いつもみたいに大学に行って、いつもみたいに勉強して、いつもみたいに友達と騒いで、いつもみたいに一日が終わる。
―そんなはずだった。
「なんだよ……コレ」
僕の前で信じられない光景が展開される。
教授の手伝いをして遅くなった帰り道。近道しようと、木々が生い茂るあぜ道を通っていたときに、それを見てしまった。
大きな体、頭には二本の角。まるで昔話に出てくる鬼のようなバケモノ。
それと対峙するのは、金髪で黒いドレスが似合う十歳くらいの可愛らしい女の子。
その後ろに控える、アンテナのような耳飾をつけた十四歳くらいのメイド服を着た女の子。
バケモノが拳を振り上げ、金髪の女の子に迫る。
「
女の子がフラスコを投げると、バケモノの体がたちまち凍りつき、ガラス細工のように砕け散る。
「マスター!上です!!」
メイド服の女の子はそう叫ぶと、足の裏から炎を吹き出し、舞い上がる。
そして、大きな鳥を殴り、地面に叩き落す。
「メイド……ロボ?」
僕はその光景から、小さく呟く。
鳥がふらふらと立ち上がる。
女の子がいくつかの試験管を取り出し、鳥に投げつける。
「リク・ラクラ・ラック・ライラック!
試験管が割れ、中の薬品のようなものが飛び散ると、女の子の声にあわせて、十二本の氷の矢が現れ、鳥を撃ちぬく。
撃ち抜かれた鳥は、どさりと地面に倒れると煙のように消えていく。
も、もしかして魔法少女!?
アニメやマンガでしか存在しないような名称が僕の頭の中に浮かび上がる。
その時、僕の目に物陰から黒い筒のようなものが、女の子に向けられているのが見えた。
「危ないっ!」
「なっ!」
咄嗟に僕は隠れていた茂みから飛び出し、女の子を守るように強く抱きしめる。
それと同時に、わき腹に走る激痛と炎の中に突っ込んだかのような熱さと、感電したかのような痺れ。
僕は女の子を抱きしめたまま、勢い良く地面を転がる。
「マスター!」
メイド服の女の子が僕に近付いてくる。
「私は大丈夫だ!それよりコイツを!!」
金髪の女の子は、僕の腕から這い出し、仰向けにする。
「おい!キサマ大丈夫か!!」
「はは……僕は、ダメかも……」
目が霞んできた。それにだんだんと体が冷たくなってくるのが分かる。
……あ、コレは死んだな。
それが、僕の頭に浮かんだ最後の言葉だった。
チッ!私としたことが何たる失態だ!!
この男が私達の戦いを覗いていたのは知っていた。
全て終わった後で記憶を消してやろうと思っていた。
だが、まさか巻き込んでしまうとは。
「茶々丸!男の様態はどうだ!!」
「脈拍が下がってきています。それに出血も止まりません」
「チッ!大至急ジジィに連絡して病院を手配しろ!この男を死なせるな!!」
「かしこまりました」
茶々丸は私の指示に従い、携帯でジジィに連絡を入れる。
私はドレスの裾を引き裂くと、傷口を押さえる。
「キサマは馬鹿な奴だ!私がくたばろうと誰も悲しみなどせんのに!!」
そうだ。
誰も心配などせん。誰も悲しみなどせん。
真祖の吸血鬼、闇の福音や人形使いと恐れられ、幾人もの命を奪ってきた私に、誰も悲しみはしないというのに。
「……だが、助けてやる。このエヴァンジェリン・A・K・マグダウェル、借りは必ず返してやる!!」
目を開けるとそこは真っ暗だった。
なんだ、三途の川やお花畑なんて無いんだ。
「小僧、何を言っている」
僕はしわがれた声に振り向く。
そこには真っ黒で、巨大な犬が一匹いた。
「な、何だ!!」
「ははは!驚くのも無理は無いな」
そういって、犬はごろりと横になる。
「あ、あんたは何だ!こ、ここはどこなんだ!!」
僕は腰を抜かし、へたり込む。
「まぁ、落ち着け。我が名はブラックドック。雷とともに現れる魔獣よ。そして、ここはお主の深層意識の中だ」
「魔獣?深層意識?一体……」
「順を追って説明しよう。まず、お主が受けた銃弾。あれに閉じ込められていたのは我だ」
「何?」
「一種の呪いだ。相手の体に銃弾を撃ちこみ、例え軽症であっても、我が体の中で暴れまわり、精神をずたずたにする」
呪いに魔獣……。何をいっているんだ?
「ははは……。コレは夢だ。こんな非常識なことがあるわけが無い!そう、さっきの魔法少女も、僕が撃たれたのもみんな夢だ!」
「小僧、コレは現実だ。この世界には、我のようなものが存在し、呪いも存在する。全てが表には出ず、裏で処理されている」
「そ、それじゃ、さっきの魔法少女も……」
「全ては現実よ」
「なってこった……」
僕は頭を抱える。
この科学万歳な世界において、まだ魔法だとか呪いが存在していたなんて……。
「して、小僧。裏の世界を知ってしまったものの末路を?」
ブラックドックがにやりと笑う。
「……小説とかドラマだと…殺されるか……同じ世界の人間になるか……」
「正解よ」
僕の背中を悪寒が走る。
死ぬか、裏の世界の人間か……。
あれ?でも、僕死んでるし……。
「死んではおらぬよ」
「へ?」
ブラックドックの言葉に、僕は間抜けな返事をする。
「あの娘の手当てが迅速かつ適切だったようじゃの。九死に一生を得ておるわ」
「じゃ、じゃぁ僕はこの後、殺される!?」
ガタガタと震える僕を見て、ブラックドックが豪快に笑い出す。
「始めから殺すのであれば、最初から手当てもせんだろうて!」
「そ、それじゃ……裏の世界の住人に?」
「そうなるだろうて」
「む、無理だよ!僕、魔法も使えないし、格闘技だってかじった程度だし!!」
「そこで我の出番だ」
そういってブラックドックがにやりと笑う。
「我が力を貸そう」
「力を……貸す?」
「そう、我の雷を操る力をお主に渡す。その代わり、我をお主の中に住まわせて欲しいのだ」
「……何で…?」
僕がそう問いかけると、ブラックドックがどこか懐かしむような表情になる。
「もう疲れたのよ。魔界では日々弱肉強食。戦い戦って傷つき、召喚されれば召喚師に従いまた戦い。血にまみれ血を浴びる日々に」
そういって彼は牙と爪を見せてくれた。
「この牙は幾多の戦いで、切れ味を失い敵の喉笛さえ食いちぎれぬ。この爪は長き戦いで鋭さを失い、切り裂くことも出来ぬ。もう我は戦えぬのだ。ここから出れば、我は退魔師に狩られるであろう」
ブラックドックが頭を下げる。
「どうか、この老いぼれを、お主の中に住まわせてはくれぬか。お主の体を乗っ取ったりはせぬ。だから……」
大丈夫なのか、このバケモノを僕の中に住まわせる……。
でも、嘘を付いているようには見えない。だけど……。
僕はしばらく考え……
「いいよ」
そういって微笑む。
「かたじけない」
ブラックドックはそっと頭を下げる。
「では約束どおり、我が力お主に渡そう」
ブラックドックの周りに幾つもの稲妻が走り、それが一気に僕に襲い掛かる。
「ぐあぁぁぁあああぁぁあああああぁぁああ!!!」
体を凄まじい激痛が走り、そのまま僕は闇の中へ落ちていった。
私がこの男に助けられて三日。
私はいまだに意識が戻らず、ICUに入っているこの男を見舞いに来ていた。
男は所持品からこの学園の大学部に通う4年生で、名前を『佐久間修司』というらしい。
「マスター」
後ろに控えていた茶々丸が私に声を掛ける。
「すみません、私がもっと周囲に警戒をしていれば」
「もう良い、過ぎたことをいっても仕方あるまい」
私は茶々丸にそういうと、眉をひそめる。
ジジィから一般人を巻き込むことは避けるように言われていたのに。
あまつさえ、この男に助けられるとは。
その上、この男の命が助からなかったともなれば、夢見が悪い。
それに、あの男の額に浮かび上がった犬か狼をかたどった紋章。
何らかの呪いらしいが、よくは分からない。
「マスター!修司さんが!」
茶々丸の声に、いつの間にか下を向いていた私は修司の方を見る。
すると、修司の体から稲妻が発せられそれが徐々に強いものになる。
「な、何だ!これは!!」
稲妻は取り付けられていた装置のケーブルから装置本体に走り、一瞬にして焼き尽くす。
さらに強い稲妻が、部屋中に走り、あたり一面を焼いていく。
稲妻がガラスを破壊し、私に襲い掛かる。
「マスター!!」
「く!
私が魔法薬を取り出し、防御壁を展開するより早く、茶々丸が飛び込み私へ向かってくる稲妻を遮る。
「きゃああああぁああああ!!」
「茶々丸っ!!」
茶々丸は、稲妻をその体で全て受け止め、煙を上げ動かなくなる。
まさか……茶々丸を破壊したのか……!
いくら稲妻を受けたからといっても、茶々丸が一瞬で……。
私は修司をにらみつけた。
そこにはいまだに稲妻を纏い、髪を逆立て、空中に浮いたまま、呆然と自分の手を見つめている修司がいた。
「……キサマ、何者だ?」
私の声に修司がゆっくりと振り向く。
「……佐久間修司…ブラックドック…佐久間修司」
〈続く〉