなく。ネギがくしゃみをした途端に、アスナって娘の制服が空中分解してしまう。
 止められなかったか。魔法学校主席のネギが何故か唯一、制御しきれない魔法。
 ただ単に、風属性の武装解除魔法「風花武装解除」の暴発なんだが……精神集中している時に出ると大惨事になるんだわ、コレが。
 俺がこっちに召喚されちまったことを鑑みても、ソレの性質の悪さはわかるだろう。
 まあ目下の問題は、俺達の前で下着一丁にされてしまったアスナ嬢のことか。

(((くまパン…しかも毛糸)))
「もーーー! 朝から踏んだり蹴ったりよーーーーー!!!!」

 とりあえず、ムクれたままのネギと違い、今ぐらいはアスナのことを可哀相に思ってあげようと思う程度に、ここにいる三人には情けがあった。
 では、三人揃って心の中でアスナに向かって合掌、南無南無――――



「未知との遭遇?」


学園長室まで案内して扉をノックした後、このか嬢が学園長室の扉を開ける。

「ここが学園長室やで」
「ありがとうございます、このかさん」
「お手数おかけしました」
「ええよ、ネギ君にジロー君。ほな入ろか」
「はい」

高級そうな赤絨毯が敷かれた部屋の奥。奥の窓際に設置された木製机の前に、麻帆良学園学園長・近衛近右衛門……らしきモノが座っていた。

「………………………………」
「ジローさん?」
「どないしたん?」
「どうかしたのかね?」
「いえ、別に」

 部屋に入り、ソレを直視して固まった俺にネギやこのか、そして石化させた当人が声をかけてくる。
 正直に言うよ、ああ驚いたさ。魔法でこちら側に飛んできて三ヶ月、竜も見たし喋る猫も見た。
 精霊も見たし、落雷を吸収するきりたんぽみたい妖精も見た。はっちゃけて魔法学校の敷地を探検したら遭難して、彼の有名な傘の似合う巨大妖精に救助されて空も飛んだ。
 つい最近は、何故かイギリスで修羅や鬼女の類にも遭遇したし。
 け・れ・ど、あんな頭をした人間(本当に人間なのかは不明だけど)は初めて見たよ、じいちゃん。
 世の中にはまだ多くの神秘が眠っているのだと、密かに感動してみた。
 きっとじいちゃんならば、この人っぽいものを見た瞬間に自慢の抜刀術を炸裂させてただろう。
 内心、じいちゃんなら簡単に魔法障壁をぶった斬りそうで怖かった。ばあちゃんなら、きっと苦も無く砕き散らすだろうけどね。

「それでは話をしていた通り、ネギ君には2年A組の担任と英語の教師をやってもらおうかの。八房君は同じく2年A組の副担任を頼もう。あとすまんのじゃが、現国と古典の控え教師もやってもらえるとありがたい。ついでに、もしもに備えてネギ君の代理英語教師も」
「あー……いいですよ」
「そうか、すまんのう。なにぶん人材不足での」
「学校の先生も大変なんですね〜」

 ネギは普通に感心しているのだが……いいかい、ネギ? 人手不足だからって、一使い魔に三種類も控え教師をさせるような学校はマトモじゃないぞ。
 曲がりなりにもココは幼稚園だったか? そこから一貫してエスカレーターで進級するマンモス学校。
 人手不足とか言って役職を掛け持ちさせるというのは、最高責任者として問題があるのではなかろうか。
 だが、胸中でツッコミを入れまくっている俺に向けられた学園長の目は、やけに真剣にこちらを見てる。
 好々爺の仮面の下に隠された東の頭としての瞳が、俺の目を捉えた。自分が奥底まで覗き込まれているような錯覚。

「……………………」
「……………………」

 手に滲む汗をそのままに、暫しの間学園長と視線をぶつけ合う。少しして、学園長はニヤリと笑って、相好を崩した。
 どうやら、視線を逸らさなかったことで最低限の信用は得られたらしい。信頼ではなく信用なのがミソなのだと思うが。
 やっぱり目の前にいるのは、妖怪か七福神の一柱だな。怖くて仕方がなかったぞ。

「――よし、ネギ君少しの間じゃが八房君と話があるので、先に指導教員のしずな君と外に出ておいてくれんか?」
「――失礼します」

 学園長が書類に何かを書き込み終えるのを待っていた様に、部屋の扉がノックされる。
 ノックの後に入ってきたのは、ウェーブのかかったロングヘアーでお洒落な眼鏡をかけた、「美女」という単語が恐ろしく似合うであろう女の人だった。
 ネカネさんはどちらかというと可愛い系だったから、新鮮な感じではある。
 だから何だと聞かれても困るけどな。

「それでは、失礼します」
「外で待ってますね、ジローさん」
「あー、はいはい。少し待っててな」

 しずな先生の後ろについて、ネギとアスナ、このかが部屋を退室する。学園長室を出しな、ネギが手を振って言ってきたので軽く頷いておいた。
 部屋の扉が閉まってすぐ、アスナ嬢の『一緒』がどうとか『お断り』という怒鳴り声が聞こえてきたのだが、とりあえず無視しておく。

「八房君」
「あー……『ジロー』でお願いしてもいいですか? 『八房』は俺だけじゃないですし……やっぱり、『ジロー』の方が気が楽ですし」
「――そうか。それではジロー君」
「はい」

 学園長の呼びかけに短く返す。部屋に一瞬の静寂が満ち始めた。
 一応信用されているらしく、向けられる視線に冷たいものがないのは有り難いのだが……これから何を言われるのかわからず、俺は嫌な緊張を感じている。
 静かに唾を飲み込むのを見て相好を崩し、学園長が重々しく口を開いた。

「見たところ容姿や性格に問題もなさそうな良い青年じゃ。そこで話があるのじゃが、うちのこのかを嫁にどうかの――」
「ふんっ!」
「ぐふっ!?」

 老化の進みすぎで戯けたことを言いかけた妖怪に、とりあえず部屋を出る際、いつの間にかこのかが持たせてくれていた金槌を投げつけておく。
 さんざん待たせてそれですか……あなたはミリ○ネアの蓑さんですか?
 しかし、学園長の言動を予測して気づかせずにトンカチを握らせるとは……このか、恐ろしい娘。

「――ふぉっふぉっふぉっ、冗談はさて置きじゃな」

 このか嬢の将来に薄ら寒いものを感じていた俺に、頭から血を流して笑う学園長が話を進めに来る。
 復活早!? 手加減はしたけど、直撃だったはずなのだが……。やはりあの独特の形状の頭が衝撃を吸収・分散したのだろうか。
 如何にして目の前の人外を倒すのかを考え、知らず喉をグビリと動かす。都合のいいことに、このかから拝借仕った金鎚はもう一つある。
 さあ、殺し合おう―――。どこかのお人好し殺人衝動持ちの科白が脳裏に浮かぶ。

「い、いや、わしが悪かったから、もう勘弁してくれい」
「はは、俺も冗談でやってますよ。でもあまり調子に乗っていると、孫娘に嫌われますよ?」
「ほっほっ、これは手厳しい」

 朗らかに笑って、顎の下で手を組んだ学園長が尋ねてきた。

「さて、ジロー君。君が『こちら』に来て半年ちょい。この世界のことをどう思っとるのかの?」
「あー……………紛うことなき現実、ですかね?」

 学園長の質問に少し目をボウッとさせ、頭を掻きながら応える。
 ネカネさんやメルディアナの校長、ドネットさんに教えられた、そして自分で調べた情報。
 『魔法』の存在に、ネギの父親で最強の魔法使いとかいう『サウザンドマスター』という英雄、この『麻帆良学園』の重要性、『近衛木乃香の体に封印されている魔力』と、それを狙う『ある一派』の存在。あと何かあったか?
 俺が暮らしていた世界でも普通にあった、争いや謀略がまかり通る『裏』の世界。
 ただ、『魔法』だ何だと常識から少しかけ離れた力が関わっているだけで、なんら特別ではない特殊な世界。
 普通の世界に引き返すかどうかなんて、『ここ』に来てネカネさんに身の振り方を考えるよう言われた時、充分に考えた。
 このかの魔力を封印したように、俺の魔法に関する記憶も封印すれば、一応は普通の人間として暮らせる。
 多分そこで頼んでいれば、俺はまったく別の人間としての生活を始めていたのだろう。
 だが――全部忘れて「ハイ、幸せになりましょう」なんて納得できなかった。
 俺だけが覚えている、『向こう』の『八房次郎』が大切にした家族の存在、想い、生き方、どんな友達がいたのか、どんな思い出を気付いてきたのか……そういった色々な失いたくないものを忘れて安寧と過ごすなんて、正直勘弁して欲しい。
 だから――――

「ま、自分使い魔ですから。否応なしに頑張るしかないでしょう? 御主人が一人前になって、俺なんかを必要としなくなるまで」

 ずっと胸の奥で疼いている痛みを踏み倒して、小さい御主人の使い魔兼保護者を続けていくさ。
 いつか、きっとそれをして良かったと思わせてくれるとを信じて。じいちゃんやばあちゃん。そしてヌイや、挨拶もせずに姿を消してしまったことを謝りたい『向こう』の大切な友人知人に胸を張って、ちゃんと放り出さずにやり遂げたと、『いつか』告げるために。

「――――そうか。それでは、これからネギ君のサポートその他、しっかり頼むぞジロー先生?」
「あー、頼まれました。ネギ・スプリングフィールドの使い魔兼保護者、あと現国・古典・英語の控え教師兼2−A副担任として頑張らせていただきます」
「長い役職名じゃの〜」
「はは、そうですねー」

 微妙すぎる役職に二人で苦笑して、学園長室を後にした。出てきた俺に気付き、外でしずな先生と待っていたネギが顔を輝かせる。
 苦笑しながら廊下を見渡すが、アスナとこのかは先に教室に行ったらしく姿が見あたらない。
 トンカチ返し損ねたな……。まあ、教室にいるだろうから休み時間にでも返そう頭の中でそう考え、綺麗に赤いものを拭った金鎚を背広の内ポケットに仕舞っておいた。

「それじゃ、2年A組の教室に行きましょうか」
「はい!」
「あー、はい」

 気合の入った返事をして、やけに文字が書き込まれているクラス名簿を見ながら歩くネギに苦笑する。
 歩きながら読むのは危ないぞと思いながら、密かに興味があったので覗き見させてもらった。
 だって、俺はこれでも16歳。教職なんてやったことないし、虐められたりしないか不安じゃあないか。
 しかも、相手は全員女子って話。やっぱり緊張しちゃうだろ?

「ほら、ここがあなたたちのクラスよ」

 クラス名簿を覗き込んでいる俺達に苦笑しながら、しずな先生が立ち止まってクラスを示す板を指差す。
 これが『立派な魔法使い』への第一歩と意気込み、ネギは何度も深呼吸して教室の扉を開けるタイミングを計っていた。

「うん?」

 そこで、僅かに開いている扉の上方にある物に気付く。
 ……黒板消し? またベタな罠を。ドアの隙間からロープも見えるし、まだ罠がありそうだ。
 新任の教師が来ると聞いてこういう仕掛けをする辺り、ここの女子達って実は恐ろしく性格悪いのではなかろうかと考える。

「……あー、ちょっと待ってろネギ」
「ふえ?」
「すぐに戻る」

 いざ扉を開けんとしたネギの肩を掴んで押し止め、しずな先生に断ってから足を進め、おもむろに教室の扉を開いた。
 そして一分後――

「よう、待たせたな。もう入ってもいいぞ」
「う、うん」
「あらあら」

 粉たっぷりの黒板消しや矢の残骸を手に、俺は教室の前側の扉を開けて入室許可を出して、困惑するネギと苦笑するしずな先生を招き入れる。
 教室は水を打ったように静まり返っていた。あー、このかは手を振ってくれてる。アスナの方は、人の事を無粋な奴とでも言いたげな目で見ているが。
 そも、ここ女子校だし? 嬉々として用意しておいた罠を、突然後ろの扉から入ってきた見知らぬ男が解除して回れば驚くさね。
 良くも悪くも肝が据わっているのか、何人かは面白そうに笑っていたり、呆れた顔をしていた。
 剣呑な視線は罠を仕掛けた連中からでしょうか? コラコラ、こっちを睨むな。黒板消しやおもちゃの弓ならともかく、あんな水の入ったバケツなんて子供のネギには洒落にならんぞ。
 下手すれば首が折れてもおかしくない罠に、やはりこのかが特別で、『こっち』の日本の女子は全員危険なのだろうかと首を捻る。

(まあ、目下の問題はだ――)

 軽くため息をつき、手にした罠の残骸その他を床に置いて教室を眺めて思った。
 野太刀を肩に抱えた左サイドポニーの少女や、懐にいびつな膨らみがある褐色ロングヘアーの少女(?)に、分かりにくいが懐や袖に刃物忍ばせたグラマー糸目少女(?)に、やたら輝く目でこっちを見てる猫系小麦色少女etcetc……。
 何なのだろうか、この教室は? 必要以上に頭に「美」がつく少女ばかりというのも異常だが、それ以上に普通じゃない感がバリバリだよ。
 不自然に空席があるのが仄かに怖気を誘うし…………さすがは並行世界、というか異世界? ある意味魔法以上に不条理に出来ている。

「ジローさん、どうしてさっきは後ろのドアから入ったの?」
「気にするな」
「でも、なんだか生徒の皆さんが……」
「気にするな」
「一体なにが…」
「気にするな」

 無垢な瞳を向けるネギを見ず、ただ「気にするな」を繰り返す。ネギ、君はいつまでも純真でいろよ。
 己を犠牲にしてでも、この少年が俗世の垢に染まり過ぎないようにしようと決意する。

「ほら、ネギ先生。そんな所で固まってないで皆さんに挨拶してください。ジロー先生も」

 しずな先生のスペルで硬直が解ける。待てよ? この人も「ジロー」って呼ぶということは――

「あ、はい!」
「………聞いてましたね?」
「うふふ、どうでしょう?」

 ジト目で見る俺に、しずな先生は首を傾げて空とぼけてみせる。学園長といい……喰えない人が多そうだ、麻帆良学園。
 まあ並行世界出身っぽい使い魔や、ばりばり未成年のネギを教師に雇うぐらいだ。盗聴程度は朝飯前か?

「それじゃあ、自己紹介してもらおうかしら」

 しずな先生のおかげで、静まり返った教室に活気が戻る。
 女生徒達の期待に満ちた視線の中、教室の正面に立ったネギが自己紹介を始めた。

「今日からこの学校でまほ……英語を教えることになりました、ネギ・スプリングフィールドです。三学期の間だけですけど、よろしくお願いします」

 穏便ならざることをゲロしかけたネギに、さっそく頭痛。
 おいおい、ネギさんや。緊張しすぎでやばい単語言いかけていたぞ? しずな先生も苦笑いしてるし。
 ネギの自己紹介の後、静まり返る教室。やけに静かだと思い、教室を見渡して見ると、生徒の大部分があっけにとられた表情で固まっていた。
 少し不気味だ。全然、表情が変わっていないのも何人かいるけど。

『か、かわいいいぃぃぃ!!』
「う、うわあぁっ!?」
「でかいよ声……」
「あらあら」

 いきなり再起動した途端、顔を紅潮させた生徒達が奇声を上げて、ネギに詰め寄ってきた。
 助けるべきかと思ったが、特に危険はなさそうなので放置しておく。動いてない連中の方が危なそうな奴が多いし。
 何故か、俺もネギと同じように剣呑な視線を向けられている気がしないでもないが、それもまた仕方のないことと諦めておく。
 ついでに、女子達に囲まれて泣きそうになっていたネギも諦めておいた。スマン、ネギよ。俺は少女達を乗り越えてお前を助けられる程、強くはないのよ。
 ほら、時差ぼけでまだ体が本調子じゃないっていうか。だから、そんな目で見ないでください。見るなよ、見ないでったら……見ないでくださいっ!!
 涙目で救援要請するネギから視線を外しておく。そういえば、例のチワワのCM見なくなったよねー。密かに新しいパターン楽しみにしていたのに。
 それにしても、ネギはさっきから質問攻めでてんやわんやだな。

『何歳なの〜?』
「じゅ、十歳です」
「嘘ー、かわいいー!」
『どっから来たの!?』
「え、えとウェールズの奥地から」
『ウェールズってどこー?』
(知らねえのかよ……)
『何人!?』
『今どこに住んでるの!?』
 ……etcetc

 騒がしいことこの上ないが、興味なしって感じで無視されるよりはマシなはず。

(心配ないとは思いますが、俺にこんな質問攻めが来ませんように)

 とりあえず、心中で手を合わせて祈っておいた。俺は女の子に好かれて嬉しいと感じる真人間だが、芸能人みたく根掘り葉掘り情報を聞かれるのは好かん。
 ふと見ると隣でしずな先生が、眼鏡で少し性格きつそうな優等生タイプの生徒に質問されている。

「…………マジなんですか?」
「ええ、マジなんですよ」

このクラスは異常な娘が多いと思ってたけど、まともそうな娘もいるみたいでよかったよ。
 生暖かい目でしずな先生とのやり取りを見ていたら、当の眼鏡かけた娘と目が合う。
 どこか胡乱な少女の瞳は、俺が何者かを問いかけているように思われた。

(お前はなんなんだよ?)〈あくまで想像です〉
(ネギと同じく新しい副担任です)〈心の声です〉
(最悪だ〜、なんでこのクラスは変な奴ばっか集まるんだよ!!)〈あくまで想像〉
(たぶん諦めるのが一番精神的によろしいかと。人間諦めが肝心だから)〈心の――〉
(やれやれだぜ。やってらんね〜よ)〈あくまで想――〉

 愚痴と慰めの応酬を暫し。ずっと見てたせいか、その娘は俯いてしまった。 恥ずかしかったのか、顔が赤くなっている。女の子らしいと言うと失礼かもしれないが、『ここ』に来て久しぶりに見た普通っぽい反応に心が安らいで、すぐ隣の喧騒も忘れられそうになるね。

「あの〜、ジロー先生?」
「は?」

 遠慮しがちにかけられる、しずな先生の声。いつの間に落ち着いたのか、さっきまで暴徒が如くネギへ詰め寄っていた連中はおとなしく席に着いていた。 一部、金髪の少女が鼻血を拭いていたりする。彼女は世に聞く『少年好き』に違いない、要注意人物だな。

「次はジロー先生の自己紹介をお願いしますね」
「あー、はい」

 しずな先生に促されて教壇の上に立つ。見捨てて置き去りにしたネギが、教卓を譲りながら睨んできた。
 お願いだから、そんな目で睨まないでくれネギよ。あれはどうしようもない事だったんだ。
 『カルネアデスの舟板』って知ってるかい?

「あー、えっと……ネギ先生と同じく、新しくこのクラスの副担任になりました、八房ジローと申します。名前が片仮名なのは、故あって親……祖父が面白がって付けたからです。担当はないので、現国・古典・英語の控え教師になります。
 歳は十六。まあ、ジローとでも呼んでください。皆さんとたいして年齢も変わらないので頼りないかもしれませんが、一生懸命頑張らせていただきます」

 先ほど、ネギへかけられた質問を参考に考えた自己紹介なので、下手に質問されることもないだろう。
 名前の由来はあながちウソでもないし。じいちゃんの思いつきで、役所へ届けられたって話だ。
 『次郎』って名前のお陰で、子供の頃はそれなりに苦労したものだよ……。
 適当に愛想笑いをして頭を下げた俺に対し、教室からまばらに拍手の音が響く。
 やはり、十歳の先生に比べると十六歳はインパクトが少なかっただろう。生徒達は先程よりも落ち着いて見える。
 感謝するぞ、ネギよ。さすが風の魔法が得意なだけはある。まさか、彼の有名な風○結界まで使えるようになってたとは。
 密かに完璧だと頷いていた俺を余所に、念の為しずな先生が生徒へ質問があるかと聞いている。

「それじゃあ、ジロー先生に質問のある人は手を挙げてください」

 はっはっは、そんなことしても無駄ですよ、しずな先生。俺にはネギという人身御供がありました。
 せいぜい、二・三人が手を挙げればいい方ですよ――

『は〜〜〜い!!』
「あー……」
『趣味は!?』
「えーっと、読書と時代劇鑑賞?」
『し、渋い……えっと、特技は?』
「特にこれといって。強いて言うなら自炊とか山中サバイバルとか、生きしぶといこと?」
『い、生きしぶと…………そ、そうっ! ネギ先生と仲が良さそうですけど、どんな関係なんですか!?』
「ウェールズで、ネギ先生の家に居候してました」
『さっき罠の矢を掴んで止めてましたけど、どうやったら飛んでくる矢を掴めるんですか!?』
「集中力と反射神経を鍛えれば誰でも。ベ○ト・キッド見ればコツがわかります」
『彼女はいますか!?』
『ああ〜、聞きたい聞きたい!!』
「残念ながら生まれて十六年、彼女はいません。男女問わず、友人知人は多かったんですけど」
『初体験って何歳ですか!?』
『きゃあーー!!』
「恥ずかしがるなら聞くなよ…………あー、ないですね。臨死体験でいいのなら、両手の指でも足りないぐらいしてますけど」

 前略 あの世のじいちゃん、ばあちゃん、そしてヌイ。
 女子中学生の好奇心や行動力、十代少女特有のテンションというのは、僕の想像を超えていました。
 噂好きな学生達にとって、プライバシーなんて意味のない言葉なんですね。

「はいはい、質問はそこまで。そろそろ授業を始めてもらいましょうか」
『はーい♪』

 最後の質問を見かねてか、しずな先生が生徒達を促して授業を始めるように諭す。
 まあ、その後授業が始まったのだが、恙無く進むなんてことはなく。アスナのネギに対する消しゴム攻撃を防ぐのに終始したり、休憩時間はネギのついでに質問してくる生徒達をあしらうのに時を費やした。
 ああ、腹が減ったな。……そういえば、今日はどこで寝ればいいのだろうか、俺?
 ま、いいや。後でしずな先生かネギにでも聞こう――――

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